6-21 銀竜と転校生
だいたい1時間くらいだろうか? 各々訓練――俺は魔法の挙動の確認と勉強だ――を終えた俺たちは訓練場を後にすることにした。
「訓練は毎日やってるんですか?」
「はい。可能な限りはやっています。朝に本訓練はやりますが、あとは就寝前に瞑想や、剣やショートスタッフなどの武器での素振りなどです。使用人によって得意とする技術が違うのでやっていることが違うことはありますが、当館の者はみな訓練は欠かさずやっています」
結構本格的なようだ。訓練場があるくらいだしね。
「その朝の訓練にディアラとヘルミラが参加することって出来ますか?」
ちらりと姉妹を見ると、当然のように二人もいくぶん驚いた様子で俺のことを見ていた。このことは二人に話していないからだ。
「問題ないかと思われますが……」
そう言って、マグドルナがダンテさんにちらりと目線を向ける。
「さきほどのような内容でよろしければ、私はお相手することができますよ。マグドルナの方も問題ないでしょう。お客様もまだ寝ていらっしゃる頃ですし、仕事もそれほど多い時間帯ではありませんから」
ダンテさんは微笑した。訓練によって多少髪が乱れているが、そのおかげで色気がさらに増している。結構堅気な人の気もするが、女性遍歴が少し気になるところだ。
ありがとうございます、と俺も微笑して頷く。
「ただ、朝の訓練はかなり早いですよ? 今の時期でもまだ空が暗い時間帯に始めていますので。終わるのは日が出てきた頃ですね」
早いな。でも姉妹もだいたいその頃に起きているとは聞いている。時計を持たず、とくに見もないこの世界の人々の起床時間は「日が出る頃」だ。
「時間に関しては二人はいつもそのくらい起きているとは聞いています。……どう? 朝の訓練」
「私は嬉しいのですが……」
ディアラはそうこぼすが、二人とも気づかわし気な感じで俺を見てくる。インも俺のことを見ていたが、特に口を挟む様子はないようだ。
「ごめんな、急に。嫌だったらいいよ。……俺早起き無理だし、起きるの遅いしさ。その間、なにか有益なことに時間が使えるならどうかなってちょっと思ってさ。もちろん他にやることがあるなら断ってくれていいよ」
俺は出来るだけ穏やかな口調でそう二人に説明した。
朝早く起きて姉妹が何をしているのか、詳しいことは俺は知らない。何をやっていたのか逐一報告をさせていないからだ。
気になることは気になるが……現代人の俺は、相手がたとえ奴隷だの従者だのでもプライベートを根掘り葉掘り聞ける性分ではない。そういう人もいるし、かえって逆に貴重がられたりもするんだけど。
メイホーにいた頃はニーアちゃんとステラさんと山菜を摘みに行っていたりしていたそうだが、察するに、ケプラに来てからはそういうことはしていないんじゃないかと思う。この街で市場巡りは堪能できても山歩きはできない。
二人が仮に5時に起床するとしても、俺は9時とかその辺に起きる。昨夜のように夜に色々あれば、10時過ぎることもある。この俺が起きるまでの間、屋敷内を出ていないとしたら絶対暇だ。もしかしたらしっかり瞑想とか裁縫とか、やることはいくらでもあるのかもしれないが……ここには遊べるものとか何もない。……本でも与えられたらよかったんだけど。
だいたい従者っていうのは、結構色々と仕事があるものだと思うのだが、残念ながら俺はホテル暮らしで家を持たないので、あれこれと仕事を与えることができない。転居の二人の寂しさも合わせて、これについてはどうしたものかと考えていたことでもあった。
二人はさっきの訓練でかなり有意義な時間を過ごしたようだった。
元々乗り気だったディアラは言うまでもないのだが、特にヘルミラだ。インの講義のおかげもあるんだろうが、魔力操作について学んだことを喜々として俺に報告していた。頼りにしてるよ、とインに言うようなセリフを言ってみると、「頑張ります!」なんてディアラとそっくりの笑顔で言うのだから相当だろう。
俺の申し出に二人は断ってくることはないだろう。だけど、出来れば自分たちの意志を持って臨んでほしいといったものが俺にはある。
まあ、従者なんだから、細かいこと考えずに何でも命じればいいんだが……ともかくそれに、使用人たちと仲良くなれば万々歳だ。俺やインとばかり絡んでいたのでは、常識であれ、見識であれ、色々と欠けるものが多いだろう、といった思惑もある。
姉妹はしばらく俺のことを見ていたようだが、お互いに見合い、そして軽く頷きあった。
「お願いできますか??」
ディアラの言葉に、ダンテさんが微笑して、
「畏まりました。では、お待ちしておりますね。遅れたりしても特に何もないので、気軽にお越しください」
と、100点満点な言葉を返してくれる。
「ありがとうございます。一応マクイルさんにお伝えしておきますね」
「畏まりました」
『私はいかんからの』
インは軽くため息をついたようだった。インは俺への魔力の補充がある。他にも思惑は色々とあるとは思うけども。
――分かってるよ。
俺たちは金櫛荘内に向けて、歩みを進めた。
『……ダイチ。従者というのはな、主人に常に付き従うからこそ従者なのだ。あまり自分の傍から離れさすもんではない。お主は我が子我が娘のように思っている節があるようだが、二人はお主の娘ではないからの』
――……そうだね。
『あまり可愛がりすぎんようにな。まあ、見ていて気分が悪くなるもんでもなし、むしろ心地がいいもんでもある。お主らがお互いに似てきているのを見るのは心が安らぐよ』
――似てる?
『うむ。互いを尊重し合い、互いに何を考えているのか常に考え、気にかけておる。明らかにお主の影響だろう。日に日に二人の態度は軟化しておるしな。……私は自分が考える家族というものがいかに拙く編まれたものだったか、そして、家族というものが何か、人というものが何か、考えさせられることが多々ある』
なんか、……これから言われることが予想できるような気がしてきたな。俺のやってることは、家族ごっこだからな。
『ん? 家族ごっことはまた皮肉な物言いだの』
げ。聞こえてた……。
インが横からくっついてきて、俺の背中をぽんぽんと叩いてくる。
『……すまんの。私は二人に嫉妬しているのかもしれんな。……私は別にな、お主に家族を作るなと言っているのではない。むしろ、はよう番の一人や二人見つけてほしいと思っておるくらいだ。私はただの……心配なのだ』
――心配?
『うむ。気を悪くせんで欲しいのだが、お主はなんというか……欲がなさすぎてな。それに周りのことばかり気にしているように見える。見ていて不安になるのだ。……確かにお主は、まるでやり手の商人か貴族のような振る舞いができる。だが、最終的にお主の元に誰がいるのかというと、“誰も浮かばん”のだ。まあ、ジョーラの奴はお主にくっついてくるかもしれんが……お主があれだけ周りにいい顔をしておるのに、お主の元に来るのがジョーラだけというのは正直見ていて良い気持ちがせん。無論、お主が氷竜だと明かせばみな付き従うが、まだ告知はしておらんしの』
俺はジョーラの件にちょっと吹き出しそうになったが、インの言葉に反論の言葉は出なかった。
インはメイホーを出て、外の世界をこうして旅歩くのが初めてだという。あの巨竜の姿でそんなことができないのは想像に難くない。なら、旅人というものがどういうものか、その性格的な本質も彼女は知らないかもしれない。
また、インには俺のいた世界の情勢や文化について触れることはあっても、俺自身の生い立ちについては大して語った記憶はない。確か独身だと言った程度だ。
旅人の本質は知らない。だが、穿ってはいる。表面的でもいいから仲良くするという、転居が多かったがゆえの俺の「悪癖」の一端をしっかり捉えている。
そして、それを純粋に心配している。インのように察した人はいたかもしれない。だが誰もその不安と心配をインほどストレートに、完璧に言葉にした人はいない。
俺たちは金櫛荘のフロントについた。マクイルさんが俺たちに気付いて、こちらにやってくる。
「おかえりなさいませ、ダイチ様にイン様。それにディアラ様にヘルミラ様。訓練はいかがでしたか?」
マクイルさんにはいくらか不安がっている様子がうかがえた。客が訓練してみたいとか言い出すのはあまりないことだったためだろう。
インが俺から離れた。話を中断させられたためか、少しむくれているようだ。
――ちょっと待ってて。
「お二人にはとてもよくして頂きました。わがままを言ったようですが……ありがとうございます」
いえいえ、とんでもございませんと、ほっとした様子のマクイルさん。
「それで朝に行っている訓練場での稽古にですね、ディアラとヘルミラも参加させることになりまして。その際はダンテさんやマグドルナさんにお世話になることになりました」
姉妹がペコリと軽く頭を下げた。マクイルさんはダンテさんのことをちらりと見る。「はい。ダイチ様の仰られている通りです」と、ダンテさん。
「左様でございましたか。私どもがお力になれるのであれば、幸甚の至りでございます」
俺はマクイルさんに近づいて、二人にはチップをあげるかもしれないので、気にしないでくださいね、と耳元に囁く。マクイルさんは少し驚いたようだったが、畏まりましたと苦笑しながらだが言ってくれる。納得してくれたようだ。
「それともう一つあるんですけど、黄金トーストの特許についてはどうしたらよいでしょうか」
「特許はギルドの方で手続きがございます。お手数をおかけしますが、お暇な時にご一緒していただければと存じます」
ギルドか。身分証明書とかいるんだろうか。銀勲章で何とかならないかな? まあ、あとで聞けばいいだろう。
「分かりました。その際は声をかけますね」
「畏まりました」
言うことは言ったので、俺たちは自室に戻って着替え、訓練用に借りた服をダンテさんとマグドルナに渡した。
この後は風呂に入って、1階で食事の予定だ。だが、その前に。
「――むお。なんだ??」
俺はむくれていたインを後ろから抱きしめた。
「お母さんに感謝の印?」
「き、急にどうした??」
「ん? いい母を持ったなぁって」
「そ、そうか? ふふん。私ほど優れた母親もおるまいな」
俺はベッドに座り、おだてに弱い小さい母親を膝に乗せた。
「俺さ、子供の頃から引っ越しばっかりだったんだ」
「引っ越し? 各地を旅しておったのか?」
「そう。親の仕事の都合でね。だいたい1年から2年に1回くらいのペースで転居してた。国内を行き来するのはもちろん、外国も行ってた」
「ほう。なるほどの。道理でお主はあまり動じんのだな」
こっちとあっちじゃ色々と具合は違うが根幹は一緒だろう。まあ、あれやこれやと別に動じていないつもりはないんだけども。
「この世界の学校の制度がどうなってるかは分からないけど、俺の世界では6歳になると学校に通い始めるんだ。初等教育だね」
「ほう」
「それで、12歳になると初等教育を卒業して、13歳の年からは中等教育。中等教育の履修期間は3年間。ここまでが法律で決められた義務教育と呼ばれているもので、誰もが学校で教育を受けることになってる。あとは試験を受けて、お金を払って、高校や大学なんかの高等教育を受けるよ」
インは少し考える様子を見せたが、立派な話だの、とコメントした。
「私は人の子らの教育制度についてはよく分からんが、ここには義務化された教育なんぞないかもしれんな。学校に通うには相応の身分や金、あるいは貴族からの推薦状がいるはずだ。だから一生通えん者はたくさんおる。むしろ、通えん者の方が多いだろうな」
まあ、そんなところだろうな。メイホーでいつか老紳士に間違われたが、学校とは裕福な者が通うという印象があった。
「まあ……学校っていうのは子供心にそれなりに大変でね。俺はある時期から好きじゃなくなった」
「なぜだ? 学ぶ機会なぞ貴重だろうに。……ああ、義務と化しているんだったな」
俺は頷いた。好き嫌いは、この世界にいたら少々贅沢な話に聞こえるだろう。
「学校にも、国や地域ごとに雰囲気が違ってくることは分かる? 言語関係以外でね」
「文化や考え方の違いによってか?」
「そう。そこに住まう人たちっていうのは、その地域の成り立ちを経てきているわけだから、それに沿った物の考え方をする。学校には子供たちが通うわけだけど、指導するのは大人。親だって大人だし、子供だってやがて大人になる。だから学校は自然とその地域の特色を持った雰囲気になる。……例えばさ。かつて国を独立に導いた英雄が大のリンゴ好きだったら、学校にはリンゴの木がたくさん植えてあるかもしれないし、学校の紋章にはリンゴの木があるかもしれない」
かもしれんな、とイン。
「子供はその英雄のエピソードを聞いて育ち、英雄が槍を振り回して悪漢を退治しているなら、槍を模した長い棒かなんかでのちゃんばらごっこは流行ってるだろうし、もしその英雄がとある国のとある民族を排斥していたのなら、子供たちもその民族もしくはその民族と外見的特徴の似た子供を排斥することに何のためらいも持たない。子供だから、そこに大した悪意なんかはない」
「確かにそうだろうの」
「まあ、俺の世界は英雄だのなんだのっていう世界情勢でもなくなっていたんだけどね。みんな教育を経て賢いから、英雄に憧れるようなそんな感情は子供っぽいって、子供ですらも考えるからね」
「なるほどの。子供らしくないのう」
肩をすくめたインに、俺は微笑した。インは、子供に関してはこっちの世界の方が楽しめるかもしれない。
「……俺の国はそんなに大きかったわけではないけど、国土の端と端では結構雰囲気が違ったよ。都会と田舎という括りだけでも学校の雰囲気、……ああ、この場合の学校っていうのは、何十人か一緒に学ぶ子供たちを区分けした“教室内”の雰囲気のことね。もちろん全体も含むけど。……ともかく、教室の雰囲気は都会と田舎でも結構違ったよ」
インは銀色に輝く頭頂部を少し上下させた。俺はその頭にアゴを乗せた。
「……俺は引っ越しが多かったから、学校もよく変わったんだ。自己紹介も何回したか分からないよ。で、ある時期から、教室の皆の会話についていけなくなることが多くなった。……どこの中学の誰が、あの先生が昔はこうだったとかそういう過去の話をすることが多くなってね。俺はそういうの知らなかったから、馴染みにくくなくなった」
「まあ、住む場所が違っておれば見知っておる人も違うからの。……なるほどの、街を移るのはそういう面では難儀だな」
「まあね。……それと皆は、あまり俺と会話をしたがらなくなったようなそんな雰囲気も俺は感じ取った。……俺は気付いたんだ。彼らからすると、自分は“変わってる”んだって。異物なんだって。異物でも受け入れられるそんな雰囲気を、この小さな社会は持たないんだってね」
インは俺にアゴを乗せられたまま、子供だし仕方ないのではないか? と問いかけた。
「そうだね。でも、俺も当時は子供だからね。なぜ今までと違って急に話がかみ合わなくなったのか、考えてもあまりよく分からなかったんだよね。同じ言葉をしゃべり、同じ顔つきで、同じ背丈なのにって具合にさ。だから俺は学校を拒むようになったよ」
「ダイチも悩んでおったのだな」
「うん。……こういうことを思ったのは、外国から帰国して、田舎の学校に通い出したある年の頃なんだけど、俺の国の教育制度は保守派で軍学校めいたところがあってね。特に田舎はその傾向が強かった。学校に通う生徒はみんな同じ服装と髪型をするのが決まりだった。俺のいた外国の学校は制服なんてなかったし、現地の子や他の国からきた子でも楽しくやってたものだから、俺はなぜわざわざ外見を執拗に揃える必要があるのか、意味が分からなかった」
「軍人でも育ててるようだのう。獣人国のバリエンカルマにもそういった学校があるな」
そんな都市の名前出てたな。フリードは軍事都市とか言ってたか。
「俺の通っていたその学校は軍学校でも何でもないけどね。学校の風紀的な規則が異常に厳しいっていうだけ。……まあ、学校の話はさておきさ」
俺はインの頭からアゴをどけ、その両手を手に取った。当然だが、子供のように細い両手だ。
「インは訓練場の帰りにさ、『最終的にお主の元に誰がいるのかというと、誰も浮かばない。あれだけ周りにいい顔をしているのに』ってそう言ったけど、俺はあの言葉に感動したよ。あれは俺の生い立ちと俺の性格的本質を捉えてた。……引っ越しばかりで、そのせいで他人に良い顔をする能力ばかりが鍛えられて、でもそんなことをしたってどうせいつか別れるんだって、人との交際で色んなことを諦めていた俺の本質だけを捉えてた。ああ、本当に母親みたいだ、何でも分かってるんだって心から思ったよ」
もっと言えば、俺はMMORPG内でどういう人物として活動し、どういった仲間がいて、といった“サイバーな”出来事――第二の人格と第二の生い立ちも含めて理解してほしい気持ちがあったりもするが、さすがにそこまではインには求めていない。
それは現実世界だって難しいことだ。スマホゲームが普及し、Mouyubeの影響をはじめとして家庭内でゲーム文化も定着し始めている今だと割とあるように思うが、両親を自分のギルドに招きでもしない限りは、本当の理解は実現しないかもしれない。せいぜい恋人に求めるのが限度だ。
インがこっちを向く。
「私はダイチの母親だぞ?? 何を言っておるんだ」
俺は半ば怒ったようにそう言うインに苦笑した。俺とインとの繋がりは、俺の体内にインの素材があるというだけだが、インにとってはそれが血の繋がりに相当する。臓器移植でもそういった感情は芽生えるのだろうか、といまさらながらそんなことを思う。
「一応俺のいた世界にも母親がいたんだからね?」
ちゃんと腹で育って、という言葉が続いたが口には出さなかった。インは口を尖らせ、また顔をそむけた。
「……まあ、うまくいってなかったんだけどね。血の繋がった方は早くに死んじゃったし、引き取られた方ももう死んだし」
「養子だったのか」
「うん。……外見的にはうまくやってたけど、俺は二人と大した話をした覚えがないよ」
「ほお。多忙だったのか?」
俺は頷いた。
「ふむ。大貴族や王族の家庭と似たようなもんかの」
「王族?」
……そういやそうだったな。創作の王族の子供たちは結構な確率で愛情に飢えてたな。
「うむ。大貴族の当主の一族やら王族やらは忙しくてな。出征もあれば、外交もあるし、大量の手紙と書類には目を通さねばならぬしで、子供の世話などできんくらいらしい。それで、子供らは乳母なんかの教育係に育てられるんだが、無論、親との会話なぞそうない。母親は父親よりもいくらか暇なようだが、舞踏会だの茶飲み会だの、衣装の相談だのでそれなりに忙しいようでな」
うん、イメージ通りだな。
「まあ、そんなわけだから、子供は親の愛情に飢えててな。かえってそれが結果を出す要因にもなっているようだが、乱暴者になったり、性格を歪めるのも珍しいことではない。そのせいで余計なことに手を出してしまうのはもちろん、家を出た末に誘拐されたり暗殺されることもある」
それは……怖い話だな。
「……番を得られればこうしたこともいくらか落ち着いていくんだがの。……お主は名のある一族だったか?」
「いいや。一般的な家庭だよ。高給取りだったけど、海外転勤していた事実を除くと俺は一般家庭とだいたい同じ雰囲気で育ったよ。小遣いなんて他の子と比べて少ないくらいだった。……子供に隠し事はよくないよな」
俺は何でもいいから義父と義母の子供の頃の話や失敗談を聞きたかったものだ。二人とも無口ではなかったんだが、立派な親らしくしようとして話のタネがなくなり、大したことを喋らなくなるといったタイプの親だった。
どんなに完璧な人間にだって失敗談はある。それを話し、時には子供に笑われてしまうことは、家族の絆を深める要因になったはずだ。
「……そうか。……ダイチはあちらの世界で幸福だったか?」
インは振り向きこそしなかったが、うかがうようにそう訊ねた。俺は首を振った。
「家庭内に限れば不幸だったよ。残念ながら。色んなものが嫌いだったし、ずっと一人だった。“他の場所”で幸せになるべく努力はしていたし、自国の教育方面の至らなさとか、精神的広がりがなく客観視できない国民的気質とか、その嫌悪の感情で見えてきたものもいくらかあるし、強さになっていったのかもしれないけど、……空いた穴を埋めるのが段々と難しくなっていくだけだった。両親はそんなに上手くなかったのに、俺は隠すのが上手くなってたよ。何でも。……ここに隠したんだと自分で告げるのは、みじめな気持ちになる。ある意味では、最も不幸な子供の例だろうと思ってるよ。親の教育方針の至らなさ、人間性の至らなさを指摘できるはずなのに、しなかった子供というのは」
そうか、とインは言葉少なにこぼし、何度か頷いた。
「まあ、なんだ。この世界でのお主の母親は私だ。親は皆死んだのだろう? 兄弟はおらんかったのか?」
「いないよ。作ろうと思ってた時期はあったようだけど」
「なら、私が唯一の肉親だな! 私は《
インはこともなげに、いつもの調子でそう言ったが……
死ぬことはない。
親はいつか死ぬ。人間だから老いて死ぬ。人間だから病気によって死ぬ。俺の世界ではどうあがいてもどうにもならない理だ。
「……インは病気にならないのか? 病気で死ぬことはないのか?」
「はっは! 病気になぞならんぞ。病死する程度であれば、七竜の名は冠しておらんだろうな」
かつてジルにやられ、だが骨肉が再生していく、痛ましいインの肩の様子が浮かんだ。
インは死なない。“この親”は死なない。腕を吹き飛ばされたくらいでは死なない。
その現象はある意味では恐怖の対象になるのかもしれないが、これ以上の死なない証明もない。
……会話ができ、意思疎通ができ、時にはいがみ合うかもしれないけど、笑い合ったり。
その幻に必ず存在していた、俺がもう少し努力すれば、素直になっていれば、得られたかもしれないという後悔。
その時間が、この時間が、失われない。
胸に去来し始めているどうしようもないものの刺激に、俺は耐えられなくなった。
俺はインを抱きしめた。耳元で、どうした、というインの問いかけ。慈しむような口調だ。もう無理だ――
インは俺の頭をぽんぽんと叩いた。
「よいよい。……あまり女の前で泣くでないぞ? みっともないからの」
……そんなこと言われても……。
>称号「マザーコンプレックス」を獲得しました。
>称号「泣き虫」を獲得しました。
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