7-4 赤斧休憩所 (1) - 丸太信仰


 とある家屋の庭で白い頭巾をかぶり、割烹着を着た女性が糸車を回しているのが見える。糸車と言えば糸車だ。

 家屋はティルマン家ほど豪華ではなく、他の大多数の家屋と似たようなレベルだ。作っているのは無難に亜麻糸辺りだろうか。奥には機織り機も見えた。


 家族かなにかなのか、編み籠を持った少年と若い女性2人が前方から歩いてくる。3人とも揃って籠の中は植物の葉茎がこんもり入っていた。ミントっぽいものがあったが、花もあった。五弁の白い小さな花だ。

 少し村を離れたらいくらでも採集場所があるんだろう。成人男性を一人も連れずに女性が外を出歩くのはちょっと危ない気もするけども。


 フィッタはケプラのように高さ何メートルもあるような石の壁では村全体を覆われてはいない。2メートル程度の丸太の杭を並べた木の壁が、村の入り口をはじめとして随所にあるだけだ。


 糸車をまわしていた家の二棟先では、低木が少し茂り、大小の木材が庭に大量にぶちまけられている家があった。

 そこでは地面に座り込んだ3人の男たちが、削り出した木材をナイフや彫刻刀のようなもので削っていた。


「そう、そう。彫るのは静かに、だが正確にだ。腕のある芸術家がそうであるように、静かに、そして正確に、だぞ」


 黄色いシャツに真っ赤なベストを着て、頭にはオレンジ色の布の帽子をかぶったなかなかパンチのある格好の人が、鞭を手に男たちの手つきを見ている。

 《聞き耳》でしっかり聞こえてくる彼の言葉から察するに、男たちは木の彫り物を作っているようだ。


「はいはい。静かに~正確にね~。俺は“隻腕”だけど~静かに~正確に~」

「俺は別に芸術家を気取りたいわけじゃねえぞ」

「何を言ってるのかね!! マニエラ商会に出すものなんだ、ちょっとは気取らないと見てもらうこともできんだろう!?」

「別に芸術家を気取らなくてもいいものはできるだろ」

「それはゴートン君だけだ! ここにはゴートン君はいない! 君たちのような無粋な奴が芸術家を気取らなかったら何が出来るというのかね? 変わった形の水汲み桶か? 豚の糞を入れるタライか? 野菜くず入れか? んん?」


 ひどい言われようだ。今度は男たちは言い返さなかったものらしい。何か物入れの類を作っているようだ。


>称号「盗聴癖」を獲得しました。


 こっちもひどい。弁解の余地もないけど。


 向かいの家屋の先には開けた場所があり、小ぶりな小屋があった。ガルソンさんの店にあった武器置きらしきものとカカシも見える。手斧が何本も刺さった木もあった。置き場所楽だな手斧。

 一人の警備兵の男性がカカシを覗き込んだり、触ったりしている。詰め所というか、訓練所か。


 メイホーやケプラの詰め所と違い、フィッタの訓練所の周りは大量の木だ。村の周りがそうであるように、木はどれも背が高い。

 ふと、竹林の中で拳法的な修練をする中国的なイメージを持ってしまった。青空の下で訓練するのと、梢の音を聞きながら訓練するのとではどちらが上達しやすいだろうか。集中力は上がりやすい気もするが……。


 結構強めの風が吹いた。サラサラと梢のすれる音が聞こえてくる。元々感じてはいたが、強い木の香り――ディアラたちに言わせるならマツの香り――が鼻腔をくすぐった。気分が静まるような爽やかな香りだ。

 そういえばここはメイホーとは違って、土や汗の香りがずいぶん薄い。半裸の男くさい人はこっちの方が断然見ているのに。


 木のせいか? 消臭効果あるって言うしな。木の香りに包まれて暮らすのもいいよなぁ。


 丸太をかついだ男が歩いてくる。2メートルくらいありそうだが、眼差しは地面に落ちていて、口は半開きで、足取りも遅い。疲れている風だ。首から赤い宝石のネックレスが下がっている。


 後ろから同じくドワーフらしきずいぶん背の低い男性が丸太をかついでいる。

 こちらは2メートルの男よりも足取りは軽い。同じくらいの長さの丸太を持っているので、彼の方が力があるのか、単に疲れてないだけなのか。


 2メートル男が眼差しをゆっくりと持ち上げて俺たちを見てくる。目鼻立ちがはっきりしている。元気だったら強面系イケメンになりそうだが、眼差しは虚ろだった。額も汗ばんでいるようだし、だいぶ疲れているように見える。やつれたりとかはしていない様子だが……。やがて彼はまた目線を落とした。


 丸太を運ぶ男たちは村に入ってからよく見かけているが、まだ加工所しか見ていない。採集場所と同じように、伐採場は森を分け入った場所にあるんだろう。

 マップを見ると、フィッタの北西に少し開けた場所がある。この場所には小屋がいくつかあり、周りには木々もない。この辺か? 人力だと一日にどのくらい伐って運ぶんだろうな。


「……おい。もっと速く歩け」

「はい。……はぁ……」

「チッ。相変わらず図体の割に体力のねえ奴だ」


 そんなやり取りが聞こえてきたので、振り返る。さっきの丸太を運んでいた二人らしい。ドワーフは上司か。

 2メートル男はやはり疲れているようだったが、倒れてしまわないか少し心配だ。体のでかい男だって体力には限界もある。ここの伐採の仕事はブラックだったりするか? 転生前の貧相な俺にとっては間違いなくブラックだった。会社に原因はないかもしれないけど。


 しばらくそうして村の様子を観察しながら歩いていると、だいぶ大きな3階建ての建物が目前に迫ってきた。少し前から見えていた建物でもあって、あれだろうかとは考えていた。

 少し行った先にはここからは見えないが、マップによれば立派な屋敷がある。伯爵の屋敷だろう。


「あの3階建ての建物が赤斧休憩所だよ」


 と、建物を指差してベルナードさん。やはりそうらしい。


「大きな宿なんですね。宿泊客が多いんですか?」

「そこそこじゃないかな。ベルガー伯爵が資金を出した宿だから、それで大きくしてるんじゃないかな」


 資金提供したのか。


「涼風とトウヒの木亭を嫌に思って泊まりにくる人もいるようだけどね」


 八百長というか、当て馬というか。ジャムの法則的なものを意識してるんだろうか。


「ベルナートさんは涼風とトウヒの木亭に泊まったことが?」

「いや。俺は残念ながらなくてね」

「俺は泊まったことがありますが、そこまで悪い宿にも思いませんでしたよ。まあ、良い宿でもないですが」


 ふうん。ヴァイン亭と比べるとどうなんだろうな。


 赤斧休憩所は、大きな山小屋ないし――俺はその手の経験はないのでイメージになるが――田舎めな学校の部活の合宿や林間学校で泊まりそうな宿舎といった風体の宿だ。山間部にある木造の古い旅館風と言ってもいいかもしれない。

 茅葺きの屋根が瓦になり、3階建てになっているだけなので作り的には他の建物との違いはそれほどないように思えるが、窓もしっかり長方形に作られているようだし、前庭の地面は整えられ、足場を意識して木材が意図的に地面に埋められている。宿を囲う木の柵も厚めのもので作り、生垣も作っている。


 ただ、この辺はこの世界らしいというべきか、レベル相応というところか、窓には窓ガラスははめ込まれていない。また、厩舎も隣接している。大きさは入り口の厩舎ほどはない。


 8,000ゴールドの金櫛荘と比べるのはあれだが、700ゴールドだったヴァイン亭よりは上のランクの2,000ゴールドの景観はじゅうぶん持っているように思う。

 もちろん、さすがにお茶を出してくれる使用人などはいないだろうと予想。部屋の内装やトイレや風呂も、あまり期待しないでおこう。期待しすぎて落ち込むのは嫌だしね。


 インがふと、宿に向けて鼻を突き出した。


「裏で肉を焼いておるな」


 俺もにおいを嗅いでみるが、ちょっとわからない。木の香りが強いせいもあるか?

 ベイアーが裏で解体してますし、奥が食堂にもなっていますからね、と解説した。よく利く鼻だことで。


「楽しみだのう! さ、入ろうではないか」


 すっかりご機嫌のインが俺の横に立ち、宿に向けて俺の背中を軽く押してくる。

 まあ、料理は美味いことを祈ろう。いや。牛肉はそうそうまずくならないだろうし、この世界は七竜の恩恵含め、意外にも料理に関しては高レベルだから料理に関しては期待してよさそうだ。


 赤斧休憩所に入る。


 昼間だからか、照明は窓から差し込んでくる日光がメインらしい。雨風などによる影響が少ないためか、屋内の木材は外壁の木材よりも色味は明るくなっていた。

 使われてるのはマツ材辺りなのだろう、室内は木の表情のみで作られたナチュラルテイストな風貌に仕上がっている。


 しかし周りには無垢材しかない。贅沢な木のぬくもりだ。

 ところどころでくすみやシミやホクロのようなものがあり、黒ずんでいたり飴色になっていたりもするが、それがまたいい味を出している。もう慣れたと思っていたが、蛍光灯がないのが、改めて最適解のように思えてくる。


「誰もいませんね」

「ですね」


 ベイアーとアレクサンドラが言うように、フロントには俺たち以外に誰もいないものらしい。とはいえ、奥からは人の気配とざわめきがある。食堂かな。


 両サイドには階段があり2階に続いている。ちょっと座れる場所も意識しているようで、テーブルセットがいくつか。

 フロントの受け付け台らしき背の高いテーブルには、羽ペンやベル、小さな編み籠、燭台などがある。金櫛荘と同じなら、ベルの中には共鳴石が入っていて、鳴らせば宿の人間が飛んでくるのだろう。


 後ろの壁には赤竜のタペストリーと、展開して平らにしたクマっぽい動物の皮がある。下の方には打ち付けられた釘に大小の斧と盾、そしてたいまつが掛けてある。

 ここだけを見ると、木造の壁も合わせていかにも山小屋って感じだ。


 改めてフロントの内装に目線を巡らせる。しかしそれにしても……丸太が多い。


 壁も柱も丸太なら、部屋の仕切りも重ねた丸太だ。重なった丸太の断面が変わったオブジェのようにも見えてくる。


 さすがに階段や床板はしっかり板材を使っているが、一人用の椅子なんかは丸々切り株だし、テーブルもまた天板は薄切りにした丸太、脚は短くした丸太をそのまま積み上げて脚にしている。長椅子も似たような作りだ。

 燭台やシャンデリアはさすがに金属製だが、出来る部分で木材ないし丸太材を使おうとする意志めいたものを感じる。このような木造の建物が、金櫛荘のようなヨーロピアンな建物と同じ時代にあるというのだから不思議な話のようにも思えてくる。


「フィッタの家々は貴族たちからも珍しがられますね。なんでも120年ほど前に、ずいぶん賢い村人の青年が流れのドワーフと協力して小さな家を作ってみたら当時のベルガー伯爵がいたく気に入ったそうで。そのまま宿にも流用し、村の特色として出すことにしたのだとか。その青年はその後、王室に出入りするほどの建築家になったそうですよ。……ん?」

「ご主人様は集中するとたまにああやって……周りの声が聞こえなくなるんです」

「なるほど」

「彼は魔導士でもあるからね。きっと集中力が高いんだよ」


 クライシスでは、森の中にあるエルフの住処やいくつかある喋る動物系の一族が、木の中に住居をこしらえたり、ログハウスに住んでいたり、こういった丸太系の家財もあったものだ。

 あれはゲームに過ぎないが、実際に目にして同じ経験をしてみるとなんていうのか……濃厚な木の香りのせいもあるんだろうが、木を身近に感じるのにくわえて、木というものが自分よりもずいぶん大きな存在のようにも思えてくる。


 体の一部を無断で借用しているような、そんな申し訳なさを覚える。木の中をくりぬいてつくった住居にいる感覚と似たような感覚かもしれない。


 壁の丸太に触れる。当然だが、丸太そのままの質感だ。ヴァイン亭もそうだったが、ニスなどはとく使っていないらしい。日本は雨が多いからメンテナンスとか大変だろうが、いいもんだね、ログハウスも。


>称号「自然信奉に興味がある」を獲得しました。


 称号ログと同じく、唐突に《植物学》の情報ウインドウも出てきて、触っている丸太材がアカマツだと表示される。俺は木も植物も大して詳しくはなかったが、アカマツは少し馴染みのある名前だ。

 転生前、2か月ほど前に俺はパソコンデスクをパイン材のものに新調した。パインはマツの別名だ。欧州産のマツを区別するために、界隈ではパインと呼ぶ。マツは色々と名前がある。


 それにしても家財に触れて《植物学》の情報ウインドウが表示された経験は特にない。

 少し驚いたが、ふと湧いた仮説に従って、集中してみた。……あった。


 魔素マナだ。


 魔素の存在感はとても小さいが、この丸太は……この宿は生きているようだ。ちょっと感動。

 実際のところ、木の幹における「生きている細胞」というものは表皮の部分にあるらしいし、削り取られたこの丸太が生きていると言うには難しい気もするが、《植物学》の情報ウインドウの挙動を疑う気にもならない。


「ん? どうした?」


 インが俺の手を見て訊ねてくる。


「いや……」


 言い淀んでいると、ああ、魔素があるのか? と念話。


 ――うん。ちょっと驚いた。


『何をだ?』


 ――丸太に魔素があるってことはさ、この丸太は植物としてまだ生きてるってことだよね?


 インが首をかしげたあと、なにか思い至ったようでそのまま数度頷いた。


『もし魔素の有無で生き物の生き死にが分かると思っているのならそれは違うぞ。魔素は残留するのだ。たとえ石ころでも、死体であってもな。この家の魔素は、この村の魔素が定着してしまったことによるものだな。無論、長い間この地になければ定着はせんがな』


 確かに石にも魔素はあったな。魔素だし、色々と具合は違うだろうが、付喪神や霊の類もそんなものだったか。

 木は生きてはいないのか。魔素の先を追ってみる。魔素は地面に繋がっている。でもそうしたら、なんでウインドウは出たんだろう。ウインドウについてはインは知らないしな……。


 ――この家の魔素は、周りのマツの木の魔素と同じかな。


『ん? そうだの。種類は同じようだ」


 インも俺と同じように、壁に手を触れた。


『……うむ。同じだろうの。ベイアーも言っとったが、120年前からこの土地の魔素も植物の生態もたいして変わっておらんのだろうな。別に珍しいことではない』


 ふうん。ウインドウが出たことについては、魔素も同じで、見た目も切り出す前に近いということで、ウインドウ側が誤認識してしまったとか、グレーゾーン的なものだろうか。

 まあ、どこかの丸太材は木として生きていて、ひょこっと新芽が出てきていてもおかしくはない外見はこの宿には確かにある。植物って、コンクリートの隙間から伸びてくるくらい逞しいからな。動物と同じように環境に応じて生き延びやすいよう生態も変える。


 ――ベイアーが何か言ってたの?


 そう訊ねると、120年前にこの宿とこの工法はできたようだぞ、と言ってインは肩をすくめた。


 築120年か。見た感じ、木材がそこまで古くなっているように見えないので、建て替えくらいはしているんだろう。ここには資材はいくらでもある。

 村の様子が変わらず、魔素が残留するのなら、長い年月をかけてまた似たような魔素になるのも頷けるといえば頷ける。しかし見た目は家だが、さしずめ“内部データ的には”植物というわけか……。興味深いね。


「ダイチ君、宿の人を呼んでもいいかい?」

「あ、はい」


 念話については彼らは分からない。どうやら待たせてしまっていた雰囲気だが、少し挙動が変だっただろうか?


 ベルナートさんがベルを鳴らした。やはり共鳴石入りのベルだったようで、風鈴と似た馴染みのある音が屋内に響いた。


 間もなくぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえてくる。音は軽い。そのうちに何かを打ち付ける音と小さなうめき声。

 大丈夫か? 足でも打ったのか、今度はさきほどよりも遅く、そしていくらか力の入った足音になった。やはり足を打ったようだがゆっくりと歩いてくるようだ。


 実際に見ているわけではないのに情景がリアルに浮かんでしまった一連の物音に思わず内心で苦笑した。

 ベルナートさんがこちらを向く。俺と似たような心境のようで、肩をすくめてみせた。そんなに変な人が主人ではないように思うけど。


 ややあって、奥の方から青年がやってきた。さきほど起こった小さな事件の通りに、少し足をひきずっている。

 彼はぶつける前の軽い足音の通りに、背は高いが体つきは俺とどっこいどっこいの中肉中背だ。もちろん、宿の主人が全てヘイアンさんみたいなレスラー的な人だとはさすがに思っていない。


「お待たせしました。この宿の主人を任されているデレックです。……いてて」


 まだ痛むのか、デレックさんは膝に手を当てながら、痛みに頬を何度か持ち上げた。ぶつけたばかりは痛いよな。


 デレックさんは明るい茶髪に淡褐色目で、平らな眉をしている温厚そうな男性だった。目が寄り気味で、ちょっと馬顔だが、気の弱そうな人の印象はあまり抜けてはくれず、さきほどのドタバタ劇が彼のドジ気質によるものだと何の疑いも持てそうにない。ちなみにヒゲはアゴにも口にもある。

 声も若々しいので一瞬若い人のようにも見えたが、仮にも村一番の宿なのだからあまり若いのもどうなのかと思った。若く見えるだけであって、実年齢は結構いってるかもしれない。


 村一番の宿の主人らしくというのを意識しているのかは分からないが、彼は耳元を刈り上げてツーブロックのようにしている。

 服も清潔そうな麻のシャツに、半袖だが右半分が茶色で左半分が黄土色のキルティングベストのような縫い目のものを着ている。ズボンは黒く、靴は折り返しのあるロングブーツだ。現代でも通じそうな格好だが、ベストの4か所のボタン部分は小さなベルトだ。


 前髪を固めてるティルマンさんと並んだら、若手と中堅で、なかなか栄えそうだ。

 ん? 目の下にあるのはクマだろうか。疲れてるのかもしれない。


 と、ウインドウが出てきた。


< デレック・フォルクマール LV12 >

 種族:人族  性別:オス

 年齢:41歳  職業:赤斧休憩所の亭主

 状態:健康


 普通に若手じゃなかった。村一番の宿を任されてると考えると若いか。打ち身は状態項目に影響しないようだ。


「大丈夫ですか?」

「はは、大丈夫大丈夫……っ!」


 脚を伸ばそうとすると痛むようだ。この分だと少し痛みを引きずりそうだね。


「仕方ないのう……膝をちょっと出せ」


 ため息をついたインが前に出てきて両手を腰に手をやった。いつもの治療?


「え、はい」


 小学生ほどの少女の言葉に従い、デレックさんはじゃっかん中腰になって素直に右膝を差し出した。インの尊大で自信のある物言いに戸惑っているだけかもしれないが、雰囲気のままにあまり疑わない人だ。らしいといえばらしいけどさ。

 インがデレックさんの右膝に小さな手をかざす。例によって魔法陣は出てこず、淡く光るばかりだったが、「あ、痛みがなくなっていく……」と彼がいうように、効果はしっかりと現れたようだ。


 デレックさんが立ち上がって屈伸する。ちょっと無邪気な言動だ。


「痛くない……ありがとうございます!」


 インはうんうんと頷いた。治療しがいのある反応だね。


「……治療費はおいくらでしょう?」


 治療費か。まあ、普通の反応の一つかなぁ?

 そう改めて俺たちの顔ぶれを確認しながらデレックさんは言ったものだが、インは「いらん。大した魔法でもないしの」と一蹴した。


「いやいや! そういうわけには参りませんよ。……私はこの宿の主人になる前は、商いをやっていまして。恩をいただいた場合は、何が何でもしっかり返すよう先生から学んでいます」


 元商人か。デレックさんは頑なな言葉のままに鼻の穴を膨らませてインのことをじっと見るが、インは首を傾げた。


「と言われてものう……」


 インが欲しいのは基本的に肉だからな。……肉か。


「あの、デレックさん」


 デレックさんが俺に向けて顔を上げる。


「北部駐屯地の隊長からプルシストの死体が運ばれてきていると思うのですが、それは届いているでしょうか」

「ああ、それならちょうど届いたところさ。ダイチという方が仕留めた物だと聞いているが……これから解体するつもりだよ。その方とインという方に振舞ってほしいっていう妙な言伝だったなぁ」


 名前もしっかり伝えたんだな。どうせ名前は言うし、伝えておくか。


「そのダイチが俺で、インがこの子です」


 デレックさんが怪訝な顔をしたかと思うと、きょとんとする。彼は顔立ちに少年っぽさがあるので、実に似合ってる表情だ。それと目元のはやはりクマらしい。

 俺とインに視線を行き来させて間もなく、デレックさんは納得したのか数度頷いたかと思ったが、……「ええ!?」と少し体を引いて驚いた。


 ギャグじみた反応だな~。面白くない俺の内心はさておき、一方のインは鼻を高くしていた。


「そのプルシストをこれから解体ってできますか?」

「それは出来るけど……これからする予定だったしね」

「では、その手間賃を治療費ってことで。……インもそれでいいだろ?」

「うむ! 問題ないぞ」


 インが満足気に俺に頷いてくる。悪いね、とデレックさんは苦笑した。


「そういえば君たちは……」


 デレックさんの目が“背の高い3人”に向かう。ベイアーのところで止まったかと思うと、さっと俺の方に戻る。ベイアーはそこまで強面じゃないと思うけど。

 駐屯地からかい? と訊ねてくるデレックさんの声音はとくに変なものはない。まあ、ベイアーみたいな体格の男はたくさんいそうだしなぁ。


「そうです。今日は泊まる予定で」

「彼らも?」

「ええ。ここにいる全員です」


 デレックさんが改めてさっと俺たちの顔ぶれを見て小さく頷く。


「部屋は空いてますか?」

「空いてるよ、幸いにね。馬とかはあるかい?」


 そういや人数多いな。予約とか考えておくべきだったか?


「ないですね。馬車で来ましたから」

「じゃあ、一人につき一泊2,000ゴールドだよ。食事は300G、ああ、今日はプルシストの肉だから600Gだ。タオルとか弓とか槍とか借りたいものがあったら聞いてよ。蝋燭も、僕含めて使用人の誰かしらに言えばくれるから」


 食事代もヴァイン亭よりも高いようだけど、弓とか槍って何に?


「弓や槍を借りられるんですか?」

「ん? そうだよ。狩猟したいっていう人が結構いてね、貸し出しもしてるんだ。もちろん、自分のを持ってるなら借りなくていいけどさ」


 そう言ってデレックさんは、槍と弓を持っているディアラとヘルミラをちらりと見た。


「この宿から少し行った先でウサギやシカやイノシシを狩るんですよ。セルトハーレス山の魔物の生息地からも離れているので、よほど奥地に行かなければ何もありません」


 と、ベイアーによる解説。なるほど。結局狼狩りでは弓はやってないし、俺も遊んでみるのもいいかもしれない。

 ふとデレックさんの視線が俺にあることに気付く。まだ何もしてないんだけど、何を思われてるのやら。


「そういえばさきほどティルマンという人からこういうものをもらったんですが」


 そんな俺の心境をよそにベルナートさんが紙切れを腰の革袋から取り出した。


「ああ、いつものですね。……1泊限定ですが、お一人1,800ゴールドになりますよ」


 デレックさんは紙を受け取って軽く確かめたあと、ニコリとした。10%引きか。


「助かります」

「いえいえ。うちもおかげさまで繁盛してますから」


 そういやベルナートさんたちは自腹だろうか。今更宿を変えたいだなんて言わないけど、そうだったらちょっと申し訳ないな。


 そうこうしているうちに、うちの兵士の3人が腰から硬貨を出し始める。

 俺も魔法の鞄から取り出すことにした。いきなり正確な数を出すのはあれかと思って、彼らに倣って鞄の中で少しまさぐる素振りをした。


「では、一人ずつお願いします」


 デレックさんは受け付け台の後ろにまわったかと思うと布の巾着袋の入った小さな編み籠を持ってきてアレクサンドラから硬貨をもらう。そうして数を数えてから巾着袋に入れた。それを順々に4回行った。マクイルさんのように偽造硬貨かどうかはとくに調べないようだ。


「……確かに頂戴しました。部屋割りなどはどうしますか?」


 デレックさんがアレクサンドラのことをちらりと見てくる。確かに成人女性のアレクサンドラは一人部屋になるだろう。

 そういえば……言われなかったし、俺も特に気にしてこなかったが宿には大部屋とかってないんだろうか。だいたい2人部屋として泊まってきてるけど。でも宿泊費先に言われたし、なさそうだな。


「部屋を見てから決めてもいいですか?」


 一応、ベルナートさんたちを見ながらそう訪ねてみると、構わないよ、とデレックさんから承諾される。

 そうしてフロントテーブルの燭台を手に取ったかと思うと、彼は蝋燭の先に手をかかげた。小さく、色味も薄い赤い魔法陣が出て、蝋燭に火が灯る。


「ではご案内します」


 ごくごく自然にそう告げたデレックさんの一連の動作に、俺はちょっと感動した。


 《灯りトーチ》は魔法の中でもとりわけ初歩的な魔法だと聞いているが、村人、それも戦闘と縁のなさそうな人が使っているのを見たのは初めてだったからかもしれない。

 この一見ファンタジー要素皆無に見えるログハウス建築の赤斧休憩所も、何か超自然的な仕掛けが施されていないか、気になるってものだ。

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