2-17 休息と準備

 魔法の鞄から上級ポーションを取り出す。フラスコの中で赤い液体が揺れている。中心部が、俺の動向を探るように淡く光っている。


 上級ポーションはクライシスでは買値が1万Gで、HPを200回復するという回復アイテムだ。どんなゲームにでもある別に珍しくもない回復アイテムの類だが、この世界で表示される情報ウインドウでは、相場が5倍の5万Gになっている。

 文章も「中級ポーションよりも高い効果を秘めたポーション」と、HP200という具体的な数値の明記はなくなっている。


「それは高いのでは……?」

「いいからいいから」


 不思議と重さはほとんどない。量は500mlくらいはあるので、コップにいくらか注いだ。さて効くといいけど。


 俺から渡されたポーションをコクコクと嚥下すると、ディアラの体が一瞬淡く光った。と同時に、肩と脚の牙の跡が消えた。よかった、効いたようだ。


 驚いているディアラをよそに、ちょっと許可をもらって、服をずらしてもらう。

 肩の傷を触る。俺の膝にある色素沈着しているカッターで切った肌とは違い、傷は残っていない。完全新規の皮膚細胞なんだろう。この分だと体毛だって新しく生えるに違いない。


 ポーションすげえな……。


「ほう。随分いいポーションだのう」


 出回ってないだろうな。実際の相場は簡単に6桁いくのかもしれない。


「里のポーションと比べ物にならない効果です……。こんな高いものをありがとうございます」


 ディアラがいくらか委縮した体で頭を下げてくる。


「気にしないでいいよ」


 10個×60スタック、600個はあったしね。これから仲間になるダークエルフのためとあれば安いもの。ヘイアンさんの言っていた通りに一応丸薬も飲ませた。


 せっかくなので、ヘルミラにも飲んでおいてもらう。情報ウインドウには出ていないが、感染症にかかっていたり、体内細菌とかいるかもしれない。

 いやでも病気に効くのか? という疑問が湧くが、まあ、なにかしら良い効果はあるだろう。悪い影響があるとすれば過剰摂取時とかだろう。


「あ、おいし……」

「え、美味しいの?」


 ディアラとは違ってそうこぼすヘルミラにつられて俺もポーションを飲んでみる。

 うん、薄いが、さくらんぼっぽい味だ。なんだろう、子供用のシロップ的な懐かしい味がする。この世界ではまだ甘味の類は未経験なので、貴重な味わいだね。

 美味しいの感想に釣られたのか、結局インも飲んだ。インの感想は「甘いが特に」だった。肉派だもんねぇ。


 牙で穴が開いてたことや、汚れていたのもあって、姉妹には上だけ着替えさせた。インのワンピースは小さいように思えたので、とりあえず俺のチュニックシャツに。


 二人が着替えている間、インベントリの中を眺めた。

 回復役の類はあとはエーテルだが、エーテルも同じようにとんでもない効力があるのだとしても、効果は魔力の補充だ。細胞を復活させるような代物ではないだろうが、あるのかは知らないが、体内にある魔力関係の器官の損傷を治すくらいの効果は期待できるだろうか? さすがにゲーム内でそういった込み入った効果および状態異常はなかったけれども。


 着替え終わると、清潔な衣類を身にまとった二人の容姿には、いくらか人心地つけるような感があった。


 それというのも……二人の脱いだ服が目に入る。

 灰色がかった色合いの俺のチュニックシャツよりも少し丈が短めのシャツと、五分丈ほどの枯草色のズボンだ。確かに服ではあるが……とくにシャツの方がひどい。

 麻製だし、おそらく元々は白地だと思うのだが、黒系の服から汚く色移りしてしまった白いシャツが伸びてよれよれになってしまった服、というと分かりやすいだろうか。そこに加えて、もう取れなさそうな油脂汚れが点々とあり、つぎはぎが所々に加わる。つぎはぎは手縫いっぽく、奴隷という身分を考えるなら、おそらく自分で縫ったのだろうと推測ができる。

 ただ匂いは使い古した布の匂い以外特になにもなかった。

 シャイアンたちがどういう扱いをしているのかは別に知りたくもないが、売り物ということで、最低限の部分は身綺麗にさせていたのだろう。シャイアンの口ぶりからすると、売るなら服はボロいほうがいいと考えた口か。単純に、「商品にそこまで金をかけない」という客すらも納得してしまう当たり前の事情かもしれないが。


 いずれにせよ、元の世界の文明の清潔と身だしなみの基準なら、確実に捨てている衣類なことは間違いない。

 ワンチャン、絵描きや書道家などが汚れてもいい服として着ることはあるのかもしれないが、当て布をするほどではないだろう。


 この後は水浴びさせることももちろん考えていたのだが、インから今の時間は寒いだろうというので、明日になった。お湯出ないんだからそりゃそうだな。


「……こんなに色々と……してくださり……ありがとうございます……」


 そう言いながら、ヘルミラが唐突に泣き出してしまった。つられたのかディアラまで。

 あまりにも悲しそうに泣くのでしばらく言葉に詰まってしまった。二人が泣く理由がなんとなくわかってしまったこともある。


 生まれ育った里を追われ、両親の生死は絶望的。友人宅でも逃げる羽目になり、かろうじて生き延びるも二人の商人に捨てられ。保身からゴブリンになっていたわけだが、詐称魔法だっていつ切れてばれるか分からない。二人は息のつける場所がなかったのに違いない。

 一気に施しをしすぎたのもよくなかったかもしれないなと思う。二人の今の心境は申し訳なさや、俺が再び彼女たちを捨てるとかのもしかしたら到来してくるかもしれない不穏な未来への不安、そして、その時に確実に実感してしまう絶望への不安でいっぱいだろうから。


 インがどうするのだ? といった風に穏やかな眼差しで見てきたが、俺には何もできそうもない。何もできないんだが、俺もたまらなくなってしまって、二人の肩をぽんぽんと叩いた。


 明日二人に教えてもらった通りに役所で奴隷の契約をしたあとは何でもいいから仕事を与えようと思う。

 役割を与えることは仕事能率をあげるのはもちろんだが、悩み事を忘れさせてくれる効果もある。そして、俺のことを信じてもらう意味もある。俺は彼女たちに何も言わずに、彼女たちの前から消えることはない。


 正直奴隷なんて外面ばかりで、実際は仲間か家族として接するつもりだったので、それっぽい仕事は何も思い浮かばないんだが……考えとかないといけないね。


 契約した後はミュイさんの店に行って、ちゃんとした服を着せるつもりでもあった。衣服の新調は一番の優先事項として考えていたので、彼女たちを遠慮させないためにはさてどうしたものか。難しいところだ。


 ヘルミラの白い頭を撫でながら、大丈夫大丈夫と努めて優しい声を出す。内心では「よく頑張ったね。辛かったね」と労っていたのだが、言葉に出すのは控えておいた。


>称号「温情主義」を獲得しました。



 ◇



 二人が落ち着いたので、ヘイアンさんから使っていいと言われた部屋に連れていく。


 一人用のベッドが2つ、イスが2脚ある以外は、俺たちと変わらない質素な部屋だ。二人部屋ちゃんとあったんだな。状態が「飢餓」だし、なにかご飯を食べさせたかったのだが、少し時間を空けるべきか。

 明日は俺用に購入したズボンを履くようにだけ告げ、おやすみといって部屋を出ようとすると、インは少し残るらしかった。寝るまで見ているらしい。なんだかんだ世話焼きじゃないかと安心する。


 念話は反応がなかったので、インをちょっとドアの前まで来させて森を見てくると小言で伝える。


「魔狼を退治してくるのか?」

「それでもいいんだけど、もう知らせいってるだろうし、あまり目立ちたくないしさ。いざというときのための準備をしようと思って」

「世話焼きだのう。もう暗いから気をつけるのだぞ」


 フォローするためも事実なのだが、やることはマップ情報の未踏破地域を埋めることだ。


 ・


 さきほど行った道順で村を出た後、疾走してサクっと小屋まで向かう。夜目はきき、無心で走っているだけで枝葉を回避してくれと、相変わらず便利な体だ。


 体に慣らそうと思って何度が行き来していると、似たような道を辿っているのに気付いた。


 ちょっとそれは、と思って目を意識して、つまり、多少スピードを落としてくねくね走っていると、段々とここだという場所で曲がったり、避けたりできるようになる。


>スキル「動体視力」を習得しました。


 《動体視力》はパッシブスキルのようだったが、走ってみるとだいぶ楽になった。敏捷ステ依存とかありそうだ。


 これにより、ちぐはぐだった肉体と精神の連動がスムーズになった感じで、障害物としての幹や枝に対する認知力の速さがあがったのはもちろんだが、迫ってくる幹や枝に対する恐怖感や驚きといった感情もほとんどなくなった。

 目のスキルなのに恐怖感が薄れるのは変な話だと思ったが、無の境地という盲目の剣士とかが到達するバトルマンガではよくあるあれを思い出してひとまず納得した。

 ようは「見えないから怖いのであり、見えれば怖くない」ということらしい。まあ俺は無の境地に到達するまでの血の滲むような過程をすっ飛ばしているので、違和感がすごいけど。


 LV1から少しずつあげていた《障害走》をLV5にして、最後にもう1回走り込むと、なかなかいい感じで意図した道順で蛇行できるようになった。無の境地の教え様様だ。

 ちなみに《忍び足》はパッシブなのでスキルポイントを触れないらしいが、《隠密動作》の方はポイントを振れる上、絶対使えるのでLV10にしてある。


>称号「夜の修練者」を獲得しました。


 ついでにと思って、攻撃手段を増やすため、木を軽く蹴ったあと、グーでも殴っておく。


>スキル「蹴撃」を獲得しました。

>スキル「殴打」を獲得しました。


 蹴りを入れた木の側面は削がれ、殴った幹の表面には丸い跡がついたので、既にだいぶやばい威力だったが、今の俺には守る者がいる。どっちもLV10にしといた。


 興味本位で力を入れて木を殴ったら、衝撃音とともにぽっかり穴が開いた。そういう電動器具で削り取ったみたいに見事な丸だ。切り取った木は、木屑になって消え、散った。


 うん。インよく無事だったな……。スキル取得前だったが……。

 ちなみに《平手打ち》はLV1のままで、峰打ち用に取っておいてる。


 《蹴撃》の方も気になったので、木を蹴ってみた。少し怖かったので、いくらか力は弱めた。

 木は根元を残して思いっきり横に吹き飛んでいった。吹き飛んだ木は、他の木を2,3本巻き込んでなぎ倒した末に勢いを殺され、辺りにでかい音を響かせた。


 もう驚かないぞ? と思っていたが、唖然とした。マンガだよほんと。《殴打》ほどではないが、折れた面はなかなか綺麗なものだった。もはやこれは蹴りではない。


 インから魔法について教わっているときに魔力を手に付与していたのを思い出して、手刀に魔力を付与してみた。魔力操作は木の上で練習していたせいか普通に出来た。

 半透明の白い膜が手を覆っている。これが俺の魔力らしい。

 長くしたいと思い、指の先にもう少し魔力を集めてみるとかぎ爪のようになったので、まとめて刃を1本にした。見た目的に、「ブウウン」という効果音が欲しい感じだが、あいにくとそんな効果音はない。


 幹に振りかざしてみる。スパっと切れる。木がじりじりと地面に向けてずり落ちていく数秒の間があり、また盛大な音を立ててしまう。


 うん。もうやめよう……。じゅうぶん兵器だ。


  切断面は《殴打》よりも綺麗だった。斬られたことも分からないとは誰の名言だったかな?


>スキル「魔力装」を習得しました。

>称号「私は木で修練する」を獲得しました。

>称号「伐採は得意」を獲得しました。


 伐採ね。さぞ効率よく収集できるでしょうな。


 《魔力装》はパッシブスキルらしい。効果のほどは俺のINTステ依存とか、他のスキル効果も合わさって、って感じかな。

 鋭利すぎるので威力を弱めようと思い、魔力装の魔力から魔力を少し抜いてみる。濃かった色が薄くなった。軽く別の幹に斬りつけてみると、深い切り傷が出来た。あーいい感じ。薪を作るにも便利そうだ。


 《魔力装》を消そうとしたんだが、消えなくてちょっと焦った。

 どうも「消えろ」とか「無くなれ」とかではダメで、「戻れ」や「解除」で消えてくれるらしいのが分かった。いまいち理由は分からなかったが、何度か繰り返す内にその辺さほど意識せずに消えてくれるようになった。


 目的に戻る。小屋の付近はほんのり香水の匂いがするが、辺りには狼はいない。


 道中でいるにはいたんだが、俺が近づくとすぐ逃げてしまった。インがした威嚇的なことの名残り辺りだとは思うが、俺も吹き飛ばしたり折檻したので人のことは言えない。


 小屋から西に走って未踏破地域を埋めていく。赤いマークがちらほらあったのでかち合わないように避けつつ。

 草原と森ばかりの道の先には「ヒポルンの伐採場」という可愛らしい名前の伐採場があった。夜だからか特に人影はないようだ。ヒポルン見たかったな。

 もっといくと、「ハイアーの絶壁」という高い崖があり、道が途切れている。近くに「ベルマー城塞」という領主がいると思しき城があったが、崖にかかった橋の類はない。さらに西へ進むには見える範囲の限りでは迂回する他ないらしい。崖の先は他国か別の領地と考えといた方がよさそうだ。


 いったん「狼の森」の手前の道まで戻り、今度は東へ向かう。すぐに件の「マイアン領・ケプラ市」が見つかった。だいぶ近いものらしい。


 ケプラ市は屋根の色こそ同じだが、人口密度の差は確かにあるようで、メイホー村よりも建物が密集していた。

 2Dマップによると、中心部に十字路があり、多少うねりながらも東西南北の方角にある門に続いているようだ。十字路以外の道は、特に規則性などはないようで、あっちにいったりこっちにいったりしている。

 リアルでは引っ越しが多かったことやpoogle mapのナビに慣れすぎてしまったりで、道を覚えるのが苦手だったので、マップなしではちょっと迷うかもしれない。

 十字路から外れると建物の密集具合がだいぶ緩和されていくようで、北東方面には木造らしき建物が多くなっている。メイホーと同じで、生活雑貨市場兼スラム街といった区画だろうか。ともあれ、噂の通り大きな街らしい。


 マップ上の2D情報の整理はその辺りにして、実際に近くで見てみるとまた雰囲気が違う。

 周りをぐるりと囲んだ石壁が街の景観に物々しさを与えるからだ。

 といっても、石壁は門付近以外はそれほど高くはなく、メイホー村の建物よりも明らかに出来がよく高さもある石造りの家々や尖塔が見えるし、門の付近ではもう遅い時間ながら2,3の天幕が灯りを出し、馬車もいくつか泊まっていて、人々が動き、歩いている様子も見える。

 メイホーは村の入り口と村の中心部以外に灯りの類はない。出歩いている人も警備兵にはとくに見なかった。ケプラが商業の発達した、賑やかな街であるのはよく分かった。


 ケプラ市が、ミュイさんをはじめ、村の人々が懇意にするのも分かるというものだね。

 訪れるのを楽しみにしつつ、ケプラの地を後にする。もう少し先に行ってみようかとも思ったが、満足したので帰路についた。


 帰りはだいたい道を把握したので全力疾走してみた。

 結果、数分でついた。俺の方はほとんど息切れしてない。


>称号「風になった」

>称号「目に見えぬランナー


 どうやら全力疾走すると、俺は目に見えないらしい。


 称号の冗談文句もあながち冗談に聞こえない。メイホーからケプラまでは馬車で1時間程度と聞いている……。


 移動手段が馬というアナログな世界だ。転移系スキル、もしくは魔道具の存在を確認していない今、移動手段が速いことには越したことがないので悪い情報ではないけども。チーターって時速何キロだっけかね。俺とんでもないな……。

 ただ、これを使いこなすという段になると、正直ないのが残念なところだ。

 暗躍するには有効活用できるだろうけどね。厄介な魔物相手に最大の逃走手段が確保できたというだけでもいいか。この分だと姉妹をかついでも十分な速さが出るだろうから。


 顔をあげてみると、相変わらず夜空が綺麗だった。オリオン座を探してみるが、それっぽいものはない。


 きっとこの世界でも神話の寓話か何かを元に空に打ち上げられているのだと思ったりもするが、一際輝く緑色と赤色の星があり、離れた場所には青色の星があったので、あまりリアルの常識は持ち込みすぎないようにしておこうと思った。

 ちなみに月は探してもなかった。昨夜は月明りで明るいのかと思ったものだが……太陽は普通にあったんだけどな。


 宿に戻り、姉妹の部屋を覗いてみると、二人は眠っていた。《忍び足》と《隠密動作》を全力で駆使して、顔を覗きに行く。

 安らかな寝顔だった。緩む頬が抑えられない。ディアラの耳は枕に潰されてしまっていて、上からはみ出している。痛くないのかなと思う。


 状態の「飢餓」はそのままだし、朝になったらご飯を食べさせたいね。


 寝顔を堪能したあと、自室に戻る。インから「お主速すぎだろう……」と呆れられてしまった。

 姉妹の寝顔にほだされて一瞬何のことかと思ったが、すぐに気づいた。俺もそう思うよ。


 一瞬顔の皮膚がどうにかなってないかといまさらなことを考えて顔面を触ってしまったが、もちろん何ともなってなかった。まあうん。いまさらだ。



 ◇



 今朝は珍しい客に起こされた。


「ダイチ君すまん! 入るぞ?」


 ノックもなく部屋に入ってきたのは、昨日樹から降りたときに出会った警備兵のアリオだ。客だぞ、とインに揺さぶられて起きる。


「おはよう……」

「……意外と遊んでいるのだな、君は」


 何のことかと思ったら、俺とインの寝ていたベッドの前には、ディアラとヘルミラが椅子に腰掛けていた。椅子は1脚しかないはずなので、自分たちの部屋から持ってきたのだろう。

 二人からおはようございますと声をかけられる。二人は言われた通り、チュニックシャツの下には、俺用に購入していた七分丈のズボンを履いているが、スラっとしているのでなかなか似合っている。


 それにしても姉妹と、あとインもか? 遊び相手と思われて朝から嫌な気分だ。


「朝から何の御用でしょうか、ア、……剣士殿?」


 一瞬名前を呼びそうになるが、紹介されていないことを思い出して剣士殿にした。


「そういえば名乗ってなかったな。アリオだ」


 俺の方も紹介していく。ディアラとヘルミラを紹介する際には「遊び相手ではないので勘違いしないでくださいね」と付け加えておいた。


「そうなのか? それはすまない」


 アリオの苦笑はいまいち汲んでくれているようにも思えない。察したのか、別の解釈をしたのか。とりあえず朝っぱらからやってきた要件を聞く。


「森で魔狼を見たとヘイアン殿に伝えたらしいが、見たのはどの辺りだろうか?」


 ああ、そのことね。インを見る。


「あー……森の西部に、いや、森を西に出たところだの」


 インの明らかに今探りましたなほかほかの情報を聞いて、本当か? といった顔で俺を見てくるアリオ。その反応は正しい。


「インの言う通りですよ。……これから討伐に?」

「ああ、昼頃に出る予定だ。ダイチ君も出てくれるのなら頼もしいのだが」


 アリオが笑いながらそんなことを言ってくる。いやいや、と苦笑で返しておく。


「では朝っぱらからすまなかったな。情報感謝する。剣を交えたいときには詰め所にきてくれ。もちろん酒の誘いでもいいぞ」


 そう言って剣士殿は足早に去っていった。当初は援護することを考えていたが、あの様子なら割と簡単に狩れそうか?


 騒がしい来客が去ったあと、インが腹が減ったと言ってくる。そしてちらっと魔法の鞄を見た。分かりやすい。

 姉妹にも腹が減ったのか訊ねてみると、これまた目を伏せながら頷いた。可愛いやつらめ。俺に対する遠慮を少しでも取り払いたいところだったから、嬉しいね。


 鞄には半透明の白い紐のようなもの――魔力を紐上にしたものが巻き付いていて、反対側はベッドの脚に巻き付いている。インに解除してと頼む。


「おお、すまんすまん」


 インが手を鞄にかざすと、たちどころに魔力の紐が消える。


 これは昨夜、インが魔法の鞄にかけた《魔法の鎖マジック・チェーン》という魔法だ。俺の鞄にしていたように、行商人などが金品や書類を盗まれないように使われる魔法なのだとか。

 俺は寝ている時の防犯対策は魔法道具に頼るべきだろうだとか考えていたのだが、そんなやり方はよほど裕福か、変わり者がする手段であるらしく、この《魔法の鎖》が比較的一般的な盗難防止策であるらしい。


 ただ、術者の魔力により強度と透明度が変わってしまうのと、やり手の盗賊になるとこの《魔法の鎖》を破るための魔道具を所持していることもあるとかで、完全に安全というわけでもないのだとか。

 念のためといってこの魔法はかけられたのだが、インの肉串に対する執念を見ると、それだけではないだろうなと思ったのは言うまでもない。


 ちなみにインは常に周辺状況を警戒はしているらしい。

 魔法以外の自身に備わった探知系や妨害系のスキル――インに言わせれば、「スキル」は人の子らの言い方であり、七竜風なら「秘技」とか「竜技」であるらしい――などを駆使して。まあ遠方にいる魔狼をすぐに察知できるくらいだしね。


 というか、俺に毎回引っ付いて寝ているのも、そうしたスキルの効果を俺にも適用させるためと聞いて、色々と認識を改めさせられた。実は甘えん坊なんだなとか動物的ななにかくらいに考えてたし。

 俺の防犯意識の無さは俺自身が魔法の類が一つも使えないのもあるんだが、《魔法の鎖》をごくごく当然に使っているインと、《魔法の鎖》に特に驚かない姉妹を見ていると、やっぱり日本人的な防犯意識の無さなのだろうかと嘆いてしまう。


 そんなことはさておき、俺はおなじみのコーヒーサーバーとパンをテーブルに出し、姉妹の部屋から持ってきてもらった椅子にコーヒーサーバーを置く。インにはもちろん肉串をあげる。


「この鞄は……空間魔法を付与した魔道具ですか??」

「美味しそうなパン……ダイチ様は魔導士だったのですね」

「んーーーー! やっぱり朝はこの肉串だのう!!」


 いつもの大絶賛は無視して、ディアラの質問には「そんな感じ」、ヘルミラの質問には「特にそういうわけではないんだけどね」とそんな短い解答で納得してもらい、二人に食べるのを促す。


「美味しい……! 柔らかい……こんな美味しいパンを食べたの生まれて初めてです」

「ほんとね! 昔オルフェから取り寄せた白パンを食べたけど、ここまでのものではなかったわ」


 パンに対して俺たちよりもずっと絶賛してくれる二人はミラーさんのように長い耳が上下していた。可愛い。


 直後二人は申し訳なさそうな顔をして見てきたので、気にしないで食べてと食べるのを促して、俺ももう1セットのコーヒーセットとパンを出してもしゃもしゃ食べる。


 俺にとっては普通の塩入りのコッペパンなんだけどさ。こんなに喜んでもらえると、普通のパンではもはやないよね。食事はコミュニケーションの基本とはよくいうが、今日ほど喜びと一緒に体感した日もないかもしれない。

 コーヒーもといカフェーが口に合うか心配したけど、こちらも二人とも美味しく飲んでくれた。

 なんでも里に商隊がやってきたときに購入し、家族で何度か飲んだらしい。コーヒーを美味しく飲むダークエルフというのもなかなか見ない図だ。


 ダークエルフの里ではどんな食べ物を食べていたのか。料理は得意なのか。一番美味しかったものは何か。主に食生活方面で俺たちは色々話をした。


 ダークエルフは野草を摘み、動物を屠殺し、子供の頃は鹿に乗って遊んでいたなど、かなりガチな森の狩猟民族であることが分かった一方で、話の中では分からない固有名詞もいくらかあった。

 特に人物名と地理・歴史方面はさっぱりだった。

 俺の転生者としての生い立ちに関してもだが、話をいちいち途切れさせるのもなと思い相槌を打ちまくっていたこともあり、その辺の理解は怪しい。頼りのインは食べるのに夢中で解説してくれなかったし。


 でもそんなことよりも、大事なのは二人の表情が明るいものになり、笑顔も出てきたことだ。

 食事は大勢でわいわい食べるほうがやっぱりいいね。

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