7-8 セイラムの守り人とカラの守護者 (1)


 イカサマ騒ぎのあとしばらくして、村の中で鐘が鳴ったものらしく、食堂は閉まることになった。

 フィッタでは鐘が鳴ると、みんな家に帰るようだ。腹も膨れたしあとは寝るだけだったので、俺たちはとくに何も問題はない。


 2階にあがり、ずっとつけていた鉄の鎧の着脱を手伝ってもらったあと、兵士3人を除く俺たちは1階の庭で歯みがきをして部屋に戻った。

 途中で顔を覗かせてきたデレックさんからちょっと変な目で見られたが、料理は肉にニンニクに酒だったのだから歯みがきは必須だ。……いや、たぶん変なのは、“うがい”の方だな。この世界の人々は歯みがきは認知されているのだが、うがいの習慣はとくにないと聞いている。歯磨き粉ないしね。


 2階に戻っておやすみを言って各自部屋へ。


「明日はどんな肉料理が出るのか楽しみだのう!」


 ベッドに寝転がりながらそう言うインに、腹いっぱいになることってあるの? と質問してみる。


「あるぞ? もっとも、食えずに動けんくなるほどにはならんがの」


 便利な体だほんと。


 そういや服の洗濯はどうしようか。染み抜き屋について明日聞いておかないとだな。


 と、そんなことを思っていると視界の右上部が光り出したので見てみれば、マップ内の北東の隅の方で何かが光っていた。丸い円が明滅している。

 色が……青だ。今まで青いマークを見たこともなければ、青色に光ったこともない。クライシスと表示方法は少し違うが、クライシス準拠なら青色のマークはクエスト対象になっているが……。


 インが身を起こしてとある方向に視線を向けた。マップが示すのと同じ北東だ。


「……変なもんが出てきおったな」

「変なもん?」


 俺もインと同じ方向を見るが、もちろん壁があるだけだ。


「うむ。魔人に近い存在だが、どうも違うように思える」


 魔人?? まだ見たことはないが……人里を襲うやつだ。この世界の魔人は人を襲うのではなくて建物を壊すようだけど。


「魔人って……大丈夫なのか??」


 返答がないまま、インは壁を見て動かずにいたかと思うと、「幽魔レムレスだったか」とこぼした。レムレス?


「レムレスってなに?」

「魔物の霊魂が可視化したものだな。亡霊みたいなものだ。亡霊は分かるか?」

「分かるよ。でも亡霊は人の霊でしょ?」

「うむ。こいつはしかし……まるで邪気がないな。…………ふむ。……ま、何もないであろ」


 インは再びベッドにダイブしてしまった。え? 放置?


「ほっとくの?」

「ん? ああ、幽魔は“存在するだけ”だからの。呪いの類や現世への強い執着により、霊魂でありながら実体化してしまっているのだが、肉体がないからの。何も出来ん。こちらから無理やり干渉しようとしなければの」


 常人にも見える地縛霊みたいなもんか? でもアンデッド系か。ふうん……邪気がないか。


「動き回るやつもおるが、こいつはそのうち消えるであろ。……今日の今が、奴にとって脳裏に深く印象付けられた時間だった、といったところだろうな。何があったのかは知らんが、昔奴のいる場所で大規模な魔物狩りでもあったのかもしれんな。……まあなんにせよ、だから私に感知されるほどに存在が強まったのだ。心配せんでいいぞ? 仮になんかあるとしても、ジルのやつがどうにかするだろうしの」


 まあ確かにこの辺はジルの管轄というかテリトリーらしいけども。


 マップでは相変わらず青い丸が点滅している。このマップのちゃんとした説明をするのは骨が折れるししてこなかったが……俺もマップの仕様をすべては理解してないとはいえ、微妙に釈然としないな……。インが大丈夫だと言ってるんだから大丈夫ではあるんだろうか?


 コップと歯ブラシをしまおうかと思って「コップと歯ブラシ 鞄に収納」と念じたところ、突然ウインドウが現れた。出たのはインベントリのウインドウだった。

 疑問符が浮かぶ。普段は収納するだけではインベントリのウインドウは出てこない。近頃は魔法の鞄に手をつっこんでも、インベントリのウインドウを出さずにいられるようになっている。


 気になったのでインベントリ内をスクロールしていって、近頃は見ていないアイテム欄を軽く見ていく。

 1つのアイテムの枠がピンク色に光っていた。これは……


 光っているのは「セイラムの日誌」だった。

 これはクライシスのとあるクエストの進行の際にもらうアイテムで、“クエストを終えてもインベントリ内に残ってしまうアイテム”だ。もちろん破棄することはできる。俺はするのを忘れていたんだが……。だが、なぜ光ってる?


「ん? 《魔法の鎖マジック・チェーン》か?」

「いや、違うよ。……なあ。そのレムレスっていうのは今どこにいるんだ?」

「近くの森だの。まあ、奴がいるのはあまり良い場所ではないが」


 点滅しているマークの付近にはヴァーノン小山という名前がついている。セルトハーレス山の東にある地域だ。なかなか広い一帯で、客が狩猟をしたり、山の幸を採集するのはここらしい。

 ただ、ヴァーノン小山の木々を表すマークの緑は特定場所から青みがかっている。幽魔だという点滅するマークがあるのは、ここの青みがかった木々を行った先だ。クライシスなら、青みがかった木々の辺りに足を踏み入れたら小エリア名が出るかもしれない。


「良い場所じゃないって?」

「他にアンデッド系の魔物がおるのだ。おおかた、この森にはかつて死霊術師どもがいたのであったのだろ。……アンデッドというのはだな、死んだ人の子や動物のむくろ、あるいは霊魂が実体を持って動き出した存在だ。厳密に言うと幽魔のようなものもおるし、いたずら程度のことしかせん小さな妖精のようなのもおるしで、魔物とばかりに呼べんのだが、まあ人の世では多かれ少なかれ魔物と分類されておる。……魔素マナがさほど瘴気を含んでおらんし、森にいるのは主に骸の方だろうな。骸といっても、たいがい骨ばかりで肉はなくての。たまに肉と皮が少し残ってるのもおるが。幽魔と同じように、中には魔物そのものがそうなったのもおる。無論、本来なら肉体がなくなれば人も動物も魔物も動かんよ? ただ、死霊使役の術にせよ、呪いの類にせよ、奴らは活動を始めることがあるのだ。……まあ、人形師の操る人形のような動きしかせん奴ばかりだが……聞いておるか?」

「聞いてる聞いてる」


 インのとくに真新しいことのなさそうなこの世界の「アンデッド系モンスター」にまつわる解説を聞きながら、俺はセイラムの守り人のクエスト内容を思い返していた。

 進めたのは2年か3年か前だったか。ずいぶん前にやったクエストではあるが、複雑怪奇、はたまたひたすらにおつかいばかりで起伏の少ない内容というようなものではなく、印象に残りやすい部類の話ではあったのでだいたい思い出せた。


 この世界の地名や地形はもちろんクライシスとは違っている。だが、インターフェースの形状や魔法、それから俺そのものや転生者など、何らかの形でリンクしていることは分かっている。

 そんな中でクライシス産のアイテムであるセイラムの日誌が、この世界の霊魔とかいう存在に反応を示しているのは一体全体どういうことなのか。


 アンデッド系モンスターがはびこる森の奥地で邪気がない幽霊的な魔物が、その強い存在感だけを露わにしている。

 セイラムの守り人のクエストも悲劇だった。幽魔が現在陥っている状況が、クエスト内容といくらか似ているのではないかと勘繰らずにはいられない。このクエストでも、アンデッド系ボスを討伐する。死んだ者が現世に留まり続ける理由も、悲劇以外ではそうない気がした。


「……その幽魔の名前とかって分かる? もしくはその死霊術師の名前とか」

「知らんぞ。私が知らんということはそこまで有名な奴ではなかったのだと思うが。ジルが知ってるかもな。…………反応がないな」

「念話?」

「うむ。寝てるのかもしれん」


 あまり寝起きがよさそうではなく、寝ぼけ眼でリザードマンのウググに連れられていったジルのことが浮かぶ。


「その場所にちょっと行ってみるっていうのはダメかな?」


 インが眉をあげて怪訝な眼差しを俺に向ける。


「行ってどうするんだ? 奴の見物にでも行くのか?」

「まあ……そんな感じ」


 ゲーム的にクエストが受けられるかも、という好奇心もなくはない。もっとも、受けたところでどうなんだとも思う。

 クライシスではクエストを受けまくってレベルを上げることも可能で、クエストには貴重な経験値リソースとしての側面もあった。なのでレベルを上げたいとかならワンチャンありかもしれないが……いまさらこの世界でゲーム的感覚で遊びたいという呑気な考えは持っていない。というか、無理だ。どこからどう見ても「生の現実」でしかないし。


 むしろ俺が気にしているのは、セイラムの日誌を持った俺が彼の元へ赴いたことで起こる現象の方だ。


 俺は別に火に飛び込む虫の類ではないんだが……もし、クライシス内のセイラムの守り人クエストの内容通りに、セイラムの日誌が幽魔の彼にとって「重要なアイテム」になるのなら、彼は救われることになるかもしれない。縛り付けられた今生から、永劫に。

 クライシスはゲームなので、戦わずして問題解決にはならなかったものだが、一方のこちらの彼は存在するだけなのだという。なら、戦わないのならば、残すは成仏するだけになる。


 成仏させられるのに放っておくという状況はあまりいい気分ではない。だいたい、マップにせよインベントリにせよ、点滅が嫌でも目に入る。いつまでこうなのかもわからない。

 こういう言い方はあれだが、このクエストを消化するなりけりをつけておきたい気持ちがある。このアイテムの目的が成仏なら、だが。


 ちょっと考え込んでいた俺の顔を見ていたインが、ま、別に行っても構わんよ、と軽く息をついた。


「息子の社会見学だ。母もしっかり付き合わねばな」

「ありがと」


 社会見学ね。まあ、正直助かる。何が起きるか分からないし。俺的には。


「ゾフも連れていくぞ。奴はアンデッドや死霊術に詳しいからの」

「え、そうは見えなかったけど」


 ゾフが来るってことは《三次元空間創造クリエイト・スリー・ディメンション》使ってくれるのか。フィッタでは抜け出す自体はできそうだが、夜には警備兵がうろついてるだろうし、デレックさんに言付けしてもヴァイン亭のように鍵を借りなくてはいけないかもしれない手間もあるかもしれないしで、正直助かる。


「ゾフは物知りだぞ。もっとも、元々アンデッドや死霊術に詳しくなかったのは確かだ。ゾフ自身もそれほど興味ないらしいしの。……信者たちが死霊術になぜか詳しいらしくての。なにかと怪しい術や製法に興味を示すばかりなもんだから、付き合ううちにゾフも詳しくなってしまったのだそうだ。空間魔法はそんなに出まわっとるわけじゃないし、実験できる者も限られる。仕方ない部分はあるだろうが」


 あー……精神的ダメージがあるらしい黒波ニグルムもあるし、黒竜信者っていう字面だけでもね。そういうのに興味ある人はいくらか集まりそうだ。


 ややあって、姿見鏡ほどの黒い楕円が現れて、ゾフがうかがうように顔を出してきた。今日は金櫛荘ではなく違う宿にいるが、とくに問題ないようだ。便利だ。


「こ、こんばんは……」

「こんばんは」


 相変わらずのどもりちゃんだ。今日は黒いゴスロリ服のようだ。頭に角もしっかりついてるんだが、白くて低い角度で伸びている。初対面につけてきたやつだろうか。


「ごめんな、夜に。突然」

「い、いえ……あの。……少し、待ってて……ください」

「え、うん。いいよ。全然」

「はい……ありがとうございます!」


 ゾフが楕円の奥に消えていく。忘れ物でもしたんだろうか。インからゾフの言葉が出てから1分も経ってないしね。

 ダイチはゾフも甘やかしそうだのう、とインがこぼした。いや、こんな露骨にどもられたら誰だってこうなると思うよ? 眼帯+角+ゴスロリ衣装のインパクトもすごいし。彼女が普通の子だったらイラつく人はいるかもしれないが。グンドゥラみたいに。


「しかし行ってみたいとはな。奴になにかあるのか?」

「……なんて言うのかな。俺の世界にも似たようなのがいたというか」


 もちろん“確認もしてない”幽霊だの怨霊だののことではなく、クライシスにも死霊系のモンスターがいたという話だ。


「幽魔か?」

「そう。有害でなくてもさ、……あれでしょ? 人じゃないけど、現世にやり残したことがあるというか、そんな感じで留まってるわけでしょ?」


 インが腕を組んで考える素振りを見せた。


「……始まりはそうかもしれん。だが、そもそも奴は元も今も魔物だからの? 魔物は知性のあるやつがいても、人の子らのような複雑な感情や思考は持たん。むしろ動物に近い。不死者と呼ばれるアンデッドたちもな。……まあ、はぐれゴブリンのような例外はあるが、あれは例外中の例外だな。あのような気が弱い上に、人の社会にも溶け込めるようなのは他の魔物にはおらん」


 魔物はいくらか見てきたが、確かにデミオーガやエリートゴブリンたち、そしてミノタウロスたちの凶悪な顔つきと敵対行動は、俺に交流をしたいなどとは思わせてくれない。もし出来るのなら、出来る範囲で歓迎してしまいそうだが。武力的に余裕あるしね。


「お主の言葉も届かんよ」


 インが意味深に見てきてそう言ってくる。少したしなめてくる感があった。


「まあ、何もなければそれでいいよ。害ないんでしょ?」

「うむ。日が出る頃にはたいてい消えるしの」

「仮に何かあってもインやゾフがいるなら問題ないよね」

「うむ!」


 インが胸を叩く。今回はとくに持ち上げたわけではない。インに加えていざとなったら亜空間に隔離するという力技もありそうなゾフもいるなら本当に怖いものなしだ。


「あの……」


 ゾフが顔を出してきた。目には黒い布ではなく、ティアラ的な銀色の額飾りをつけている。どうやって固定させてるんだろう。……一応下に布もあててるらしい。額飾りには穴などはとくに空いてないので、見えないままだろう。

 それにしてもさすが七竜の持ち物とでもいうべきか、額飾りはかなり凝った代物で、見事な彫り物で贅を尽くされている。中心部にはオパールのような虹色の光彩を持った宝石がはめられ、その左右からは二対の短い角のように、額飾りの一部が上に伸びている。


「お弁当を用意……してきたのですが……」


 ピクニックかよ。(笑)さすが七竜というか、肝すわってるなぁ……。


「インさんは……肉がいいですか?」

「うむ!」


 まあ、インなら肉だろうなぁ……。


「ダイチさんは?」


 うーん。なんか気が抜けてしまった。


「変なものじゃなかったら何でもいいよ」


 分かりましたと言って、ゾフが再び引っ込んでいく。俺にとっての変なものって難しかったかな、と気にかかりつつ。


 ほどなくして現れたゾフは、黒い長剣と短剣を腰に携えていた。剣の鞘の意匠はどちらもいつぞやのジョーラの装備並みに豪華だ。

 ピクニック気分というよりは、いや、ピクニック気分はありそうだが……ともかく、ゾフはそれなりに警戒態勢は意識しているものらしい。ゾフにはあまり剣を使うイメージはないけれども。


 そういえばお弁当とやらは? ……《収納スペース》があったか。


「じゃあ、行こうかの」


 ゾフの戦闘準備の方に一応いくらか気を引き締められつつ、俺たちは森に移動した。

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