7-12 平穏が崩れる時 (1)


 ミラーさんのサクセスストーリーの話のあと、後ろで聞いていた商人の2人が会合に加わったこともあって、食事の席は思いのほか長くなった。

 騎士団の仕事から戻ってきて部屋に俺たちがいないことに気付いたベルナートさんとアレクサンドラも近くのテーブルで酒を飲みながら話を聞いていたんだが、そろそろ鎧を着て準備しようと言われるくらいには話し込んでしまっていた。


「いやはや、長話してしまいましたね。……みなさん、警戒戦の方、頑張ってください」


 テーブルから立ち上がった折に、ミラーさんが警戒地に向かう俺たちの顔ぶれを見てそう労ってくる。


「はい。ミラーさんも仕事の方頑張ってください」


 お主もな、と気さくに声をかけるインにもミラーさんはニコリとする。


「私は夕方にはケプラに戻る予定ですが、何かあればギルドの方で私の名前を出してください。長期間ケプラを出る予定はしばらくはないので、早めに足取りがつかめるはずです。もし込み入った内容なら、手紙で内容を記してもらえれば。手紙もギルドの方で構いませんよ」

「分かりました」


 ヘンリーさんの方にも、護衛の仕事頑張ってください、と伝える。

 表情もいくらか和らいだもので――それでもまあ、怖い顔には違いないのだけど――ヘンリーさんはふっと笑みをこぼした。


「是非貴殿の獅子奮迅の武勇伝を聞かせてもらいたいものです」


 俺は、ではまた次にお会いしたその時にでも、と返答した。

 顔だけ見れば皮肉の言葉になってしまうんだが、声音は親しげであり、そんな要素は特に感じない。と、思う。


 この会合では、レッドアイ両断などの「俺の過剰な武勇伝」の話はしていない。なので社交辞令か、純粋な興味によるものだろう。

 もっとも、いくらか打ち解けたこともあって、ベイアーが伝えた「レッドアイにも果敢に立ち向かった勇敢な戦士」の評価は初見に比べるとずっと受け入れられている気もする。信じているかは分からないけども。


 武勇伝にメスが入らなかったのは、サクセスストーリーの話以降、商人の2人を交えてのオルフェ津々浦々の話で盛り上がってしまって、話題があまりそっちの方向に行かなかったためもある。


 商人の2人――クレーベさんとヴァイスさんは同じ商人ギルドの所属で、よく隊商を組んでは王都のルートナデルやブレッフェンという都市に商品を運んでいるものらしい。


 なんでも。二人はオルフェの端から端まで練り歩いた身らしい。


 メイホーのあるベルマー領を歩く際は護衛は安くてもいいが人数は多めにし、狼系の魔物がいるため匂い袋はしっかりと焚くこと。

 南部のマントイフェル辺境伯領を行く際には、暖かい気候にのぼせてうかつに女性と閨を共にしないように。など、そんなよもやま話をたっぷり話していた。


 ちなみになぜマントイフェル領で気軽に女性を誘わない方がいいのかというと、マントイフェル領の女性は気が強い上に、“請求してくる金額”も高いらしい。肉体派の夫が出てきて、ずいぶん多めに金を取られた商人仲間もいたのだとか。

 また、女性の山賊を頭領を据え置いた<砂の鉈>なる山賊の活動が近頃は盛んなんだとかで、まあ、土地柄は色々とあるらしい。


 彼らと別れた後、俺たちは部屋に戻り、3人に手伝ってもらいつつ鎧を着て、再び警戒地に向かった。珍しく夢の船を漕がなかった北部駐屯地までの馬車移動を経たあとは徒歩だ。


 それにしても昨日と同じ行程だが、結構移動でも大変だとしみじみ思った。

 このくらいでは疲れないのが幸いだが、もし俺が普通の人族の体だったらすぐに音を上げていただろう。……今度はベイアーの肩に乗っかったインのように。インは単純に「歩くのに飽きた」だけだと思うけど。



 ◇



 ――ロウテック隊長による《岩槍ロックショット》の砲撃音が鳴った。


 ……ふう。なんだ。もう終わりか。


 《魔力弾マジックショット》の剣を手から離し、宙に放る。剣はそのまま空中に居座った。


 手に取った革袋の水は空だった。あれ? そんなに飲んだっけか……。

 剣を鞘に収めながらやってきたアレクサンドラがどうぞと、自分の革袋を差し出してくる。


「ありがとう」


 受け取ってから、《水射ウォーター》で補充できることに気付いたが、まあいいかと思う。好意をむげにするのもな。


「お疲れさまでした」

「アレクサンドラさんも」


 アレクサンドラがちょっと困ったような顔で小首を傾げる。


「アレクサでいいと言いましたが、すっかり忘れられてしまいましたね」


 確かに……。

 ベイアーから敬語じゃなくていいって言われてるけど、これも忘れてるな。ベンツェさんが俺の敬語を自分たちの剣のようなものだと形容したことが思い出される。


「それにしても。今日は張り切っていましたね」

「俺ですか?」

「はい」


 そうにこやかに語るアレクサンドラに、水を飲みながらそうかもしれないと思う。


「……そうかも」


 あ、敬語と思うが、アレクサンドラのリアクションは特にない。まあいいか。


 前方に広がる警戒地のプルシストとミノタウロスの死体を眺める。休憩中に回収したが、既にたくさんの死体が転がっている。

 ディアラとベイアーが彼らが最後に仕留めた死体付近で何か話していて、そこにエリゼオが合流した。ホロイッツは死体を運ぶ台車を取りにえっほえっほという言葉が実によく似合う足取りで倉庫まで走っていった。イェネーさんは今日はセティシアの警戒地に応援に行っている。


 配置が少し昨日と違うことも理由だが――汚名挽回とばかりに奮起していたのでディアラを前に出し、代わりにアレクサンドラが俺の位置にきた。ベイアーはディアラのフォローだ――確かに俺は昨日よりはプルシストは仕留めた。

 例によって《魔力弾》を扱っての屠殺だったが、今回は剣としてちゃんと手で握って屠殺してみた。剣は兵士たちの使っているファルシオンタイプになっていた。


 これが思いのほか楽しかった。こう言うとあれだが、彼らを斬るのに爽快感と昂るものがあったのだ。

 俺はそこまで無双系ゲームにはハマらなかった口だが、あの手の快感じゃないかと思う。俺もようやく少しはこの弱肉強食で、血生臭く、そして、“人の子ら”が逞しくもある世界に慣れたらしいという達成感もあった。


 実のところ、まだ高揚感はあって、もう少し斬りたい気分だ。


 そう。出来れば……プルシストではなくミノタウロスがいい。


 プルシストの矢を受ければ山に帰ろうとする動物的な脆い敵意を一振りでどうにかするより、ミノタウロスの明確な意志を持って俺たちを殺しにかかってくる敵意を無力化する方がより昂ったのだった。

 俺が仕留めると兵士たちのいくらかから歓声があがったことがあり、それが快かったのも否定できない。


 昨日いくらか感じたように、当初はミノタウロスに憐れむ感情もないわけではなかったが、昨日と全く同じように、矢が刺さろうが、腕が落とされようが、どういう負傷にせよ軽い地響きを立てながらやってきてまるで親の仇かなにかのように俺たちに斧を振るってくる彼らを見ているとその感情は薄まっていった。彼らはまるで「感情のようなもの」を備えたマシーンだ。


 どのみち、彼らとは言葉は交わせない。


 だが、言葉を交わせない殺しにかかってくる魔物との関わり合い方は、いっそ楽ですらあるのかもしれないと思ったりもする。

 そこには生きるか、死ぬか、それしかない。「死なない世界の住人」の戯言なので贅沢に聞こえるのだろうし、失礼かもしれないが……存在している悩みの数が少ないことは容易に想像がつく。悩みが少ないということは、幸福度の度合いが高いということだ。


 高度文明社会は人の生活を豊かにする一方で、人の悩みを爆発的に増やした。できるだけ悩まずにいられる世界というのは、こういう人の生き死にが近い殺伐した世界でもあるのかもしれない……。


 また、俺がいくら規格外の存在であろうと、こうした魔物と人の子らとの関係性、この世界の理をくつがえすことはできない。

 この世界に馴染む努力はしている。だが、俺はいまいち馴染めていないことは心の底ではよく分かっている。魔物を斬り、彼らの敵を倒していくことは、そんな俺が初めてみんなと同じ境遇に、同じ世界に立っているかのようなそんな気もしたのだった。俺は同調圧力の類はあまり好きではないが、みんなと同じものを見ることすることが間違いなく幸福の1つの形でもあることは、よく知っている。



 倉庫の前で、みんなで装備の手入れをしていると、死体運びを手伝っていたロウテック隊長がやってきた。

 そして後ろからは、ミノタウロスとは違う、ゆっくりとした地響き。ロウテック隊長が召喚した岩石の巨兵だ。今日はさきほどから巨兵にプルシストを運ばせている。もちろん馬車でも運んでいる。効率アップだ。


「明日が最後の警戒戦になりますが、今日と同じような行程になります。昼前にここに来て、今日ほどの、……いえ。人が少し少ないですし、今日よりは少ないプルシストたちを討伐します」


 みんなが頷いたり、了解と言ったりする。


 今日はレッドアイはおろか、コマンダーすらも出なかった。

 俺はディアラを前に出すに辺り、二者の出現が一番の気がかりではあったのだが、コマンダーもレッドアイも連日出てきた例はないらしかった。安心ってものだ。


 ロウテック隊長が丸太の長椅子に腰を下ろした。ふうと息をついて、額をぬぐった。

 そんなに疲れてはいなかったはずだけどと見れば、額には確かに汗が少しにじんでいた。そんなに疲れたの?


「なんだ。疲れておるのか?」

「ええ、まあ、ちょっと……。普段は巨兵に物運びなどさせないので。魔力の消耗が激しいようです」


 なるほど。運搬を提案したのは俺なので、良心が痛む。セティシアに人を割いているので、今日の北部警戒地は人が少ないのだ。

 対象に向けて歩いて剣を振り下ろすだけが通常モードでありオートモードだとしたら、物運びはマニュアル操作にでもなってしまうのかもしれない。


 ロウテック隊長が腰の革袋に手をやろうとしたところに、インが仕方ないの、と立ち上がり、「頑張っとったからな。手を出せ」と彼の前で告げる。隊長はおそらくエーテルを出そうとしたんだろう。


 顔に疑問符を浮かべるロウテック隊長。

 そのまま俺のことをちらりと見てくるが、「ほれ。いいから出せ」とインが急かしたため、ロウテック隊長は半ば慌てて手を差し出した。イン、強引だな~。


 差し出された手の上にインが手を乗せる。

 手の大きさ的にもさながら父親と娘のやり取りのようだが、やがて小さな白い魔法陣が2人の手に重なるように現れては発光した。しばらくして光も魔法陣も消える。


「魔力をやったぞ」


 体内魔力の確認でもしてたんだろう。ロウテック隊長は目だけは動かしていたが、しばらく動かなかった。


「……ほとんど回復してしまいました」


 そりゃあそうだろうの、とインが得意げに言って、元の席である俺の横についた。そうして、


「私を誰だと思っておる??」


 という言葉を発した。


 この場所で交わされた会話の中では間違いなく一番インパクトのある言葉だ。みんなインを見て固まってしまった。おいおい。自分で七竜だと告げるとは思ってないけども。

 ちょっとひやひやしたが、ロウテック隊長の苦笑交じりの「さすが大魔導士様です」というおべっかの言葉とお礼の言葉にインは気をよくして、うむうむと数度頷いた。


「これほど……これほど魔力供給が速く、そして量も多い《譲渡トランスファー》を受けたのは始めてです」

「私は聖浄魔法が得意だからの。ま、他のもいけるが」

「ええ。……“他の”がいけることは存じてます」

「そうであろ?」


 ロウテック隊長は信頼を寄せる穏やかな表情をインに向けながら、見ていた手を握った。もうすっかり汗は引いているようだ。

 周りのみんなは言葉こそなかったが各々肩をすくめたり、なんともいえない微笑を見せたりした。やがて、鎧や剣の故障を確かめる金属の音や、砥石で刃を削る音などが再開された。


 インに関してはみんな順応性高いよなぁ……。インの天性の素質でもあるのかもしれないが、さすがに戦いのある今回は、魔導士としての信頼が上回っているように思うけども。

 でも戦地で自分を守ってくれる者との関わりをわざわざ避けたいと思う人はいないだろう。もちろん、その人が有害でない人物であれば、という条件付きだけど。もっとも、インは悪い意味では決してないのだが気楽に生きている風なので、そこのところで羨ましさはある。俺も気楽にこの世界を歩きたいよ。


 インと目が合う。


『なんだ。七竜は人の子らを助けん奴らなのになどと非難する気か?』


 ――いや、そんなつもりはないけど……あげたのは魔力だしね。


 インはそうだの、と目線を落とした。

 念話の続きが来るかと思ったが、インはディアラの槍を研いでいるベイアーの元に行ってしまった。


 インは七竜の決まりがなかったら、俺のように周りを助けようとするんだろうか。ジョーラを助けた時はあまりそうは思わなかったものだが、インも俺たちとの旅による影響はそれなりにあるだろう。

 旅の影響は馬鹿にできない。そりゃあそうだ。目の前に広がる世界がずっと1つであるままなのといくつもあるのとでは、見えるもの、感じるものが全く違う。それこそ井の中のカエルが見る景色と、井戸から出たカエルが見る景色ほど違う。昔で言えば転勤が多い家庭が該当するし、今風に言えば、インターネット環境に早くに馴染むこと――これは「精神の旅」と言い換えていいと思う――も該当する。1200年も生きてるんだし、自分の立場が危うくなりそうな方面に進まなければいいけど。


 オランドル隊長がやってきた。インは立ち上がって、


「昨日と同じくダイチの仕留めたプルシストを宿に頼むぞ!」


 と、昨日と同じ注文を威勢よくオランドル隊長にした。


 俺はつい大きめにため息をついた。間もなく、後ろでエリゼオがくくと、小さく笑いだした。

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