7-13 平穏が崩れる時 (2)


 馬車からの眺めの中に煙が2本上がっているのが見えた。火元は森だ。火事?


「あれって火事じゃないですか?」


 ベイアーとアレクサンドラが振り向いた。あぐらをかいて腕を組み、目をつむっていたエリゼオは目を開けただけだ。

 エリゼオは今回は「特に用事もないからな」と言って、俺たちの馬車に同席している。


 馬車は前回乗ったものと違って隙間が多く、前と後ろの人が客車からはみ出すくらいの広さしかない簡易な作りだが、密室ではないのもあって割と快適だ。

 車輪は鉄を混ぜたもので、スポークも頑丈な作りなので、駐屯地間では長年重宝している馬車の一つなのだという。


「炭焼きじゃないかな」


 と、俺の隣でベルナートさんが特に焦った様子もなく答える。炭焼き?


「炭焼きっていうと……」

「木材を焼いて木炭にするんだよ」

「うん。そうですよね」


 木炭って日常生活で使わないよなぁ……。使わないよな?


「フィッタは木材には事欠かない村だからね、炭作りも一緒にやってるのさ。彼らはフィッタ周りの山の麓でうろうろしてるよ」


 うろうろ?


「ちなみに炭焼き職人はずっと森にいるからか分からないけど、山賊との繋がりも多くてね。気軽に話しかける場合は気を付けた方がいいよ。まあ、ダイチ君なら楽に撃退できるだろうけど、山賊っていうのは弓の扱いが達者なことも多くてね」


 ふうん……。

 ちょっと《聞き耳》をオンにして、煙の方に集中してみた。……やはり遠すぎるようで、とくに話し声が聞こえてくるといったことはない。そこまで便利じゃないもんな。


 そんな話をしていると、「おーい! 助けてくれ!」という男性の叫び声が聞こえてくる。だいぶ切羽詰まっている。馬車の進行方向から声がしたようだ。


「今の。助けてくれって」

「え? ……なにも聞こえなかったよ?」


 ……そうだ、《聞き耳》入れたんだった。でも適用距離はそこまで遠くないはずだが……。

 インは聞こえたのか、いくらか表情を険しくしていた。


「助けてくれと言っておったな」

「ああ」


 姉妹にちょっとどいてもらって客車から顔を出す。前方からは、まだ点だが……2人がこちらにやってきている。1人は手を振っている。


 ややあって、ベイアーが人の姿を確認したのを聞いて、みんな信用してくれたものらしい。

 もっとも、狭い馬車内ではろくに身動きがとれるわけでもなし、エリゼオなんかは剣こそ握っていたが、まだあぐらをかいていた。


「――おーーい!! 助けてくれっ……」


 声もだいぶ近くなったところで、やがて馬車がゆっくりと動きを止めた。俺は馬車から飛び降りて、叫んでいた人のところに行く。


「あんたらな……。危ないから馬車の前に出てこないでくれよ。どうした??」


 男性が必死に叫んでいたのは分かっていただろうに、いまいち呑気な、というかいくらか苛立った調子で騎手が訊ねる。炭焼きも森にいるってだけで山賊とつるむくらいだし、助けを求めてくるのは割とあることなのかもしれないが……。

 走ってきた男性と女性はどっちも40代くらいだろうか。とくに怪我などはない様子だが……。葉がちょっとついているが、格好自体は普通の庶民服だ。途中で脱げたのか、女性は手に白い頭巾を持っている。


「フィッタが襲撃された! 山賊だ……戦斧名士ラブリュスの警備兵もやられちまった……! もうおしまいだ……!」


 男性は悲痛にそう叫ぶと、膝に手をついて、荒い息を吐き始めた。女性は一度振り返ったあと、膝を地面につけてしまった。

 襲撃……??  戦斧名士の警備兵ってダゴバートとかか?


「はあ? 嘘じゃないだろうな?? 言っとくがな……警備兵はみんな手練れだぞ? 戦斧名士の隊員たちほどじゃないがよ」


 騎手の人は今回はバーニーさんではなく、名前も知らない兵士の人だがまだ疑っている様子だ。みんなも2人の周りにやってきた。


「あんた、気は確かか!? 確かに俺たちは幸運にも奴らにバレずに逃げてこれたし、血なんてついてないけどな……このままじゃ……村は!」

「そうよ……早く知らせてよ!」


 信じられていないと見て、女性も訴えに参加し始めた。騎手は深刻なため息をついて、どうしますか? とでも言いたげに俺たちを見た。


「襲撃してきたのは何人ほどか分かりますか?」


 3人の騒ぎとは裏腹に、冷静なベルナートさんの問いに、男性は肩で息をつきながらも考える素振りを見せて、


「20! ……いや、散ったし、……30はいるかもしれない! 一斉に襲撃してきたんだ! 襲撃からまだそんなに経ってないしもう少しいるかもしれない……」


 と答える。男性は半ば震えた声でそう話しながら、頭を抱え始めた。


「もっといるだろうな。盗賊どもでもいきなり兵力をすべて投入したりはしない。まあ、一人残しておくくらいじゃ何も変わらんがな」

「<山の剣>かもね」

「十中八九奴らだろう。フィッタを堂々と襲撃できる山賊はここらじゃ連中しかいない」


 ベルナートさんが確かにね、と頷く。


「……フィッタの近頃の警備は10人くらいと聞いてる。プルシストの解体で何人かきてるから今はもっと少ないかもしれない」

「狙ってたんだろうな。こいつの30は正しいといえば正しい。ごろつきが襲撃するなら兵士の3倍の数は欲しいからな。……だがフィッタは戦斧名士の馴染みの村だ。戦斧名士の報復と対処も視野に入れてるんなら、数がどうとかの問題じゃなくなるかもな」

「そうだね……奴らの根城の正確な場所の特定もできてないし」


 ベルナートさんとエリゼオの落ち着いたやり取りに自分の早計さや呑気さを理解したのか、騎手の人は「どうするんだ? 襲撃が事実なら、俺は駐屯地に伝えにいかなきゃならんが……」と不安交じりに2人に訊ねてくる。確かに兵士ではないし、騎手なので伝令にうってつけではある。でもただ逃げたいだけのようにも見えなくもない。

 騎手の人は渋い顔つきで、白髪も多く貫禄もある人なんだが、実力の差か経験の差か、ベルナートさんとエリゼオに比べるといまいち頼りないようだ。


 様子を見に行くか、とアレクサンドラ。


「ああ。何にせよ、放ってはおけない。……あなたは2人を乗せて北部駐屯地へ。隊長たちに言って応援を。もし通りがかった馬車があったらこのことを伝えて、これ以上進まないように言ってくれ」


 騎手の人が分かった、と頷く。逃れてきた2人は急くように馬車に乗り込んだ。


「俺たちは逃れてきた人がいたら後ろに逃がしながら進んでいこう。もし追いかけてくる賊がいたら撃退だ」


 みんなが頷く。俺も頷いた。

 馬車が動き出して、俺たちから離れていく。


「魔導士のインちゃんとヘルミラもいるし、このメンバーだと10人くらい軽く相手にできそうだけど、どうだろうな」


 そう言って、ベルナートさんがちらりと俺のことを見てくる。もっと行けると思うけど。と思いつつも、相手は人なので何とも言いようがない。喧嘩をするわけではないのだ。


 山賊って言っても、おそらくレベル30行けばいい方だろ? ジョーラは元より、団長さんクラスの人がいるようにはちょっと思えない。

 俺は山賊程度の相手じゃ死ねる気はしないが、たださっきエリゼオが言ってるように、七影である戦斧名士をどうにかする術を持っているなら油断はできない。バフをかけたジョーラの相手は結構きつかったし、ジョーラに毒を盛った<タリーズの刃>の例もある。


 エリゼオが両手の手のひらを見せていかにもな感じで、どうだかな、とベルナートさんに肩をすくめた。


「10人ものこのこ追いかけてくるっていう連中なら楽に事が運びそうなんだけどな」


 確かに。


 皮肉っぽいが、エリゼオはこの中では俺とインを除くと一番の実力者だ。話し振りも、山賊の動向をある程度熟知してる風なので頼もしさもある。


「だが、魔導士も召喚士もいるっていう連中だ。俺は奴らの魔法と召喚の内容を知らん。知ってるか?」


 ベルナートさんがいや、と首を振り、アレクサンドラとベイアーも首を振った。


「魔道士と召喚士はあまり表立って動かないらしいんだよ。実力はよく分かってない」

「なら、出てこないようにお祈りでもするしかないな。この襲撃で出てこないならいつ出てくるんだっていう話だが。……なんにせよ深追いは得策じゃない。まあ、問題なさそうな奴はいるけどな」


 魔導士か。魔導士とは交戦経験ないんだよな。召喚士もよく分かっていない。エリゼオの言う通りか……。


「……奴らの襲撃は成功したんだ。油断はつけるだろうよ」

「そうだね。……ダイチくん、インちゃん、補助魔法頼むよ」


 俺とインは言われたままに、防御魔法をかけていく。エリゼオは「走りながらかけられるだろ?」と、フィッタに向けて軽く駆け出した。俺たちも続いた。ジョギングほどの速さだ。

 エリゼオは相変わらず身勝手と言うかなんというかだが、おそらくエリゼオの行動に間違いがなさそうなのは俺も分かる。迷いもない。凄腕の攻略者としての信頼もあるだろうが、だからみんなも従っているのだろう。


 走りながらエリゼオとベイアーの腕に《氷結装具アイシーアーマー》をつけた。胸当ての上にもつけようと思ったが、警戒戦では胸当てはとくに求められてなかったのを思い出した。過保護になるというか、俺が彼らの腕を信用してないととられるのかもしれない。

 エリゼオは「俺たちが前だとよ」と後ろのベイアーに言葉を投げた。ベイアーからお任せください、という言葉。頑張ってちょうだい。


「奴らの狙いは何だろうな」

「……さあな。山賊の狙いなんざ、金と食料しかないと踏んでるが。玉座を狙うほどの規模でもないしな」


 プルシストの牛肉ですか、とベイアーが質問を投げる。


「どうだかな」

「警戒戦の日は今までは数人のごろつきが動いたくらいだ。それに<山の剣>が牛肉を狙っているとは聞いたことないよ」

「奴らが逃げる村人を10人で追いかけてくる間抜けで、美食家の類だってんなら、この辺で厄介な連中にはなってないだろうな」


 補助魔法があとは俺だけになった頃、前方から再び人がやってきた。今度は1人だ。

 やってきた青年は肩を怪我していた。


「た、助けてください! フィ、フィッタが山賊に!! みんな殺されて……きっと<山の剣>だ!!」


 ベルナートさんは、応援を呼んでいる、自分たちはそれまでのつなぎで出来る範囲で襲撃の被害を食い止めると青年に説明した。少し彼の来た方向を探ってみたが、人の気配はとくになかった。

 青年は話のあとでいくらか安心した様子を見せた。肩を押さえているが、血は既に色を変えている。インが治療すると、痛みが引いたようだった。


 ベルナートさんが駐屯地に伝えることを頼むと、彼はケプラの小さな商家の使いの者で、オランドル隊長の従妹にあたるらしく、自分の話は信用してくれるはずだと奮起していた。

 青年を送り出したあと、エリゼオがため息をついた。が、とくに何も言わずに走り出した。これであの2人の言葉が嘘でなかった、つまり……フィッタが襲撃を受けたことは事実であると証明されてしまった。


 しばらくみんなで無言で走っていると、左手の方から嫌な声が入ってきた。左は森だ。


「――や、やめろ!!」

「――やめろと言われてやめるなら殺しをやってねえよ」

「――ぎゃああっっ!! ――あ゛あ゛っ!! ――あっ! いた ――い゛ぃ! ――ぅっ…… ――ぁ……」


 助けに入ろうとしかけたが、森には人の姿が見えない。森は延々と道すらもない未開拓の森であり、変わったところもない。

 <山の剣>か? だが、フィッタはもう少し先だ。フィッタから追うにはちょっと追いすぎじゃないかと考える距離がある。


 なんにせよ、男性はおそらく死んだのだろうと思った。何度も刺されて。こんなのが……フィッタでも繰り広げられてるのか?

 

 俺はようやく考え始めた。エリゼオやベルナートさんに戦いを任せるのではなく……俺個人が、襲撃と殺戮を食い止められるやり方と根拠について。

 大して考えることもなかった。レッドアイや七竜と戦えて、たかだか人の子にすぎない山賊と戦えないという理由もなかった。


 ただ。ただ俺が……人と戦うのが少し怖いだけだ。人との、それも襲撃を仕掛け、村人を殺した賊との戦いにおいて、殺さずにすますなんて考えは甘いに違いない。俺に足りないのは覚悟だ。やはり、ミノタウロスを殺すのと同じ感覚でいるべきなんだろうか?


 奴らを殺さないで捕縛するべきだろうか? それともしっかり天罰を下すべきだろうか?

 そんな質問は誰にもできそうになかった。おそらくもう、何人も殺されているのだ。そしてそんな奴らを俺たちは、様子見という名目ではあるが、出会えば始末しようとしている。


 なんにしてもあまり時間はないように思った。この調子でフィッタに向かっているとさらに何人の被害者が出るか……何人が死ぬか分かったものではない。

 誰もが武器を持ってる世界だ。遅かれ早かれこういう日が来るとは予感はしていた。そう。予感はしていた。もちろん戦争ではない……。そしてその日は、俺の並み外れた力が正しく有効活用できるだろうとも確信していた。


 ゆっくりと小さく息を吐いた。法律は次元を超えないのだ。何にせよ……向かおう。とりあえず。それからだ。


 ちょっと助けに行ってくる、とみんなに告げる。


「え? ダイチくん?」

「イン。みんなのフォロー頼むよ」


 インは眉をあげて、俺の内心を探るように少しの間、じっと見てきた。やがて、念話がくることもなく、軽く息を吐いた。吐いた理由は、俺とはおそらく違うだろう。


「仕方ないの」


 目をつぶってくれるということだよな?


 姉妹がジョギングによっていくらか呼吸を荒くしながら、不安そうに俺のことを見ていた。何か声をかけようと思ったが、言葉にならなかった。俺は2人に、眉をあげて陽気な顔を見せる。

 エリゼオは相変わらずの感情の読めない淡泊な顔で俺のことを見ていた。ディアラの盾になったエリゼオなら姉妹を任せて大丈夫だろう。何もレッドアイが待ち構えているわけではない。


「行ってくる」


 俺は単身でフィッタに向かう。みんなが点のようになってしまうと、俺は全速力を出した。

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