7-14 フィッタ虐殺 (1) - 見覚えのない光景
インから「あまり無理するでないぞ。倒れんようにな」という念話をもらいつつたどり着いたフィッタは、想像以上に無残なものだった。
目の前には、側頭部がつぶれた青年の死体がある。割れた赤い頭蓋骨から脳が見えかけ、地面には血溜まりができている。
村から逃げようとするところで後ろから殴られたんだろうが……痛々しい頭と見えている脳に思わず眉をしかめた。別にいまさら――魔力の使用で肝臓が酷使されるという部分はあるが――転生前の世界の人々とこの世界の人々の体内構造が違うかもしれないなどという考えは持っていない。いないが……。
入り口の木の杭の門扉には、肩から腹まで斬られた座り込んだおじさんの死体。こちらも足元まで血が流れていた。
さらに傍には警備兵が2人倒れている。1人は大の字で倒れ、首が変な方向を向いて死んでいる。もう1人はうつ伏せで倒れている。
大の字の方は、首の骨が折れたことによって死亡しているのは分かるのだが、さらに顔も刺されている。
額に大きな刺し傷があるのには思わず目を背けてしまった。ここの兵士の冑はハットのような形で、バイザーのあるケプラ騎士団の冑のように顔を隠せない。
うつ伏せの方は、横腹から血が流れている。
村内で見た警備兵の服装のままに彼は鎖帷子に革の袖なしコートを着ていて、傍には盾もあるし、そうそう殺されないとは思うのだが、ダメだったらしい。こういう防具って衝撃はあるし、突きや打撃にも弱いんだろうが、この世界にはスキルもある……。鎖帷子の覆っていない部分、アゴに近い首も刺されているようだ。
村の中もひどいものだった。
男性。女性。おばさん。老人。少年。そして、武器が手から離れた数名の警備兵。至るところに動かない人の体が転がっている。ドワーフもいたし、馬の死体も1つあった。
あらゆる場所に死体と血があった。まごうことなき地獄絵図だ。血のにおいが濃いのに、静かすぎるのは実におかしなことだった。
目を見開きすぎて目が痛い。地面に目線を落とした。どうか嘘であってくれと半ば願いながらおずおずと顔を上げたが、光景は何一つ変わっていなかった。どこを見ても人が倒れていた。
俺は死体の群れを見ては視線を落とす妙な行動を繰り返していた。きっと俺は挙動不審の男にしか見えないだろう。頭がおかしくなりそうだ。
俺が今朝までいた場所だぞ、ここは……。その時はみんな動き回っていて、怒ったり騒いだり笑ったりして生活してたんだぞ。なんでみんな倒れてるんだ? なんでこんな……なんでこんな恐ろしいことができるんだ……。
状況に全く感情が追い付いていかないのとは裏腹に心臓の鼓動が速まっていくのを感じた。
山賊っぽい奴の死体も転がっているのに気付いた。だんだんと無力感と無気力感が怒りに切り替わっていく。周囲には動いている山賊らしき者はいない。厩舎も空だった。
遅かったんだろうが……なんで加害者いねえんだよ……。
だが怒りの矛先は、誰にも向けられない。みんな物言わぬ死人になっているからだ。
建物のほとんどが無事なことが妙なことのようにも思えた。インたち七竜は建物に強い想いがあるようだったが、建物だけ無事でも全く意味はない。どうせなら放火でもしてくれたらいいのにと、俺は毒づいた。
挙動不審は鳴りを潜め、呆然と歩いていると、市場の道に逸れるところで横になって死んでいる男性の一人が見覚えのある顔をしていた。
……ベノさん。
ベノさんは首から血を流していた。首がぱっくり切れていた。脚にはナイフが刺さっていて、こちらからも血が流れている。
足元の地面には足を引きずったような跡があった。跡を追うとつぶれた編み籠と粉々になったキャベツ、干し肉、蝋燭が数本転がっていた。
さすがに無駄かもなと思いながら、ベノさんを仰向けにして、半ば開いた口に魔法の鞄から取り出した上級ポーションを注いだ。
切れた首の切り傷が相当深かったようで、いくらかポーションが漏れていってしまった。
……少し待ったが何も起こらなかった。効いたら蘇生薬だもんな。
蘇生薬……俺の所持品には「復活の神薬」というアイテムがある。いわゆる瀕死状態から回復させる復活系アイテムだ。効果は上級ポーションの例もあるし、いまさら疑ってはいない。
だが……11個しかない。
地力で集めようとするとまるで集まらない上、たまにやるPVPでごりごり減っていたため、こんな数しかないのだった。
また、そのような価値であるためユーザー間での取引もほとんどされないし、課金でもかなり高い部類のアイテムなため、復活の神薬は下手なアイテムよりも価値がある。
幸い使わなかったジョーラ事件以降、俺はこのアイテムの処遇と使い道について少し考えた。そうして、姉妹やインなどのごく狭い範囲、つまり身内のために使うことに決めた。
ベノさんは昨日少し話しただけだ。ベノさん自体は平民で、世の中への影響も少ないだろうし、七竜側としても復活させることはさほど問題にならないだろう。だが……少し話しただけのベノさんを蘇生させて、他の人も蘇生させないのはおかしな話だ。そうなったら神薬の数が足りなくなるのは目に見えている。
だいたい……インの言っていた印象深い言葉もある――
『死せぬ人の子ばかりの世はなんという世であろうか? そもそも死を迎えぬ人の子を人の子とは呼ばぬだろうな。そのような者どもを加護し、そして愛してやれるだろうか? 私にはわからん』
ベノさんと話した時のことが思い浮かんだ。
ちょっと怒りっぽいが、気さくで、領主への愛に溢れ、少し複雑な人生を歩んできたらしい人だった。いつの日かフィッタに訪れ、再会でもしたら、会話が弾みそうな一人だった。
だが、その日はもうこない。
……クソが。
形を成していなかった怒りがだんだんと形を帯びてくる。鋭利で、どす黒い色のものに。
再び心臓の鼓動が速まっていくのを感じた。衝動的な欲求が顔を出してきて、その“ドロっとした気持ち悪い熱”は俺を絶え間なく苛立たせてくる。
蘇生の手立てがあるってんなら範囲蘇生魔法にでもしてくれよ。一人を蘇生させたら、その人は蘇生させなかった家族や友人のことを嘆く。そうして俺の方も蘇生させなかったことがずっと脳裏に残ることになる。
――俺は力任せに地面を踏みつけていた。ボグっと音が鳴った。
見れば俺の足はわずかに地面に埋まり、足の周りには亀裂が走っていた。だが、俺のこの子供じみた衝動に反応する者は誰一人いない。
俺は息を吐いた。空しかった。この空しさを、胸の内に内在している俺を苛立たせるばかりの熱とともに思いのままに発散したかった。だが、もちろんできなかった。“誰もいないのに”できるはずもない。
唐突に自分は意外と冷静なんだと、そう思った。この惨状を見れば、泣き叫ぶ人もきっといるだろうから。
アランプトやら警戒戦やらで少し死体に見慣れすぎたのかもしれない……。打算を考えてしまうのもそうだろう。人の生き死にの前に神薬の個数など関係ないはずなのに。ポーションを魔法の鞄にしまう。
「……ん? おい、お前! どうした? しょんべんちびりそうか??」
左手の家屋から麻袋を持った男が一人出てきて声をかけてきた。
生存者がいた、と内心が喜色に染められるのを感じつつも、彼らの外見からすぐに“違う生存者”である可能性を察した。
男は革の装備をつけている。腰には剣。装備のところどころが染みで汚れている。ほとんどが赤い。……血か。
俺の内心は違うベクトルでみるみるうちに歓喜した。
……ははっ。こいつらか! “こいつらがそうか!” 現れてくれて嬉しいぞ。緩む頬が抑えられない。
「あ? ……なんだあいつ。ママのおつかいから戻った口か?」
出てきた男の後ろから別の男が顔を出してくる。こいつも同様に革の装備一式を身に着けていた。
「胸当てつけてるな」
「じいさんが心配になってつけてやったんじゃねえか? 俺たちみてえのがいるしよ」
「じいさん? ……ああ、なるほどな。そうかもな?」
お前らには俺の出自は絶対わからねえよ。可能性も捨てきれなかったが、やはり加害者側のようだ。……ベノさんが俺のじいさんか。悪くないかもな。
男は麻袋を地面に置いた。金属音が鳴った。中身は金か。2人は俺の方に歩いてくる。
俺に声をかけてきた男は、鼻頭に深い切り傷があり、顔のパーツが中心に少々寄った男で、後ろで長い茶髪をしばっていた。前髪は波打っていて、雨にでも降られたように妙にテカっていた。昨夜にイカサマを見破った奴も長かったが、この世界では珍しいちょっと女性的な髪型だ。
一方のもう一人は、全てがどうでもいいと思ってそうなすました顔をしていた。ある意味でアジア人顔だ。だが髪は金色ショートで目も淡褐色だ。張った堅そうなアゴには切り傷がある。
村の奥の方で悲鳴が聞こえた。助けに行かないとな。
「逃げたり叫んだりしないのか? 勇敢だねぇ」
視線が2人の首に行く。血、浴びたくないな。
長髪の男が鞘から音を立てて剣を抜いた。至って普通の剣だ。いや、少し細めの綺麗な剣だ。装飾は控えめのようだが。
とっさにこの男たちが襲撃した側でない可能性を考えた。あるか? そんなこと。
「殴りにこないのか? てめえには復讐する権利があるぞ。まあ、返り討ちにあっても文句は言えんがな」
復讐する権利ね。何様なんだ? こいつは。
「……じゃあ、死んどけ」
男は俺が会話する気もなければ大した反応もないのをつまらなく思ったらしく、肩をすくめたあと、俺の首に向けて刺突してきた。やはり襲撃犯のようだ。
しかし容赦ねえな。まあ、ありがたい。遠慮しなくていいってものだ――
――俺は剣先を親指と人差し指、中指の3本で“つまむ”。
「あ? ……っく!! なんだこいつ! 動かねえ!!」
体で押し込もうとするが、俺の胸に向けられた剣はビクともしない。
「は?? 幻かなんかか??」
金髪ショートが焦ったように長髪の奴と同じ剣を抜いて、俺の肩目掛けて降り下ろしてくる。――が、これも俺の左手の指につままれる。
同じように金髪ショートも渾身の力を入れてくるが、ビクともしない。
……この剣、もらうか。新品同然のようだし、生存者の身を守る用にあげよう。“必要になるか”分からないが。
金髪ショートが早々と剣を諦めてボクサーポーズになり、ジャブでアゴを狙ってきたので、蹴った。彼は軽く吹き飛んで、地面を滑っていく。
「――ぐっ!」
俺は《
奴らを即死させろと念じる。
急に意志を持ったかのように牛突槍が“発進”し、それぞれの胸を射抜いた。2人とも串刺しになり、何度か手足をばたつかせたり、痙攣したりしていたが、やがて力が抜けた。
牛突槍を抜き、こいつらの仲間に見られて警戒されないように消す。地面には血が広がっていく。
穂先でかいから心臓潰れただろうな。
俺も殺人者か、といういくらか落胆する心境になったが、取り乱す様子はないらしい。
まあ、奴らの方が先に仕掛けてきたし、明確に奴らは悪だったしな。この村の惨劇を生んだ死ぬべき大罪人だ。だいたいもう、俺がいる世界は現代じゃない。こんなことを平気で行う奴らが跋扈する世界であり、こんなことを平気で行う奴らを始末するのが仕事になる世界だ。
ベノさん含め、村の人たちの報復が多少なりともできたのだから喜んでもよさそうだが、別にそういうわけでもないらしい。
手が震えていた。
確かにいくらか興奮しているし、間違いなくたかぶってはいるのだが、俺は自分が今、どういう心境なのか自分でもよく分からなかった。俺はこの村の住民でもなんでもない。
……まあ、どうでもいいか。とにかくこいつらが悪なのは確かだ。始末に負えない悪は、力を持て余している俺が始末するべきだろう。
>称号「山賊を退治した」を獲得しました。
しかし……思ってた以上にミノタウロスより雑魚だったな。当然か。体格が違いすぎる。
ふと気づいてもう一度自分の手を見る。……毒を塗ってる可能性もあるか。いかに俺がバカみたいな力を持っていたとしても、毒の対処法はとくに持っていない。刃先に触れるのはやめよう。
そういや、こいつら金の他になに盗んでたんだ?
麻袋の中を確認する。
硬貨、短剣、しゃちほこのような魚の木の置物、高そうな金の鎖、女もののシルクのドレス、ペルシャ絨毯のような精緻な模様のタペストリー、よく彫れている裸婦の彫刻、小さな編み籠に入ったたくさんの宝石……布の袋があったので開けたら干し肉の束が入っていた。もう1つはドライフルーツ。
色々あるようだが、他の奴らはいないようだし、この2人は調達係とかか? 乾物以外、値が張りそうではある。
跳躍して村の入り口に麻袋を置いた後、剣を2本持ったまま悲鳴のあった場所へ《瞬歩》で移動する。
別の家屋の裏手で、警備兵と市民らしき女性がいるのが見えた。
警備兵は十字槍を構えている。女性は何も持っていない。家の壁に男性がもたれかかって死んでいた。見たような顔だが、覚えてない。
彼らの周りには5人の賊がいるようだ。
3人が、さきほどの男2人と同じで革の装備で剣を出している。2人は庶民服姿だ。襲撃するなら村民に紛れ込む必要も出てくるか。
「ああ? なんだてめえは??」
1人が俺に気付く。
「きみ! 逃げなさい!! ……駐屯地に行ってたのか?」
「運のなさを嘆くんだな!」
前の庶民服の1人が突然現れた俺に果敢に切りかかってきた。やはり敵か。しかしマジですぐ殺そうとしてくるな。ミノタウロスとどこが違うんだ。
避けたあと、《魔力弾》を出す。襲い掛かってきた奴を含めた前の2人を牛突槍で仕留めた。
「――かっ!……」
「――げっ、はっ……」
「こ、こいつ!!」
「魔導士か!!」
それから、剣の1本を右手に持って奥の1人の首を切り、もう一人も肩から両断した。
勢い余ってやりすぎたようで、血が飛んできた。きたねえな……。残った1人が逃げようとしていたので、牛突槍でその背中を貫いてやった。
肉を切った感触はプルシストやミノタウロスほど手ごたえがなかったが、悪くなかった。こいつらが悪で、俺は裁き手だからだろう。とっとと死ねばいい。
裁き手という部分で反射的に何様だと省みたが、氷竜になってしまったし、あながち間違っちゃいないことに気付く。まあ、だからといって、別に何もないが。
一瞬のうちにやられた5人の山賊たちの姿に、警備兵と女性が唖然として見ていた。
俺は勢いをつけた《
「護身用にどうぞ」
「え? ……は、はい」
おずおずと女性が剣を受け取る。初めて持ったのか知らないが、少し重たそうにする素振りがあった。今気づいたが女性は目が大きく、結構美人だ。
「入り口の方へ。俺の仲間たちがフィッタに向かってます。北部駐屯地の方角からやってきます」
「わ、私もこの村の警備兵だ。きみと行こう!」
勇気付けられたのか知らないが、勇んで警備兵はそう言ってくる。警備兵は口を覆う整えられたヒゲがあり、顔つきも隊長っぽい風格がある。
「彼女は誰が守るんです? おそらく剣は大して扱えませんよ」
と、俺が諫めると、警備兵は女性をちらりと見る。女性は不安げな表情で「剣は使ったことない……」とこぼした。
やがて、確かにそうだ、と彼は目線を落として無念そうな声で納得した。正直、ついてきてほしくないというのもある。守れないわけではない。気分的な問題だ。
「村を入り口から出て、少し離れた場所で待機しててください。山賊はどのくらいいましたか?」
「分からん……だが50は確実にいるぞ」
50か。こんなのが50人いても変わらないな。全部自分で切りつけなきゃいけないっていうなら面倒だが、勝手に動いてくれる武器があるからな。長さも変わるし。
……ん? さっきの男たちと同じで綺麗な剣持ってるのがいるな。
「ちょっと待っててください」
俺は山賊たちからさきほどの男たちと同じ新品同然の剣を抜いて、《水射》で綺麗にした。剣2本を2人に渡す。
「生存者がいたら助けます。誰か来たら、この剣を渡してください」
「あ、ああ。分かった。……無理するなよ?」
「ええ」
念のため、走った警備兵と女性が入り口から出ていくまで見送ったあと、ところどころで死体が転がっている村の道を歩きながら家屋を見つめて集中した。
知り合いがいるかもしれないが、死体の顔はあまり見ないようにした。ただ、報復は任せておけと、彼らに念じていた俺がいた。
だが、家屋からは一向に生存者の気配はなかった。村は不気味なほど静かだった。襲撃が起こってから、どのくらい経ってるんだろうな。
村の様子にはあまり関心を寄せず、家屋と人の気配だけに集中することにした。空しくなるだけだ。
奴らがいたら始末する。それだけでいい。
再び警備兵の死体に出くわした。3人だ。1人は首を折られ、2人は横腹や首から血を流している。1人は頭が陥没していた。訓練を積んだ兵士がやられるんだ。市民じゃどうにもならなかっただろう。
脱げた冑の一つが盛大に凹んでいた。こん棒とかか? 金属の冑を凹ませるくらいなので鉄製とかになるんだろうが、対兵士で鈍器って大事なんだな。
しばらく歩くと、先で騒ぎ声が聞こえてきた。昨日ベノさんたちと話した広場のあたりだ。
姿が見られないように、鍛冶屋の壁に隠れる。
傍に鍛冶屋の人の死体があった。口を開けていて、唇が上下ともに思いっきり切れている上に鼻まで切れている。口に剣をお見舞いされたのだろう。
真剣な眼差しで斧を打っていた姿が脳裏に浮かんだ。かわいそうにな……。
「――あとはゲルドたちの調達待ちか」
「――奴らしょうもないもん入れてくるぜ、絶対」
「――妙に張り切ってたしな」
「――前にセティシアに盗みに入った時はエリドンが1個だけ入っててよ。妙に思って理由を聞いてみりゃあ、1週間前にやった娼婦の尻に見えたっていうんだ」
「――あいつそんなに飢えてたのか。なら、女を連れてきたら一番最後にしないとな。一発目にやったら女が泡吹いて気絶するだろうよ」
「――……マクベニーの奴がいればなぁ」
「――はあ? あんな玉が小さい奴いたら成功するもんもしねえよ」
結構集まっているものらしい。
エリゼオが言うには、こいつらの目的は金と食料だったか。確かに麻袋に金は大量にあった。食料はそこまで多くなかったが。まあ、野菜は重くなるだろう。……牛肉。デレックさんたちは無事か? 伯爵とか何してるんだ? 攻められたの知らないとかないよな。身代金目的に既に捕縛されてるのか?
と、少し戻ったところの家屋から女性の泣き声が聞こえてきた。少し周りを警戒してしまったが、かなり小さい声だ。一応気配は探ってたんだが……。生きていたら身をひそめているだろうし、あまり参考になる情報でなかったのかもしれない。
たむろってるだけのようだし、奴らはあとまわしだ。バレないよう、《瞬歩》を全力で使って声の聞こえた家屋の方へ。
泣き声が聞こえる家屋の中では、2人死んでいて少し驚く。1人は農夫のような格好だが、もう1人は他の山賊と似た格好をしていて革の装備をつけている。
農夫の方は腹に斧かなにかでやったのかかなり大きな切り傷があり、腸が覗いている。山賊っぽい方は脳天に壁ごと思いっきり斧が刺さり、白目をむいて舌を半ば出して死んでいる。同情はしないが、ひどい死にざまだ。死にざまは選びたいと古来からよく言われているが、少し理解できる気がする。少なくとも間抜けな顔は見せたくないものだ。
それはともかく聞こえてきている悲痛な泣き声に聞き覚えがある気がした。中に入る。
「うぅっ……ひぐっ! ……ダゴバートおぉ……」
ダゴバート? ……ということはグンドゥラか。
「…………ダークエルフ連れてた人」
ぼそりと声がしたかと思うと、大きな木箱の後ろからアルルナが出てきた。手には手斧を持っている。服は血がぽつぽつとついているが……斧に血はない。死んだような目だ。
「ダゴバートは……死んだのか?」
「……ううん、まだ。……でも、…………」
アルルナは目線を落とした後、俺に背を向けて歩き出した。
戦ったのか、家の中は家財が散乱している。奥に部屋があるようで、ドアを押すと、棚がいくつかあって食料やら籠やら革の鎧やらが置いてあった。貯蔵庫とか倉庫の類だろう。
隅の壁にうつ伏せのグンドゥラがいた。下には男が寝ている。
グンドゥラがゆっくりと俺の方を向く。服も顔も血塗れで、顔はくしゃくしゃになっていた。血塗れで、こんな状況なのに、少しそそってしまった。
「……ダゴバートが……」
グンドゥラがそうこぼした。途端に崩れていく顔。ダゴバートという言葉を吐く度に彼女は泣きそうだ。
ダゴバートは、……胸と腹に無数の刺し傷と切り傷があった。周りには大量の血が流れている。
「……よぉ……元気してたか……」
生きていた! 俺はダゴバートに急いで駆け寄った。
「よかった」
「よくねぇよ……お前……名前、……なんだっけか……」
俺は急いで、魔法の鞄から上級ポーションを取り出した。
「……え。それ何?」
アルルナの質問にポーションだよ、と簡素に答えて、俺はダゴバートの口元にポーションを近づけた。
「飲んでくれ。ポーションだ」
「ふはっ。……ガハッ! ……はぁ……」
なにがおかしいのかダゴバートは軽く笑ったあと、血を少し吐いた。そうしてうつろな目をしていたが、口を少し開けた。
「動かねえ……んだ……口に、入れてくれよ……」
俺はその口にゆっくりとポーションを注いでいく。
嚥下されると間もなく、みるみるうちにダゴバートの胸と腹にあった無数の傷が塞がっていった。血も口元や傷口近くにあったものは消えていく。
「……あ?? ……?? おいおい……痛みも傷もなくなっちまったぞ!? どうなってやがる??」
俺は腹をさすったあと勢いよく起き上がって声を大きくしたダゴバートに安堵しつつも、人差し指を口に持っていって、静かにしてくれ、とたしなめた。
付近には気配はないが、……いや、いるな。ゆっくりとこっちに来ている。気付いているのか気付いてないのかは分からない。
「あ、ああ。すまん……」
すぐに腰を下ろしたダゴバートに、グンドゥラが抱き着いた。勢いがすごく、ダゴバートは少し背中を打った。再び泣き声。
「あ゛あ゛あぁぁぁ!! ダゴバートおぉぉ………」
ダゴバートはグンドゥラの頭を半ば抑えるように胸の中に引き入れて、頭を撫でた。声はこもってかなりマシになる。よかったな。
……だが。気配はおそらく道を歩いているだけだったが、こっちに向かうようになった。
「お兄ちゃん、大丈夫なの!?」
アルルナは驚きと歓喜のままに、声をひそめていた。利口な子だ。
「ああ。全く問題ない。腹も胸も傷は塞がっちまってるし……びっくりだ。……すげえな、そのポーション。高いもんだろ? 金はねえが、腕っぷしなら」
「説明はあとだ。……1人近づいてきてる」
ダゴバートの顔が警戒の顔になる。1人……いや、2人のようだ。ポーションをしまう。
ダゴバートはさっきまで死にかけたにもかかわらず、「俺が行こう」と勇敢にも言ったが、行かないでというグンドゥラの悲痛な叫び声に引き留められる。またかなり大きな声だった。今ので完全にバレたな。
少し行った先には大勢の仲間がいる。知られたらまずいので、俺は全力の《瞬歩》で単独で居間に行った。
家にちょうど入ったところの山賊の首を《魔力装》で切って仕留めた。倒れ際に下半身を軽く受け止めて、そのまま屋内の床を滑らせる。
外にはもう一人いる。
「……は? あ?」
こいつも同様に仕留めようと思ったが、血と物音のことも考えて首に手刀と、それから念のために腹にも強めに《掌打》した。
「――かっ……!」
鎧を着ているが全く問題ないようで、彼は気絶した。
そのままずりずりと襟首をつかんで家の中に入れて、元々あった家の中の2人の死体のところに置く。
「……すげえんだな、あんた。《
「近くに奴らの仲間がいるんだ。血と物音はまずい」
「なるほどな」
ダゴバートは「じゃあ俺にやらせてくれ」と言うと、グンドゥラに奥から斧を持ってくるように言った。扉を閉めてくれというので閉めた。ここでやるのか。
斧は装飾とかは特にないが、両刃の立派なバトルアックスだった。
「――ふっ!」
ダゴバートはためらいも何もなく斧を奴の首に降り下ろして切断した。グンドゥラは俺と同じく少しびくついたが、アルルナは処刑をじっと見ていた。アルルナにとって、今日のことはトラウマになっただろうな……。
考えていたかは分からないが、下にある農夫の死体のおかげでさほど大きな物音は立たなかった。
ダゴバートは血がついた斧を肩に背負って、ため息をついた。
「寝てる奴1人じゃ全然物足りねえな。かといって、連中を皆殺しにしてもな。フィッタの奴らはもう……」
家は残ってるけどな……。村人がちょっと死にすぎだろう。
ダゴバートに、警備兵はあとどのくらい残ってるんだ、と訊ねる。ダゴバートは眉を寄せて難しい顔になる。
「俺が知る限りでは……生き残ってるのは2人しか知らねえ。ドルボイ……ドルボイっていうドワーフと、ハスターっていうおっさんだ。2人とも手練れで、戦い方も上手いよ。ドルボイは何人か仕留めてたし、ハスターはみんなを守りながら上手くしのいでた」
ドワーフの死体もいくらか見たが……さきほど助けた警備兵の顔が浮かぶ。
「黒髪で、口の上からアゴにかけて、こうしてヒゲ生やしてる人は見たよ。『私も警備兵だ。きみと行こう』って言ってた」
俺はヒゲについてどう言えばいいか分からなかったので、口の上からアゴにかけて、両手の指先で追った。ちょっと見ないヒゲの形だったんだよな。
ダゴバートがちょっと笑みを浮かべて「そうそう。そのおっさんだ。責任感が有り余ってるんだよな」と、頷く。
「で、ハスターのおっさんはどうしたんだ?」
「入り口の方に逃がした。一人女性の生存者がいたもんでね。……じきに俺の仲間が来るんだ。前に広場で話してた時にいた人たちだ。俺は先行してきた」
ダゴバートが怪訝な顔になり、あんた暗殺者の家系かなにかか、と訊ねてくる。
「そういうわけじゃない。暗殺は別に好きじゃないけど、でも適してはいるだろうね。……領主とかは?」
ダゴバートはいっそう難しい顔になって、歯を食いしばった。……まさかな。
「領主は……ベルガー伯爵は殺された」
俺は思わずため息をついた。
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