2-2 人族との出会い


 マップではだいぶ前から確認しているが、目視の方でも集落の様子がはっきりと分かるようになってきた。


 三叉路を降りた先で、川の字のような3本の道に沿って建物が建ち並んでいるようだ。所々に緑が見え、真ん中には特に巨大な木が立ち、村の外部周辺には田畑が広がっている。


 三叉路を降りる前の森の中にもいくつか小屋があるようだが、あれがメイホー村だろう。マップでも「ベルマー領・メイホー村」と書かれている。


 マップでは、赤い枠で囲まれた二等辺三角形のマークが常にマップの中心部にある。これは俺を表しているマークだが、クライシスでは取引のできるNPCを意味していた白いマークも、クエストを受諾できるNPCを意味する青いマークも、マップ内には一つもない。

 代わりに近づくにつれて、村の西にある「狼の森」と書かれた森にはぽつぽつと赤丸のマークが出てきた。狼の森を拡大すると割と容赦ない数だ。それが狼か、もしくは人に敵意を持つ魔物か動物の類だろうとは推測ができた。


「見えてきたの」


 それにしても俺は一本道だった坂道から三叉路に差し掛かって村がもうすぐというところで、情けないことに息も絶え絶えだった。


「大丈夫か? 村まではもう少し歩くからこの辺りで休もうかの」


 インが周りを見回した後に膝に手をついた俺の顔を不安そうに覗いてくる。


「……そうする……」


 髪の先から汗が滴り落ちる。なんでこうなってしまったのかと聞かれても、俺にも答えようがない。


 なぜなら疲れただけだからだ。


 時計がないので、俺とインの体内時計に頼るしかなかったのだけれども、ティアン・メグリンドの家から歩いて1時間ほどが経っていた。

 道は緩やかな下り坂がずっと続いていて、時折涼しい山の風が吹いてくる、野生動物の一匹でも顔を出しそうな至って長閑な野の道だった。実際は動物は一匹も顔を出さなかったが。

 インと興味の尽きない話をしていたこともあってか、俺は心身ともにとくに疲れていなかったのだが、10分くらい前から急速的に体が悲鳴を上げ始めてきた。

 傾斜もそんなにきつくない、ただの下り坂だ。インや竜たちをふっ飛ばすスーパーマンなパワーはどこに行ったのやらだ。歳だろうかという、そんな感想もこぼれてしまう。


 現実の大人の俺は営業まわりで街中を歩くことはあれど、アウトドアな経験はほとんどなく、山道を歩いた経験もなかった。だから慣れない山歩きが響いてきたのかもしれないと、あとはそれくらいしか理由が見つからない。

 山登りもキャンプも興味はあったんだけどね。仕事と飲みとクライシスに消えてたよ。……だったらいつまでも行かなかっただろうって? 全くその通りだね。


 インは竜だからなのか、疲れた様子はまるで見せてない。

 3,4階建ての建物くらい背丈がある竜のままだったら疲れないのも納得できるところなのだが、銀髪銀目と容姿が少々現実離れしているのを抜きにすれば、手足は細く、背も低い、至って普通の中学生に入るか入らないかの少女だ。

 その男顔負け(?)の体力には現実感がないというか、ファンタジーというか。いや、ここファンタジーの世界なんだけどさ。


 最後にこんなになるまで運動したのはいつだったっけな……。


 底知れない相手に負けじと見栄を張れるほど元からパワフルな性格をしているわけでもなかったので、俺はインから言われるままに木陰に避難した。

 休めるときには休む。

 インドアな人間はただでさえ体力がないので、無理をしてボロキレになる前に素直に寝るしかない。多少デパ地下や菓子屋を練り歩いたくらいでは勘違いをしてはいけない。


 木にぐったりと背を預けると、背中を見せろというので、木から少しずれて背中を見えるようにする。

 背中に手を当てられたかと思うと、その手から何か温かいものが流れ込んでくるのを感じた。ぬるいホッカイロくらいの温度だ。

 この辺りの気温は体感的に20℃あるかないかといったところらしく、肌着とチュニックを着てちょうどいいくらいだったのだが、結構汗をかいて体温もだいぶ上がっている。ぬるいといえどもホッカイロの温かさは普通に嫌になるはずなのだけども、不思議とこの温かさにはそんな嫌な熱さはなかった。


 暑いはずなのに暑くない。その上汗まで引いていく不思議な感覚だ。

 もっと言うと血液に充足感を覚える新鮮な何かが注入されて、それが体内を巡回し始めている、という感想すらも抱ける。


>スキル「魔力感知」を習得しました。


 とても気持ちがいい……。どんどん疲れも引いていく。ものすごい即効性だ。

 ただ、反して睡魔がやばい。寝てしまいそうになる。


「……治療魔法?」

「そんなところだの」


 これが治療魔法の感覚かー……。気持ち良すぎる。というかインベントリにポーション類たくさんあるんだから飲んでみればよかったな。

 そんな風にぼんやり考えつつ俺の意識はまどろんでいった。


>称号「アウトドア初心者 - 山道は辛いよ」を獲得しました。



 ◇



「――歩き疲れですかな?」

「――そうだの。この辺りは初めてなので空気疲れかもしれん」

「――空気疲れですか。それはそれは」


 インと知らない男の声が聞こえてくる。インが誰と話してるのか気になって、ちょっと頭をあげてみた。


 疲れはない。頭痛とかもない。うん、特に問題なさそうだ。


 男が気付き、インも気付く。


「顔色よくなったように思えるが大丈夫かの?」

「だいぶ楽になったよ。ありがとう」


 インが華奢な手を伸ばして首元を触ってくる。キャラメイクでもしたかのような非常に整っているが幼い顔の眉間にシワが寄り、不安とわずかな焦りに象られている。

 具合が悪いときは人の優しさが本当に身に沁みるね。インは竜だけどさ。

 とはいえ、知らない男性がいることもあり、インの看護っぷりにはちょっと恥ずかしくもなる。


「大丈夫そうだの」


 インが改めて言うように、もうほとんど疲労は残っていなかった。ほんの少しだるいくらいだ。

 汗をだいぶ吸ってしまったシャツを洗濯しなきゃなと思うくらいには気持ちにも余裕がある。一応借り物だからね。


 インが離れると同時に目に入ってくる見知らぬ男性。瞳の色は濃いが髪の色は茶色く、眉と目の間隔は狭い。染めているわけではないだろう。予想はしていたが、外国人、西欧人だ。

 インが日本語を話すので可能性は低いが念のため英語の準備をしつつ、そちらは? とちょっと腹の出た、人の好さそうな目をした中年の白人男性に日本語で訊ねてみる。


「メイホー村やケプラで絵や骨董などの取引をしているガンリルと言う者です。お見知りおきを」


 ガンリルさんはにこやかに日本語でそう言ってニット帽のような形の布の帽子を取り、手を胸に当てて一礼した。白髪も出始めているらしい濃い小麦色の頭頂部はそろそろ“肥料”を撒きたい頃合いだ。


 彼の日本語は笑うぐらいネイティブだ……。社内に日本語が達者な外国人は何人かいた。でも俺はとある外国人力士のインタビューシーンを思い浮かべてしまった。


 いい歳の白人男性の口から流暢すぎる日本語が出てくることにだいぶ違和感を覚えるが、そこは態度や表情に出ないよう我慢する。これからたくさん見そうな気もするし。インはハーフっぽいからかその辺り特に違和感はないんだよな。


>スキル「無表情ポーカーフェイス」を習得しました。


 便利そうだけど、ひとまず今のところは用途がなさそうかな。身バレは避けたいけど、村の人と交流を断ちたいわけでもないし。


 ガンリルさんは赤いシャツにこげ茶色のポケットつきのベスト、長ズボン、そして革のロングブーツという姿だ。シャツには木版画で描いたような精緻な木と蔦の刺繍があり、首からはドロップ型の赤い石がついたネックレスが下がっている。価値やセンスは分からないが、裕福そうだ。


 シャツは腰下まで丈があり、ベルトで留めるチュニック形式で、服の袖は妙に膨らんでいる。タンスを探っていた時も思ったが、やっぱり世界観的には中世に相当すると見た方がいいようだ。


「お二人はこれからどちらに?」

「メイホー村に行くところですよ」


 インも同意する。


 メイホー村の人ならちょっと懇意にしておきたいところだね。

 それほど警戒心もなくそう思ったのは、ウインドウによりガンリルさんのレベルが「9」と表示されていて、俺たちとの歴然としたレベル差を見たからだ。


「私はダイチ、こちらの少女がインと言います」

「ダ、ダイチ殿ですね。わ、私めは怪しい者ではありませんので。たまたまケプラ市での商談からの帰り道でして……。途方に暮れていたようなあなた方を見つけて声をかけただけなのです……」


 一変して焦ったように喋るガンリルさん。


 どうしたんだろうと疑問に思ったがやがて一つの理由に思い至った。

 インターフェースの操作や各情報ウインドウを見る時、俺は目を細める。おそらくそれで少し怖い顔をしていたのだと思う。というかそれしか思い当たらない。それにしてはちょっと過剰な反応だとは思ったけれども……気をつけよう。


>スキル「威圧感プレッシャー」を習得しました。


 あれ? そんなに怖い顔をしてたのか……?

 インと俺の防御魔法の効力の差の例もある。俺の使うスキルの効果は生半可な代物ではなさそうなので、注意しなくてはいけないかもな……。


「そうでしたか。声をかけていただいたのがあなたのような優しい御仁で良かったですよ」


 誤解を解くべく微笑した。だいぶニッコリした。ついでにガンリルさんがしていたように胸に手も当てて一礼してみると、ガンリルさんはほどなく緊張を解いたようだった。


「いえいえ。これからメイホー村に帰宅するところなのですが、よろしければお送りしますよ」


 口調が落ち着いたな。よかった。


「ご厚意感謝します。……どうする?」


 一応インに聞いてみる。


「別に構わぬよ」


 気さくに返すイン。なんかニコニコしている。


「では、少々お待ちください。従僕の者に伝えてきますから」


 そう言ってガンリルさんは道端に止めてあった幌馬車に向かって駆けていく。そんな急がなくてもいいよ?

 幌馬車には馬が繋がれ、男性が手綱を握っていた。男性は黒いズボンを履き、クリーム色のチュニックの上に草色のベストを着ている。あの人が従僕らしい。


 馬車に従僕かあと思う。魔法がある世界だとはいえ、これからいろいろと不便しそうだとつい嘆いてしまう。


「最初はそうは思わなんだが……随分世慣れておるのう。まるでいいとこの貴族かやり手の商人のようだったぞ?」


 インが不思議そうに見てきたあと困った顔をする。そう?


 教育格差かな? 中世っぽい世界観だし。といっても若干言葉遣いを丁寧にしすぎたかなとは思ってた。御仁なんて使ったけど、冗談でも言ったことないよ。


「ちょっとやり過ぎたかなとは思ったんだよ。まあでも、どこの馬の骨とも分からないやつと思われるよりはね」

「ま、そうだの」


 うむうむ、と一人で納得するイン。

 とりあえず、この世界の住人との初対面が穏便にクリアできたので安心だ。


>称号「社交家」を獲得しました。


 半生転勤族だった上に、GMも営業もして、最近は教育担当にもなってたから多少はね。作法のスキルとか入手すればよかったのに。



 ◇



 ガンリルさんの「揺れるので注意してください」は、馬車が当たり前のこの世界からしてみればごく普通、いやむしろ親切な文句だと思うけど、馬車の揺れはガンガンと容赦なく俺の尻を傷めつけてきた。電車や飛行機の方がよほど揺れない。

 道の舗装が十分でないのも理由の一つだろう。“黄色い道”で、コンクリートなんてもちろんないからね。

 一応女の子だしインの方が大変そうだと思ったのだが、インはとくに痛くないらしい。なぜだ。

 家にいた頃も普通に裸足で外を出歩いていたし、本人が気にしていないことはもちろん、竜の皮膚や鱗の頑丈さなんかの竜的な諸々の感覚やら要素やらが、ファンタジー的に人間形態でもくっついてきているのかもしれないと考察してみる。

 肉串にも、硬さや肉の繊維とかに特に苦労してる様子もなかったしなぁ。


 あと馬車は音も結構うるさい。最初は風情があるとか思いもしたが……。魔法とか魔道具とかでどうにかできないのかな?


 馬車の揺れに我慢して流れていく景色を眺めていると、木と草と石ばかりだった野道がもう少し整備されたものになり、道の周りは低い石の塀や明らかに人の手により削られた巨石などになった。


 お、村到着かな? 馬車がゆっくりと止まる。


「取引は上々でした? ガンリル殿」

「今回はぼちぼちというところですなあ」


 といった快活な声質のやり取りが馬車の前から聞こえてくる。


 馬車が再び動き出し、さっきガンリルさんとやり取りをしていたらしき人物が現れた。


 紺色の鎧を着た兵士だ。手には十字槍を持っている。


 おおう。生兵士だ……。


 でも兵士は冑はかぶっていないし、あとは脛当てがあるだけなので、そんなに物々しい感じではない。それに鎧の下の服装は、ガンリルさんの従僕の着ていたような地味な庶民服っぽい衣類なので、どちらかといえば傭兵っぽい。

 彼は荷台に座っている俺たちの姿を認めてないのか、それとも黙認したのか、これといった動きは見せないままに見送った。

 彼のいる場所の左右には大きな木の杭が数本刺さっていて、同じような服装の兵士が周りに2人いたので、彼らがメイホー村の入り口を守る警備兵であり、さっきのやり取りが検問だったのだろう。


 検問があることをすっかり忘れていたなとちょっと焦る。

 でもインがこのことに特に触れてこなかった辺り、問題は特にないと言うか、そこまで厳重な検問ではなさそうだ。ガンリルさんも気さくに会話してたしね。


 やがて石塀が途切れ、石造りの白い家や樹木が、兵たちの代わりには老若男女の村人らしき人々が映り込む。道は広々としているが、道路でない場所には割と遠慮なく雑草が生え、そこら中に木製の農具らしき道具や、樽や木箱などが置いてある。惚れ惚れするほど中世ヨーロッパな田舎の村だ。

 だが「中世ヨーロッパな田舎村」はすぐに終わった。

 でかい麻袋をかついだ、腰に長剣を提げた体格の良い男性。エプロンをつけた女性や老婆。ガンリルさんのように派手な赤色のシャツを着こなした商人風の若い男性。水牛を引いている浅黒い肌の男性。駆け回る少年少女に、そしてそして、そんな彼らに混じってモノクルをつけた賢そうなゴブリンや、犬の耳と尻尾がついたボロ服を着こんだ獣人なんかも映り込んだからだ。


 ファンタジーだね! ファンタジーだね!!!


 生温かいまなざしで俺のことを見守っているインに、この感動は分かるまいと思いつつ、俺は語りたい誘惑に抗えずにすすすっとインの横に座る。


「俺の国ではね、人間……人族しかいないんだよ。ゴブリンも獣人もいなかった。全部空想の生き物だった。動物はもちろんいるけどね」

「ほほう。それなら物珍しかろうな」


 と、想像していたよりはちょっと淡泊な言葉ではあったけど、インはクスクスと可愛らしく俺を笑っている。


 まずね、竜になる君の存在がファンタジーの象徴なんだよと内心で盛大にツッコミを入れて、笑われていることを寛大に受け止めた俺は、OK、ちょっとクールになろうと精神を落ち着かせることにした。


 そうなんだよ、身の振り方考えなきゃいけないんだよな~。


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