第2章 メイホー村の人々
2-1 イン
竜の顎から戻ってきた銀竜とともにティアン・メグリンドの家を出発する。
獣道の先では待機モードのままだった黒い竜と紺の竜が草原で陣取っている。銀竜が少し話があるということで、俺たちは彼らの元へ向かった。
竜の二匹は相変わらずの迫力だ。威嚇されたのを思い出して少しビビってしまった。
「紹介しておこうかの。私の忠実な部下たちだ。ダイチのことは皆にも伝えてあるから、襲われる心配はもうないぞ」
そう銀竜が話したところで、二匹の竜はゆっくりと背を低くして伏せの状態になった。
《鑑定》スキルが作用してウインドウが出てくる。
< 飛竜(紺)LV45 >
種族:飛竜
性別:メス
< 飛竜(黒)LV50 >
種族:飛竜
性別:メス
どっちもメスらしいが……ドラゴンのオスメスの外見上の違いはどこなんだろう。
見慣れた爬虫類の大きな目はかつての獰猛さはいくらかなりを潜めていて、つぶらな感じに見える。こうやっておとなしくされると、巨体で翼があって爪があってと、ドラゴンはほんと少年心を刺激される存在だ。
>称号「竜を束ねし者」を習得しました。
これはかっこいい。
「よろしく?」
紺の方がゆっくりと頷く。分かるらしい。黒の方は俺のことをじっと見つめたままだ。
「うむ。仲良くせい。こやつらは村には来んが、監視はしているのでな。何かあった場合にはいつでも呼ぶことができるぞ」
なんか至れり尽くせりだ。
銀竜の説明に紺の方が頷いた。悪意とかは特に感じないが、黒い方は相変わらずじっと俺を見ている。なんとなく性格が分かりそうだね。
「この飛竜たちも人に?」
「できないことはないが、数時間が限度だの」
銀竜の人化の制限時間はよくは分からないらしい。少なくとも2日間は人でいられたとのこと。それで大丈夫なんだろうか。
「愛い奴よのう。急にいなくなることはないから安心してよいぞ」
銀竜がいくらかしたり顔で抱き着いてくる。いきなり情けないところを見せたせいなのか、すっかり母親ポジションを定着させてしまったらしい。
その意味もまぁ……なくはないんだけどね。急にいなくなるのは実際寂しい。それにしても今回は視線があるので少し恥ずかしい。二匹が威嚇とかしてこないか懸念したがとくにそんな気はないようだ。
村の中で急に竜モードにならないか気になったが、ついてくるんだから、その辺りは大丈夫なのだろう。たぶん。
「では行ってくる。留守の間よろしくな」
そう銀竜が言うと、二匹の飛竜が頷き、やがてズシンズシンと地響きな足音を立てて俺たちから離れた後、飛び立っていく。
しばらく見ていたが二匹は銀竜の棲み処である峰の方にはいかず、森の中に入っていった。
「それと忘れとったが」
銀竜はそう言うと、俺に向けて魔法を一つ。紫色の魔法陣が出て、一瞬俺の体を膜が覆ったがすぐに消えた。特に俺の体に変化はない。
「何したの?」
「《
ハイドね。看破するスキルって《鑑定》とかか。ありがたいけども。
「ダイチのことは私と同じように人族にしてあるから、ないとは思うが自らでホムンクルスであることを告げぬようにな。珍しがられて妙なことになるに違いないからの」
話によればそんな感じだよね。
ちなみに転生者であることをばらすのも同様の理由で非推奨らしい。
ホムンクルスがダメで転生者が良いっていう理由も特に見つからない。珍獣扱いを避けようと思ったら。
◇
メイホー村までの緩やかな下り坂を銀竜とのんびり歩く。
左手にはアメリカンスケールな草原、右手には濃緑色と深さのせいで若干怖くも感じるが豊かな原生林が延々と伸びている。
天気は良く、空気は澄んでいて美味い。バカみたいに人の気配のない牧歌的な光景にもう夢ではないと分かっているのだが、いくらか夢心地の気分を味わう。
しばらく歩くと、イネ科植物を中心とした草でいっぱいだった左手の草原には、大きな石や木々がまばらにみられるようになってくる。道にも時折雑草が浸食して生え揃うようになり、地面と草のまだら模様を描き始めてくる。
別にとくに窮屈な心境だったわけでもないが、景色の変化に人心地ついた心境になる。
山道はフォトジェニックな光景かというとそこまで美しい代物ではないのだが、歩いていると変わった形の石や、見慣れない植物の一つや二つ見つかりそうな素朴な未知くらいはあった。
この世界の住人からしたら代わり映えのしないどこにでもありそうな自然の山道なのかもしれないが、街中住まいの俺としては明らかに人の手の、文明機器の息吹の一切ない光景は実に新鮮だ。
クロアチアのロヴィニやオーストリアのハルシュタットなどは、いつか行ってみたいと思っていたが、長閑な山村もいいかもなと思ってしまう。
マップによるとメイホー村は、先にある三叉路を降りた先にあるようだ。
銀竜にメイホー村について訊ねようとしたところで、これから人間として人里に行くのに銀竜と呼ぶのはおかしいなと思う。
「銀竜はさ、名前とかないの?」
「ただの草木を物珍しそうに見ていると思えば唐突だのう」
銀竜が穏やかな表情でそうこぼす。顔に出てたか……。恥ずかしい。
「いや、これから行くのって銀竜の信仰の盛んな村なわけでしょ? 銀竜って呼ぶのはちょっとあれかなって」
「まあ確かにの。ふうむ」
考え込む銀竜。
「ベルにでもするかの」
「ベル? 可愛い名前だけど」
とまあ、気軽に思ったものだが、ベルは200年前に死んだ女の子の名前らしい。
銀竜の巣――というか家――とは別の「銀竜の祠」という場所には、定期的に祠を掃除にくる人間がいて、当時ベルという女の子がその担当の一人だったのだとか。
「なかなかマメなやつでのう。子供のくせに一番掃除してくれとった。ただ帰り道で花でも摘んでたのかしらないが足を踏み外したようでの。私もそのときはちと出払ってての。なんともまぁかわいそうな子供だったわ」
重たい話かと思えば、とくにそんな雰囲気もなく明るい口調で銀竜は喋る。200年前のことを1年前に起きたことのレベルで話すのはすごい。
現代日本ではほとんどないにしても、名前を受け継ぐことは神聖視というか、名誉みたいな考えの人々がいる。モンゴルとかアメリカの部族とかではよくあった風習だ。昔の日本でもそうだったしね。
銀竜がベルの名前を名乗ろうとするのはその辺りの意識かとも思うが、ベルと呼ぶときにその不運な子供のことを思い浮かべるのはちょっと嫌だなとも正直に思うところだ。名前はもっと気軽に呼びたい。
「不服だったかの?」
またもや顔に出てしまったらしい。仕方ないので、正直に言うことにする。
「名前だし、もっと気軽に呼びたいと思ってね」
「なるほどのう。ジルのような考え方だの」
「ジル?」
「赤竜のことだの。ふむ……ではインにしようかの。七竜の間では私はインと呼ばれておるのだ」
赤竜か。クライシスでもいたなぁ! 銀竜と同じくらいのレベル100ちょっとの竜だが、実装された頃には適正レベルつまりレベル100を既に超えてしまっていたので、当時はなかなかエグイと言われた強さが残念ながらあまり味わえなかった竜だ。
とはいえ、素材を用いたものがユニークアイテムの装備になっていたり、NPCのクエスト会話などでも赤竜の名前はちょいちょい出てくる上、公式の方でも取り上げたりして赤竜の知名度は高く、クライシスを象徴する竜モンスターの一匹でもある。……ん、あれ。そういえば銀竜って。
「インでいいかの?」
いくらか不安そうに見てくる銀竜、いやイン。つい懐かしんでしまった。
「ごめんごめん。もちろんいいよ。さっきよりも呼びやすいし、いい名前だと思うよ」
「うむ。ではこれからはインと呼んでくれ」
「分かったよ、イン」
――満足気な
銀竜は既にLV500がギルドに一人はいるような世界の中で、ユーザーから今更と言われつつ金竜とともに実装されたLV100前後の竜だった。俺たちユーザーは初心者ないしメインクエストの登竜門的な彼らを「100竜」と呼んでいた。
ただ100竜の追加自体は今更だったにしても、ギミックを持たせた新しい専用マップ、新規モーションモデルの配下の敵、さらには有名ゲーム音楽家と海外のオーケストラを招いての壮大な新規BGMと、この100竜二匹はかなり贅を尽くされていた。
適正レベルをとっくに過ぎていて全く旨味はなくとも、各ギルドではギルメン総出で“観光”に行っていたほどだった。
このアップデートは別会社との合併後のアップデートだったのだが、これを機にストーリーテキスト含めて後に実装されたコンテンツのクオリティが上がり、登録者も爆発的に増えた。そのため、クライシスの地盤をさらに盤石にする草分け的なアップデートとも言えた。
俺はといえば、残念ながら、現実世界で新人教育を任されるようになった頃で忙しく、この流行に乗り遅れてしまっていた。
銀竜は戦い方がかなりタクティカルで、LV150のキャラでも各種抵抗を万全にしないと長丁場になるなんて情報が耳に入りはしたが、メインキャラがギリギリ狩れる新しい高レベル用の狩場も実装されてそっちに意識が向いていたこともあり、正直金竜と同じで全く記憶になかった竜だ。
「そういえばメイホー村って実際生活するとなったらどうなの? 過ごしやすいのかな」
「んー……そうだのう。過ごしやすい村かもしれんの。ここら辺は天候は穏やかなものだし、作物もひどい不作になったことはないしの。周囲の魔物も村の自警団でも狩れるほど可愛いものだし、村の雰囲気もまあまあ活気にあふれたものだ。兵士どもが幅を聞かせたキナ臭い事件なども少ないしの」
最初の村って感じだね~。平和なのは竜のおひざ元だからってところかな。
「銀竜祭のときにはなかなか賑やかな様相になってな。村に明かりが夜通し灯り、上から眺めてみると小さな村ながら綺麗であったよ。祠への供え物には狼や猪の美味い肉が出てきての、それは毎年楽しみにしておった。……ま、それもダイチの猪には敵わんがの!」
「それはなにより。肉好きだよね、ほんと」
「に、肉ばかりではないぞ! 最後にした祭りには“コメ”というのも出てきての。コメに卵と野菜と小さくした豚肉を混ぜて焼いたものだったのだが、あれは良いものだったな」
おぉ~お米あるんだ。というか、たぶんそれチャーハンだよね??
「なんだ、コメを知っておるのか?」
「俺の国の主食だったからね。基本的には炒めずに食べてたよ」
残念ながら米はこの辺りでは食べないそうなんだが、王都に行けば確実に食べられるらしい。
今更知ったのだが、この辺りは「オルフェ」という国らしい。
オルフェの王様が住まう城塞都市「ルートナデル」は、他の国や地方から食べ物や料理が集まっているちょっとしたグルメ都市なのだとか。まあ王都だしね。東京みたいなものだろう。
他にどんな国があるのか聞いてみたが、どれも聞いたことのない名前だった。
銀竜や赤竜こそいたものの、メイホー村も、オルフェという国も、ルートナデルという都市も、クライシスにはなかった。さきほど本で読んだコロニオという国もそうだし、これらの国や都市を擁する今俺たちが足を踏みしめている「バルフサ」という大陸名もそうだ。
この世界はゲーム風に言ってみれば、どうやら新規マップに相当するらしい。
こうやってああすれば、ゲームがクリアできる。MMORPGゲームだったクライシスはもちろんそういうゲームでもないが、クライシスのマップがそのままなら、進行に際してだいぶ気持ちは楽だったろうなと思う。
食欲旺盛なインらしく、俺の国の料理について聞かれたのでつらつら語りつつ、俺はと言えばこの世界の解釈方法について答えの出ない問答を内心で時折しつつ。俺たちはのどかな山道を下っていった。
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