1-10 無知と大金は不安の元
少し腹も膨れたところで、銀竜にメイホー村について訊ねてみる。
「ふぉんふぉうにふぇいふぉーへひくのは?」
なんとなーくわかるけど。(笑)口の中のものを飲み込んだのを見計らって話しかけたのだが、すぐにかぶりついてしまったし、あまり意味はなかったらしい。
「口の中のものを食べてからね」
銀竜は頷いて、咀嚼にいそしみ始めた。時折、至福に頬を緩ませて。
うん、ちょっと子守の気分だ。
「ふう……。メイホー村は私はあまり勧めんぞ」
「理由を聞いても?」
「メイホー村は銀竜信仰が盛んな村なのだ。それだけならよいのだが、ちと過剰なくらいでな。私はあまり好かんのだ」
「え。銀竜信仰されてんの??」
驚いた。目の前の可愛らしい少女が、というのもあることはあるが、信仰されている竜を割と容赦なく攻撃してしまった不届き者な俺自身にドン引きもした。まあ、治癒能力が高くてなんともないんだけどさ。
「うむ。私は七竜のうちの一柱だからの。世人が畏怖する存在であると同時に、加護を与えてくれる頼もしき存在でもあるのだ」
尊敬したか? と聞いてくるので、尊敬したと答えておく。攻撃的な性格ではなく知性の高い竜でほんとよかった。
んふーとご満悦になる銀竜。目の前の少女からは畏怖されている感は全くないが、竜時の威厳ある言動が思い出されたので、納得しといた。
「加護ってどんなことするんだい?」
「主に魔物除けの結界だの。色々と制約はあるし、メイホーのは大したもんでもないんだが……ああ、もちろん、ちゃんと魔人すら寄せ付けない強力なものを貼ることはできるぞ? ただあまり人の子の世界に干渉しないという七竜間での取り決めがあってのう。堕落させるわけにもいかんし、適度なものしか貼れんのだ」
七竜か……。古くはギリシャ神話から、新しいのはファンタジー世界を題材とするマンガやゲームまで。偉大なる力を秘めた者の行く末とでもいうか、竜にせよ、神々にせよ、人間たちの営みにあまり干渉しないという決まりごとはこの世界でもあるらしい。
飛竜が急襲してきたし、そうなんだろうが、魔物の脅威に脅かされている世界でもあるようだ。
「なるほどね。……村に行くの嫌だったら待っててもいいよ?」
俺がそう言ってみると、目を見開く銀竜。
「何も知らんダイチを一人で行かせるわけなかろう!? 母親の風上にも置けぬ!」
いや、一応色々と準備してから行くよ。
と言ってもまぁ、確かに何も知らないので心配だろうなと思う。お金を見たことがなければ、買い物の仕方も知らないレベルだし。
この世界の住人もまだ銀竜しか見ていないっていうのはちょっとなぁ。住人は住人なんだろうけど……。
……少し心配になってきた。
「そうだね。頼りにしてます」
「うむ。……本当にメイホー村に行くのか?」
「ぶっちゃけメイホー村でなくてもいいよ。でも、一番近そうな村だしさ。ちょっと数日滞在して、どんな感じでこの世界の人たちが生活しているのか見てみたいんだよね」
衣食住に関してはそんなに変なことはないように思うんだけども、なんと言っても、魔法もあって竜もいて、そしてホムンクルスも作れる世界だしね。何があるのやら。
「なるほどのう。さすがにその辺は29歳だの。私を退ける力量からしてみれば、ちと覇気も野心もなさすぎるが、しっかりしていることはともかく良いことだ。……ま、近いのは確かだし、平和な村でもあるからの。嫌なのは私の個人的な理由からであるし。良いぞ、メイホー村で」
銀竜の承諾ももらえたところで、何もっていけばいいかと考え始めた頃、銀竜が一度「巣に帰る」と言い出した。
巣とは、森の先の峰にある銀竜の顎のことで、ようは自分の家らしい。
「ちょっとした準備だの。すぐ戻ってくる。先に行くのではないぞ」
そう言って銀竜が小屋を飛び出していく。道の森を出るところで立ち止まったかと思えば、いそいそとワンピースと下着を脱ぎ始め、木の根元に置いた。
それはまあいいんだが……銀竜が空中に手を伸ばすと鏡くらいの「黒い楕円」が出てきて、まもなく服が消えた。驚いたが、言っていた収納系の魔法だろう。
そうして銀竜は淡い光に包まれ巨大化――人型の形状をなくし、銀色の鱗を持った元の輝く巨竜の姿になり、畳まれていた翼を一度バサリとなびかせた。周辺の木々がたちまち震える。
これまでにも色々と驚かせられているが、これが一番驚いたのは言うまでもない。
銀竜が振り向く。ギクリとした。
『おとなしく待っておるのだぞ?』
ね、念話か……。
――分かった。いってらっしゃい。
『うむ』
満足そうに飛び立った銀竜に、今まで待機していたらしい黒と紺の竜が追従して飛び去って行く。
たぶん竜にそのままなったら服を破くから脱いだんだと思うが……律儀だなと思いつつ、ずっと人間の少女の姿で接していたので、彼女は竜なんだなと改めて実感した。
何にしても、ちょっと寂しいね。
◇
銀竜がいない間、俺の方もいくつか山を下りる準備をしておくことにする。
少し冷えてしまったコーヒーを飲みつつ、まずはスキル画面を表示させる。
《物理耐性LV2》のボタンを見つめる。例によって2個塗りつぶされたゲージが出てくるだけかと思いきや、ウインドウは拡張されていた。お。
「説明:物理攻撃耐性を上げる」
って、それだけかいっ。習得するときに表示されていた説明と大して変わんないじゃん。
簡潔すぎる説明にずるっときつつ、まさかなと思ったら他のスキルの説明も同様の有様のようで、落胆した。
数値的な説明や制限時間の表示など、具体的な情報は一切出ないようだ。《鑑定》をLV10にしてみたが、特に変化はない。
ひとまず、習得していた《物理耐性 LV2》《魔法耐性LV2》《精神耐性LV5》をすべてMAXのLV10にした。死にたくないからね。
クライシスと仕様が同じなら、LV10で物理と魔法耐性が「+20%」、精神耐性が「+30%」になるんだろうけど。
《爆発耐性》もLV10にしたが、こっちはクライシスになかったので内部的な仕様は不明だ。説明文では「爆発への耐性を上げる」と相変わらず無難な文章が書かれている。
装備で耐性面が上げられるなら、スキルの抵抗値はあまり期待できない可能性もある。うーん……。
《攻撃予測》もLV10にしておく。実際に俺の体を動かす以上、これは確実に効果はあるだろうけど、具体的にどうなるのかは不明。なんだろうね。
特に何もしていないんだが、いつの間にか、各防御魔法の持続時間と消費魔力量が表示されていた。これこれ。これが欲しかったのよ。
消費魔力量は《
効果時間は《盾》と《結界》が約6時間、《識者の哲理》が約12時間らしい。銀竜が言っていた時間はもう少し短かったと思うが、長い分には問題ない。解除の仕方も分かるしね。
でも防御だけじゃなぁ。攻撃魔法欲しいなぁ。
鞄が目に入ったので、なんとはなしにインベントリを漁り、上級ポーションを取り出してみる。
うん。グラフィック通り、液体の入ったフラスコだ。赤い液体の中心部が淡く光っていて、魔法薬らしい神秘を秘めた感じがある。
重さがほとんどないのが不思議だ。フラスコ自体も小屋にあるフラスコよりもモノがいいようで、フラスコは側面を平らにしてあり、分厚く、そしてきちんと透き通っている。
裏には針葉樹の葉のマークがあった。ゲームではポーションの裏側なんて分からない。ポーションかフラスコの製作会社のマークか何かだと思うが、クライシスではもちろん分からなかった情報だ。……いや、あったな。ポーションを作ってる団体関係のクエスト。でも覚えてない。レベル100くらいの時にやったクエストだったかなぁ。
ポーションの情報ウインドウの説明欄には「50,000G」と出ていた。クライシスでは上級ポーションは10,000Gだった。
《鑑定》をLV10にしたことで、物の価格が見えるようになった感じだろうか。そう思って、周辺のものを手に取ってみたが、ウインドウは出ず、視界に特に変化はなかった。
価値が分かるのは俺のインベントリ内のアイテム、つまりクライシス産のアイテムに限るらしい。
それじゃあ微妙なんじゃないかと思いつつ、金の単位がクライシス通りの「
《土地勘》もLV10にしたのだが、マップには特に変化はないようだ。そのうち分かるだろう。
《言語翻訳》の方はLV5のままにしておいた。この世界にまつわることでは自分に不安要素が多すぎるので、気持ちが追い付かないからだ。
旅慣れた人。言語が達者な聡明な人。第一印象でのそんなプレッシャーはちょっと今の俺には敷居が高い。適宜説明を聞くためにもある程度ビギナー感は出しておきたい。戦闘にはそんなに影響ないだろうし必要があったら振ろうと思う。
《自己状態》は……なんだろうか。
一応、見つめたり念じてみる。何も起こらない。レベルを上げられるようなのでLV10にしてみる。
すると、懐かしいクライシスのウインドウが出てきた。
==========
ダイチ・タナカ(田中大地) / LV280
種族 / ホムンクルス
称号 / -
HP 12653 / 12653
MP 5478 / 5478
STR(力) 1400
VIT(健康) 1400
AGI(敏捷) 1400
INT(知識) 1400
DEX(命中) 1400
LUK(運) 1400
状態異常抵抗:0%
精神抵抗:-20%
属性抵抗:火0% 水0% 風0% 土0% 神聖0%
==========
察するに、《自己状態》のレベルをあげないと、自分のステータスないし状態が分からないというわけらしい。
ゲームだとあり得ない仕様だが、リアルと言えばリアルだ。なぜなら「スキルレベルを上げる」という行為は、教養を得るなど勉強することや修練することに該当するだろうから。
今でこそ才能は誰にでもあるだなんて甘言を世の中は嘯いているが、自分という者、内面を知ろうとしない者、教養を得る機会のなかった者は、いつまでも自分が見えてこないとは昔の識者たちが常に書き記していたことだ。俺の場合はその努力の過程がどういうわけかすっとばされているけども。
というか、名前本名なんだな。まぁいまさらだし別にいいけどさ。
外観はクライシスのままなんだが、ステータスウインドウの情報は色々と省かれているようだ。別タブで表記されていた情報も見ることができない。
つまり、攻撃力、防御力、攻撃速度、詠唱速度、クリティカル率、MP/FP回復力などといった数値情報をはじめ、生活関係のステータスや名声値、プレイ時間や総モンスターの討伐数などのカウントなどの情報も見れないようだ。
横にくっついていた装備欄もない。念じてみたが出てこなかった。この世界仕様に改変されてるらしい。ゲーム的に言うなら改悪だろうけど。
ステータスが全て1400になっている詳細はなんとなく分かった。
クライシスではレベルアップにより5ポイントのステータスポイントが割り振られた。
ただし、ナイトやパラディンなら、レベルアップ時にSTRに自動的に+1、ウィザード系であればINTに+1、アーチャーやガンナーであればDEXに+1と、職業により5ポイントの内1ポイントが自動的に割り振られる仕様になっている。
後のアプデで出てきた一部の職はこれに該当しないが、つまり1400は、レベル280分の5ポイントを全て均等に割り振った形だ。
LV1時の初期ステの分が加算されてはいないようだが、誰もが一度は考える理想的かつ子供じみた“クソステ”だ。職業ごとに設定されている初期ステも加味されていないしね。
なんでこういうステ振りになっているのかは不明だが……これも分かると言えば分かる。
インベントリの内容から、アカウントデータ、つまり俺のサブキャラのデータも取りこまれていることは分かっている。
俺はナイトだったり、ウィザードだったり、初期の頃の+1ステが自動的に付与されるキャラは全て作ってあり、どれもレベルは300を超えている。例えばもし、サブキャラでナイトを作っていなかったら、STRのステは1400になっていないんじゃないかと思う。
なんだろうね。
スキルポイントも1400だという適当感もあるし、ステータスが全部1400にしてもちょっとバグっぽい感がある。素手で銀竜の物理バリアを破るのもおかしいようだし、俺は既に「データ上の限界」みたいなものに達しているのかもしれない。
これ以上になると、星や月を破壊できてしまうとか? だったら少し面白い。……いや、面白くないし、しないけどさ。
LUKが1400あるのは、狩りのレア品ドロップ率が運ステに反映されるので個人的に嬉しかったりするが、この世界で有効活用できるのかは全く分からない。宝くじ的なものがあり、即1等が引けるなら納得がしやすいところだ。
でも、LUKは戦闘にも結構影響があるステだ。レベルが上がるにつれて、相手の攻撃を最大限回避しようとする場合、AGIよりもむしろLUKステの影響が大きくなってくるからだ。
《投擲》が100%当たっていたのは間違いなくDEX値の恩恵にあずかってはいるだろうけど、回避の恩恵はLUKが強そうか? ……一周回ってスローモーション化に?
……ダメだ。分からないことだらけだ。ネットで攻略サイトの解答を見られるでもなし、考えるだけ時間の浪費になりそうだ。
いずれにしても、どの道銀竜戦で吹き飛ばされた例があるし、いくらステータスが高かろうが命を脅かされる危険性はいくらでもありそうなので、過信はしないでおこう。さすがに心臓を貫かれたり、首を切られたら死ぬだろうし。
基本ステータスの下の項目で、精神耐性が「-20%」、状態異常耐性と属性抵抗が「0%」になっているのが気になる。
スキルレベルを上げる前に確認しておけばよかったが、仕様通りなら《精神耐性》はLV10にして+30%になっているはずなので、俺はデフォで「-50%」だったということになる。数値の上でも、ホムンクルスはほんとに精神耐性低いらしい。ガバガバすぎる。
「能力ダウン抵抗」がないが……状態異常抵抗と統合されているのかな? 「呪詛抵抗」も精神抵抗に書き換わっているようだし。状態異常も早めにどうにかしたいところではある。
極端な話、基本ステータスも確かに大事なんだが、 いくらレベルが高くても、例えば一定時間動けなくする
これをリアルに持ち込むなら拷問だ。そんな状況には追い込まれたくない。
毒も怖い。毒が割合ダメージだったらもう目も当てられない。HPがいくらあろうがHPはごりごり減るし、そのHP減少に伴う痛みときたら……ぞっとする。
にしても。ステータスは分かったが……いくらゲーム的な要素があると言っても、俺は確実に俺だ。
見知らぬ世界であれど、俺は呼吸をし、銀竜の体温を感じ、眠り、喉が渇きと、生きている。ウインドウだったり、インベントリだったり、ゲーム的な要素の数々はどちらかというと副次的なものだ。
ここはリアル寄りの世界なのか、ゲーム寄りの世界なのか。VR的世界という方がいいのか?
俺を転生させたティアン・メグリンドの意図も分からない。一体全体どうしろっていうんだろうね。一応メイホー村とかその辺歩き回ってはみるけどさ。
他にもメールボックスとか、運営からのお知らせとか、チャットとか、ギルドとか、システムとか。おなじみのものを色々と念じてみたが何も出てこなかった。
システムウインドウが出て、ログアウトが出来たりしたら、俺はパソコンの前で多分盛大に笑ってた。よくできた夢だったと。
そしてきっと銀竜という態度はでかいが可愛らしくもある竜の少女にもう会えないことを少なからず惜しんだんだろうと思う。
・
ひとまずウインドウ関係は思いつく範囲で見るべきところは見終えた感があったので、鞄から10,000Gを取り出してみる。
銀貨が1枚出てきた。んん。桁を上げ下げして出して、机に並べてみる。
1億G …… 金のインゴット10個
1,000万G …… 金のインゴット1個
100万G …… 金貨10枚
50万G …… 金貨5枚
10万G …… 金貨1枚
5万G …… 銀貨5枚
1万G …… 銀貨1枚
5,000G …… 銀銅貨5枚
1,000G …… 銀銅貨1枚
500G …… 銅貨5枚
100G …… 銅貨1枚
50G …… 小銅貨5枚
10G …… 小銅貨1枚
1G …… 鉄貨1枚
貨幣価値はこんな感じらしい。インゴットなんて初めて持ったけど意外と重くないんだな。
このお金が使えるのが前提条件だけど……1000万Gが金のインゴットで出されるなら、ひとまずお金の心配はしなくてよさそうだ。5兆Gとかあるしね。
ちなみに5兆Gはクライシス感覚で言うと、メイン装備の買い物をすれば普通に千億単位で飛ぶのがザラなので、実はそこまで金持ち扱いにはならない。アプデで良装備の内容はこまごまと変化していくしね。
金持ち廃人のガブなんかはもう一つ二つ桁が違うという噂があったが、そんなガブでさえも金欠だとよく口にしていたくらいだ。
各硬貨には偉人や王様の横顔とかはなかったが、銀貨にはフレームレリーフ、金貨にはそれプラス線対称の月桂冠めいた草が刻まれていた。銀銅貨は縁が銀色になっている銅貨で、小銅貨は、銅貨よりも薄くて形が不揃いだ。 鉄貨は小さく文字が刻まれてある以外何もない。
ゲーム内ではそういうややこしい要素はないが、この貨幣はどこの国のだろうな。この辺りで使えるんだろうか……。
それにしても魔物のいる世界だし、保管方法の方が心配になる。金庫的なものがあったとしても、魔法でどうにでもなりそうだしね。
そもそもこの鞄、確かに物理法則無視して色々と収納できるけど、鞄自体は普通のものだ。紐が切れて、失くすなんてことは普通にあり得る。
どうしたものだろうね。信頼できる人に預けるにも人脈0だし、まだ人に会ってないしなんともいえないけど、この大金がそのまま使えるなら、金銭方面では基本的に人は信頼できないと考えていい。俺も無知であるがためにその人をさほど怒れないに違いない。絶好のカモだ。
さっさと屋敷か何かを購入して信用できる使用人雇って保管庫を作るなり、銀竜が言っていた空間魔法の《収納》を習得してしまうなり。保管方法を考えなきゃいけない。
ひとまずお金のことはいろんな人から情報を得つつ、考えていこう。あまり目立つのも嫌だから、そこのところを加味するとちょっと大変そうだ。
そういえば、この出した硬貨とインゴット、鞄に戻したらどうなるのだろう。
インベントリを見ながらインゴットを鞄に戻してみる。1000万G増えた。今度は「鞄に入れない」と念じながらインゴットを鞄に入れてみる。すると、インベントリの金は増えず、鞄に金塊の重みが加わった。
よかった。ちゃんと使い分けができるらしい。
とりあえず机に広げたお金をしまいつつ、金貨以外の硬貨を5枚ずつくらいは持っておきたいので、鞄にそのまま入れると念じつつ鞄にしまってみる。きちんと鞄の底にあった。OK。
あとは……ティアン・メグリンドに手紙かな。といっても、俺はこの世界の文字が書けないことにすぐに気付いた。
机に向かう。気づかなかったが、羽は羽ペンだった。
羽ペンは、中が空洞で、硬いストローのようになっていた。本物の鳥の羽だよな? 羽なんて大人になってからはまじまじと見てないので構造が興味深い。
先は尖り、万年筆のように切り込みが入っている。反対側は削られている。少し考えたら理解した。ようは表面張力的な力を使って、インク溜まりを内部に作るのだろう。こういう仕組みになってたのか……。
掌に書いてみる。うん、書けない。先は黒ずんでるけど、乾いてるしな。
傍には、台座に置かれた、逆さまにして中をくり抜いた動物の角がある。角の内部は黒ずんでいて、中にインクが入っていたことをうかがわせた。もう一方の美しい石膏色の小さい香炉のようなものには、穴が複数開いている。黒い染みもあるし、羽ペンを立てるのだろう。
インクはどこだろうと探してみたら、引きだしの中にインクの入った小さな壺や新しい羽ペンの入った木の筆箱があったのだが、それよりも手鏡があったので、つい見てみる。
映ったのは、……幼い俺の顔だった。頭上に称号名とかはない。
髪が少し長い。卒アルも写真も持ってないけど、高校生くらいの頃だろうか。
それにしても表情が硬い。ニッと、営業スマイルを作ってみた。うーん……だいぶぎこちない。
引きこもりしてたら難しい顔にもなるよな。ただ引きこもっていたわけではなく、色々悩んでた時期でもあったし。少し意識したら彼女の一人くらい作れただろうに。……いやまあ、ネットサーフィンしたり文章書いたり音楽聴いたりゲームばっかりのどインドアやってたから無理か。
彼女か……。どんな女性がいるのかは気になるけども。
中世の世界観で女に入れ込んだりするのは……軽率になるか。権力も知識もないのではろくなことにならないだろう。
最悪のケースは相手が貴族や賊の愛人とかだった場合だ。ひっ捕らえられて奴隷にされたり、娼館送りにされたり、乱闘騒ぎのややこしいことになるやつ。
今の俺ならすぐに逃げおおせるだろうけど、そういうことじゃないし、銀竜もいる。
文明レベル的に病気も懸念事項だ。スキルには《健康体》というものがあるが……銀竜に勝てるレベルの強さがそのまま病気にも強いと言うには、あまりにも情報が足りない。
精神的に若いというなら、性欲とかのその辺も若いかもしれない。惚れっぽいだろうし、落ち着くまではマジで気をつけとこ……。
釘を打たれた気分でため息を一つ。髪をかきあげてみた。
まだ少なめだったが、白髪は当たり前だがない。いいね、若いって。
おでこにも思春期特有の出来物の類はなく、肌も綺麗なものだ。化粧水とか使い始めたのはこの頃だったか?
バンドマンの仲良い友人もいた影響もあってか銀髪になっていた時期もあったので、しっかり黒髪なことに少々ほっとする。といっても。銀竜が銀髪なので並んでも違和感なさそうだ。
それにしてもきちんと人間の、それも自分の顔であることに安心した。体は見ていて人間であることは判明していたとはいえ、別人の顔をしていたり、銀竜の存在があるので亜人である可能性はあったからね。
ほっとしつつ、インクと一緒に数枚の黄ばんだ紙があったので、一枚取り出して書いてみる。羽ペンの書き味は割と悪くない。うん。普通に日本語になった。これじゃダメだよな?
どうしたものかなと本棚をざっと見る。《言語翻訳LV5》の能力で翻訳された日本語がずらりと並んでいる。このスキル、ON/OFFできたらいいのに。
そう考えていたら、急に本の見出しが翻訳前に見た謎の言語になる。
お? ON、OFFと繰り返して念じてみる。スキルの《言語翻訳LV5》のバナーを見てみたら、小さく表示された別のゲージがON、OFFの度に赤とグレーに変わっていた。いつの間に。
棚の下の方にあった「コロニオ紀行」とついた本を開く。聞いたことのない地名だ。どこぞの商人が書いたものらしい。
目次に服装についての見出しがあったので読んでみる。
“コロニオで吹く風は塩気を含み、金属には錆を早めるが、さっぱりとした心地よさを与えてくれる。住人はみんな薄手の服を着、蜜蝋を塗った革靴で軽快にステップを踏んだりしながら、表情豊かに日々を過ごしている”
コロニオ公国とは、海の近くの国であるらしい。別にないとは思っていないが、海もしっかりあるようだ。
他の文章も軽く読みつつ、言語翻訳のONとOFFを繰り返して文字を把握していきながら、紙に羽ペンを走らせる。
私は服と靴を借りた、という意味らしい言葉を書いた。
名前を入れるのはなんとなく控えた。ティアン・メグリンドなら生まれたホムンクルスがおそらく書いたのだろうと分かるだろうし、もし彼女以外の人間が来た場合、名前を知られるのをちょっと懸念したからだ。
第一、これからメイホー村に行くし。会えなかったら会えなかったで、服や靴を返すだけだ。ホムンクルス造るくらいだから家には使用人とかいるだろう、きっと。
あとは何かすることがあるだろうか?
ひとまずコロニオ紀行を置く。魔法関係の本でもちょっと読もうか? と本棚を眺めていたところ、遠方からズシンと地響きが伝わってくる。玄関を開けたら草原のところで3匹のドラゴンがいるのが見えた。帰ってきたらしい。
家から変身を見守る。
銀竜はするするとサイズが小さくなり、光りだしたかと思うと、少女形態になった。相変わらずファンタジーな光景だ……。
銀竜は再度「黒い手鏡」を出現させて服を中から取り出し、着替えをすますと、手を振りながら駆けてくる。無邪気だ。俺も手を振り返した。
やってきた銀竜は首から巾着袋を提げていて、足元には革靴を履いてきていた。青色の革靴、というかパンプスはエナメル仕上げで、あじさいに似た細かい白い花が足の甲を覆うベルトの隅についている。ヒールはないタイプだが、明らかに俺の履いているサンダルよりも高そうだ。
それにしても家の外に出てスキルの確認をするときには気にするなと言って裸足のままだったが、この後人里に降りることを一応気にしてくれていたらしい。
「なにもなかったかの?」
「特にはね。早かったね。何しにいってたの?」
そう聞くと、これを取りになと、銀竜は首から提げている巾着袋をテーブルの上に置いた。中にはネックレスが2つと、金貨が4枚、銀貨が5枚、銀銅貨が5枚入っていた。
硬貨は俺の出したものと一緒のようだ。ということは使えるわけね。えーと、金貨は1枚で10万Gだっけ。……50万Gくらいあるのか。
ネックレスは小さな牙がペンダントトップになっている。牙には、六角形の模様が小さく彫られていた。
「なんだい? これ」
「これはの、少し古いのだが、銀竜信仰の証のネックレスだ。別にこれがなくとも村には入れるとは思うのだが、大半の者が何かしらの銀竜信仰の証を身に着けておる。ま、変な因縁つけられんようにな」
「なるほど」
「ちなみにこの牙はただの狼の牙でな。防御効果とかはないので期待などせんように」
信仰にかこつけたおみやげグッズ的なものね。
「あと金だな。金持っておらんだろうと思ってな。これは私の祠に奉納されてる金の一部だが、私は使わんからの」
「なんか悪いね」
「気にするでない!」
実は金は有り余るほど持っているが、折角持ってきてくれたので伏せた。足りなくなったら実はそこそこ持っていると言って少額出せばいいだろう。
奉納されたお金を使うのは多少心が痛むところがあるが、実際にもらっている本人がいいと言ってるならいいんだろう。というかあれだ、神が直々に出てきてる状況だよな? 面白い状況だな~。
いざとなったら俺のお金から出せばいいし。とりあえずお金は魔法の鞄に巾着袋のまま入れといた。
「では行くかの。準備はできたのか?」
「だいたいね。というか手持ちは何にも持ってないんだけどね」
魔法の鞄には色々とあるんだけども。
まあそうだの、と何が嬉しいのかニッコリする銀竜についていって、俺は生まれた家を後にした。
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