2-8 コルヴァンの風


 服屋がヴァイン亭のすぐ近くにあるのは知っていたので、予定通り俺たちは「コルヴァンの風」という名前の服屋に向かう。


 コルヴァンの風はヴァイン亭ほど広い敷地ではないが、石塀、家の外壁、玄関口の石段と、ここも外観がかなり整えられている店だ。

 門柱にあたる塀の上に六角形に削った石があるのも同様だが、特別綺麗に磨かれているように見える。信仰心が厚い人が店主なのだろう。


「おやおや。小柄な方々、いらっしゃい。何をお探しかな」


 ミュイという名前らしい44歳の店主は長身体躯でちょび髭の男性だ。

 彼は品があり、教養のありそうなほっそりとした顔をしている。メイホー村ではあまり見ない珍しい顔だ。

 メイホーの村人は田舎らしいというか、垢抜けないというか、顎に頬にと髭があり、剃っている人の方が珍しいくらいなのだが、多少の剃り残しはあるもののミュイさんはちょび髭のみを残してしっかり剃っている。


 彼はまた、麻色のチュニックシャツに茶色のズボンというここではありふれた服装だが、よく見ると違う。


 上下ともに色の暗さ、毛玉、色落ち、染み、当て布、何かの切り傷など、村の中や食堂の中で見かけた服装におけるみすぼらしさの要因が一切ないのだった。

 生地の質については正直よく分からないが、清潔にしている生地であるのは確かで、特に汚れてもいない。

 さらにはチュニックシャツの袖と裾には金色の帯の刺繍があり、ズボンも薄い市松模様があしらわれていた。

 模様や刺繍のついた服を着ている村人はあまりいない。まあ、仕事で汚れるのが分かっているのに着る人もいないだろうというのは察するところではある。


 店内の半分のスペースでそのどぎついセンスを堂々とお披露目してくれているちょっと顔をしかめそうになる服の数々――スイカを腰の部分でしぼったような色合いの肩が膨らんだシャツと繋がったスカートとか、フルール・ド・リスめいたアイコンがちりばめられた水色のチュニックとか、レモンイエローのロングタイツとか……――からすれば、彼のセンスは控えめだ。

 逆にもう半分の庶民服ブースらしきスペースのラインナップは地味の一言なので、ミュイさんの服装はちょうど中間のセンスにあたる。

 スラっとしてもいるので着こなしている印象もある。要するに彼の風貌は、服屋として洗練されていた。村人たちの服装と比較すると少々浮いているきらいもあるが、それならミラーさんやガンリルさんの方が上だ。


 そんなミュイさんの手首には例によって六角形の石のついたブレスレットがあり、やはり銀竜教の信者であるらしい。イン人気だな。


 後で聞いたのだけど、店の名前の通りミュイさんは王都からだいぶ東に行ったところにある「コルヴァン」という港町出身の人らしい。

 コルヴァンの海から吹いてくる潮風は何度体験しても、どんな場所で吹く風よりも心地がいい、とのことだ。いいよね、海の風。


「まずざっとお店の中のものを見せてもらってもいいですか?」


 派手な中世貴族の服はともかく。俺は特別オシャレなわけではないが、服を選ぶ時はスーツ以外、基本的に店員と喋らない派だ。

 なので、見せてもらいたいというのはミュイさん同伴ではなく俺たち個人で服を見て回りたいという意味だったのだが、それはこの人に通用しなかった。


「――そうそう、あなた様にはこのベストなどお似合いかと思います。これはですね、稀代の染色師であるマリ・フーリッヒ氏の染色と、ペクチェ・バラジュ女史の正統派オルフェ式刺繍の腕がコンビを組んだ絶品のベストなんです。――10年以上も前からお二人は親交があったそうなのですが、なかなかどうして……職人というのは馬が合わないのが常なのか、はたまた天才というのは天才同士邂逅しない悲運の星の元にあるのか……タッグを組んだことは一度もなかったんですよ。ケプラのアングラットン市長も度々二人の作品を見てみたいと口に出されていたというのに。……はあ、ラポントン家のシルクワームの光沢といい手触りといい……いつ見ても素晴らしいベストです」


 知らない固有名詞を存分にちりばめつつ絶賛されたベストは、深い緑の光沢のある布地に、赤や黄色の草花のワンポイントの刺繍が全体にちりばめられたものだった。

 シルクワームという名前も出てきたし、ようは絹織物らしい。

 あまり服飾に詳しいわけではないけど、物はいいと思う。刺繍も細部まで縫われていて出来には普通に感心した。現代でも、欧州の地方都市の祭事かなにかでワンチャン着られそうな服だ。

 でも祭事でもないのに着るにはちょっと派手だ。センスも正直、あまり……。これを着ている人でごったかえしている賑やかな場所ならともかく。


「これもセットで被るのですよ」


 そうして少年と少女相手に下出に出るのも厭わずにニコニコしているミュイさんの手にあったのは、右半分が赤で、左半分が深い緑色で綺麗に色分けされたつば付きの帽子だ。


 サイドには大きくて立派な白い鳥の羽がついている。

 吟遊詩人とかが被っている羽付き帽子というやつらしいが……頭が痛くなってきた。ゲーム内で装備としてあるなら、AGI系統の数値が上がったりする有難い装備の類だろうけども。

 ちらりと貴族服ブースを見た。……別の羽付き帽子があった。黒と橙の2色展開の帽子に2本羽がついている。


 ともかく、このまま喋らせておくと素材から仕入先まで一つ一つ丁寧に説明されそうな上、俺の好みはガン無視されそうだったので、まずは流行の傾向を俺の方から軽く聞いたりして、なんとか主導権を握った。

 宿では色々大変な目に会ったので服くらい好みで選ばせてください。お願いします。


 流行のカラーは赤と濃緑らしく、ミュイさんが触れていたように、ベストに家紋や模様などの刺繍を施すのがここオルフェでは流行っているらしい。

 確かにそういう色の服やベストは多いし、家紋はさすがに分からないが刺繍はある。

 ただそのブームは貴族たちだけが嗜んでいるようだ。

 というのも、察していたが、店内は庶民用、貴族用とブースがはっきり分かれ、貴族用ブースには派手な衣類や帽子がまとまっている一方で、庶民用は男性は主にチュニックとズボンだけ、女性用はワンピースだけで、さらに麻色や茶や草色などの地味か淡い色合いのものばかりだったからだ。もちろん刺繍なんてものはない。

 刺繍自体のセンスは悪くないし、許容できるオシャレポイントの一つでもあるのでちょっと念入りに“控えめに”刺繍の入った庶民服とか探したんだが一つもなかった。

 庶民にオシャレは無用というやつらしい。悲しい。


 金はある。でも、特に貴族ぶりたいわけではない。貴族用の服のセンスも微妙だし、村の人たちと足並みを揃えたいだけだしで、俺の中で迷うことは特にない。

 こうやって比較されると、できるだけいいものを購入したくなる気分にもなるけど……。


 俺の庶民服でいい、地味なものでいい宣言にミュイさんは「はあぁぁ……そうですか……」と、一着くらい派手なのを買ってあげようかと考えがよぎるほど絶望的に残念がったが、俺は庶民用ブースから、サイズの合うものや動きやすいものを探すことにした。


 チュニックをベルトで締めたり、服の袖がふくらんでいたり。ひとまず村の中でもよく見た中世的な特徴は置いておくとして。


 庶民ブースの服の質はティアン・メグリンドの小屋で見た服と同じく、縫い目が均等でない箇所があったり、ほつれがあったり、正直うーんという感じのものがちらほらあった。

 一つ一つ手作業なんだろうと察するところで、さすがに貴族用の方はその辺は全く問題がない。センスはともかく裁縫の技術は現代と遜色ないと言ってもいい。手縫いなんだろうけど、ミシンは偉大だなと思ったりもする。


 仮に庶民用でもっといい服を購入しようとしたらどうすればいいですか? と訊いてみれば、ケプラの本店に頼めば、庶民用ばかりを手がけているちょっと変わってはいるが腕のいい職人がいるためさらに良いものを作れるらしい。

 どこの世界にも庶民派の情け深い人はいるようだ。


 庶民用の衣類を購入することにした俺たちだったが、ミュイさんはなんだかんだ真面目に話を聞いてくれた。

 俺たちはチュニックシャツ4着と綿ズボン3着、ベスト1着と、貴族用の中でも一番地味なベストを一応1着、靴下を4足にローカットのブーツを1足、インがワンピース3着に靴下4足、動きやすいのも欲しいとのことなのでチュニックシャツとズボンを2着買った。

 携帯品入れや剣帯なんかの革製品の類は、ヴァンクリフさんとヴェラルドさんの店で購入するらしい。

 彼らはやはり兄弟だったようだ。兄弟は基本的に注文を受けてから作るので、すぐに欲しいならケプラで購入するのがおすすめとのこと。


 ついというか、かなりの数の衣類を買うことになったのでミュイさんは驚いていたが、俺たちの素性については詮索はしてこなかった。

 最初は彼の衒学的な態度――俺たちが世間を知らなすぎるのもあるんだろうけど――にだいぶげんなりしたが、人はできているらしい。安心できるってものだね。


 あらかた選び終えてから、インベントリの余裕があまりないことを思い出した。

 紐で複数しばったりすればインベントリ1個分になってくれと願いつつ、タコ糸と大きめのリュックもあったので購入した。

 麻製の茶色いリュックはポケットも十分にあり、割と普通のリュックだった。旅路には機能性が重要っていうのは共通認識であるようだ。


 インは服については当初1着あればいいと言ったが、さっきの肉汁のこともあるし汚れることもあるだろうと伝えたら、それもそうかと納得していた。

 衛生観念の差か、人化は久しぶりで習慣化してないからか、それとも人化による例えば汗とかの老廃物が出ないとかのなにがしかの影響なのか。

 どちらにせよ、今着ているのはティアン・メグリンドから借りているものなので、いずれ返さなきゃいけないんだよね。


>称号「返礼人」を獲得しました。


 あとこれは驚いたのだが、下着は男も女も基本的につけないらしい……。


 ティアン・メグリンドの小屋にはあったぞと思い、貴族の人で着る人もいるのではと訊ねてみると、「寒冷地に住む方や一部の貴族の方が着られますね。ちなみに市場でも売られていますよ」とのこと。


 ティアン・メグリンドはどこ出身だろうね?


 市場は野菜や果物を売っている場所、つまり川の字の三画目にあたる通りにあり、そこでは下着をはじめこまごまとした生活用品を売っているお店が並んでいるとのこと。

 なんでも一部の庶民や商人でも、単に金銭苦だったり、付近に水場がなく、服を頻繁には洗えないことを理由に下着を着るらしい。

 洗濯ができないならむしろ下着をつけない方がいいようにも一瞬思ったのだけど、服にせよズボンにせよ、衣服の方が下着よりもずっと高いので、糞尿により衣服を汚さないために着るらしい。


「ただ、市場では売っている者が貧しく、あまり身綺麗な者でもなくてですねぇ。こうしてケプラから取り寄せた服を売っている身からしてみれば、売られている品々も決しておすすめできるものではないのです」


 貧しいってスラム的な場所か……?


「そこの下着は衛生面や質的によくないと?」

「そ、そうです。利用者は……なかなか多いようなのですが……はは……」


 皮肉っぽく口角をあげていくらか煙たがったミュイさんの態度に、《威圧感プレッシャー》が出てしまったらしい。表情を緩ませる。

 ダメだな、インの言ってたように奴隷がいるような世界なんだから慣れないと。貧民街なんて現代でもあるだろうに。ミュイさんもこの分だと悪気は間違いなくないだろう。


 なんにせよ下着類はまともなのを着ておきたかったので、ミュイさんのすすめのままに、ここにある高価な下着を購入することにした。

 下着類は隅の方のタンスに入れてあった。

 タンスの中では緩衝材か何かの上に綺麗なハンカチが敷かれ、その上に下着が1枚1枚丁寧に平置きされていたのには内心で少し笑ってしまった。

 ちなみに下着を除く店内の商品は全てテーブルの上に平置きか、ベニヤ板で緩い斜面を作った木箱に置く形で披露されている。在庫はタンスや店の奥に置いてある。

 それもこれもハンガーがないためと察するところで、場所を多く取ってしまう原始的な置き方とも言えるが、高級な服屋に着た気分にもならなくもないので置き方って大事だなと変なところで興味深かった。そういえばブランド店ではこんな感じで一枚一枚置いてたりするっけね。


 それはともかく下着は男性用は小屋にあったものと同じで短いトランクスといったものと、かぼちゃパンツめいた妙に分厚い布地のものがあった。女性用も小屋にあったもの、つまり現代と同じ形の二等辺三角形のものと、男性用と同じでかぼちゃパンツがあった。

 色は男性女性どちらも白だが、女性の下着は枝葉の刺繍があった。分厚いのは寒冷地の人が購入するのはもちろん、オルフェの人たちも冬には履くんだとか。


 あと、ブラジャーなんてものはなく、形状とか多少違う部分はあるがキャミソールがあるのは女史のタンス事情と同じだった。

 下着と同様にここの女性たちはまず買わないらしく、メイホーにふらりと訪れた裕福な人や貴族夫人などが買っていくのだそう。


 下着は基本売れないものらしいが、分厚くない方は現代のものに近くサラッとした生地で下着として悪くないと思う。数もあったのでほっとした。というか、上手い具合に店の下着を買うよう誘導された気もしたが、まあ……あまり気にしないことにした。

 目の前にパンツがあり、買えもするのに、現代で養われた衛生観念と羞恥心をどうにかしようとする根気はさすがに持てなかった。

 タオルの有無もダメもとで聞いてみたら、ミュイさん個人で買って使っていない余りものが2枚あって、よければ無料で譲るとのことだったのでもらった。


 それからこだわりがないのであれば、銀竜信仰のネックレスを新調してみてはどうか薦められる。


 薦められたネックレスは、平たくした六角形の白い石に小さな“つまみ”をつくって針金を巻き、そこに紐が通されているというシンプルな作りだ。別にみすぼらしい恰好はしていないし、まあ身に着けるなら確実に牙よりも図形だ。

 一応インに訊いてみたところ、『別に気にするでない。やったネックレスはあくまでもお主の滞在を滞りなくするためのものだし、何の付加効果もないしの』とのこと。

 二人分買ってインにもすぐにつけてやり、牙の方はお守りにして持っておくよというと、別に不機嫌だったわけではないが、ほんのり機嫌をよくしたようだ。


 靴だけは履き替え、買ったものを宿に送ってもらうことにして店から出ようとしたところ、「もし靴に興味があるのでしたら、ケプラの本店にも是非」とのこと。ヒルデさんもそうだが、ここの商人はみんな商魂が激しい。


 理由を聞いたら、インの履いてる青い靴がケプラにある本店の高いものだったらしい。

 値段を聞いてみれば40,000Gだった。ヴァイン亭が一泊700Gだったのを考えると、だいぶ高い。一応捧げもの的なものだったんだっけそれ。

 インの靴はもう泥土でいくらか汚れてしまっていた。高いことを知った今では、もったいない感じがある。今度《水射ウォーター》で洗わせよう。


 ちなみに俺の買ったローカットブーツは1,000Gだ。1,000Gだからって馬鹿にしちゃいけない。他のが木靴で履き心地悪そうだったり、先がとんがったりしていて見た目がいまいちだったのもあるけど、現代でも全然履ける……と思う。

 俺は機能性重視だから値段なんて別に気にしない。気にしないぞ。


 ちなみに一番安いブーツがどんなものかというと、「草履と紐付きの皮」だった。草履は履き、革は足首に巻く。

 それブーツなのかよ……と内心でツッコんだのは言うまでもない。ミュイさんもちょっと苦笑いしていた。

 彼のその辺の感覚は俺と同じようで安心したものだが、すぐに壊されたり汚されたりしてしまう子供用と考えるなら捨てたものではないらしい。なるほどと思った。

 もしちゃんとした靴が欲しいのなら、ケプラにある本店の仕入れ先の靴屋で相談してくれとのことだった。本店は兄がやっているらしい。


 店を出ようとしたところで、ちょっと待っててくださいと言って店の奥に行くミュイさん。

 忙しない奴だのと肩をすくめたインに同意しつつ入り口で待っていると、


「これは売り物でもないのですが」


 と、ミュイさんは俺にサクランボのように小さな果実が紐で二つ下がったものを渡した。果実は木製のボタンのようなもので、それぞれの表面にクジラのヒレのようなものと波っぽいものが彫られている。


「もし本店に行くことがあれば、これを兄に見せてあげてください。歓待を受けることができますよ」


 歓待ね。お得意様ですよ印かな。意匠のヒレについて気になったので訊ねてみる。


「はは、ヒレに見えてくれましたか。これは私の故郷にいるコルヴァンイルカのものです。私と兄は子供の頃はコルヴァンイルカとよく遊んでいたものでしてね。お得意さんに時々お渡ししてるんですよ。ちなみにもう一つは波のシンボルですよ」


 出来はまあ、子供が作るのと大差ないんですが、と苦笑するミュイさん。確かにさほどすごい彫り物ではない。けど、こういうのは嫌いじゃない。観察していると、ミュイさんはちょっと恥ずかしそうにしていた。


「コルヴァンイルカって気軽に触れ合えたりするのですか?」

「ええ、もちろんです! ただ、まあ、気難しい子もいるので、普段触り慣れている方に紹介してもらうことになるでしょうけどね」


 そう語るミュイさんがいくらか若返ったように見えたのは気のせいじゃないだろう。普段触り慣れている方とは、漁師や海女、自分たちのようによく海で遊んでいた子供とからしい。


 イルカか~。乗れたりしたらいいねぇ。


 イン曰く、海は青竜の領域らしく、「イルカと呑気に遊んどったら海のでかい魔獣に食われるかもしれんの」とからかってきた。

 海の魔獣はクジラとか海蛇とか、獰猛なものが色々といるらしい。中には頭突きトビウオなんていうのもいて、航海の邪魔をしてくるそうだ。


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