9-24 影の刃と八竜たちの心配のタネ


「相変わらずここのは澄んだいい魔素マナだの。性質も穏やかなものだし、研究にせよ鍛錬するにせよ、最適な環境と言えるだろうて」


 俺の横で森の中を走っているインがそうこぼしてくる。インの真横には朝焼けで明るく濁った紺色の海がある。水面がキラキラと輝いている。


 最適な環境か~。無人島っぽいしな。


「そうだろうね。静かだろうし。潮風も気持ちいいよ」

「うむ」


 マケさんに《火弾ファイアーボール》を撃ったあと、ルオの結界魔法に向けて《魔力弾マジックショット》を撃ち込んだり、《氷結装具アイシーアーマー》を軽く試しているとインが戻ってきた。

 体が快調なことを伝えて治療の成功を喜ばれたあと、俺たちは今度は肉体の方を動かしに要塞を離れたのだった。


「残念ながら。この島にはあの研究所しか置いてないので、あまり有効活用ができているわけではないのですが」


 と、苦笑気味に、反対側から同じく俺たちと一緒に森の木々を縫うように走っているルオ。

 あくまでも慣れし運転であり、それほどスピードを出していないのもあるが、ルオも俺たちと同等の速度で動けるものらしかった。


 転生前で言うところの短距離走レベルの速度で走り、かつ、南米のジャングルにいるわけでもなしいちいち巨大な木々や根や四方からくる枝葉を避ける障害物走だ。

 ルオを海洋生物の主であり、彼自身もまた海洋生物系の竜だと括ってみると、陸地でも機敏なのは意外に思えてしまう。


「お主は自分のことに関してはちと無精だからのう。血族の者の暮らしぶりを豊かにするのもよいが、少しは自分のことを考えた方が良いぞ? スクアッド海域の制圧もここ150年進んでおらんしの」

「分かっているさ」


 船につける道具を与えていると言っていたものだが。ルオはいい人らしい。


「こういうことを言いたいわけではないが、……お主も分かっとると思うがの。人の子は慢心するからな。我々がいとも容易く長すぎる時間に退屈するように」

「……ああ」

「人の子から慢心を取り払うのに強大な力と畏怖ほどよい薬もない。お主が畏怖される八竜の皮を脱ぎ、情けを見せているうちは、」

「分かっているさ、イン。私と彼らは違う」


 インはいつもの語り口で、遮ったルオの口ぶりも落ち着いていて悟っている風だった。

 強大な力と畏怖を肯定するくだりは本来なら独裁的なものに見え、否定的な見解に向かいそうなものだが、慢心を持ち出している辺り、善政的な考えにも思えてくる。だいたい発言者はインだしな。肉に関しては独裁者になるだろうけど。


 インはルオにしばらく視線を寄せていたが、言葉を続けることはなく、そうか、と軽く肩をすくめて視線を戻した。


 ルオは子供を作ったようだし、これはもしやあれか、と思う。

 恋愛物語でよくあるが、情を見せていくうちにというか愛が深まるにつれて抗えない種族の違い、身分の違いでもいいが「壁」を教えられていく悲しいやつ。ルオは破滅属性ありか?


 それにしても別に喧嘩腰というわけではないし、ルオの方もとくに語気を強くはしていないが、インの説教癖はルオと相性よくなさそうだ。

 まあ、説教なんて好きな奴もいないだろうけど。


「ところでどうだ、ダイチ? 体の方は?」

「悪くないよ。全然。むしろたいして変わってないのが変に思うくらい」

「それはお主の肉体が不調でないという証左だ。な、ルオ?」

「ああ。……むしろ私も驚いているくらいです」


 そう? と相槌を打つ。


「肝臓を整えると、直後には多かれ少なかれ体内魔力の出力調整がうまくいかないものなのです。そのためしばらくは全力で走ると上手く走れなかったり転んだり、すぐに息切れしたりします」

「そうだのう」


 ふうん……。肝臓は魔力の生成器官らしいが、生成器官が一新したのならそういうことも起こり得るか。ホムンクルスは魔力が生命線らしいし。

 いまさらながら、こうして普通に動き回っていることに不安を覚え始める。本来の手術なら腹の中をいじったとあればしばらくの間絶対安静だ。


「要因の1つはダイチが先天性的に魔力操作に長けているからでしょう」

「体内魔力の感知能力もな」

「ああ」


 感知能力については詳しいことはわからないけど。


「つまり魔力操作や魔力感知に長けてるってことは、……肝臓の活動も活発ってこと? 肝臓の適応力も高いとか」


 ルオはその通りです、と肯定する。なるほどね。

 おっと、とルオは目の前に迫っていた木の枝をかわした。おっとと言いつつも余裕そうだった。


「さきほどは《火弾》でしたが、あの威力を見るともうほとんど治療前ほどに回復しているかもしれません。驚異的な回復力です。……ただ、この治療にあたり我々が危惧していたのはダイチの魔力の膨大な量と密度でした。我々以上の魔力を持つ存在などそういませんし、それにあなたにはインが仮定した“心臓付近での謎の魔力収納術”があります」


 疲れた時に心臓付近で魔力がどこかにいってしまう現象か。


「この魔力収納により、我々がダイチの魔力量を正確に把握するのは不可能だったのです。結局この不確定要素への懸念は実現してしまったわけですが、あれだけで済んだのならよかったと言えるでしょう」


 天井に穴を開けたやつか……。


「ま、なにはともあれ今は落ち着いておる。私もダイチの体は軽く見たが、とくに変なところはないのであろ?」

「ああ。以前よりも魔力量と魔力の質が上がった以外にはな」


 色々と怖い話だが、とりあえず安心してよさそうか?


 インが満足気に「うむ。上々だ」と頷くと、そろそろ戻ろうと言うので俺たちは来た道を引き返して要塞に戻った。


 ・


 中庭で待機していたらしく、エヨニとタマラがいた。視線が下がり、召使い然としていることに寂しさが少し。彼女たち以外に他の人の姿はない。


「そういえばディアラとヘルミラは?」

「いつものように使用人たちと訓練だぞ。ぼちぼち“はじめのノック”が来る頃だな。反応がなくとも開けんようには言っておるがの」


 はじめのノックということは何回かしてるのか。時間もだいたい同じようだし、気遣われてるんだな。


「従者のダークエルフの姉妹ですか?」

「いい子たちだよ」


 そうですか、とルオは理解者然とした微笑を見せた。

 治療のため俺のこれまでの行動は調べていたようだし、姉妹のことも把握しているんだろう。プライバシーも何もあったものではないが、心強いのは確かだ。


「ダークエルフたちは義理堅い一族ですからね。エルフの深い知性は鳴りを潜めてしまいましたが、代わりに質実剛健な性質になりましたし、よからぬ話や金品の類に目がくらむこともないでしょう。エルフも悪くはありませんが、従者にはうってつけの一族です」


 本来俺が持っていたダークエルフのイメージとは重ならないが、姉妹の挙動と照らし合わせると色々と頷ける話ではある。

 エルフの深い知性か。医療面でも優れてるようだしな。


「では体の調子も良いようですし、今日のところはこの辺にしておきましょうか」

「治療はもう終わり?」

「ええ。一応ボルには魔力暴走を落ち着かせる薬を用意しているので受け取っていただければ」


 魔力暴走……。鎮静剤のようなものです、とルオが続けたが、規模がちょっとな、と内心で苦笑する。


 エヨニとタマラたちを後ろに加えて広間に入ると、あらかじめ念話でもしていたのか、フルやタローマティたちが並んで待ち構えていた。マケさんもいる。

 跪いてはいないが……エヨニとタマラもそうだが、もう少しラフに待っていてくれてもいいんだけどなと思う。


 広間の奥の方ではボルさんが棚の前で巻物を開いていて、俺たちに気付くと巻物を傍のテーブルに置き、せかせかとこちらに向かってくる。手には小さな箱が抱えられている。うんうん、ボルさんみたいにね。


「体の方はどうですか?」

「おかげさまで問題ないよ」


 強いて言うなら何もないのが気になるくらいとインに言ったのと同じことを言うと、「それは氷竜様の肉体が不調でない証拠ですわ」とフルもまた、こちらもこちらでインと同じことを言ってくる。それはそうなんだけどさ。


「ただ、しばらくは過激な運動は控えた方がいいかと」


 手合わせとかか?


「過激な運動って?」

「氷竜様のこれまでの旅路についてはインからある程度聞いていますが、<七星の大剣>や<七影魔導連>などといった国の精鋭部隊長クラスの者と戦われるのは肉体に負荷がかかりすぎるかもしれません」


 やっぱり。ジョーラにホイツフェラー氏か。

 ホイツフェラー氏の時はともかくジョーラの時は確かにちょっと疲れたな……。補助なしだったのもあるんだけど。


 それにしても何でも知ってるな、ほんと。


「手心を加えていたようですし、もちろん氷竜様が本気で戦ったのなら相手にならないとは思いますが……」


 フルは意味ありげにその先は続けなかった。戦いの内容も知ってるくさい。


「気をつけとくよ」

「はい。……あと、フィッタの襲撃時のような心乱されるような内容の方も注意してください。魔力暴走の引き金になるでしょうから」


 それは嫌だな……。

 しばらくは魔力暴走も起こしやすいのかと訊ねると、「多少神経過敏になっているかと思います」とフル。全然普通だけどな、今のところは。


「できるだけそういう場所にはいかない方がいいと」

「はい」


 街を吹き飛ばすのはちょっとね、と俺が苦笑すると、フルもまた苦い顔を見せてくる。


「今回の治療はあくまでも氷竜様の肉体を整え、寿命を延ばす治療であって、ご自身の精神性を変えるものではありませんから。そのことはゆめゆめお忘れなきよう」


 体が強くなっても心は変わらないよ、と。

 もしかすると八竜的にはあまり喜ばしいことではないのかもしれないが、俺にとっては喜ばしいことだ。心はせめて人間ではあり続けたい。


 分かったよというと、フルがはいと頷く。あんなトラウマ案件が何度も起こっても困るけどな。

 ……でも今は戦争中だったか。ああいう光景も珍しくないのかもしれない。この世界は魔法や竜もある世界だが、転生前の史実の中世と同じで賊の被害は多いらしいし。内心でため息をついた。


 ちなみに寿命がどのくらいになったか聞くと、まだ確かなことは言えないが、ひとまず20年は持つだろうとのこと。

 実感はまったく湧かないが、最先端医療ここに極まれり、だ。


「そのうちに私の魔力補給もいらなくなるだろうな」


 と、イン。そうか。添い寝なくなるのか……。ちょっと寂しいな。

 インがおやおやとしたり顔になる。


「母の添い寝が恋しくなるのもいいが、男児ならいつまでも母に甘えてはならんぞ?」


 心を読んだようなインの発言に俺は肩をすくめた。この場合は親の子離れも含んでる気もするけど。体格差と精神的に。


 フルがケプラを発つのはいつ頃なのかと訊ねてくるので、4日後だと伝える。


「4日後なら問題ないでしょうね。その頃にはおそらく変化した肝臓と肉体の活動に魂魄が定着し、心身ともに安定していることでしょう」


 4日で済むのか……。寿命を延ばすという内容からすると凄まじく早く感じられる。


 ボルさんが戻ってきた。


「ボルに魔力の過剰な流出を抑える薬を用意させましたので。1日に1度、晩餐後に指先でつまむ程度お飲みになってください」


 つまむ程度ってことは粉薬か。


 ボルさんの側に召使いの人がやってくる。まだ紹介されてない女性だが凛とした雰囲気のある人だ。

 彼女は膝をついて両手を差し出した。ボルさんは差し出された両手に銀色に煌めく箱を置く。


 銀色の箱はいかにも高価そうな代物で、色とりどりの宝石が埋め込まれている他、七竜の紋章や竜の翼や爪などが見事すぎる彫刻の手腕によって彫られている。


 ボルさんは2つの留め具をひねって箱を開けた。召使いの人は物置らしい。

 ボルさんみたいな人が召使の人をこういう扱いをしてるのを見るといよいよ普通の扱いに見えてくるから困る。


 箱の中には緩衝材らしい、たくさんの鰹節のような形の木の皮――香りはもちろん木の香りだが、いい香りだ――と一緒に白い粉末と薄紙の入った小瓶とナイフの持ち手のようなものが3本あった。粉末は輝いていて、ガラスの粒でも混入しているかのようだった。

 飲むのは自分なので粉の輝き具合には少し不安にさせられるところだが、持ち手はなんなのか分からない。3本もあるが……。俺は持ち手を指差して訊ねた。


「これは?」

影の刃エッジ・フォー・シャドウと言うんですが、力を込めて柄を握ると特殊な魔力の刃が現れる代物ですな。これは改良を施しておりますが、元は魔族や獣人が暗殺のためによく使っているものです」


 暗殺……?


 フルが柄を取り出し、握った。「実体化」でもするように半透明の刃が少しずつ現れていく。

 刃自体はごく普通のシンプルな形だ。とくに変わった点もない。ただ、《魔力装》のようだった。誰でも使える《魔力装》。


「この魔力の刃は自身の魔力を使います。《魔力装》と近いものです」


 フルが刃の表面を軽く指で触れながらそう発言する。やはりそうか。


「本来影の刃は暗殺で使うばかりでしたが、いつからか暗殺とは別の用途で魔道士やホムンクルスたちが使うようになりました」


 別の用途?


「この刃は魔力を吸収するようになっています。こうして――体に刺すことで自分の体内にある魔力を吸い取ることができるのです」


 フルはそう言いながら、自分の腕にナイフを刺す素振りを見せた。え。


「もし魔力暴走が起きてしまい、一刻の猶予もない時にはこの影の刃を使ってください。氷竜様のすべての魔力を吸い取ることはできませんが、理性を取り戻せるくらいの余裕は持てるようになると見ています」


 使うってことは……。フルは至って真面目な表情だ。いや、フルはいつでも真面目だけども。


「……刺すんだよね。痛くない?」


 フルは俺の不安を見ると表情を和らげる。


「痛みは軽くつねられた程度の感覚しかありません」


 そう言いながらフルは短剣の切先に向けてゆっくりと“横から”指で軽く薙いだ。すると、刃に触れるかと思った指先がすうっと刃を通り抜けてしまった。あれ?


「この短剣が暗殺に向いているのは刺された痛みがほとんどない点です。寝込みに有用なのはもちろんですが、刃に毒を塗ることで街中での通りがかりに暗殺が可能なのです。この殺傷力のない性質を利用し、本人が体内魔力の舵が切れない緊急時に使うようになりました」


 街中て。てか《魔力装》に毒塗れるのか……。


「この影の刃は氷竜様用に魔力の吸収量を可能な限り増やしておるのですが、10本用意したところで氷竜様の膨大な魔力を吸収するには役不足です。ただ、白竜様も仰られましたが、正気を取り戻す分には使えます。魔力暴走時には自我が溢れた魔力に食われている状態ですからな。ある程度魔力を減らせば理性は取り戻せるのです。もっとも氷竜様に用いるにおいて、影の刃の効果のほどを信頼するには少々情報が不足しておりますが……」


 自我が魔力に食われている、か。


「まあ、私もいるからな。この体だとそう吸えんが、成体ならそれなりに吸えるであろうしの」


 と、イン。成体って大人か。


「大人に戻るの?」

「補給の必要がなくなるだろうしの。まあ、戻りたいところではあるが、ディアラやヘルミラもおるしの。よほどのことがない限りはこの姿のままでおるよ」

「悪いね、助かるよ」

「うむ。あまりに美しすぎて周囲の者共を気絶させてしまうかもしれんからな」


 磊落な笑みをこぼすインに肩をすくめる。

 確かに美しかったが、そこは「お主の家族は私の家族も当然だからの」とか言ってほしかった。まあ、問題なさそうで安心した。


 ちなみに粉薬の方は、ハルクアンコウという魔法攻撃への耐性の高い魚の持つ真珠を粉末にし、調合により効果を高めたものらしい。


 このアンコウはハルク船という河川を渡る小柄な舟と似た形をした体長1メートルほどの巨大なアンコウらしいが、真珠を生成する貝以外の魚介類はもちろん俺は知らない。

 質問しているうちにルオから今度お見せしましょう、と気さくに言われたので地味に楽しみになった。


「ところで氷竜様。今日は何かご予定が?」

「今日はヘッセーに行こうかと……思ってたけど、さすがに部屋で休んだ方がいい?」

「ヘッセー。ノーディリアン近くの小都市ですね」


 ヘッセーには何の用向きなのか訊かれたので、ケプラを発つ前にミージュリア人の友人や、フィッタの住民だった友人に会いに行くことを伝える。

 一応“手術後”で、彼らは俺の主治医なので、詳細に話しておくかと思い、軽い手合わせはするだろう、手合わせの相手のレベルは最高40くらいだという内容も伝えた。


 フルは俺の話に関して「ミージュリア人ですか」と視線を落とした。

 七竜たちは建物に執着しているし、ミージュリアの爆発事件のことは知っているだろう。フルがこの事件をよく覚えていて心を痛めていても不思議ではない。……そういえばガスパルンさんたちはどうしてるんだろう。


「出来れば今日は様子を見て、問題なく調子がよければ明日ということにしてもらった方が」とフルが提案してくる。


 まあ、そうだよね。俺的にはそれでも早いくらいだ。


「私もフルの意見に賛成です。せめて1日は新しい魔力を体に循環させたほうがいいでしょう。……退屈でしたら、市場でも巡ってみるのはどうでしょう?」


 市場か。旅路のために必要なものも買い揃えないといけない。

 そう思っていると、ルオから旅路のための品々を揃える時間に使ってはどうかと提案される。


 そうしよっか、とインを見ると、「うむ。ま、のんびり市内を歩くのは魔力の循環にもちょうどよかろ」と頷かれる。リハビリだな。


>称号「八竜たちの心配のタネ」を獲得しました。


 分かってるけどさ~。俺もどうしようもないんだよ。

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