9-23 全力の火弾


 俺たちは治療を行った大広間を西側から出て中庭に向かった。俺のリハビリならぬ、軽く体を動かすためだ。


 空はまだ暗く、中庭の灯りも出入り口周辺のみのごく最低限だったようだが――俺たちが庭に足を踏み入れるとポッポッポッと、ともっていなかった街灯や壁掛けの灯りがついていった。誰も灯りの元には行っていない。

 強いて要因を挙げるなら、先頭のルオが左、中心、右とあまり何かを探しているようには見えない能動的な動きで首を向けていたことだが、俺がルオにそのことについて訊ねることを忘れるくらいには庭園は惚れ惚れするほどの個性と新鮮さを持っていた。


 存在を明らかにされた中庭は緑豊かな庭園だった。芝生はサッカーグラウンドのように綺麗に刈られ、周囲に絶妙な間隔で生えている低木もみんなまん丸坊主だ。庭師が定期的に切っているんだろう。

 でも普通の庭園はここまでで、あとは俺の見知らぬファンタジックな光景が広がる。


 パステルイエローのタマネギ型の屋根に3本のねじれた巻き貝の角が伸びている、激しい波しぶきの彫刻を螺旋型に取り付けた水色の塔。塔に隣接する巨大な二枚貝を重ねた淡いピンク色の珊瑚の東屋。大広間から塔へと続く白い菱形の石畳の1つ1つには海藻や真珠、貝などの精緻な彫刻が彫られ、水色の塔の周囲には象牙色の珊瑚っぽい材質の床がある。

 街灯たちもまたちょっと変わった代物だ。のっぽだが灯篭のように4本の鱗状の“足”があり、天辺には穴を開けた六芒星の形のフタをかぶせている。中には火ではなく、丸く黄色い光を放つ光。フタの色は石の色ではなく淡いイエローだ。形こそ普通のオシャレな形だが、岩石製のテーブルセットに、ワカメを並べたような意匠の水色の柵に。


 そんな色鮮やかなシーライクな中庭を囲んでいる壁には、エメラルドブルーで色付けされた壁面建築がある。

 珊瑚やオウム貝、ヒトデといった海の生き物の細かな彫刻がところどころで配置され、赤紫色のテングサや金櫛荘でも見たような金色の豪華な彫刻をもって縁取りされている。先には巨大魚やハープを持った人魚っぽい人物、オーバーオールのような服を着た二又の槍を持った人――耳が2枚ビレのようになっているので魚人なのかもしれない――の彫刻もある。


 こうしたものは広間の装飾と似た様式であるのが見て取れたが、とにもかくにもルオが海の出身であるのがありありと分かる光景だった。

 俺は刺激された好奇心によって足が勝手に動きそうになるのをこらえつつもルオに訊ねた。


「変わった様式だね。コロニオの建築様式?」

「いえ。海底都市ミノーリの様式ですよ。残念ながらミノーリは千年ほど前に滅亡してしまいましたが」


 海底都市とかあるのか! 千年前か〜! 古すぎる。もう古代都市だな。


「他にはもう海底都市はないの?」

「都市と呼べるほどのものはないですね。集落規模のものならいくらでもありますが……」


 うーん、残念。


「あまり大きくしても目立ってしまい、海の魔物たちから攻撃を受けてしまいますからね」


 なるほど?


 塔の外壁に2メートルは軽くありそうな大きな三叉槍が3本配置されているのが目に入る。ギリシャ神話のポセイドンが持っているような槍だ。


「その点、ミノーリの完成は奇跡と言えました。都市が建てられるおよそ25年の間、魚人族マーマンたちは総出で周囲の警戒に当たっていたものです」


 ルオは当時のことでも思い出しているのか、和やかな表情だ。魚人族たちは三叉槍で戦ってたんだろうか。


「海の魔物の襲撃って全方位からくるんだろうね」

「ええ。円蓋と防壁の建設を終えればある程度楽になるのですが、終えるまでは気の休まらない日々だったことでしょう。実際、都市周辺の海中では絶えず誰かの血が流れ、そのせいもあって気性が攻撃的になった者もよくいました。“赤紫色の海域ラディッシュパープル・シー”と呼ばれていたこともあります」


 ラディッシュ……赤紫か? 言っていることはかなり血生臭いが、ルオの表情や声音は穏やかだった。ルオにとっては懐かしい思い出の1つらしい。千年も前なら戦争の惨さもかすむか。

 にしてもドーム状の都市のようだが、魔物の襲撃は置いておいて、円蓋部分の建築は陸地よりも楽そうだ。屋内のシャンデリアの設置も楽だろう。……海の中にシャンデリアってあるのか?


「私も生きた海底都市を実際に目にしてみたかったものです」


 と、ボルさん。


「ふっ。見に行ったら生き残れたかどうかわからないぞ」

「ふうむ……。確かにそうですな。『亀の賢者はあれど戦士はあらず』とは昔からよく言いますからな。実際私の仲間内でも、武器を取っていた者は己を顧みない愚者しか見たことないですし」


 亀は戦闘力が低いようだ。でかいのはいてもいいと思うけどな。甲羅に砲台を背負ってるのとか。


 なぜミノーリが滅亡したのかと聞けば、王族たちの派閥争いによる大きな戦争が原因らしい。


 海でも陸地とたいして変わらないんだなと思っていると、フルが「どこの地でもよくある話です。陸地でも海中でも」と、目を伏せがちに静かに言葉を添えた。

 フルには拒絶的な感情は垣間見えないが、とくに肯定している風でもない。戦争は好きではないのかもしれない。


 温厚な性質に違いないフルが荒事を好きだったらそれはそれで事な気もする。

 まあ、竜である彼らに人間の感情を安易に当てはめてもあまり意味がないことは身にしみて知っているけれども。


 ルオがふとマケ、と言葉を発した。研究者の1人が静かにルオの傍にやってくる。

 お、マケさん? 体格がよく、足元からは青い肌が覗いている人だ。


「彼はマケ・ムリーリョと言って私の眷属なのですが、かつてミノーリの宰相の血筋の者です」


 え、てことは千年続いたってことか。すごいな。

 ルオが今度は「マケ、帽子を取りなさい」と告げる。


 マケさんは言われたままにベールつきの帽子を取った。青白い手をともに現れたのは……青髪金目でくすんだ青色の皮膚を持った亜人種だった。


 ぱっと見は顔の上半分の肌が青く、下半分が白くなっているオークだった。

 だが、眉毛は薄いし、鼻梁が平らな鼻の左右にある金色の目には細長い黒い瞳孔があり、俺の知っているオークたち――カレタカやイノームオークたちよりも顔立ちは人からずいぶん離れている。耳もそこまで大きくはないが先が魚のヒレのような形状をしている。やはり壁画の彼は魚人らしい。


 薄ピンク色の口元が妙に印象に残った。端の方にはのこぎりの歯のような細く尖った鋭い歯が飛び出していたが、薄ピンクの唇も合わせてなにか……背筋の凍るような強かな凶悪性を感じてしまった。

 だがふと、槽の中で見た彼が唐突に思い出され、今の彼と印象が違うことに気付く。あまり正確な記憶ではないけど確かもう少しまっとうに人族の顔をしていた気が……。


 と、髪に違和感を覚える。彼は後頭部でざっくりと束ねているのだが、先は丸く、どうやら髪ではないらしい。触手……いや、イソギンチャクのような……。


「さてダイチ。彼を相手に軽い運動をしてみましょう」


 魚人族に違いない彼の容姿に内心では色々と心乱されていると、俺の心境を知ってか知らずかルオはそんなことを気軽に言ってくる。運動って手合わせか?


「運動?」

「ええ。《火弾ファイアーボール》は使えますよね?」


 眉毛の毛は普通に毛のようなのにとマケさんを見て思いつつ、俺は頷く。彼に撃つのか?


「彼は海域王の一人で屈強な海の戦士なのですが、水魔法の達人でもあります。防御の腕に関しても一流なのです。《火弾》を多少強く撃ったところで問題ありませんよ」


 海域王。マケさんを見ていると、やがて視線が持ち上がる。口元に感じた凶悪性とは裏腹に、静かな知性の中に確かな自信を感じる人間味を眼差しに感じる。

 人格的に信頼の置けるルオのことだ。精神的にへなちょこな俺の相手をさせるなら変な相手を連れてこないだろうと察した。


「ではみな、マケから少し離れるように。マケは防御の態勢を」

「御意」

「ダイチはこちらへ」


 ルオに言われたままに、俺たちはマケさんから少し離れた場所に立った。

 マケさんはぽつんと1人で立っていたが、やがて顔を隠すように右手を掲げる。まもなく彼の前には扇形の半透明の壁が現れた。わずかに水流があるようなので周りは水のようだが、中心は白く、溝がある。さながら貝のようだが、固形物らしい。


 なるほど、でも頑丈そうだ。水だし、確かに《火弾》程度では太刀打ちできない頼もしさは感じる。問題は俺の《火弾》が一般的な威力でないことだが。


「マケさんって魚人族?」

「ええ。私の血を受けてからは竜の血が濃くなり、竜魚人アプカルダゴンとなりましたが、元は鮫という海洋生物の特徴を持った魚人族でした」


 鮫! 鮫……鮫か……。鮫を知っているかと訊いてきたので、もちろんと頷いた。

 それにしても鮫ってイルカのような体だったか? 色も青だっけ? 子供の頃は魚の図鑑をよく見ていたものだけど。ジョーズの世代でもないんだよなぁ……。


「ではダイチ、撃ってみてください。まずは弱めにお願いします」


 俺は頷き、「《火弾》 弱めに」と念じて、マケさんの水のシールドに向けて撃った。

 火の玉はなかなかの速度をつけてマケさん目掛けて飛んでいく。


 着弾すると、……火の玉は吸い込まれるように一瞬出た湯気とともに消えた。おぉ?

 着弾したのは水の部分ではなく中心部の白い部分だったが、焦げつきなどもとくにないようだ。


「いい具合のようですね。魔力も落ち着いています」


 ふむ。


「水属性の防御魔法は火属性の魔法に強かったりする?」


 その通りです、とルオ。

 聞くまでもないか。無力化してるし。


「あらゆる魔法は、術者の魔導士としての手腕に左右されるので一概には言えませんが、各魔法はこの世の自然法則と通ずる部分があります。火は水や強風で消えますし、水は土魔法や植物魔法の物理的な壁を貫けません。土は強固ですが燃やされたり水を吸い込むことで性質を変え、植物魔法を用いれば地面から崩せます」


 ふむふむ。


「風はどのような隙間も縫い、殺傷力も極めれば刃のごとく高められますが水と同じように物理的な壁には通りにくく、植物魔法は火に弱い。人の子の魔導士たちはまずは始めに自然の法則を学ぶのが基本です。初級魔法は《灯りトーチ》や《水射ウォーター》《微風ソフトブリーズ》など、自然法則から逸脱しないものが数多くありますから」


 その話からすると聖浄魔法やら空間魔法やらは法則から外れそうだな。


「では次はもう少し強くいきましょうか」


 言われたままに、今度は「《火弾》 少し強く」と念じて火の玉を放った。


 多少大きくなった火の玉はさっきより倍以上のスピードで貝の盾の中心部に着弾した。

 グンドゥラが撃ったのよりもずいぶん速かったので強くし過ぎたかと一瞬懸念したが、湯気の量が増え、多少時間がかかったものの火の玉は同じように蒸発した。相性もあるだろうけど頑丈な防御魔法だ。


 見れば、ルオが眉間にシワを寄せてマケさんを見ていた。

 ん? やがて俺の視線に気づき、いくらか表情は緩められる。


「今度はさらに強く、……全力でいってみてください」

「全力で?」

「はい」


 大丈夫か……? 《火弾》を全力で撃ったことなんてないぞ?


 俺の不安を感じ取ったのか、ルオは


「ご心配なく。ダイチの絶大な力は理解しています。今回肝臓を復活させたことにより制御力が増し、扱える魔力も倍以上に増えたことでしょう。ですがだからこそ、水属性の防御系魔法と初級火魔法という相性の悪い組み合わせにしているのです。今後暴発するのは嫌でしょう?」


 と、力説してくる。暴発は確かに嫌だ。

 次いで、バルフサで最も優れた治療魔法を使えるフルもいるので万が一のことがあっても問題はないと続けられる。フルを見れば、ルオの言う通りですわ、と微笑してくる。


 全力か。まぁ……《火弾》だしね。どの程度の威力が出るのかは気になるといえば気になる。


 けど、全力ってどうすればいいんだろうな。おそらくジル戦の時が一番全力を出していた戦闘のように思うけど、いかんせん怒りが先にいって戦いはほとんど無意識だった。

 ひとまずマケさんに手を向けて集中してみる。「《火弾》 全力」と念じると、手に魔力が集まっていくのを感じた。喉にあたたかい飲み物が嚥下されていくような心地よい感覚が、肩から腕にかけてあった。


 ……少し待つと、やがて赤い魔力で右手が覆われた。魔力は手首から手にかけて火のようにめらめらと燃え盛っている。熱くはない。火属性の魔力だろう。《火弾》ができたわけではないようだが、これを《火弾》にすればいいんだろう。

 さっきは全力と念じたので、今度は改めて「《火弾》作成 全力で」と念じてみる。するとさきほどと同じ赤い魔法陣が現れ、火の玉も現れた。火の玉ははじめは魔法陣に収まる程度の大きさだったが、どんどん大きくなり巨大な風船ほどの大きさになる。


 赤々と光量を発する火の玉はところどころで生きているかのように白く明滅していた。

 表面では“火の波”が小さく跳ねていた。火の玉はもはや火の玉というよりエネルギーの集合体――さながら小さな太陽のようだった。まったく熱くないのが不思議だ。


 マケさんを見据える。ともかくこんなの撃って無事なのかという懸念が浮かぶが、フルもいることだし。相性も最悪だそうだし、なんとかなるだろう。


 俺は改めて「《火弾》 全力で」と念じて、マケさんに手を向けて撃った――


 火の玉は発射直後は前の2発よりも遅い初動だったが、すぐにスピードをつけ、弾丸のような目にも留まらぬ速度でマケさんの盾に着弾した。

 弾丸はバシン! と大きな鈍い水音を立て、辺りに水しぶきを散らせながらマケさんの盾にぶつかったが、火の玉は無事だった。湯気をあげながら、盾を溶かそうとでもしているかのようだ。


 じりじりと少しずつ後ろに下がるマケさん。まだ勢いはあるらしい。頑張れマケさんと心の中で応援する。と、盾の中心の貝の部分に大きな亀裂が走った。やばい。

 盾の周囲の水が触手のように動き出し、火の玉に勢いよく覆いかぶさった。おぉ? そんなことできるんだな。だが火の玉はまったく無事で、湯気が増えるばかりだった。どんだけ熱いんだよ。実際は熱くなかったけどさ。


「――……うおあああぁぁぁッ!!」


 突然マケさんの雄々しい咆哮が庭に響いた。と同時に、マケさんは盾を持ち上げていく。さながら重い鉄球でも持ち上げようとしているかのような素振りだ。

 そうして最終的には巨大な火の玉は軌道を変えられる。火の玉はマケさんの頭上を通り越し、勢いはそのままに凄まじい速度で上空に打ちあがり、要塞を軽々と越えていった。


 おぉ、マンガでよく見るシーンだ……。

 マケさんは無事だ。みんなの視線は依然として火の玉が向かった先にある。


 マケさんが無事でよかったとほっと胸を撫でおろしたのもつかの間、小さな轟音が遠方で響いた。どこかに着弾した??

 慌ててマップを取り出して要塞の辺りを見てみると、白い小さな穴が出来ていた。クレーターを作ってしまった……。


 焦った心境になった俺とは裏腹に、ルオは火の玉の行った方向を見ながら「……初級の火魔法でマケの《貝の水盾シェル・シールド》を破るか……」とこぼした。


 まあ、亀裂は走ってたしな……。

 ルオと視線が合う。ルオはしばらく俺にいぶかしむような視線を送っていたため、微妙に気まずい心境になったが、


「凄まじい威力です。《火弾》に魔力制限がなかったら、《災火の新星アメイジング・ノヴァ》や《爆炎熱波ブレイズブラスト》などの上級魔法の威力を超え、極致魔法の域に届いていたことでしょう」


 と、両手を背中にやって表情を和らげてそうコメントした。極致魔法とかあるのか……。どんだけだよ俺の初級魔法。

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