8-12 ヘラフルの憩い所にて (3) - ファンサービスと会場
ラッパが鳴ったので俺たちはヘラフルの憩い所に向かうことにした。
他に会合の参加者が来るかもしれないということで、ティボルさんは詰め所に残った。
ヘラフルの憩い所はかつてメイホー村の警備兵ライリが薦めていた店だ。懐かしい。
彼曰く美味いしその分高い店らしいが、ただ、外観に高級料理店らしさはあまりない。
憩い所の敷地は広くはあるし、大小の建物が2つ並んだ変わった建物ではあって、2つ並んだうちの一方の小さい建物がいわゆるハーフティンバー様式でケプラでは珍しくはあるのだが、それ以外は平凡だ。
もっとも、店を通り過ぎる際、富裕層の客がしっかりよく出入りしているのは見ている。出る料理はいいんだろう。料理店はこうでないとね。
そんな憩い所の裏手は高い石塀があるおかげで、憩い所の1階部分は見えなくなっている。いったい何を隠そうとしているのかと勘繰ってしまう。
表通りより人はずっと少ないが、遠巻きに何人か俺たちの方を見ているのに気付く。
そうして、「ヴィクトル様~!」と叫ぶ声。
声を辿れば、隣家のアパートらしき2階の窓から少女と少年が手を振っていた。
ヴィクトルさんが手を振り返した。なかなか目がいいというか、なんというか。
外見的特徴のずっとあるジョーラとは市内を歩いていても誰からも声をかけられなかったものだった。翼人のハレルヤ君の方が目立つだろうに。……いや、そういや《
「あんまり手を振ってると隠れた意味なくなるぞ?」
と、副官のウキジンさん。ヴィクトルさんはもう着いたんだからどうでもいいさ、と言葉を返した。
ウキジンさんの言葉の通りに、別の方向から青年の2人組が俺たちにヴィクトル様と叫んできた。2人とも若く、俺くらいか、少し年上くらいか。
とくにこちらにやってくる様子はないようだが、青年の1人は弓を手にしていて、ヴィクトルさんに憧れて弓をやってますとでも言いたげに弓ごと手を振ってくる。ファンかな?
「ふむ。……ダリミル、弓と矢を貸してくれ」
何するんだ?
いつものことなのか、ダリミル君は特別動じずに弓と矢をヴィクトルさんに渡した。
ダリミル君の弓は炎のようなデザインの白い飾りで覆われている代物だ。くわえて、白い炎から現れている朱色の弓本体が鶏冠のようにも、トカゲのような生き物のようにも見える、なかなか変わった意匠が新鮮でもある。
ヴィクトルさんのアーチェリー風味の弓の方が当然高価で強力なのだろうが、見た目はなかなかいい。俺のハランの弓もそうだが、弓にも色々あるなと改めて思う。
ヴィクトルさんが弓を構える。ギリリと鳴る、弦が引かれる少々不穏な音。
立派なマントに施された、それぞれ意匠の違う3つの弓矢を円形に配置し、上部の左右に小さなラベルを翼のように配置した弓術名士の紋章がなびく。
矢を向けたのは青年たちだ。当てるわけもないように思うけど……。
――そのうちに、弓を引くヴィクトルさんの手と矢尻が淡く光を発し始めた。
スキルだ。なにするんだろ。ほお、とインが感心する様子を見せた。
――インの解説が来ることもなく、やがて発射された矢は淡い光を伴って一直線に青年に向かっていったが、左側へ逸れ、そのまま浮上していった。やっぱ当てないよな。
うわと青年たちが軽く声をあげていたが、浮上した矢は――落下した。
矢が地面に刺さる。倒れはしない。青年の左斜めすぐの地面は、ちょうど石畳と石畳の境目で土がむき出しになっている場所だった。
おぉ~職人技。姉妹も軽く声をあげた。
「殺されるのかと思った!!」
「なわけないだろ~~!」
と、ヴィクトルさんは汚名を晴らすべく青年に向けてそう叫び、次いで「その矢やるよ~~!」とも叫んで踵を返した。ファンサービスね。
「さすが弓部隊の隊長ですね」
「だろ? あの矢は未来の
矢を引っこ抜いた青年たちは、矢になにか仕掛けでもないかと探している。いい記念品になるだろう。
「――あ。これ……ミスリル魔鉱じゃないか?? しかも矢尻がねじってある……売ったらいくらするんだ……?」
「――お、おい。売るのはやめとけよ? 少なくとも今は」
「――も、もちろんそうするさ。家宝にする」
なんとなく《聞き耳》をオンにしてみたが、すぐにオフにした。投資になったかなぁ……?
ダリミル君が弓を受け取りながら、ヴィクはそんなご大層なこと考えてませんよ、と微笑する。ウキジンさんも、だな、と同意した。
「そこは素直に褒めてくれていいんだが」とヴィクトルさんが息をついた。ハレルヤ君は手を後ろにニコニコしていた。
とにかく、いいファンサービスだったのは間違いない。ヴィクトルさんは現代人受け絶対いいだろうな。
――こうした一幕のあと、俺たちは改めて裏手の扉を押し、ヘラフルの憩い所の裏庭に入った。
裏庭は意外にも殺風景で、テラス席などもなく、更地と倉庫らしき木造小屋と椅子が数脚あるだけだった。高い塀は特別な意味はないんだろうか。
小屋からがたごとと物音が聞こえてくる。誰かいるらしい。
「――あ、ベルナートさん。アレクサンドラさんも。そちらは??」
やがて木造小屋から丸椅子を引っ張り出してきた男性が声をかけてくる。知り合いのようだ。
軽く駆けてきた彼は、赤いハンチング帽子の下で、ちょっともこもこっとした髪を2:8ほどで分けている人だった。若く見えたが、シワはそれなりに深く、それなりに歳をとってる人らしい。
群青色の上着とリネンのズボンは庶民が着るような代物ではおよそなく、倉庫にいて多少ほこりを被ってしまっているようだが、厚みもあるいい生地だ。
概してどちらかといえば商人っぽい格好で、従業員にはあまり見えないけども。
「ヴィクトル・ウラスロー伯爵だよ、ダビエス」
「あっ! 失礼しました! こ、こんにちは、ウラスロー閣下!!」
ダビエスと呼ばれた彼は上ずった声を出してやや大げさに胸に手を当て頭を下げた。
ヴィクトルさんもたいがい人気だな。ダビエスさんは次いで慌てて肩や胸を叩いてほこりを払った。結構いい服なのに汚しちゃって。
ヴィクトルさんはニコリとして、はい、こんにちは、と慣れた風な挨拶をした。
「それと、……」
ベルナートさんが言葉を止めた。ダビエスさんが見ているのはハレルヤ君だ。翼はない。
「僕はハレルヤ・ナディア・ヴィレッドだよ。
ダビエスさんが、「こ、こんにちは、ハレルヤ様……?」と、自己紹介したハレルヤ君に怪訝な表情を見せる。緑髪緑目+濃紺のマント+肩に羽根飾りのついた青緑の皮鎧はだいぶ特徴あるように思うけど……。
もしミスリルの胸当てをつけていたら変わっただろうか。隊長たちにはミスリルの胸当てか魔獣アピスの皮の胸当てが贈られ、王都以外のフォーマルな場で着る分には選択権があるらしい。ヴィクトルさんはアピスの皮の鎧をつけている。
ちなみにハレルヤ君だけは国からの“特別な計らい”により、この羽根飾りつきの皮鎧だ。リーンドゥルという俺の知らない鳥型の魔獣産らしい。
国はハレルヤ君の姿を市民に焼き付け、七影の新たな顔にしたいらしかった。七星ではダークエルフのジョーラが目立つように。
魔法で翼は消してるんだよとベルナートさんが解説するとダビエスさんは納得した様子を見せた。ハレルヤ君は翼はもう見せないんだろうか?
「こちらは代表で来られた
名前だけの簡単な自己紹介をすますなかで、ホイツフェラー氏の名前も出たので、俺は気持ち胸元を見せつける。ほら、銀勲章だよ~。
彼が銀勲章の意味を理解したのかは分からないが、俺たちの顔ぶれを小さく頷きながら眺めた後は、
「本日はヘラフルの憩い所にようこそいらっしゃいました。私はヘラフルの憩い所の店主、ダビエス・ナハルトと言います。何でもお申しつけくださいませ、お歴々の方々」
と、改めて丁寧な挨拶をしてくれる。
まさかの店主だった。少し老け顔ではあるがヒゲは剃っていて言動も声も若々しいので、普通に従業員だと思ってた。
「なんだ、お主が店主だったのか。ちょっと一目では分からんかったの」
インが俺の心境をストレートに代弁してしまうと、ダビエスさんは、
「いやあ、よく言われます。私、背低いし、威厳とかもなくって……。でも私も好きで店主を始めたのではないのですよ。前の店主は逃げてしまいまして……」
と、そんなことを語る。逃げた?
「貴族にやられたんだよ。色々と不運でね。まあ、彼も頑固な面はあったけども」
次いでベルナートさんによる簡潔な解説。ダビエスさんは「はは……その通りで」と、苦笑した。
相手は貴族で、色々と不運で? 彼も頑固だったと? 彼がもし折れていたのなら、きっとまだ店主だったんだろう。
内容を聞こうかと思ったが、とりあえず入ろうか、というベルナートさんに促されたままに俺たちはヘラフルの憩い所に入ることになった。
ドアを開けるのと当時に、馥郁たる花の香りが鼻腔を刺激してきた。
条件反射でビクリとしてしまうが、香水だ。来場者たちがつけているのなら、貴族が多いようだし、らしいといえばらしいが……。
――ちょっと身がすくんでしまったが、その心境は早々と去り。既に結構人が集まっている華やかな会場の様子に目が奪われる。
毛皮に、丈の長いマントに、ビロード地に、金糸に、色とりどりの帽子に、輝きを放つ金属製のアクセサリーに。ドレスを着た女性もいる。
裕福さと権力の象徴たるあらゆるアイテムの数々が、来場しているどの人の身の上にも着せられている。贅の極みだ。鎧を着ている人もいるようだ。
会場内はかなり広く、外観からはあまり想像しなかったが、宴会場ほどもあるようだ。
2階部分は吹き抜けになっているようで、シャンデリアの長すぎる紐が各
画的には、惜しむらくはここが宮殿の類ではないことだが、これまで見てきた人々とは別次元の人々の集う空間――金遣いという意味でも人種という意味でも――に迷い込んだ感覚はじゅうぶんに与えてくれたようで、俺の好奇心はみるみるうちに刺激されていく。
「――ウラスロー伯が到着されましたな」
「――おお。七星と七影の隊長はあとどなたがおられましたかな?」
「――天翔騎士のハレルヤ様では?」
「――ハレルヤ様か。美しいお翼を目に焼き付けなければなりませんな」
「――全くですなぁ」
と、そんな囁くような会話が、俺たちから一番近いところで集まっている貴族たちのうちの2人から聞こえてくる。
が、俺は会場の観察でそれどころではない。
食事などはとくに出ていない様子だが……みんな話し込んでいるようだった。
声量は赤斧休憩所をはじめ、市民向けの食堂の声量とは程遠いものがあり、叫び声があるわけもなく聞こえづらいが、身なりのままに品がよく、敬語も多い印象を受けた。
笑い声も「ほほほ」とか「ははは」とかで、赤斧休憩所や満腹処の良くも悪くも人間味あふれる様子を知っている身からすると笑えるくらい紳士的らしい。金櫛荘の食堂を思い出すが、あそこは別に貴族ばかりが来るわけじゃないしね。
改めて、客層を見てみる。
服装はさっきも触れたが絢爛の一言だ。
服の上にはみんなコートやマントの類を羽織っている。羽織り物には
服の意匠も、赤、青、緑に、黄色にと、色も多彩とくれば、描かれた模様も幾何学的なものにゴシック風にストライプにと実に様々だ。アクセサリーをつけている人も多いが、なんともまあ服の方が目立っていて、どちらかといえばよく見なければ分からないとくる。
豪勢さに気を取られる一方で、例によって……服のセンスにはいくらか残念なものがあることに気付く。
手前にいる痩せ気味の人の靴の爪先は馬鹿みたいに長く、奥の方で話し込んでいる若い貴族の1人のタイツは、なんとレモンイエロー色とエメラルド色だ。下8割がレモンイエローで、上2割がエメラルドという配色。なんなんだろうね。前衛的なセンス?
服装はともかく、顔つきに関しては一門の人物が多く集まっているように見える。
ベルガー伯爵のような神経質そうだが知的な顔、ホイツフェラー氏のようにヒゲをたっぷり生やした威厳ある顔、武将然としたいかめしい顔つきの人などなど。ヒゲのはやし方にしても優雅で洗練されたものに見えてくるから不思議だ。喋り方や服装って大事。黒髪褐色の中東系イケメンで、白い薄手の着物を着たいかにもな砂漠出身の人もいた。
そういえば……女性あんまりいないな……。
いることはいるようなんだけど……質素なドレスにヘアネットの組み合わせや、頭巾で完全に髪を覆ってしまっている人もいたりして、男性陣に比べると豪勢さや主張の加減はだいぶ控えめだ。
市井を歩き回ってる限りではそんなに男尊女卑の世界ではないように思っていたけれども。オルフェではあまり女性の権力者はいないのか? 七星や七影にはいるんだけどな。ミージュリアは女王だったので、国による感じかな。
鎧をつけた物々しい人も多くいる。鎧を着ている人は、羽織り物を羽織っている人とそうでない人がいるようで、後者は隅の方によくいる。警備か。
……おぉ?
客の中には角の生えたオークかオーガか分からないが、それっぽいのがいるようで驚く。顔も人族寄りではなく、デミオーガのように怪物寄りだ。額からは数本の角が生え、まぶたは目に乗っかるように分厚く、鼻も鼻の穴が見えるほどに持ち上がり、口からも牙が伸びている。
また特徴的なのは、目の上下から伸びる黒いボディペイントならぬフェイスペイントだ。どこかの部族出身か。
七影には
彼はカレタカとは違って緑色の体ではないようだが、鎧はちょっと物々しいが立派なものだし、背筋も伸びている。向かいの貴族の人の話を、ときおり頷きつつ、静かに聞いているようだった。そもそも社会性のない者がこの歴々が集まる場所には来ないだろう――
「――ダイチ」
裾を引っ張られたので振り返る。
有権者ばかりのこの場のラグジュアリーな雰囲気と可憐なドレス姿のせいで一瞬どこの令嬢が話しかけてきたのかと思ってしまったが、インだ。
インは高いドレスを着ている高貴な心持なんてこれっぽっちも見せず、老成した精神のまま、いつものように皮肉っぽく口元を緩めて、少し戻った場所を俺に指差した。
見れば先ではみんなが集まり、その合間からは、小さなテーブルに座る見知らぬ坊主の男性が覗いている。
坊主なので貴族っぽくはないが、鮮やかな色合いの朱色のシャツの上に羽織った黒地のベストは金糸の縦線模様の入った高そうな代物で、胸元にも銀色に輝くブローチがある。文官的な人かな?
「名簿を作ってるようだぞ」
ああ、じゃあやっぱり彼は文官系か。
俺も足早に向かうと、ベルナートさんから「ダイチ君の分は終わったみたいだよ。インちゃんの分もね」と一言。気を使わせてしまったらしい。あらら。すみませんと詫びを入れておく。
傍に行って見てみれば、彼はテーブルの上に広げられたレストランのメニューのような装丁の本に視線を落としていた。手には羽根ペンがあるが、書き出す様子はない。胸にあるブローチはじゃっかん造形が違うようだが、銀勲章と同じ獅子――王家の紋章だった。
中には……俺たちの名前と種族名が書いてある。どうやら既に書き終えているようだが、俺とインのところはもちろん人族になっている。
男性は俺に気付き、やや表情に乏しいようだが、軽く会釈したかと思うと落ち着いた動作で立ちあがった。そうして胸に手を当てて、ご協力ありがとうございました、とみんなに一礼した。やっぱり終わっちゃってたか。
「ご出席なさいます方々の記録はわたくし、アンスバッハ王室第三書記は副書記官、ウーモルト・ニクラムが担当致しました」
王室の書記官の言葉に面食う。獅子のブローチがあるのでそうだろうが……。
自分の格好に変なところがないよな? と改めて自分の服装をちらりと目に入れる。といってもいまさらどうしようもないのだけど。
では席に参りましょうとダビエスさんが促すので、俺たちはウーモルトさんの場所を離れた。
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