8-25 忘却の旅路 (1) - 精神操作


「――なんだ。誰かと思いきや……大口ってダイチか。マクイルさんともども、すみませんねぇうちのが騒いで」


 やってきて席についたラズロさんに、まあ俺のせいというか、と苦笑する。

 ラズロさんの後ろに立っているウィノーナさんと目が合い、申し訳なさそうな顔をされる。


「ま、うちとしてはこれだけ預けられるのはありがてえよ。……近頃は貴族の上客も増えてきていい塩梅だったんだが、憩い所でも話してたが、先日のアマリアとの戦いだ。勝ちはしたが金と兵士の損失を見れば敗戦とさして変わりはない。商人どもはこぞって預金場所を鞍替えだ」


 ラズロさんは深刻そうにため息をついた。

 うーん、まあ戦争被災地から遠い場所に預けようとするよな。


「ああ、それとこれな。――お前さんがうちの“お得意さん”であることを証明する書面だ」


 そう言ってラズロさんは木製の筒をテーブルに置いた。両端が木彫りの三角形になっている。なんだこれ。結構作りはいい。開けてみな、と言われたが……。


「ギルドマークがついてない方に金具があるだろ? 金具を取って開けるんだよ」


 確かに一方の三角にはケプラのギルドマークが彫られていて、金具もあった。箱とかについている、突起の部分に金具を引っかけるシンプルなやつだ。

 金具を外し、反対の三角を引っ張ると、三角が開いた。


 筒の中には丸めた紙が入っていた。卒業証書みたいだな。


 綺麗な白い巻き紙を開いてみると、帳簿と似たような見出し飾りとケプラの逆三角形のマークがあり、俺を100万ゴールド以上の資金を持つ上客であり、これをケプラ支部のギルドが保証することを示す短い文面とラズロさんの署名と捺印があった。


>称号「ギルド:オルフェのなじみ客」を獲得しました。


 証明書か……もしやこれ、国境を越えるのに使えないか?


「これ、越境するのに使えますか? 依頼を受けて攻略者証明書をもらうつもりだったんですが……」

「もちろん使えるが……ダイチは<ランク1>だし、こっちの方が断然証書としてのレベルは高くなる。まあ、書いてる内容は似たようなもんだが」


 おぉ~~。じゃあ依頼しなくてよくなったな。勉強までにしてもいいんだけども。


「どっか行くのか?」


 ――俺はガシエントに行くことを伝えた。戦争から逃れるためかとラズロさんが訊ねてきたので、元々計画していたことであって、戦争は偶然であることも伝える。確かに戦争は出発のキッカケの一端ではあったけれども。


「――ダークエルフの里とはそりゃまたえらく遠い旅だなぁ。戻ってくんのか?」

「分かりません。……でも人族が一番多いのはオルフェと聞いてますし、タジフールに行くようなことがあればオルフェは通りますし。また来ると思います」


 そうかそうか、とラズロさんが気のいい笑みを浮かべて納得した。


「旅の支度は大丈夫なのか? 旅慣れた奴でも1ヵ月以上見る旅路になると思うぞ? お前らだけじゃちょっと大変そうだが……」

「人手の方はホイツフェラー氏がまとめてくれて」


 ほう、とラズロさんが軽く声をあげる。


「えっ、戦斧名士ラブリュスの??」


 それよりも驚いた風だったのはレナックスだ。俺のことを見てきていたので、そうですと頷いた。ファンかなにかか?


「憩い所でも伯爵と親しげだったからなぁ。もしかして旅路に戦斧名士の部隊がついてくれんのか? さすがに伯爵は来ないだろうけどよ」

「いやいや。グライドウェル家の傭兵ですよ」

「ああ。そういやタチアナ嬢とも知り合いだったな。顔がえらく広いもんだ。……つまりあれか。ホイツフェラー伯爵を前にタチアナ嬢が張りきっちまったってやつか?」


 見てきたようにそう語るラズロさんに、まったくその通りなので、同意する。


『まっかせといてくださいよ! グライドウェル家の威信にかけて精鋭を選びますから!!』


 と、まるでインのように胸を叩いて見せたタチアナの姿が浮かぶ。正直タチアナだけだと不安だが、隣にはタチアナの父――グライドウェル家の当主がいた。

 白髪ももう多いが、体格がよく、歴戦の猛者といった風体の彼を疑ってかかるような心境を俺は持たなかったものだ。タチアナの兄もいたが、父親とはあまり似ていなかったものの、傭兵たちをまとめているだけあるのか風格ある人だった。


「ま、それなら大丈夫そうだな。グライドウェルの傭兵もピンキリだが、ホイツフェラー伯爵と約束した手前、変な奴らは選ばないだろうからな」

「だといいんですけどね」


 ……と、なんか眠気が来た。お疲れかな、俺。

 ラズロさんがふっと笑みを浮かべる。


「おてんばなタチアナ嬢を見てるとそう思えんかもしれんがね。グライドウェル傭兵の上の奴は相当の手練れだぞ? 近頃、どこぞの名家の宝剣を携えた傭兵――情報屋と本人は言うんだが――がこの辺をぶらついてるんだがな。こいつが七星・七影の副官並みの奴らしくてな。グライドウェル傭兵の上の奴はこいつと斬り合えるっていうんだからな」


 情報屋。いるんだろうけど、ワードは初めて聞いたな。

 ……眠気結構強いな。ぼちぼち切り上げていったん帰るか……。


「情報屋ですか……」

「本人が言うにはな。ま、俺らからすれば、“凄腕の傭兵”にしか見えないが。剣の腕は元より、目が赤かったし火魔法の手練れでもあるらしいぞ。……奴はダミアンっていうんだが、目つきが剣先のよう鋭く、口数の少ない男でな。だが、俺たちにとっちゃ英雄的ないい仕事をしたことのある奴でもある」

「英雄的……」

「うむ。セルジュマーっていう男爵家があるんだが、現当主が商売敵の商人を裏で何人も殺してた極悪人でなぁ。んで、ダミアン――俺の勘では偽名だ――はメイ・マーフィ血盟団の連中と組んで手下どもを根絶やしにし、当主を捕まえてくれたからな。てっきり俺は奴の剣でくたばると思ってた口だが、公開処刑の時はスカっとしたもんだ」


 ……公開処刑か……。目をこする。


「どうした?」

「いえ……ちょっと眠くて」

「ふっ。さっきは一生もんの美味いもん散々食ったからな。眠くもなるだろうな。今日はいい夢見れるぞ~~? きっとな」


 そう言って、ニカッと気持ちのいい笑みを見せるラズロさん。確かに、美味いもん色々食ったからなぁ……飲み物以外。


 ラズロさんに気遣われ、話を切り上げられたままに、俺たちは金櫛荘に引き上げることにした。


 あまり記憶が正かではないが……金櫛荘に着く頃にはマクイルさんとディアラに肩を貸してもらい、その後はダンテさんにおぶってもらってたように思う。


 俺が“先天性的に”眠気に弱い性質とは言え……みっともない話だ。



 ◇



 ――こっちですよ。……


 頭の中に声音がこだました。若い女性の声だ。若いが、なかなか芯が通った声だった。


 七竜たち以外に念話が? という疑問が湧き起こる。だが、すぐに意識外に追いやられてしまった。

 代わりにあるのは声の主に対する信頼感だ。俺は彼女の意志に従わねばならなかった。彼女は「俺の主」であり、畏敬をそそぐべき相手であり、そしておそらく、最大の友でもあった。当然、男女の壁を越える友情だ。


 俺は目を開ける。


 ……もう夜だ。部屋は蝋燭が1つついているのみで、薄暗い。もっともスキルの《夜目》がある俺にとっては歩けなくなるほど部屋が暗くなることはない。


 ――そう。こっちです。……


 彼女が「来い」と言っている。なら、俺は行かなければならない。


 間もなく新人社員の頃以来、長らく味わっていない新鮮な感動が、俺の心境に到来した。

 ただ命令に従えばいいのは実に楽なものだ。責任問題の如何がないし、誰かの顔色をうかがう必要もない……。


 しかしそんなわずかな感動も、使命感にとってかわる。

 彼女の命はすなわち俺の最大の使命だった。すべてにおいて優先的な事項だった。俺の心境の如何など関係ない。


>称号「精神操作される」を獲得しました。


 誰に? 俺は俺だ。俺は誰にも操作されてはいない! 俺は彼女の忠実なる僕だ。

 俺は視界の左隅にポップアップしたウインドウを消した。


 俺はゆっくりとベッドから起き上がった。


「……どうした?」

「……考え事。ちょっと夜風に当たってくる」

「……ふうん? はよう戻るのだぞ~」


 インとの短いやり取りを終え、俺は立ち上がった。

 燭台の傍にある手持ち用の燭台の蝋燭に火をつけて、部屋を出る。


 ふと妙な違和感を覚えた。自分の左肩に意識が向く。肩は外見上は何も変化はない。俺の肩だ。

 だが紛れもなくそこには“なにか”が在った形跡、覚えのない感覚がそこにはあった。


 その一方で腹にはインの片鱗――インの俺に対して行った魔力供給の痕跡があった。いつも朝にはこんな感覚は持たない。

 どうも少し敏感になっているようだ。なぜ?


 ――そのままこちらへ。……


 少し強められた語調に俺は立ち止まったが、すぐに歩くのを再開した。疑問や迷いが霧が晴れるように消えていく。


 金櫛荘を出たところに「こちら」がある……。


 俺は階下を降りていき、わずかに開いていたエントランスの扉を押して、金櫛荘を出た。

 俺は考えるまでもなく、彼女の言うところの「こちら」へ向かっていた。


 街灯の火の灯りのみがある静かな前庭の先には馬車が止まっていた。賊の襲撃にも備えているという金櫛荘が所持している立派な馬車ではなく、乗り合い用にも荷運び用にもできる、ありふれた2頭引きの馬車だった。フィッタまで行くのに乗ったものに似ている。


 俺は引き寄せられるように馬車の元に行った。

 あるのは「こちら」ではない。「こちら」には彼女はいない。だが、俺が行くべき場所・・・・・・・・だ。


 馬車の傍には男がいて、やってくる俺のことをじっと見つめていた。


 着ているのは普通の騎手が着るようなごく普通の茶系統の上下だ。だが、彼は俺が馬車の近くに来るまで全く動じる素振りがなかった。

 俺は彼がただの騎手でないことを察した。具体的にどういう人物なのかは分からなかったが。


 俺は馬車の横に立ち止まり、男を見ながら彼が動くのを待った。確かにここが「こちら」だ……。

 馬の一頭が首をこちらに向けてくる。どことなく不安そうな眼差しに見えた。なんだ?


 やがて男が近づいてくる。


「……積み荷の奥になめした革を入れたでかい木箱があるから中に入れ」


 男は押し殺した声で俺にそう告げた。


 茶色い無精ひげを生やした顔は、服装と同じようにそれほど変わったものはないように思えたが、声は不自然なほど落ち着いていた。今は夜だ。近づいてくる者は兵士か不審者だろう。

 やや細いが威圧的な声の調子も合わせて、彼には俺に対する好意的な感情は何1つないように思えた。しかし敵視ではないのを察した。中に入れという言葉にしてもそうだ。


 周囲には人はいない。だが、ケプラは夜には警備兵や攻略者が徘徊しているので俺たちの挙動は怪しく映ることだろう。


「念話の主は?」

「念話? ……頭でもイカれてるのか?」


 男はそう言いつつも軽く周囲に視線を這わせた。


「早くしろ。ダグニーが待っている」


 あまり時間がないのか、彼は俺の肩に手を乗せて行動を促した。


 彼の手が触れ、彼の手と俺の肩の間に薄い小さな魔法陣が出た瞬間、俺は彼に言いようもない親近感を覚えた。

 つい彼の顔を見てしまったが、だが、その親近感よりもダグニーという言葉の方に俺は注意が向いた。


 “ダグニーは俺の主だ”。


 俺は男の言われるがままに早く乗り込むことにした。ダグニーの関係者なら、俺が意見することは何もない。従うだけだ。


 馬車に入ると、「こちら」の気配が強まった。やはりここらしい。だが、ダグニーのいる気配はない。


 荷台には男の言うように強い皮のにおいがあった。奥には確かに木箱があり、巨大な狼かなにかの毛皮で覆い隠されていた。

 木箱はそれなりの大きさだったが、俺が入るには縮こまらないと厳しそうだ。


 燭台をチェストの上に乗せ、毛皮を取ってみたが、木箱にはフタらしきものはなく、どう入るのか分からなかった。

 持ち上げてみるとフタが開いた。中にはなめした革がいくらか入っていた。


「どうした?」

「いや……何でもない」

「ともかく入れ。兵士が来る。もたもたするな。その後は開けるまで黙っておけ」

 

 言われるがままに木箱に入り、フタを閉めた。漏れ込んでわずかな光がなくなっていき、俺の視界は一瞬真っ暗になるが、《夜目》により明るくなる。とはいえ、間近の木目くらいしか見ることはできない。

 物音があり、おそらく元にあったようにフタに革が乗せられた。置いていた燭台も男は持っていったようだ。


 やがて馬車は発進した。


 ――しばらくして、「おい! 馬車の速度を落とせ!」と怒鳴る声がかかる。言われた通りに馬車は速度を落とした。


「騎手。夜な夜な馬車を走らせている理由を言え。理由によっちゃ、朝までひと眠りしてもらうぞ」

「わ、私は別に怪しい者ではないんですよ、旦那」


 馬車にはさっき話した男以外にはいなかった。なら、この慌てた素振りで話している騎手は彼だろう。さきほどの威圧的でひどく落ち着いていた人物には到底思えない。


 声をかけてきた人物以外に別の者の足音があり、さらにもう1人がやってくる。


「疑わしき者はみんなそう言うなぁ。なあ、イワン」

「全くだな」


 マルコとイワンか。


「ん~? 革のにおいがするなぁ」


 足音が馬車の後ろに行ったかと思うと、「牛とガルムだな」と言葉をこぼされる。


「荷物は革か?」

「は、はい。レイノルズ親方から言われて牛とガルムとロックイグアナのなめし皮をもっていくところです」

「レイノルズ。ゴーアーズ工房か」


 夜に工房に向かう理由を言えよ、とイワン。


「レイノルズは人嫌いなんだよ、イワン。でなければヴァンパイアって噂があるくらいだな」

「ヴァンパイアねぇ……」


 ヴァンパイアいるのか。


「革職人のレイノルズが人嫌いなのは本当だぞ。ヴァンパイアの噂は初めて聞いたがな」

「本当はもう少し早くに向かう予定だったんですが……セティシア市街戦の話を聞いて以来最近眠りが浅くて……寝過ごしまして……」

「セティシア市民は夜も眠れぬ日々を送ってるらしいな。……じゃあ、お前はこれから親方に怒られに行くってわけか?」


 騎手は「いえ、怒られはしないとは思うんですが……親方はもう歳ですから。ただ、今まで遅れたことがなかったので何を言われるのか……」と心境を弱気に語った。

 これ、演技か? だとしたらガチの演技派すぎる。


「確かに少し気になるなぁ。なら、今度会った時に何を言われたか教えてくれ。ついでに血を吸われたかどうかもな」


 マルコがそんな冗談を言いながら、馬車を離れていく。イワンと俺の見知らぬ警備の兵士も同様だ。


 静寂が訪れ、馬車は再び走り出した。


 旧知の2人の相変わらずの様子に頬が緩むが、どうやら馬車はケプラを出るらしい。

 今度は2人にいつ会えるだろうかと思う。ダグニーが望んでいるのなら、俺はケプラに戻らないだろう。そうなったらお互いに所在は分からなくなる。不便な世界だ。


 ――門についたようで、門番兵により馬車が止められる。


 さすがに冗談交じりではないが、さきほどの3人がしたのと似たようなやり取りがあり、くわえて騎手はなめし皮の買い付け証書を門番兵に見せたようだった。


 兵士の1人が荷台に軽く足を踏み込んで中を検分した。息をひそめる。

 松明を持っているようで視界が明るくなったが、すぐに元の暗がりに戻った。兵士が馬車から降り、離れていく。


「よし。行っていいぞ。……何度か勧告したことがあるんだがな。今は情勢が情勢だ。夜に馬車を行き来させてもろくなことがないぞと親方に言っといてくれ」

「分かりました……難しいと思いますが」


 門兵はため息をついた。

 この門兵は俺の知らない人だ。団長たちの葬式で南門を通りはしたが、人で溢れていた。南門担当の知り合いもとくにいない。


「なら、相応の覚悟をしといてくれと言っといてくれ。老人に鞭を打ちたくはないのだがね」


 やり取りはそれまでで、馬車が発進した。


 ……馬車が石畳の音を立てる中で、俺はマップを開いた。俺を示す赤いマークは南門からケプラを出て南下しているものらしい。


 緑色のマークが目に入る。インだ。姉妹もいる。アレクサンドラは……ウルナイ像の辺りにいた。

 寂しさと罪悪感が胸に到来してくる。インがいなかったら俺は今頃どうなっていただろう。……というか、俺、魔力の補充がなかったら死ぬじゃないか! ダグニーがなんとかしてくれるだろうか?


 もしどうにもできなかったら俺は3日後に死んでいるのか。

 ……ダグニーがそれを望むなら仕方ないな。でも一応言っておこう。


 石畳を越えると、遠方で馬車に並走しだした者の存在に気付く。速度的に馬に乗ってるものらしいが、これは……ダグニーじゃないか?


 ダグニーらしき者は近づくことはないようだ。一定の距離を保ち、馬車に並走している。

 この分だとあとで会えそうだな。頬が思わず緩み、内心が幸福に満ち満ちてくる。


 ごめんなみんな……。でも、もう、ダグニーが俺の全てなんだ。

 ダグニーのことを考えると良心の痛みが和らぎ――そして、俺のあらゆる不安は消えた。

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