9-8 汚名返上の行路 (5) - 腹がしぼむ奇病と逢引方法


「それにしてもここはいつまでもあまり変わらないな。私のようなたいして金のない役人風情でなく、オズディル男爵のような金持ちがまたここを住処にしてくれればいいんだがな」


 ザランさんは視線を落としてそうこぼした。だいぶ情のうつった馴染み客らしい。


「仕方ないわよ。<エリシー宮>には勝てないもの」


 <エリシー宮>はホッジャ氏の言ってた高級娼館だ。そういえば彼は逃げたんだろうか。


「でも、ケプラは兵士が増えるからしばらくは稼ぎ時だと思うわ。新兵が<エリシー宮>になんて行けるわけないし」

「増えるかもしれんがね。腕の筋肉がバキバキになったままじゃここには来んよ」

「確かにそうね」

「まあ、来る元気があるのもいるかもしれないけどな。兵士にはそういう戦いへの気力や精気を別に持ってる奴がたまにいる。期待しておくべきなのは外からの兵士だろう」


 ザランさんはそうして俺たちの方に進み出て、顔ぶれをざっと眺めてくる。

 彼は姉妹をちょっと珍しがる様子を見せ、テーブルの方にも目を向けたが、少しばかり見ていただけで「邪魔したね」と朗らかな調子で俺に言ってくる。


「いえ」


 多少世間話はしたが、俺たちとメリーさんのやり取りにとくに介入することはないらしい。


 そうして彼は持っていた茶色のベストを颯爽と羽織った。


「じゃあ行くよ。……バスト、ボラアジュ、ゾイ。案内で稼ぐのもほどほどにな。君たちの身の保証は私やメリーでは残念ながらできないのだから。――ま、ここに金を落としてくれる客を寄こしてくれるのは私も歓迎するがね」


 そう言って、ザランさんは再び俺たちの方を見た。視線が到来したので、俺は眉をあげて無言の返答をしておく。ザランさんもまた似たような表情を返してくる。シルメリアさんがそうなら彼もいい人そうだ。


 ザランさんが娼館を出ていく。


「ザランー、早く結婚しないと婚期逃すぞ〜」

「ああ、分かってるよ」

「ここに来てばかりいたら結婚してからも来ちゃうよ。そうなったら家庭に暗雲がたちこめるんだから」


 背中を見せながらザランさんは、少女の男にまつわる悲しい性な現実的な言葉には手だけを振って娼館を去っていった。


 見れば、メリーさん――シルメリアさんが、穏やかな眼差しを彼に送っていた。おや。

 ザランさんはさっきまでしっぽり楽しんでいたようだし、花魁のように簡単に結婚ができない決まり事が娼館にもあるのかは知らないが、2人がくっつけば一番いいストーリーなんじゃないのと思ってしまった。難しいとは聞くけどね、お水の人と客がくっつくのって。


「あ、そうだ。――これいる? 精力剤よ」


 と、シルメリアさんは思い出したようにそう言って灰色の丸薬の入った瓶を取り出した。

 出た~精力剤。でも今の俺はじゅうぶんなんだよな。


「いや、」


 断ろうとするとインがくく、とほくそ笑む。


「もらっておけばよかろ。若いうちから精はつけとくといいらしいぞ?」


 そりゃあ若いうちからの方がいいに決まってるだろうけど。

 瓶内の灰色の丸薬が目に留まる。特別変なところはなさそうだが……。


「ちなみに何が入ってるんです? それ」

「ヴァイパーっていう蛇とニンニクとミノタウロスの角ね」


 出たよミノタウロス。ヴァイパーってマムシか~。



 精力剤含めた諸々が入った木箱ごともらったあと、俺たちは商館を後にすることにしたが、俺はというと。

 考えていた通り、ネリーミアの時のように3人には外でちょっと待っててもらい、シルメリアさんと避妊薬――瓶に入っていた別の丸薬について話をした。


 何でも避妊薬はエドウという芋とストレイというニンジン、イチヤクソウという薬草から出来ているらしかった。

 エドウは食べると元気になるマントイフェル辺境伯領やタジフール国をはじめとする大陸南部で取れる芋で、一方のストレイは食用としてはまずくて食べられないが花が綺麗で人気なのだとか。イチヤクソウはツツジの一種で、煮詰めた汁が止血用や炎症を抑える傷薬としてよく使われるらしい。


 はじめは驚いたが避妊薬が植物から出来ていることには安心した。

 モルヒネやアスピリンなどをはじめとして、薬はよく元を辿れば植物の持っている成分に行きつくからだ。


 ピルの配合成分はエストロゲンとプロゲストン――なんか名前が少し違う気がするけど――の2種類の女性ホルモンだ。

 この女性ホルモンを体外から摂取することにより、既にじゅうぶんな量のホルモンの分泌がされていると脳に誤解させ、受精ないし着床を防ぐという代物。


 魔法や、この世界特有のなにか神秘的な現象が介在しないのなら芋やニンジンに有効成分が含まれているということになるので、それはそれで驚くのだけども。植物は偉大だ。

 ただ、それならそれで効果が気になる話だった。さっきはだいたいの薬が植物に行きつくと言ったが、人体に悪影響を及ぼさないよう細やかな調整がされるのは近代・現代に入ってからだからだ。


 だが、俺の心配をよそにこの避妊薬――アムスアムリスというらしい――の効果は、貴族向けと庶民向けで多少効果の差はあれど、しっかりあるらしい。エルフの薬師が考案したものらしい。

 接種後の容態も、吐気、頭痛、むくみなどで、程度の差こそあれ俺の聞き及んでいる副作用の内容で胸を撫でおろしたものだった。



 で、少し余談もして。


 この薬をつくったのはアデラマルキンというエルフなのだが、ここが正直一番驚いた。


 エルフたちにはかつて、妊娠してもある日から「腹がしぼんでしまう」という奇怪な現象が起きた。中の子供はもちろん死んでいる。

 当時のエルフ王妃もこの奇病に見舞われたのだが、これを究明するべく動いたのがアデラマルキンたちエルフの薬師や医者であり、この活動の際に出来たのがこの避妊薬らしい。


 もちろん腹がしぼみ、胎児が死ぬ事件ないし奇病の顛末も聞いた。

 なんでも妊娠期に肉や魚を食べるようにし、また、妊婦の魔力を減らすことで解決したらしい。


 肉の方はフリドランを追放された女エルフが快調に子供を3人出産していたことに着目し、彼女の食生活にならってみると功を奏したとのこと。

 肉はとくに、モカディックというバッファローとクジラを足したような海の魔物の肉がよいとされるのだとか。たぶん鉄分不足じゃないかと思う。不足するだけで子供が死ぬならなんだか怖い話だが……。


 魔力の方に関しては。


 エルフの妊婦は出産までに生成する体内魔力が増えていくらしい。子供に魔力を分け与えるためだ。

 ただ、どうやら、この多すぎる魔力が誤って子供に行き過ぎてしまい、殺すことがあることも分かった。これは魔導士たちによる魔力の吸出しにより解決したらしいが、こっちもまた怖い話だ。病気ではないので魔道士やスキル持ちなしには分からないらしいし。


 こうしたなかなか興味深い話をしたあと、シルメリアさんは唐突に俺の相手が誰なのか訊ねてきた。相手は相手だ。

 色々と話してもらっておいて悪いとは思ったが、なんと言っても俺とアレクサンドラは関係を持ってからまだ日が浅いので「誠実な女性」と言ってぼかした。間違ってはいない。


 シルメリアさんは「誠実な女性、ね」と肩をすくめた。


「教えてくれなさそうとは思ったけど」


 と言いつつも、彼女は分かった風な、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべているのが気になった。

 俺とアレクサンドラの組み合わせは、傍目では年齢差があるし、確かにそれなりに意外な組み合わせだと思うけど……。俺はケプラに長いこと住んでいる住人でもないし。


 女の勘は鋭いというし。まさかアレクサンドラと友人だったりするのか?

 俺とアレクサンドラの組み合わせよりは、シルメリアさんとアレクサンドラの友人付き合いの方が納得しやすいかもしれない。


 と、とくに得意な話でもないし、じゃっかん逃げるようにそろそろ出ようかというところで、ここでは重大なことが比較的気軽に聞けることを思いついてしまった。


「……ところで質問なんですけど」

「何かしら?」

「……男女の恋人はどこで会っているんでしょう? 自分たちの家以外で」


 シルメリアさんは首を傾げて、まだ“して”いないのかと訊ねてくる。もちろんそんなことはない。


「いや」

「まあそうよね。自分でこれを買いに来るくらいだし。たまに用意がいい人もいるけど。……馬小屋とか家畜小屋とか、倉庫かしらね。庶民の手頃なところだけど」


 えぇ……? 家畜小屋がラブホ代わりとか……。

 シルメリアさんが「嫌なの?」とごくごく自然な調子で聞いてくるので、嫌ですと伝えた。倉庫ならまだいいが、そもそも借りる伝手もない。


「森が近い村だと昼夜問わず森に行くのがほとんどなんだけどね。お金もかからないし」


 森ね。危険もあるけど手頃スポットではあるだろうな。人目もないだろうし。


「ケプラでも逢引目的に昼にメイホーやフィッタに馬車で行くことがあるわ。若い男女が馬車に乗ってたらだいたいそうね。フィッタにはしばらく寄りつかないだろうけど」


 フィッタはな。しばらく兵士だらけだし無理じゃないか?


「知ってる? フィッタのこと」

「ええ。山賊に襲撃された件ですよね」

「そう……。住人はほとんど全滅よ。酷い話だわ」


 シルメリアさんは深刻めに息をついた。まあな……。


 にしても逢引で村か。行けなくはないけど……ときどき出かけていたインはともかく、夜以外で姉妹と行動を別にしたことはない。

 必要がなかったというのもあるが、逢引を理由にアレクサンドラと出かけるならなにか理由をつくらなければならない。


「あとは逢引屋と毛布屋、それに居酒屋ね」


 居酒屋?


「どれもちょっとお金が必要だけど、言えば空き部屋を借りることができるわよ。逢引屋と毛布屋は秘密主義を売りにしてることがほとんどだから、良家の人が、たとえば立ち寄った街の娘とこっそり逢引する時に用いるもっぱらの手段ね」

「居酒屋は秘密主義じゃないんですか?」

「店主はなるべく秘密にしてくれるかもしれないけど人の目があるから。誰が告げ口するか分からないし、良家の人はあまり利用しないわ。隠れて会うならなおさらね」


 足がつきやすいってことか。


「うちは貧乏娼館だから逢引屋を紹介するしかできないけど、それなりの商館なら言えば空き家を紹介してくれるわね。……で? 相手教えてよ。私も色々教えたでしょ? 誰なの?」


 あ、と思う。シルメリアさんは頬骨を持ち上げて満面の笑みだ。娼婦とは思えない朗らかさだが、一方で、教えてくれないわけがないといった圧を少し感じる。

 だんまりを通すこともできるが……とにもかくにも俺にとっては貴重な情報だった。


 観念してアレクサンドラのことを伝えると、シルメリアさんは「ほんとに??」と驚いたように見てくる。

 驚く相手だったらしい。というか知ってるんだな。


「ええ、ほんとですよ」

「……あらそう。ふうん……堅物のあの人がねぇ……ふーん」


 堅物ね。確かに普段のアレクサンドラはそうかもしれないけど、シルメリアさんが友人というには少し距離がある感じか?


「言い触らさないでくださいね」


 はじめは探るように俺の顔や体に視線を這わせていたシルメリアさんだったが、やがて赤い大きな口を二ッと伸ばして、「分かったわ」と笑みを浮かべてくる。満足気だ。


「ところであなたどこに住んでるの?」

「今は金櫛荘に泊まってます」

「え、うそ??」


 シルメリアさんは目を見開いた。


「……あなたここの人じゃなかったのね。いえ、そんな気はしていたけど」

「ええ、まあ」


 周りはヨーロッパ人だらけだしなぁ。シルシェンとかいうアジア系もとくに見ないし。亜人たちはハーフ寄りの薄い顔立ちの人も多いが、俺の見た目的には人族だろうし。


 と、シルメリアさんが俺の横に座ってくる。

 とたんに強まる馥郁たるバラの香りと女の甘い香り、それとすっと俺の手にかぶせてくる白い手。え?


「なにか困ったことがあったら言ってね。応援してるから」


 手を乗せてきた割には彼女の顔には誘うような感じはなく、もっとラフな親密さがある。

 ずいぶん親身だな……。堅物と弟のカップルなら応援したくなるのも分かるけど。


 一瞬、いくばくかの期待と期待を抱いてしまった俺自身への不安が到来する。

 視線を落とした。相手が娼婦ならと距離の近さには納得もしつつ、彼女の行動の動機はなんだろうと思う。


 ……あ。金櫛荘で驚いてたし、金か?

 金なら納得だ。貧乏娼館のようだし。金を出したら機嫌よくしていたものだ。


「……ありがとうございます」


 視線を逸らしてしまったし、童貞くさい素振りを見せてしまったが、シルメリアさんは満足げに微笑んだ。

 弟のようだと思っているなら、俺のきょどりは何の違和感もなかっただろう。


 なんにせよ、頼もしいのは違いない。

 俺はこの世界の男女交際のいろはをよくは知らないのだから。シルメリアさんはその辺のプロだろう。言い触らさないか少し不安にもなるが、親身になってくれるのは助かる。しばらくしたら旅立ってしまうけど。


 改めてお礼を言い、話を切り上げて娼館を出る。

 3人の元に戻りつつ、どうやってアレクサンドラを“閨”に誘うか考え始めたところで、こんな称号。


>称号「娼館には興味がない」を獲得しました。


 さっきは興味があるって称号だったのにどっちだよ。

 ……ああ、娼館に来たのに話、しかも商談してたからか。歳頃で金があるのに娼婦と何もしないで出たのは確かに変なことかもしれない。

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