0 始まりの始まり


「「「かんぱああぁーーい!!」」」


 ビールジョッキを片手に、店内の喧騒に負けないほど大声で乾杯した俺たちは、一斉に天の恵みビールをあおっていく。


「はあーーー、ひっさしぶりのビールはマジうまいわー」

「禁酒してたんだっけ。いつから?」

「3月からだねぇ。ちょっと太ったよ」


 イワタニが感慨深くそう言って、口の周りについた白髭も気にせずにまたジョッキをあおる。


「ぷっはあぁぁ!」


 俺も飲み会はちょっと久しぶりなので、イワタニの飲みっぷりにつられ、ついもう一口もう一口と飲んでしまう。途中でイワタニほどは飲めないのを思い出して、みんなに気づかれないようにペースを落とした。

 総量はそこそこいけるんだけど、一気にいくとバテやすいんだよね。


「たった1ヵ月の禁酒で太ったのかよ。だらしねえなぁ」


 肘をついて俺たちの飲酒を観察していたガブが冷笑を隠さずにそうなじる。


「あぁん? だらしなくねーよ。初めての禁酒生活だし、よくやったって褒めてくれ。というか、元々1ヵ月の禁酒って決めてたしな」

「どうせマイちゃんにも手伝ってもらったんだろ?」


 そう指摘する俺に、「そんなことねーわ」と目線をそらしながらもう1杯あおるイワタニ。

 ガブが肩をすくめながら俺を見てくる。まあ、いつものことだ。


 マイちゃんが手伝うという言葉を使ったが、傍目から見て羨ましがられるような男女のやり取りが二人の間にないことは、ここのメンバー全員が知っている。

 せいぜい飲んだら家を出ていくとか言われていたり、自室に鍵をかけられるとかそんなとこだろうと思う。何度そう思ったかわからないが、マイは随分丸くなったものだ。


「マイちゃんもくればよかったのに」

「な。久しぶりのノヴァの飲み会なのにな」


 浮気じゃないの、とニシシという言葉がよく似合うこずるい笑みを見せて笑う紅一点のニルと、同じくこちらは知的だがニヒルに笑うガブ。

 二人は一度は深い関係に行きそうな雰囲気がなくもなかったが、結局仲が良い友達に収まっている。とびきり馬の合う男女にはよくある話だ。


 彼らの言うノヴァとは、Massively Multiplayer Online Role-Playing Game、言い換えて、世に数多あるMMORPGゲームの一つである【CRISISクライシス】内でオレたちが所属しているギルド「calling novaコーリング・ノヴァ」のことだ。

 ノヴァはPVP戦――Player versus Player。特にゲーム内における対人戦のこと――の数々でサーバー内、いや……全サーバー内でも頂点にいたギルドの一つだ。


 でもそれは昔の話。

 主要メンバーのIN率――ゲームにログインしている時間および活動している時間の長さ。この場合はギルドのPVPコンテンツへの参加率も含む――が飽きや引退を理由に落ちてきたことなどを機に、現在はPVPはほぼ休止という形をとっている。PVPが好きなメンツが揃っていたので、メンバーも散り散りだ。


 そろそろノヴァは設立から6年になる。クライシス自体の運営も6年を過ぎたところだ。MMORPGで5年6年の運営期間は珍しいものではないが、小学生なら高校生に、中学生なら早くて社会人になっている。

 受験、学校生活、仕事、結婚、あるいは親から叱られてなど、事情は人によるが、人が減るのは至ってノーマルな出来事でもある。他の列強ギルドでも、ノヴァと同じような理由から休止策をとったところは珍しくない。


 ノヴァはいわゆる元廃人ギルド――たいていPVPが恐ろしく強いギルドという意味――というやつだが、元廃人ギルドらしいと言うべきなのか、廃人ギルドは生産コンテンツには力を入れていなかったりするのに今でもちょろちょろ各生産コンテンツのランキングで上位を取ってしまっている。

 ノヴァの古く華々しい戦歴を知らない新しく入った人から、「生産系ギルドかと思っていました」と言われるレベルだ。

 廃人ギルドは何をしても廃人ギルド。ノヴァについて、よく思うことの一つだ。廃人の言う「まったり活動してます」の言葉ほど信用のならない言葉はない。


 ここに集まっている俺を含む四人は、そんなノヴァの古参かつ幹部のメンバーだ。


 俺はクライシスの稼働後1ヵ月で始めた口で、他の三人はβテストの頃からいるのだが、ノヴァが休止に入ってからはこの四人でたまにこうしてオフ会を開き、お互いの日常やゲーム内の出来事を語ったりする。


 オフ会というのはなかなか不思議な会合だと思う。


 下手をすると、数年もの間ずっと仲良く喋っているのに何一つリアルのプロフィールを知らない相手と会うのだから。

 で、勇気を出して会ってみたら、会話の内容がゲーム内で喋っている時と何一つ変わらないのはざらにある。本当に奇妙だ。


 それがまた楽しいんだけどね。

 どういう経緯であれ、いかに奇妙な会合であれ、結局のところ友人関係の一番の楽しい部分に戻る。「同じ趣味を持つ人と同じ趣味についての話をするのは楽しい」というやつだ。

 もちろん普段リアル事情を話しているなり、通話アプリなんかでがっつり話していれば、オフ会なんてしなくても従来の同じ趣味についてばかり話すわけもない普通の友人関係に近い関係も構築できるんだけどね。


 そんなオフ会は、ノヴァの現GMギルドマスターであり、独り身の俺にとっても、ささやかな楽しみの一つだ。

 仕事の同僚との飲み会もそれなりに楽しいが、やっぱり仕事の愚痴が出ないことや仕事の面倒な人間関係が持ち込まれないことは本当にストレスがない。

 オフ会にはそういう話はできるだけやめようという暗黙の共通認識めいたものもいくらかあるように思う。自分たちが何を話していたら一番楽しいかがあらかじめ分かっている関係はとても心地良い。


「マイはマンガの締め切りが近いんだとさ。畑中さんも泊まっていってるよ。ま、今顔とか結構ひどい状態だから来なくて正解だろ」

「あー、となるとまた汚部屋になってるわけ?」


 イワタニがビールを空にして、「来る前にゴミ出ししたからな」とやれやれだぜな体で言葉をこぼした。

 その緩んだ表情には久しぶりのビールのせいか、駆け出しマンガ家である愛妻の最大の理解者であることに自負に対してか、喜びが感じられる。

 イタワニの場合は間違いなく後者だろう。

 以前は「ふふ、よかったね」なんて微笑ましい心境になったものだが、今では妬み嫉みが三割くらい占めてしまっている。

 やれやれだよ。俺ももう人生に、一人であることに寂しさ感じる独身男なんだよな。


 俺たち含めたノヴァのメンバーにとって、イワタニの近況報告という名の惚気話は恒例行事の一つになっている。

 俺のすっかり卑しくなってしまった心境はさておき、他人の惚気話なんてたいして聞きたくもないものだし、ギルド内で喋り散らすようなものなら下手をすれば脱退者が増えてしまうこともあるくらいだが、イワタニの場合はマイちゃんに“してやられた話”も多く、そういったことはない。

 その辺りのバランス感覚はさすがギルド内一番の年長者といったところだ。現実の年長者どももこういう感性を持っていればいいのにとは何度思ったか知れない。オヤジギャグをさも面白いと思っている風のあの語り草は勘弁してほしい。


 それになにより、あのマイという悪魔少女の改心っぷりに興味を示す人が多いのだ。

 ギルチャ――ギルド間で行えるチャット、ギルドチャットの略――は荒らすは、全体チャットで暴言吐くわ、シカイプのギルド会議では大泣きするわ。当時の副GMのアカウントを借りてギルドのパーティルームの家具や装飾品を全て破棄するなど、パーティルームの件は貸した方も悪いのだがマイの暴挙は枚挙に暇がない。

 パーティルームの件は特に騒ぎになった。マイは大多数のギルメンから追放処分を言い渡された。ただ、当時のGMがそうはしなかった。確かにマイは超がつくヒステリックな子だったが、ほとぼりが冷めるときちんと謝りはする子で、さらには女子高生だった。

 さらに言うと、母親はおらず、DVを受けていたという不幸話つきで、俺たち幹部はリストカットした痛々しい画像を見せられたこともある。

 そうした彼女の事情含め、今後の彼女の更生を考慮して、当時のGMが情状酌量があるとして汲み取ったのだった。

 まあさすがに「女子高生相手だからか?」「あれはみんなで集めたもんだろ。俺たちの苦労は? 寛大すぎ」とかなんとか言われながら、脱退者はかなりの数出してしまったのだが。俺はノヴァから出たくなかったし、普段接して“免疫”もついていたりで、そのままだ。


 そんな不届き者のマイだったのに今は駆け出しマンガ家になり、いつの間にかイワタニとくっついて、ギルメンが言うには「ツンデレキャラ」になっている。人間、どう変わるか分からないものだ。

 かつてのように事件を起こすこともなくなり、黒歴史も風化しつつもあるので、ただただツンデレ美少女漫画家の言動が気になるという人が多いのだった。


「マイちゃん今年で21だっけ」

「だなー」

「若いなー。相変わらず引きこもってマンガ書いてんの?」

「忙しい日は食事渡すときしか会わない日もあるな」

「よくそれでもつねぇ。僕は間違っても相手とそんな状況になるのはダメだわ」

「ガブは堪え性ないからな」

「うるせーな。僕の感性が普通なんだよ」


 ちがいねーなとイワタニが笑う。その余裕の笑みに、ガブ、ニル、俺ことタイチは、更なる追及をすることはない。

 たとえ、不幸な境遇の芸能人ばりの美少女女子高生が相手だったとしても、あのクラッシャーぶり、ヒステリックぶりに目くじらを立てずにいられるか。食事を渡すときにしか会わないなんてことが出来るか。俺たちはそうは思えないからだ。


 イワタニはバツ1で、だからあそこまで甲斐性なんだとは俺とガブとニルの共通認識だ。もちろん、イワタニが昔から大の女子高生好きだったということもここには含まれている。

 もっと言うと、離婚した理由が女子高生との不倫というのを知っている身としては、そろそろ落ち着いとけ、責任もって幸せにしてやれよと思うところでもある。


 そうそう、一応触れておくと。


 イワタニ、ガブ、ニル、そしてオレことタイチの名前はもちろんすべて本名ではなく、ゲーム内のキャラ名だ。

 イワタニは「イワタニ(天)」、ガブは「GaVriel」、ニルは「@ニルドゥン@」、マイは「Mai」、俺は「タイチ・長谷川」がゲーム内の正式な名前。


 正式といっても、ガブやマイの名前にはキャラ毎に名前の前後にギリシャ文字やら数学記号やらがつくし、イワタニはカッコ内が「株」や「誅」になる。俺も長谷川の部分を村山とか細川とか適当な名字をキャラ毎にあてているだけで、ニルに関してはそれぞれキャラ名もあてている記号も違う。

 うちに所属しているキャラや普段の呼ばれ方、呼びやすさなどを考慮して、ガブだのニルだの、今の呼び名になっているというわけだ。


 ちなみに俺の本名は田中大地。


 マイは本名らしい。イワタニは本人が隠すので分からないが、別ゲームで使ったウィスコードやプライベート用のシカイプのアカウント名に「iwatani」とついていたことや、マイが倉庫キャラを作った時に「イワタニ真衣」とつけていたので、案外本名かもしれない。

 ニルとガブの名前はもちろん本名ではない。外国人ではないしね。

 二人が本名に関して触れたことは俺の覚えている限りではなかったし、近頃はMineでのやり取りも増えたが、そこでも本名にまつわるワードは見かけていない。ゲーム内でも現実でも、色々とうまく立ち回っている二人らしいといえばらしいのだけども。


 料理が運ばれてきたので、イワタニとマイの話はそこまでになり、いつものようにゲーム内、リアルの話を問わず、取り留めもない雑談や各自の近況の話になった。

 俺も会話に参加しつつ、久しぶりの鶏皮を堪能する。この店は昔俺がよく通っていた居酒屋なんだけど、とくに店の方でウリにしているわけでもないのに焼き鳥が妙に美味いんだよね。

 何でも店主の自家製の鶏を使っていて、どう考えてもそこがルーツなんだが、詳しい話をしてくれない辺り憎い話だ。


 皮とももの二皿をぺろりと平らげて、相変わらずほどよい味加減のだし巻き卵に舌鼓を打っていたら、見知った女性店員と目が合う。


「お久しぶりですね、田中さん。皮もう1皿出しますか?」

「じゃあ、もう1皿だけ頼もうかな?」

「はい。鶏皮お好きですよね」

「ん? だって美味いんだもん、ここの鶏皮」

「まあ」


 以前だったら、あんまり上手くいった試しはないが、彼女の女将然としたふんわりした魅力に参って目ざとく服や髪のチェックをしたり、脳内でお互いの距離を近づけられる算段の一つもこしらえているところだ。

 でもいつからか彼女の薬指にはまった質素な銀色の指輪が俺のテンションを一定以上にさせない。

 相手がここの店主だったら、俺はこの店には一生来なかっただろう。別に店主が嫌いとかそういうわけではないんだけどさ。


 イワタニとガブも追加注文をする。ニルがちょっと意味ありげに見てきてからかってきたが、女性店員が結婚していることを伝えると「ささ、山吹色のお飲み物でございます」と妙に手早い手つきでビールを注いでくる。

 お主も悪よのうなんて言わないからな、と返しつつ。俺は注がれたビールをグイっと飲んだ。

 ニルが「さささささっ」と再度ビール瓶を斜めにする。もういいっつの。

 ガブは「男は何度も振られてから真の男になんのよ」とどこかで聞いたようなセリフを吐いている。別に振られてないからな?


 ある程度腹も膨れて、最近別会社からリリースされたとあるストラテジーゲームが面白いというガブとニルの話を聞いていると、イワタニがそろそろ帰ると言い出し、久しぶりのオフ会は少し早めにお開きになった。


 昔だったら、この後ゲーミングPCを複数台持っているハードユーザーなガブの家で仲良くクライシスを遊び、飲み直しもするところだが、イワタニがマイと結婚してからはめっきりしなくなってしまった。

 リアルでも別オンゲ関係のイベントに一緒に繰りだすこともあるガブやニルは分からないが、俺は結構その学生のようなノリの時間が好きだったので、今でも惜しいと思っている一人だ。



「あー来週30歳かあ」


 飲み会をすっかりエンジョイしたせいか、一人帰路についていてそんなことをぼそっと呟いてしまう。20歳くらいのときは30歳になったら結婚くらいはしているだろうと思っていたものだけど。


 結果、独身。


 振られた回数と短い交際の回数いくらか、風俗にはハマらなかったが、セフレの子には時々慰めてもらっている。

 オンゲの方はともかくリアルの友人はこれといっておらず、昔の友人たちは音信不通で居場所も不明。親は近年死んで、家族はなし。親戚とも特に連絡の交換はしない。

 唯一、思い出が思い出らしくピュアな一幕として脳裏に残っている岡山の母方の生家は、全く会話したことのない親戚が居座っているため行く気にはならない。


 「なかなか熟れた状態ですね」とは、ニルのオブラートな評価だ。

 マイほどじゃないんだが、ニルには生い立ちについてこぼしてしまったことがある。あけすけな彼女はギルメンの色んな秘密を握っているとかなんとか。

 ともかく人間色々、生い立ちも色々。人間も植物と同じでさ、土にしっかり埋めて育てた方がやっぱりいいよ。特異な環境でもないのに特異な植物を育てるのはよろしくない。


 ニルが言うところの“熟れて”しまい、独身のままなのは、一つはやっぱり環境が原因だろうと思う。


 中学までは特にぼっちではなかったが、高校生に入ってからは長いことぼっちだった。

 2年に1回は転校し、小・中の頃は一年の通学で卒業したこともある。感動なんて大してなかったし、卒業アルバムは全て捨ててしまった。別に何か暗い感情につき動かされたわけではなかったが、家に捨てたら見つかると懸念して、ビニール袋で二重に巻いて自転車で少し行ったゴミ収集場所に捨てにいったほどだ。

 今の職場に落ち着くまで、転校だの中退だの離職だのを理由に何かと引っ越ししていたが、俺の転居先を逐一メモするようなマメな友人はそうそういなかった。

 そうして俺自身も、友人なんてそんなものだと達観する癖がついてしまった。

 ある程度の親睦を深める期間を経て相手からの返事が少なくなると、俺はその人にあっさりと無関心になれてしまい、俺からは連絡することがなくなるのだった。


 今思えば、ぼっちにならないために友達ないし「親しい顔見知りを作りさえすればいい」という転校の多い子特有の悪癖と言えそうだったが、大人になったらなったでこれは浅く広くの大人の付き合いに変換された。

 変換はできたが、特に充実感はない。俺は「親友」を持っている人たちがいつでも羨ましい。生活に充実感がない人は、やっぱり諸々の縁が遠くなりがちだ。


 もちろん寂しさはある。これは年々大きくなり、寂しさを解消するための時間と労力が増えているのを感じる。


 同級生や同じ学校の先輩後輩の関係で結婚している人がちらほらあるのを見ると、俺は内心でよくため息をついている。俺にはもう縁がないものだと。

 元々人との縁が薄くなりがちな生い立ちなのでもう諦めもついているのだけど、身近で縁が結びついているのを見ると、ちょっと一人になりたい気持ちに陥ることがある。

 夫婦でいつまでもお互いの子供の頃の学校の話で盛り上がれるのはさぞかし幸福な図の一つだろう。転居ばかりで、クラスメイトの昔話には花を咲かせられなかった俺には訪れない幸福の一つだ。


 こうした話はガラケーという言葉もなく、スマホという便利な代物が流通する以前、SNSの言葉が定着する前の話だ。

 もしSNSがあったら……とは考えないようにしている。もしSNSで昔の友達と仲良くしていたら、今の俺はなかっただろうからだ。

 実際はそんなにポジティブに考えられるわけでもないんだけどね。

 単に年を食って、若い時のように一念発起と自己改革をできない理由にしていっている気もしなくもないよ。


 ちなみにオンゲでも出会いはある。子供の世話も含めて。イワタニがその例だし、俺は幾度となくカップルの成立劇も見てきた。でも、特に「そんな気分」にはなったことはなかった。純粋にクライシスというゲームを楽しんでいたこともある。ゲームは何もかもを忘れさせてくれる。


 携帯を見てみると、会社からメールが入っていた。読んでみるとテンションがガタ落ちした。


 なんでも後輩がやらかしたらしい。営業で俺の代わりに別の社員が後輩と随伴して、それで失敗してしまったようだ。今日はゲームのことだけ考える日だったんだけどな。


 この後輩は後藤くんというのだが、覚えが悪い。要領もよくない。

 部長の息子で、部長が言うには地頭が良いから鍛えてやってくれとのことだが……地頭は正直普通かそれ以下だ。


 それよりもきついのは、はっきりとは告げられてはいないが彼は明らかに元ヤンキーの風体で言動がよろしくなく、無断欠勤も数度していることだ。失敗もそれなりにあったが、彼の場合は外見と言動が影響してよく大事になりかける。

 正直いい迷惑だ。他の人は怖がるからということで俺があてがわれたのだが、俺だってヤンキーと付き合いがあったわけじゃない。

 部長は特にそういう話を聞いたことはなかったし、あまりそういう風に感じたこともなかったが、俺は元ヤンキーだと思ってる。


 この後藤くんのために俺は色々と苦労したのだが、先方の機嫌をどうにか取るためにデパ地下や銘菓店を練り歩いて高級菓子を見繕うなんてマンガじみたことをするとは思わなかった。高級菓子は先方ではなく、だいたい奥さんが喜ぶらしい。

 だが、甲斐あって今では「君も彼のために大変だね」と同情され、先方から気に入られるようになっている。

 ただ俺はあくまでも後藤くんのために、言ってみれば、仕事で動いているにすぎない。少なくとも後藤くんと仕事をしている時は。もちろん、世話をしている以上後藤くんの成長が喜びではあるし、部署のみんなとも仲良くやってほしいとも思っている。

 だから、至らない新人社員の世話で媚びを売っていると思われるのは、なんとも居心地が悪い。


 先方との関係が悪い方向に行く不安がなくなっただけマシではある。でも、その分後藤くんを真っ当なビジネスマンに育てるプレッシャーも半端ない。

 先方が未だに「ウス」「パネエっすね」と口から出てくることもある後藤くんのテレビドラマめいた劇的な成長を楽しみにしている節さえ最近では感じる。

 慶王大学中退の元ヤンキーの育て方なんて知らないよ。テレビドラマはテレビドラマだし、マンガもマンガだ。バイクの話に相槌を打つのも疲れるよ。


「風を切って走るの気持ちいいんスよ。田中さんも絶対一回経験した方がいいって」


 と、いつかの彼は爽やかにそう言っていたものだが、俺は営業先に出向いた時こそ爽やかメンズであって欲しいと思ったものだ。眉毛が太くなった彼の見た目はそれほど悪くない。


 彼は別に背が低いわけでもないのに、初対面の人にはよく下から人を見上げようとする癖がある。何度か注意したが、まだ微妙に「メンチ」は残っている。メンチはメンチカツだけにしてくれ。いくらでもおごるから。



 ◇



 帰宅後、下がったテンションを払拭しようとクライシスを起動する。


 それぞれタクシーと電車で帰るイワタニ、ガブ、ニルの三人はもちろんまだゲームにINしていないだろう。

 INすると、気づいたギルメンが挨拶をしてくる。オフ会のことを聞かれたのでみんなと軽く雑談をする。

 マイのことを気にしているミーハーなメンバーの一人が「マイさんきてました?」と聞いてくるので、マンガ書いてるってさと答える。


 ちなみにマイがオフ会に来るときの面子は大体イワタニ、ガブ、ニル、そして俺の4人だ。マイ曰く、また何か問題を起こしたくないから、とのことだ。

 問題とはゲーム内での数々の黒歴史もそうだろうが、2回目のオフ会でギルメンの一人にしつこく言い寄られ、後日イワタニが問答の末、そのギルメンをギルドから追放した出来事のことも含んでいる。


 結果、二人の結婚に繋がっているとはいえ、モテるのも大変だと思ったのは言うまでもない。


 ギルメンと雑談をしていると、女性メンバーの一人から「タイチさん相談なんですが……」と、長くなりそうな個人チャットが来た。


「どしたの?」

「えっと……タイチさんガブさんと仲が良いですよね??」


 すぐに内容をなんとなく察したが、先を促す。ギルドチャットの方はまだ話が続いているので、そっちの方も返しつつ。

 一応触れておくが、そういうギルドではない。特にご法度でもないが。

 過度な迷惑をかけないなら、ゲーム内でだって誰にでも幸せになる権利はある。オフ会の話をしたせいだろう。


「ニルさんといつも仲良くしてますけど……二人は付き合ってるんですか??」

「俺の知る限りでは付き合ってないよ。……もしガブが気になるなら、ニルのことは多めに見ないと辛いと思うよ。兄妹みたいに仲が良いからね」


 女性ギルメンの返信に少し間が空く。その間、ギルドチャットでは酒の話になっていたのだが、しばらくして、返信内容がストレートすぎたかと思う。ちょっといつもの俺じゃない。酒とやさぐれていたせいか……。


「そうですか。ありがとうございます!!」


 なんか元気な返事が来た。そのあと、クエストに関する質問を受けたので軽く返したら、女性ギルメンは寝ると言って落ちてしまった。 


 どう解釈したんだ……。まあ好き嫌いのはっきりしているガブ相手ならそんなに大事にならないだろうけど。

 ガブは昔のマイとは違って写メを誰かしらに見せていたわけではないが、知的イケメンだ。学歴もよく、親は金持ちで、現在はフリーのプログラマー兼デザイナーとして活動しているようで、スペックも高い。

 それから、あまり女を信用していないとは本人の談だ。詳しくは聞いてないけど、色々あったらしい。いつかニルとくっつくかもなと思ったりもする。兄弟のようにとびきり仲が良いが、しっかりそのままくっついてしまったカップルもある。


 ガブとニルがINしてきてギルチャで騒ぎ始めて頃合いがよかったので、チャットを控えめにする。

 メンバーのレベル上げ狩りに誘われたが作業するからと断り、いつもの作業に取り掛かる。


 錬金と料理、アイテム製造の指示、それから雇用しているモンスターたちのご機嫌取りなどのちまちま作業だ。

 ほかにも別に俺がやる必要はないんだがギルド共有の倉庫の整理とか、消耗品の在庫チェックとか。


 ギルドの【倉庫1】を見てみたら、アイテムの配置で「ノ」と書かれていた。同じく【倉庫2】【倉庫3】にはそれぞれ「ヴ」と「ァ」があったので吹き出した。

 面白いのでギルチャで伝えてそのままにする。ニルとさきほど相談を受けたのとは別の女性ギルメンとすれ違い、ピョンピョンジャンプして手を振るアピールポーズを二人から受けたので俺も手を振るアピールで返す。


「倉庫見た?」

「みたみたwうけるw崩していい?」

「ダメです^^」

「えーーーー」


 ギルドのものはあらかた見終えたので、自分の店を見て売れ行きを確認し、労働者のゴブリンや人族を労う。

 錬金で時間のかかるアイテムを製作開始して“製作中”にし、料理では労働者たちの疲労度を回復させる「神猪の肉串」「モリンガ入りクリームパスタ」「魔力スープ」を大量に作成。運営している一番近い酒場に、一番やる気回復量の多い「宝来亭のビール」を作成してギルドに回す指示を飛ばす。

 自分の農地も見に行く。収穫まであと45分か。微妙な時間だ。狩りをするには短いし、釣りをする気分でもない。


 地味だが好きな生産系の作業を淡々とやっていたらだんだんと眠くなってくる。


 そういや、超級のホムンクルス、あと1時間で生まれるんだっけ。楽しみだ。ああ……でも眠いし明日かな。


 ホムンクルスはクライシスで最近アップデートされたコンテンツの一つだ。ホムンクルスの名前の通り、人造生命体のアレだ。


 生成すれば、ホムンクルスを連れ歩くことができる。


 PVPではホムンクルスは参加できないが――いずれできそうだが――それ以外で連れまわす分には可能で、攻撃に参加させることにより単純な狩り効率のアップや各種属性抵抗、状態異常抵抗値の上昇、狩り以外では移動速度アップ、生活経験値増加などの細かい恩恵も見込める。


 ホムンクルスのクエストには初級、中級、上級、最上級、超級の5つのランクがあり、ランクが上がるごとにホムンクルスが強く便利になるのはもちろんだが、ホムンクルスの「見た目の範囲」が広がる。

 初級と中級は小動物系モンスターや小精霊しか生成できないが、上級になると、選べる種族の範囲は狭いようだが人狼族ワーウルフなどの一般モンスターが追加され、最上級ともなれば普通に人族――つまり、「キャラメイク」ができる。

 一応顔のベースは超級のホムンクルスを持つキャラのクラスのものだが、異性にもできるし、ドワーフやエルフにもできるし、自分と全く同じ顔立ちのホムンクルスを連れ歩くこともできるらしい。

 キャラメイク勢や、SSスクリーンショット勢が目を輝かせていたのは言うまでもない。Bwitterで双子ちゃんのSSが爆発的に増えるのは目に見えていたことだ。


 ちなみに自分の分身とは言っても強さは自分のレベル半分~6割程度だ。

 なので正直あまり戦力にはならないのだが、スタン攻撃は狩りにおいては高確率で入り、足止めとしては優秀で、雀の涙程度だがバフも自キャラにかけられるので、SS勢以外でも割と評判はいい。

 戦闘に参加できる第二のペット、召喚獣みたいなものだ。


 そうして“まだまだ面白いMMORPG”の代名詞を高々と掲げつつ、盛り上がっているホムンクルスのアプデだったが、このホムンクルス生成のためのクエストは最上級以降はかなりまぞい。

 アップデート日にギルメンたちと調べたのだが、最上級ではドロップ率1%未満のアイテムが100個を3組、超級では同じくドロップ率1%未満のアイテムが100個を3組と条件こそ変わらないが、アイテムを落とすモンスターがうちの最高レベル帯の+50のモンスターときている。

 1回ギルメンでパーティを組んで狩りに行ったが、どれも1匹狩るのに3分以上かかった。ソロだと10分は堅い。

 作らせる気がないだろとは、ユーザー一致の意見だろうが、「基本無料」を掲げている数あるゲームの中でも敷居の低いゲームであることでも知られているクライシスでは、たまにこういった超絶まぞいクエがある。エンドコンテンツ的なものだ。


 とはいえ、超級のホムンクルスは恩恵がでかいという噂が出た。


 内容は色々あったが、特に気にされていたのは、ギルドベースの守護者としても設置することができ、PVP攻城戦での攻撃および防衛能力の爆発的な上昇や、バフによりギルメンの各ステータスやスキルレベルの底上げが図れるというものだ。

 元々ギルドに所属することで得られるバフ自体はあるのだが、そのスキルレベルをさらに上げたり、生産系の新規スキルを獲得できたりもするので、PVPをしない生産系ギルドにとってもアツイ。


 このような内容で、なぜ超級はギルドコンテンツ扱いにしないのかという声もあるのだが――一応、素材を収集するための依頼アイテムは人に渡したり、ギルド倉庫を経由できるので協力型の依頼にはなっている――噂の真偽はともかく、クライシスの公式サイトでも超級ホムンクルスの詳細だけがいつまでも伏せられているのがまたユーザーたちの火をつけたようで、うちのギルメンもとい、ガブとニルをはじめとするサーバーランカーたちは研究に研究を重ねてどのモンスターも2分以内で狩れるようにしてやがて素材を全て集めてしまった。

 嘘ではない超級を作った報告はまだ見ていないので、うちがサバ内、いやクライシスで初かもしれない。


 もちろん俺も協力したよ? でも彼らのトイレ以外PCの前から動いてないんじゃないかと勘繰ってしまう努力の日々には到底及ばない。

 うちは多くて週に1回くらいしかPVPもしてなかったし、みんな久しぶりに訪れた、大々的なイベントのようにも感じていたとは思うけどさ。

 イワタニに至っては体調を崩したくらいだ。もう歳なんだからと久しぶりにINしたマイに労われていたのは“草を生やして”、みんなで吹いたところだった。


 そんなうちでも大盛り上がりだった超級のホムンクルスのクエストは、俺が代表として依頼を完了させることになっていた。


 俺の廃人具合はギルメンに比べるとライトだ。昔はそれなりに頑張っていたが、近頃は生活コンテンツばかりやっていたので、“盆栽マン”とか“おじいちゃん”とかからかわれる始末だ。

 素材集めの時間的にも最大の功労者は俺ではないので辞退したのだが、ホムンクルスをギルドに設置して使うための諸々の切り替え作業がめんどくさそうという意見が出た。


「うちのギルドはタイチがいてこそだからね」


 というニルをはじめとしたギルメンの声はこそばゆくて、割と嬉しかったのはよく覚えている。もちろんヨイショであることは分かっている。

 だが、ギルド内でマメさを要するものや、めんどくさい、特に生産系のルーチンワーク的な作業の類はほとんど俺の分担だった。はじめは俺が率先してやっていて、手伝ってくれるギルメンもいたんだが、今ではほとんど俺一人でやっている。

 PVPは休止中だし、めんどくさい作業にはならないんじゃないの? という俺の意見はこれまでの功績と信頼の元にスルーされた。周りが廃人だらけだからか、ちょっと頑張りすぎた……とは思わなくもない。スケジューリングもしてあるからね。


 でもまあ、新機能の一番乗りは割と気分いいよね。

 それに初ものだから、ギルドのトップであるGMがという気持ちも分からなくもない。効果もギルドスキルのようなものだしね。


 それに超級のホムンクルスは、メリットはともかく、デメリット内容が不明だ。

 デメリットの例を挙げると、ホムンクルスのクエスト受諾は「そのキャラで1回きり」だ。

 もし超級のホムンクルスをギルドに設置して効果を永続的に適用させるなら、そのキャラでは狩りなどでホムンクルスを連れまわすことができなくなる。

 無論、PVP主体の人なら、PVPに参戦するメインキャラでクエスト完了させないと意味がない。ホムンクルスのギルド効果を発動させるだけしてPVPの戦力になるのを捨てるとかなら別だけどね。

 この辺、今後仕様変更が来そうな気もしなくもないが、そういう人はなかなかいないだろう。MMORPGにおいてPVPコンテンツは主力のコンテンツだし、クライシスにおいてもそうだからだ。PVPは何もギルドVSギルドの戦争コンテンツばかりを指すわけではない。


 俺に超級を委ねたのは、その辺りの様子を見るという意味も大いにあったように思う。そこに思うところはないわけじゃない。


 俺だってメインのキャラでホムンクルスを狩場で連れ回したい欲はある。でも、ギルメンにとって有益なものをもたらせるのであれば、別にいいかとも思ってしまう。

 俺は自分のキャラを自分のために強くするという意識は割と低い。武器の弓こそ頑張ってエンチャントして強くしたが、それ以外は大した装備じゃない。生活コンテンツを楽しんでるのを含め、狩り時間が周りの廃人ギルメンより少ないというのもあるが……。

 そういう意味では、俺はつくづくGMなのかなとも思うし、損な性格だとも思う。別ゲームでも昔GMをやっていたしね。

 なんにせよ、ギルド内の誰かしらが担う役目だ。……と、俺は自分を納得させている。後藤くんのことも含めて、やっぱ、損な性格だと思う。


 俺はPCのクライシスの画面を、残り時間が表示されたホムンクルスの入ったカプセルを画面の中心に据えて、ベッドに横になった。


 そういやホムンクルスはキャラメイクしないといけないのか。タイチの好きなようにしていいよと言われているけど、めんどくさいなぁ……。

 キャラメイク苦手なんだよな。デフォルトでだいたいみんな美形なんだから、髪と目の色を変えるくらいでもいいじゃないかと、俺はときどき思う。





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