幕間:思案する女 (2) - くさびとたがね


「ウルスラ様」


 魔導賢人ソーサレスの隊員剣士ロアがつき従っている副官のウルスラ・デッカートに呼びかけた。


「……あの者たちにセティシアが守れるでしょうか」


 ウルスラはロアにそう言われ、さきほど新しい副団長により紹介された山師的で品のない男たち数名を脳裏に浮かべた。


 守れる守れないというより、彼らは“守らない”かもしれないとウルスラは考える。

 もちろん、入ったばかりの新人のくせに街中でそのような“守らない”行いが見られたら即刻退団処分を検討されるだろう。人員確保のために給金は弾むが、狼藉を許したわけではない。


「戦うのは彼らだけではないわよ。もし彼らだけで街を守れというなら、実力的に無理でしょうね」

「それはそうですが……」


 ウルスラははぐらかしたが、ロアの言いたいこと、懸念していることは察しがついていた。しかし心配しても仕方のないことでもある。


 兵の素性を気にしている余裕は今のセティシア――兵士団が壊滅したばかりの国境都市にはない。

 多少の金を盛り、金によって仮初の忠義――質は悪いが厚みだけはある利害関係の一致を生み出すのが最優先事項だ。これはウルスラたち含めた新しいセティシア兵団の幹部たち全員が理解し、妥協していることでもある。


 <シーア・ストリート>から臨める街並みは散乱していた兵士の死体と血、臓腑と血のにおいによる死の風景が早くも消え去り始めていた。

 4日前のアマリア軍の襲撃により破壊された建物はまだほとんど修繕の手はつけられてないが、道に溢れていた瓦礫はくまなく撤去し、今では行き交う市民の姿も見られるようになっている。


 それもこれも、王の代理人であるディーター伯爵が来訪したためだ。死体運びと市内の清掃は、市民はもちろん七星ですらも動員し、夜通しで行われていたのだった。

 もっとも、昨日の<夜啼きのキツツキ団>の頭目他数名の死体はしっかりと晒されてはいるのだが。


「彼らはおそらく……いや。間違いなく賊上がりでしょう。仮に彼らがつい先日まで兵団の者たちと狼藉を働いていた者だと言われても俺は納得できます」

「兵団が賊と組んでたって話はとくに聞いてないけど」


 と言いつつも、可能性はあっただろうとウルスラは思った。


 武具の修理代金の未払いおよび不当な値下げ要求。酒場での晩鐘を過ぎての居座りと乱痴気騒ぎ。強姦すれすれの姦通や、夜の路地裏での娼婦や性奴隷商人との不埒な内容の密会。

 精鋭揃いと聞いていたセティシア兵団の兵士たちは市内ではこのような噂でもちきりだった。


 街を守って死んでしまった今聞くと、ため息ばかりが出てくる話だ。

 彼らをどうやって英雄扱いすればいいのか。死んだケプラ騎士団の団長は英雄視され、残された団員たちに希望の花を添えたというのに。


 それでも長年街を守っていたのは確かではあって、市民は静かに喪に服している。はるばるやって来たディーター伯爵がいる手前、彼らから受けた横領や辱めの数々をひた隠しにしながら。情け深い人々からは、死んだことによって罪深い行為の数々を帳消しにされながら。

 もっとも彼らの不祥事の数々は、伯爵にも伝わってはいることだ。


「仮にです。賊とつるんでいたような者は即脱退処分が言い渡されるはずですし」

「そうね」


(仮に、ね。ほんとにそう思ってるのかしらね)


 ウルスラはロアがこんなに高潔な男だったかと疑問に思った。

 ロアは少々頑固者で、了見も狭い男ではある。けれども、ウルスラは自分がいる場で、彼が何かに対して口を酸っぱくしているところは特別見たことはなかった。


 今回新兵団の教官役を務めるに当たって責任感の1つでも芽生えたのだろうか?

 そうだとしたら良い傾向だが、セティシアの現状を知った上での意見だとしたらあまり良い傾向とは言えそうにない。


 ウルスラは彼の考えを少し正してみることにした。


「なるようになるわよ。ブラナリたちや他の派遣されてきた兵士もいるし。別に兵士に賊上がりがいるのも珍しいことではないでしょ? 先の戦いで人手不足だし、仕方ないわ」

「そうですね」

「だいたい彼らがなにかやらかしても公爵が新しく発布する条例があるじゃない。10万ゴールドなんて一兵士はそう簡単に払えない額よ」

「それはそうなんですが……」


 ロアの不服そうな表情はまだそのままだ。


 彼らにそんなに引っかかるものがあっただろうか?

 紹介された彼らがウルスラの頭によぎる。


 品がなく、締まりのない表情。並びが悪く、欠けてもいる歯並び。傷の多さと薄気味の悪い笑み。見せびらかすかのようにわざわざ前に下げた短剣。血のにおいが染みついた革製の装備と服。……


 彼らを賊だと見なしたら別に珍しい要素などはなかった。

 ウルスラに対してあまりつくり慣れていなさそうな“ヘラヘラ笑い”を見せたり、頬を赤らめたり。ウルスラは何とも思わないが気持ちの悪い視線でなめるようにウルスラの全身を観察していたことも含めて。


 ウルスラはロアに見せつけるようにため息をついた。


 どうであれ自分たちの今回の任の半分は「兵団を形にする」ことだ。ここにはもちろん、新兵の育成もある。賊上がりと思しき彼らもまた新兵であることには違いない。

 賊あがりであるというだけで嫌悪の感情を動かされているようでは、教官としては先行きが不安になる。


「あなたも教官の1人なんだからぐちぐち言わずにしっかりしなさい。知ってるでしょ? ああいうのは気骨があるのよ。少なくとも市民の新兵よりは肝が据わってるわ。もちろん相応の問題があったのなら処断することね」

「はい……」

「……ここはまたいつ戦いの場になるとも限らない。そんな時に、剣も握ったことのない人たちにゆっくりと時間をかけて剣を教えてる暇は本来ないの。分かるわよね?」


 ロアははいと、神妙に頷いた。

 多少は決意を秘めた締まった表情にはなったようだが、本当に分かってるのかしらね、とウルスラの疑心はあまり晴れはしない。


 そうしてウルスラはロアの指導について考えが及ぶ。

 いつかロアは、自分の剣の指導に関して自信がないとウルスラに相談してきたことがあった。


 この彼の自信の無さは、魔導賢人にロアより優れた剣士がいないからだろうとウルスラは理解していた。

 魔導賢人所属の剣士は他に2人いるが、残念ながら賊の相手はかろうじてできても兵士の相手は厳しいものがある。魔導賢人以外――他の七星や七影ならいくらでもロアより優れた剣士がいる。


 ウルスラ自身が剣士であればよかったのだが、残念ながらそうではない。

 続々と増援の派兵はされてきているが、まだ一貴族の私兵レベルだ。


「自分の指導に不安があるなら他の人を頼ってみなさい。剣だったらヴェンデルやヴィクトルのところの……何て言ったか忘れたけど、メイソンバッハ先生の息子とかね」

「ジャス殿なら頼もしい限りです」

「そう、ジャス。バンガスも悪くはないけど」

「あの人は言葉が足りなさすぎます……」

「そうね。結構兵士たちからは信頼を得ているようなんだけど。あとは誰がいたかしらね。剣が使えて指導が上手そうな人って」

魔聖マギのヒュライ殿でしょうか?」

「あの人は……槍も剣も腕は確かだけど、指導はどうかしら。いつもお酒を飲んでる気がするし……」


 彼の元で訓練を受けて精強な剣士になる図が、ウルスラはいまいち浮かばなかった。ガルロンドの真っ白な風土や強い蒸留酒には詳しくなるだろうけど。

 ヒュライの名前を挙げたロアも実は同意見なのか、「そうですね。指導に関してはジャス殿に軍配があがりそうです」と、苦い顔をした。


 ウルスラはロアの顔をちらりと見た。

 神妙な顔は崩れてしまっていた。ウルスラはいまいち頼りないと思う。空間魔法の使い手になればもっと自信がつきそうなものなのに。


 ロアは剣士であって魔導士ではないが、空間魔法の才能がある。空間魔法の才能の発現は種族を問わず誰にでも等しく訪れる。彼の魔力量はウルスラの指導により徐々に増えていっている。

 だが、ロアはあまり気乗りしないらしかった。一応指示には従ってくれているが……。


 向上心と好奇心のない者に魔導士の道はいつまで経っても開けてはくれない。たとえ、魔道士の誰もが羨む才能があろうとも。


 そんな話をしていると北門が迫ってきた。


 北門と言っても、まだ瓦礫の山を取り払っただけで、半壊した門以外では拒馬と木の防護柵しかない。

 夜になると、ウルスラたちと同じように派兵されてきた聖職官ハイプリーストの結界魔導士が北門に大規模な結界を貼り、襲撃以前の倍の兵士が夜通しで番をする。そのため昼には結界はない。


 伯爵を看病していた坊主頭の副書記官にだが、ブラナリにも軽く相談した拒馬と篝火の増設は既に伝えてある。

 とくに難儀な内容でもないし、数日も経てば夜も多少安心のできる風景になることだろう。


 ウルスラは北門の門番兵に向けて、かぶっていたフードを脱いだ。


「魔導賢人のウルスラよ。少し砦を見るわ」


 兵士はフードを取ったウルスラの美貌に一瞬気を取られ、唾を飲み込んだが、すぐに「かしこまりました!」と威勢のいい声を発した。


「さきほどバッツクィート子爵、いえ、領主様も砦に向かいました」

「あらそうなの」

「はい」


 バッツクィートか、とウルスラは思う。


 ここ1年で急速的に戦果を挙げ、出世もした彼とは、ウルスラは憩い所で初めて言葉を交わした。

 バッツクィート家に関しても、賊の拠点となっていたビルギス・マウシュタットが開放されるまでは存在も知らなかったほどだ。


「ウルスラ様と同じく砦を見に行きたいと。例の……オークを連れて」


 兵士は物言いたげだった。

 ケプラではだいぶ受け入れられていた様子のイノームオークたちだが、セティシアではまだケプラほど歓迎の様子は見られていない。


「そう。じゃあ挨拶でもしてこようかしらね」


 ウルスラは兵士に、じゃあ行くわね、とニコリと微笑んだ。兵士は「はい!」と舞い上がった声を返しつつ、実に幸福そうな表情を見せてくる。

 もう1人の門番兵も同様にウルスラのことを見ていたが、こちらは誘惑魔法にでもかかったかのように熱っぽく見つめてくるばかりだ。


 バッツクィート子爵はオークたちに執心している男だ。

 祖父の遺品を持ち出し、無謀にも彼らのいる危険な森に向かったのは、祖父が世話になった恩返しと祖父の死の知らせのためだと言う。


 会合に来ていたムニーラ出の商人であるアズバリ・ダルシャン・テホもそうだったが、亜人を好む者に人族の女の色気が通じないことはままある。


 ウルスラはバッツクィート子爵には色仕掛けの類はあまり通用しなさそうだと踏んでいた。

 もっとも、出来たとしてもするつもりもなかった。ウルスラはよほどのことが起きない限り、色事で盤面を進める真似事はしないと心に決めているから。


 彼女にとってのよほどのこととは。


 囚われの身となった上、魔法も使えず、だが牢獄をいち早く抜け出さねばならないようなそんな状況だ。

 ただ、空も飛べれば優れた防御魔法も扱え、オルフェ一と名高い強力な火魔法で周囲を焦土と化せる彼女にとってそんな状況は少々非現実的な状況ではある。


 あるいは、仮に極致魔法を教えてくれる存在がいるのならその身を捧げたかもしれない。ただ、極致魔法は七竜または眷属が使えるとされる。それ以外の前例はない。

 知られている以外の極致魔法もいくつか存在している。その中でも出どころや魔導学的に言って存在が不確かなもの、または未曽有の境地にあるものは遺失魔法と呼んでいる。


 ・


 城砦内は修繕の作業で騒がしくしていた。


 作業はまだ序盤のようで、大量の石材と足場作りのための木材がそこかしこで積まれているなか、男たちは石切りに足場づくりの組み立て作業にと仕事に精を出していた。


 先で広がっている<緑の牧場路グリーン・ファームロード>を通ってアマリア領からやって来る気持ちの良い春の風が、ウルスラの黒曜石のような輝きを放つ美しい黒髪を撫でては揺らしていく。

 他にも乗っていくのは、ライラックとエリドンを少し混ぜた香水の香りだ。


 香水のためもあっただろう、作業者や兵士たちが道を行くウルスラたちにすぐに気づき、見てはなにやらひそひそと言葉を交わしていく。

 やれあの美女は誰だ、やれいい女だ、やれ魔導賢人のウルスラだ。会話の内容は想像するまでもない。名が分かれば畏敬の念が増えるがいつもの例に漏れず、少なからずは内容を猥談にしていくのだろう。


 慣れているウルスラは彼らの話にさして気にも留めずに歩みを進める。


「――何言ってんだ!! うちの嫁の方がいい女だ!!」


 やがて叫び声があがったので見てみれば、大柄の石切工の男が立ち上がっていた。

 男はウルスラに気付くと、慌てて恥ずかしそうにすとんと地面に座った。


 男に悪気がないのは明らかだった。ただ、ウルスラを前に、自分の嫁の方がいい女だと言える男はそうはいない。そのためウルスラの脳裏には実に仲睦まじそうな夫婦像が浮かんだ。

 ウルスラだって、いや、ウルスラの出自が出自なだけに家庭には思うものがある。年々少しずつだが、その思いは深くなっている。ウルスラはつい口元を緩めた。


 男たちがなんら含みのないウルスラの微笑みに色めきだつ一方で、年のいった白髪まじりの男たちは手を止める若い作業員に仕事の再開を促したりした。


「――申し訳ありません、ウルスラ様! 城砦内はまだこのような有様で、汚らしさと騒がしさの極みでして! 作業者たちも朝早くから夜遅くまで総動員させているのです」


 作業監督官と思しき帽子をかぶった初老の男が、慌てた様子でウルスラの元に駆けてくる。

 ディーター伯爵たちと城砦の損害状況について説明を受けた時には見ていない男だ。着ている服は職人風だが、それほど汚れてはいない。


 ただ少し気味の悪い男で、生まれつきなのか病気なのか分からないが右目だけがゴブリンの目のように見開かれていたし、口の端には切った跡があった。

 傷が塞がっていなかったらなかなか悲惨な顔になっていただろう。


 ウルスラは作業場だし汚いのは仕方ないと思いつつ、砦を見据えた。


 敷地内から見る限りでは砦はそれほどの損傷はない。だが、国境側は大きな穴が開いているし、堡塁も瓦礫の山と化している。

 城門にしても破壊されたために仮組みしかなく、周囲の防壁も同様に破壊されていてもはや壁の役割を成していない。


 ウルスラは気味の悪い男に視線を戻した。


「修復にはやはり1年かかるの?」

「……はい。作業員の増員を含めず、完全にとなると現状では1年です。拡張工事がなければ3か月もかからないのですが……」


 男は言いづらそうにそう説明する。


 ディーター伯爵はヴァレス砦を訪問するとまもなく砦の拡張を打診した。

 この話し合いはさほどの時間もかからず、マイアン公爵や有名らしいバーロックという名の建築士をはじめ、ケプラでの葬式後もついてきた出資者たちも賛成した。


「あなたは拡張工事に反対の人?」


 そう訊ねたウルスラに、監督官はひどく慌てた素振りで「と、とんでもございません! 王命には忠実に従う次第です」と答えた。

 ウルスラには別に彼に反逆罪の如何を問うつもりはない。


「何か気がかりでもあるの? 素直に言っていいわよ。別に伯爵や公爵に告げ口してあなたを罰しようとか思ってないから」


 男は眉を持ち上げて、不安げな眼差しをウルスラに注いだ。ギョロリとしていた右目も小さくなり、両目のサイズ差は多少開きがなくなっていた。

 ロアもまたウルスラの様子をうかがっていたが、とくに口出しはしない様子で、やがて再びウルスラの話し相手である男に注視しだした。


 男はいそいそと帽子を脱いだ。痩せた地の踏み倒された麦のような頭髪が露わになる。

 そうして右に左に忙しなく視線をさっと寄せると、彼は上目遣いになり、小さな声で話し始める。


「……総監督が言うには、ディーター伯爵様や公爵様は、堡塁をはじめ国境側の城門と城壁の建材にはメキラ石かより硬い石を混ぜるようにと仰いました」


 ウルスラはここでの短いやり取りを思い返した。確かに言っていた。


「ただ、石工たちの持つくさびやたがねは含有量はそれほどでもありませんが、鋼製です。なので作業に非常に時間がかかるようになります。こめる力の方は魔導士の方々に魔法をかけていただけばなんとかなるかもしれないのですが、道具の方は……おそらく……すぐにダメになってしまいます。敵の侵攻に備えなければならず、迅速に修理を終えなければならないのは重々承知しているのですが……」


 ウルスラは自分たちの周囲で作業している石工たちのうち1つの集団を視界に入れた。

 彼らはみな地面に座り込み、丸盾ほどの大きさの分厚い石に矢尻のようなものを打ち込んでいた。他の者たちはさらに小さくなった石に打ち込んだ工具にハンマーを叩き、レンガ状に形を整えているようだった。


「くさびやたがねって、あそこで石に打ちこんでる矢尻みたいなもの?」


 ウルスラの視線を追った男が「はい。あれはくさびです」と同意した。


「くさびは一列に何本も打ちこみ、石を割るために使います」

「なるほどね。たがねってなに?」

「――このような道具です」


 監督官はベルトの革袋からなにやら工具を取り出してウルスラに渡した。

 たがねは鉄棒の先をつぶしたような道具だった。手を開いたくらいの長さで、刃先は尖ってはおらず、平らにしてある。


「隅や模様など石を細かく削る時に用います。削る箇所に刃先を当てて、頭をハンマーで叩くのです。――ちなみにこちらがくさびです」


 監督官は革袋から今度は別の道具を取り出した。

 ウルスラは渡されたくさびを眺めた。たがねの先だけを切り取り、少し大きくしたような、矢尻のような小さな道具だ。


「くさびは何本も必要ですが、たがねは1人1本持たせています」


 ウルスラはこの2つの道具をメキラ鋼にする案の如何を考えた。


 修復作業の出資者にはオネスト男爵がいる。彼はメキラ鋼の鉱山を持っている。王にも忠実で、特別凝り固まった思想の持主というわけでもない。息子の溺愛っぷりが少々目に余るらしいが、たいした問題ではないだろう。

 使うのは修復作業の間だけだし、何も手間暇のかかる剣や鎧を作るわけではなく、数は必要だがごく小さな道具だ。使う型も一辺倒でいいだろうし、国に恩も売れる。

 

「くさびとたがねをメキラ鋼製にしたら切り出せそう?」

「はい。それなら問題ないかと思いますが……」

「作業時間も減って、建築期間も早まるでしょうね」

「それはもうその通りで」

「このことをバッツクィート子爵に伝えようと思うけど、いい迷惑かしら」


 監督官は首を傾げて、「このこととは……?」と不安げに訊ねる。


「くさびとたがねをメキラ鋼製にすることね」


 監督官は、「迷惑だなんて……そんなことはございません!」と慌てて否定したが、やがて不安を多分に含んだ顔になり、「ただ、子爵様にお伝えする時には私めのことは触れずにおいてくれると……」と目線を落とした。

 ウルスラはこの監督官はイノームオークたちが怖いのだろうとあたりをつけた。それから、ディーターがいなくなったあとの到来するかもしれない恐怖政治に関しても危惧しているのかもしれないと推測した。バッツクィート子爵は大きな功績を1つ打ち立てたとはいえ、無名の小貴族だ。セティシア市民には知られていないだろう。


「じゃあ、私の意見にしておくわね」

「は、はい。ありがとうございます」


 じゃあ行くわ、とウルスラは男の元をあとにする。


「道具を変えて修繕期間はどのくらい早まるのかしらね」


 と、ウルスラはロアに訊ねてみるが、ロアはいくらか上機嫌に「俺は建築には疎いので分かりません」と答えるだけだった。



 ――砦内に入ろうとすると、さきほどの監督官が駆けてきた。


「ウルスラ様。城の中は危険ですので、設置してある安全柵からは出ないようにしてください」

「分かったわ。忠告ありがとう」


 ディーター伯爵たちと通る時も注意を受けたものだった。


「ところで……お付きの者は必要ありませんか?」

「別にいいわよ? 魔法でなんとかできるし、ロアもいるもの」

「左様でございますか……」


 監督官は残念そうにそうこぼし、そのままウルスラたちを見送った。


 槍闘士スティンガーのジョーラ・ガンメルタだったら、監督官はお付きの者に関して訊ねなかったかもしれないとぼんやりとウルスラは思った。

 彼女は突然の落石や建物の崩落ごときでどうにかできる逸材ではない。いちいち怒る人ではないし、彼女はまったく気にしないだろうが、身を案じることが無礼だと思う人は大勢いることだろう。


 もし転生できるのなら。


 ジョーラ・ガンメルタのように肉体的に強い女になってみたいとはウルスラは度々思うし、今も思った。もっとも、彼女のように先天性的に魔法と縁がないのは嫌な話だったが。

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