幕間:思案する女 (3) - 災火の新星


 監督官の忠告通り、拒馬の内側を通り、攻城魔導士による土魔法の《石弾砲撃ストーン・キャノン》か投石機により開けられた大穴を横目に、ウルスラとロアは城内を歩いていく。


 中はいくつもの大穴のおかげで灯りの必要がなくなり、広々としている一方で、瓦礫をはじめ武器や防具、矢置き場などで多少ごちゃごちゃしていた。ただ、昨日よりも瓦礫は壁際に押しやられている。

 周囲を観察していると、ウルスラはバッツクィート子爵の居所を聞いていなかったことに気付いて小さなため息をついた。


「子爵がどこにいるのか聞けばよかった」

「この道から外れていないならどちらかにいるのでは?」


 そう言いながら、ロアは二手に分かれた道に視線をやった。


「そう願いたいわ」


 二手の道は前進すれば周りは瓦礫ばかりだが城門へ。もう一方は城壁に出る道になっている。

 反対側の拒馬により通行止めになっている方は、進んだとしても瓦礫が邪魔をする。上への螺旋階段もあるが、昨日の説明によれば瓦礫で埋まっているため、一部の無事な階段か城壁にかけた梯子からしか上がれない。


 道の中心に行くと、城門前に小さな人影があるのが視界に入る。2つだ。

 門前にいた見張りの兵士2人と軽く言葉を交わすと、2人が子爵たちであることが告げられる。ウルスラたちは城門を出て2人の元に向かった。


 やがてヘラフルの憩い所で見た容姿のままの頭部に数本の角の生えたオーク――マスタス・ベルグフォルグが振り向き、次いで、外を見ていたバッツクィート子爵も振り向いた。


「……ウルスラ殿。このようなところでお会いするとは。お隣はロア殿でしたか?」


 覚えていてくださって光栄です、と隣でロアが返答する。子爵は落ち着いた笑みを浮かべた。


「私は少しばかり人の名前を覚えるのが得意なんですよ。これから領主として覚えることはたくさんあるので、この“スキル”は消えてしまうかもしれませんが。……あなたがたも視察に?」

「ええ。私たちの方は仕事でも何でもありませんが」


 ここで何をしていたのですか? とウルスラは訊ねつつ子爵の傍に行く。

 やがて眼前には<緑の牧場路グリーン・ファームロード>の景色が広がり始めた。


「私が戦う相手、敵の実力を見に来ました。今は少し外の空気を吸っていたところです。城内は土埃がひどいですからね」


 ウルスラは子爵はともかくマスタスには視察は必要だろうと思った。


 アマリア軍は巨大かつ強い。一蛮族、一私兵にすぎなかったマスタスたちが<黎明の七騎士>と対峙してどれほど戦えるのか。

 ひとまずは腕力に物を言わせるだけの荒々しい戦いばかりしてほしくないものだった。マスタスたちの本懐は子爵の護衛かもしれないが、市民を守る兵士にもならなくてはならない。できるだけ早く。早ければ早いほどいい。


 ウルスラの視線を追って、子爵も丘からの風景を臨んだ。


「――いい景色ですね、ここは。とても両国が睨み合っている場所とは思えない」

「そうですね」


 <緑の牧場路>はなだらかな丘と豊かな森が両国を繋ぐ国境道の周囲にはある。子爵の言う通り、戦場になるにはあまり相応しくない牧歌的な風景だ。


 牧場路と名がついているが、とくに家畜を放牧しているわけではないし、牧場があるわけでもない。

 かつて木精霊たちが住み、純粋な魔素マナを生む動植物たちを育てていた名残りは一度森が焼き払われてしまったためになくなってしまったとされる。今となっては緑竜の再生の神秘の力と権力を示す場所の1つだ。


 <緑の牧場路>での放火行為はアマリア民、オルフェ民を問わず等しく重罪とされる。そのため火魔道士は非常に戦いにくい場所となっている。魔導師、つまり知性の高い人々に敬虔な者は多い。

 七竜の力は絶対的であり、偉大だ。森と魔素を復活させるのはもちろん、国間の戦いですらも止めるのだから。


「城砦がさらに高地にあったら睨み合いもオルフェが有利だったでしょう。攻城魔導士の《石弾砲撃》の魔力消費も増え、撃ってくる回数も激減したでしょうから」


 ウルスラの見解に、バッツクィートは確かにと同意を寄せる。


 個人的に視察に来ている辺り、子爵は多少なりとも城攻めの知識はあるのだろうとウルスラは察してみる。

 貴族たちの中には城攻めの経験なくその生涯を終える者も多くいる。領地の場所によっては、農耕知識や商売の手練手管を優先し攻城戦の知識の習得を疎かにする領主は珍しくない。


「敵の実力については何か分かりましたか?」


 ウルスラはそう訊ねながら、子爵の顔を見た。


 気品とはあまり縁はないがいくばくかの力強さがあると同時に役人風ではあり、理性的で丁寧な話し合いが期待できそうな横顔だ。

 美男子との出会いが増えていく傍ら、ウルスラがここ数年で関わりがめっきり減ったタイプの顔でもある。


「そうですね……。正直なところ、城壁をこのように壊してしまうような相手にどう立ち向かえばよいのか、私にはわかりません」


 正直な感想ね、とウルスラは子爵に頼りなさを感じた。それと同時に肩ひじを張らない姿勢には少なからず好感を覚えもする。

 貴族にして品位や矜持にばかり重きを置かない男というのは貴重だ。学び続けられる可能性があるから。学ぶことや知識を得るのをやめた者と時間を共にするのはいずれ退屈してしまうものだ。


「子爵。あなたも剣をやっていると聞いていますわ」

「え? ええ、まあ」


 バッツクィートは続けて「私の剣はしょせん実戦で鍛えたものではありませんから大したものでは」と苦い顔をした。


「あなたは領主であって、剣を振るうのが仕事ではありませんものね」

「……もしかして意地悪な話題でしたか?」


 子爵は困ったような顔を向けてくる。

 そんな子爵の様子と返答にウルスラはちょっと楽しい気分になった。


 ウルスラは微笑しながら、「敵の実力を知ろうとしている者がご自身の実力を把握していないのではと余計な世話を焼きました」と、目を伏せて小さく頭を下げた。


 はは、と子爵は軽く笑い、ウルスラに改めて向き直る。


「さすが時期隊長と目されている方ですね。噂には聞いていましたが……あなたという才女が味方についてくれていて、これほど頼もしいことはありません」


 ウルスラはバッツクィートの本心から出たと思しき賛辞の言葉に出来得る限り助力します、と嫣然とした笑みを返した。

 それから子爵は戦いにはやはり向いていない人だと改めて確信もした。


 この分だと子爵はセティシア領主としての適性はそれなりだろう。戦禍に塗れる可能性の高い都市の領主としてはいささか頼りない逸材だと言わざるを得ない。前領主の治世では解決しなかった諸問題の残滓もある。もっとも彼が領主に選ばれたのは私兵のイノームオークたちの強大すぎる存在の影響が大きいのだが。

 人と人の巡り合わせはおよそ計算や理論で導き出せる代物ではない。せいぜいが占いや分析論の類で類推する程度だ。本来なら任されることのなかった国境都市の領主を、蛮族たちとの絆を得てしまったがためにただの無名の小貴族が任命されてしまった事実は誰も予想できなかったことに違いない。


「ウルスラ」


 マスタスが呼びかけたのでウルスラは顔を向けた。

 ウルスラの気のせいでなければ、角の生えたオークの顔には不快感がにじんでいるように見えた。


「エディングは決して弱い男ではない」


 マスタスの声は憩い所で聞いたままに低く、言葉尻も断定的だ。付き合いはさしてないので、気を損ねているかどうかまでは分からない。

 打ち合いの強さではないのでしょうね、とウルスラはマスタスの言葉の意味を推し量ってみる。


「ええ。知っているわ」

「だがお前はそのようにエディングを扱っていないと見える」


 ウルスラはマスタスの言葉をいくぶん不思議に思った。彼は不服ではあるらしいが、自分は別に子爵のことはけなしてはいないはずだったから。


「マスタス、どうした? 私は別に気にしていない。私の剣が未熟なのは事実だし、彼女の言うことももっともだ。己の力量を理解していない者は戦場では早死にするだけだ」


 ウルスラは子爵の言葉に、“そういうタイプ”の方よね、と内心で納得する。だからこそウルスラは少しだけ懐に入って接したのだった。


「エディング。私も人里でそれなりの期間、生活してきた。平民は貴族を侮辱してはならないことは知っている。貴族同士も侮辱しない」

「そうだが」

「別に侮辱していないわよ?」


 バッツクィートが「私も侮辱されたとは思ってないぞ」とウルスラに同調した。


「そうなのか? だが、彼女は貴族ではなく、七星の副官だ。七星と七影の副官は男爵位程度だと聞いている。なら、彼女は自分より上位階級であるエディングにもっと敬意を示すべきだと思うのだが」


 ウルスラはマスタスの物言いに彼が癪に障った理由を察した。また、彼には冗談や皮肉の類が通じないということを改めて理解もした。

 これは憩い所にいたみながすぐに察していたことでもあるだろう。鳥と竜と翼人は空を飛び、人族は魔法なしに空を飛べない事実くらいに。


 それにしても確かにマスタスの言う通り、七星の副官は貴族階級で示すなら男爵位程度だと見なされている。

 隊長だと子爵位、隊長伯爵だと子爵以上伯爵未満だとされる。七影は貴族も多いのでこの括りに縛られはしない。ただ、あくまでも、“だとされる”だ。


「確かにお前の言う通り、七星・七影の副官は男爵位程度だと言われてる。だがこれは仮に貴族階級に当てはめた場合だぞ? 制度化されているわけではないし、ましてや従わなければならないわけでもない。……だいたい貴族階級にばかり囚われていると実のある付き合いができないんだ。世の中はなにも金と権力ばかりではない。もし私が貴族階級に囚われている貴族なら、お前とこうして共にいることは選ばなかっただろう」


 マスタスはバッツクィートのやや嫌悪感をにじませた説得の文句に、そうか、と言葉少なに同意した様子を見せただけだった。彼はしばらくウルスラを見ていたが、二の句は続けない。

 ウルスラはマスタスがなにか別の本質的な問題に差し掛かっているのを直感する。しかし何の問題か見当がつかない。


「ウルスラ。私たちの周りにいた魔導士はみな礼儀や忠節を尽くしてエディングに接していたし、エディングの剣のことも褒めていた。私はそれは、魔導士が肉体を鍛えず、武器を振るえないからだと考えていた。しかしお前は違うように見える。私は魔導士に剣は語れないと思うのだが、違うか?」


 ウルスラはようやく彼の差し掛かってる本質的問題について合点がいった。

 どうやら問題は、魔法が使えない“戦士”に少なからず起こる魔導士への不理解らしい。


「そうね。すべての人がそうとは言わないけど確かに魔導士は基本的に体は鍛えないし、剣も振らない。剣についても語れないと思うわ」

「なら、なぜ分かっている素振りを見せる? なぜそのように超然とした振る舞いを見せる? お前は副官で、肉体も鍛えぬ魔導士なのに」


 バッツクィートが、マスタスやめないか、とたしなめる様子を見せるが、オークはウルスラのことを捉えて離さない。


(超然としてるなんて初めて言われたかしらね。ヴィクトルから貫禄が出てきたと冗談交じりに言われてもこれっぽっちも嬉しくはなかったものだけど)


 ウルスラはマスタスから目線を外し、腕を軽く組んだ。


(……魔導士への不理解か。昔、獣人国シャナクに訪問した魔導士がよくぶつかってた問題らしいけど。普通の従軍魔導士はともかく、副官や隊長格の魔導士なんて街中ではそう会わないわよね。副官でありながら隊長並みの実力を持っている私の立ち位置も、彼の浅知恵を複雑化させる理由ではあるでしょう。……彼のようなタイプは力を示すのが一番簡単だろうし、納得もしやすいわよね)


 ウルスラはマスタスに目線を戻した。


「つまりあなたは私の実力と言動が合っていないと思うわけね?」


 マスタスは「簡単に言えばそうなる」と、頷いた。ウルスラは了解した。


「いいわ。では私の実力を軽く証明しましょう」


 マスタスは硬そうな眉間をピクリと動かした。


「私にはお前のような肉体的弱者を嬲る趣味はない」

「マスタス! 控えないか!」


 ウルスラは肉体的弱者という聞き慣れない言葉につい笑みがこぼれそうになるのを我慢した。


 体力の無さや体の貧弱さはある程度の力量を持った従軍魔導士なら誰でも懸念視する事項だ。戦場において肉体の脆弱さは死期を早める要素でしかない。

 魔導士は後方にいることも多いが、前に出ることもあるし、前線が崩れれば敵はやってくるし、不意をついて後ろから襲撃してくることもある。ウルスラにとっても自身の肉体の脆弱さは最も気にかかっている問題の1つと言っていい。


 しかしこの事実、この魔導士なら誰もが抱えたことのある問題をウルスラに対して正面から言ってのけた者はそういない。魔導賢人の副官となった今ならなおさらだ。


 マスタスの腰には立派な長剣がある。しかしこれは憩い所に赴くために持ってきたのだそうで、彼は本来体術――といってもごく単純な「殴る」「蹴る」「投げ飛ばす」の3手らしいが――はもちろん、棍棒と斧の使い手らしい。

 どれも魔法とは縁の薄くなりがちな戦闘の術だ。彼への貴族たちの噂話にはオークという種族も合わせて「野蛮」「蛮族」という印象がつきものだが、とくに裏切りはしていない。


 バッツクィートが、


「申し訳ありません、ウルスラ殿。彼は魔導士をまだよく知らないのです。関わりを持った魔導士はみな警備や商人の護衛を生業とするような者ばかりで、……いえ! 副官ほどの実力を持った者もいたのですが」


 と慌てて弁解の言葉を送ってくる。


 ウルスラは彼のらしい小心とまったく小貴族らしい取り繕いに幻滅した。この姿はマスタスたちを虜にしたはずの彼では決してないだろう。

 彼は貴族階級をあまり好まないらしいが結局のところ世の中を支配しているのは王族や貴族たちであり、貴族階級だ。彼の取り繕いについても別に珍しいことは何1つない。むしろ取り繕えなければ貴族として生きていけないと言っていい。


 副官は確かに貴族階級に当てはめるなら男爵位程度かもしれないがウルスラはもはや隊長格と誰もが認めているし、そして、魔導賢人の中心人物だ。

 また、オルフェで最高峰の魔導士の1人でもある。確かに私兵たちは強力だが、脚光を浴びたばかりの子爵とウルスラのどちらの声が重要視されるのかは言うまでもない。


 幻滅した内心をひた隠しにしながら、子爵をなだめるべくウルスラは穏やかな表情をつくる。


「仕方ありませんわ、子爵。これはいずれ起こり得る問題。それがこうして人知れず解消できるのなら、同じくセティシアを守る身として願ってもみないことです」

「君がそう言うなら……い、いやしかし」

「マスタス。多少なりとも魔力を感じられるわよね?」


 マスタスはこれから始まるはずの、彼の言葉を借りるなら弱者を嬲るような戦闘を見据えていたのだろう、質問の意図が分からなかったようで、彼は軽く小首を傾げつつも頷いた。ウルスラもまた頷いた。

 ウルスラは不穏な空気にいくらか表情を引き締めていたロアに「《災火の新星アメイジング・ノヴァ》を使うわ」と告げた。途端にうろたえるロア。


「で、ですがあれは……」

「大丈夫よ。出すだけだし、小さくするから」


 ロアが杖を渡そうとしてきたので断った。小さく出す程度なら杖――タステルシがなくても問題はないし、使わない方が少しは印象が増すだろうともウルスラは踏んだ。


「子爵、少し私から離れてくれますか? マスタス、あなたもね」


 3人がウルスラから離れていく。

 子爵とマスタスが3歩ほどの距離、ロアが7歩ほどの距離を離れた。子爵とマスタスに、ロアほどの距離を離れてもらうようにウルスラは付け加える。


 ウルスラは2人が適当な距離まで離れたことを確認すると、目をつぶって集中し始める。


 しばらくしてウルスラは右手を斜め前方に出した。


 間もなく手のひらの上に現れる《火弾ファイアーボール》ほどの大きさの火の玉。

 しかし玉には《火弾》ならあるはずの自然火の揺らめきはなく、代わりにあるのは膨大な密度の火属性の魔力エネルギーによる発光と穏やかな明滅だ。


 ウルスラは眉間を狭くして、魔力をより集め、エネルギー体を大きくしつつ内包する魔力の密度を高めていくことに努めていく。

 ウルスラの足元から淡い赤色の光が放出されるとともにうごめくように浮き始めるウルスラの黒く長い髪。周囲の気温が上がる。地面やウルスラ自身から放たれている魔法的な熱気によって。と同時に著しく減っていく彼女の周囲の魔素。魔道士にとっては馴染みがあるが、市民には不安を与える“空の魔素”の空虚さ。


 ウルスラの体内魔力が凄まじい速度で減っていき、エネルギー体に注がれていく。

 腕と手と魔法の道を通じ、あるいは全身から直接的に。もしくは、周囲から魔素を奪って。そうしてウルスラには少しずつ魔力の消耗による疲労感が到来してくる。


 ウルスラの額や脇、背中などに汗がにじんでくる。


 ウルスラはかつてはこの、人が使う魔法においては最高峰の威力と目される火魔法を使うに辺り、術の完成が半ばにもいかないまま息も絶え絶えになったものだった。

 魔力も底を尽き、2晩寝込んでしまったが、今となっては術を終えてもウルスラの魔力が半分も減ることはないし、寝込むこともない。その卓越した技術は出力の調整までも可能にしたほどだ。


 高揚感も顔を覗かせてくる。火魔法はある域に到達すると、人の精神を逆なでする特性がある。戦いで血を浴びすぎた勇猛な兵士が気が狂ったように興奮し、戦いが終わって落ち着いたかと思えば娼館に駆け込むことがあるように。しかしそれは並みの魔導士の話だ。ウルスラは並みの魔導士の境地はもう脱した。

 あるのは建造物を建設し、社会を構成することのできる生き物なら決して消すことのできない、普遍的な感情による高揚感だ。


 ウルスラという魔導士を体現する魔法。ウルスラという魔導士の力量と才能を周囲にまざまざと見せつける魔法。ウルスラへの賞賛の多くを担っている魔法。

 家柄がなく、家族もなく、友もなく、変わった性癖の男たちに買われながら雨が降った日には瓶に必死に雨水を集めていたこともある薄汚れた日々。ウルスラにはその日々はもうないし、戻ることもない。


 《災火の新星》はそのような無力な子供が途方もない努力と苦心の末に手にした自慢の勲章だ。

 少女にたまたまあった、ほんの少しの火魔法の才能の火種を少しずつ少しずつ大きくしていって。酒に酔った勢いで自身を引き取った名も無き商人と、師であり魔導賢人の現隊長の善意と援助の日々という恵まれたどころではすまさない強運を前提に。


 ――やがてウルスラの手にはドワーフの身の丈ほどもある赤橙色の巨大な球体が出来た。


 球体は尋常ならざる火属性の魔力エネルギーを内包し、さながら小さな太陽であるかのようだった。

 太陽は絶命後もしばらくうごめく竜の心臓のごとく強かに明滅し、表面では青い火がリバカジキのように球体の表面を飛び跳ね、うねっていた。青い火は暗黒属性の魔力性質を真似たものだ。


 目を開けたウルスラは球体の完成度に満足し、ギャラリーの様子を見た。

 子爵は口を半ば開けて、紅焔の球体を凝視していた。肝心のマスタスも子爵ほど感情豊かではないが、小さな目を見開き、驚いた様子を見せている。


 と思いきやマスタスは「トゥルシムカよ……」とつぶやき、俯いて人差し指と中指の2本の指を左右の瞳に順々に向けたあと、首元にも向けた。そしてそのまま静かになってしまった。

 どうやら彼の信仰心を刺激してしまったらしい。ウルスラは詳しいことは知らないが、彼が発した信仰対象であるトゥルシムカ・トゥローが「太陽の戦士」と呼ばれていたことを思い出した。少しやりすぎたのかしら、とウルスラは抑えきれなかった高揚感に口元を緩めつつ内心で思う。


 とりあえずウルスラは説明を始める。


「聞いたことがあるかもしれませんが子爵。これは《災火の新星》と呼ばれる火魔法の最上級魔法です。《赤竜の慈悲アグニスレイ》の一点突破能力には劣りますが、我々人類が扱える魔法の中で威力でこれに勝る火魔法はないとされています。メキラ鋼もミスリルの鎧もこの魔法を前にしては意味を成しません。文献によれば最高火力をもってすればアダマンタイトも溶けると言われています」


 バッツクィートが「そこまで……」と改めて驚愕し、ウルスラは頷いた。マスタスも祈りを中断して目を開けた。


「現在これを習得しているのは、国内では私だけだと言われています。本来の《災火の新星》はこの倍以上の大きさなのですが、見せるだけですし余熱もありますから、小さくして出力を落としています」

「ば、倍以上……」


 ウルスラはマスタスに呼びかけた。


「どう、マスタス? 《災火の新星》の膨大なエネルギーを感じる?」

「ああ。じゅうぶん感じている……」


 ウルスラは自身が生みだした赤い星にうっとりするような眼差しを向ける。さながら自分の愛しい我が子でも見るように。


「本来はもう少し威力が上がるのだけど。これで打ち倒せなかった敵はいないわ。これをくらってあなたは生き延びる自信がある?」

「い、いや……。ない……」


 ウルスラはマスタスの言葉に満足した。それから少し補足することにした。ウルスラの陶酔した表情も落ち着く。


「マスタス。そんなに簡単な話ではないけど、私という魔導士の剣の1つはこの魔法よ。準備に少し時間がかかるし目立つから混戦時にはあまり向かないのだけど、当てられる状況が整っているなら《災火の新星》は確実に敵将を倒してくれる。首を持ってこれないのが玉に瑕なんだけどね」

「いや。十分な剣だ。これを見てお前の実力を理解しない者はいないだろう」

「……あなたは肉体的弱者と言うけど。魔導士が肉体を鍛えられないのは一応理由があるのよ。……魔導士が成長し、より強力な魔法を扱えるようになるためには、魔法で敵を倒してレベルと魔力量を上げるのはもちろん、自分の中にある魔力をいつでも速やかに取り出せるようにしておかないといけないの。そのためには日々の修練が必要だわ。魔力を体内から取り出し、魔法に変化させる訓練ね。才能の程にもよるけど1日何時間も行うわ。剣士が剣速を上げるために何日も素振りをして、腕に筋肉をつけて慣らしていくようなものね」


 ウルスラは《災火の新星》を手の上から消した。

 周囲の気温が少しずつ落ちていく。


「精神集中。初級魔法の連続的駆使。魔力を消耗することや魔法操作への慣れ。魔素との調和。精霊との感応。……色々あるんだけど、この鍛錬の日々の中に、剣の鍛錬を加えることはできないわ。そんなことをしている時間がないからよ。魔法剣の使い手は剣の訓練も必要になるんだけど」


 マスタスは「私の発言は迂闊だった。知らなかったとは言え、許してくれ、ウルスラ」と謝罪をしてくる。

 ウルスラはいいのよ、分かってくれれば、と微笑した。

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