2-5 メイホー村 (3) - 宿
ヘイアンさんの宿は村の入り口近くにあった。ヒルデさんが良い宿と評価していたが、宿屋の立地条件としてはなかなか良いようだ。
外観は石造りの二階建ての建物で、それほど周りと変わりはない。だがさすがに敷地は広く、塀も壁もそれなりに綺麗で、塀柱の上では六角形に削られた石が鎮座している。
この石のオブジェは他の家でも何個か見た。メイホーの建築的特徴なのか、何か宗教的なものか。
と、ネックレスに同じ模様がついているのを思い出す。なるほど? 信仰心の厚い村ね。
店の前には木の看板が出ていて、日替わりメニューの献立が手書き――木の板に彫られて書かれてあった。
今日は狼肉のシチューらしい。
神猪の肉串はまだ食べてないけど、狼肉はどうなんだろう。現実では犬肉の類は倫理的な意味でも味の方でも、あまりいい噂は聞かなかったけど、昔はウサギだのイタチだのをはじめ、動物の肉はほぼなんでも食べていたと聞く。口に合う料理だといいけど……。
「どのくらい泊まっとく?」
宿に入る前にインに一応確認しておく。
「ん? 好きに決めてよいぞ。巣に戻っても退屈だしの。10年でも20年でもよい」
「いやいや……」
相当暇だったんだな。10年泊まるなら家を借りるか建てるかするよ。まあとりあえず1週間くらいでいいか。
「ずっとメイホー村にいるわけではないのだったな」
「そのつもりだよ。生活を見てみたいとは言ったけど、せっかくだしいろんな場所行ってみたいよ。王都は少なくとも行ってみたいかな」
まだいいが、移動手段も考えなくてはいけない。世界観的には馬車一択になりそうだけど。
「うむうむ。人族はみんな旅をしたがるしのう。ま、可愛い子ほど旅させよとも言うしの」
「もし竜が俺たちと同じ背丈だったら、旅してみたいって気持ちも沸くかもよ?」
可愛い子から連想して、なんとはなしにそう言ったが、そうなんだろうなと自分で納得した。
巨大生物である竜が旅したくなるような世界を作るなら、まず竜が泊まれる宿と巨体が収まる食堂が必要だろう。
旅は自分よりも大きなものを見にいくから旅なのだ。もちろん大きなものとは物理的表現に留まらない。もっとも、巨大生物である竜が大きいと思うものなので、たいがい物理的に大きいものになるだろうけど。
竜は海は見たくなるのかもな。山はインが山で暮らしていたのを見るに、実家みたいな位置づけになってそうだ。
「そんなもんかの?」
「そんなもんだよ。自分よりも大きなもの、自分の見たことのないものを見に行くのが旅なんだから」
微妙に考え込んだインを促して宿に入る。
「……うむ。なるほどの。確かにそうかもしれん。ダイチは賢いのう」
納得したらしいインの言葉を後ろに宿の扉を開けると、店内は思ってたよりも暗かった。
思ったよりも店内が暗いと感じたのは、家の外観が白塗りなので家の中も明るいと思い込んでいたのと、使われている家具が暗い色の木材で統一されているからだ。蛍光灯の灯りがあるとつい思い込んでいたのもきっとある。
とはいえ、小さな窓からはいくらか日光が差し込んでいるし、灯りはついてないが天井には黒いシャンデリアがぶら下がっていて、雰囲気は結構好きだ。
テーブルは大小全部で6個あるようだが、イスには3人ほど座れる長椅子もある。
客は二組いるだけのようだ。農夫かなにかだろうか。どちらも身綺麗とは言い難い格好だが、二組との酒らしきものを飲んでいる。店内は肉のにおいもするが、酒のにおいの方が強い。ヨーロッパでは昔は飲み水代わりに酒を飲んでたんだったか。
店内を眺めていると、テーブルを拭いていた女の子が手を止めてすぐにも応対してくる。
「いらっしゃい〜!」
やってきたのはうねりのある茶髪で、八重歯が可愛らしい女の子だ。白の長袖の上にあずき色のベストを着て、濃紺のスカートの上に前掛けをつけている。手首には紐が巻かれてあり、白い丸い石が下がっていた。
まだそこまでこの世界の人たちに見慣れてないけど、顔立ち的にはおそらく高校生はいってないと思う。
「えーと、お二人さん……食事、ですか?」
女の子がさっきの看板娘な態度とは裏腹に、俺とインの間で視線を行き来させつつ歯切れ悪く聞いてくる。
ああ、今の俺は大人じゃないもんな。インも見た目は小学校高学年だし。
「泊まりだよ。二名でお願いできるかな」
「あ、はいはーい。お父さーん、二人来たよー!」
慣れた風を装ってそう言ってみると、女の子がいくらか破顔する。女の子はバタバタ駆けてカウンターの奥に消えていった。
なかなか元気いっぱいの子だ。リアルの日本じゃなかなか見られない接客態度だよね。少なくとも俺はマンガやアニメでしか見たことない。隠れ民宿とかならいたりするのかな? こういう奔放な子に接客させてるの。
「忙しないヤツだのう。嫌いではないがの」
そう言うインの目尻は下がってる。インは母親役を率先して引き受けたしたままに絶対子供好きだと思う。村の中の子供の姿にいちいち反応してたしな。
カウンターの棚には小さめの樽がたくさん置いてある。棚は三列あり、一番左の樽にはそれぞれワイン、シードル、ミードと書かれた札が紐で結ばれていた。
並んでいるのは基本お酒らしい。やっぱそうか~。ビールかエールはないのかなと探していると隅の方に、大きなガラス製の甕に入った無色透明の液体があった。なんだろう。水とか?
間もなくいらっしゃいと、野太い声が飛んできた。
やってきたのは、警備兵の人たちや鍛冶師のヴァンクリフさん以上に筋肉質で迫力のある男性だ。腕が異様に太いぞ……。
「……ん? 二人だけか?」
「え、ええ。俺たちだけですよ」
「そうか」
短髪だが髭をしっかりと生やしている彼は俺とインの間で視線を行き来させるが、特に含みのある視線は寄こしてはこない。
間近で見ると、威圧感がすごい。レスラーかよ……。事を構えるつもりは全くないが、警戒心というか、緊張感があまりにも簡単に顔から出てしまいそうだ。
一時期通ったジムでの筋肉マンたちのように、横で必死にフンフン言ってくれてればまだ何も思わないのだが……。彼には、なぜか持ち合わせている彼ら特有の性格の繊細さというものが微塵もないように見えて、それが少々怖い。
「すまんね、うちのうるさいのが。そのうち村の悪いのに絡まれるぞと言ったりしてるんだが、こいつはなかなか治らねえんだ」
主人がエプロンで手を拭いながら、意外と気さくに話しかけてくる。さほど圧のない軽口に俺はようやく一息つけた。
「うるさいのじゃない。ニーア」と女の子が主人の外見を全く意に介さず強気に言い、「おー怖い怖い」と全然怖くなさそうに男性が返す。似ているかは今のところ判断がつかないが、親子かな? 仲良いな。
よくよく見れば彼はさほど強面ではないことに気付く。レスラーたちもそうだよな。
胸につけている素朴な草色のエプロンがなかなか似合って見えてくる。泥がついているが、庭で何していたんだろう。家庭菜園で野菜でも摘んでた?
やり取りの間に情報ウインドウが出てきて二人のことを知らせてくる。
ヘイアン。LV21。宿屋の亭主。オス。
ニーア。LV4。給仕。メス。
ヘイアンさん今のところトップレベルだ。体つきからしてやっぱり兵隊でもやってたのかな?
「泊まりだってな? うちよりも安い宿があるんだが、そっちじゃなくていいのかい? カルマンっていうのがやってるんだが」
「はい、大丈夫です」
そうか、とヘイアンさんは何度か頷くと、口元を緩ませた。表情筋は柔軟らしい。
「それにしても若いのに宿通いたあ大したもんだねぇ。その嬢ちゃんは妹かい?」
そういや俺とインのダミーの関係何も考えてなかった。苦笑しつつひとまず同意する。インがちょっと不満そうな顔をするが何も言わない。あとで肉串でもあげるから話合わせてよ。
と、そんなことを思ってたら、念話で『ま、そういうことにしておくかの。あとで肉串もらうからの』ときた。ヘイアンさんがちょっと動揺した俺を不思議がっていたので、慌ててインに頷く。急に念話されると困るって。
>称号「嘘つきは泥棒の……」を獲得しました。
俺は大人だ。嘘で泥棒にはならん。
「事情は知らねえが、二人旅は何かと大変だろう? ま、寛いでいってくれな。どのくらい泊まるんだい?」
「えーと……今日から7日間でお願いします。延長があればまた言おうと思うのですが、それでも大丈夫ですか?」
「構わねえよ。今の時期はそこまで客増えないしな。1泊700Gになるがいいかい? 厩舎を借りるともう少し上がるんだが……」
俺がここに泊まると言った時には喜んでくれてると思ったんだが……なんだかひどく親切にされてる気がする。子供だからか?
「馬はいないので大丈夫ですよ」
「じゃあ、……9,800Gだな」
鞄に手を入れ、1万ゴールドと念じて銀貨を出す。
「銀貨でいいですか?」
「ああ、いいよ」
銀貨を渡してお釣りの銅貨2枚をもらう。
ここで食事をする場合は100G、つまり食事は銅貨1枚で出してくれるとのことだ。高いのか安いのかは分からないが、本が高いことは分かる。
「食事はここで。トイレは角の扉な。水浴び場は俺の出てきたところにある」
「え……?」
え、水浴び場!? 風呂ないのか……。考えてなかった……。ああ……リアル世界観……。
「ん? 聞こえなかったか? 食事はここ。トイレは角の扉、水浴び場は俺の出てきたとこな」
聞こえなかったと解釈したらしい。ヘイアンさんが指差しで丁寧に場所を指してくれる。やさしい。
そういやタオルないな。歯みがきもないな~〜〜。まだまだ必要な物あるや……。
「タオルとかってありますか?」
突如訪れた絶望をこらえながら質問する。せめて、最低限のアメニティを。
「あるぞ。3Gで貸すから、そのときは言ってくれ」
トイレの仕様にも一抹の不安が出てきたけど、もう今更どうしようもないか。
「そういや、名前なんていうんだい?」
「ダイチです。こっちがイン」
ヘイアンさんが「飲み物1本サービスするから座ってくれよ」と言うので、カウンター席に座る。
宿の接客態度としてはちょっと強引な気もしたが、ここは日本じゃない。時代背景も違う。この世界にきて日の浅い今は出来る範囲で色々応じていこう。頑張れ、俺。
「そうだ。ここには魔法道具屋のヒルデさんからおすすめされて来ましたよ」
「おぉ。そうかいそうかい。今度飯でも奢ってやらなきゃいけねえな。お客さん連れてきてくれたんだからな。……あの人はな、一時期ここに泊まってたんだよ。君と同じく、各地を放浪してたようでな。今ではすっかり村の一員だがな」
ほほう。ちょっとわけありかな。鍵はダイン君の父親辺りか?
「あーと、今は水と
「水でお願いします。部屋を見たらまた出かけるので」
「はいよ」
ニーアちゃんが甕をヘイアンさんからもらって、さっと木のコップに注ぐ。甕の中身はやはり水だったらしいが、手際良いな。
「てことはそっちの嬢ちゃんもか?」
「うむ。私も水でよいぞ」
ガンリルさんが気にしてなかったので期待していたが……ヘイアンさんとニーアちゃんはそれぞれ動きを止めて、ちょっと変な生き物を見る目をしていた。もちろん目線の先はインだ。
まあ、態度でかいよな。ちょっと面白いけど、フォローしとこう。
「そういえば看板に狼肉のシチューってありましたけど、狼の肉って美味しいのですか?」
「ん? おお、そうだねぇ……」
そう言って、インほどではないが、少し興味深そうに俺のことを見てくるヘイアンさん。ん?
「俺は割と好きでなあ。軽めの料理だと結構においが残っちまうんだけど、酒に漬けといたりしっかり煮込めばにおいは消えて美味くなるんだ。金のない奴や奴隷たちもありつける肉だもんだから、野蛮肉とか安肉とか言ってそこのところで嫌う人はいるけどな」
と、ヘイアンさんはそんな事情を話してくれる。宿の亭主なのは間違いないらしいが、料理も詳しいようだ。
にしても奴隷がいるのか……。そういや、村の中でボロ布を着てる人はいたけど、あの人たちのことだろうか。
「食ったことないなら一度は食べてみるのをすすめるぞ。初めにきつめのを食っちまったんなら仕方ねえが、狼肉は結構食わず嫌いも多くてな」
「私も好きだよ~狼肉。お店の料理としても安上がりですむしね!」
ニーア、それいうなやとヘイアンさんが苦笑して、俺もそれにつられて苦笑する。
「そういやきみら見かけねえ顔だが、何しにメイホーきたんだ?」
え~と。
「ちょっと旅に出ている身で」
「ほお。ってことはそれなりに腕も立つんだろうな。……いんや。だいぶか?」
ヘイアンさんがニヤリとして俺のことを見据えてくる。腕とはハンター的な技量のことだろうか。竜を倒したし、一応一流になるのか? レベル差を考えるなら一流も一流だけど。
「ええ、まあ……」
「最初はどこぞの坊ちゃんかと思ったが。やはりな」
ヘイアンさんは腕を組んで、納得したように数度頷く。何がやはりなんだろう?
「俺はここの亭主を10年ばかしやっててな。今まで色んなお坊ちゃんを見てきた。平民出で、考え方が結局その辺の平民となんら変わらん奴。うちの料理にけちばかりつける頭でっかちの偏屈な奴。あらゆる英才教育を受けて人格者でもあるとある大貴族の嫡男。ま、色々な。……ここは田舎だが、昔からなぜだかときどきふらりとご立派な身分の奴がやってくる。識者が言うには、俗世や戦いで疲れた気を休めるのに絶好の土地なんだとよ」
当初ここは、俗世間からは少し遠い場所にある、ゆっくりと時間が流れているような土地だと思ったりもしたが、この世界の人々もそういう風に見る節があるようだ。
「……でもな、俺はお前さんのような奴は見たことがない。少なくともここに訪れた客で、俺が見た奴はだが」
ヘイアンさんが不敵な笑みをこぼす。む?
「その細い腕で旅をしてる? だが嘘を言っているようにも思えない。ただ、言葉は丁寧だってのに、態度はずいぶん落ち着き払ってるときた。だいたい言葉の丁寧な奴は鼻もちならない奴が多い。で、落ち着いてる奴ってのは、死線を何度か潜り抜けてる奴だ」
ヘイアンさんは俺の素性が気になるようだが……。そこまで変に見えるだろうか……? 死線を潜り抜けなくても落ち着いてる人は現代に五万といるが……死線は確かに潜り抜けてきたけども。
うかがうようだったヘイアンさんはふっと表情を緩める。
「まあ、世の中にはいろんな奴がいるからな。それに、所作が悪くないのはいいことだ。俺の目が節穴じゃないってんなら、立派なもんだ」
腕を組み、うんうんと頷くヘイアンさん。
所作とか言葉遣いとかは、この村には学校なんてなさそうだし、教育格差だと思うが……営業で歩き方を指摘されて少し勉強したりしたこともあるが、そういうのも影響があったりするんだろうか。
まさかレベル差の影響とかではないよな?
「世の中には家臣も従僕も連れずに家を飛び出しちまうのもいるにはいるが、そういう奴はのたれ死ぬか、魔物にやられるのがオチだ。お前さんはほんとに妹と二人なのか?」
「はい。妹と二人です」
まあ、地位があるなら、家来の一人や二人くらいつれてるよな。魔物がその辺にいるなら、一人旅は自殺ものになりそうだ。
「私らに頼れる奴はおらんのでな。仲良うしてやってくれ」
インが横から唐突にそう発言する。上目遣いで気弱な感じだ。演技?
「なんか抱えてんのかい?」
「いいや? 特にそういうわけではないからそこは安心してくれていいぞ。単にこの辺りの土地勘に疎くての」
今度はさっぱりと返答したインに、ふうむ、と一考する様子を見せるヘイアンさん。
俺も何か言おうと思うのだが、インが率先しているし、墓穴を掘るのもあれなのでとりあえず黙っておく。でも、なにか抱えてる設定の方がよくないか?
「代わりと言ってはなんだが、困ったことがあれば相談するといい。できることなら手伝うぞ!」
ヘイアンさんは唐突なインのドヤ顔に困った表情を見せる。
「君らは客だからそういうわけにもいかねえよ。俺たちが客である君らを助けるのは道理としてもよ」
そりゃそうだ。改めて、ヘイアンさんはいい人そうだ。リアルだったらこの人に殴られたら壁まで吹っ飛びそうだからな俺。
客のところに行っていたニーアちゃんがやってきて、俺たちの傍に立った。
「お、わりいわりい。長話しちまったな。ま、仲良くしようやダイチ君にインちゃん。んじゃ、ニーアに部屋案内してもらってくれ」
挙手して「じゃあ、お部屋を案内しま~す!」と、ニーアちゃん。
明るい子だ。ここでも人気な子なんだろうね。
せっかく注いでもらったのに水を飲んでなかったので、口にしてみた。
うん、水だ。普通に美味いが、外国らしく硬水のようだ。というか、常備している水もなかったので、その辺もどうにかしときたいな。
「ああ、別に急いで飲まなくてもいいぞ。しばらくカウンターの隅にでも置いておくからな」
いい人だ。インのコップは空になっていた。いつの間に。
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