5-23 幕間:アレクサンドラの憂鬱 (1) - 団員たちと父親
「死傷者は0だそうです! 快挙ですよ!!」
やってきたケプラ騎士団員のユラがそう半ば叫んだ。トストンもまた同じく誇らしげな様子だが、イグナーツはそんな二人に冷笑を隠さない。
確かにそうだが、と内心で思いつつ、アレクサンドラ・ファヴニルは丸っこく子供っぽい顔立ちのままいつもの無邪気なユラの様子に苦笑した。
「西が少し遅れたようだが、こんなにもケプラの攻略者は英雄ばかりだったか? この頃加入したいと言ってきたのは、鍬しか握ったことないのばかりだったんだがなあ。一人や二人、騎士団にも勧誘したいものだな」
木箱に座り、黄土色の豊かな顎髭を撫でながらそうこぼすケプラ騎士団は副団長ムルック・アバンストに、周りのケプラ騎士団の団員数名が同意した。
アバンストの言葉を聞いて、アレクサンドラは、家族から半ば追い出された事情を涙ながらにアバンストに伝えた末に団員になったマタビ村から来たというカーロイのことを思い浮かべた。アバンストと彼の父は、かつて共に戦った仲だとかで知り合いらしかった。
ベンツェがカーロイに冗談で鍬を振るように剣をカカシに振らせたところ、非常に様になっていたので、ベンツェは面白がっていた一方で、彼に剣を教えることになったアレクサンドラは頭が痛かったものだ。
農夫でも家には鉄剣の1本くらい持っているものだし、多少なりとも剣が振れるのは珍しくないが、彼ほど振れないのは逆になかなか珍しい。
カーロイ曰く、マタビ村から七星の部隊入りした者がいるらしいが、アレクサンドラはあまり信じてはいない。確かに七星は平民出身も多いが……この手の大言壮語は聞き飽きているからだ。
勧誘するならやはりオネスト男爵の息子ハークライ殿でしょう、とベンツェが話をしだした。
「あの方をうちに取り込むことができれば、オネスト卿の支援が受けられることを約束させられたも同然です。実力もある。人望もある。そして、金もある。我々の装備も“メキラ鋼の白い装備”になる日も近い」
「硬いのはいいんだが、あの白いのはちょっとな……ベンツェ、お前は騎士団の青い布が嫌いなのか?」
「いや、嫌いではないよ。だが、鉄製の防具に布切れ一枚では大した賊と戦えないじゃないか」
「まあな」
うちでもそろそろ魔法の防具の一つや二つ、とそう言いかけるイグナーツを、トストンが遮る。
「ハークライ殿を受け入れたって、オネスト卿の援助が受けられるとは限らないじゃないか? オネスト男爵は貴族の典型例によって目立ちたがりで子供にダダ甘ときてる! 息子だけが白い鎧のままだってことも十分あり得るぞ。隣で剣を振るう同じ団員が俺より上等の剣と鎧を持っているなんてこれほど嫌なものもない。しかも数段だ」
実際その通りなのか、団員たちは口を閉ざし、頷いたりした。
アレクサンドラもトストンの意見に同意した。貴族の財布の紐はそんなに緩くはない。もっとも、上等の剣で戦おうが技術と気概が伴ってなければ意味はないので、そこのところは気にしなかったが。
ただ、貴族の息子を騎士団で怪我をさせたりしてしまおうものなら、あまりいいことにはならないだろうから、高くても頑丈な鎧を着ていてほしいものではある。ダイチのように、平服で戦地に来ないだけマシか。
「俺はやはりベイアー殿だな! なぜあの人ほどの人が未だに門番をやっているのか。グラッツ殿でもいいな」
ベンツェがイグナーツと目くばせして肩をすくめた。
東門のベイアー殿か、とアレクサンドラは思った。実力も申し分ないし、悪くはない。ただ、入団は、アバンストと団長は結構考えたようだが、断ったと聞く。
「お前ベイアー殿の事件知らないのか?」
イグナーツがトストンに含みを持たせて質問を投げかけた。「なんだそれ?」と、トストン。知らないらしい。
「客の女を手籠めにしようとしてコリンクさんの酒場で大暴れした事件だよ」
「……チャールダからは聞いてない」
「まあ、しかもだ。一度や二度じゃない。娼館でも一度短気を起こしてる。うちにも女の団員は3人いるが、手を出されたらたまったものじゃないよな。……いや、まあ……ベイアー殿が好みだというふくよかなのはうちにはいないし、色々とまあ、安心だろうが」
団員たちがぎこちない表情を見せながら頷き合う。
話を聞いたアバンスト曰く、ベイアーは意地の悪い母や姉によって元々女嫌いだったらしい。それがようやく、前職の貴族付きの従士時代に解消された末、現在は女との接し方が分からなくなっているとのこと。
アレクサンドラはイグナーツ含めて視線を感じたが、取り合わない。男たちのこんな眼差しを気にしていたのでは、女団員としてやっていけない。
ケプラ騎士団の女団員の3人のうち、1人は11歳、1人は男のようないかつい顔の醜女、もう1人は堅気な実力者だ。
両親を族に殺されたと言う11歳のジュデッカは団長の恩赦で入団している難民の子だったし、醜女のアリーズは顔のままに男のような体つきの女だ。実力者であるアレクサンドラにしても、騎士団内で五指に入るほど実力があって教官のような立ち位置にもある上、副団長のアバンストが色々と目にかけている。
年端もいかない少女。醜女。自分よりも腕の立つ女。女上官。魔女。獣人族の女。混血。
世の中の人族の男が手を出しにくい女の種類はいくらかあるが、3人の女団員はしっかりとその要素を満たしていた。仮に満たしていなくても、ケプラ騎士団では問題を起こせばたいてい脱退処分になるので、安易に手を出す者はいなかった。一時の感情で門番兵よりも高い賃金を捨てたい者などそういない。
「ふうん……。ちょっと軽蔑したよ。もしやグラッツ殿もか?」
「いいや? 昔はやんちゃだったらしいが、嫁をもらった今は静かなものさ。でもグラッツ殿は討伐部隊のエースだからな。本人も現在の地位でいいと言ってたよ。子供も出来るらしいし」
グラッツ殿か、とアレクサンドラは、顔に切り傷の入った眼光鋭い東門のもう一人の門番を思い浮かべる。心境は穏やかだ。
彼もまた腕が立つのだが、アレクサンドラは2回迫られたことがあった。迫るといっても、ベイアーのような強硬手段が取られたわけもなく、粗暴そうな見た目の割には紳士だった。まともと言っていい。もし彼が結婚しておらず、3回目があったのなら状況次第では分からなかったとは、アレクサンドラは昔に考えたことがある。
「ベイアー殿は嫁が見つかってから、グラッツ殿は嫁の変貌と子供の反抗期に嫌気が差してからだな。勧誘するんだったら」
したり顔でそうまとめたユラに、みんなが肩をすくめた。「嫁と子供の何を知ってるんだよ」とイグナーツが言うと、「分からないからこそ言えることもあるのさ」と、どこで知ったのかそんな口達者な切り返しをする。
「おいイグナーツ、ユラの首を抑えろ」
「え? なんだよ??」
イグナーツが面白がって、ベンツェの言う通りにして、ユラを半ば羽交い絞めにする。
「え、なにすんだよ??」
ベンツェがトストンに第二関節で折った人差し指を見せると、トストンがニヤリとして、同じく折った人差し指を見せた。ユラが怪訝な顔になる。
アレクサンドラはユラの末路が分かってしまって笑ってしまうが、「痛い! やめろ! 痛い!」という悲痛な声を上げたことでいよいよ笑いがこらえきれなくなる。
ユラは二人から耳の上を“ぐりぐり”されている。痛みから逃げようと首を動かすが、イグナーツが顎と頭をがっしり抱え込んでしまった。アレクサンドラも子供の頃にされた覚えがあるが、これはなかなか痛かったのを記憶している。
アバンストもまた苦笑しているのが目に入る。
話の間、アバンストは一切口を挟まずに黙って聞いていた。つまり、どの話題にもさほど深い関心は寄せずに、さも聞き入っているといった風で頷いていたのだろう。
最近のアバンストは聞いている風でもあとで「何の話だったか?」と聞き返すことがたまにある。だいたいそう訊ねるのは雑談の類なので、さほど問題にはならないが。
ともあれ、昔の鬼教官だったアバンストなら、こうもいかない。今頃木刀を手に叱っているところだ。
ついに丸くなった。3年前に入団した息子のフルドのおかげだろう。実務指導はそろそろ引退か。いや、ボケたのかもしれないぞ。でも剣はそれほど鈍ってないし、頭もそうだ。
そういう言が団員たちの間では流れているが、アレクサンドラは父親心が開花したことに一票入れている。そろそろ私も後進を育てる側に立たねばな、とぼやいているのをいつか聞いたこともある。
なんにせよ、そんな父親心だか親心だかを開花させつつあるアバンストの変化を、アレクサンドラは実のところあまりよくは思っていない。
彼の息子であるフルドは、剣の才能があり、防御の腕も悪くなく、団員として有望な若者だ。そんな彼は近頃、市場のとある籠屋にこそこそと通っている。
そこで店番をやっているのは、リスのような栗色の髪の少女だ。フルドが言っていたわけではないが、名前はエリーゼだとアレクサンドラは記憶している。
物語や歌であるような、貧富の差をものともしない話ならそれでいいのだが……籠屋は貧民街にあり、エリーゼが複数の小汚い格好の少年少女と集まっているのをアレクサンドラは見たことがある。
そこで名前を呼ばれていたのを聞いてエリーゼの名前は知ったのだが、少年の一人がエリーゼと妙に親しげなのも見てしまった。実際に情事を見たわけではないが、エリーゼの胸を揉んでいたのでそういう関係だろう。
騎士位以上の家柄の娘の操は時折守るべくして守られるが、貧民街で操を守ろうとする者はそうはいないらしい。
いっそのこと早々と捨て、生きるため、稼ぐため、どう生かすのか少女たちは考える。もちろん娼婦としての活用が多いが、とある店主が市場で店を開くために資産家のマクリオ氏に少女たちをやり、手厚く奉仕したという話は最近のことだ。
マクリオ氏は少女好きで、慈善家だった。どちらも満たせる貧民街の少女たちから利用されないわけもない。
幸いというべきか、アバンストは少なくとも聞く限りでは、息子の嫁に関して高望みするような男ではなかった。
そこのところは安心できるのだが、じゃあ貧民街の素性のしれない娘を息子から紹介されて、快く迎えるかどうかはさすがに微妙なラインだ。
なんにせよ、そこで懸念されるのが、アバンストのアレクサンドラへの言動の変化だ。
近頃アバンストはアレクサンドラをよく連れまわすようになった。まだ未熟な団員を鍛える時もそうだし、団員たち数名で酒場に繰り出す時もよく連れだした。
理由はとくに聞いたことはなかったが、騎士団の幹部候補として認知していることや、アレクサンドラ自身が婚期をすっかり逃していることが大きな理由だと思いつつ、単にその辺の男に「嫁にどうか」を言いたいだけではないかともアレクサンドラは疑っている。
アバンストには娘はいないし、妻も次男の出産時に次男とともに亡くなっている。父親風を吹かせて気軽に「嫁にどうか」を周囲に言えるのは今だけなのだ。
もしフルドの動向如何でアバンストの機嫌が悪くなれば、矛先が向かうのはよく彼の近くにいる一人である自分だと、アレクサンドラは懸念していたのだった。
今でこそアバンストは丸くなったと言われるが、それは一人息子のフルドが団員としてすくすくと「順当かつ健全に」成長をして、その姿を父親に見られているからにすぎない。
アレクサンドラにとって、アバンストが鬼教官だった頃の訓練の数々は、あまり思い出したくない記憶の一つだ。
「入団したからには男も女も亜人も平等」が騎士団の鉄則の一つであり――さすがに若年層は相応の扱いはするが――アバンストはそれを忠実に実行していたに過ぎないのだろうが、アレクサンドラは所詮剣を握ったこともない、しがない商人の娘だった。
その性別と商人の身分を超える厳しい指導と味わったことのない経験の数々には、何度苦汁をなめさせられ、痛みをこらえ、あるいは涙を流したのか分からない。
単にぶたれたことによる痛み。訓練や手合わせにより悲鳴をあげる肉体的疲労による痛み。忘れもしない、初めて賊と対峙した時の恐怖。殺人の経験を経たことや魔物の恐怖を知ったことによる病的な倦怠感と虚脱感。仲間が死ぬことによる悲しみ……。
(副団長や団長をはじめ、父に泣き叫ぶくらいしかできなかった少女時代の弱い心身を鍛えてくれた騎士団には感謝はしている。でも、やはり、戻りたくない日々なのも事実……。まさかいまさら昔のようにしごかれることはないとは思うが……。)
アバンストの鬼教官の頃を思い出して、昔の恐怖心を思い出していると、ユラがベンツェとイグナーツから解放されたようだった。距離を取って二人を警戒するユラが、
「アレクサは誰か候補いないの?」
と、痛む頭に眉をひそませながら質問してくる。
「候補か……」
いることはいる。例えば、今日は炎を象ったような大剣フランベルジュを持ってきていたエリゼオだ。ただ、彼は望みは薄いだろう。
報酬目当てか、ギルドの職員の気遣いか。<ランク3鋼>という、このアランプト丘の合同依頼では少し高いランクでありながらこの作戦に参加している彼は、団員たちはもちろんアレクサンドラの剣技の上を行き、仲間内ではアバンストにも勝ると噂されている猛者だ。
南の隊が早かったのは彼がオーガたちをなぎ倒していったおかげらしい。オーガの分厚い体を分断できる彼がいたら騎士団は一挙に強くなるだろう。
ただしアバンストはエリゼオを嫌っている。エリゼオ自身も誰とも組まない孤高の者ときている。
極めつけはエリゼオがドワーフ国ガシエントをよく訪問し、堅気なドワーフたちとの酒宴では酒に顔を赤らめて猥談の一つや二つもするというのだから、いよいよ勧誘が実を結ばないのはここにいる全員が分かっていることでもある。アバンストはドワーフも好きではない。武具屋のドワーフとはよく口喧嘩になりかける。
「いることはいるけど、望みは薄いよ」
「そうかぁ」
「その辺にしておけ。まだ戦地だ」
さすがに不快になってきたのか、アバンストの緊張感をいくらか伴った言葉に団員たちが居住まいを正した。昔を思い出していたこともあるのか、アレクサンドラもつい背筋を張った。
「まあ、皆の意見ももっともだな。防具もいいものにしなければならんし、騎士団も採用方法の見直しをしなければならんな。……して、まあ。それはともかくだ。今回の戦況だが、采配がよかったというよりは、別の要因を考えてしまうな。アレクサはどう思う?」
別の要因? また妙な知恵遊びや言葉遊びの類だろうかとアレクサンドラは言葉の意味を考える。
とはいえ、変なことは特に何も浮かばない。ダイチ少年の護衛も滞りがなさすぎて、終盤は彼の薦めもあって前衛に軽く出ていたくらいだ。アバンストの采配が良かったこと以外には何も。
ふと、カレタカというハーフオークの両腕に付与された《
毎度単身でデミオーガの攻撃を受けながらかすり傷一つ追わなかった意外とすばしっこい彼を支えていたのは、紛れもなくあの二つの頑丈な氷の腕当てだ。
騎士団の所持している鉄や鋼の腕当てや革の盾であれば、直撃を真正面から受けるあのような使い方をすればとうの昔に使い物にならなくなっているところだ。オークは防御が下手だと聞いたことがあるが本当らしい。
回復はダイチ少年の役目ではなかったが、鹿の獣人であるグラナンの回復も子供っぽい言動の割に行き届いていた。人族であるロレッタは彼らほど目立ってはなかったが、彼女は逐一言葉を飛ばし、その声により、アレクサンドラが声を張り上げなくとも隊は統制が取れていた。即席の部隊にしては上々だ。
「補助と回復が充実していたためかと。うちの東の隊は元より、どの部隊でもそうだったと聞いています」
「ふむ。……アレクサらしい模範的な回答だな。まあ、もっともではあるのだが。オウルベア殿も参加していたほどだし、補助魔法と回復魔法が充実していたのは事実だろうな」
どうやらアレクサンドラの意見はあまりアバンストの意に沿ったものではないらしかったが、この話題は終わりらしく、アバンストは「ではオーガクリード討滅の部隊編成と配置についてだが」と話を切り替えた。
「ああ、フルドとここにいない奴らを呼んでこい。オデルマー、ベルナート、チャールダ、ラユムンドだな」
ユラとトストンの足の速い二人が駆けていく。イグナーツも続いた。
アレクサンドラはアバンストの意に沿わなかった理由について気にはなったが、その心境はひとまず置いておくことにして、自分も同じ隊のベルナートを呼びに行った。
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