5-24 幕間:アレクサンドラの憂鬱 (2) - ミーゼンハイラムの密命
オーガクリード戦に向けての作戦会議は滞りなく終えた。
作戦内容ないし隊の配置は、アレクサンドラをはじめ、他の団員も考えていた通りのもの――オーガクリードの根城へはタンク役もこなせる者のみを前衛に配備し、森には射撃と攻撃魔法の手練れ数名を添えて、入り口のオーガをある程度討滅した後にオーガクリードのいる方面へ一斉にかかる、という内容になった。
オーガクリードはデミオーガたちの首領だが、大した手合いじゃない。
確かに死霊化したオーガを呼び出すという厄介な召喚魔法こそあれ、あれには時間がかかる上に、本体を倒せば死霊オーガもただちに消滅する。死霊オーガも、魔法を数発入れれば沈められる。ダイチ少年の従者のダークエルフの《
オーガクリードは防御魔法・攻撃魔法ともに持っているが、防御魔法はアレクサンドラでも何度か切れば壊せる代物だし、攻撃魔法に関しても懐に入ればどうということもない。
強いて言うなら……序盤のデミオーガをいかに“倒しすぎない”ことが肝心だ。普段のフルドのように戦果に飢えて突撃でもしようものなら、大量のデミオーガの気を引いて面倒なことになる。もっとも、フルドはそのことで近頃よくアバンストから叱られていたし、今回の依頼での不祥事も特に聞いていないので、問題はなかったのだろう。
そういうところで言えば、直情的で短気なオークのカレタカは心配の種と言えるが、彼は意外と落ち着いた性格をしていた。ハーフだとああいった賢者然とした性格になるのかは分からないが、タンク役として招集した団員のオデルマーの方がよほど頼りないと思うほどだ。
話を終えたあと、団員たちはそれぞれの隊のメンバーに作戦内容を伝えに行った。アレクサンドラはアバンストから話があるらしいので、森に少し入ることになった。
また何か変なことでも言われるのかと思いもしたが、何もここで話すことではないだろう。心境が些事色に染め上げられるのを踏みとどまりながら、アレクサンドラはアバンストに追随する。
二人分のパキパキと枝を踏む音が響く。アレクサンドラは地面に少し枝が多いような気がした。
デミオーガたちは侵入者に気付いた場合、森付近にいる者はこのオークの木の2,3本までは追いかけてくる。彼らが単独で森を抜けることは決してないのだが、射撃と魔法部隊は無闇に動かない方がいいだろう。
「ここでいい。アレクサ」
アバンストが振り返らないままに、立ち止まってそう呼びかけたのでアレクサンドラも歩みを止める。遠方で、デミオーガがうろついているのが見えた。
「ミーゼンハイラム伯爵の手の者から密書をもらった」
予期せぬ言葉の出現にアレクサンドラは狼狽えた。
「ミーゼンハイラムというと……<七影魔導連>のですか? なぜ」
「うむ。……私も突然大物の名が出てきて少々驚いているんだがな。まあ、閣下本人ではなく、手の者だ。しかもさほど忠実ではない方のな。忠実なのも連絡役としてケプラに逗留しているそうなのだが」
(さほど忠実ではない? ということは、……暗部の類ではない?)
アレクサンドラは騎士団が余計な血に塗れることがなさそうで安堵した。しかし自分が、おそらく自分だけがこのことを伝えられている意味が分からず、困惑した。
一ケプラ騎士団員で、しがない商人の娘でしかないアレクサンドラは、ミーゼンハイラム伯爵はもちろん、<七影魔導連>とも関わりは持ったことがない。
七影も<七星の大剣>と同様オルフェ切っての精鋭部隊だが、武勇に加えて財産家や名家も多い七影は七星以上に雲の上の存在だ。関わりを持つには実力も身分も違いすぎる。
「その手の者……ハムラと言うらしいが、ジョーラ・ガンメルタ様の部隊の一人だそうだ。……本名かどうかは分からん。間者ではないと言っていたがどうだろうな。……して、その者がくれた文によればだな、伯爵の指示により、ジョーラ様に同行していたダイチという者に探りを入れよとのことだ」
「え? あの少年に? ……一体何を? 探りも何も……あの少年は戦地には向かない箱入りの少年としか。いえ、魔法の腕は確かではあるでしょうが……」
あ、とアレクサンドラは思う。
ダイチは若いとはいえ、七星に大恩をもたらした身だ。何の大恩かまでは知らないが……。アレクサンドラはつい箱入りと言ってしまったので、口をつぐんだ。
アバンストの視線が森に入って初めてアレクサにぶつかってきた。平常のものではないだろうとは予想がついていたものの、あまりにも厳しい視線だった。
団に入って体力作りと剣の素振りも慣れてきた頃、訓練で嫌になるほど見た、新米団員の未熟すぎる腕と情けない精神に対して軽蔑と嫌悪を存分に含ませていたあの鬼教官の眼差しだ。
近頃はめっきり見なくなった眼差しに、アレクサンドラは昔を思い出して内心では少女のようにびくりと身を震わせた。
「ハムラ“殿”が言うには、あの少年はジョーラ様の部下の一人を決闘で容易くねじふせたそうだ」
「……あの少年がですか?」
「ああ。見抜けなかったようだな、アレクサ」
目つきを厳しくしたのは箱入りに対してではない!
ハムラ“殿”と皮肉げに殿付けしたアバンストに、アレクサンドラはたちどころに自分の至らなさを理解して焦った。
だが、そうだとしても、ダイチはそんな手練れの者には見えなかった。彼は鞘から剣を出してみても、全く気配を変えなかった子なのだ。
アレクサンドラはかつてワリド・ヒルヘッケン団長に見いだされたスキルの《戦気察知》により、相手の戦気の変化を察知することができる。
戦気というものは戦地や死線をなんべんも経験した達人がようやく察知できるようになる代物だ。スキルがなくとも察知はできるのだが、アレクサンドラはスキルがあることによりその察知の精度は高く、時には魔力の奔流と似たものとして視界に入るほどだ。
そのため気配を断つのが下手な者や、大技を得意とする者などは――アレクサンドラが敵うかは別として――アレクサンドラ相手には容易く気取られ、一歩も二歩も立ち遅れることになる。
アバンストは昨日、ケプラに戻ってきたダイチについていって金櫛荘を案内する時、
「少し鞘から剣でも出してみろ。ジョーラ様の贔屓になさっている子だ。面白いものが出てくるかもしれん」
という戯れ事を耳元で告げた。
アレクサンドラは後ろ髪を引かれる思いで従い、剣の根元だけを出してみたが、少年の元から戦気は出ず、そんな面白いものは何一つなかった。
死線をくぐり抜けてきた強者であれば、静かな空間で剣鞘の音を出した時、戦気がひょこりと顔を覗かせるものだ。それがないということは、つまりダイチは戦いというものをそれほど経験していないかつてのアレクサンドラのような少年だということだ。
そうして代わりにあったのは、彼とダークエルフたちとの感動的な一コマだ。
ダークエルフはエルフとは違い、人族を拒絶せず、寛容な一族であるとはよく知られている。
アレクサンドラは実際にダークエルフと関わりを持ったことはなかったが、団長を始め、団員の中にもダークエルフといたって普通に話をした者がいた。なので、彼らが人族と仲良くしているのは珍しくない光景なのかもしれない。
だが少年とダークエルフたちの関係は主人と従者だった。奴隷上がりと考えるのが普通だろう。
ダークエルフの従者など、少なくともアレクサンドラは聞いたことがない。ダークエルフはエルフよりはマシな性格をしているが、エルフと同じようにプライドは高いらしい。同族を売るくらいなら死を選び、捕虜となってしまった暁にもすぐさま死を選ぶとも聞いたことがある。
だが、実際のところは……抱き合い、涙する彼らの姿は、仲が良いにしては主人と従者の垣根を越えすぎていた。
実は単なる主人と従者の関係ではなく、同じ場所で身内同然に育ったのだと言われた方が納得できるほどの心温まる光景だった。
アバンストが、ダイチ少年の周りには少女しかおらず温室育ちだろうという点から、女の方がいいという実に安直な理由で随伴を強いてきたことに感謝したくらいだ。
アレクサンドラがケプラを守る者として賊と魔物から街を守り、そしてその先で見たい光景は、ああいった笑顔と嬉し涙で溢れたものだ。……いや、親が子供を売り、主人が従者を嬲り、殺してしまったなんて珍しいことではない。主人に涙して抱き着き、主人もそれを許すなんて光景は、二度と見られない光景だったかもしれない。
なんにしても、ダイチ少年が手練れだというのは、まるで信じられない話だ。
「しかし……彼は魔導士では?」
アバンストは眼差しを緩め、目をつむって大きく息を吐いた。彼にとっても難題だと分かる、深すぎるため息だった。
「魔導士だろうな。紛れもなく。彼が得意なのは氷魔法と《魔力装》だというからな」
「《魔力装》……」
「ハムラ殿が言うには、獣人と同等かそれ以上の《魔力装》の使い手らしい。……魔力操作に長けているのなら、《氷結装具》の質が良いのも納得だ。防御魔法も相当のものだろう。とんだ秘蔵っ子もいたものだ。……もっとも、だからといって魔導士が、七星が頼りにする部下の剣士と素手で相まみえて歯牙にもかけないというのは、果たして魔導士と呼ぶべきなのか考えさせられるところでもあるがな」
黒髪。魔法、特に使役魔法に長け、そして……武芸の達人。
「
「うむ。彼らの半数は髪を染めていたというし、正直どうかと思ったが、私もその線を一応考えた。七影には自らも
アバンストが声を低くしてアレクサンドラにそう言葉を投げた。
(実力? 打ち合ったりすればいいの? あの子と? 実力があるのかもしれないけど……どう見ても剣もろくに握ったことのない少年にしか……)
「しかし……」
「しかし? 何がお前にしかしと言わせるのだ?」
アバンストがそう言って怪訝な眼差しを贈ってくる。さっきほどではないが厳しい視線だ。ミーゼンハイラムの名が出ておいてやりづらいなどという理由で拒むことが許されないのを、アレクサンドラはひしひしと感じ取った。
「そのような大役……七影からの密命は何も私のような一兵士でなくとも。適切な人材がいるのでは……」
苦し紛れにひねり出したアレクサンドラの理由を聞くと、アバンストは表情を緩め、眉を持ち上げて、理解したとばかりに何度か頷いた。
「では謙虚なアレクサ。騎士団の団員の中で、この密命に適役と思う団員は誰かね? それと、ダイチ少年の今一番身近にいる団員は誰か考えなさい」
アバンストは一転して先生然とした口調でそう訊ねてきた。近頃アバンストは、団員に座学を教える時にこういった口調で教えることが多くなった。
アレクサンドラは内心では当然のように元々王を守っていたヒルヘッケン団長や、団長に次ぐ実力を持つアバンストを挙げたが、団長はまだダイチとさほど関わりを持ってないはずだし、七影からの密命であるなら目立たないに越したことはないだろうと踏んだ。くわえて、新たに誰か別の団員をダイチ少年に近づけるためには相応の理由がいるだろう。
(それにどういうわけか、彼の周りは少女ばかりだ。私は25で、彼女たちほど若くはない。……若くはないが、貴族社会の底なし沼に簡単にはまりそうな彼の甘い人柄が、女である自分を拒んでくるようにも思えない……)
アレクサンドラは軽く息を吐いた。
「……私です」
「うむ。その通りだ。聡明なアレクサ。……まあ、情報屋を雇うのは私も考えた。だが、閣下がこうして我々に密命を送ってくるということは、事を慎重に進めようとお考えなのだ。魔導士の身でありながら、七星の部隊の者を軽くどうにかできる者が、情報屋や暗部を察知できないと思うか?」
アレクサンドラは、そうですね、と視線を泳がせた。
「……実力を図るというのは、具体的にはどのようなことをすれば?」
「卿の文には、『実力を調べよ。無論、探るきみたちや我々のことを悟られぬように』としかなくてな。どうにも卿もまた、ダイチ少年のことをあまり詳しくは知らんらしいと私は見ている。とはいえ……ハムラ殿はダイチ少年としばらく過ごしていたようだし、少しは情報がいっているように察する。確認だろうな、卿にとってはな。だから理由をつけて手合わせを願ってみるもよし、控えているオーガ戦で戦うのをけしかけるもよし、だな。無論、見たこと感じたことを逐一報告するように」
それを聞いて、仮にダイチが魔女騎士の生き残りであり、七星の部下を徒手でどうにかするのが真実なら私などでは勝負にならないだろう、とアレクサンドラは思った。それとひとまず今のところは、あの感動の涙を見せていたダークエルフの従者二人を悲しませるような大事にはならなさそうだったので安堵もした。
「少しは気分が晴れたようだな?」
「はい」
「実力を知れるのならば、周辺を探るこちらとしても動きやすくなるからな。まあ、こちらとしても確認が取れたようなものだがね。……彼がなぜジョーラ・ガンメルタ様と懇意であるにしてもあのような厚遇を受けるのか、不思議ではあったからな。この戦地で彼の実力の一端を見てそれも多少は解消したが。もちろん全てではないがね。……実力はともかく、卿が欲しいのは『彼が何者か』の新しい情報だろう。密命の真意はまだ図りかねるが、ガスパルン卿が関わっている以上は、彼が生き残りの魔女騎士かどうかは我々は知り、報告を差し上げるべきだろう」
「そうですね」
アバンストが、アレクサンドラを見て再び数度頷いた。
「七影の密命というと少し身構えるところだが、ハムラ殿は『入手した情報を見た通り聞いた通りに提示すれば何もないでしょう』と言っていた。その意味するところはつまり、応じなければ“何か“があることをほのめかしてもいるのだが……」
“何か”が起こらないようにしなければならないとアレクサンドラは誓った。
団長は王との繋がりがある人だが……ケプラ騎士団など、彼ら――七影たちの金と権力と力の前では無力だろうから。
「ダイチ殿は箱入りではあるようだが、少年の身ながらなかなか機知が働く。共にいた攻略者のハーフエルフほどではないにしても、エリゼオ君のような表情に乏しく、無駄口を叩かないタイプのようなので真意は汲めぬが、無口ではない。感情の機微も見ていれば分かる。……実力が伴わないのなら御しやすいだろうになぁ……」
アバンストのため息交じりの物言いにアレクサンドラは同意しつつ苦笑した。
厄介な密命であるのは確かだろう。人物の素性調査などというものは、ケプラ騎士団が本来担っている任務ではない。
近頃はレベルが50もあるらしい「顔焼きのウィルミッド」とかいう、ずいぶん恐れられている腕の立つ情報屋がケプラに時折顔を出しているらしい。
その人がやってくれたらいいのにとアレクサンドラは内心で嘆いた。金がないから騎士団に入団したわけなのだが、呑気に父親の商いの手伝いをしていた頃を懐かしく思った。
「いずれにせよ、だ。周りが少女ばかりなのは、そういう家で育ったのか単なる趣味なのか偶然なのかはこれから知るところだろうが、アレクサなら普通に接して信頼されれば彼はペラペラ喋ってくれるだろう。ある程度はな」
「……私もそのように思います」
アバンストが頷く。
「彼は……エルフの貴族に囲われている庶子か何かかと思っていました」
「ほお。なるほど。確かにエルフは人族を排斥するが、人族と結婚した者も聞くし、エルフの全てが人を嫌ってるわけではないらしいからな。……ふむ。仮にそうであれば、大方母親と乳母とで閉ざされた平和な世界で慎ましく育ったのだろう。確かに、そういう世界を作るのはフーリアハットは最適だろう。閉鎖的な国だし、森に囲われているし、<
「はい……」
アバンストは森の先を眺めた。アレクサンドラもつられて見た。デミオーガは変わらず徘徊していて、自分たちの到来を待っているかのようにも見える。
「さて。少し長くなったな。西の隊もそろそろ体が休まっただろう。頃合いを見て、集まるよう伝える。お前は隊に戻り、彼らと親交でも温めるように」
「はい」
「それとひとまずこのことは他の団員には話すな。この作戦を終えたら詰め所に戻れ。細かい今後のことは団長を交え、詰め所で考える」
アバンストが森から出ていくのを見送ったあと、アレクサンドラも東の隊へ歩みを進めた。
戻る道中でふと、ダイチに対して、何か失礼な会話をしていなかっただろうかと不安になった。
(七星に大恩があり、七影からも情報を求められる。いったい彼は何者だ……? 少なくとも、身分は自分の想像以上に高い気がする。公爵家? 王族……?)
でもダイチは、アレクサンドラの考えてみた予想を裏切ってきそうな気がした。
ダイチのような貴族を、アレクサンドラは見たことがなかったからだ。
言葉は丁寧だが、金はあるのに着ている服は質素で、実力はあるのに腰が低く、貴族然としたところが何一つない。むしろ敬虔な信者や司祭のような言動だが、彼は装飾品の類もつけていないし、達観した感じでもない。
やはり、生き残りの魔女騎士なんだろうか? でも魔女騎士が、ダイチのような変わった人々だったという話はとくに聞いたことはない。
(これからいったいどう彼と接すればいいのだろう。身分の高そうな彼と? 言葉遣いは? 弟扱いでもすればいいの?)
アレクサンドラは眉間にシワを寄せながら腕を組み、立ち止まった。
生前弟と接していた頃の自分を彼女は思い出そうとしたが、昔すぎてあまりよく思い出せなかった。そもそも、彼が生存していた頃は自身は団員ではなかったし、あまり参考にはならないだろうとも思った。
それにしても。
親交を温めるなどという作戦を練ったこともなければ、命令も受けたことはない。子供にも泣かれたことがあるし、アレクサンドラはそういうものにはあまり適さない団員として日頃から扱われてもいる一人だ。
温厚で子供の扱いにも長けたベルナートや、気さくで道化の友達もいるほどのオデルマーなど、適していそうな団員は自分以外にいくらでもいるだろうにとアレクサンドラは嘆いた。
「なぜ私なのよ……。身辺調査だってやったことないし……カルロイに剣の振り方を教えてた方がまだマシかもね……」
アレクサンドラはため息をついた。
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