9-38 眷属化と不可解な打診
ジョーラたちと別れ、日が落ちかかった道を行き、金櫛荘に戻った。
一人で街を歩くのはずいぶん久しぶりのはずだが、道中は感傷に浸る間もなく、ハムラのことや眷属化について考えるので忙しかった。
「戻ったか」
自室にはベッドに寝そべりながらいかにもからかいたそうな表情をしたインがいた。
俺はインの思惑を無視して、からかわれる前に質問した。
「なあイン。眷属ってどういう経緯でなるものなんだ?」
「……なんだ。藪から棒に」
「気になってさ」
ベッドに座る。インはしばらく俺の様子をうかがっていたが、やがて息を吐いて頬杖をついた。
「血を与えるのだ。我々のな」
「そうらしいね。それだけ? なにか……儀式とかあるの?」
「あるぞ。そんな大層なもんではないがの。……我々の血は血を与えた者に強大な竜の力――すなわち『種としての竜化』を促すが、個体によっては我々の血とうまく適合しない場合がある。儀式自体は厳粛に行われるが、まあ、儀式の目的は血の定着と竜化の調整でもあるな。血がうまく体に行き渡り、我々八竜の力を授けられし強大な存在となれるようにな」
強大な竜の力……。確かにジョーラはレベルが5も上がっていたが……強大な竜の力というには、5の上昇は少し規模が小さい気もする。そもそも俺には竜の力はないし。
竜の力はないが、……“俺の持つ力が分け与えられた”?
「強大な竜の力って具体的には?」
「色々あるぞ。身体能力や自然治癒力、状態異常や呪術への抵抗力の向上、内臓の強壮化、病気にもかからんくなるな。魔力の量も増え、質もよくなる」
これだけ聞くと素晴らしい効果だな。
「頑強な鱗を持つようになり、鎧を引き裂けるほどの爪を持つようにもなる。無論レベルも上がり、長命にもなるぞ。リザードマンが
鱗に爪ね。竜化するっていうことはそういうことなんだろうが。
ジョーラにはそうした外見的変化は何もなかった。当然ではある。俺は竜ではないのだから。
「タローマティには翼はなかったけど」
「人化しておったからな。治療前のお主の精神に無闇に刺激を与えんようにな」
そうだったのか。
「……で? なぜ眷属のことを突然聞いたのだ?」
ん……。ジョーラが俺の眷属になっていたって説明し辛いな。情報ウインドウの情報だし。
そもそもすごい言いづらい。セックスしたら眷属になってましたとか。字面だけじゃ笑い話……にはならないな。
インは体を起こした。
「私もダイチと過ごしてそろそろ一月か。お主の人となりは誰よりも傍で見てきたつもりだ。無論末恐ろしい力の数々もな。知竜として、または母としてな」
うん?
「なに急に」
「お主がなぜ眷属について訊ねてきたか、何があったのか、おおよそ類推できての。割と確信ももっておる。私は知竜としても知られておるが、この確信は母由来のものかもしれん」
インはそう自分の考えを述べて、磊落に口の端を持ち上げてみせた。
もう1ヵ月か。色々あったな。確かに俺の行動に関してもぼちぼち想像つく頃か。
「ジョーラの身に何かが起こった。これは相違ないな?」
次いだ断定的な問いに、俺は内心でたじろぎつつも頷いた。
戻っていきなり聞いたのはまずかったな。なぜ間髪入れずに聞いてしまったのだろうと、他人事のように思う。なんだかんだあまり冷静じゃなかったのかもしれない。
「しかも閨を経て、だ。眷属化は本来なら血で行うものだが、実のところ閨を経て眷属としたケースはある」
「あるの??」
「うむ。ルオと蒼杯の縁者とてそうだ」
ああ……。
「血とは言ったが、眷属化で必要なものは広義的に言えば、“七竜の魔力と生命力を秘めた体の一部”だ。それに命を救うために眷属化を行うこともある。竜化すれば生命力が爆発的に引き上げられるからの。なんにせよ、どのような場合でも血が一番摂取しやすく、そして手段としても手っ取り早かったのだな。皮膚を少し切ればいいんだからの」
命を救う。お前は死なすには惜しい的な展開か?
インは「ただ、」と口にした。ただ?
「もし仮にジョーラが分かりやすく種として竜化してしまったのなら、お主はもっと慌てふためいておっただろうな? なぜ説明しなかったんだと、私に怒鳴ってくるやもしれん」
インはひょうきんに眉を上げ、目線に確信を乗せてくる。
まったくその通りだったろう。
「……そうかもしれない」
俺の言葉にインは頷いた。
「となれば、だ。ジョーラには外見的な変化はなかったが、何かしらの変化があったことになる。どのような変化なのかは色々と予想のつかんことばかりしでかすお主のことだ、分からんがの」
インは肩をすくめた。まあ、合ってるなー……。
「そうなると、アレクサンドラの奴が何もないのはおかしいのだが……まあ、奴のことはひとまず置いておくとしよう」
インってなんか下に見てるよね、アレクサンドラのこと。
最初は苦手だったっぽいし、女だてらに団長風吹かしてうんぬんのジェンダー発言もあったし、単にそういう印象を経た名残かもしれないが。
で、どのような変化があったのだ、とインが改めて訊ねてくる。
俺は「氷竜の眷属」の文面については伏せ、レベルが5上がってたことを伝えた。
「5も上がっとったのか??」
インは意外にも驚いたようだった。
「え、うん。5だけ」
「……というかお主、レベルの鑑定スキル持ってたのか」
インが呆れたように見てきたあと、ため息をついた。言ってなかったっけね。
「私のレベルを言うてみい」
情報ウインドウを一応出したが変わっていない。
インは透けた情報ウインドウの後ろで腕を組んで怒ったような渋面を見せていた。何で怒られてるんだ……。
「105……」
インは聞いた瞬間眉を上げて口をへの字にし、やるせない表情になって、アゴを小さく縦に振った。合ってるらしいが、ちょっと変顔だ。
いまさらだが表情豊かだよな、子供の顔だからこそそう感じるんだろうなとどうでもいいことを思う。
はあとため息をつくイン。
「鑑定スキルのことはよい。いや、よくはないんだが……まあよい。……ともかくだ。ジョーラのレベルで5も上がるということはどういうことか分かるか?」
動揺してるな……。“ジョーラのレベルで”?
あ。そういうことか。まったくゲーム的な話だが、そういうことだよな?
「レベル70ともなるとレベルが上がりにくい?」
「うむ、その通りだ。レベル70以降のレベル上げはレベル20から40にする方がずっと楽だとする論文があったものだ。レベルを効率よく上げるためには同程度かそれ以上のレベルの者と戦う必要があるからの。レベル70以上の魔物など魔人くらいしかおらんから当然ではある」
そうだろうな。めぼしい経験値上げは同じ七星・七影の隊長との手合わせくらいか。
それにしてもレベル上げにまつわる論文ね。読んでみたいもんだな。
「しかしジョーラはレベル75か……。氷竜の眷属となっても何ら問題ないの」
そうかもしれないが……。
俺はレベル以外の変化、あるのかは分からないし、どうなるのか想像もつかないが、例えばホムンクルス化という変化がこれからジョーラの身に起こる可能性があるのか訊ねた。
「分からんよ。常識の通じんお主のことだからの。……だが、ないかもしれん」
「その根拠は?」
「アレクサンドラはとくに変わっておらんかったからの」
ああ、そうか。確かに外見は変わってない。レベルも上がってない。
「お主はホムンクルスだが、人族に限りなく近い。これも大きかろうな。だからこそ人族のアレクサンドラと閨を共にしても変化がないと言われるのはある程度頷ける話だし、ダークエルフとて人族に近い容姿だからの。我々が竜族の者を眷属にする時も、レベルや魔力の質などは上がれど、容姿はそれほど変化しなかった者も多かったものだ」
「そっか」
思わず安堵した。……でもやりづらいなこれから。ここで俺の性生活が終わりとかそれはちょっと嫌なんだけど……。ケプラを出たらしばらくそんな暇もなさそうだけどさ。
てか、やる毎にレベルが上がるわけじゃないよな? さすがに。そうだとしたらレベル上げ種馬だ、俺。シャレにならん。どこぞの種馬魔王かよ。
「まあ、……なんだ。だが、心づもりは持っておけ」
「心づもり?」
インは頷く。一転して真剣な顔だ。
「フルやボルも言っとったが……お主にはいつか眷属はつけねばならん。すぐにとは言わんが、いつまでたってもお主の横におるのが母である私だけというのはみなに示しがつかんからの。八竜の長としても箔がつかん」
示しか。俺的にはその辺別にいいんだけどな、どうでも。
「世の者はお主を崇めるかもしれん。だが、眷属もおらんのではいずれはお主の力量や統治力を疑い始めるだろうし、母離れのできん八竜だと思われても仕方ないからの? 無論、母想いであるのは良いことであろうが。うむ。それは良い内容だろうて」
インは自分が口にした母想いがさも素晴らしい考えであるかのように、頷いてみせた。
世の母親がみんなインのように分かりやすくて理解があるのならいいだろうに。「やられたのか? じゃあやりかえせ」とかナチュラルに言いそうなのが少しアレだけど。
「まあ、今はあまりピンと来ないかもしれんがの。眷属は人の子の社会で言うところの騎士に相当する。主人に仕え、主人を守る守護者だな。エヨニとタマラたちのように従者のような仕事をしているのもおるが、難しく考えず単に仕える者だと思っていればよい。その点ではジョーラは優れておるというわけだな。実力にしてもそうだし、お主を好いておるし、お主に忠実な騎士にもなろう。忠誠を誓えぬ者を従えるわけにもいかん」
「その時には俺が氷竜だって言うんだよね」
インは無論だ、と同意した。ごく自然に。
ジョーラが俺に畏まるのはあまり見たくないな……。出来れば今のままがいい。
でも、アレクサンドラは分からないが、ジョーラなら態度を変えない可能性はありそうだ。嘘が下手だし、演技も下手だろうからな。
俺は次いでハムラの件を話した。
「――ハムラのことどう思う?」
「奴か。悪い奴ではなかったし、おおかた使いっ走りの類ではないか? お主に<
ホッジャ氏も悪人ではないらしい。
インの言う悪い奴か否かは一定の信頼がある。いわゆる邪気が強いか弱いかの人間性を見定められるとのこと。裁判時に欲しい能力だ。
「俺もそう思うよ。ハムラがミーゼンハイラムからどこまで俺のことを聞いているのかわからないけど」
「ふむ。……あの場にいなかったのなら我々のことは知らんか。ジルに《
ハムラがミーゼンハイラムやガスパルンのようになっている様子が浮かんだ。
「いや、いいよ。ハムラ1人じゃ何もできないと思うし」
「そうだの。奴は学者肌のようだし」
それから俺はミーゼンハイラムとガスパルンの2人をこれからどうするのか訊ねた。
「あの2人か。解放でもしてほしいのか? お主の誘拐を企てた者たちだが」
「……でも今後誘拐されることはないと思うし」
インは深めの息を吐いた。
「解放はできんぞ」
そうだよな……。
「お主が八竜と知っておったならせんかった企てかもしれんが、誘拐は重罪であるし、奴らには我々のことも晒したしの。処罰は免れん」
処罰。
「殺すの?」
インは俺に視線を寄せて、「分からん」と言葉を添えた。
気遣われたな。……俺の精神的な動揺が核爆弾に繋がるのならな。嫌な話だ。
「“氷竜の慈悲”として、家族に伝えたりは?」
インは片眉を上げた。
「慈悲としてか。まあ……2人とも有益な情報を持っておるし、しばらく殺しはせんが。協議はせねばならんが、そのくらいは出来るかもしれんな」
「そっか」
有益な情報とはホムンクルスの合体技術のことだろうが、俺は安堵した。
ハムラの件も気にはなるが……ガスパルン卿の方は女王を庇護し、ミージュリア復興の鍵となっていた人物だ。クヴァルツの望郷への決意が失意に落ちないようなものにしてやりたいところだし、生き残った王女のこともある。ガスパルンが庇護の中心人物だったのなら、別の人物を据えるよう手配しなければならない。
その時の協議には是非参加させてくれというと、インは不服そうだったが同意した。
理由を聞かれたので、ガスパルンがミージュリアの王女を庇護していた件について触れると、「なるほどの。了解した」とこちらは明らかな前向きの姿勢が見てとれた。一安心だ。
ふと姉妹のことが気にかかり、ドアの方を見る。
「そういえばディアラとヘルミラは? 寝た?」
「うむ。2人とも店で寝とったしの。ヘルミラは待ってると言っておったが、ジョーラたちもおるし問題ないと言い聞かせておいたぞ」
そうか。……やっぱインは気を使ったんだな。
視線をインに戻してみれば、インは視線を落としてなにやら小難しい顔をしていた。
「ネロだ」
ややあってインは視線をやって俺に短くそう言ったあと、また視線を外した。ネロから念話がきたらしい。
ネロってことはこれからフリドラン行きか?
そういえば、ネロはみんな準備してるとか言ってたけど。
準備って何だろうな。歓迎するんだろうか? 七世王やノアさんと会った時は教会で秘密裏に会ったし、ああいう風に密会という形で今後会っていくのかと思っていたけど。
結局ネロとは腕輪をもらって以来話していない。
エルフか……。会うのは楽しみではある。ただ、これまでのエルフたちの印象は残念ながらあまりいいとは言えない。
コルネリウスは<山の剣>の一味だったし、セティシアでの戦いでは弓使いたちがアマリア軍に加勢したとされている。
一方のダークエルフは既に4人だ。しかもみんながっつり俺たちの味方。
ここまでくると、エルフと友好関係を結ぶのは難しい、ダークエルフで我慢しておきなさいと言われてるような気もしてくる。
唯一見たコルネリウスの容姿は、俺の想像していたエルフ像、ないしクライシスや他のゲームや創作のエルフたちとさほどかけ離れていなかった。
強いて何か挙げるなら薄めではあるが、白人顔なところか。ファンタジー洋画を見ていると違和感もないのかもしれないが、俺は残念ながら映画は見るたちではないし、洋ゲーもそれほど経験はない。
コルネリウスはホイツフェラー氏にぼこぼこにされて不憫ではあったが、自業自得だった。殺人幇助に強姦幇助。実際に見聞きしていないが、自身もフィッタの村人を殺しているのは想像に難くない。
俺たちが会うなら潔白なエルフだろう。その辺は安心だ。ただ、結構お年は召していそうではある。緑竜教の総督司教とやらのエルフだろうし。
……そういえばアナも一応エルフか。
アナはホムンクルスであってハーフエルフだけど、実際のハーフエルフの顔からはそれほどずれてはいないだろう。つまり、若い女エルフと近い顔とも言える。
「フリドランでの面会は明日にしたいそうだ」
と、考え事の最中にイン。明日?
「別に構わないけど……」
出発前日ってことか。やることは色々あるが小さいことなので問題ないだろう。
「今日はこれからお主と手合わせしたいそうだぞ」
え。これから?
「……ネロが?」
インは小難しい顔のまま、ああと頷く。インは手合わせの話はいつも喜々としているところだ。野次馬根性の方だが。
ジル戦の内容が思い浮かぶ。戦闘の内容だけを見れば圧倒していたと思うが、ジルのブレスは俺でも回避がぎりぎりだったほど速く、当たったらまずかった。インが肩をやられたように。
「インも参加するの?」
「いや。私は待っておる他ない。ジルの時は奴が勝手に亜空間に送ったしの」
そうだったな。……しかしなんで手合わせするんだ? 俺の実力はもう知られてるんだろ?
「戦う意味は? ネロってジョーラみたいに戦闘狂なの?」
いや、とインは軽く首を振る。
「別にそのような気性でもない」
だよな。
「……奴は合理的なたちでな。あまりそうは見えんかもしれんが。この手合わせも奴なりに意味のある戦いではあるのだろうの」
どうやらインもネロの思惑は聞かされていないらしいが、意味のある戦いか。
ジルと戦った頃は、俺は七竜にとって脅威以外の何者でもなかっただろう。停戦協定を結んで、組織のトップに据え置いただけでもその脅威の度合いは推して知るべしだ。延命治療もしてくれたし、その辺の溝は一応塞がれたように思っていたけど。
合理的な部分は割と納得ができそうだ。長話ではなく簡潔明瞭でと念押しする奴が、合理的な性分でないわけがない。
それにしてもインはなんか念話をもらってからテンションが低い。ネロが手合わせの打診をしたことに対して機嫌を悪くしていると見えなくもない。
「ジョーラじゃないけど。一度拳を交えないとダメなこともあるのかもね」
「うん? どういうことだ?」
「俺もうまく言葉にできないけど……口約束だけじゃ約定は不安というか。言葉で『こいつは強いぞ』って言われても納得できないというか」
インは視線を落として、我らが八竜でなく自由な人の子であればそれでよいがの、とこぼした。自由か。
「もっとも人の子でもそうそう約定は破らん。破る時は破るがの。破られるのはごく小さな約定ばかりだ」
「そうかも。……ちなみに断ったらどうなる?」
インがちらりと俺を見てくる。そうして、ここに乗り込んでくるかもしれん、と肩をすくめた。やれやれ。
「それでいつやるの?」
「ん、ではゾフを呼ぼうかの。よいか?」
今かららしい。
「うん……いいよ」
手合わせだし、一応同僚付き合いの一環でもあるだろうしで承諾する他ないが、戦うのは正直気は進まない。ジルには勝てたが……この戦いは一般的な1VS1の戦いではない。俺は無事でいるだろうか?
やがてゾフがやってきて、俺はネロがいるらしい亜空間のフィールドへ移動することになった。
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