9-39 緑竜大戦 (1)


 ゾフの《三次元空間創造クリエイト・スリー・ディメンション》により出た先は、……森だった。

 俺はてっきりジル戦のような真っ暗な空間に出ると思っていたのでちょっと面食らった。


 すぐさま到来する植物と土のにおい。

 メイホーを彷彿とさせるが、花の香りも結構混じっているのかメイホーよりも香り高く、フィッタのようなマツのフレッシュさは少ない。


「で、では……健闘をお祈りして、います……」


 と、俺の心境をよそにゾフからお祈り。


「ありがとう」


 ゾフが顔を引っ込め、やがて黒い姿見は消える。


 健闘ね。


 今回はインもいない。

 俺の行動が現在進行形で筒抜けってことはないと思うが……なんだか観戦でもされてる気分になる。


 俺が出たのは森の中の開けた場所だった。地面の草々は少なく、濃い色の土がむき出しになっているが、結構広い。高校のグラウンドくらいは軽くありそうだ。

 切り株なんかもないので少々不自然に思えるが、ネロが準備したのか、元々こういう――手合わせのための用途なのか。七竜たちは魔法実験もするらしいし、実験用途の可能性もあるか。


 周りはすべて木だ。前も後ろも、広間を囲うように木の群れ。木には白や黄色の花をつけているのが結構ある。

 木々の合間からはなにか別の景色が見えるといったことはなさそうで、森の深さがうかがい知れた。


 ネロはどこだ?

 辺りを見回すがネロの姿は見えない。


 頭上には空が広がっていた。雲もあった。鳥の群れが旋回している。

 亜空間の時は不自然な夜空だったが……空はとくに違和感はないように思えた。普通の空だ。


 緑竜。クライシスでは風属性の攻撃をしてくる敵で、硬めの竜だった。

 攻撃力は100竜としては低い部類、でも確か後半にはデバフ付きの尾撃で防御を落としてきたものだった。


 マップを出してみると、「緑竜の角」とあった。

 アゴ、尾に続いて角らしいが、亜空間じゃないらしい。……ドンパチやるだろうに大丈夫か?


 スワイプしてマップを移動させてみるが、俺の周囲は一定距離に達すると未踏破区域のグレーゾーンになっていた。

 グレーゾーンまでは広間を除くと緑一色。いや、離れた場所に滝っぽい場所がある。この分だとしばらく緑が続くだろう。


 さしずめ樹海って感じらしい。マップがあるからいいが、うかつに森に入っていたら迷っていそうだ。


 空気が美味いことに気がいく。そりゃあこれだけ広い森の中ならそうだろう。人の手が入ってる様子もないし。

 魔素マナも不自然なまでに濃い。魔族の地は魔素酔いなる症状を起こすほど人族にとっては悪い意味で魔素が濃いらしいが、こっちは有害な要素は今のところ皆無で――植物や土のにおいは強めだが――体には充足感すら覚える。青竜の尾は修行に適しているらしいが、ここもそうなんじゃないだろうか。


 少し待ったがネロは来ないので、好奇心のままに木々の傍に跳躍する。


 ……と、すぐに木々がバカでかいことに気付き、驚かされる。インたち竜よりもでかい。もはやビルだ。


 青々とした森の中は日光が木々の合間を縫い、光の筋となって降り注いでいた。神秘的だ。

 地面は落ちた枝や、ツルや這い出た根のようなものなどすべて半ば苔むしていて、道なんてものはない。木の幹は俺が両腕を伸ばしても届きそうにない太さのものが普通にある。


 青木ヶ原樹海は行ったことはないし、原生林もろくに見たことないが、樹海や原生林ってこういう風景なんだろうか。


 森を守護する動物の1匹や2匹住んでいそうな神秘的な光景に魅入りつつ、恐怖感もいくらか抱かされていると、


『この大森林は三千年以上前からある森でね。その間、ろくに定命の者たちに踏み込ませたことはないんだ。人族イゥマナ私の国民ププレ メウスもね』


 と念話がきた。


 三千年か。そりゃあビルレベルにもなる。……のか?


 振り返ると、想像通り広間には人影――ネロがいた。

 遠いので分かりづらいが……裸っぽい。なぜ。もっとも手足は変に巨大化していて濃緑色の鱗で覆われているようだった。変身を見据えてるらしい。


『ただ、近頃は定命の者たちの資源の消費が激しい。安易には与えないつもりだが、私はいつこの大森林の木々を伐採しなければならなくなるか、計算したことがある』


 建物、燃料、加工品。木材の使い道は燃料を中心にありすぎるほどある。放牧地や農地改革によって森林が開拓されるのも森林の減少に拍車をかけている。

 俺のいた世界が顕著だったものだが、この世界も文明が進むにつれて木材の消費量が上がるのは同じだろう。


 ――いつだった?


『はじめは2100年後だったが、近年は1900年後まで早まったよ』


 途方もないが、俺の脳内知識に比べるとかなり後らしい。

 転生前の世界では100年後とか予想していなかったか。地球上から森林と呼べるものがなくなるのは。何年後に何らかがなくなるというこの手の予測は正直実感はほとんど湧けなかったものだが……。


『この地に人が増えれば増えるほど、文明が発達すればするほど、消費の速度は早くなる見込みだ』


 もしこの世界でも科学の発展があるなら、もっと早まるだろう。


『この話は皮肉な話でもある。私たちは定命の者たちの住処を守る立場にあるが、ここにはやがては、自分の住処を追われることになりかねない危険性をも孕んでいるのだから。しかも消費の速度に森が育つ速度が勝つことはない。ジルやゾフのようにはじめからこの世界の土地と生物に適していなかった方がマシだったろうね。……ゾフは木材製品の消費を抑え、苗木を植えるしかないと言い、今は消費社会であるとも言った。確かに木々は人々の生活のためにあると考える者も増えた。私には一部のエルフたち以外そんなことに時間と金を割く者がいるようには思えないが』


 ネロの長話の話しぶりはいつぞやの子供っぽく奇天烈な言動とは裏腹に静かでごく淡々としたものだった。

 植林は慈善事業みたいなところもあるからなぁ。魔物や賊から襲撃される危険性もあるだろうし、大変そうだ。


 なんとも返せずにいると、


『まあ、この大森林の木は通常の木の数倍の成長速度で成長するんだけどね。私の力があればもっと速めることもできる』


 それは便利だな。資源に喘いでいる状況ならなおさらに。


『長話はここまでにしようか。改めて歓迎しよう、ダイ。ようこそ、我が常盤の庭へ』


 言葉もそこそこにネロはたちまち淡い光に包まれ……体長がぐんぐん伸びていき――やがて巨竜になった。


 ネロの竜モードはまさしく植物の竜、森の守護竜といった具合だった。それでも周りの木々の方がでかいのだから凄まじい。


 ネロの体は首や胴体や翼など、あらゆるところにツタや木の根のような植物っぽい代物で覆われていた。そうした表面の植物状の外皮の下には竜の鱗がしっかりとあった。

 ヒレの類はないらしい。トゲも全くなく攻撃性は控えめで、ジルのような破壊の権化や終末竜的な印象は少ない。かといってインのようにシュっとしたフォルムでもない。


 脚にも尾にも植物はあったが、翼の爪、足の爪はインやジルと同じように鋭く巨大だ。もし突き刺されるようなことがあれば一瞬で絶命するのは想像に難くない。

 顔面には植物はなく、紛れもない竜の顔があった。両側頭部からは硬い幹のような2本の象牙色の角があり、短く枝分かれしながら背後に向けて湾曲している。


 トゲはないと言ったが、角なのかトゲなのか判断の難しいものは顔の随所にある。

 2本の主角の根元からは耳のように二手に分かれた伸びる2本の角がある。額にあたる部分にも短い角がいくつもあり、アゴにはヒゲのように下向きに伸びる長いトゲのような角。上あごからは数本の鋭い歯がむき出しになっている。


 こうした緑竜の風貌に俺は賢者竜然とした印象を受けた。緑色なのも影響が強いんだろう、凶悪さが控えめで、全体的にどっしりとしたフォルムだ。インやジルとは明らかに違う。

 俺に不安を抱かせた子供っぽいネロと、森の未来を憂う八竜としてのネロ。今となっては後者の印象しか持てない。


 情報ウインドウが出てくる。


< 緑竜 LV106 >

 種族:竜族  性別:なし

 年齢:1398  職業:八竜

 状態:健康


 性別なし? 中性なのか……?

 てか、この森は三千年以上前からあったようだが、1400歳ってことはその時にはネロはいなかったことになるな。七竜の前は誰かいたのか?


 緑色の巨竜は唐突に翼をばさりばさりと羽ばたかせた。翼がはためく度に、骨格部分からカーテンのように垂れている太いツタのようなものが跳ねた。

 一瞬で地面には強風が巻き起こり、土けむりが軽く巻き起こったので、顔を手で覆う。強風は勘弁してくれ。


 これ以上強くなるなら木に掴まろうと思ったが、その心配は杞憂に終わり、羽ばたきは終わった。

 そうしてネロは不意に長い首をゆっくりとまわし、左右を向いたりした。準備体操かなにかのように。胴体はだいぶ太いが蛇みたいだ。


『……さて』


 首回しが終わり、ネロの視線が俺に到来する。

 インとジルと同じく、男と女の声をあえて残したような奇妙な中性的な声で、男の方はもちろんネロだ。ジルのように吼えたりはしないらしい。


『インやジルと戦った時のことは聞いたよ。私はきみに1人で挑むつもりはない』


 え。ゾフはいないが……。


『きみも私が加勢を頼むことくらいは許してくれるだろう?』


 言葉も語調も友人に気さくに頼んでいる風だったが、緑色の森の守護竜の顔の表情は何も変わっていなかった。そもそも爬虫類の顔から表情を汲むというのも無茶な話ではある。


 ――……お手柔らかに頼むよ。


 ネロは俺の言葉を聞くと、それは強者に対して言う言葉さ、とアゴを縦に動かして“竜式の笑い”を見せた。

 まあそうなんだけど。バカでかい巨竜の前じゃ萎縮しかしないよ。


 俺は跳躍してネロの前に立った。


『さすが我々の長となった者は器が違う。信徒たちの長話に辟易している私なんかよりはね』


 近くに来たので念話はやめたようだが……なんかさっきから微妙に卑屈というか。やりづらい。

 あれもあれで困った性格だと思うが、悪童の時の方がまだ親しみやすかったかもしれない。


 俺も長話は嫌だよ、とフォローしようとしたところでネロの瞳が緑色に怪しく光った。白目の部分が黒いことに気付く。


 やがて、たいした間もなくネロのいる前の地面になかなか大きな緑色の魔法陣が現れた。

 魔法陣から近かったので俺は数歩後ろに下がった。


『私は戦士たちを召喚することも出来てね。魔族の召喚ほど強力な代物ではないし器を用意しなければならないんだが、私は一度に複数召喚できる。もう死んでしまった者たちだが、英雄と呼んで差し支えない者たちさ』


 加勢って召喚か。魔族の方が単発では優れているようだが、緑色ってことは風魔法になるのか?


 やがて魔法陣が緑色に明滅しだした。


 陣の輝きが極限まで強められ、陣から光の柱が出始めた頃、地面からぬうっと武装した3人と武器が現れた。2人は膝をついているが、1人は立っている。


 1人は完全武装した人で、1人はくわえて黒い翼があり、立っている1人はケンタウロスだった。

 ケンタウロスの下半身はちゃんと馬だ。胸に手を添えて頭を軽く下げてるだけだが、実物は初めて見た。


 ケンタウロスに注意が向く。


 風になびくように湾曲した鹿っぽい角。頭部を覆うチェーン状の髪飾りに、ウェーブがかった束ねていない茶髪。耳は長い。コルネリウスのように。エルフの血が?

 革の鎧と植物のツタが全身にある。腰には大きなベルトがあるが、肌は露出していて半裸に近く、他の2人よりも武装は控えめだ。彼の前には大きな翠玉を守るように枝が巻きついた豪華な意匠の杖があるので、魔導士か治療師ヒーラーなのだろうと察しがついた。


 彼の背中には木目のような縦筋があることに気付く。

 民族系の一族のようだし一瞬そういうボディペイントの類かと疑ったが、縦筋は中心から右にずれたところに入っていて、左には筋がない。また、首にも丸くなった筋があり、なにか意図めいたものはなさそうに見えた。だいたいボディペイントの類なら、メッセージ性がまるで見えてきそうにない。


 他の2人は鎧ばかりだが……「器」って言ってたし、まさか木の人形とかか?


 黄金色の鎧と短いマントを着た彼の方に注意が向く。


 伝説の鎧と言われても何も疑わないほど、彼の鎧の彫刻は至るところで陰影が豊かな出来だった。冑の先からは大将然とした真紅色のポニーテールが伸びていた。ネロは英雄と口にしていたものだった。

 ただ、くすんだピスタチオ色のマントや手や手首に巻いた黒ずんだ布が、彼のそうした栄華を放浪者の風采へと成り下げる要因になっている。マントは先で不自然に破れている上、よく見ると染みや黒ずみがあるからだ。


 頬とアゴを覆っている布地の方は丸い図――太陽のような形の細かい刺繍が縫われていて、とくに汚れている風ではない。ポニーテールの赤毛もいたって綺麗なものだし、マントや手の布だけが不自然に薄汚れていた。


 そんな彼の前には白銀に輝く大剣がある。刀身にびっしりと刻まれた細やかな彫刻はもちろん、アクアマリン色に輝く筋模様が美しく、剣の分厚さも合わせて国の宝剣とも呼んでよさそうなシルバーライクな代物だ。

 ただ、これが彼の武器であるなら正直あまり合わなかった。彼の放浪者寄りの容貌に引きずられて、剣の華美さが目に余るからだ。鎧とは合っているが……。もっとも、ネロの召喚術でわざわざ合わない武器を用意するはずはないことは想像はつく。と言うことは彼にとっての最高の剣が、この見事な白銀の大剣なのだろう。


 もう1人の黒い翼を持つ人も露出は見られない。


 大剣使いの彼とは違い、鎧の彫刻は浅めで、金色の輝きが鈍いのも合わせて意匠はおとなしめだ。だが、緻密であるのは違わない。むしろ繊細な技術が必要なぶん、こちらの鎧のほうが彫刻家の腕がよさげではある。

 また、放浪者の風采は彼には何1つない。各鎧の下には鎖帷子ホバークが見え、頬にはガードがあり、下にも首元にかけて鎖帷子がある。腰には長剣、背中には丸盾があり、完璧な武装だ。


 印象的なのは冑だ。冑は羽根飾りを重んじた意匠で、頭部には鳥の羽根を並べ、バイザーの左右にも羽飾りの意匠がある。

 背中の翼の付け根部分にも周到に鎧があり、羽飾りを用いた意匠の冑も合わせて鳥人族ハーピィの血を疑う余地もないが、とりもなおさず、曲線美の美しい繊細な意匠の鎧と騎士然とした風采は、彼もまた英雄であるのを疑えない事実としていた。


 彼の前には弓があった。両翼にはコウモリの翼のような意匠があり、野性味の強い弓だ。これもまた放浪者の彼と同じで、騎士然とした彼とあまり合っていない。MMOならこういう組み合わせの美観の問題は気にしないのだが。

 なんにせよ小ぶりな弓なので、飛翔能力と合わせて一番脅威になりそうなことが予想される。速攻で撃ち落す必要がありそうだ。ただ……弓筒が見当たらない。矢はどうするんだろうか。


 やがて3人はギギギ、と鈍い動きで動き出した。機械仕掛けの人形が動き始めるように。

 だが、そんな動作は幻だったとばかりに、3人はすぐさま緩やかな動作ですっと立ち上がった。


>称号「緑竜の憑依召喚術を目にした」を獲得しました。


 憑依召喚術。木の人形にか。


『今回の相手は彼だ』


 召喚された3人がいっせいに俺を振り向く。ケンタウロスの目が緑色に光っていたが、他の2人もバイザーの目の部分が緑色に妖しく光っている。

 2人はバイザーで完全に覆われているので目の光以外に顔の情報はないが、黒翼の人は女性のようで、胸部に膨らみがあった。


 実力でもうかがっていたのか、彼らはしばらく俺を見たまま動かなかったが、やがて大剣使いが顔を戻してネロを仰いだ。


『……殺して構わないよ』


 と、大剣使いから念話でもあったのか知らないが、ネロはそんな不穏な言葉を言った。え?

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