7-10 セイラムの守り人とカラの守護者 (3)


 日誌を手にミノタウロスの前にしばらくいても結局何も起こらなかったため、帰ることになった。

 マップとインベントリ内での点滅もそのままになるので、帰り際にも少し待ったが全くの無反応だった。


 だが、去ろうとしたところでインから「ダイチ、こっちに来い」と呼び止められる。声には切羽詰まったものがあった。

 慌てて《瞬歩》でインたちの元に移動してみれば、インとゾフの手の形状が変わっていて驚いた。インの手の変化はすぐに分かった。竜形態時の手だ。元のインの手より数倍大きくなっている上に長い爪と銀色の鱗があった。懐かしい表皮だ。


 ゾフの手もインの形態変化と同様のことが起きている。鈍く光る黒い鱗に、インの爪よりも湾曲して、いくぶん凶悪さの増した爪だ。ゾフの謙虚な言動を見ていると、似合わないのは間違いない。

 2人はこういった半端な変身もできるらしい。


「何事?」

「分からんか? 奴が気配を強めておる……信じられんことにな。それに私らが七竜であることも分からんようだ。たまにおるのだ、魔物にも不信心なやつらがの。……ゾフ、私は竜になれんのでな、サポートを頼むぞ」

「は、はい!」


 ミノタウロスを見てみれば、……こっちを見ていた! 彼はまばたきして、少し目を細めた。……動いてる。

 不透明の具合も少し濃くなっているように思われる。目は赤くはないものらしいし、とくに怒ってもいないようだが……なんというか、攻撃性を全く感じない――妙に人間味を感じる目だった。


 情報ウインドウが出てきた。


 カラの守護者。LV93。


 は?? レベルたけえ! もう七竜クラスじゃないか! ……セイラムとロダンと同じように戦闘するのか? イン少しまずくないか? もう腕飛ばされたりするの勘弁だぞ……。


 インと俺の前に、2対の黒い剣が現れた。剣は物理的なものではなく、黒い炎が剣を象っているような代物だ。ジルがやっていたようなものか。

 インとゾフの体が桃色の膜で覆われた。俺には自分でかけてくれというので、言われたままに自分で各種防御魔法をかけた。《魔力装》を出して、刀身を伸ばす。レベル的にはジルより下だし、ゾフのサポートもないので、戦いやすいようには思えるが……レッドアイがしてきたように強風や重力魔法などの絡め手がないとも言えない。


 と、俺たちの警戒と不安とは裏腹に、ミノタウロスには全く動きはなかった。


「うん? 見てるだけで動かんな……」


 だが、ややあって、ミノタウロスは地面から斧を抜き、動き出した。緊張する俺たち。

 ミノタウロスは俺たちの前に来て……再び地面に斧を刺した。今度は刺さった感触、振動などがあった。衝撃があってもまだ半透明のようだが、色味がさらに濃くなったようだった。


 そうしてミノタウロスは膝立ちになり、彼は俺たちに手のひらを差し出した。


「なんだ? なんか欲しがってるのか?」


 ……日誌か? インも気付いたようで、ミノタウロスから視線を外し、「その日誌でもやってみたらどうだ?」と俺のことを見てくる。


「中身白紙なんだけどね……」

「うむ……」


 手を差し出しているミノタウロスにはとくに変わった表情はないように思われる。

 相変わらずレッドアイと同じく牛の顔であり、死ぬ前の怒り狂った表情はない。さきほどの人間味があると思ったのは錯覚だろうか。穏やかというほどでもない……やはり牛の顔、ミノタウロスの顔だ……。


 鼻には鼻輪があり、角はレッドアイとは少し形状が違うようで、他のミノタウロスのようにしっかりと頭上に向けて伸びている。ヒゲは短く、首から下がっていた頭蓋骨のネックレスなどもない。装備の鎧はレベルからすると地味だが、目立った傷もないし、しっかり各部位に装着している。そうやすやすと割れてくれるようには思えない。

 邪気がないと言っていたものだが、レッドアイが悪たれならこちらは騎士道精神のあるミノタウロスの印象を持った。もっとも、背の高さもあるし、レベルが示すとおりに実力の違いは明白なのだろう。


「……読む?」


 なんとなく、ミノタウロスにそう問いかけてみる。ミノタウロスに動きはない。ただ、じっと俺たちの方に眼差しを向けているだけだ。


「君の亡くなってしまった主人と……おそらく、似たような人の日誌だよ。彼女には従者が、……忠実な従者がいた。お互いを大切に思ってたよ。……2人とも……天に召されたよ。……まあ、中身白紙なんだけど」


 不安からか、彼の攻撃性の無さと少々切ないように思える状況にあてられたのか、オブラートな言葉を選んで語りかけてみたが、やはりこれといった反応はない。白紙という言葉にも動じないものらしい。

 意思疎通ができないのは少し残念ではあるが、なんにせよ、あげてみるしかないようだ。


 日誌を置こうとしたところで、差し出されていたミノタウロスの手のひらの色味が濃くなった。もうほとんど実体だ。透けて落ちてしまわないか少し懸念しながら、そのまま置いた。日誌は何事もなく彼の手のひらに収まった。日誌はB5サイズくらいだが、手に対してずいぶん小さく見えた。

 やがてミノタウロスはゆっくりと立ち上がり、微動だにせずに手のひらの日誌を見つめ始めた。1分ほどずっとそうしていた。ページをめくったりはしないものらしい。まあ、白紙だからな。日誌に込められている思念的なもの――“内部データ”でも読み込んでいるのかもしれない。一応出典はゲームのアイテムだからなこれ。


「無口な奴だのう……いまさら幽魔然とされてもの。この私に警戒させたのだ、少しはその口を開かんか」


 インとゾフの手は相変わらず変形したままだったが、軽口を叩くくらいには緊張が解けたらしい。


『セイラム様は逝かれたのですね……』


 え? セイラム?

 念話だった。いくらか無念さを孕んだ男性の声だ。インたちに変化はない。聞こえているのは俺だけか? 


 ミノタウロスを見ると、目が合う。


『私たちの生を終わらせてくれた礼を言います。タイチ・長谷川殿……』


 ……タイチ・長谷川? 俺のクライシスでのメインキャラクターの名前だ……それにその台詞は確か……死ぬ間際のロダンの台詞だ。声すらもついていないゲーム内テキストだけど。


 ミノタウロスの手の日誌が薄まった。と、同時に、ミノタウロスが足元から透けていく。

 成仏するのか? 待て待て!


 ――ちょっと待ってくれ! お前はロダンじゃないだろ??


 解答はなかった。彼は背中を向けてどこへ向かうのか分からないが去り始めた。どんどん彼は消えていっている。


 ――彼女はどうすればいい? あのまま放置はかわいそうだろ? 埋葬とかしなくていいか??


 透けていく進行がピタリと止まった。彼自身も立ち止まった。


『………………埋葬カ。…………コノ森ノ、崖ノ先ガ、カラハ、好キダッタ。……ヨク、眺メテイタ。……俺モ、眺メタコトガ、アル。……確カニ、見事ナ眺メダッタ。……』


 これは……ミノタウロス自身か。


 ――じゃあ、そこに埋葬するよ。場所、間違ってたらごめんな。……君の骨とかはないの?


『……俺ノ、骨ハナイ。俺ノ、コトハ、ドウデモイイ。……』


 ないのか。どういう死に方したんだろうな。

 どうでもいい、か……。この辺が人だったロダンと違うのかもな。


 ――斧とか、着てた鎧とかあったら一緒に埋めるよ。彼女も喜ぶんじゃないかな。……彼女は君のこと大切に想ってたんだろ?


『…………俺ノ、予備ノ斧ガ、倉庫ニアル。……』


 ――探しておくよ。なかったらごめんな。……お疲れ様。


 ミノタウロスが首だけで振り返ってきた。


『…………感謝スル。タイチ・長谷川。……』


 ミノタウロスはゆっくりと消えていった。日誌も一緒に消えたようだった。


>称号「魔物と交流した」を獲得しました。

>称号「哀悼を捧げる」を獲得しました。

>称号「セイラムとロダンの守り人」を獲得しました。


 セイラムとロダンの守り人か。クライシスで実際にクエスト完了後にもらえる称号だな……。


 俺は軽く息をついた。“混ざってた”感じか。ロダンとミノタウロスが。称号もゲーム内のものだしな……。混ざってる混ざってないなんて、いまさらではあるのだが、人格が混ざってるのはちょっとな。インパクトがあるよ。


 念話でも来てたか? と、インが訊ねてくる。手はもう人のものに戻っている。ゾフも解いたようだ。


「うん。……魔道士――カラ? というらしいけど――の骨を埋めることになったよ。あの崖かどうかは分からないけど、崖を行った先に良い景色の場所があるらしい」


 インが軽く息をついた。


「私ら七竜の方で済ませておこう。妙なことが起こったらかなわんしな」

「ありがと。倉庫の中に、彼の予備の斧があるらしいからさ、それも一緒に埋めてやってよ」

「よかろう」


 1軒の木造の建物に向かう。中は相変わらず植物が生え放題だったが、積まれた麻袋や樽と一緒に巨大なハルバードが立てかけられてあった。

 巨大といっても、さきほどの幽魔の彼が持っていた大きさではもちろんなく、昼に戦ったミノタウロスクラスの大きさだ。意匠に錆びている部分はあったが、刃にはとくに錆はないように見える。


「これらしいね」

「……全く。珍奇なことだ、ミノタウロスが人の子の元にいるなど。会話もできたのであろ?」

「うん。言葉も割と上手かったよ」


 そうか、とインは腕を組んだ。翻訳スキルを解いたらどう聞こえたんだろうな。


「元々知能は高かったのだろうな。……やはり奴は元々セルトハーレスのミノタウロスだったようだな」

「そうなの?」

「うむ。間違いなかろうな」

「レベルがずいぶん高かったようだけど……」


 普通のミノタウロスは20台、レッドアイでも40ほどだった。知能が高いのならコマンダーだった可能性とかもないか?


「奴はここら一帯の主でもあったようだからな。死霊系の魔物の巣窟で奴らから主と認められた者は、年月によって力を増していくのだ。無論、1年2年の規模ではないぞ。50年100年の規模でだな」


 そんなに前なのか……。家の植物の生え具合を見たら相当前だとは思っていたけれども。


「まあ、それでも私ら七竜に迫るほどの成長を遂げたのは初めて見たがな……奴に戦う気がないのは幸運だった。……ゾフ、ここの情報は集まったか?」

「もう少し、です」


 ゾフはあまり喋っておらず、ずっと考え込んでいる様子だったが、情報を集めていたらしい。


「私も精霊たちと眷属たちに調べさせておるが、200年前の人族と魔族の戦いのことがよく出てくるな」

「はい……私も、事の始まりはその辺りだと、……思います」


 200年前か。


 インが言うには、バルフサでは200年前に人族と魔族との大規模な戦争があったらしい。


 5年ほど続いた戦いは魔族が勢力を落とした末に王子を捕虜に取られ、停戦になり、魔族は自領に引っ込んだのだが、各地では魔族がいると分かると街から追い出したり、殺したりしていたそうだ。

 蒼炎の魔女として知られていたミノタウロスの主であった彼女もまた、暗黒魔法を使える身として被害は免れず、殺されたのだろうとインは語った。



 明日の警戒戦のこともあるし、俺の体力のこともあるしで、俺たちはいったん宿に帰ることになった。

 インも内々で行うが、ゾフもまた調査を続けるらしい。ちょっと見物する程度の気分だったが、少し大事件になってしまったようだ。


「魔族が本格的に侵攻する前、ヴァーノン小山のあの辺りは、なんてことのない普通の森だったそうだ」


 蝋燭の灯りを消し、ベッドに横になった頃、インが調査の経過について話し始めた。


「あそこにいた骸骨どもは2体は召喚された者だと言ったな? 奴らは“主が替わるようになっとった”。召喚者が死んだ時には、あのミノタウロスが主になるよう切り替わるようにな。……あの女魔導士も奴を大切にしとったらしいの」


 やっぱ似てるんだな。関係性が。


「ミノタウロスの方も信頼している風だったよ」

「ふむ……。魔物と人の子が一緒にいるだけでなく、信頼関係を築くとは……興味深いことだ」


 いくらか否定的な心境になりつつも、飛竜ワイバーンの2匹が脳裏に浮かぶ。でもこの場合はインという存在が間にある。俺単独で魔物となにか関係を築けたことはない。


「他の骸骨たちはなぜあそこに? そもそもどういう経緯で?」

「まあ、あのミノタウロスが殺した者がたいがいだろうな。……おそらく女魔導士を殺されて、しばらくは森で怒り狂っておったのだろう。そういう風聞は200年前の人里にも伝わっとったらしい。傷を与えても次の日には傷が癒え、復活しているということで、不死身のミノタウロスとして恐れられとったらしい」


 200年前の話か。デレックさんとか、ここの村の人は知ってるんだろうか。


「これは推測だが……奴はあの家にあるポーションなどの薬品の類を飲んでおったのだろう。女魔導士が作っていたのを知っておったんだろうの。会話ができたことから察するに、女魔導士はミノタウロスに色々と教えたりしていたのかもしれん」


 森に暮らすなら何があるか分からないし、ポーションくらい作れないとダメかもな。というか、そもそも森に入るという時点で、薬草を摘んで薬を作って売るという算段か。


「……死霊術というのはな、ちょっと変わった性質があっての。伝播していくのだ。骸をすぐに使役するとなると術者が赴いて術式を付与しなければならんが、それが長い時間によって、代わりに成されることもある。……土に染み込んだ死人の血、怨嗟の強い感情、彷徨う霊魂、ミノタウロスの怒りと嘆きと復讐心、そして召喚された2体のボーン・ナイトが放つ瘴気などが、徐々に森を蝕み、変えたのだろうな。いつあのミノタウロスが死んだのかは定かではないが、その頃には不死の者が跋扈する森になっておったのだろう。……不死者のはびこる森は、遡ればこういった経緯、つまりごく小さな事件から始まり、長い時を経て変化したことはままある」


 なるほどな。


「ところであの日誌は白紙だったが、お主は内容を知っておるようだったな?」

「内容というか……まあそうだね」


 俺は「セイラムの守り人」のクエストの内容を簡単にインに伝えた。


「――ふむ。なるほどの。だから埋葬することにしたのだな。二人とも元々魔物でなかったというところで多少色合いは違うが、まあ似とるといえば似とる話だ。……それにしても、お主の世界は戦いも魔法もない世界と言っとらんかったか? それに魔法がないのに死霊術があったのか?」


 ……あ、ヤバい。


「俺の国は戦争がないってだけで、戦いがあるところはあったよ。魔法は、魔法的なものというか、……ちょっと説明が難しいな……。俺もよく理解してないことが起きてるというか……死霊術もまあ、あるにはあったよ」

「ほお? ……まあ、いまさらか。ダイチに関して理解できんことははじめからよう起きとるしの。……あの赤目の奴ほどのミノタウロスがあのような力量を持つのもおかしなことだったしの。そもそも幽魔が実体を持つことも聞いたことのない話だ。あの日誌は、力を備えた魔導書の類でもなかったのだろ?」


 俺は同意した。破棄するしかないアイテムだったという、クライシスのユーザー的な見解だが。インはふむ、と考える様子を見せる。


 俺の国にはMMORPGゲームという創作の世界があり、その世界の理がこの世界にも反映されている。その世界には銀竜も黒竜もいた。

 こうした事実はいつか説明しなければならないんだろうが、どう説明したらいいんだろうなぁ……。インであれ、姉妹であれ、俺の身内には驚かれこそすれ、すんなり受け入れてくれる気もするんだけど、俺自身がある程度納得できそうな説明をしたいものだ。この世界の人々ないし事象の数々は決して絵空事の類ではないのだから。


 インベントリの中のクエスト品は他にも数点あった。クエストの内容を覚えてるものもあれば、何のクエストだったかはっきりと覚えてないものもあった。


 クエストなんていくらでもあるし、仕方ないんだが……インたちの急変した態度を見てると、この「分からない」という状況は結構危険な気もしてくる。

 幸い、魔法の鞄の中身は俺しか取り出せないようだが、場合によっては破棄したり燃やしたりした方がいいのかもしれない。


 今回は何事もなかったが、レベル90台の魔物がほいほい出てこられたらな……。レベル90台が出るなら、もっと上のレベルも出る可能性はある。


 あの幽魔のミノタウロスにはちゃんとした出自があったし、たまたまあのミノタウロスと俺の日誌が反応しただけだと思いたいが、もし、「俺の日誌があったことでレベル90台の魔物が出てきた」とするならとんでもないことだ。対処できる者が限られてくる。俺を除くと、七竜しか対処できないなんて状況は、一種の「世紀末の訪れ」と言っていい。


 他にもホムンクルスのクエストをはじめ、集めた素材の残りなどもある。

 あくまでも素材ではあるのだが、多くは大それた魔物の体の一部だ。単にヘビーユーザーを満足させるだけに生まれた、レベルが600とか700とかある“激強い魔物たち”がこの世界でどういう影響を及ぼすのか、正直見当もつかない。ハランの弓は、七竜を葬れるというからな……。クライシスの魔物はこの世界だとレベルが減って登場することは確認しているが、ミノタウロスの例が出た以上、その決まりがちゃんと守られるという保証もなくなってしまった。


「さ、寝るとするか」

「うん。おやすみ」

「うむ」


 そもそも今回は「インベントリの中」にまで干渉してきたのがな……痛い。もし、処分の段になったら、亜空間をちょっと借りるのもいいかもしれないな。そして、そのままその亜空間を時空の狭間とかに捨ててくれたら申し分ない。もし出来るなら、ゾフは影の支配者だな。


 まあ、今日はもう寝よう。戦ったし、明日も今日ほどじゃないらしいが戦いが控えているし、あまり遅く起きてもね。

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