2-15 静かな悪意 (2)


「ダイチ君たちなら危険なこともそうそうないと思うが、村の外に出るなら気をつけてな。狼は夜になると活発になるしな」


 がらんとした階下でヘイアンさんからそんな声をかけられつつ、俺たちはヴァイン亭を出て、狼の森に向かう。

 狼の活動が活発になる危険な森にわざわざ分け入り、何かをしているシャイアンとスリアンの様子をうかがうために。


「ダイチも物好きだのう」


 と、インが声をかけてくるが、その声は弾んでいる。

 シャイアンとスリアンだと言っても、同じ顔をしてただろうか。嬉しいのは単に暇が潰せるから、とかかもしれないが。


 普通に道通りに村を出ると、警備兵たちとかち合ってしまうので、横道に逸れて村を横断する形でなるべく人の少ない場所に向かう。

 しかしもうだいぶ薄暗い。村を離れれば家の灯りも街灯もないので当然ではあるが……。


 道中で、白いマーク――シャイアンとスリアンが止まっていた小屋から離れていくのに気が付く。

 二人は一直線に森を出て、草原を走り、やがて街道にたどり着いた。そのまま村に戻るようだ。街道に出た途端にスピードが遅くなったので、森から街道に出るまでは走っていたものらしい。


 インに二人の正体を教える。


「ダークエルフを連れとったあの二人か。……何をしておったのやらな」

「さてね?」

「しかしよう分かったの。この距離なら魔力の多い者や魔物なら分かるが、そうでない者はさすがに私も分からん」

「俺も分かる人と分からない人がいるんだけどね。俺の索敵は魔力の有無は関係ないと思う」

「ほお。さすがのダイチにも限界があるか」


 森に入る前にいったん外から森の中の様子をうかがう。森の中があまりに薄暗かったためだ。

 マップによれば近くに狼がいるはずなのだが……しばらく見ていると、ぼやあっとだが、先に方で狼らしき物体が小さくなっていくのが見えた。方角は小屋の方だ。


>スキル「夜目」を習得しました。


 色味はないが、視界が明るくなった。便利だ。いよいよ人間じゃないな? 思わずため息をついた。

 インが気にしていない辺り、インも俺と同じで夜目が効くのだろう。さすが“親子”だ。


 マップを見る。


 シャイアンたちが戻るのはいいんだが……。シャイアンたちのいた小屋の場所に赤いマーク――つまり狼や獣や魔物の類がゆっくりとだが一斉に小屋に向かっているのはあまり良いことではないだろう。 


「二人は村に戻るようだよ。ただ、二人のいた場所に魔物が一斉に集まってきてる」

「そのようだの。魔物と言っても狼だが。……お、ちょっとでかいのがきてるぞ。魔狼だのう」


 魔力を帯びた狼だっけか。警備兵たちが数人でというレベルだそうなので、レベル105のインに比べたら余裕の相手なんだろう。


 マップを再度見てみる。相変わらず赤いマークが小屋を中心に集まってきていること以外とくに変わった様子はない。

 赤いマークの中に魔狼がいるかどうかは不明だ。赤いマークは魔物の位置は教えてくれるが、魔物がどんな敵であるかまでは教えてくれない。

 クライシスでもこの手の悩みがあったな。依頼外で、特定のモンスターでしかドロップしないアイテムを狙う時とかだ。依頼内なら、討伐対象はマップにも視界にもマーキングされて表示される。


「行こうか」


 とりあえずインと小屋に向けて走る。少し気合を入れただけなんだが、いとも簡単にリアルの俺の全力疾走を超える速さが出てしまう。ちょっと気持ち悪い速度だ。つんのめらないのが凄い。

 当然木や枝にぶつかりそうになるのだが、これもまた危ないと思ったときには体は既にしっかり避けてくれている。《疾走》の効果か《警戒動作》の効果か分からないが、とにかく有難い。

 結局のところ、障害物の存在を無視してまっすぐ進むという感覚でいた方がむしろスムーズに走れるというのは奇妙な感覚すぎる。


 インも当然のようについてきている。忍者二人、と。

 あまり脳内ツッコミしすぎると回避動作が大きくなるようなので、なるべく無心でいて、体が慣れるように努めていたらあっという間に小屋の近くに着いてしまった。隠密仕事で稼げそうだな、俺。


 足音を立てないように茂みに隠れる。


>スキル「障害走」を習得しました。

>スキル「忍び足」を習得しました。

>スキル「隠密動作」を習得しました。


 いよいよ隠密適正マックスだ。にしても《隠密動作》があるなら、《忍び足》はいらない気もするよ。


 小屋の周りに大量の狼が群がっている。ウーウーいっててうるさい。マップの小屋周辺は赤だらけだ。


 しばらく見ていると、見ていた狼の一匹の傍に小さなウインドウが表示されたので、意識して拡大させると、名前とレベルだけが書かれた簡素な情報ウインドウが出てきた。

 どうやら狼たちはレベルは高いもので「9」らしい。小太りのガンリルさんもレベル9なので、人間尺度ならあまり信用のならない情報だろう。

 倒した今だから言えるが……飛竜ワイバーンたちやインの相手をしている方がずっと気が楽だ。狼は怖い生き物の何物でもない。


 それにしてもなんか臭い。香水のような馥郁たる香りだ。アジア系の外人がつけているような分かりやすいやつだ。人によっては好むのだろうが、俺はあまり好きじゃない。

 周りにはラフレシアは極端な例だが、咲いていても小さな野花で目立つような大輪の花の類はなく、花の咲いていないものが圧倒的に多い。他は木と土しかない。上を見ても、木に花が咲いていることも今のところは確認できない。

 武器屋にあった「匂い袋」という商品は魔物の嫌いな匂いを出して追いやるための商品だったが……状況的にその逆バージョンの魔物の好む匂いを撒いている、という線を考えてしまう。


『この匂いは魔物を引き寄せ、昂らせるものだの』


 ビンゴのようだ。


 ――シャイアンたちはなんでそんな匂いを撒いたんだろうな。


『さての。害獣や魔物をまとめて討伐するときにはこういった戦法はよく使われるが、当の本人たちがいないのではな。あやつらは奴隷商人だし、いらんものの処分かもしれんの』


 ――いらんものね。……奴隷商人たちのいらないものだろ? 正直あまり考えたくない。……吐き気がするよ。


 インがちらりとこっちを見てくる。


『その予感は当たっとるよ。中にだれか……ああ、例の双子たちがいるようだからの』


 かもしれないとは思っていたが……双子というか、姉妹なんだけどね。


 とりあえず狼を蹴散らしておくか? そう念話が届いた瞬間、狼たちは突然吠え始めたかと思うと、小屋に向けて一斉に走り始めた。

 ドアは半開きだったのか、壊れていたのかは分からないが、あっさり2,3の狼たちの侵入を許してしまう。


 二人が中にいるならまずい。


「イン! どうにかできるならしてくれ!!」


 小屋に向けて走る。後ろからまもなくキュイーンという声が無数にあがったのが耳に届く。

 小屋の中では、ダークエルフの少女――姉のディアラが右脚に噛みついてきた狼を左脚で蹴っていて、その肩越しからは妹のヘルミラが「離れて!」と叫びながら、ディアラの肩に噛み付いている狼の頭を必死に叩いていた。

 挙動不審だった一匹の狼が飛び掛かってきた。スローモーションになったので、思いっきりビンタした。ビンタされた狼が小屋の壁をぶち破って外に飛んでいく。


>スキル「平手打ち」を習得しました。


 爆音に反応して驚きで見てくる涙目のヘルミラと痛みをこらえているディアラ。

 姉妹にまだ飛び掛からずにいた数匹の狼たちは俺に襲い掛かってくることはなく、くうんくうん言いながら後ずさりをしたり、後ろにいたのは小屋を飛び出したが、すぐに詫びる鳴き声が聞こえてくる。


「大丈夫だから」


 安心させるために微笑したが、安心できるような代物だったのか、正直自信はない。

 ただ、狼を吹き飛ばしたことは俺に自信をつけさせた。スローモーションもある。狼はレベルの情報通り、俺の相手にはなるはずもない。

 ディアラの脚に噛みついている狼を思いっきり蹴ってやろうかと一瞬思ったが、思いとどまる。傷口が広がるかもしれない。落ち着け。

 姉妹に寄ると、後ずさっていた狼たちが小屋を出ていく。鳴き声はとくに聞こえない。一匹が果敢にも飛び掛かってきたので、姉妹を驚かせないように少し弱めに平手打ちで払って、壁に打ち付けた。それでも壁の木材には亀裂が走ってしまった。


 ディアラの脚に噛みついている狼の上顎をわし掴みにする。徐々に力を入れていくと、クゥーンという許しを請う声とともに脚に食い込んだ牙が抜けた。太い牙だ。血が滴っている。

 口を開けさせないよう手で鼻先を握る。予想してはいたが、俺の握力はだいぶ強いらしい。狼は口を開けることができない様子だったので、そのまま平手で軽く頭を叩いて気絶させた。肩に噛みついていた狼も同じように処置をする。


 牙が抜けたこともあってか、ディアラはいくらか安堵の表情になっていた。だがその脚と肩には、流れ出る血とともに、痛々しい牙の跡が思いっきり残っている。


>称号「救助士」を獲得しました。

>称号「狼頭領」を獲得しました。


「狼はなんとかしたぞ。ダイチ大丈夫か?」


 インが駆け寄ってくる。


「大丈夫。俺よりこの子が」

「ふむ。……ダイチの言っていた通りダーフエルフなんだの」


 その言い方に情報ウインドウを出してみると、状態項目に「幻想」の言葉がなくなっていた。痛みで魔法の効果が解除されたのかもしれない。依然として「飢餓」はある。あとでパンか何かを食べさせてあげよう。


 ちなみに職業欄は、昨夜の「奴隷」から変わり、「無職」になっていた。


「回復とかできる?」


 インが脚の外傷部位に手をかざすと、手から黄色い光が淡く発光した。やがて血は止まったようだが、跡はそのままだ。血が出ていた頃よりも痛々しく見える。


『すまん。今はこれくらいしかできん』


 ――ありがと。でもつまり、回復魔法でも跡は消せるってわけか。


『一瞬でというならだいぶ高位のものになるがのう』


 インベントリでくすぶっているポーションを試してみる価値はありそうだ。


「そういえば魔狼は?」

「追い払ったぞ。襲い掛かってくることもない。“叱っておいた”からの」

「ありがと」

「うむ」


 どう叱ったのかも少し気になるが、とりあえずここから離れるべきだな。


「……助けてくださりありがとうございます。治療魔法まで」

「あ、ありがとうございます」


 ディアラが脚をかばいながら、深々と土下座してくる。痛みはあるようだ。同じくヘルミラも慌てて土下座をしてきた。ディアラは妹を庇っていたようだし、この姉妹は頼もしい姉、守ってもらう妹という分かりやすい関係らしい。

 外見のはっきりとした違いはポニーテールの結び目の高さくらいだったが、性格は割と違うようだ。


「構わんよ。別に治療魔法というほどのもんでもないしの」


 さすが七竜。


「気にしなくていいよ。顔上げて。君たちはなんでここに?」


 半分くらいは分かってるのだが。


 途端にディアラの顔が悲しみに沈むが、そこには怒りの感情はない。

 今気づいたが、二人とも瞳が紫だ。金色がかった白髪もそうだが、綺麗な色だ。ただ髪はボサボサだし、服はぼろ布だし、村の中で他の奴隷らしき人を見た時も思ったが、どうにかしてやりたい。


「ご主人様……いえ、もうご主人様ではないのですが、シャイアン様が口減らしのために私たちをここに置いていきました」


 幾許かのやるせなさを感じさせつつ、淡々と事実を告げるディアラに、奴隷となる者の心構えからその末路の一端まで、まざまざと見せつけられた気がしてくる。見ているとむしろ俺の方が悲しくなってくるよ。

 まあ……あいつらも商売だからな。奴隷に対して人権がどうのこうのと口を酸っぱくする世界でもないのだろう。さすがにこの仕打ちは受け入れられないが。ため息が出てくる。


「売れなかった奴隷はたまにこういう末路を辿るからの」

「そうなんだろうね。でも魔物を呼び寄せてまですることなのか? ここ村のすぐ近くだぞ。普通はバレないようにするものだろ」

「そうだの……ちと下手な気はするの」


 森の深くに小屋がある理由は分かったが、どうも腑に落ちないというか、俺にとって納得のできる材料がまだ少ない。シャイアンがもう少し間抜けな男だったらいいのだが、親分肌で、魔物を呼び寄せる手法を取れるくらいには頭が回る男だ。

 俺はと言うと、憶測でしか語れない現実知識しか持たず、何も知らない。助けることができたのにこの差にイライラする。ん……なんか妙にイラ立つな……。


「私たちはどうなるのでしょうか……?」


 ヘルミラが不安の声で訊ねてくる。涙は止まっているが、声は震えていて、喋らせていたら再び泣いてしまいそうな雰囲気がある。一方のディアラは気丈なもので、いくらかの不安こそ見えるものの、表情は毅然としている。


「そうだね。治療をまず先にして……行く当てとかは、ないんだろ?」


 ヘルミラが俯いたあと、はいと頷く。ディアラは目線を落としていただけだったが、答えたヘルミラに反応して顔を上げ、俺と視線が合うとまた目線を落とした。


 二人には「トミアルタ」という固有名詞が名前の後ろにくっついている。姓名か家名か。いずれは家族や故郷のことを聞いてみるつもりだが……。


「でも、ご迷惑をかけるわけには……」

「気にしないでいいから」


 ディアラにそう声をかけつつ、俺は安心させるために表情を明るいものにする。


「ひとまず俺たちの傍は安全だよ。安全度は村で一番かもね」

「だの! 安心するがよいぞ!!」


 俺の言葉に続いてインが胸を張ってダークエルフの姉妹にそう宣言する。


 姉妹は、自分よりも幼いにもかかわらずとびきり威勢のいいインのことを、まだ不安が払拭できない顔で眺めていた。


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