4-9 アリオの疑惑とライリの予想
ヴァイン亭まで歩くのはなんとかなったのだが、階段で少しよたついてしまったので、ジョーラに半ば支えられながら部屋のドアを開ける。
すると、中ではインが腕を組みながら仁王立ちしていた。特に怒っている様子はないようだが……。
俺たちは面食らうが、俺といえばインの二つの察知能力――魔物を察知する能力と、飛竜たちはもとよりインの素材が体内にある俺も察知する能力――を知っているので、俺の帰還はもちろん体調がよくなかったことくらいは把握していたのだろうとすぐに察してみる。
「なんかあったのか?」
仁王立ちで待っていて何かあったのかはないだろうとツッコみつつ、「ちょっと頑張りすぎてね」とだけ答える。
「すみません、我々がダイチさんに無理をさせすぎたようで……」
察知能力については知らないはずだが、少々威圧的なインの態度や後ろめたさからか、すぐにそう吐いてしまうハリィ君。
ハリィ君の言う我々とは、ジョーラとハリィ君の二人を指すだろうに、ディアラとヘルミラまでしょんぼりしてしまった。
「ふむ。顔色がよくないようだの。ま、寝れば治るのであまり気にするでない」
インが俺を見上げながらそう言う。やはり寝れば治るらしいので、安心した。座っとけと言ってきたので、言われたままにベッドに座る。
座ってから気づいたのだが、4人は横に並んでいたので、俺が座ったことで、完全に叱る側と叱られる側に分かれてしまった。
「ダイチが珍しい奴なのは分かるが、あまり酷使するでないぞ? のう、ジョーラ?」
まるで全て知ってますといった感じのインの言いように、ジョーラは親に嘘を見抜かれた子供のように委縮して、耳を垂らす。
「すまん……。ダイチがあまりにも強くて……その、なんだ。……張り切ってしまってな……」
そういい淀みつつ口を突き出すジョーラ。なぜかちょっと照れている。インが小さく笑う。
「ま、気持ちは分からんでもないが。だがちとやりすぎたようだの」
再度すまないと言うジョーラに続きハリィ君も、すみませんダイチさんと謝ってくる。
「いいよ。俺も学ぶことはあったからね」
学ぶこととは? 疑問符を浮かばせたハリィ君とジョーラが顔を見合わせるが、俺は「色々だよ」とだけ伝える。
補助魔法はやっぱ大事なことと、防御してもダメージはちゃんと入るってこと。
「ま、今日は出発の日だしの。1時間ほど寝かせるのでな、準備でもしておくがよい。その後は皆で出発前の食事だの。であろ? ダイチ」
俺もそんな感じの予定は立てていたので、訊ねてくるインに頷く。
食事は魔狼肉でなければいいなと思う。魔狼肉は普通に美味いのだが、正直しつこかった。
見た目は赤味の肉なんだが、味わいはいわゆるトロ肉で、口の中が汁と脂で溢れた。魔狼肉の特徴だそうで、これが美味いのだと皆は称賛していたのだが……。ポン酢で大根おろしとかなら食べれそうだったんだけどね。
ハリィ君が、準備はディディたち部下に既にさせているので、手伝うことがあれば言ってほしいと申し出てくる。
ちょっと考えるが特別なことは特にない。この後は村を軽く巡り、食料品やエーテルなど、こまごまとしたものの買い出しをするつもりだったので、よければ姉妹にあれこれアドバイスとかしてほしいというと快諾される。
お金を渡し、4人が買い出しのため部屋から出ていくと、インから「ジョーラと戦ってどうだったのだ?」と訊ねられる。
「んー……暗殺者とでも戦ってる気分だったよ」
「ほう。……ふむ、的を射てるかもしれんな。ダークエルフたちは昔は、一部の者がそういうこともやって稼いでおったらしいしの。なにせ奴らの使える幻影魔法ほど暗殺に向いているもんもない」
あー、幻影魔法。
「ジョーラに何か使われたか?」
「なんか使ってたらしいんだけど、詳細は教えてくれなかったんだよね。よく消えてた。気配が直前まで分かんなかったし」
「ほう」
インが考える素振りをする。
「ダイチも分からんかったとなると、やはり幻影魔法ではないか? 《
エラスは確かヘルミラも持ってなかったか?
ラベス……何の魔法だろうか。にしても魔法陣も魔力の痕跡も出ないのか。そりゃ……厄介だな。
聞いてみると、《隠滅》は匂いや音などの痕跡を消す魔法で、《陽炎》は術者の姿を消してしまう魔法らしい。
厄介すぎる! クライシスはPKシステムはなかったが、まず間違いなくPK御用達魔法になりそうだ。
「ま、ダイチの状態を見ておると、特別外傷はないようだし、対処はできたようだが」
インがしたり顔で俺を見てくる。
自分の手や腕を見てみる。確かに外傷はない。ダメージはあったが。
「まあ、なんとかね」
インはうむうむ、と満足気に頷き、「さ、出立のために一眠りするとしよう」と言うので、俺たちはベッドで眠りについた。
◇
起きると、ベッドの前では、ディアラとヘルミラが仲良く何やら縫物をしていた。
二人はいつもはテーブルの前に座って待機していたんだが、今回はベッドの前なので、だいぶ距離が近い。心の距離が近づいたと考えてみるといいことだが、寝顔を見られていたのは少々恥ずかしい。
ディアラが起きた俺に気づく。
「あ、おはようございますご主人様。イン様もおはようございます。ご気分はどうですか?」
「まだ眠いこと以外はいい感じ」
二人とも安堵の笑みをこぼした。インは体こそ起こしたものの、まだ眠そうだ。
「何してるの?」
「ハリィ様が安くて簡単にできるテーブルや食器を拭く拭き布の作り方を教えてくれたので」
ディアラの膝の上には畳まれた何枚かの布、ヘルミラの膝の上には、幼児の玩具の“ガラガラ”のような形状の木の棒に巻き付けられた白い縫い糸と小さなU字型の裁ちばさみがある。
どちらもメイホーの市場でも売っていたのは確認しているが、この裁ちばさみとか懐かしい。家庭科の授業で使ったよ。
二人は布をふきんサイズにカットした後、切り端を折って、縫っているらしい。
布を見せてもらう。ハリィ君の持ってたお馴染みのガーゼタイプのやつとは違うようで、サラサラタイプのコットンらしい。
蒸し器に使う布に似ている。白い縫い糸や、裁ちばさみは、特に変わった点はない。
「縫物できるんだねぇ」
出来上がっているふきんにはそれなりに丹念な縫い目がある。ヘルミラができるのは性格的になんとなく分かるが、ディアラも出来るのは少し意外だ。
「はい。私はヘルミラほどではありませんが、これくらいでしたら」
「ふうん。……上手いもんだね」
俺よりも少し浅黒い色をしたディアラの細い指が、えっさほいさと針を動かして縫い目を作っていくのをぼんやりと眺める。
別にお金には困っていないのだが、何かとやることがあるのはいいことだろうと思う。
この世界は当然のようにパソコンもゲームもテレビもなく、娯楽・趣味の類がとにかくない。
その分時間は膨大にあると言えるのだが、それはつまり、「時間をどぶに捨てることが簡単に出来る」とも言える。
娯楽・趣味とは、言い換えれば、学校がなく本は高く、学ぶことは有償で貴重なこの世界では、頭を使い、感性を磨く貴重な機会だ。
裁縫は娯楽・趣味の類ではなく、生活に必須な技術に過ぎないという点は置いておいて、二人にそういう機会は増やしてやりたいと思う。
奴隷になることはもちろんだが、メイホーの市場の隅で座り込んでいた酔っ払いの男たちや老け込んだ女性たちのようにはなって欲しくない。そういうことばかりしていると、人間は不思議なもので、そういう顔と喋り方になる。考え方ももちろん。
不幸も幸運も、自分で手繰り寄せるものだ。呑まれてはいけない。まあ……なかなか難しいんだけどね。でも、胸に留めておくのと、留めておかないのとでは結構違うだろう。
俺は二人からこの世界の常識をもらっている。
代わりに俺は、俺の意図せずして得た、膨大なお金なり、強さから生まれた人脈なりをもってして、貴重な学ぶ機会を増やしてやるべきだろう。賢い女性もとい賢い大人になって欲しいものだ。
そんなことを考えつつ、ベッドで腹ばいになって二人の裁縫風景を眺めていると、ノックがあり、「ダイチ君いるか?」とライリの声がかかる。そういえば、顔出すって言ってたっけ。忘れてた。
起き上がって、「いるよ。どうぞ」と声をかける。
「よっ。元気にしてるかい?」
「してるしてる」
気さくな挨拶に和む。後ろからアリオが顔を出した。また敬礼されるのかと思ったが、「俺もいるぞ」と、どうやらいつもの調子なので安心した。ジョーラやハリィ君の指示はしっかり守っているものらしい。
姉妹が立ち上がって後ろに下がろうとするのを、ライリがいいよそのままで、と制する。なかなかやるじゃん、ライリ君。俺の好感度上昇だ。
とはいえ、二人を座らせてしまうと座る場所がベッドしかなく、さらには二人が特に座ろうとする気配がないのは、いかがなものか。
まぁ、二人は鎧を着て、下もそんなに身綺麗ではない警備兵服姿なので仕方ないとは思うけども。
と、そうこうするうちに二人は床に座ってしまった。
バーバルさんは急ぎだったし、ジョーラはその辺気にしないかもしれないが、座る場所がないのも考え物だなと思う。
「ヘイアンさんがちょっと気分悪そうだと言ってたが、問題なさそうだな」
ライリが俺の顔をうかがいつつ俺の体調をそう評価する。見下してしまうが、目の前にいるので床に降りる雰囲気でもなくなってしまった。
「問題ないよ。しっかり寝たからね」
「それは良かった。出立の日に体調がすぐれない程、気が滅入ることもないからな。“体調さん”がどうしても崩すと言ってきかないなら、到着して一息ついてからにしてほしいもんだよ」
全くだ。言い回しにちょっと笑う。
「君とはもう少し友情を深めたかったところだが、残念だよ」
アリオが横からそう苦笑する。
「ケプラに来てくれるなら歓迎するよ?」
「うむ。ケプラには近いし何かとよく寄るから、その時は酒でも飲もう。酒はいけるよな?」
もちろん、と俺は頷く。
「その時はライリももちろん連れていくさ」
「俺もか? 隊長にどやされない範囲で頼むぜ?」
アリオがため息をついて、俺はお前みたいにしょっちゅう休んでない、と苦言を呈し、真面目君ほど叱られる運命にあるもんなのさとライリが肩をすくめる。
そういや、アリオには敬語で喋ってたなと思いだしたが、特に気にしていないようだし、ま、いいかと思う。
「そういえば気になっていたんだが……、ダイチ君はいつジョーラ・ガンメルタ様と知り合ったんだ? 元から知り合いだったのか?」
ここで喋るということは、アリオはライリが知っていることは確認済みのようだ。
まあライリには、俺がバラさなくてもいずれバレてただろう。あのアリオの態度じゃ。
「ケプラの武器屋に寄った時にたまたまね。うちの二人がダークエルフだからそれでちょっと懇意になってね」
なるほど、とアリオ君は頷きながら姉妹に視線をやり、
「そうだな、ダークエルフは王都に行けば商売をしている者もいるが、ケプラとなるとそうそう見ないだろうな」
と言葉を続ける。ディアラたちと出会った経緯や二人の出自を聞かれるかと身構えたが、特に聞く気はないらしい。
「王都のダークエルフたちは何を売ってるの?」
「弓矢や薬や魔法など、手広いよ。弓矢や薬の腕は言うに及ばないが、とくに魔法は応用術式が豊富でね。少々高価だが珍しいものも多く、庶民の使える安いものも置いておくのが主義だそうで、平民から貴族に至るまで幅広い層から支持を得ているよ」
応用術式か。
姉妹が酸欠調理法なるフリーズドライスープを作っていたものや、ハリィ君が皿洗いに使っていたやつだ。ようは一つの目的のために調整特化された魔法集だ。
庶民への気遣いは、エルフたちに追放されたダークエルフたちは昔は新たな居を構えるために遊牧民のようなことをしていたというし、その辺の階級にあまりとらわれない生活意識が伝わっているのだろう。
ハリィ君の皿洗い術式も実はダークエルフ出だったりして。
「王都に行ったら是非立ち寄りたいね」
「ああ、それがいいだろう。ダークエルフの彼女たちも仲間の顔が見れて喜ぶだろうさ。……さて早いがそろそろお暇するよ」
え、もう? 二人は立ち上がる。
「早いね」
「ああ。君たちはこの後、ジョーラ様たちと合流して食事でも取るんだろ? 邪魔をするわけにはいかないんだよ。今回の来訪は休暇のようなものらしいからな」
ああ、なるほど。
「それに俺たちは隊長ご指名のお見送り部隊だからな。どの道また厩舎で会えるのさ」
「じゃ、またあとで、だね」
そうだな、とライリが気さくな笑みをこぼす。
「君たちもまたな。編み物頑張ってくれ」
「はい」
結局また寝てしまったインにはよく寝てるよ、と苦笑して二人は去っていく。
「ジョーラがあんな扱い受けてるの慣れないね。一緒に遊びすぎたかな?」
なんとなく姉妹にそうこぼしてみると、小さく笑われた。
二人に編み物を再開させて、いつ来るか時間で教えてほしいなぁ錬金術でもしようかな、とか考えていると、窓から話し声が聞こえてくる。
「しかし、少し気がかりだ」
「何がだ?」
アリオとライリの二人が出ていくところらしい。
「恩人だと言っていたが……どんな恩だったんだろうな。ジョーラ様は噂通り気さくな方ではあったが、七星の大剣だぞ? たとえ恩人とはいえあそこまで旅の少年一人に気を割くだろうか」
「ダイチ君に聞けばよかったじゃないか」
「むう……なんだか触れてはいけない気がな」
続きを聞こうか少し迷ったが、聞いてしまったものは仕方ないと自分を納得させた。
今後の自分の立ち回りのためだと考えて窓に寄って、《聞き耳》スキルで耳を澄ましてみる。姉妹が見てきたので、気にしないでと言っておく。
「ま、確実に一つ言えるのは、ジョーラ様やハリィさんがダイチ君に全幅の信頼を置いてるってことだな。ハリィさんに念を押されたんだろ?」
「ああ、目立たないようにってな」
「ふむ。俺へのこの前のシゴきもダイチ君のすすめだっていうからな」
「そうだったのか? あの子もなかなかやってくれる」
「だろ? おかげ様で筋肉痛が取れないよ」
「まあ、お前にはいい特訓だったろ」
結局しっかりシゴかれたんだ……。
「あとはまぁ、俺のとんでも予想だが……聞きたいか?」
「ああ。焦らすなよ」
なんだろうな。しばらく無言の時間が流れた。ライリ鋭いからな……。
「あれだ。ダイチ君が俺らは元より、ジョーラ様より強いってことだ」
「は!? そんなわけないだろ! 七星の大剣だぞ!?」
げ! ライリ鋭すぎる。どんだけだよ。さすがに転生者とかホムンクルスとかではなかったのでその点はほっとするけど……。
「声を抑えろっての。……だからとんでも予想だって言ってるだろ。チェシャ婆さんの天気予報だとでも思えよ。あと知恵もあるだろうな」
「まあ、知恵が回りそうなのは分かるが……」
「なんだ? その顔を見るとダイチ君の強さにいくらか心当たりがあるのか? 俺も多少はあるんだがな――」
ここで聞きとれなくなった。集中してもダメらしい。くそう。いいところだったのに。
>称号「密偵」を獲得しました。
見れば、二人はヴァイン亭から二軒先ほどにいる。《聞き耳》は頑張れば結構届くんだな。
まぁ、事実が分かることはないとは思うけど。
彼らの中での最強とは七星の大剣らしい。自分たち一般兵の常識外にジョーラがいて、さらにその上に俺がいるという縮図だ。間には七竜もいるし、証拠不十分による常識打破はまず無理だろう。俺の外見が少年なのも大きい。
この常識を打ち破るには、実際に戦っているところを見せないといけない。仮に実際に見せたって、七星の大剣の方が手を抜いたって思われる可能性の方が高い。
……とはいっても。
狼の森では人が基本いないことをいいことに結構その辺気にせずジョーラとは打ち合っていた。《魔力装》の無残な痕跡もまたこしらえてしまったし……。ちょっとは気をつけないといけないかもしれない。今は田舎だからいいけど、これから行くのはいくらか都会の街だしね。
窓の外を眺めていると、ディディ、アルマシー、ハムラを含めたジョーラ部隊の面々がやってきていた。特に武装はしていないし、約束していた通り、下でメイホー村での最後の食事を取りに来たのだろう。
「ジョーラたちが来たみたいだよ。食事の準備をしよう」
インは……寝かせておくか。よく寝てるし。
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