6-6 氷竜着任 (1) - 停戦協定
「さて、ダイチ。お主、これからは〈氷竜〉を襲名せよ。我ら七竜を統括する第八の竜としてな」
インはベッドに座っている俺を指さし、そう言い放った。
…………は?
俺はインの言った意味が分からなかった。氷竜とか第八の竜とか、襲名とか統括とか? 色々とツッコミどころありすぎだろう。
インは俺のうろたえと呆気をよそに、ドヤ顔を維持したままだ。いやいや……。
「……言ってる意味がよく分からないんだけど……まず、俺、竜じゃないし。ホムンクルスだし」
「別に問題ないわよ。重要なのは、あなたが私たちよりも力を持つ存在であることだし。そもそも私たち七竜は人化した姿を見せることはあっても、竜の姿は滅多に見せないことは知ってるでしょ?」
ジルがそう説明してくる。
「知ってるけどさ……」
ばれないからいいって言いたいんだろうが……。
ジルは、俺が自分よりも強いということについて特に不満を持っている様子でもなければ、悔しがったりしている素振りはない。「魔力スープ」のおかげだろうけど、戦う前のジルを見ていると少々信じられない変わりようだ。
……ん? ジルの目の色が橙色になっている。髪もそうだし、元々この色なのかもしれないが、目の色は感情に影響を受けたりするんだろうか。
「まあ、インは割と竜の姿は見せているようだけど。例外ね。基本的には見せないわ。見せてもあまりいいことはないもの」
ゾフの様子をうかがってみると、ゾフもまた特に変わらず、股を閉じて、膝の上で両手の指先を這わせるのみの、相変わらず尖りすぎた外見とは裏腹に気の弱そうなオーラをぷんぷん周囲にまき散らしている。
ジルがすでに受け入れているのを察するに、俺への襲名案件はもう内々で決定している事項のようだ。
なんでこうなった? いや、原因は俺が力を七竜に見せてしまったからなんだろうけども。イン戦にせよ、ジル戦にせよ、不可抗力だろ~……。
「つまり……形だけ襲名するだけ、と?」
「うむ。その通りだ」
インが頷く。その通りだ、って。じゃあ……七竜のうち誰かが竜でない可能性とかもあるのか?
「てか。……もう七竜間で決まったことなの?」
そうよ。フェルニゲスの会議でね、とジル。宴会になったわけではなかったようだ。
「不服か?」
いや、不服も何もね……。とりあえず色々聞いてみるか。裏がありそうだ。
「……ストレートに聞くけどさ。俺を〈氷竜〉に襲名させて、七竜側にはなにかメリットがあるの? 氷竜に襲名して俺にデメリットは? 俺別に神様的存在になりたいわけじゃないよ」
ふむ、とインは頷いたかと思うと、ジルのことを見た。「いいわよ」というジル。
ゾフには聞かないようだ。性格的にあまり込み入ったことには関与してないのかな?
「先に私たち七竜の事情から話そうかの。……七竜はこの大陸バルフサで絶大な力を持っていることは知っての通りだ」
「ああ」
「武器は通じぬ。魔法も通じぬ。そもそも体の大きさも違う。七竜に勝る生物はバルフサにはいない。魔人が時々奮戦するが、油断をしなければ問題ない」
そうして、インは眼差しを厳しくした。……俺か。
「だが、先日、この銀竜をほとんど打ち倒した者が出た。戦いの内容を見れば私は確実に一度殺されていたと見てよい。お主の性格的に無理かもしれぬが、それはまごうことなき事実に他ならぬ。もっとも、私とて《
なんだか竜モードの語りを彷彿とさせる圧だが……あの時はスローモーションがまだ生きていた頃か。今やっても勝てるのか?
「……そして次は実際に赤竜を殺すところまでいった。黒竜の手助けを借りた、万全な状態での赤竜をだ。まあ、他にもジルには手はなくはなかったのだが、相手が」
「殺すなんて言うなよ。確かにあの時は殺したいほど憎かったのは事実だけど」
不快だったので話の途中でついそうこぼしてしまうと、「す、すまんの。そうだったの」とインが謝ってくる。
憎かったのはインがあんな無残な目にあったからなんだぞ。憎いという感情に突き動かされてしまった俺のせいだと言われたらぐうの音も出ないけどさ……。
ジルをちらりとうかがうと、ジルはこちらを見ていなかった。
相変わらず宙に浮かびながら腕と足を組んで、斜め下を向いていたが、その顔には特にこれといった感情を貼り付けてはいない。なにか考えているのか、俺たちの会話をただ聞いているのか、それともつまらない会話だと思っているのか。よく分からない様子でいた。
「まあ……いずせにせよ、お主が七竜の二柱をくだしたのは七竜たちにももう知られていてな。私らの中で完結するのであれば、お主の望むような結果になったのかもしれぬが、そうはいかんくての。私の眷属はまあ問題ないのだが……他の仲間たちがそれでは納得いかない者もいての」
つまり、あれか。ため息が出た。
「俺はまた襲撃されるかもしれないってこと?」
「う、うむ。すまん。こればかりはどうしようもならんくての……」
インがそう言って、謝罪の言葉のままに申し訳なさそうに目線を落とした。
もしかしたらそういうこともあるかもしれないとは思っていた。誰か他の七竜から襲撃を受けるんじゃないかって。ゾフがそんなことはしないと約束してくれたので、安心していたが……。
ゾフを見てみると、ゾフは握っていなかった手を握り、目を伏せて身を縮みこませていた。ゾフにそういう権力があるかないかで問われると、ちょっと厳しそうだよな。
まあ、俺には仲間とかいないからな。インが七竜という組織にいるように、自分の地位、自分の旅路を守れるような、同等の力を持った頼もしい仲間というものは俺にはいない。
インはそう思ってくれてるとは思うのだが……インを七竜という組織から外すのは、難しいとかそういうレベルの話ではないだろう。インはこの世界の人々にとって、なくてはならない存在の一人なのだから。
「もし俺が……七竜という組織に加われば、敵対されることはなくなると」
「そうね。当然の話でしょ?」
ジルが唐突に平然とそう言ってくる。短い言葉だったが、「そんなことも分からないの?」と言われている風にも感じた。
事実ジルは、
「これは言ってみればお互いの“停戦”のための取引ね。仮にこの取引を拒否したとして。私やインやゾフからは攻撃されないかもしれないけど、あなたは一人なのよ。社会的にはね」
と、自分は攻撃しないと言っている辺りマイルドにも感じたのだが、なかなか辛辣な言葉を言い放った。つまりいつ襲撃が来てもおかしくはないと。
嫌な話だ。でも、まぁ……言われてすっきりする言葉でもあった。改めて俺が「社会的に一人」だと言われたことで、俺の立場というものを理解されているようにも感じたからだ。
同情は快いものだし、みじめになりもするものだが、恋人や家族または家族同然の仲にでもならない限りは本当の意味で理解をされることはない。また、理解をされているという自分の実感も必要でもある。
言葉を交わす度に苛立ちが募り、もう少し言葉を選べよとはよく思ったものだが、今思えばこれがジルなりの優しさなのかもしれない。
現実世界だと日本社会だからというのもあるだろうが、なかなかこういう風に腫物を引っぱたくかのごとくストレートに物を言う人とは付き合いがなかったがなるほど、一部の人がこの手の人に絶大な信頼を寄せるように気分は悪くないらしい。
「……俺がただの人族としてここに生まれたのなら、こういうことにはならなかったんだろうな。……でも俺はそうでなく、事情がどうであれ力があり、七竜にとって脅威だ。だから野放しにはされない。だから……首輪をはめて手元に置いておこうとする」
ジルがそうね、分かってるじゃないと応答する。口ぶり的に感心した様子らしい。
よく聞く話だよ。創作の話でだけど。史実でもいくらでもあっただろうけどね。
「俺はもう少しのんびりこの世界を歩いてみたかったんだよな。……まぁ、インやディアラとヘルミラや、他の皆と仲良くはなれなかったかもしれないんだけどさ。人族として生まれ、転生者ではあるけど平凡にこの世界を歩いていたら」
「そういう考え方は嫌いじゃないわよ」
インが目を輝かせながら何か言いかけたようだが、ジルが遮ってくる。空中浮遊はやめたようて、ジルはすとんと床に降りた。
「どの考え方?」
分かってはいたが、訊ねてみる。
ジルが俺の隣にやってきてベッドに座った。ベッドから振動が伝わってくる。それと香水でもつけてるのか知らないが、甘い香りも香った。
「もし七竜以上の力がなかったら私たち七竜と仲良くはなれなかったという仮定の話ね」
だが、ジルは俺の思惑とは少しズレた見解を持ち出した。
俺は七竜だけでなく、ヘイアンさんとかジョーラとか、ガルソンさんとか、他のこの世界の人々も皆も含めているんだけどな。ジョーラなんかは、俺がもし武力なんて持ち合わせない普通の人族だったのなら好意を抱かれるほどには深い関わりは持たなかっただろう。姉妹は相手は狼だったし、巡り合わせも少しずれれば、ワンチャン助けていたかもしれないが。
「事実だろ? ……俺はあまり好きじゃない考え方だけどな。だいたい損してきた。大人になってもあまり変わらなかった。出来る限り他人と仲良くなりたいだなんて、この子供じみている部分は」
誰とでも仲良くなりたいという考えは、幼くもあり、偽善的な思考でもあるが、それを理解しつつも出来得る限り実行しようとする俺はいつも存在していた。
すぐに環境に溶け込まなければならなかった転校生の性か。外見だけを意識して本質を理解しない、空っぽの家族で育った反動か。
ジルのズレは目をつむることにした。ジルが、七竜である自分と仲良くできているのをまんざらに思っていないと考えている俺への“上からの”賞賛を訂正するのは、めんどくさかった。
衣擦れの音がした。ジルが組んでいた足を解いたようだ。
「またキスしてあげましょうか? 安心なさい。今度は眠らない普通のキスよ」
そして、小悪魔的な笑みを浮かべて唐突にそんなことを言ってくる。
「なんでだよ」
内心でちょっと驚きつつも、俺は思わず笑みをこぼした。ズレはズレたまま放置されたようだが、ジルが同情するとはという意外性も少しあった。ジルもまた笑った。
俺の目を覗いている、俺のことを襲いもした赤い――橙色の瞳が、紛れもなく人間の女を象っていた。態度が軟化して以来初めて見た、高笑いでもなければ全くひねくれていない、ジルにしては人間的な魅力に溢れた柔らかい笑顔だ。
こういう普通の笑い方もできるんだな。インの言っていた男漁りが言葉通りの意味なら、このタイミングでこの笑みができるのも納得かもしれない。
グラナンの崇拝っぷりや、ジル自体や《
インが咳払いをした。
「話を始めてもよいか? 今おっぱじめるのは勘弁してくれ。のうダイチ?」
のうダイチと言われてもな。でも、“同じ出身の母ちゃん”的にはジルが相手なのはあまり好ましくないのだろう。犬猿の仲っぽいしな。というか、別にジルの相手になるわけではないんだけど?
ジルが明らかに嫌そうにため息をついた。
「あんたはいつもムードを壊すわね、ほんと」
「時と場を弁えよと言っておるだけだ」
「そのうちあいつらからも破壊魔とか言われるわよ」
「ふん。別に構わん」
喧嘩が始まらないように、話を戻すか。てか、脱線は俺のせいか。
「俺と七竜間の停戦は分かったよ。俺は仕掛けるつもりは全くなかったけど、襲撃の心配がなくなるのは嬉しいよ」
「うむ。まあ、しばらくは絶対というわけでもなかろうが、何もせずとも時が解決してくれるであろうし、平和主義のお主ならすぐ解決するだろうて」
そんなに簡単にいくのかね……。だいたい確かに俺は平和主義だけど、解決方法はおそらく武力だぞ。
「それで、俺は七竜の一人になったらどうなる? デメリット方面だね。俺は今まで通り旅をしたいんだけど」
「ないぞ。旅はできる。お主はそうは思わんと思うかもしれんが、旅の最中、常時七竜から守られると言ってもよい。これほど安心な旅もないぞ」
「それは今まで通りインが度に同席するということか? 他の七竜もくるのか?」
「うむ。その通りだ。他の七竜が来るといったことはないように思う。ジルは私たちがオルフェにおるからこうして会いきているだけだ。……私が一緒にいるのは嫌か?」
不安そうな顔をしているインに頬が緩んだ。
「そんなわけないだろ。色々世話になったし、これからも頼むよ。神猪の肉串作りもあるしね」
「うむ!!」
俺の言葉にインが感激を露わにして立ち上がると、ゾフが「インさん、他の七竜や、七竜信者の代表者に……」と言葉を添えてくる。……なんかイン、七竜からサポート対象、いや、子供扱いにされてないか?
「ああ、そうだったの。……神も信仰対象もおらんかった国にいたお主からすると嫌かもしれんが、まあ、各七竜教信者の代表に会いに行くことはあるように思う。なあに、ちょっと二言三言言葉を交わすだけだ。奴らは私らに畏怖しておるからな、変なことはせんし、言いもせん」
「メイホーの村長さんみたいな?」
「ファーブルは私の身内のようなもんだからの。あそこまでの長話はせんよ。……七竜の方は挨拶だの。あっちの方からくることもあるかもしれんが、そのうち出向くことになるであろうな」
ついに七竜たちと面会か。
……停戦協定と、顔出しか。あとは何だろう。今のところはどれも俺の意を汲んだものだが。
「それとな」
インが俺の方を見ず、視線を落としながら切り出した。少し間があった。
「ホムンクルスにはな、寿命があるのだ……それはお主とて変わらん」
ああ、寿命か。それをどうにかするわけね。
「フルはな!! お主の寿命を延ばす方法を知っておるのでな! 安心せい! 魔導士どもがホムンクルス兵に行っていたしょうもない延命処置の比ではないぞ。百年は問題ないだろうと言っておった! 繰り返し行うことで数百年も可能だとも!」
インが半ば叫んでそうまくしたてたあと、軽い息をついた。
別に自殺願望とかないぞ?? いや、寿命だから自殺ではないか? というか百年か……。その半分でいい。
「落ち着いて。別に拒否して残りの寿命をまっとうしようとかは考えてないから」
そう言ってもインの焦りと不安な顔は消えない。
「本当か……? お主の場合残りはもって二週間だったんだぞ??」
うわ。二週間か……。思ってたよりずっと短かったな。それだと俺の旅は、下手したら姉妹を里に送り届けて終わりだったんじゃないか? それも間に合うかどうか怪しいな。
「しかも、私が日々魔力を補充していたからこそその生命を今日まで維持できていた。もし私が見つけねばお主は……3日と経たずに動かなくなっておった……」
3日か……。
まあ……そりゃそうだよな。この大陸で一番力を持つ七竜の3倍以上の力を持つ者のエネルギーを、七竜以下の存在である者が作った体に宿って正常に動いているなんてさらさらおかしい話だ。
にしても寿命まで伸ばしてくれるとは、なにか裏があるのか、そこまで俺を脅威に感じているのか、それとも、俺のような力の持ち主を失うわけにはいかないという、もっと単純な、友好的な話なのか。
いや、寿命を延ばすことが、俺の拒否権がないってことに繋がるわけか。七竜に危険が及ぶほどの敵の存在は今のところ聞いてはいないが、利用価値は探せばいくらでもあるだろう。……インは俺が七竜に組み込まれなかったらどうしてたんだろうな。
「ずいぶん落ち着いてるのね。インからは寿命のこと言ってないと聞いてたけど。なんかあったの?」
ジルが訊ねてくる。ジルには情けない部分は見せていなかったと思うが……いや、死ぬって言われて動揺したか。煽ったのはジルだけど。
「まあね。……君らがフェルニゲスに行ってる間、俺たちはギルドで討伐依頼を受けてただろ? それで知り合った攻略者の人とパーティを組んでたんだけどさ。その中に、ホムンクルスがいたんだよ。ハーフエルフだった」
話しながら、アナの人形のような横顔が脳裏に浮かんだ。
へえ、ホムンクルスの攻略者なんて珍しいわね、とジル。
インはすとんと椅子に座った。顔からはまだ不安が消えていない。
「そのホムンクルスが戦いの途中で倒れちゃってさ。戦いが終わったあと、話を聞いたんだ、色々とね。寿命がいつまでかはちょっと聞きそびれたんだけど……残りの寿命は彼らの仲間としてまっとうするようだったよ。割と幸せそうだった」
「ふうん……? 近頃は減ったけど、昔は兵として普通に活躍してたし、そういった余生の送り方も珍しくないのかもしれないわね」
「そのホムンクルスは元々、持ち主の愛人みたいな存在だったようだけどね」
「へえぇ! じゃあ、どこか人里離れた屋敷で暮らしてたんでしょうね」
よくわかったね、と言いつつ見てみれば、ジルは腕を伸ばしてベッドに体を投げ出した。
「男なんて500年経っても変わらないバカな生き物なのよ。愛人のために屋敷を買って、そのうち愛人を忘れて、愛人と子供は新しい愛人のために屋敷から追い出される。いつの世も変わらないわ~」
なにがあったのか知らないけど、……なんか、ごめん。
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