8-10 ヘラフルの憩い所にて (1) - 恋煩いと新正装
酒屋は開いてはいたので――警戒中は兵士や攻略者が入り浸るらしい――団長とアバンストさんに贈る酒を購入し、金櫛荘に戻っていると、聞き慣れた声が俺を呼んできた。
「――ダイチ殿〜〜!」
アレクサンドラだ。人通りが全くなく、物音すらもほとんどない中での大声だったので、大げさな呼びかけな気がした。
「なんかあったのかの」
「さあ? 変なことでないといいけど」
とはいえ、軽く駆けてきている一方で、声にはとくに逼迫した様子はなかったけども。
松明を手に軽く駆けてくるアレクサンドラの鎧の音はカシャカシャと街中によく響いた。
夜の警備、しかも有事の警備だからこそ厳重な装備にしなければいけないのは分かるが、悪事を働いている者には来るのを知らせるようなものだなと思う。この点では革の装備も多い攻略者たちがいい活躍しそうだ。
やがて彼女が俺たちの元に着く。
「どしたの?」
「いえ。……見かけたものですから」
ふうと息をついたあと、アレクサンドラがニコリとする。おや。用事すらもない感じか。
と、そこで察するものが1つ。
間もなく、付き合いたての頃に味わう充足感と幸福感、新鮮味、それからいくらかの気恥ずかしさが、じんわりと俺の胸に去来してくる。
もし俺が1人でいて普通の人族だったのなら、「彼女とのこれからの過ごし方」を考えてしまうだろう。
でもあいにくと1人じゃないし、残念ながら俺は普通の人族でもない。昼に少し市内巡りを一緒にしたが、アレクサンドラにしても今日は夜遅くまで警備だ。
だいたい……アレクサンドラは警戒すべしな世情を反映し、金属鎧をしっかり着た重装備モードとくる。
女性だからか素早いタイプの双剣使いだからか、他の団員と比べて多少軽装だが……がっつり鎧を着られているとあまりそんな気分にもならないってものだ。
俺は別にそんなことばっかりしていた男ではないんだけども、鎧の上からでは何も触れないし、脱がすこともできない。冗談のような「完全防御モード」だ。
そんなスケベな俺の心境を見越したわけではないだろうが、アレクサンドラは冑を脱ぎ始めた。
俺とインの捜索時、アバンストさんが冑を脱いできたのを思い出した。懐かしい場面だ。
――冑を脱ぎ終えた彼女に「美容院行った?」と質問しかけてしまった。
もちろんこの世界に美容院があるわけもない。少なくとも俺は知らない。
アレクサンドラの髪が……ずいぶんサラサラになっている。艶もある。
前は、少なくとも俺たちと会ったばかりの頃は、多少うねりがあり、櫛で梳いているだけという言葉通りの美髪とは言い難い髪質だった。
長時間冑をかぶっていたからだろうと思った。
ケプラは現在4月で過ごしやすい気候だが、敵から殺されないための鎧でわざわざ隙間をつくるわけもなし、鎧の長時間の着用は蒸れるらしいことは知っているし、経験もしている。
「俺たちは今さっきまで詰め所にいたとこだよ」
思わず髪に気を取られたがひとまず話題を放る。
「詰め所に?」
「アバンストさんから呼ばれてね。団長たちの葬式に是非出てくれってさ」
「なるほど。それで出ることに?」
俺はもちろんと頷いた。
「そうですか……。団長やベンツェも喜ぶことでしょう」
アレクサンドラは口の端をあげて柔らかい笑みを浮かべる。慈悲深さをぞんぶんにたたえた微笑みだ。
2つの青い瞳にも不安を煽ってくる要素など何一つない。笑みを浮かべたのはひとえに団長や仲間を思い出してのことだろうが、俺にとっては目の離せなくなる魔性で魅力的な表情だった。
俺は視線を下げてしまった。心臓がバクバクいっている。頬が赤くなったりしてないだろうかと危惧した。
出会った頃は女性兵士らしく毅然とはしていたが、どちらかといえばアリーズと同じように表情が硬いというか、不愛想だったものだ。それはそれで、クールではあったんだが……。
この変化には間違いなく俺の影響もあるだろう。
処女膜の方は乗馬で既に破れていたらしく、少し驚かされたものだが、彼女の初夜が残念な内容にならなかった証明でもあった。
インが唐突に「ディアラとヘルミラと先に帰っておるぞ」と言ってくる。
見ればインはずいぶん鷹揚な……恵比寿のような笑みを浮かべていた。……ちょっと気味悪く思った。やがて俺は察した。恥ずかしい話だ。既に一夜を共にした相手だというのに。
ディアラはインの提案に小首を傾げていた。らしくあまり意味を理解していないようだったが、一方のヘルミラはじっと俺のことを見つめていた。顔に出ていたのならと思い、ギクリとする。
ヘルミラの紫色の大きな瞳は無感情で、これといった思惑は見つからない。
つい申し訳なく思ってしまうがこればかりはどうしようもない……。
そのうち収まってくれるとは思ってるんだが……俺がいつまで彼女にのぼせているのか、それは俺にはちょっと分からない。
だいたい、不可抗力だと言いたくなるような“ベッドの上で発揮する抗いがたい元気”が、この若返った体にはあるようだった。あまり知りたくない現実でもあったが、転生前の三十路の俺がいかに歳を食っていたのか、いかに肉体的に元気でなかったのか知ってしまったりもした。歳は食いたくないものだ。
「分かったよ」
とりあえず承諾した。別にいちゃつくつもりは……ない。
インが2人の異なる様子を気にもせずに、姉妹の背中を押して俺たちの元から離れ、金櫛荘に向かってていく。
そうしてなにがそんなに嬉しいのやら、『ほほ。また閨を共にするのか?』というウキウキな語調の念話。やれやれ……。でも可能ならしてただろうなと思いつつ、今日は普通に部屋に戻るよ、と返した。
外でやりたいとはとくに思ってないが、完全防御モードの鎧を1つ1つ脱がしている間に萎える自信はある。俺はまごつくので絶対脱がせられない。見回りの兵士だっている。
痴情が発見されることにより、アレクサンドラの騎士団員としての立場を危うくさせたくないのは当然として、彼女の裸を誰にも見せたくないというのもある。それに……
俺の寿命は、魔力の補給を含めなければ3日だという。
インは魔力を供給していれば何も問題ないと言いはするが、俺は補給を怠った場合、死ぬ日は「3日の間いつになったっておかしくない」と考えている。充電池が切れる時間が予測時間よりもいつも早いように。
とはいえ、性行為でさすがにジル戦ほどの負担が体にかかるわけでもないだろう。俺も大丈夫だろうと思う部分はあるのだが、……俺が納得できそうな「医学的な」根拠はこの世界にはない。
明日は会合があるので夜更かし厳禁なのもあるが、やっぱり寿命が延びてからが安心だ。
金縛りの夜、しかも死と共に過ごす夜の時間は、恐怖体験の何物でもなかった……。
アレクサンドラとこれっきりで疎遠になるとか絶対に嫌だが、次はいつになるだろうか?
金櫛荘の残りの宿泊期間はあと5日だ。1週間後には俺たちはケプラを経っている予定だ。アレクサンドラには出発のことは……まだ伝えてない。
考えていたら、心臓が落ち着いてきた。ふう。
金櫛荘に向けて歩き出したインと姉妹の後ろ姿を不思議そうに眺めているアレクサンドラに、気遣われたみたいだよ、と告げる。
「気遣われる? 何をです?」
そう訊ねてくるアレクサンドラは、ごくごく自然な語調と素振りだった。察しが悪いというかなんというか。いつも通りの彼女に安心半分、内心で苦笑する。
「何でもないよ。……今日はなにか事件とかあった?」
「事件ですか?」
「うん。こうやって夜遅くまで警備してるんでしょ? 今は人も増えてるだろうしなにか小さな事件くらい起きてるんじゃないかなって」
アレクサンドラは軽く俯いて考える様子を見せる。とくに根拠があるわけではなく、単に話題を投げてみただけなんだけども。
年上のようだと言われたのがよほど嬉しかったのか、俺はすっかり敬語はとけてしまったが、彼女は敬語のままだ。
タメ口にさせてみてもしばらくすると敬語に戻っていた。はじめから彼女は俺に敬語を使っていたので違和感はないけど、俺だけタメ口というのも気になるところではある。
弱い風が吹き、アレクサンドラの前髪が揺れる。少しだけ風が強まり、髪がなびいた。
……やっぱ綺麗になってるよな、髪。こんなにサラサラじゃなかったはずだ。
交際をきっかけに身だしなみを気にするのは女性の常だが、アレクサンドラにもあるのだろうか?
彼女が髪を伸ばしているのは「カツラ」のためだという。いざという時に髪を切り、家計を助けるためらしい。金髪ロングヘアーは高いらしいよ? アレクサンドラが必死になって髪を整えたり、鏡を見ながら化粧をする姿はちょっと、浮かばない。ドレスも持ってないそうだ。
「……事件ではありませんが。男性2人組の酔っ払いが道端で眠っていました」
まあ、酔っ払いは道端で眠るだろう。あと乞食も。
「珍しいの?」
「いいえ。毎日誰かしら寝ていますよ」
毎日て。アレクサンドラはこともなげにそう言う。やれやれ。道端は寝る場所じゃないぞ。
「うちの魔導士の団員が言うには、この酔っぱらい2人には《
「《睡眠》……」
「《
ドープ。英語だと麻薬とかだが、スリープと同列に挙げているようなので、違うんだろうな。精神に作用するのは同じな気がするけど。
《睡眠》か……。ハリィ君が毒のかかったジョーラにかけてたな。
「珍しい魔法?」
アレクサンドラははい、と頷く。
「《平和》は初級魔法ですが、《睡眠》は中級魔法ですからね。中級魔法でも難しい部類に入ると聞いたことがあります。……さすがに私たちも攻略者の魔導士を全員把握しているわけではありません。一緒に飲んでいた魔導士が彼らの酔いを鬱陶しく思い眠らせたのだろう、という見解に落ち着きました」
あり得る話だ。
「ちなみにどんな人たちだったの? その男性2人」
「1人は抜歯屋、もう1人は攻略者でした」
「抜歯? 歯を抜く?」
「え? はい」
抜歯。抜歯ねぇ……。
抜歯「屋」というからには歯を抜くだけなんだろう。親戚に歯科医がいたが、関わりはとくになかった。幸い俺は歯は健康だったので、同僚からその手の話を聞けども今まで歯科医に通う羽目には至らず、歯の知識もとくにない。
俺は患者の歯をペンチかなにかで挟み、力づくで抜くあまりに痛々しい光景を浮かべた。痛い痛い。麻酔もなさそうだしなぁ……。あ、でも、《睡眠》で眠らせばいいな。
抜歯の光景はともかく。真っ暗な夜空が目に入る。アレクサンドラも振り向いた。……そろそろ帰るか。
あまり話し込んでいたらアレクサンドラがいよいよ誰かから何か言われたりするかもしれない。
「そろそろ金櫛荘に戻るよ」
「分かりました」
間もなく、アレクサンドラが「あの。……ダイチ殿」と、小さく呼んでくる。ん?
彼女は少し視線を泳がせた。そうして、目が合う。少し待ったがなにか言ってくる様子はない。でも、なにかを訴えている意味深な眼差しだ。
……キスくらいはいいよな。
俺はこの眼差しにあの夜は何度も突き動かされた。
外国人との交際が初めてな上、この世界の女性とするのも初めてで。本能が支配していた心の底では色々と気にかけていたのもあるが、俺の経験上、こんなに相手の目を見ていたこともないかもしれない――
「……ふふ」
キスを終えると、彼女は小さく笑った。
「なに?」
「いえ。……良家の方はお盛んだとよく聞きますが、ダイチ殿もやはりそうですか?」
と、悪戯な眼差しでそんな質問。
良家には跡継ぎの問題もある。実際にお盛んになる奴もいるだろうけど、女性や性行為が苦手とか言ってられないだろう。相手を全く選べないなら嫌いになるまである。
外見年齢からすれば仕方ないんだが、終わってからも似たような質問をされたな。自国では珍しくない、自国の男は女性を敬うがために性知識を早くから学ぶとかなんとか適当に言ったっけ。
それにしても、俺は軽く見えるのだろうか? 確かにセフレはいたが、みんな彼氏がいた。多少軽く見えた方が付き合いはうまくいくものだったが……。
「……俺、そんなにお盛んに見える? そんなつもりはないんだけど……」
アレクサンドラはいいえと言ったあと、なにがおかしいのか、ふふと笑みをこぼした。
「では、イン殿もお待ちになられているでしょうから」
ニコニコとそう話を切り上げてしまったアレクサンドラになんとなく悪戯をしたい気持ちに襲われる。年上の男性のようだって言ってたのに。
鼻をつまんでみようかと思ったが、俺はアレクサンドラの頬を軽くつまんだ。
「……えっ?」
うん、普通の肌だ。
頬をつままれながら目を丸くしているアレクサンドラが面白かったので満足だ。
「俺は別に軽薄な男じゃないよ。少なくとも、……そのつもり」
アレクサンドラはきょとんとしていたが、やがて微笑み、そうですね、と同意した。
――金櫛荘の階段を登っている時、子供っぽい言動だったなと後悔した。俺の……ホムンクルスの「大人の階段」はいつだ?
◇
翌朝目が覚めると、アレクサンドラがいた。後ろにはベルナートさん。ここは金櫛荘の俺とインの部屋だ。
「……はれ? なんで……?」
「おはようございます」
ふわりと笑みをつくったアレクサンドラの後ろから、「ダイチ君は朝が弱いと言ったら、ホイツフェラー伯爵直々の頼みでね」とベルナートさんから、こちらもにこやかな表情で説明される。
ホイツフェラー氏……俺に来てほしいって言ってたっけ。……さすがに……本人は来なかったか。来たらマクイルさん慌てそうだなぁ……。
……ふわあぁぁ………………眠い。
「寝たらダメだぞ。もうみんな集まり始めてるようだからの」
「そうなの? ……早くない?」
もうぼちぼち店で朝食が食えなくなる時間だな、とインは肩をすくめた。
9時過ぎか……。ケプラの店では9時を過ぎると――俺はまだ聞いたことがないが、教会で鐘が鳴るらしい――出る食事が飲み物の他にパンと安いスープの軽食だけになるらしい。金櫛荘やギルド内の軽食ブースなどは別だ。
昨夜のことが思い浮かぶ。アレクサンドラは俺の寝起きの間抜けな顔に、姉のようなにこやかな顔を向けるだけだった。
世間では「おねショタ」なるものが流行っていたそうだが……弟扱いは嫌だなぁ……。
姉妹はもう準備ばっちりのようで、しっかりいつものボーイッシュな黒い上下だ。
ベルナートさんとアレクサンドラの2人はいつもと違い、騎士団の鎧の上にケプラの紋章の入った割と本気仕立ての青いシャツを着ている。会合用、……というか正装か。
あとは俺だけらしいが……インもまた見慣れない格好をしていた。
キツネ色のドレスだ。フリルのついた可愛らしい服で、先日の市街巡りでコルヴァンの風に出向いた時に購入した1つでもある。
もちろんそれなりのものなので、フリルの他にも模様や刺繍や飾りが随所にあり、貴族令嬢感はすごい。
頭にはヘアネットつきのカチューシャがあり、ドレスは店主のカルリーノさん――ミュイさんの兄だ――が選んだが、カチューシャはインが選んだ。
インは成人時にカチューシャをつけていたものだが、カチューシャは好きらしい。
とくに会合に着ていくとは話してなかったように思うが、着ることにしたようだ。
インの普段の老成した言動からすると少し可愛すぎやしないかと思ったものだが、その辺はインはあまり気にしないらしかった。とにかく美少女なので何を着ても似合いそうなのは間違いがない。
「ご主人様、寝ぐせが」
2人の後ろにいたヘルミラがやってきてそう指摘してくる。
耳の上が跳ねていた。最近寝ぐせが本当によく出来ている。
「先に着替えましょう。遅れてもよいことはないでしょうし」
「あ、はい。そうですね」
「ヘルミラ殿。ダイチ殿の礼服はなにかありますか? なければ」
「……先日買ったものがいいかと思います」
そうアレクサンドラに答えるヘルミラは少しふてくされているように見えた。ヘルミラはディアラよりも仕事に誇りを持つタイプのように思う。しないと思うけど喧嘩しないでよ?
ヘルミラがタンスに行って、引き出しを開ける。2人が覗き込んだ。……人の引き出しあんまり見ないでほしいな。ヘルミラは別にいいけど、アレクサンドラもとなるといよいよ世話されるばかりになった感がある。
「よさそうですが……」
「あ、これってマリ・フーリッヒ氏の作品かい?」
と、同じく覗き込んでベルナートさん。有名だな、染色師のマリ・フーリッヒ。
「そうなのですか?」
アレクサンドラの問いにヘルミラが頷いた。3人が何を見ているのか察した。
ヘルミラが改めて服を取り出してくる。
引き出しから出てきたのは円環の模様が全体に薄く入った真紅色のチュニックシャツだ。
胸元には切れ込みとボタンがあり、さながらチャイナドレスのような意匠だが、全体的には
「この赤い服の上に、隣にあるオレンジ色のマントを羽織るのだそうです」
アレクサンドラがヘルミラから説明を受けたままにオレンジ色のマントを取り出す。
ノアさんや七世王と会う時に着た神父服はマントは服にくっついていた上、肩掛けといった感じだったので、単品でのマントは俺は初めて着ることになったが、マントは言葉のままのマントというより「首元で留める丈の長い羽織り物」といった印象を受けた。そもそもマントの構造なんて、布切れ1枚と思ってた口だしね。
ともかくこちらにも模様があり、チュニックの方の円環と似た真紅の円環の中に蛇と鷲が吼えている模様がマントの全体に等間隔で配置されている。絹織物らしいのだが、模様は立体感があり、例の神父服並みの縫製技術の高さがうかがえる。
デザインの甲乙はともかく、マントは結構お気に入りだ。両腕を隠せるという状態が新鮮だったことにくわえて、なんだかいよいよこの中世的世界の住人になったという気がして。
ちなみに、マントには動物や魔物の高価な毛皮をくっつけるのがセオリーらしいのだが、マリ・フーリッヒが美意識により嫌がったらしい。
それがじゃっかんこのマントが貴族たちから不人気である理由とのこと。もっとも、縫ったのは天才刺繍家ペクチェ・バラジュの弟子であり、素晴らしいマントには違いないそうだ。
このチュニックの下には、ショーズと呼ばれている赤いタイツのようなものを履く。
タイツには紐を通す穴があり、肌着のブレーというらしいハーフパンツ――俺が好んで履いていたのは、“古い様式のブレー”らしい現代風長ズボンだ――と結びつける。ミュイさんの店でこうしたものたちの存在は知っていたが、着るのは初めてだ。
なんにせよ、つまり赤系統で偏った一式になる。
当初は結構抵抗感があったが、輩からいちゃもんをつけられないよう元々派手めな服を一着持っておくつもりだったし、チュニックの方は落ち着いた色合いで、マントの模様が結構主張が強いしで、バランス的にそこまで悪くないように思う。
ふと、部屋に動きがないことに気付く。間があった。みんなの視線は俺にある。
……ん? ああ、着替え? ……この視線の中で??
アレクサンドラやベルナートさんがいるため、羞恥心がひょこりと顔を出してくる。
俺の羞恥心を知ってか知らずか、ディアラが下に着る肌着とズボンを引き出しから取り出して持ってきた。
ベルナートさんはともかく、姉妹とインは着替えの手伝いなんかで見慣れているし、アレクサンドラはお互いの裸を見ている仲だ。
とはいえ……良家だからとかなんとかで、出ようとしてくれてもいいようには思うんだけど。
「ん? 着替えんのか?」
「着る着る」
まあ、せっかく迎えに来てくれたし……。
と、仕方なく着替えようとしたところでベルナートさんが、「じゃあ少し外に出てるよ」と言って部屋を出ていく。アレクサンドラもマントを置いたあと続いた。内心でほっとする。
ささっと複数の紐のついたズボンを履いて、次いで渡された肌着のシャツも着た。
そして、チュニックよりも赤みの明るいタイツを履いて、タイツの紐をズボンの紐に結び付ける。ヘルミラが片方手伝ってくれる。
紐はタイツのずり落ち防止なわけだが、センスは別として衣類のこまごまとしたアナログ技術に関してはほんと馬鹿にできないと思う。
そもそもタイツを履いてこなかったのもあるが……便利なのも考え物だ。こういう簡単な仕組みすら、思い浮かばなくなる。
まあ、着るの面倒なんだけどね。結局その一言に尽きる。毎回靴紐結ぶのすらだるいのに。
そうしてチュニックを着て、軽くベルトを締めた。
腕を軽くまわしたりしてみる。動きやすさは普通だ。タイツの脚が布で全て覆われているのは変な感覚だが、冬はあったかいんだろうなと思う。首の後ろの部分をヘルミラから軽く直される。
「苦しくないですか?」
「うん、大丈夫」
次いでマントを渡されたので羽織り、首元にある花のような白いブローチの裏にあるフックを、もう一方の留め具に引っかけた。
マントによって、俺の両腕が隠れる。再び腕を軽くまわしたり、歩いてみたが、動きにくさなどはとくにない。戦闘は少ししづらそうではある。ただ、得物は隠せるのでやり手感は出せる。ちょっとかっこいい。
このマントスタイルの人はケプラでもよく見かけていた。どちらかというと有識者が多いような印象を受けていたので、俺もそのような人たちの仲間入りをした気分になる。
カルリーノさんの権威を示すためのアイテムを何かつけた方がいいという助言が思い出される。
剣は俺は短剣しかない。メイホーで買った、おそらく庶民レベルの代物だ。コルヴァンの風のあとにすぐに武器屋に寄ればよかったなと思いつつ、銀勲章を胸につけた。
「どう??」
「お似合いですよ」
と、2人からニコリとされる。アレクサンドラとベルナートさんに入っていいように言う。
「お、見違えたね。あとは……寝ぐせだね」
ベルナートさんが嫌味なくそう言うので、俺は肩をすくめた。アレクサンドラからも、似合ってますよ、とコメント。
>称号「貴族的な衣類を身に着ける」を獲得しました。
個人的には魔導士的だよ。
例によって、姉妹が《
インや姉妹以外の人に見せるのは相変わらずいまだに恥ずかしいが、姉妹はいつものように一生懸命俺の寝ぐせを直しているので、俺も気にしていない風を意識した。従者の成長には主人の忍耐も必要だ。
――窓からラッパの軽やかな音色が聞こえてきた。
「何か始まるんですか?」
「大貴族の誰かが通りにやってきたんだよ。今日は日が出て間もない頃から鳴りっぱなしさ。会合に来るのはビッグネームだらけだしね」
七星七影以外は俺は大して知らないが、ホイツフェラー氏も「相応の奴らが来る」って言ってたっけね。
「……公爵閣下にはどのような罰が下されるのだろうな」
アレクサンドラが窓の方を見ながらそうつぶやくように発言する。
「さあ……どうだろうね」
「今回の件は閣下が悪いわけではないが……」
「セティシア兵団の狼藉のことは貴族たちの耳にも入ってるし、何らかの形で責任が問われるかもね。次のセティシア領主の人選に関しても問題だ。閣下自身がセティシアの領主になるには難しいだろうし、かといって、ピオンテーク子爵の嫡男であるアルバン様はようやく近頃仕事に熱を入れ始めたばかりだった」
「そうだな……」
アレクサンドラが神妙な顔で同意を寄せる。
マイアン公爵か。まだ会ったことはないが、2人の言う通りなんだろうな。
マイアン公爵はケプラやセティシアなど、この辺り一帯の領主だ。公爵自身は別の都市の城主であり、他の都市の運営に関しては代理の者に任せている。公爵というと王の次とも言われる大貴族で、この世界でも変わらないようだが、彼はあまり玉座に興味はないらしい。
セティシアは亡きピオンテーク子爵が領主代行だった。ケプラではナブラ・アングラットンを市長職――市長と領主代行の違いは簡単に言えば身分らしい。アングラットン氏が貴族であったら領主に任ぜられただろうとのこと――に据えて権限のいくつかを委ね、アングラットン氏を含めた他の役人や貴族たちとともに領主業にあたっているらしい。
アルバン……警戒戦で見たときは微妙な評価だったが……訪れてしまった不幸にはさすがに同情している。
よくよく思えば、詰め所で見たアルバンはずっと深刻な顔をしていて、あまり喋らなかったものだ。あの落ち込んだ様子には、戦場から逃されてきた精算できないに違いない様々な感情の他にも、このいずれやってくる父または自分への責任追及の懊悩や罰への恐怖もあったかもしれない。
やがてヘルミラができました、というのでお礼を言う。跳ねていた耳の上を触るとしっかりなくなっていた。
「……さ。じゃあ行こうか。俺たちはともかくダイチ君はホイツフェラー伯爵の招待客だ。遅れるのはまずいからね」
ベルナートさんの言葉のままに、俺たちは会合の開かれるお高い料理屋、ヘラフルの憩い所に向かうことにした。
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