3-22 安堵のその先


「え、そんなことでいいのか?」

「よろしいんですか?」


 草原から下山している折に、そんなジョーラとディアラの声が被さる。

 ジョーラは拍子抜けで、ディアラはシンプルに驚いたらしい。とはいえ、ディアラは長い耳をぴこりぴこりと動かしていた。


「うんまあ……。ダメかな」

「もちろんダメではないが……な、ハリィ? あたしの猶予というか滞在は三日間の予定だったはずだし問題ないよな?」


 ジョーラが後ろにいるハリィに振り返って質問する。

 ジョーラの腰にぶら下がった逆三角形の革袋のエーテル入れもとい試験管――ハムラが採集中にエーテルを提げて腰につけていたものだ――が小さく音を鳴らせる。

 中は夜露草の汁とすりつぶしたリンゴ、ヤギの乳、そしてアルマシーが持っていた蜂蜜を混ぜたものだ。シェーカーとかもないので決していい出来ではなかったとは思うんだが、ジョーラは美味いと言ってごくごくと飲んでいた。


「え、ええ。先に王都に帰らせた部隊の者に事情を伝えるように言ってありますし、七星の方々が、ジョーラさんがやられたなどと広まらないようかん口令を敷いてくれているはずですから」


 ハリィ君も少なからず俺の言葉に驚いていたらしい。これまでの付き合いから、俺がそんなにすごい注文をつける奴には見えなかったと思うが……。

 それにしてもかん口令か。今更ジョーラをそんな風に見れないので大げさな気はするが、国が誇る大将軍だもんな。


「毒の経過も気になります。伝説の薬草の効果を信じていないわけではありませんが。……でもいい機会ですし、療養も兼ねて骨休めもいいのかもしれませんね。我々は出陣の回数が他の七星の部隊と比べて多く、七星の大剣の尖兵などと言われているほどです。グラシャウス軍務卿は申し訳ないとは思ってくれているようなのですが」

「ま、そう言ってやるな。それだけ頼られてるってことなのさ。あたしたちは足も速いし、武芸以外のことをできる器用な連中も少ないしな。グラシャウスのおかげで武器も食料もさほど苦労してないし。……しかし、ま、このまま手筈通りに七星の大剣を引退して、ダイチたちとのんびり旅するのもいいかもなあ……」


 ジョーラは特に俺に視線を寄せない。俺たちとねぇ……。ハリィ君たちが止めそうだけど。


 やはりというか、ジョーラの呑気な発言にハリィ君が慌てて、それは勘弁してくださいと発言する。


「俺はまだまだ隊長についていきますよ」

「私だって!」


 ディディとアルマシーもまたそう言って抗弁するハリィ君に続く。

 ハムラはと言うと、大事そうに抱えた、布でくるんだ夜露草を飽きもせずに観察している。夜露草の周囲にはまだかすかに魔力の粒は飛んでいるが、見つけたときよりも随分弱い光になっている。メイホーに帰った頃には発光もなくなるだろう。

 探している時はかなりジョーラ愛に熱が入ってたんだけどなぁ。いや、あの時から既に目的は夜露草だったとかないよな。


「はは、冗談だから本気にするなって。お前らがヒーファの部隊で上手くやれるかちょっと心配だしな」


 ジョーラの冗談発言だったが、アルマシーは思うところがあったようで、「私はジョーラさんが引退したら部隊を辞めて家に戻ろうかと思ってました」と珍しく語調を弱めにそんなことをこぼす。


「初耳だな、そりゃ」

「誰にも言ってないですからね」

「なんだ、あたしが死んでたら辞めるつもりだったのか。確か……お前の村はマタビ村だろ。不作はもうとっくに改善してたよな。両親は息災か?」

「はい! 兵士をやめて帰ってきても居場所がないと言われてます」


 アルマシーの言葉に笑い声があがる。職場でもいたな〜。実家が農家で上京してきた奴が。

 ジョーラが言うには、王都の南東にあるというマタビ村はトウモロコシが美味いらしい。そういえばトウモロコシまだ食べてないな。


「ま、お前なら村のいい用心棒になるだろ。……で、ダイチ、ほんとにディアラたちに稽古をつけるだけでいいのか? お前はあたし……いや。王都が誇る七星の大剣の恩人だぞ? もっとこう……強欲に注文つけてもらっていいんだからな?」


 と言われてもねぇ……。


 ホムンクルスに生まれてなかったら、もうちょっと旺盛な人脈作りと気軽な旅の行程、つまり欲深くなれたかもしれないんだけどさ。インも言ってたが、知らないことが多すぎて、何をどう注文つければいいのやら。うーん……。


「強欲にって例えばどんなこと?」


 参考までに一応聞いてみる。


「ん。そうだな……ハリィ、あたしへの恩でどんなことができる?」

「そうですね……オルフェの都市間の1年間の通行税と滞在税免除はまず間違いないですね。賓客待遇証を発行されるでしょうし、市民権もすぐにでも得られるでしょう。宿泊するなら宿泊費の免除、宿泊先を提供してほしいならハイファル館に賓客待遇で一月、いや、三月は泊まれるかと思います」


 色々とやば。誰も治せない毒を治したっていうことはそういうことかもしれないが……いや、というか、《魔素疎通マナオステム》を使ったのは教えてないし、ハムラが一番の功労者だってちゃんと言ったんだけど。


「おー。ハイファル館か。食事はよかったが、至れり尽くせりに疲れて結局寝に帰ってばかりだったな」

「ジョーラさんらしいですね。一応弁護しておきますけど、ハイファル館は王都の最高級の宿なんですよ。昔は迎賓館として使われていたのを開放して宿にしているんですが、当時迎賓館を管理・運営していた外交官の人がそのまま宿の管理人をやっているんです」


 ヴァイン亭の待遇と比べるのもあれだが、ようやく現代のホテルって感じだろうか?


「ジョーラさんとは相性が悪かったようですが、教育の行き届いた使用人がつきますし、中にある遊技場も使い放題だそうで、王城や大貴族の家以外では最高峰のもてなしと言われていますね」


 いや、ホテルでもさすがに使用人はつかないな。遊技場って何が出来るんだろう。


「あたしは基本的に好きな時に寝て好きな時に起きたいんだよ。ご朝食のお時間でございますと部屋に来られて食事をずらっと並べられて、『今朝のお茶はいかがしますか』とか言われてもな。食事はまぁ、旨かったんだが……もう少し量があっても」

「姉さんの寝相はちょっとひどい時がありますからねぇ」

「おい、ディディ!」


 ディディのカミングアウトに、ジョーラが軽く羽交い絞めをする。仲いいな~。

 好きな時に寝て好きな時に起きたいのは同意だ。そんな日が週に1、2回しかないなんてと何度嘆いたことか。


「あと王と王妃様への謁見も叶うかと思います」

「おー! そうだろうな」


 王様か。ん? ……ディディちょっと青くなってないか? 慌てて指摘してやると、ジョーラは腕をほどいた。ディディがぜえぜえ言い出す。ジョーラやりすぎ。


「現国王である七世王は、七星の大剣の部隊育成に注力されている方です。うちの部隊をはじめ七星それぞれの部隊で物資の補給が滞りなく行き渡っていのは、グラシャウス軍務卿と七世王のおかげです。寛大なお方ですし、握手も会食もできるかもしれませんね」


 ふうん。王様というと、リアルではお目にかかれないしどんな人なのかちょっと気になってはいたけど、握手してくれるのか。いい王様らしい。


「ついでに一試合申し込まれるかもな? あたしを下すくらいだし」

「いや、さすがにそれは……」


 インが俺の返答につまらなそうな顔で、つまらんのうという心の声が聞こえてきそうな心底期待外れといった顔で、ため息をついた。K1でも見せてやりたいよ。


「なんだい? さすがに加減が厳しいってかい? さすがあたしを下した男だねえ」


 ジョーラが覗き込みながら嫌な返し方をしてくる。返し方こそ嫌だが、その眼差しには熱っぽいものがあった。ディディが察しているように、「あたしを下した男」に対しての絶大な信頼もまたあるだろう。


「いや、でも王様だしさ」


 眼差しを受ける恥ずかしさと、つい目に留まってしまった谷間への視線を逸らした。ジョーラは柄にもなくくすりと女性的に笑う。


「七世王は確かに一王様だが、武芸の腕は確かだよ。特に槍に優れていてね、私の見立てではハリィといい勝負するんじゃないかな」


 ハリィ君くらいというと、……レベル50くらいじゃないか。


「それはすごい」


 王様と言っても若くはないだろうに。相当の手練だな。ハリィ君が「私など陛下に比べたらまだまだ若輩者です」と謙遜する。


「昔あたしの師匠がさ、子供の頃の七世王を暗殺の魔の手から救ったんだよ。その時以来、陛下は強くなることを決意したようでな。若い頃は政務もほっぽって、剣や槍をぶんまわして周りを困らせてたって話さ。その気質は今でも変わらない。まあだから、仮に試合して傷一つつけたくらいじゃ問題ないのさ」


 傷をつけるとかつけないの話じゃないと思うんだけど……気持ちの面では楽だろうけどさ。というか、一応問題にはなると思うよ? 内々で。

 それにしてもジョーラの師匠か。根負けさせて弟子入りしたって、ガルソンさんが言ってたっけ。


「師匠って、元槍闘士スティンガーのマイヤード様のことですか?」


 ディアラがそう訊ねる。知ってるらしい。ということはダークエルフかな?


「もちろん。そういや、あんたらはタミアルエの出だったね。師匠と会ったことあるのかい?」

「はい、何度か。最後に会ったのは三年ほど前になりますが、相変わらずご壮健のようでした」


 そうか、とジョーラは昔を懐かしんだのか、月のない星々の煌めく夜空を仰いだ。


「あたしも最後に見たのは五年前だ。古い友人に会うついでだとかで少し顔を出しに来たようなんだが、『お前は相変わらず暴風のようだな』と言われたよ。今頃何をしているのやらなぁ」


 暴風か。分かるような、分からないような。

 師匠の顔はなんとなく、皺が遠慮なく刻まれた渋顔の剣豪を想像してしまった。でもエルフの老け顔はいまいち想像できないので、ちょっと違和感を覚えてしまう。そもそも師匠は今いくつなんだろう。


「……お、そろそろ村だな」


 ジョーラの言うように、メイホーが見えてきた。


 かつて冒険心にあふれた心境で入った村の南の入り口には街灯だけがひっそり灯っている。警備兵の人以外、皆寝ているだろう。


「ジョーラたちは今夜ヴァイン亭に泊まるのか?」

「いや、ハリィが既にメイホーの詰め所に話をつけててな。三日、稽古をつける間だな、詰め所で寝泊まりする予定だよ」

「一応極秘の任務ですからね。自警団なので秘匿性は気になりますが、ジョーラさんは無事でしたから尾を引くような妙な噂が立つことはないでしょう。とはいえ、変わらず内密にしとくようには言いますけどね」


 なるほどね。


「そういや、ダイチたちの泊まってるところは飯が美味いんだって?」

「美味いよ。商人たちがわざわざヴァイン亭に食べに来て絶賛してた」

「ほほう。それは楽しみですなあ」


 アルマシーが期待の声をあげる。


「近々魔狼の美味い肉が出てくるぞ。楽しみに待っておれ」

「おお、魔狼! 珍しいですね!」

「なかなか食えないが美味い肉だな」

「ですよね!」


 インの言葉に、インとアルマシー、そして酢豚もどきを食べた時にはそうでもなかったが魔狼の美味さを知っているらしいジョーラを加えた三人が盛り上がる。


 そういや、魔狼を浄化したんだっけね。実際に目撃していないのもあるけど、すっかり忘れてたよ。


「まさか、自警団が魔狼を?」

「うむ。しっかり討伐しておったぞ。何かおかしいのか?」


 ハリィ君は疑いの晴れない顔のまま、顎に手をやる。


「いえ……メイホーの自警団の練度で魔狼を倒すのはちょっと、と思いまして」

「ま、確かにあやつらでは骨が折れるであろうな」

「一人転んだだけだって言ってたね」


 何かツボに入ったようで、ジョーラが笑い出した。


「あはは! 転んだだけだとさ。なかなか精強じゃないか、なあディディ?」

「ですねぇ。ケプラ騎士団に入れる奴もいるかもしれませんね」


 当のハリィ君は、いまいち納得が出来ていないといった顔だ。


「ハリィはな、私兵とか自警団っていうのがあんまり好きじゃないんだよ」

「へぇ……なんで?」

「昔、とある村に遠征に行った時、村の自警団とちょっといざこざがあってな」


 ジョーラの軽い解説にハリィ君は困り顔を見せていた。あれか、大した腕ないのに無茶しやがって系か?

 一応「話したくなかったら話さなくていいよ」と言っておく。


「お気遣いありがとうございます。では、お言葉に甘えてそのうちお話します」


 ハリィはそう言ってジョーラに目配せする。肩をすくめてジョーラはその後を語るのはやめた。

 ハリィ君はよほど嫌だったらしい。それはそれで気になるんだけど。


「さて。村についたことだし、食事だな。なんか妙に腹が空いたよ。誰かさんのおかげでぐっすり眠ってたしな~」


 やり返しとばかりに、頭の後ろで腕を組んだジョーラはどこ吹く風でそんなことを言う。ハリィ君はすっかり困ってしまっている。ま、元気になったようでなによりだよ。


 村はもう目の前だ。ハリィ君が道中使っていた《灯りトーチ》を消した。

 南口で十字の槍を持って番をしていた自警団が俺たちに気づいたようで、じっとこちらを見ていた。


「こんな夜分に武装して平和な村に何用かな? ……ダイチ君じゃないか。どこか行ってたのかい?」

「ええ、まあ。ちょっと。用事は終わったので、ヴァイン亭に戻ります。この人たちは俺の連れなので、心配することはなにもないですよ」


 別に彼に敵愾心とかはないのだが、さっきまで自警団の話をしていたし、短気なところのあるディディ辺りから何か言われることも懸念してそんな風な言葉選びをする。


 話しかけてきたのはヒューリさんと言って、当初ゴブリンのミラーさんから大説教を食らっていた人だ。俺と直接の面識はなかったのだが、ニーアちゃんを助けた事件で俺の顔を知っていたようで、何度か言葉を交わしている。

 元飲んだくれのせいか、ちょっと言動にしまりがない人だが、あれも知らないこれも知らないことがデフォルトな俺からしてみれば、勘繰られる心配も他の人よりも少なく、付き合いやすい人の一人だ。


 メイホーはいいところだけど、その辺の人と話をするのも実は結構神経使ってたんだよね。

 ケプラなら「メイホーから来た旅人」で軽く済むんだけど、ここだと結構な確率で、その後「こんな辺鄙な村に何をしにきた」の質問がくる。ヴァイン亭に美味い飯を食べに来たと言って質問が終わることもあったが、いくら平和とはいえ、軽装はいかんと軽く説教を受けたこともある。好奇心、猜疑心、老婆心。向けられるのは色々だ。

 まぁ、近頃は“飛んでくる矢を掴めるほどの武術家”として知られていることもあり、そういう探りを含んだ会話のやり取りはかなり減ったんだけどさ。


「ふうん? 君の連れは見る度に増えている気がするね」

「ほんとにそうだのう。私も心配の種が尽きんよ」

「はは、それはそうだろうな。ダイチ君もあまりイン嬢を困らせるなよ?」


 ハハハ。インは「イン嬢」で定着してるのか……。


「ヴァイン亭ってまだ開いてますか?」

「もう閉めてるよ。ああ、鍵な」


 ですよね~。

 ヒューリさんが腰から鍵を取り出して、「君たちもヴァイン亭に?」とジョーラたちに訊ねる。


「いや、あたしたちは別でな。……じゃあダイチ、今日は本当に世話になったな」


 ジョーラが親愛をぞんぶんに含んだ眼差しを向けてくる。


「気にしないでいいよ」


 中学時代のGM業から現在まで続いている口癖でついそう口走ってしまったが、命の恩人なんだからそういうわけにもいかないだろうと内心でつっこむのと同じく、「いや、そういうわけにもいかないだろう」とジョーラから苦笑される。まあね。


「あんたらもね」


 と、インと姉妹にも視線を向けるジョーラに、各々返答する。


「今日はぐっすり寝てね。一応」

「分かってる分かってる。それじゃまた明日来るよ。ディアラとヘルミラも明日頑張ろうな」

「「はい!」」


 その後、俺たちはヒューリさんにヴァイン亭を開けてもらって部屋に戻った。間もなく、俺は泥のように眠った。今日は疲れたからなぁ……。


>称号「快眠男児」を獲得しました。

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