6-29 セルトハーレス警戒戦 (4) - 負傷
「イェネー!!!」
ロウテック隊長のイェネーさんを呼ぶ鬼気迫った声に見てみれば、ちょうどイェネーさんが隻腕のミノタウロスにより蹴り上げられているところだった。
イェネーさんが俺の左手の方に吹き飛ばされてくる。
イェネーさんは兵士たちでは比較的平均的な身長で180センチほど、対するミノタウロスは2.5メートルくらいだ。
ミノタウロスの腿は巨木の幹のように太く、サンドバッグのようにパンパンで、牛の蹄は尖ってこそいないものの高さがある。イェネーさんも人としてはだいぶ体格はいいが、衝撃は相当だろう。
蹴りをしてくるミノタウロスは初めて見たが、愚鈍な斧の大振りより、よほど危険かもしれない。実際みんな、注視しているのは斧を持った腕であって、足元じゃない。
プルシストの1匹が、隻腕のミノタウロスと対峙しているロウテック隊長たちの合間から突進してくる。ベイアーからは遠く、ディアラが近い。
「ディアラ、プルシストを!」
俺はディアラに呼びかけた後、素早く移動して飛んでくるイェネーさんの背中を受け止めた。
どうやら蹴りは右腕でガードしたようだが……腕は手首部分まで半ば潰れ、血に塗れていた。目を背けたくなるほど痛々しい……
「……っぐ!……はぁはぁ……」
……ほっといたらまずそうだ。
防御魔法込みでこれだ。なかったら肋骨が折れて即死してたかもしれない。出しゃばらず、指示に従ったまでだが、俺やインの防御魔法をかけなかったのが悔やまれる。
イェネーさんは呼吸に合わせて肩を動かしてくるが、まともな言葉は出てこない。息が荒い。
インは石塁だ。治療魔法の使える兵士を待ってもいいが……ポーション使うか。何もしなかったら命を繋ぐために腕を切り落とされるかもしれない。それはちょっと……勘弁してほしい。
プルシストの方を見ると、ディアラがしっかり止めを刺していた。ナイスだ。
「大丈夫ですか??」
槍を引っこ抜き、倒れたプルシストに見切りをつけて、ディアラが早々とこちらにやってくる。
あとは隻腕になったミノタウロスだけだったが、岩の巨兵と腕組みをしているところを、エリゼオが胸を貫いて仕留めたようだ。さすがやり手というべきか、エリゼオはいつもしっかりきめてくれる。
「大丈夫じゃないかも。腕が潰れてる」
言いながら、こんな容体にポーションが本当に効くのかと疑心暗鬼になる。ディアラに使った時は、歯痕だけだったしな……。
眉をひそめ、不安な面持ちでイェネーさんの容態を見ているディアラに、「ちょっとあっちでポーション飲ませてくるから。ベイアーと一緒にいて」と伝えると、頷かれる。
「どっちの隊長でもいいけど伝えて。すぐ戻るよ。イェネーさんに関しては休ませるつもり。……大丈夫ですか? 立てますか? イェネーさん」
「あ、ああ……すまない……」
喋れるくらいの意識はあるようだ。俺はイェネーさんに肩を貸して、広間から左に外れた物置き小屋の前に避難した。イェネーさんの背中を小屋に預ける。
魔法の鞄から上級ポーションを取り出して、栓を抜く。イェネーさんは少し驚いたようにも見えたが、痛みの方がひどいようで、平らな眉間にシワを思いっきり寄せ、荒い息を吐き続けている。
イェネーさんにポーションを差し出す。
「これを飲んでください」
イェネーさんは俺のことを一度見たが、見慣れない高そうなポーションだからだろう、すまないと言った後、やがてフラスコに口をつけた。多少危なっかしかったが、左腕の方はちゃんと動くようだ。
一口、二口飲んだろうか。高いことを気にしてか、痛みからか分からないが、控えめな飲みっぷりだ。
嚥下して間もなく、腕はみるみるうちに膨らみ、リアルの俺を軽々と吹き飛ばせそうなくらいの男の腕の太さに戻り……イェネーさんの顔色もよくなった。
相変わらず気持ち悪い回復速度ならぬ「復元速度」だが……大丈夫そうだ。
イェネーさんは驚きに目を丸くし、いったい何が起こったのか分からないといった表情で預けていた体を起こし、今しがた再起不能になり、もはや二度と剣を振ることもかなわないと考えていそうだった右腕を上下左右に動かした。
完全回復したのだろう、イェネーさんはさきほどと一変して、笑えるくらいシャキシャキ動いている。ディアラの時はあまりよく分からなかったが、腕が復元するのに疲労が回復しないのもおかしな話だ。
「こ、このポーションは……高いのでは?」
「まあ、それなりにしますが、請求とかはしないので」
絶対に来る返答のために今回は「請求をしない」という文言を付け加えてみたが……イェネーさんはしばらく探るように俺のことを見ていたが、やがてありがとうと表情を和らげてくれた。その様子に俺は安堵した。
見慣れない兵士二人がやってきた。一人は木箱――救急箱か何かだろう――を手にしている。
「……イェネーさん、蹴られたのでは?」
「ああ。ダイチ殿にポーションをもらってな」
そう言って、イェネーさんは再び右腕を回したあと、空中にシュッシュとジャブをした。結構鋭いパンチだ。
完全に治療できたんだろうけど、治療後にはあまり見たくない光景だ。さしずめ手術後に目を覚ました元気な患者に対する医者の気持ちだね。
「な?? 持ち場戻っていいぞ」
厳格な軍人的な雰囲気はどこへいったのやら、気さくにそう告げるイェネーさん。回復の喜びと驚きがそうさせているだけかもしれないけども。
兵士二人が怪訝な顔をしたあと、目を合わせる。まあ、蹴られた現場と俺に肩を貸されて移動した現場を見た後じゃちょっと信じられない光景かもしれない。
二人が後方に戻ったあと、入れ替わるように今度はロウテック隊長が駆けてくる。
同時にプルシスト3匹、ミノタウロス2匹という物見の大声が聞こえてきた。ディアラは槍を構え、山の方をじっと見据えている。5匹ならいけるか。ミノタウロスも2匹だし。
ロウテック隊長も俺と同じ判断をしたのか、振り向かなかった。
「……イェネー、大丈夫なのか??」
ロウテック隊長は難しい顔をしていた。イェネーさんの体のどこかに負傷箇所を探す目つきだ。隊長は厳格な顔つきのイェネーさんと違って、感情の機微が分かりやすい。
「はい。ダイチ殿にポーションをいただいたらご覧のとおりです」
上官相手だからかイェネーさんは立ち上がったあと、再び軽くジャブをして見せた。今度は下半身もしっかり構えをとっていた。
ロウテック隊長はしばらく見ていたかと思うと、軽く息をついた。そしてイェネーさんの肩に手をやった。その表情はひとえに仲間の無事に安堵する者の顔だ。
「ミノタウロスの蹴りをまともに食らった奴はこれまでに3人いたが、誰も戦線復帰はしなかった。1人は死んだ。俺はもう兵士のお前を見ることは叶わないと見ていたぞ」
「すみません。油断していました……」
「まあ、ミノタウロスはほとんど蹴ってこないからな。コマンダーですら蹴らない」
「はい……」
死人も出たというミノタウロスの蹴りの威力には納得しつつ、二人の感動的なやり取りの間に俺はポーションの出所について考えを巡らせて内心でひやひやしていた。
もし、ポーションを魔法の鞄に入れていたら、鞄は膨らんでいなければならないからだ。もちろん、そんなことはない。俺の鞄には硬貨がいくらかと布切れ数枚が入っているだけだ。金櫛荘から出てからずっと。
これについて、考えていなかったわけではないのだが……魔法の鞄と《
ディアラにあげた以降は買ったものや貰い物でやり繰りしていて、特に取り出していないし、イェネーさんの潰れた腕を治すので頭がいっぱいで普通に手のひらの上にポーションを出してしまった。気になるようなら、こちらから口止めするしかないか。
「ダイチ殿」
ロウテック隊長が呼びかけてくる。依然穏やかな表情だ。
「イェネーの腕をありがとうございます。おそらく高価なポーションなのでしょう」
そう言って、隊長は胸に手を当てて軽く一礼したあと、ちらりと赤い液体の入ったフラスコに視線を寄せる。ディアラたちも飲んだものなので、上級ポーションは半分ほど減っている。
金櫛荘に戻ったら、魔法の鞄に入れずに持ち歩けるよう、試験管瓶の方に入れ替えよう。
「請求とかはしないので大丈夫ですよ。ただ……」
「ただ?」
聞きなれた慟哭が聞こえる。オランドル隊長がミノタウロスの腕を落としたようだ。足元にはベイアーとディアラもいる。
マップを見ると、動かない赤丸が2つある。間もなくミノタウロスは地に伏した。
「無闇に広めないでくれれば」
物音と俺の視線に続いていた二人が向きなおす。何を? と言った顔をしていたので、俺はフラスコを握って立ち上がり、「上級ポーション インベントリに戻す」と念じる。すると、ポーションは手の中から消えた。
二人とも驚いたが、イェネーさんはやはりしっかり見ていたようで隊長ほどの驚きはない。
「鞄に収納しました。こういった魔法道具です。珍しいのでしょう?」
「ええ……そうですね。《収納》を付与した鞄は私は見たことがありません」
「私もです。便利ですね」
ほんと、便利なんだよね。中には兆単位のお金もあるし。だから無くさないように細心の注意を払わなきゃいけない。
「基本的にあまり目立たずに行動したいのです、俺たちは。なので、あまりポーションや鞄について広めずにいてもらいたいなと。見ている人もいるでしょうから、出来る範囲で構いません。……宿に戻ったら、ポーションは持ち歩けるよう細い瓶の方に入れ替えるつもりです」
ロウテック隊長がじっと俺のことを見ていたようだが、聞いていた通りのようだ、と言葉を続ける。団長さんかな?
「ヒルヘッケン殿からは強者の割に目立ちたくないという変わり者だと聞いています。……イェネー、お前もあまり言いふらすなよ? もしまた腕が潰れても次はないものと思え。お前の“負傷知らずのイェネー”の名にかけてな。俺もそう思っておく」
「はい。もちろんです」
そんな通り名あったんだな。なんか俺のこと見てたようだし、油断でもしてたか?
とりあえず話は理解してくれたようで内心で安堵していると、ロウテック隊長は静かになった広間を見つめた。
「もう2回ほど狩ったら引きあげます。兵たちも疲れが見えますから」
戦闘中はそんな素振りはあまりないが、プルシストたちの移動中に限れば、隊長の言う通りだった。
コマンダーが出てから20匹は狩っているだろうか。大きな休憩は既に2回挟んでいる。総討伐数は100匹になるかそうでないかといったところだろう。
合間合間に小休憩があるので疲労困憊の人は見かけないが、武器の手入れ中に喋る人は明らかに減っている。俺は武器を振り回していないので分からないけれども、プルシストにせよミノタウロスにせよ、骨肉を切断するほどの力を長く使っていて疲れないはずもない。
ディアラ、ベイアー、アレクサンドラのいる持ち場に戻る。あと2回ほどで引き上げるらしいことを3人に伝える。
「イェネーさん、大丈夫でしたか?」
「問題ないよ。元気よくシュッシュッってパンチしてたくらい」
ベイアーがふっと笑みをこぼして、前方に視線を向ける。俺も追ってみれば、イェネーさんとロウテック隊長が持ち場に戻っているところだった。
「奴は喧嘩が得意なんですよ。喧嘩の腕は北部駐屯地でも一番かもしれません」
「へえぇ。ベイアーは? 得意そうだけど」
「私は……喧嘩はそれほどでは。力や体力はまあまああるんですが技術はありません」
ふうん。まあ体格とか雰囲気からして納得はできなくもないが。
「でも剣の一振りはすごかったよ。腕を落としてたし」
ベイアーは視線を地面に落とした。
「力任せに振っているだけです」
ベイアーの言葉には、特に卑屈っぽい印象は受けない。本当に技術的に不足しているのかもしれない。
その辺の剣のいろはについては分からないけど、謙虚な人だ。女性問題を起こしているのがいよいよ信じられない。いや、だからこそとも言えるか?
と、そんな会話をしていると、「プルシスト4匹! ミノタウロス2匹!」という物見の声。
途端にベイアーは顔つきを変えて、山の方面を軽く睨んだ。横で聞いていたディアラとアレクサンドラも同じだ。
少し警戒が強まっているように見えるのは、イェネーさんの負傷が原因か、もう少しで終わるがために気合を入れたのか。
――ややあって、プルシストの2匹とミノタウロスの1匹が矢や魔法で歩みを止めたようで、こっちにまできたものはプルシスト2匹とミノタウロス1匹になった。
1匹はエリゼオが、もう1匹はオランドル隊長が仕留めた。二人とも疲れた様子はあまりない。ホロイッツは体力が厳しいのか、少し前からちょっと動きが鈍く、両断劇はしばらく見ていない。
ミノタウロスが俺たちの方にやってきた。ベイアーとアレクサンドラが駆けていく。ディアラも二人を追った。
ミノタウロスは斧を振り上げようとしたが、アレクサンドラの瞬足の双剣の一撃を足にくらってその動きを止める。ベイアーがすかさず右腕を落とした。
ミノタウロスは痛みを含ませて吠えたが……ディアラが走っている。いけ~~!
――ディアラは見事にミノタウロスの脚、ではなく、胸を貫いた。おぉ??
ディアラの《
アレクサンドラがディアラに「やりましたね」と声をかけた。「はい!」と応えるディアラ。成長したなぁ。
ディアラの情報ウインドウが出てきた。レベル22になったようだ。
そういえば、インはともかく、ヘルミラは大丈夫だろうか?
遠距離部隊なのでディアラほど疲れないだとは思うんだが、《
と、ふとそんな考えが及んだ頃、物見から焦ったような大声。
「レ、レッドアイ!! レッドアイがきた!! ミノタウロスも2匹!!」
ベイアーとアレクサンドラがばっと物見を見た。他の皆もいっせいに物見や山の方を注視している。
レッドアイくるのか。レア敵だったよな。最後の“ウェーブ”なのに。
まるでエリアボスのような登場のタイミングだが、……レベル40だったか? 死傷者を出さないようにしないといけない。
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