3-19 死線採集 (5) - 和やかな晩餐


「伸ばしましたよおお!!」


 肩に巻いていたロープをほとんど敷き終えたアルマシーが、反対側にいるジョーラに大声をあげる。長さが足りないのなら、切るつもりだったが、ロープは無事に渡せたようだ。

 それにしてもインが飛竜ワイバーンたちに顔を出さないよう内々で指示を出しているので見つかるとかはないんだが……。


「アルマシーさん! 大声出さないでください。腕をあげるだけでいいって言ったじゃないですか」

「お、おお、すまん……」


 ハムラが小さな声で必死に注意する。まぁ、そうなるよな。というか、この相手の顔もろくに見えない距離でよく大声出そうって気になるよ。


 ロープを十字に渡し終えた俺たちは中心の巨石に集まった。戻ってきたジョーラが「大声出すなアホ!」と、アルマシーの頭をはたく。


「す、すみません」


 ジョーラはよく叩いたりぶつ。この草原に来る行程でもジョーラ部隊の面々をことあるごとに引っぱたいたり叩いたりしている。だいたいが冗談の類で、彼女なりのコミュニケーションの一環なんだろうけども。

 軍人とか戦闘部隊って大体体育会系のノリだっけか。気合が物を言う世界でもあるんだろうし、上官の命令は絶対の上下関係が厳しい世界だろうし……別に珍しくもないか?


「では、作戦の通りにペアで分かれましょう。各々タタバミが集まっている場所があったら、ハムラに教えにきてください。順番に回って《魔力探知》をかけますから」


 ハリィ君がしっかりそうまとめたのを機に、俺たちは散っていく。ハリィ君ほんと頼りになる。


 もう日は暮かけている。


 グループはハムラ以外、4つに分けられた。

 まずはディアラ、ヘルミラ、ジョーラのダークエルフ三人組が野草には詳しいということで分けられ、ハリィ君も「手先が器用で、優秀な参謀だから」というジョーラ部隊からの絶大な信頼により、植物に関してはからきしだというディディと組むことに。

 また、夜間採集になるので《灯りトーチ》が長時間使えることも考慮に入れられ、俺はディアラと組むことになった。


 先にディディは、必要なものを買い足しにメイホーに戻ることになった。


 メイホーからここまでくるのに歩いて結構かかったと思うが、ディディが何の迷いもなく駆け足で下りていったのにはちょっと驚いた。

 江戸の頃は飛脚なる足便があったというし、この世界の人々も絶対に現代人よりかは足腰は強いだろうけれども。


 必要なものとは、追加のロープ、長物、布、そして回復用のエーテルなどだ。

 長物は地面に刺して目印にする用途だ。1つは、十字に敷いたロープの中心に1本、残りは場所を見失わないよう、《魔力探知》をかける際の目印として刺す。4面の探知全てを終えれば、ロープの中心に刺した長物の先端で布が結ばれる。


 散開する俺たちとは別にハムラは巨石の上にあぐらをかいて手を組み、目をつむり始める。

 ハムラの実力ではそこまで劇的な効果があるわけではないらしいのだが、精神を落ち着けることで、体内の魔力へのアクセスがしやすくなり、魔法の消費が抑えられたり、魔法の質――今回の場合は探知の精度が上がるらしい。

 魔法の精神統一方法の確固としたスタイルが思い浮かばなかったとはいえ、その方法がちょっとインドスタイルなのには少し驚いた。この世界にもインド的な国家はあるんだろうか? ナマステ〜フィルミレンゲ〜。


 ディアラとともに夜露草、もといタタバミ探しで俺たちに与えられた範囲の草原に着く。


 四面に分けたとは言っても、一面の広さは小学校のグラウンドくらいは軽くあるだろうか。

 この一面を、ペアを組んだ二人がそれぞれ反対側からジグザグに草々を見ていく。……予定ではあったが、もうだいぶ暗くなったので、すぐに二人一組で探すことになりそうだ。


 なんにせよ、気合を入れなきゃいけない。これをあと数面こなすのだろうから。


「じゃあご主人様、頑張りましょう」


 ディアラが抑えた声で、両手で拳を握ってみせる。ディアラにとっては真剣そのものなんだろうが、ちょっとアイドルのポーズじみている。


「ディアラもね。タタバミが分からなくなったら言うから」


 頼りにされるのが嬉しいようで、「はいっ」と元気な返事を返される。だいぶ打ち解けてきたなと思いつつ、担当範囲の広さに面食らっていた心境が励まされた。


 それにしても、不安なのはインとアルマシーのペアだ。

 二人の相性自体は悪くないように思うんだが……なんと言っても横に並べた時の不安がすごい。

 それに、インにはこういう農作業めいた地味な作業向いていないと思う。アルマシーは結構根性ありそうなので、この辺は安心感あるが……インが駄々っ子のような状態になった時、アルマシーはしっかりフォローしてくれるだろうか?

 とりあえず、アルマシーにはよろしくとだけ言っておいた。


 ディアラと別れた俺は、ハムラから持たされた参考用のタタバミとクローバーを元に野草を見ていく。


 最初の散策通り、タタバミとエノコログサが多くを占め、時々クローバーやドクダミ、名前は分からないがちらほら見ている謎の野草が続く。

 魔力探知の範囲は最大で10m四方ほどらしいが、この分だと、10mの範囲内にタタバミばかり生えているというのはさすがになさそうだ。

 教えられた通り、半分以上がタタバミを占める辺りでチェックしておこう。


 ちなみにこの魔力探知の魔法――《魔力探知ディテクトマジック》は、戦闘の際の罠探し、防備の際の哨戒などで用いられる魔法らしい。

 子供も扱えることもあるランクこそ初級の魔法だが、徴兵の適正試験時の「魔法適正試験」と「性格適正試験」で好成績を修めた者以外では、実用レベルで使える者はほとんどいないのだとか。

 あまり細かく聞くのもあれだったし、魔法のまの字もまだ分かってない俺の質問は赤子レベルということもありで、ハリィ君を質問攻めにするのはしなかったが、察するに、小さな変化や機微に気づき、細かい作業も厭わない性格であり、さらには縫い針に糸を通すような繊細な魔力操作を可能とする者が、《魔力探知》を実用レベルで扱える適性が高い……という風に俺は脳内解釈した。


 それにしても、手に持ったクローバーとタタバミを見比べて淡々と草を見ていっているのだが、疲れの来る気配が全くない。

 野草の丈が膝くらいなため、しゃがんでカニ歩きをしているので思ってたよりも腰にきたりはしていないんだが、肉体的疲労が精神的疲労として蓄積されていないように感じる。


 メイホーに下山した時は、肉体的にかなりのオーバーワークになっていたので、それがなさそうなのはいいことだけどね。


>称号「草本研究家見習い」を獲得しました。

>称号「勘が鋭い」を獲得しました。

>スキル「植物学」を習得しました。



 ◇



「……はあ、はあ……ない、か……」


 ハムラが肩で息をしながら、《魔力探知》をかけた草原の範囲内に夜露草の魔力が見当たらなかったことをつぶやく。ハムラが何度《魔力探知》をかけてまわったのか、俺には分からない。


「大丈夫ですか?」


 足りなくなったので取ってきてほしいと言われて巨石の荷物置き場から取ってきた中級エーテル(低)をハムラに渡す。


 既に何度か見ているのだが、魔力枯渇状態の疲弊具合は、なかなか見慣れてくれない。

 魔力あげます屋さんのバーバルさんがかつてそうだったが、ハムラは血色が悪く、目も落ち窪み、頬もこけている。

 正直、疲弊というレベルではない。ディアラもこのハムラを見る時はいつも不安げな表情だ。


「……ありが、とう」


 息もきれぎれにそう言って、ハムラは中級エーテル(低)を半分ほど飲み干す。

 と同時に、段々と息切れは収まり、血色もよくなっていく。バーバルさんにパスタをあげた時ほどではないが、この凄まじい治療速度とハムラの変貌も見慣れない。治療というより、魔力を充填しただけなんだけどね。


 それからハムラは腰に下がっている水もぐびりと一飲み。

 魔力の酷使は喉を乾かすの例によって、ハムラは呼ばれて探知魔法をかける該当箇所に赴くのはもちろんだが、水の飲みすぎにより少し離れた場所で時々用も足しているのであっちにこっちにと大忙しだ。

 用を足す場所が決して俺たちの近くでないことには少し親近感が湧いたりもするけども。


「少し休憩にするか。もう2時間は経っているだろうしな」


 近くで探していたジョーラが地面に槍を刺した。


 もう日は沈み、辺りは暗い。


 ジョーラにはさほど疲れた様子はない。我慢もあるのかもしれないが、さすがだ。

 ヘルミラの方はそれなりに疲弊の色がうかがえる。エーテルは適宜飲んでいるはずだが、《灯り》をずっと使っていることによる魔力の消耗は補えても、精神的な疲労や、火元が顔の近くにあることによる発汗は止めることができないようだ。


 ジョーラたちは既に鎧を外し、籠手と最低限の武器を装着しているだけの軽装状態になっている。魔物と飛竜ワイバーンの気配が全くないと理解し、作業速度の上昇と疲労の軽減を優先したためだ。

 お使いをしてきたディディは帰還後、少しだけ休憩したあと、すぐに夜露草探しに参加した。荷物もあったのでさすがに馬でそのまま草原にきていたが……俺は走り込みの経験があまりないので分からないのだが、すごいね、人って。


 口元の水を拭いながら、「いえ、まだいけますよ」とハムラ。


「いや、私が少し疲れたんだ。あと、ヘルミラもな」


 ジョーラは苦笑を隠さずにそう提案すると、ヘルミラが少々疲れた笑みをこぼした。

 ヘルミラは言うまでもないが、ハムラの方もまた、エーテルで回復していたとはいえ、ぜいぜい言っていたし、説得力はあまりない。


 俺はというと、相変わらず疲労には縁がない。もう三面目に突入していたのだが、全くと言っていいほど疲れてない。

 俺は走り込みなんかの経験はなく、体力もデスクワーク地獄とオンゲ三昧でからきしだ。どこかのタイミングで急に倒れないか少し不安になる。


 ちなみに探しやすくなるかと思い、いつの間にか習得していた《植物学》をLV10にしてみたら、植物の説明の書かれた簡素なウインドウが出るようになった。《鑑定》スキルで出てくるウインドウと同じだ。


 《植物学》によれば、この草原には、タタバミ、クローバー、フォックステイル――エノコログサのこの世界での名前らしい――ドクダミ、そしてタンポポに非常によく似た植物――ラオリオという4種類の植物が主に生息しているらしい。


 インに念話で聞いてみれば、花がラオリオンという獰猛な四足動物に似ているのでこの名が冠されたのだとか。

 元の世界でも由来はそんな感じだったし、ラオリオンとはライオンに類する動物だろうと見当をつけたら、ジョーラの武具についている模様がラオリオンを模したものであると同時に、七星の大剣ならびに現王家の紋章だというので、やはりライオンらしい。


 ともあれ、正式に休憩になったようなので、巨石に向かう。ジョーラは他のメンバーを呼びに行った。


 ディアラが額の汗をぬぐう。

 草原一帯自体は穏やかな気候でときおり涼しい風が吹き、気持ちいいくらいだが、さすがに疲れるよな。低いが一応山だし。いつかの俺の例もある。あとでハリィ君に言って、タオル用途の布を一枚もらおう。


 道中で、ハリィ君とディディにかち合った。


「おかえりなさい。……食事にしましょうか。作戦会議も兼ねましょう」


 ヘルミラが横でふうと小さく息を吐いた。


「ハリィ君、ハンカチ……布かなにかある?」


 意図を理解したのか、たくさんあるので使っていいですよ、とバッグから布を一枚渡される。そのままヘルミラに渡す。


「これは……?」

「汗を拭くようにね。……あ、それとも濡らした方がいいかな」


 布は大量にあるようなので、あとでもう一枚くらいもらってもいいだろう。


「あ、はい。濡らすと気持ちいいです。あ……すみません……」


 何がすみませんなのかは分からないが、《水射ウォーター》を軽く使って布を濡らす。《水射》を使いたい気持ちがいくらかあったのは秘密だ。

 魔力の出力をかなり下げたつもりなのだが、水が多めに出てきてしまい、布を思いっきり濡らしてしまった。革袋に飲み水を入れる時には、バケツをひっくり返したような量が出てしまってその後少し練習したんだが、まだまだらしい。《灯り》とは違ってなんか制御しづらいんだよね。


 疲れてはいるが、ヘルミラが笑い、ディアラも笑う。傍から見たら一発芸みたいだもんね。

 俺は「まだまだみたいだね」と肩をすくめて、絞った布を渡した。


 ヘルミラが濡れた布を顔に当てる。


「はー……気持ちいいです」

「それはよかった」


 温度調整の方は完璧だからね。冷ためにしたんだけど、好評そうでよかった。


 ややあって、巨石の周りに全員が集合したので、改めて食事休憩をとることにした。

 ヘルミラが濡らした布をディアラに渡していたので、もう一枚濡らそうかと思ったが、ディアラもまたずいぶん気持ちよさそうにしていた。まあいいか。


 巨石に集まった面々は、それぞれ慣れない作業にそれなりに疲れた様子が表情にうかがえた。

 疲れが見えないのはおそらく俺とジョーラと、そしてアルマシーだろうか?


「さすがのお前も疲れたか?」

「いえ! 全然! この通り! ……っと」


 アルマシーは敬礼をしようと立ち上がったようだが、少しふらついた。そんなアルマシーにジョーラは「まあ、誰だって普段やってないことをすれば疲れる」と、苦笑する。

 アルマシーは元気ではあるが、“突然倒れる勢”かもしれない。


 変化という点ではハムラが一番顕著だ。

 作業前は研究者気質がディディに怒られるくらいだったのに、今や体育座りでぼんやりと上の空ときている。魔力枯渇状態を幾度となく見ているし、一声大丈夫かとかけてみたが、「大丈夫大丈夫」とへらへらしていたものだ。


 ハリィ君曰く、ハムラは普段もプライベートはこんな風にぼんやりしているか、本を読んだり、土いじりをしたりしているらしい。

 普段のハムラを見ているわけではないので見慣れないんだが、ガーデニング好きの人はこんな調子なのだろうか? 周りにガーデニング好きを公言している人がいなかったのでなんとも分からないけど、ガーデニング好きな男のイメージとしては合うような気はする。


 姉妹は既にそうだったが、作業前よりも表情や相槌に力がない。二人でぽそぽそと何やら喋っていたので、そっとしておく。

 インというと……細く白い手足を伸ばして、巨石の上で脱力して空を仰いでいる。ハムラとはまた雰囲気は違うが、いい勝負だ。


 作業中に一度念話で「疲れた」と小言を言ってきていたが、どうも精神にきたようで、


『はあ~~~~巣の周りがこんなにつまらん景色だったとは知らなんだ……街の景色の方がずっと楽しいぞ~?』


 という言葉とともに、いかに街巡りが楽しかったか、肉が美味かったか、その際は滔々と語られた。地味な作業が苦手そう、という俺の考えは一応合ってたらしい。一応ちゃんと探していたようなんだけどね。


「皆さんお疲れのようですね」


 そう言いつつも皆の疲れた様子にさほど取り合わず、ハリィ君はリュックをごそごそまさぐる。

 察するに、激戦の後の兵士たちの疲労状態は、きっと俺が想像できないくらいすごいんだろう。手傷を負い、血を流すのももちろんだが、普通に人も殺してるだろうからな。まあ……慣れていくんだろうけど。いくらかは。


 そうしてハリィ君は、リュックから畳まれた布を取り出して広げた。

 テントのように防水加工的なものはさすがにないようだが、キャンバス生地のような手触りで、表面がパリッとしている。レジャーシートということらしい。


「手伝うよ」

「すみません。では、……皿を拭いてもらえますか?」


 そう言って、ハリィ君はリュックから木の皿を取り出した。

 手をかざし、小さな青い魔法陣が出たかと思うと、俺がさっき布を濡らした量よりも少ない水の量でパシャリと軽く皿を濡らした後、今度は緑色の魔法陣が出てくる。小さな突風を出して皿の水を飛ばし、小さな木の箱から取り出した皿拭き用らしき布でふき取ってから、俺に布ごと皿を渡す。


 魔法の活用方法と手際の良さに思わず感心したが、ちょっと潔癖症か? 現代だと珍しくないけれども。

 布はサイドに緑色の縦線が入っていて、お馴染みのキッチンクロスを彷彿とさせるガーゼな手触りがある。うちにもあったけど、懐かしいね。


「この布で洗い終えた皿をお願いします。終わったら敷いたシートの上に置いてもらえれば」

「了解。……細かいね。部隊では毎回こういうことを?」

「え? ああ。何というか……趣味みたいなもので……普段は料理番にやらせてますよ。小規模編成の時にたまに私が。最初はそんなことしなくていいと部下に言われていたのですが……そのうちに何も言われなくなりました」


 ハリィ君は照れ笑いを浮かべつつも、手を止めることはない。

 単に水が出て、風が出るだけなのだが、ハリィ君は微妙に皿と手の角度を変えている辺り、かなり手馴れている。


「料理番は魔法も使うの?」

「いえ、手洗いですよ。魔法はさすがに使わせていません。料理番も後方支援用に魔力は温存させてます。私だけです、こんなことをやってるのは」


 そう言って再度、恥ずかしそうに言葉を並べるハリィ君。

 だよね。ディアラたちがフリーズドライのスープを作ってた時と同じ感じの魔法かな?


「結構魔力を消費しそうだけど……」


 と、言いながら、そういえばかつてもディアラに同じようなことを言ったなと思う。


「これは皿洗い用に調整された応用術式なんです。魔力の消費はかなり抑えられているんですよ。もちろん遠征時には、余裕のある時にしかしませんけどね」


 やっぱり生活系の魔法か。当初はドライヤーの魔道具とか作ってみたいとか思ってたけど、先に魔法はもちろんだが、応用術式とやらを漁った方がいいかもしれない。


「術式の内容は《水射》と《微風ソフトブリーズ》かな」

「そうです。……この応用術式は無名の魔導士が編んでいるそうで、あまり知られていないのですが、魔力消費抑制術式から、精神力の負担を極力軽減させる術式まで組み込まれている上に、見事な調整もされてます。その分庶民が手を出せなくなってしまっているのですが……《水射》と《微風》さえ使えるなら、子供でも扱えてしまう術式です。私は作者の方は、実は高名な方だと思います」

「そうなんだ。勿体ない。でも確かに、一番皿洗いする庶民が高くて買えないとなると、ちょっと浸透しにくそうだね」

「ええ。当初はもっと安かったそうですが、さすがにここまで高等術式となると難しいでしょうね」


 長方形の木の筒を取り出したので、なんだろうと思うと、ハリィ君は蓋をスライドさせて中からナイフとフォークなどの食器類を取り出した。

 箱は木目がそのままでシンプルでいい感じの食器入れだ。ケプラで似たようなものを見たような気がしなくもない。俺も欲しいな。


「あっ、手伝いますっ」


 俺とハリィ君の食膳の準備に気が付いたディアラとヘルミラが、焦りながら手伝いにくる。


「すぐに終わるから大丈夫ですよ」と、ハリィ君が言うが、「いえ、手伝います!」とヘルミラが断固として譲らない姿勢を取る。ディアラも似たような雰囲気を醸し出している。


「ではパンを切り分けるのをお願いできますか?」


 と、苦笑したハリィ君が大皿に一斤のパンを乗せて、まず半分に切り、それを6等分してほしいと姉妹に頼む。それから、蝶番のような金具により二つ折りにされた木の板を広げて、その上に新しい布をかぶせた。まな板らしい。だ~いぶ準備いいな。

 他の部隊の状況を知らないのでなんともいえないけど、野営中の衛生環境は案外整えられるんだな。


 やがてシートには、切られた食パン、干し肉、漬物ピクルスの入った瓶、そして、姉妹が作ったフリーズドライのスープを入れた皿やコップが並べられた。

 汁物に関しては、野営では鍋を準備しないと難しく、アルマシーが個人的に持っている小さなものしかないため水分摂取の水だけの予定だったので、姉妹の好意によるスープの提出は酸欠調理法という未知なる応用術式への驚きと共に、かなり喜ばれた。


「なかなかうまそうだのう、ダイチ。匂いも良い」


 インのお目当てはもちろん、干し肉だろう。目が肉しか見てない。他のも見ていたんだが、結局最後は肉にいく。肉は確かにほのかにハーブっぽい香りがしていい匂いだけども。


「だねぇ。何の肉かな、これ?」

「豚ですよ。香り付けされていて、兵たちにも評判の干し肉です。……本当だったらもう少しちゃんとしたものを出したいのですが……すみません、討伐の帰りで大したものを出せなくて」

「そう言うな。アトマスの野郎とラーゲルのじいさんが泣くぞ? いや、アトマスは怒るか」


 アトマスとラーゲルという人物は、高級ではないが、質が良くて味も良い王都の兵御用達のパン屋と豚肉屋を構えている人たちらしい。

 七星の大剣をはじめ、王都で兵士としての一定の地位になると、こうして遠征時に食べられるようになる代物なのだとか。一般の兵士たちがこのパンと豚肉を食べるのを目標にしているとかなんとか。


「そうですよ! アトマスさんのパンがあれば元気百倍ですよ!」


 そう言ってどっかりと座ったアルマシーが、太い腕をパンに伸ばすが、ディディが剣の鞘ですぐさま押し上げる。


「食事は皆でするものだ」

「そうだぞ、アルマシー。少しくらい待て、スープにお湯を入れてくからな」


 ディディと、部下用の口調に戻ったハリィ君の言葉に「すみません、つい」とアルマシーが謝る。つい、ということはいつもしているんだろうか。してるんだろうな。


「ではいただきましょう」


 紅茶を入れるように、器用に細長い《水射》でスープにお湯を注ぎ終えたハリィ君の言葉を機に、ジョーラ部隊からはアルマシー、そして俺たち側からも恥ずかしながらインが我先にとかぶりつき、食事の場は和やかに進む。

 ちなみに気になったのであとで聞いたんだが、ハリィ君のように、《水射》を用いて、ティーポットのようにお湯を注ぐのは魔導士としてはかなりの熟練の技であるらしい。


 和やかと言っても、ジョーラの寿命を刻む時計の針は確実に進んでいる。

 これに関しておそらく一番焦っているであろうハリィ君だが、さすがにこの和やかな場を崩すつもりはないらしく、フリーズドライスープに舌鼓を打ってディアラたちに称賛しつつ、あれこれと質問している。なによりジョーラが会話に加わっているしね。


 俺もそれなりに腹は減っていたので、がぶりとパンを一食み。

 さすがに俺の持ってるコッペパンや、現代でどこにでも売っているふわふわ柔らかな食パンほどではないが、噛み応えがあり、塩がまぶしてあるのに加え少しバターが練られているようで、美味く感じる。ヴァイン亭で出された黒パンよりは上等だ。

 別に体が疲れているわけでない。だが、ずいぶん美味く感じるのは、記憶の方で本来あるべき肉体的疲労をぼんやり思い出して、体が喜んでいるのかもしれないなどと思う。まぁ、塩パンはリアルでも好きだったんだけどさ。


「この干し肉はなかなかうまいのう!! ケプラでも似たようなのを食べたが、こっちの方が好みかもしれん。いくらでも食べれそうだのう」

「分かります? 私も大好きでしてねえ! 家に帰ってビールと一緒に食べるのがまたたまらないんですよ!!」

「お前はよほどの食い物じゃない限り美味いというがな……」

「ビールとはなんだ? 干し肉より美味いのか?」 


 もはやどっちに対してのものかは分からないがディディがため息をついた。

 気持ちはわかるよ。というかビールあるんだな。いつか飲みたい。


 色々とツッコみたいインとアルマシーとディディ三人の掛け合いはさておき、確かに美味い。

 ただの干し肉と思うなかれ、ケプラのよりも柔らかめに仕上がっていて堅いチャーシューといった体で食べやすいし、コショウと爽やかめの香ばしいハーブの組み合わせが食欲をほどよく刺激してくれる。

 干し肉はリアルではジャーキー以外そんなに食べた経験はないけど、肉屋に行けば大概売っているようだし食べ比べしてみたくなるね。


「干し肉美味しいですか?」


 ふと、ヘルミラが横から訊ねてくる。


「うん、美味しいよ?」

「えっと、……美味しそうな顔をしていたものですから。ね、お姉ちゃん」

「だね」


 そんな顔をしていただろうか? 驚いてはいたけれども。


「美味いよ。あまりハーブは詳しくないんだけど、このハーブは好みかもしれない」

「今度お作りしましょうか?」


 できるの? と訊ねると、「サルビアは割とその辺で採集できるハーブだからね」と反対側から専門家であるハムラの意見。


「『庭にサルビアを埋めとけば、どうやって死ぬことができようか』っていう古い言葉があるくらい万病に効く薬草でもあるよ。もちろん夜露草や霊薬ほどじゃないけどさ」


 そう解説して、ハムラは切り分けた干し肉を包んだパンをかじった。サルビアね。

 ドッグもいいな。俺もハムラに倣って干し肉を挟んで食べた。うん、美味い。横で姉妹も真似したようだった。


 ぺろりと俺のパンと漬物とスープがなくなった頃には、皆もあらかた食べ終えたようだ。

 大食らいの二人はおかわりをしたので、まだもごもごしている。気が合うのか、王都に来たら肉屋と料理屋を案内するとアルマシーはインに言っていた。


 やがてハリィ君がディディに皿を片付けるように指示し、姉妹もそれに続いた。そうしてハリィ君はハムラを呼んでエーテルの数を確認始めた。


「20本がほぼなくなったか。メイホーのは厳しいしな……一回ケプラに戻って多めに買っておくか……。タタバミの群生地については何か気付いたことはあるか?」

「そうですね……魔物も動物もいないんで研究には最適……じゃ、じゃなくて、副隊長とジョーラさんの担当範囲が一番タタバミが多かったように思います」

「ふむ。……方角的には奥地に向かうことになるな」

「ですね。フォックステイルやラオリオも減っていたようなので、タタバミの量ももっと増えると思いますし。他の植物が増える可能性もありますが……飛竜はおろか、魔物一匹いないようなので、多少奥地に行っても問題ないんじゃないかと」

「確かにな……飛竜が全く出ないのは気にかかるが……好機でもある。飛竜はもう眠ってる時間だしな」


 ハリィ君がなにやら考え込む。


 ――飛竜ってもう寝てるの?

 

『そうだの。黒竜からも、ずいぶん前にそろそろ床に就くという念話がきておったぞ』


 俺はこの世界では未だに深夜まで起きていたことがないし、二度寝の経験もない。いや、ヴァイン亭の最初の夜で深夜に起きてたか。……まぁ、眠気がすごいんだよな。村の人たちも寝るの早いようだし。


 既にもう辺りは真っ暗だ。灯りは《灯りトーチ》の温かいが心もとない自然火と、月のない夜空の星明かりだけだ。


 後半からは既にそうしていたが、これからの時間の採集は《灯り》を使い、探す際には二人一組になり、魔力の消耗による疲労を考慮して四面から二面まで範囲を縮小する。……なんだが飛竜も魔物もいないし、一人でもいけるなら一人で探してみても。というのはさきほどからハリィ君を中心にされている話題の一つだ。

 俺はもちろん賛成だ。明日になったら各々一人で探すようになっていればいいように思う。


 誰かが咳込んだ。冬場にはよく聞く、痰が詰まっているような、重たい咳だ。二、三回それが続いて、……


 ガハッという何かを吐き出すこもった声が聞こえた。吐き出された何かはそれなりの量があるらしく、ビチャっと嫌な音が鳴る。


「ジョーラさん!!!」


 すぐに叫ばれたハリィ君の悲痛な声。

 見てみれば、ジョーラが胸倉を抑えてうずくまっていた。口を抑えたのか、手は血塗れだ。傍の草むらは血で覆われ、レジャーシート代わりに広げた大きな布には小さな血の水滴がいくつか飛んでいた。


 そしてジョーラの腕には、葉のような形をした楕円の黒い跡が、いくつも薄く浮き出ていた。

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