4-24 捜索願いと対策 (3) - 茶会
テーブルにテーブルクロスが敷かれると、着々と料理が並べられていく。ルカーチュさんが慣れた手つきで配膳するのを、手際の良さと同時に気品も感じてしまう手つきを、内心で称賛しつつ眺める。
唐突に、苛ついていた時にはよくカシャンと鋭い音を立ててコーヒーカップを置いてくれていた女性社員の如月君のことが思い浮かぶ。
もちろん原因はだいたいうちのクソ課長だ。嘘かほんとかは分からないが、生理だからと言っていたこともある。
今時珍しいと言っていいのか、普段は自分から率先してお茶を淹れてくれるほどいい子なので、あれはあれで生温かく見守っていたものだったが。
配膳を終えたらしく、ルカーチュさんはゆっくりと立ち上がった。
うねうねとしたカーブを緩やかに流れる清らかな川の水のように、配膳はごくごく自然な動作で行われた。俺が観光客だったら、スマホのカメラで動画でも撮っていたかもしれない。本場のメイドだし、絵になるからね。
配膳を終えたのを見て、のんきに次は何かなと期待してしまう。
「かぼちゃのポタージュと、ラカースです。ハムやチーズと合わせてご賞味ください。エリドンティーはすぐにお入れしますので少々お待ちください。……こちら朝食のようなお料理になってしまいましたが、よろしかったでしょうか?」
「ええ、全然。空きっ腹にはこれくらいがちょうどいいですから」
二人にも訊ねてみるが、当然のように頷かれる。ちょっと緊張しているようだ。もちろん、俺だって緊張している。
給仕やシェフが説明をするレベルの高級料理店には、営業先の上役といくらか行った経験がある。
1回目はカチンコチンで、笑われつつ注意されたけれども、慣れてくると説明を受けた後、あるいは合間合間に、ちょくちょくお喋りしたものだ。
だが……今のルカーチュさんとは正直ちょっとできる気がしない。如月君のように話しかけないでオーラが出ていたり、圧迫感があるわけではもちろんない。
たぶん、すべての所作が完璧だったためだろう。ここで大した作法を持たない俺が気軽に話をすることは、彼女の行った完璧な所作、完璧な配膳に水を差す気がするのだ。姉妹もきっと似たような心境はあるだろう。
俺のルカーチュさんへの印象の庶民的な感想――ヴァイン亭から急上昇していきなりこの最上級のレベルなので仕方ないのだが――はさておき……ラカースというのは、ケーキのように切り分けられた平たくて柔らかそうな白パンだった。
表面にはいくつか浅い窪みが開いていて、そこにはプルーンやくるみを入れている、ちょっと変わったパンだ。
並べられたもの以外では、水気があって新鮮そうな切ったトマトとレタスがあり、ソースの入った小さなポットが二つある。
一つは、デミグラスっぽい色合いのソースで――あとで聞いたがグヤシュというソースらしい――もう一つはオリーブオイルだった。
オリーブオイルの入った容器もあったのには、ヨーロピアンだなぁと実感した。俺は生のオリーブオイルは苦手なので、たぶん食べないと思うけどね。
「では、お茶の方をお入れしますね」
若干中国風味のジルらしき赤い竜が水彩のようなタッチで控えめに描かれた高そうな白い茶器からは、まもなくエリドンティーのアップルティーと酷似した、甘い香りがしてくる。
俺は紅茶はプリンス・オブ・ウェールズとかが好きだが、エリドンティーは普通に美味かったので問題ない。果物以外では甘いものがないので、その辺の糖分摂取用途も少し。
ちなみになぜエリドンティーにしたのかというと、おそらくジョーラが飲んでいたことに由来していると思うのだが、単に姉妹が二人ともエリドンティーにしたためだ。他に挙げられた二つの茶葉が、どんなものか分からなかったのもある。
そういや、ルカーチュさんは俺たちが食事している間どうしているんだろうかと思う。
棒立ち……なわけでもないよな。それはフィクションでもお馴染みのいかにもな使用人の姿だが、一人で食べたいって客はいるだろうし。
エリドンティーが全員分入れられると、「お茶の方がなくなったときは仰ってください」とそう告げて、ルカーチュさんがワゴンカートの方まで下がった。
少し見ていたが、目を伏せたルカーチュさんは特に動きそうにない。立っているようだ。……むう。
ディアラたちも気になっていたようだが、俺に困ったような視線をやってくる。
「……とりあえず食べようか」
「はい」
ラカースを頂いてみる。うん、美味い。料理ほどパンの良し悪しは分からないのだが、パンは柔らかいし、香草でも入れてるのか香しいのが新鮮だ。
姉妹も俺と同じでラカースに口をつけた。頬を綻ばす姉妹。うん、美味いよね。
ちらりと視線をやってみる。ルカーチュさんは相変わらず棒立ちだ。
席順的に、俺と向かい合わせになっていることもあるんだろうが、ルカーチュさんのことが気になって仕方がない。先生、俺、普通に食べたいです。
……どうせなら、誘ってみるか。
捜索願いは結構大事になっていたようだし、マクイルさんに何かお礼の贈り物をとも考えているので、話題はその辺から攻めてみよう。
「よければですが、ルカーチュさんもご一緒しませんか? お茶飲むだけでもいいですよ」
俺の申し出に、姉妹は驚いたようだったが、当の本人はそれほど驚いた様子もなく、「よろしいのですか?」と訊ねてくる。
「もちろん。お腹が空いてたらラカースとかも食べてください。……友人として仲良くなりたいのもあるんですが、……なにぶん俺たちケプラに来たばかりなので、金櫛荘のことも含めて色々お訊ねしたいな、と」
あと俺は念のため、今夜はインか、もしくはジルが起きるまで、寝るつもりはない。そのための時間つぶしもここにはいくらか含まれている。
今のところは眠気は吹き飛んだままなので、大丈夫だと思う。たぶん。……後の爆睡がちょっと怖いけどね。
「分かりました。ではご相伴にあずからせていただきますね」
特に動じなかったのには少なからず驚いたが、すんなり受け入れられたことにほっとする。たぶん、こういう客も過去にいくらかいたんだろう。
「はい、是非。あ、ベッドに座ってもいいですよ」
そう言うと、ルカーチュさんは「いえ、そういうわけには」と初めて苦笑する。ついそう言ってしまったが、まあ使用人的にはそうかと納得する。
初めて表情が崩れたのを見たが、なかなか可愛らしい感じの笑顔を作るらしい。
ヘルミラが何やら慌てた様子で「椅子を取ってきます」と言って、部屋を出てしまった。ディアラも立ち上がろうとしていたので、二人ともそうしようとしていたものらしい。ディアラと目が合うが、苦笑されただけだ。ごめんな、気が利かなくて。
……というか、あれか。ルカーチュさんが待機するのは、インとジルが起きてきた時の諸々の対応とかもありそうだ。一応、病人だしね。
ヘルミラが扉を開けて椅子を持ってこようとしているのを、ディアラが手伝いにいき、結局二人で持ってきた形になった。
「ありがとうございます」
と、ルカーチュさんが柔らかく笑みをこぼすと、二人は照れたようだった。
ふうん? 二人とも立場的には使用人みたいなものだし、所作とかに憧れたって感じだろうか? それとか、母親に雰囲気が似てるとか? まぁ、誘っておいてよかったね。
◇
「ルカーチュさんはこの屋敷に務めてもう長いんですか?」
「そうですね。20年は経つでしょうか」
20年か……。筆頭使用人になっているだけあって、ベテランだ。
ルカーチュさんのお茶を淹れるために立ち上がる。ヘルミラとディアラが立ち上がったが、「座ってていいよ」と制した。
ワゴンの下の段に替えらしきカップがあることは見えていたので取り出して淹れる。エリドンティーの入ったカップをルカーチュさんに渡した。
「わざわざありがとうございます。私が淹れましたのに」
ルカーチュさんは俺が淹れにいっても立ち上がらなかった。姉妹が立ち上がって制されたのを見て、同じ扱いをされると判断したのだろう。聡い人だ。
「気にしないでください。今は出来るだけ対等にお話したいですから」
一瞬、よく分からないといった顔をされるが、すぐに微笑まれる。
「あー。えーと、俺の故郷ではあまり使用人の文化が発達していなくて……あんまりこういうことを求める客はいませんでしたか? 多いように思うのですが」
美人多いっぽいしな。
「若い頃はございました。……お断りしていたのですが、お相手の中にはお貴族様もいらっしゃいましたので、そういうわけにもいかなくなったこともございました」
あー……。そういう方向で訊ねたわけではなかったのだが、地雷踏んでしまった。
俺としては単に、美しい女性とお近づきになりたいという男として至って普通の感情を元に訊ねてみたのだが……そうだよな、高級旅館なんだから貴族の宿泊客は多いだろうし、強引に関係を迫る人もいただろう。なんなら、身分の差があるなら、そういうのが普通と言えてしまいそうだ。
「嫌なことを思い出させてしまってすみません」
「とんでもございません。昔のことですから。それに、ダイチ様はそういうことをお求めになられていないのでしょう?」
そう言って、ルカーチュさんはいくぶん悪戯心のある眼差しを投げてくる。
垣間見えた笑顔は可愛らしかったとはいえ、完璧な所作や落ち着き払った雰囲気から性格もお硬いのだろうと勝手に思っていたが、特にそういうわけではないようだ。
「ええ。あまりこういう場所に泊まった経験がないものですから。なにか失礼があったらすぐに言って欲しいですが、まぁ……珍妙な客だとでも思ってください」
「ご自身を珍妙だとおっしゃられるお客様は初めてですよ?」
お、また笑ってくれた。
>称号「マダムキラー」を獲得しました。
おい。いい雰囲気壊すのやめろ?
「まだお若くていらっしゃるのに、色々とご経験されているのですね?」
ステラさんもそうだったが、鋭い。中身30歳だしな。
ふと、高校生がこんな言葉遣いしてたらと思うと、急に恥ずかしくなる。……いや、「貴族かよ」って、ワンチャン面白がられるか?
「そう見えますか?」
「ええ。お若いお貴族様の中には、使用人の私どもに対してダイチ様のように接してくださる方はいらっしゃいませんでしたわ」
ルカーチュさんは至ってにこやかにそうこぼす。迫ってきた男たちとの過去について危惧したが、特に悲痛さとか、怒りとか、そういった感情は見られない。
ふうん。どこかしらにいるんだとは思うんだが、中世的な貴族社会だし、基本的には使用人を侍らせて優越感に浸るのがやっぱり普通なんだろうか。その辺は人間と切り離せない感情だしなぁ。
でもルカーチュさんだってまだまだ美人だし、俺だって一緒にいて優越感を感じないわけではないんだが……話をしづらいのはちょっとな。この点は日本の旅館の女将に軍配があがる。
というか、俺貴族じゃないよ?
姉妹があまり料理に手を付けずに、俺とルカーチュさんの会話を興味深げに聞いていたので、俺は冷めないうちに食べましょうか、と促した。
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