9-44 緑竜大戦 (6)
『……しかしダイ。私は実際に戦うまで君のレベルが我々よりも遥か高みに達していることを信じなかったよ。こればかりはインの正気を疑った。ジルですらも容認していることは私の好奇心をぞんぶんに刺激したものだ』
俺は自分のステータスウインドウを出した。
俺のレベルが……138になっていた。赤字だ。
各種ステータスもほとんど半減している。……道理で調子が悪かったわけだ。
状況に納得していると、突然俺の体から急激に魔力が失われていくのを感じた。同時に肉体的な痛み。なん、だこれ……?
ミシミシと骨がきしむような強烈な痛みにくわえて、急激にのどが渇いていき、強い頭痛もおこった。混濁する意識。
「……ぐっ……! ぁッ……!」
だが、失われた魔力はすぐに回復した。俺の胸の辺りから溢れるように魔力が現れ、充填されていくようだった。引く喉の渇き。
だが、肉体的な痛みの方はさほど緩和されないようで、体中が関節痛にでも襲われているかのようなピリっとした痛みが俺を襲い続け、くわえて四肢の至るところでは熱も持ち始める。
『おぉ……ハハッ! 興味深いね。魔力が湯水のように溢れるな。そいつらの吸引力は自分が大魔導士だとうぬぼれている奴の魔力を一瞬で枯らせるんだぜ? ついでに生命力も奪う』
痛みが引いてくれるのはいいが、突然の体調の変化に意識は追い付かない。朦朧とした意識のなか、額から二筋の汗が流れ、口からもよだれが垂れていくのを感じながら、俺は今自分に起こっている各症状が静まるのだけを願い、待った。
『治療しててよかったね。もし治療していなかったら君は今頃死んでいるかもしれない』
また魔力が吸われていく。肉体の痛みも走った。
「…………ぐぅ……! やめ、ろ……」
魔力は再び充填され、喉の渇きもなくなるが、痛みによる精神的苦痛が消えるわけではない。肉体の痛覚も増すばかりだ。
『やめてほしいなら自分でどうにかするんだね。設置型魔法だし、動力源や仕掛けの類があるってことだからね。もっとも。そう簡単にバレるような場所に仕掛けちゃいないけど』
…………余裕かましやがって…………。
再び魔力の吸収ときしむような痛み。頭痛も痛みが激しく、額から汗が止まらなくなってくる。
ネロはじっと俺の様子を観察でもするように眺めている。角を生やした森の主然とした爬虫類の顔には表情の変化はないが、本性を現したことだ。内心ではあざ笑っていることだろう。クソが………。
疲弊の激しさのままふと視線を上にやると、鳥たちがゆっくりと旋回しているのが目に入る。6、7……8匹いる。
あいつら……始めからずっといるな……。…………高みから見物か……。見てたら楽になるかな……。
…………“始めから”?
肉体的痛覚を我慢しながら鳥たちを眺めていると、わずかだが鳥たちから不可解な魔力の放出があった。集中して確認する。やはりそうだ。
魔力はそう濃いものではない。ただ、糸のように細く、放射線状に散った魔力は地面にたどり着くと細い柱をつくるという不可解な動きがある。ちょうど俺たちのいる辺りの森を囲うように柱はでき、そうして消えた。
今までは鳥だと思っていたが、彼ら自身にも違和感があった。うまく言えないが……変なのだ。魔法的な擬態……?
仕掛けはあれか……? だが……。俺には今、始原魔法の聖火とやらしかない。
と、薄まっていた始原魔法が色味を強めていた。内包していた俺の魔力もほとんど回復している。
『鬱陶しいね、それ』
ネロの顔の前にはやがて緑色の魔法陣が2つ現れ、輝き、聖火の上空から“それ”は発射された。
レベルダウンの影響かまったく視認できなかったが、“それ”が凄まじい速度で聖火に到達するや否や一瞬で霧散し、消失してしまったのは分かった。再び魔力吸引による喉の渇きと痛み。なんとかこらえ、状況の確認に精神を集中する。
『…………チッ。忌々しいな。防御力までアドラヌスの聖火並みか』
次いでネロの目が緑色に光った。また何かするらしい。
今度は黒い魔法陣がネロの眼前に出現し、重なるように一回り小さい緑色の魔法陣も出現した。2つの魔法陣が向けられているのは聖火だ。
『こいつはきついぜ?』
ネロはそうして右足を踏み鳴らし、巨体を軽く乗り出して威嚇するような姿勢になる。
すると魔法陣が強く輝きだし、ネロの顔周辺や魔法陣で膨大な魔力が密度を高めていく。
……今度は何だ?
てっきり魔法陣から出てくるのかと思いきや、――やがて薄緑と黒の直線で彩られた太いビーム光線が聖火を横から殴るように襲った。発射元には別の黒い魔法陣があった。転移……。
聖火はしばらくビームにすっぽり覆われてしまっていたが、ビームが終わって現れた聖火は無事だった。少しも傷ついてないように見える。頑丈だな……。
『…………馬鹿馬鹿しくなってきた。や~~めた』
そうして再び到来する俺への魔力搾取。……うぐっ……。やめろって…………。
『《
ネロはさきほどの世界の主然とした風采はどこへいったのか、ふうと息をついてその場に座り込んでしまった。
一転して静寂が訪れた。だが、俺への魔力搾取は続けられ、俺のうめき声だけが空しくあたりに響いていた。ネロは俺のことをただ眺めているだけだった。
クソ……。のんきに静観しやがって…………。
聖火はネロの様子をよそに赤々と存在を主張し続けている。落ち着いた心臓の鼓動のように、緩やかに明滅を繰り返して。
さきほどの上空の鳥たちを視界に入れる。相変わらず鳥たちは旋回している。
……あいつら、やれないか?
また魔力の搾取が行われる。
「……っぐ!…………はぁ、はぁ……」
……この搾取は延々と続けられるのだろう。俺の魔力が枯渇するまで。殺さず、搾取するのに留めているのは霊樹とやらにするためなんだろう。
なら、それまでにどうにかしないといけない。ネロがやる気をなくしている今はチャンスだ。届くのか分からないし、あれじゃないかもしれないが、何もやらないわけにはいかない。
――……聖火。あの鳥たちをやれ。……できれば……ネロに気付かれないように。
そう俺が念じると、聖火は鼓動の脈動を強めた。ただ、俺の念じようを反映したかのように静かなゆっくりとした脈動だ。視線を鳥に移して間もなく、――鳥の1匹が消失し、2匹目も消えた。
ちょうどネロが腹ばいになる。俺に目線を向けたが、やがて目をつむった。俺や聖火自体にはほとんど動きがないからか分からないが、気付いてないのか? まあそれなら好都合だ。
立て続けに念じていく。鳥たちは1匹また1匹と消失していった。
残り2匹となったところで、ネロが突然半ば身を起こし、上空を見上げた。
『……
やはりからくりはあの鳥たちだったようだ。
ネロのため息交じりの言葉をよそに、俺は残りの2匹も破壊した。
『……きみを止められる者はここにはもういない』
ネロは静かにそう言って俺を見据えた。諦めたのか、ずいぶん落ち着いているようだ。
一転して俺の体の方は力がみなぎり始めた。止まっていた血が巡り出したように、得体が知れないエネルギーの奔流が体内を満たしていく。得体は知れないがエネルギーはあたたかく、俺の四肢・体内の隅々まで充足感を与えてくれる。拘束され、力もなくなっていた俺に「何が」足りなかったのかも教えられる。魔力は偉大だ。
節々のきしむような痛みも頭痛も嘘のように引いていった。思いっきり力を入れるとあまりにも簡単に引きちぎれる俺を捕縛していた木々。
あっけないな。
見れば俺のレベルやステータスは元に戻っていた。しっかり280だ。赤字もない。
軽く拳を握る。体も本調子だというのが分かる。
諦めていた様子だったが、ネロは再び口を開けていた。
口の中には莫大かつ濃密な魔力。魔力が無限にあるわけじゃないとか言っていたが、ブレスは吐けるらしい。
俺の全てが元通りになった今、くらうわけもない。リベンジだ――
俺は全力の《瞬歩》でネロに向けて走ってブレスを避けた。そして背後にまわり、首筋に飛び乗った。
首の後ろは根が這っているような前部とは違い、枯葉色の竜の鱗が露出していた。かつてインも守られていたように防御魔法が二重でかかっているようだが関係ない。インは三重だったし問題なく割れるだろう。
散々なぶってくれたな!――
俺は首元を思いっきり《掌打》した。
――反省しろ!!
『――ア゛ッ゛……!! いっ、てぇぇ…………』
俺を背中に乗せたまま、ネロは俺がもたらした衝撃のままに猛烈な勢いで地面に叩きつけられた。
俺に地面がなくなると同時に、震える大地。規模はもはや地震だ。だが巨竜は左腕を軸にすぐに起き上がろうとした。
まだ余力がありそうだ。
着地した俺はこれまでの仕返しとばかりにもう
ズバン! というさきほどより密度のある野太い音が鳴り、衝撃波がたちどころに周囲の木々を襲った。一瞬で木々は凪がれ、鳴り響いていく大音量の梢の音。ネロから追い込まれていた状況でもなければさぞ尻込みする光景だっただろう。
再び俺の体は浮いてしまった一方で、地面は一瞬で陥没し、広範囲のクレーターができた。緑色の巨体は地面に押しつぶされた間抜けな状態になり、クレーターの一部と化してしまった。ここでさすがに俺は自分の力に少し引いた。
巨体に着地し、しばらくピクピクしている腕やわずかに上下していたアゴなどの様子を、動物を痛めつけてしまった後悔の微妙な心地で眺めていたが、巨竜はやがて1分も経たないうちに動かなくなってしまった。
殺してしまったのかと内心では焦ってしまったが、やがて荒い呼吸が足元から伝わってきたので胸をなでおろした。
『…………一瞬飛んだか……。これが、……インのくらったやつか…………とんでもねぇな…………』
>称号「生命の危機を乗り越えた」を獲得しました。
>称号「生きるか死ぬか、樹となるか」を獲得しました。
>称号「始原魔法の使い手」を獲得しました。
>称号「瞬爆の炎使い」を獲得しました。
>称号「アドラヌスの再誕」を獲得しました。
>称号「緑竜の策謀を阻止した」を獲得しました。
>称号「レベルダウンの脅威を知った」を獲得しました。
……終わりか?
ネロの体から降りる。ネロの周囲は10メートルほどか、ずいぶんな高低差ができてしまった。本当に自分がやったのかと疑わしい気分になる。
ネロは地に伏せたままに動かなかったが、やがてうっすらと白く輝きだしかと思うと、するすると体が小さくなっていった。
いたのは…………人型のネロだ。俺の知るネロではなく、小学生かいって中学生くらいの男子。もちろん素っ裸。ジルと同じ現象だ。魔力はほとんどない。
「あー…………疲れた…………千……300年振りか…………ネフティ・ラマン・ノー……懐かしい…………」
ネロは尻が丸出しのうつ伏せの状態のままそうつぶやいた。変声期前の少年の声だった。周りは巨竜の形の深い溝ができている。
何の気なしに俺も疲れたと便乗して言いそうになった。
殺すことは置いといて、ネロが俺にしてきたことを踏まえすなら怒り心頭になっていなければならないんだろうが、テンションは全く追い付かなかった。むしろ現在進行形で下がり続けている。
今回はまともに攻撃を何度もくらった。《春の祭典》やらブレスやらで状態異常をかけられまくった弊害もあるだろう。
なんにせよ、ネロへの怒りは形にならなかった。
ただただ疲れがあった。だるかった。七竜たちへ明確に芽生えてしまった疑念のせいもあっただろう。インは信じていいよな……?
一応警戒はしていたが、やがてネロの周りの地面から木が生えだした。木はそれほど大きなものではなく、うねうねとしつつもゆったりとした動きには敵意はまったく感じられない。
地面が盛り上がり、ネロの体が浮き上がる。浮き上がった地面は根っこで覆われていた。根っこはやがて緑色に変色し、茎のようになり、葉で覆われ……周囲で生えてきていた小ぶりの木々がネロの体を覆っていく。実にファンタジーな光景だ。
「……少し寝るよ。明日には最低限回復するだろう。フリドランを案内できるくらいには」
だがネロの言葉に呆気にとられる。
……は? 俺を殺そうとしてたのにか?
「……俺を殺そうとしてたのにか?」
幼くなったネロは軽く首を動かし、ちらりと俺を見た。
相変わらずの天パの緑髪はともかく、顔は言葉通りの天使のような美少年だ。ただ、子供にしては悟りすぎている冷ややかな表情だった。子供なんてのはたいたいこんな表情をしているものかもしれないが。
「きみが望まないならここですべて終わりにしてもいい。私たちとの関係も私たちがきみに強いた契約も、すべて。……だが。インは望まないだろう。インはきみが我々の長になることを望んでいる。母としてね。インのアレは極めて純粋な母的な感情だ。ときどき……眩しく映るよ。他の奴らはどうか知らないが、私は母という普遍的な存在を一応評価しているからね」
ネロは淡々とした口ぶりでそう告げる。インは確かに望んでるかもしれないが……。
「……時は進み始めている。ユリウス様の望み通りに」
ユリウス様? 創造神の類か上司的なものか?
ユリウスとやらともいつか戦わなければならないのかとうんざりとした心境になっていると、ネロは目を閉じた。
「じきに戦いの鐘は鳴る……備えておいた方がいい……守りたいものがあるのなら。きみは確かに強いが……無知で……魂も幼すぎる……。……この世の狂気と闇に、……食われるだけだ……ユリウス様の懸念通りに……。……我々はきみの…………教師になろう…………」
語りが止まってしまったので見にいくとネロは寝息を立てていた。幼くなった全身を、布団のようになったやわらかそうな枝や葉に収めながら。
教師て。さっき殺そうとしていた相手の言葉じゃないだろ、と毒づく。
と同時に、ネロの一応心配しているらしい口ぶりから、俺への霊樹化はネロの本意ではなかったのかもしれないという疑惑も芽生える。
さすがにお人好しが過ぎるだろうか。過ぎるんだろうな。
……でも仮にそうだとしたら、霊樹化は誰の意志だ? ユリウス? 何のために? ユリウスもまた俺のことを気にしている風だが……。
ネロの本心や裏の思惑が分からずにいると、周囲から緑色の光が集まってきた。木精霊か?
ネロをやったのは俺だし少し身構えたが、緑色の光は俺の方には来なかった。ネロの元に行って寝入るネロの周りをふわふわと漂い始めただけだった。
そうして光は数十個の規模になった。結構集まったなと呑気に思っていると、精霊たちは1つまた1つとネロの体に入り込んでいく。入り込まれた部分は淡く輝き、しばらくすると精霊はネロの元から出てきた。延々とこの挙動が続いた。
よく分からないが敵意はなんら感じないし、ネロの回復でもしているのかもしれない。ただネロのほとんどない魔力量はとくに動きがない。
俺に敵対してこないかと危惧したが、精霊たちは俺のことはまったく意に介していないように見えた。そもそも顔がないので意に介しているのか分からないのもあるが……。
ふと1つの大きな緑色の光が俺の目の前にやってくる。後ろにはネロの周りのよりは大きい緑色の光が2つある。
緑色の光は俺の目の前でふよふよ浮かんでいた。明らかに俺になにか思惑がある風だ。なんだ?
やがて光は淡く輝きだし――豪華な装飾品を身にまとい、腰からは葉でできた腰布を巻いた、王族というか由緒ある一族っぽい風貌の金色と緑色の混じった髪を持った青年になった。耳が長いが、ヤギのような下に向いた角が側頭部にある。背は小さく……50センチくらいしかない。妖精?
青年は改めて俺に目を合わせると微笑し、胸に手をあてて一礼した。言葉はなかったが、友好的らしい。
精霊はそうして腰につけていた二股の枝を取り出した。枝は何の変哲もないように見えたが、表皮には模様っぽいものがあり、模様はエメラルドグリーンに明滅していた。
精霊は枝を俺に向けたかと思うと、枝に向けて息を吐いた。
枝を通じて吹いてきたそよ風は木のにおいがした。少しハッカっぽい爽やかな香りも混じっている。微量だが魔力もあった。
>スキル「精霊王(木)の加護」を習得しました。
>称号「精霊王(木)の加護を得た」を獲得しました。
え? 精霊王だったのか……。
加護らしいが、体には何の変化もない。ただ、爽やかな香りと微妙な魔力が残っただけだ。魔力の方は少しずつ薄まっていっている。
「加護くれたの?」
妖精は俺の言葉に頷きながら上品に微笑んだ。そうして小枝を腰のベルトにしまい、発光したかと思うとまた緑色の光に戻った。
精霊王を含めた3つの光はネロの元に行って他の光と同じようにネロの体を行ったり来たりし始めた。しばらく見ていたが、神秘的で不思議な光景だ。
スキル画面を出す。
スキルの《精霊王(木)の加護》はパッシブスキルらしく、レベルはないようだ。まあ、何かしらの効果はあるのだろう。
することのなくなった俺は地面に座り込み、そして仰向けになった。
そのうち迎えがくるだろう。その時どう言い訳すればいいのか考えたが、あまりいい案は浮かばなかった。起こったことを言うしかないと俺は考えるのを放棄した。
あー……。疲れたな……。
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