幕間:思案する女 (6) - ブラナリとハンツ
「では……――はじめっ!!」
合図と同時に駆けたのはブラナリだ。
軽い《瞬歩》。ブラナリはあっという間に距離を詰め、ランスによる連続突きをハンツに見舞う。
だがハンツもやすやすと流してみせた。バルディッシュの柄でランスの穂先に当て、穂先に当て、穂先に当てて。
やがて槍撃の速度が増していったかと思うと、ランスが淡く光り始める。
ブラナリはランスに少し“ねじり”を入れた。《螺旋突き》……いや、《神速螺旋突き》だ。
ハンツの胸に強力な一撃が迫った。だが、ハンツはこれまでと同様さばいてみせた。ハンツにはとくに苦労した様子はなかった。周りから驚きの声と歓声があがる。
突きは一撃では終わらず、右肩に突き。左臀部に突き。ブラナリは野菜や果物を剣で切るように軽妙に風をも切り裂きながら、ハンツに一撃を入れるべく攻撃を重ねていく。
《神速螺旋突き》自体はある程度習熟した槍士なら覚えている者も多く、使用者も多いスキルだ。そして使い手の習熟の度合い、すなわちレベルによって左右されやすい技でもある。屈指のランス使いであるブラナリが放つ《神速螺旋突き》がオルフェ中に轟く完成度であるのは言うまでもない。
一方のハンツはというとやはりさばく動作は変わっていなかった。
その場で動かないまま、相変わらずランスの穂先に柄を当てて、両手だけが俊敏に動く石像かなにかのように攻撃を淡々と流していく。だが、バルディッシュを動かす速度はさきほどよりも数段上がっている。
ブラナリのように光を放ちはしないが、実のところハンツもまたスキル――《瞬筋》を使い始めていた。
身体能力向上系のスキルだ。件の少年はやすやすと上回ったらしいが、ハンツの使い込んだ末に極まった《瞬筋》による防御の術を破れる者はそういない。
2人の打ち合いにはいよいよ熱の入った歓声が起こった。なかには唖然としている者もいる。
兵士たちの方は2人の頼もしさに湧き、興奮する者もいれば、今後の自分の技に磨きをかければどうすればよいのか、しかと目を見開いて観察する者もいた。
それにしても彼らの打ち合いは周囲が湧きたつ一方で不思議と静かな空間だった。小気味よい音が鳴りながらも2人はたいして表情を変えていないし、位置も動いてない。
ただひたすらにブラナリは突き続け、ハンツはその度にさばいていた。2人からすれば準備運動レベルの打ち合いになるのだが、隊長の地位に恥じぬ、まさしく達人級の打ち合いだった。
ウルスラといえば、このレベルのやり取り、副官同士でもできる動き――さすがに洗練の度合いでは2人に敵わないが――は見慣れているのでとくに驚きはしなかった。だいたいウルスラは武術にはさほど興味はない。
驚きはしないし、技術に熱もあげないが、ただこれ以上速くなると目で追えなくなるのは想像がつくし、2人が“どこまで”腕前を披露するのかは少し気になるところではあった。
まさかお互い全力を出すわけではないだろう。その時は観客にもう少し離れるように呼びかけねばならない。
目で追えていないとその分対処も遅れるのでそこのところは気がかりだった。
観衆から息を飲んで見守られる中、攻防はしばらく続いたが、そのうちに“転調”があり、ブラナリが薙いでくる。
すぐにハンツは防御した。ハンツもまた転調に応え、手元に引っ張り込むべく少し引っかけるようにランスを誘導した。
そうして今度はハンツがバルディッシュを振り下ろして攻撃に転じた。木色の刃先が淡く光っていた。
《脳撃》――戦場なら相手の頭を砕く重い一撃だ。《冑割り》と同等レベルの初級の技だが、ハンツが使う技がそのようなレベルの域になるはずもない。だが、相手は同等の力量を持つブラナリだ。ブラナリはやすやすと盾で流してみせた。
その隙を逃さず、ブラナリはすぐにも連続突きを見舞った。再び《瞬筋》により難なくさばくハンツ。
かと思うとブラナリは盾で殴りかかる。ハンツは後ろに下がって避けた。次いで再び槍先が光り、数度の《神速螺旋突き》が繰り出されるものの、ハンツもまた同じように《瞬筋》で防御していく。
と、ブラナリは突きのあとに一呼吸間を置いた。
槍先が光っている。これまでと比べて最も強い光だ。
「おい――」
ハンツが呼びかけたが、ブラナリは構わずにハンツ目掛けて飛び掛かるように突く。
穂先が向いているのは足元、いや、地面だ――
ハンツは今度は防御はせず、後方に跳躍して避けた。これまでに散々達人級の防御術を見せたハンツだ、なぜ逃げたのか疑問に思った観衆は多かったかもしれない。
だが、一部の兵士はしっかりと予感していた。強い光――つまり、大技が来ることを。
ハンツが察知し、一部の兵士が察したように、ウルスラもブラナリのスキルの内容について理解していた。
戦場でもよく見ている地上で戦うブラナリを体現する技だったから。周囲の安全を危惧したが、しかし武人でないウルスラに彼らのような常人の域を脱した反応速度を起こすのは無理な話だった――
ブラナリのランスはあえなく地面に刺さった。と同時に刺さった地面からは光が溢れ、爆発でも起こったかのように地面が破裂した。
周囲にはたちまち土が爆ぜ散った。市民の観衆の一部から短い悲鳴があがり、顔を手で覆う人も何人か。
爆ぜた土が雨のようにぱらぱらと落ち、地面に還っていく。
ウルスラはいつもより爆発がずいぶん狭いことに安堵した。訓練用の武器だから威力が出ないのだ。
槍の刺さった地面にはじゅうぶんに水を溜められるほどの浅めだが広い穴ができていた。
《
「……やる気があるのは結構だが。みなの士気をあげるためにそこまでする必要があるか? 今ので槍が結構ガタがきただろう?」
と、ハンツが言うものの、ブラナリのランスには外見上は目立った破損はない。自前なら多少頑丈にしてあるのかもしれない。
「受ける自信がないか?」
ブラナリは皮肉的な笑みを浮かべた。
ハンツは小さく息をつき、煽ってくるブラナリを戒めるように石突で地面を少し強めに突いた。
「1つルールを追加しよう。ここは俺たちが本気で戦う場所ではないからな」
ウルスラは内心で安堵した。ウルスラの懸念事項はハンツもきちんと把握しているらしい。
ハンツがちらりと視線を逸らした。先にはブラナリの予備のランスがある。
「俺は今予備の槍が1本ある。お前はいくらでもあるかもしれないがな。兵士たちが訓練するための槍を俺たちであっさり壊してはな。……先に2本とも槍を壊した方の負けだ。相手から壊されるのはもちろん、自分から壊すのもだ。いいな?」
ブラナリはいくらか不服そうだったが、「ああ」と短く同意した。
何を考えているのか分からないが、いつもより少し理性的でなくなっているブラナリも武器の損壊があるなら実力を出し切らないだろう。勝敗にしても武器のせいにすることができ、七星と七影間でいらぬ流言が流布される懸念も薄まる。そして、実力を出し切らないのなら周囲の安全も保障される。
ウルスラはルール変更はこの場に適したものだと思って感心した。さすがハンツだった。
「……まあ。武器が壊れるまでは何しても構わんがな。見物客に怪我をさせるような真似はやめておけよ?」
ブラナリは「無論だ」と、薄い笑みを浮かべた。
ウルスラは肩をすくめた。さきほど感心したばかりだったが、やはりハンツもまた“武人の男”らしい。
七星・七影の隊長ないし副官、中でも武人の男たちに対してウルスラがなかなか理解が出来ない部分だった。武功は誰よりも上げるし頼もしくもあるのだが、彼らはどうにも戦いにおいて偏愛的な一面を覗かせることがある。ウルスラは自分の寝食を忘れることもある魔法への追求心を棚にあげてそんなことを思った。
――ルール決めをしたあとは明らかに動きが変わった。とくにハンツの動きが。
本格的に攻撃にも転じるようになったのだった。武器の破壊が勝敗を分けるなら、防御ばかりしていては勝てないだろうし当然だろう。
「――ふんっ!!」
ハンツは刃先の光ったバルディッシュを力任せに振り回した。
力任せではあるが、風を斬る音は観客に聞こえるほどに大きかった。優れた斧使いが得意とし、攻撃面に振りきれた技である《大顎斬》は、歴々の斧使いの豪傑が大型の魔物を粉砕してきた技でもある。
駆けていたブラナリだったが、急停止した。同時に軽くのけ反ったため《大顎斬》の刃先は鼻先ギリギリのところで届かない。
避けたあとにブラナリはすぐに《瞬歩》で駆ける速度を取り戻し、斧を振り抜いたばかりのハンツの元に《神速螺旋突き》を見舞った。
斧使いは隙が大きいのは言わずと知れたことだ。普通の斧使いならこの一撃により間違いなくやられているはずだった。
しかし“普通の斧使いでない”ハンツは《瞬筋》によってあり得ない速度で槍を手元に戻し、ブラナリの攻撃を流してみせた。兵士間で驚きの声があがる。
「これどっちが勝つんだ……?」
「さあな……」
近くの観衆の2人組がぼやいた。ウルスラには分からない。いつの間にか観衆の数は倍ほどに膨れていた。そこまで長い時間戦っているわけではないのに。
それにしてもウルスラはこのハンツの《瞬筋》を例の少年の速さが上回ったらしいことがいよいよ信じられなかった。ハンツと同等の者なら他国の者含めいくらかいるが、下した者となると近年ではいない。
訓練とはいえ、ブラナリは未だに《瞬筋》を破ってはいない。
つまり、少年がブラナリをも超えられる逸材であることは容易に推測ができた。……彼は何者だ?
そうしてウルスラの疑心とは裏腹に、戦いでは連続突きと防御がしばらく続いていたが、ある防御の直後、ハンツが再びあり得ない切り返しの速度で振り下ろしてきた。
刃先は淡く光っていた。《断罪》は斧ないし斧槍系のスキルの中で最も速いとされる技だ。
だがブラナリもまた反応し、盾を掲げて防御し、流してみせた。周囲から再び声があがる。
ハンツが達人ならブラナリもまた達人だが、下位スキルに相当する《警戒動作》だけでハンツの《瞬筋》の速度においつくのだから地力はブラナリの方があると言えた。そもそもブラナリが小柄な方で、身軽なことも手伝ってはいるだろうが。
ブラナリはそのままハンツの胸元に《神速螺旋突き》を見舞った。しかしハンツもまた離れ業を見せる。“柄でランスを弾き”、突きの軌道を逸らしてみせた。
観衆が固唾を飲んで彼らの妙技に魅入っている中、ブラナリも負けじと“裏拓”を見せた。タックルだ。単なる体当たり。さすがのハンツもこれには不意をつかれたらしい、タックルをくらい、よろめくハンツ。
その隙を逃さずブラナリは《神速螺旋突き》で追撃した。
ハンツは態勢を崩されながらもかろうじて流してみせた。さすがだった。だが。
「そろそろ壊れそうだな?」
ブラナリが言う通り、バルディッシュには大きな亀裂が走っていた。
「誰か予備のをくれ」
一瞬間があったが、すぐに兵士の一人が慌てて動き出し、ハンツに予備のバルディッシュを手渡した。
ハンツは斧の刃先を軽く眺めたあと、構える。
「以前にやった時よりずいぶん腕を上げたな。なかなか余裕がない」
「俺は城主はしてないからな」
ハンツは城主は忙しいぞ、と言葉を添えた。
「この手合わせに関してはお前に分があるように見えるが」
「……しょせんゲームだ」
「まあそうだが。……俺も訓練用を持ち歩くか。頑丈なのをな」
「そうしろ」
と、ブラナリの足元で緑色の光が光った。光はブラナリの脚部に収束し、渦巻くように脚の周囲を旋回した。
「精霊の力を借りるか。俺もいよいよ本気を出さねばいかんな」
「――そこまでっ!!」
そんな中、男の鋭い声が周囲に響いた。
豪華な金帯模様と赤竜を表すゼラニウムの刺繍の入った濃緑のケープを羽織った貴族だ。胸元には獅子のブローチがある。傍には別の貴族の男の他、バッツクィート子爵やイノームオークたちもいる。
「グラシャウス卿か」
ハンツは「ゲームは終わりのようだぞ」と言って石突を地面に立てた。
ブラナリも息を吐いて視線を落とした。脚部の緑色の光が消えていく。
ハンツの言うように、男はアンスバッハ王室の軍務長官のネーデル・グラシャウスだった。
グラシャウスが2人の元にやってきて訊ねた。
「ホイツフェラー伯、いったいこれはどういう成り行きでこのように?」
「兵たちの士気をあげるためだそうだ」
「“だそうだ”?」
グラシャウス卿はブラナリにちらりと視線を向けた。
「つまり、彼の誘いだと?」
「まあ、そうなる」
「珍しいな、君がこのような場を設けるなど」
ブラナリはグラシャウスと視線を合わせたが、言葉を添えないままにやがて視線を逸らしただけだった。
ウルスラも彼らのところに向かった。
「ウルスラ。君もいたのか」
「ええ。私はその場に居合わせただけですが」
グラシャウス卿はアゴを数度動かして納得する素振りを見せた。
「士気は上がるでしょう。確実に。ただ、もう少しお立場を考えていただきたいですね。歴史にも名を残すあなた方の影響は多大なものがありますから」
グラシャウスが責める風ではないが、いくらかたしなめるようにそう言葉を述べてハンツに視線を向けると、「分かったよ」とハンツは眉をあげて了解した。
グラシャウスが次いでブラナリにも視線を向けると、「了解」とブラナリは小さく息を吐いた。面倒な話だと言わんばかりに。
風が吹き、ウルスラは嗅ぎ慣れたにおいがグラシャウスから香ってくるのに気付いた。
チェリーワインの香りだ。店にはグラシャウスはいなかったが、店主の言っていた通り人気の酒らしい。ウルスラはこの後、店主と話をしにいこうと思った。仮になにか仕込まれているならもう遅いが、彼らの噂話に変な尾ひれがつかないように。
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