6-35 幕間:鴉の仕事 (4) - ゼロとバウナー


 バウナー・メルデ・ハリッシュは、ミンスキー城内の中庭のベンチに腰を下ろしていた。


 その身には、アマリア発祥のマラリック模様の他、七騎士の紋章と王家の紋章などが刻まれたミスリルの鎧があった。腰には狼型の魔獣リコポリス革のベルトと飾りのついた剣を2本下げ、筆頭騎士だけが着る高級なシルクワーム製の白のケープを肩には羽織っていた。

 部屋の外でサロモンを待っていたが、諜報員の一人から少し時間がかかると言われたので、退屈しのぎに出てきたのだった。その時になぜか従士のバッシュも部屋に入ってしまったので、バウナーは一人だ。


 サロモンは<白い嘴の鴉>の者や、彼らを統括しているメリアス諜報長官に、<山の剣>とのことをはじめとした今日のことを報告しに行っている。


(鴉の奴らはともかく、メリアスはどういう反応するだろうな。そこまで頭の固い人ではないが……金の上乗せはいいとして、<山の剣>を味方に引き入れる話はずいぶん大胆な話だ。山賊とはいえ、仮にもオルフェの者だからな)


 サロモンが言うには、《先覚鑑定》持ちの人物を見つけたことは大手柄だという。


 もちろんこれは、“地上人”の知らない古い文献と記録を知っている自分だからこその見解である可能性もある、とは崖人であるサロモンは付け加えた。

 メリアスは諜報員たちをまとめる人物らしく物も道理もよく知っている人物だが、《先覚鑑定》の存在を知っているとは限らないし、クラウスのみならともかく、山賊たちへの庇護案に理解を示すかどうかもわからない。確かにそういう類の者はいないこともないのだが、アマリア国内での話だ。


 バウナーもまあ思うところはあるが、クラウスを引き入れ、その末にアマリアの土壌が盤石になるのなら、味方にした方がよいと考えている。驚かされることも度々あったが、サロモンの判断はいつだって正しかったからだ。


 ふと背後から、空間が乱れる気配と、間もなく突如として何者かが現れる気配。


「日向ぼっこですか?」


 現れた馴染みのある気配と少々子供っぽい高い声にバウナーは振り返らずに、サロモンが話し込んでてな、と返した。

 確かにいい天気だが、現れた彼と違い、別にそういうことをのんびりと楽しむ趣味はバウナーに特にない。悪い気分ではないが。


「セティシアの兵士二人を始末しました。一人はセティシア兵団に所属している兵士で、一人はケプラに逗留していた傭兵ですがセティシア兵団に加わる予定だった男です」

「ほう。なんて奴だ?」

「兵士の方がヴァニ、傭兵の方がシリアコです。どちらもエックハルト警備隊長ほどの実力と見ます」

「知らんな。……エックハルトが2人か……先の戦いが楽になりそうだな。ご苦労だったな」

「はい。……あなたの元に、白竜様の御慈愛と御加護が訪れますように」


 バウナーはまあ、待てよ、と去ろうとしている有能な諜報員のことを振り返る。


 そこには任務から帰ってきたばかりなのだろう、薄灰色の牛革の鎧の上に薄いグレーのマントを羽織った、やや幼い顔立ちの青年がいた。

 バウナーは平凡な顔だと、唐突にふと思った。商人が多く、市場の治安も良いヘーゼル教区あたりで忙しそうにパンでも売っていそうなそんな庶民的な顔だと、そう感じる。


 そうした彼の顔立ちに対する平凡という言葉は、あくまでもバウナーの評価であって、他から言わせるとそうではないのかもしれないが、彼――ゼロの、謎の少年たちにより意図せず失敗したようだが<七星の大剣>を引っ掻き回せ、殺すことのできるほどの実力を見てると、もう少しなにか特徴のある顔つきをしていてもよいのではないかと、バウナーはふと思ったのだった。


 もっとも、<白い嘴の鴉>の実行部の諜報員には、暗殺と縁のなさそうな平凡な、あるいは地味な顔立ちの人物が他にもいる。

 暗殺をする人間が、目立つ類の顔――親の仇が目の前にいるかのように鋭く陰気な目つきをしていたり、いつもにやついて危険な香りがしていたり、あるいは一門の人物めいた存在感を垂れ流していたり――をしていたのでは、暗殺の仕事は変わり者しか相手にできないだろう。


 ゼロの顔立ちにいまさら違和感を覚えたのは、身なりの影響もあるだろうが、猫好きの彼の言うように、「良い天気」だからだろう。

 空は下で日々土地取り合戦をし、血に塗れていることが馬鹿らしくなるような快晴だ。そんな青空と――残念ながら彼は殺しのプロであり、素性を隠すプロでもあるが――彼のような剣もろくに振ったことがないような市民的な顔立ちはとてもよく似合っている。


 冬眠ばかりしているというジンラーダという古い竜の血は、バウナーに畏怖や嫌悪など極端な感情の中にその身を置かせると同時に、平和というものが何か、他の人とは違う方向から考えさせる機会をよく与えてきた。

 人口の増加、産業の発展、都市が安全になる、国民の性格が明るくなるなど、平和がもたらすものは色々とあるが、平和になって口の減らない貴族たちがますます饒舌になると、仕事のない時のバウナーの行き先はよく金巡りの悪さでは下から数えた方が早い貧乏教区のいくつかになっていた。


「ゼロ。お前は《先覚鑑定》って知ってるか?」

「サロモン様から聞くまでは知りませんでした。《鑑定》に上位のスキルがあるとは聞いていましたが」

「俺もさっき知ったよ。ロベルト公が持っていたスキルだと聞いた時には驚きはしたが、納得もしたな」

「私もです。まさか山賊が持っているとは誰も思わないでしょうね」


 そうだよな、と相槌を打ちつつ、ゼロがいつもよりも饒舌なようでバウナーは少し気分がよくなる。

 と同時に、胸騒ぎもいくらか。あまり自分の感情や主張を表に出さない奴、つまり<白い嘴の鴉>の実行部隊の諜報員たちが人間味のあるところを見せる時はよく仕事や戦いの前触れであったからだ。


「バウナー様」

「なんだ?」

「バッシュさんがあとで何か渡してくると思うので、必ず受け取ってください」

「何か? 曖昧だなそりゃ」


 そこで「何を渡すのか」を問わない辺り、バウナーはサロモンをはじめとした諜報員たちと日々付き合いのある男だ。彼らが隠す時は、隠すべくして隠す。それは王城内であっても変わらない。

 鴉の諜報員たちは何も殺伐とした仕事ばかりに精を出しているわけではなく、王侯貴族たちの痴情のもつれや“お嬢さん”の意中の相手の調査に駆り出されることもある。もちろん、政治的な目論見のための尖兵になることもある。


 なんにせよ、諜報なんてものは使用人や侍女がする単なる井戸端話の類も含めれば、王城内にどこにでもいる。各諸侯だって、使用人に料理人に植木職人に、馬番に、それぞれ諜報を忍ばせている。王城内で余計な話はご法度だ。


 また、彼らの仕事に無闇に首をつっこむほどバウナーは年と経験を重ねてはいないし、そもそも、なにかと首をつっこみたがる手合いではなかった。

 サロモンやバッシュくらいにしか言っていないが、首を突っ込まなければ平和は訪れやすいとバウナーは考えている。


「他になにかあるか?」

「いえ。……ではまた。あなたの元に、白竜様の御慈愛と御加護が訪れますように」

「ああ。お前もな」


 去り際の文句のあとになかなか去らないので、目線を戻してみれば、ゼロはまだ祈っていた。左胸に手を当てて、まぶたを閉じて。ゼロの敬虔さはバウナーが思う限りでは、特筆するほどではない。

 バウナーは馴染みの猫でも死んだのかと思った。以前に子猫が死んだときも、いくらか落ち込んだ様子を見せていたものだ。


「では」


 やがて目を開けたゼロが幻影魔法の《消散バニッシュ》により消える。

 バウナーは息を一つ吐いて、眼前に広がる<白亜の祈り庭>の美しい中庭の風景を目に入れた。


 右に左にアーチにと鮮やかな緑が取り囲んでいる庭だ。マラリック模様をはじめ、白竜と王室を讃える彫刻を彫った白い石柱が、最適とされる間隔をもって並び、庭を格調高くするのに成功している。

 この庭の空気が清廉で、そして瑞々しいのは、所狭しと植物たちがあり、日々水がかけられているのに加えて、庭の中心部に噴水と水堀があるからだ。西の砂漠の都市の庭園に影響を受けたらしいが、噴水で婚約を約束した貴族は後を絶たないという。


 この庭に初めて踏み入れた時には、バウナーは庭の美しさに感動したものだ。


 七騎士に入った頃は、いつか自分もこの庭で優雅に茶でも飲むんだろうか、などと当時は感慨深く考えたものだが、結局そんな茶会をする機会などはないまま、現在のバウナーは庭の風景にもなんとも思わなくなってしまった。

 元々小汚い街で育ったことが影響しているのだろうとバウナーは自身の洗練されていない感性に納得している。


 この低木や柱の群れにより迷路じみてもいる庭で護衛をすると、色恋にせよ、外交的な話にせよ、決まって距離を取ることになる。何かあった時に少々手間なので、それは気に留めてはいるが。


「バウナー様。メイデン王がお呼びでございます」


 使用人か何かが庭に来たなと思っていたら、王の侍女だったようだ。

 この分だと、サロモンを待つ必要はなくなっただろう。クラウスの件が王の耳に入ったのかもしれない。


「ああ、分かった」


 バウナーは白いベンチから立ち上がり、侍女についていく。さて、感謝の言葉でももらえるのだろうか?


 侍女は近頃王の傍でよく見かけるようになった鼻筋がよく通った美しい女だった。どこぞの小貴族の娘だそうで、明るいブラウンの髪が日光を受けて、その丹念な手入れの具合を露わにしていた。

 王にはまだ子がない。そもそも妃もまだだ。王家のために結婚だけでもしてくれというグラジナ皇太后や他の家臣たちの必死の言葉は、王には結局届いてない。あまり拒むとよからぬ噂が立てば、諸侯との縁も遠くなるということで、縁談は何度か受けていたが、先には進んでいないものらしい。


 まさか醜女の類が好みなどという話ではないように思うが、かといって、王の周りでとっかえひっかえ雰囲気の違う美しい女を揃えてみるのはあまり良い案ではないのかもしれないな、とバウナーは皇太后に内心で意見を寄せたりしてみる。


(王と貧民街育ちの自分の好みを比べるのもどうかと思うがな……)


 七騎士に入る前、バウナーはマズル家の次女ヴェロニカが気になっていた。美しいというよりは、愛らしい女だった。

 世間は「傭兵好みの気の触れた女」という言い草だったが、ヴェロニカは全く普通の、いや、貴族にしてはずいぶんお転婆で、冒険談の類を好む一風変わった令嬢なだけだった。


 気にかかるうちに、傭兵を諦めたら妻に迎えたいと考えたこともあった。マズル家とハリッシュ家の縁談、気の触れた女と貧民街出身の私生児の組み合わせなら、さほど問題もなかっただろうという思惑もあった。

 だが、バウナーが<金の黎明>に入隊し、筆頭騎士になっても、彼女はまだその傭兵――ウィルミッドなる男に気があるようだった。


 だから傭兵風情に頼らざるを得ないのだ、という臣下や貴族たちのマズル家への中傷の言葉をよそに、マズル家では二人の仲を認めているという噂も聞いた。

 事実がどうかは分からないが……ウィルミッドはフーリアハットの武家から名剣をもらったらしい。もはや単なる家付きの傭兵というレベルではない。もう縁談はとうの昔に諦めたが、バウナーはその傭兵の顔を一度くらいは見てみたいと思っている。そしてウィルミッドを地面に叩きつけてみたいという乱暴な気持ちが、少しだけある。


 と、マズル家のことを思い出していると、侍女の行き先が室内に向かわないらしいことに気付く。


「どこに行くんだ?」

「マーグレー庭でございます」


 マーグレー庭?


 庭とついてはいるが、ようは王室用の鍛錬場だ。景観も城内の中では地味な部類で、アマリア王室剣術の元になっている剣雄マーグレーの像が立っているくらいだ。


「王はなんの用向きか言ってたか?」

「いえ、私は呼ぶようにとだけ」


 慇懃な侍女の様子に、そうだよな、と思いつつ、クラウスの件ではないのかとバウナーは不思議に思う。誰か打ち合いでもやるのだろうか。決闘の話なども特に聞いてはいない。


 と、道中でバッシュが駆けてくる。サロモンたちと話すのは終わったようだが、焦っている様子だ。


「どうした?」

「バウナー様。これを。サロモン様から。つけておいてくれと」


 息を潜めながら渡されたのは短い飾りの金鎖だった。白竜教のアイコンの一つであるジルコン石から生えるように出ている翼が彫られている。裏側には、文字がびっしりと刻んである。バウナーは魔道具はからっきしだ。

 それなりに凝った代物のようだが……司祭たちが持っているものよりも彫刻が雑のようだし、別段珍しい物ではないように見える。ということは単なる媒体か。


 バウナーは筆頭騎士用のケープの内ポケットにでも入れておこうかと思ったが、ゼロから必ず受け取っておいてくれと念押されていたのを思い出したので、ベルトに垂らしておいた。近いうちに使うのかもしれない。


「では」


 これは何なのか聞こうと思ったが、バッシュは聞く暇もなく去ってしまった。庭の方ではなく、バウナーたちが来た方向に。バウナーには同行しないようだ。

 結局、金鎖もバッシュの言動もよく分からないまま、侍女とは特別会話もなく、何の用向きか思い当たることもなく、バウナーと侍女はマーグレー庭に到着した。


 廊下は少し物々しく、槍兵が数名いた。彼らの持っているハルバードは二対の刃に意匠が刻まれている良いもので、刃と穂先は白みがかり、輝いている。白竜の魔鉱石を混ぜたものだ。

 白竜の魔鉱石を混ぜた武器は普段は王の親衛隊が持ち、残りは武器庫に入れられたりしているものだが、彼らは親衛隊の兵士ではない。


 槍兵たちはバウナーに気付くと、小さく頷き合い、2人がバウナーの後ろについた。

 バウナーは彼らの挙動に少し違和感を覚えたが、王がいるからだろう。王の周りは、前王の頃よりも兵士が多い。


 兵士が多いのは、新王が若い上に戴冠間もないからであり、また、近頃は要人たちが入れ替わっているため警備が厳重になっているとは、バウナーも方々で聞き及んでいるところでもある。オルフェとの戦いが本格化することを見越しているのもある。


 お待ちくださいと次女が言うので庭に入る廊下で待っていると、しばらくして再び侍女がやってきたので庭に入る。

 バウナーは先で魔法を発動した気配、つまり魔力残滓があるのを感じ取った。魔導士でもいるのか?


 庭には既に察知はしていたが、ずいぶん人がいた。もちろん王もいる。


 王の他には、王の親衛隊数名と執政2名の馴染みの者に、財務官が1人、確か魔法学かなにかの学匠が2名と見知らぬ魔導士らしき者が5名いる。兵士もずいぶん多い。

 そして<黒の黎明>の党首のゾフィア・ヴイチックに、バウナーの後釜候補である<金の黎明>のレイダン・ミミットもいた。サロモンはいないようだ。バッシュも当然いない。


 面子を見て、バウナーはさすがにもうクラウスの件ではないだろうと踏んだ。しかしそうなると、何の用事なのかさっぱり分からない。


 やがて王がバウナーに気付いた。何か言いたげな様子だが、振り向いただけで特に変化は起こさなかった。バウナーが自分の前にやってくるのを待つようだ。

 他の者も似たようなものだ。兵士たちはバイザーを降ろしているのでよくは分からないが、ゾフィアはバイザーをあげていて少し怖い顔をしている。元々いつも怒ったような顔をしてるから気のせいかもしれない。


 バウナーはひとまず、王の前に膝をついた。


「バウナー。……貴殿の活躍ぶりは聞いた。やはり貴殿に任せると、万事早く片が付く。貴殿ほど頼もしい男を、私は知らない」


 言葉では褒められているはずなのだが、クリスティアン王の言葉は硬かった。表情も険しい。

 まだ25に満たず、ヒゲも少ないこの若き王は、戴冠前に比べてずいぶん表情が硬くなった。言葉遣いにしてもそうだ。もっとも、どちらも王らしく威厳のあるものにするという日々の訓練の賜物なのであって、悪いものではない。


 ただ、だからバウナーは、王の言葉からは彼の真意が分かりかねた。いつも通りという風にも聞こえなくもなかったからだ。剣を打ち合ったり、アマリアの今後について伸び伸びとした語り草で語っていたのは、いつのことだったろうか。


 バウナーは集まっている人の顔ぶれから、自分が呼ばれた意味がまだ判然としないため不安を覚えつつも、


「もったいなき言葉です」


 と、公の場でいつもそうするように、短く、だがきちんと王の耳に届くように明瞭に答えた。


 戴冠以来の若き王とその内政に対してバウナーは確かに思うところはあるが、全ての事案がそうだったわけではないし、なにもその顔に泥を塗りたいとも露ほども思っていない。

 王はまだ若い上に、戴冠してまだ三か月しか経っていない身だ。また、狂っているわけでもなければ、精神を病んでいるわけでもない。賢く、分別があり、そして勇気と決断力も兼ね備えた王だ。なにより、忠誠を誓っていた前王の息子でもある。


 バウナーは若き王の前で厳粛に膝をつくといつもそうであるように、初心に立ち返る半ば爽やかな気分に襲われた。そして、自分が主と仰ぐ彼は、立派な良い王なのだと思い込もうとしていた。

 今後、失敗や過ちもあるかもしれない。だが、修正もしっかりできる男なのだと。前王と同じくアマリア国民から愛され、導くこともできる王なのだと。自分のやわな忠誠心が霞む、偉大な王なのだと。殺されかかった時には自分が盾になるべき尽くすべき存在なのだと。


「……だが、もう貴殿の仕事振りを見れないのを私は少しばかり惜しくも思う」


 しかし王の口から出てきた意外な言葉に、バウナーは思わず顔を上げた。


(今、なんと?)


「<金の黎明>の党首であり、<黎明の七騎士>の筆頭騎士でもある貴殿の働きぶりと英雄譚はいつも私を驚かせ、心の内を湧きあがらせてくれたものだ」


 王は、バウナーの勘違いでなければ、毅然とした表情の中に確かに惜しむものがあるように見えた。

 サロモンにもこぼしたばかりだが……ついに剣を降ろすことになるようだと、バウナーは目線を落として小さく息を吐いた。


 “破る”という教義を守れず、周囲からは信仰心が薄いという噂も立てられている自分は王にとってもやはり目に余っていたのだろうと、バウナーは思った。

 半ば待ち望むような気持がいくらかあったとはいえ、今まで仕えてきた相手だ、バウナーはそれなりに悲しい気分に襲われた。


「まさか貴殿が反逆するとは誰も思わなかっただろう。我が国の英傑バウナー・メルデ・ハリッシュがまさかオルフェにつこうとはな」


 俺がオルフェにつくだと??


 唐突な言葉に再び見てみれば、王の顔には明らかな怒りが芽生えていた。

 バウナーは戸惑い、言われた意味がすぐには分からなかった。周りを見てみれば、集まっている人々にも同様に怒りや疑惑の感情が各々浮かんでいた。


 バウナーは王の言葉を頭の中で反芻した。全く心当たりがなかった。


(確かに近頃の王の内政に関して愚痴くらいは言っていたが……愚痴?)


「オルフェの間者と繋がり、山賊とも繋がっていようとはな。そんなことをしでかす男だとは思わなかったぞ」


(間者? 山賊? 間者は殺したぞ。<山の剣>とは口約束はしたが、それはまだ何も進んでいないし、そもそも鴉の代理はドラクル公とメリアスの指示だ。……なにかおかしい)


 バウナーは次いで、サロモンの「患者と疑われても仕方がない現場」という言葉を思い出した。サリア……。


「妻を迎えない男がろくなことをしないのは事実だったようだ。父王と同じく、私も七騎士には逢引も、所帯を持つことも許していたというのに。私も結婚を早めないといけないのかもな。……マルク財務官、貴殿らの慧眼には報いないといけないな。<白い眼のとび>だったか。設立を許可するぞ。監査の任を全うし、父王の善政が生んでしまった膿を取り除くことに注力せよ」

「王の御言葉のままに」


 監査という言葉と、聞いたことのない<白い眼の鳶>という固有名詞に内心のざわめきを禁じえずに見てみれば、財務官のマルクが王に向けて胸に手を当てていた。


 一瞬誰だか分からなかったが、顔はいくらか見たことがある、自分のことを煙たがっていた一人だと、バウナーは彼の顔を見て思い至った。

 だが、そんな人物は大なり小なり周りにはよくいたし、そもそも新しい組織を設立するほど事を荒立てることのできる男ならバウナーの印象に残っていたはずだった。バウナーはそれほど信用していたわけではないが、自分の周囲を見る目の無さを疑った。


(どういうことだ……?  確かにこうなる種を撒いたのは俺だが……)


 バウナーは次々と明らかになる事の運びの内情に、いよいよ混乱してきた。


「弁解の言葉もないか……。兵よ」


 前方から、いっせいに鞘から剣を抜く音がした。その音でバウナーの意識は条件反射的に、バウナーにここを戦場だと教えた。

 王の親衛隊や兵士、ゾフィアたちが剣を抜いたものらしい。槍兵たちがバウナーの方に駆けてくる。2人は回り込むようだった。


 しかしバウナーはろくに動けなかった。アマリアと王に敵対する意志なんてものは、元からバウナーにはないからだ。


「陛下! 私は反逆しようなどとは少しも」


 言い終わらないうちに、兵士が叫んだバウナーに四方から槍を突き付けた。ずいぶん長い槍だった。バウナーは焦りながらも自分が相手ならと納得した。


「反逆者バウナー・メルデ・ハリッシュ!! そのまま後ろに下がれ!!」


 バウナーの部下で、後釜候補でもあるレイダン・ミミットが声を張り上げた。見てみれば、彼は不敵な笑みを浮かべていた。

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