4-12 金櫛荘


 金櫛荘は、露店の呼び込みや大道芸などで賑わい、待ち合わせ場所にもなっているらしいウルナイ像のある十字路を左折した通りにあった。


 緩くカーブを描いている通りは、中央付近の通りとは違い、アパートっぽい縦長の住宅や店の類はほとんどなくなり、ネリーミアの店のような壁を塗装した二階建ての建物や、広々とした邸宅がよくあった。


 道路の石畳や建物の石壁など、他の通りのと比べてここのはよく整っている。

 建物は相変わらずオレンジ色の屋根は多いのだが、時折グレーや赤色の屋根がある。街灯の設置具合や、樹木の生え具合も実に落ち着いているし、少しお金を持っている層向けの閑静な住宅地といった印象だ。


「一転して静かな通りだね」

「そうですね。この辺りは店が少ないですし、裕福な方や現役を退去したご老人もよく居を構えているそうですから。逢引用の別宅や職人の個人的なアトリエや、下級貴族の蟄居先の一つでもあるとは聞いたことがあります」


 逢引用ね。

 貴族は、自分より下級の家や平民といい仲であるのを世間や身内に知られては色々と面倒になるとか、そういう類だろう。無実の平民の相手に対して、罪人に対するがごとく「かどわかした罪」だとかで、親が結構手ひどい仕打ちをするとかね。

 中央通りや市場の賑わいを見た後だと、少し寂しい感じもするが……自分の家は喧騒から少し離れたところにしておきたい気持ちはとても分かる。筋違いかもしれないが、俺は駅近や1~2階には住みたくない派だ。


「ま、アルマシーのようなうるさい奴は、年を食ってよぼよぼになって静かになってからでないと住めない場所だな」


 アルマシーがジョーラさん~と情けない声をあげる。笑いが起こった。


「あ、金櫛荘が見えてきましたよ」


 ハリィ君が言う先には、二階建ての大きな屋敷があった。

 金櫛荘は、横長の建物にこれまでによく見たロケット型の三角屋根の建物を両サイドに足した、言ってみれば、レトロな西洋館だった。


 半ばモザイク柄のようにしつらえられた茶系のレンガ、白い窓枠、グレーの屋根。建築様式的にはネリーミアの魔法道具屋の家屋とも似ているようだが、さすが高級旅館、門前はアーチ状になっていて、その上は二階のテラス、屋敷の前には鮮やかな緑と花の庭が広がっている。


 金櫛という名前からなんとなく派手なイメージを持っていたので、割と落ち着いた品のいい旅館の様子には思わず、おぉと声が出そうになる。

 今までは建物に関しては、石造りは小汚かったり、トイレや風呂がなかったり、屋内は薄暗かったりと、中世ファンタジー的世界観、もとい中世ヨーロッパな世界の悪い面ばかりにあてられていたが、ようやく想像していた衣食住が最低限整った中世ファンタジーな暮らしを堪能できそうなきがする。トイレ付きだしね!


「似たような建物はあったし、そんなに珍しいものでもないだろうに。ほら、行くぞ?」


 すっかり眺めていたらしい。姉のような笑みをこぼすジョーラに手を引かれつつも、目は離せない。

 あ、馬車がある。厩舎の馬車より全然いいものだな。旅館付きの馬車か? “いいご身分”になれるなっ!


 エントランスのアーチ門をくぐり、扉を開けて屋敷に入る。


 白壁とウォルナット系の暗めの上品な木材で覆われた屋敷内――ロビーは、しっかりとガラス窓があるため日光が入り、とても明るい。

 天井からはヴァイン亭のよりも数倍豪華なアール・ヌーヴォー的な曲線美を描いた金属製のシャンデリアが人房下がり、壁にも金色の金属の意匠を施した灯りが多数あって、明るすぎるくらいの異彩をもって室内を照らしている。

 煌びやかなのは、棚の意匠やらフロントのカウンターの縁やら、金属製の大きな獅子の置物やら。金属細工が要所要所で輝いているからのようだが、家具一つ取っても精緻なゴシック的な彫刻の意匠が至るところにある。察するに家具や調度品も高いものばかりなんだろう。


 これはすごい……。こういうとあれだけどヴァイン亭は相手にならないね。


 床は大理石か何かなのか、磨かれた白い石畳が所狭しと敷かれている。

 隅には角がしっかり取れた質の良さそうなテーブルと、座面がふんわりと突きだしたアンティークなイスがある。下にはガンリル邸で見たペルシャ絨毯っぽい柄とは違うようだが、幾何学模様をこさえた赤い絨毯が敷かれている。少ないが観葉植物もある。

 内装は落ち着いた外観からすると、少し派手めにまとめているらしい。ヴァイン亭はもはや完全に食堂になっていたものだが、現代でも経営してそうな西洋風のクラシカルなホテルのロビーだ。


「珍しいかい??」

「うん、とても。びっくりだ」


 俺の感動と高揚のにじむ、だが言葉少なな解答にジョーラが満足気にニコリとする。いまさらではあるんだが、ヨーロッパ旅行をこっちで済ますとは思わなかった、そんな気分。


 ただ、壁に張られた鎧を着た騎士同士の戦いを描いた1枚の大きな絵画を見て、俺が今いる世界の現実を少し突き付けられもする。

 右にいる騎士の後ろには、味方なのか、口から火を吐いた赤い竜がついているからだ。反対の騎士には代わりに杖を持った人間の魔法使いがいるんだが、引け腰で、味方としては少々心もとない感じがある。


 あの騎士の後ろにいる赤い竜は、たぶん七竜の赤竜だよな?

 写本的な平面的な絵柄だし、メイホーの役所で見た角もなければ優美でもなかった銀色の竜の絵のように、変わった特徴らしいものはないが……。


「いらっしゃいませ」


 絵画を眺めていたところで、屋敷の人間から声がかかる。


 声をかけてきた白髪混じりの茶色い髪を撫でつけた男性の声が実に落ち着いていたのと、彼の服装がまだ一回しか見ていない執事服だったことで、俺の気持ちはいくらか日本のサラリーマンのそれに戻った。


 白いシャツ。紫がかったグレーのベスト。黒いパンツ。

 彼の着ているシャツには「襟」がしっかりある。構造的には、ジャケットは着ていないが、ネクタイがクロスタイになっただけのビジネススタイルといった印象を受ける。

 ただジャケットの襟は妙に大きく、なだらかな曲線を描いていて、ビジネススーツのようなパリっとした印象ではなく、柔軟性や安心感といったものを見る人に感じさせる。こういうのが執事服だというのを実感させられる衣類だ。燕尾服ってどんな形をしていたっけ。


「本日はどういったご用向きでございましょう?」

「4名泊まりなんだが、部屋は空いているだろうか?」

「4名様でございますね。空いておりますよ」

「では、頼む」


 ハリィ君が白髪混じりの男性――情報ウインドウによれば、ゼイアー・マクイルという名の支配人に声をかける。54歳らしい。


「どちらの方がお泊りになられるのでしょう?」

「ああ、大勢で来てすまない。こちらの4名だ」


 と、ハリィ君が俺たちに視線を促した。


 シワの寄った淡褐色の目とかち合う。髪こそもうだいぶ少なくなって額を見せつけているが、表情にはまだまだ溌剌としたものがあり、若い頃は計算高かった印象もいくらかある。

 彼の目線はイン、そして姉妹へといったようだ。そうして、畏まりましたと、目線を伏せるマクイルさん。

 ダークエルフには特に驚かなかった様子だ。さすがベテランのホテルマン。ちょっとこなれ過ぎている感もあるが、貴族も泊まるような高い宿だとすれば納得の対応だ。無茶言いそうだからな、貴族。


「部屋割りはどうされますか?」


 ハリィ君が見てくる。


「2人部屋を2つお願いできますか?」

「はい。問題ございません」

「部屋割りは俺とイン、ディアラとヘルミラで」

「畏まりました。……何か御座いましたら、拝見致しますが」


 そう言って視線をハリィ君にやるマクイルさん。何かとは?


「ああ。ジョーラさんお願いします」


 ハリィ君から言われたままに、ジョーラが腰のベルトから下がっている革袋の一つから、指輪入れと似た高価そうな小さな箱を取り出す。

 開けて出てきたのは、金色に輝くプレート――白い獅子ラオリオンの顔の後ろに二本の槍が立っている彫り物がされたこれまた高そうな代物だ。七星の大剣の印とやらかな。


「し、失礼して……」


 少々狼狽した様子のマクイルさんが、胸から方眼鏡を取り出して、ジョーラの手にあるプレートを観察する。


「裏返して頂いてもよろしいでしょうか」


 慣れているのか、言われたままにジョーラがプレートを裏返す。支配人はしばらくすると目を大きくさせて、なにやら頷いた。

 何か書いてあるのか、彼はしばらくすると目を大きくさせて、なにやら大仰に頷いた。偽物を持ち込む輩とかいるのかな。


「拝見致しました。七星の大剣は槍闘士スティンガーであらせられますジョーラ・ガンメルタ様でございますね」

「そうだ。こいつは副官のハリィだ」


 ハリィ君が頷く。やはり七星の印だったようだ。

 それから俺たちのことも軽く紹介された。


「申し遅れました。私はこの金櫛荘の支配人を務めております、ゼイアー・マクイルでございます」


 改めてマクイルさんが恭しく頭を下げる。


「ああ、よろしく頼む。我々は今日は付き添いなんだが、彼らの中には成人がいなくてな。……それとダークエルフの二人は詳しいんだが、ダイチ殿とイン殿はケプラはほとんど初めてなんだ。何かあれば色々と助けてやってほしい」

「承知致しました」


 まぁ……少年少女だけだもんな。

 ハリィ君も気を使ってくれていたようだが、……それにしてもジョーラまでもとなると、なんだか心苦しいよ。気遣いは嬉しいんだけどさ。


「ダイチ、金はあるか?」

「あるよ。えっと、マクイルさん、一泊8,000Gでしたっけ」

「左様でございますが……よければ、特別なお世話をさせていただきますが……」


 そう言いながら、マクイルさんの目がジョーラの方に行った。権威が相手だからだろう、上目遣いでジョーラを見る彼は初見の知的な印象からすると少々卑屈だ。特別なお世話?


 ジョーラが困った顔で俺のことを見てくる。VIP待遇とかか?


「ああ、是非そうしてほしい。上乗せ分の代金は私の名で請求してくれていい」

「め、滅相もございません。あなたがたにそのようなことは」

「そうか。なんにせよ、さきほどうちの槍闘士殿も言ったが、彼らはこの地の利がない。配慮してやってほしい」


 マクイルさんが畏まりましたと、少々大仰に頭を下げた。内容は察したが、なんか悪いことをしてる気分になってきた。


「ダイチ様、馬などはございますか?」

「あ、いえ。この4人だけですね」

「畏まりました。何日お泊りになりますか?」

「とりあえず2週間を予定していますが、大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありません。14日間でございますね」


 となると、あー…………44万8千Gか。こんな大金使うの初めてだな。


 魔法の鞄に手をつっこむ。インベントリのウインドウを見たまま、「44万8千Gを取り出す」と念じる。

 間もなく手の中には複数の金貨の重みが加わった。取り出して、合っているはずだがお金を数える。

 金貨4枚に銀貨1枚、銀銅貨8枚。OK。


「これで足りるはずです」


 と、マクイルさんに渡そうとしたんだが、ジョーラは俺の手元を見て、マクイルさんもジョーラほどではないが驚いていた。他のジョーラ部隊の面々はもちろん、姉妹ですらも固まっているようだ。


 なんだ?


 インは興味がないのか、絵の1つを眺めている。中央にクリムトの「生命の木」めいた色とりどりの模様の入った樹のある絵だ。


「ダイチ、メイホーの商人から紹介されたっていうから、てっきり手形も持ってるのかと思ってたよ」


 手形?


「あと、あまり言いたくはないんだが……大金を鞄に入れてるのはおすすめしないぞ? ダイチだったらそうそう盗られることもないと思うが……」


 ごもっとも……。


 あ、ああ、あれか。今の俺は、車を現金一括で購入するようなものか? いや、でも魔法道具屋でも8万ちょっと使ってるから、……桁が違うか。


>称号「現金と一括が好きです」を獲得しました。


 金持ちは現金払いの奴はいないって言うけどな。キャッシュレスの浸透していない日本だと、そういうものでもないようだけども。


「計算がお早くて助かります。拝見してもよろしいですか?」

「あ、はい」


 そんな俺をよそに落ち着きをマクイルさんは取り戻したようで、金貨の1枚を手に取る。

 マクイルさんは再度片眼鏡で金貨を観察しながら、何やら頷いている。この分だと、偽造品とかもあるんだろうか。


「大変失礼致しました。確かに正真正銘のオルフェ金貨でございます。お待ちください」


 金貨1枚で検分を終えたらしいマクイルさんは、台の下からベルベットの布を張ったお椀型の容器を持ってきた。手には巾着袋がある。ここに硬貨を入れてくれということだったので入れた。ファンタジー作品かなにかで見たやり取りな気がするが、大仰だ。


 再び少々お待ちくださいと言って、マクイルさんは巾着袋に硬貨を全て入れたかと思うと、受付台の上にあったベルを振って鳴らした。

 ベルはハンドベルなので、鳴る音もそうかと思っていたんだが、風鈴のような、ずいぶん心地の良い音色が鳴った。そして屋敷内のどこかからも同じ音が鳴ったようだった。


 なんだろう? ジョーラ部隊はもちろん、姉妹もインも動じている様子がないので、インに肩を叩いてこっそり訊ねてみる。


 ――あのベル、魔道具か何か入ってるの?


『魔道具というか、ただの石だの。そこら辺で拾えるもんでもないが。中に共鳴石があるんだろうの』


 ――共鳴石?


『うむ。今のように、一定範囲内であれば、共鳴石同士、音を伝える石だの』


 ――へぇ……用途の広そうな石だね。


『そうだのう。宿などで使うのがまあ一般的なようだが、山に入る時に持ったり、子供の買い物が心配な親が持たせるとは聞いたことがあるの』


 ――ああ、簡易GPSね。


『じぃぴぃえす?』


 ――インが俺の位置を把握できるようになる機能かな。


『ほう。それは便利だのう』


 間もなくして現れたのはメイド服の女性だ。今ので呼び出したらしい。


 執事服と同じく、メイド服もしっかりとあるようだ。

 執事服同様、メイド服も特に詳しくはないが、スカートは広がっていないし、頭につけるやつや刺繍こそあるものの、そこまでこじゃれた雰囲気はない。

 ギルメンにメイド服が好きな人がいていくらか画像を見せられたことはあるが、だいぶ控えめなクラシカルな様式なように思う。


 女性はもうあまり若くはないようだが、若い頃は美人で鳴らしていたと十分に想像できる端正な顔立ちをしている。

 髪はまとめているのだが、頭頂部でぐるりと回している編み目が覗いている。メイド服が、マンガやメイド喫茶で見かけるようなふりふりで飾りの多い可愛らしいメイド服だったらちょっと似合わなかっただろう。


 女性は手に大きめの宝石箱を抱えている。何だろう。


「筆頭使用人のルカーチュです。彼女は屋敷内のことであれば何でも知っています。何か御申しつけがあれば、何なりと申してください」

「ルカーチュと申します。お見知りおきください」


 ルカーチュさんは宝箱を腰元で持ったまま、目を伏せて品良く軽く頭を下げた。俺も礼を返した。


「ルカーチュ。ダイチ様、イン様、ディアラ様、ヘルミラ様の4名様です。馬なしで2週間のお泊りです」

「畏まりました」


 ルカーチュさんが宝石箱を開くと、マクイルさんは中に現金の入った巾着袋を入れた。保管箱だったようだ。ルカーチュさんは再び軽く頭を下げた後、引き下がった。


「部屋や屋敷内のご案内はすぐにできますが、どうされますか?」

「あっと……ジョーラたちはすぐに出るの?」

「ああ、すまないが……」

「じゃあ、見送るよ。すみませんが、マクイルさん、そういうわけなので案内とかはあとでお願いします」


 マクイルさんが畏まりました、と微笑する。


「いや、ダイチ、そういうわけには……」

「ん? 別に気にしないでいいよ?」


 ジョーラは妙に狼狽えている。なんだろ。

 ディディが後ろにやってきて、「姉さんは君との別れが辛いのさ」と俺に一言。……なるほどね。


「おい、ディディ!!」

「姉さん、ここは高級旅館なんですから声を抑えないと」


 ディディの言葉にジョーラはぐっとこらえる。恨めしそうにディディを睨んでいたが、俺を見たあと、口を突き出しながら目線を逸らした。耳が垂れる。


 ディディ、また羽交い絞めになっても知らないからな?


>称号「ホテル暮らし」を獲得しました。

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