5-11 ソラリ農場 (5) - エルマの悩み


 それ、騙されたんとちゃう? と、気軽に言えればいいんだけど。


 伝えるだけならわけもないんだけど、エルマは寡婦の悲しみにつけこまれたことになる。さらには未遂とは言え傷害事件を起こしている人でもある。

 俺には実害は出ないだろうけど、ここの人たちは違うし、伝え方によっては主に精神的な方面で尾を引かないとも限らない。言いづらいよ。色々と。


 つい勢いで制し、気付きも与えてしまったためか、ソラリ氏は黙ったままエルマを疑いと気遣いをどっちも含んだ微妙な眼差しを向けている。フロレンツも同様だ。

 二人とも怒る様子がないのは幸いだ。得体のしれない病気による不安もあるだろうが、エルマはしっかり家族から愛されている。


 ソラリ氏と目が合う。が、すぐに視線を落とされ、エルマの方にいく。深刻な顔をするばかりでソラリ氏から言葉は出てこない。

 フロレンツの方はソラリ氏ほど渋面を見せているわけではないので分からないが、ソラリ氏は俺と同じように、エルマをなるべく傷つけないように事実を伝えるためにはとどう切り出したものか考えているんじゃないかと思う。


 エルマは相変わらず俯いたままだったが、不安からか、ソラリ氏やフロレンツに視線を行き来させていた。俺と目が合うとまた伏せてしまったが……。


 ムラウの言っていた病気はないと思う。体内を調べられないので100%ではないが、かなりの金額を搾取しているし、まあ嘘だろう。

 毒はともかく、呪いの方は詳しいことを知らない上に、超常現象的な側面も持っているので気にはなるが、エルマの容態は健康そのものに見えるし、毒や呪いの類はゲームでもある状態異常なので、姉妹が詐称していた幻影魔法やジョーラのかかったアトラク毒のように、情報ウインドウの状態項目で表示されている可能性は非常に高い。


 問題は、伝え方か。


 あなたは騙されていたし、病気も嘘ですよとストレートに言ってしまうこともできる。

 他人だからこそそういう風にストレートに言うこともできるんだが、ただ、そうなると、1年間黙っていたエルマの孤独の日々をむげにすることになるし、そうなると話も聞いてもらえなくなる可能性もある。


 もっと言うと、エルマが暴れるなりどこかに行ってしまうなり、彼らの和解が遠ざかったり、家族仲に致命的な亀裂が走る可能性もなくはない。それは避けたい。農場に何度も足を運ぶ予定は特にないが、後味が悪すぎる。


 ……先に病気の方から攻めるか。


 話す上で留意しておくべきなのは、彼らの会話から察するに、感染症というものは認知しているが、この世界の人々に言わせればそれは魔物の魔力が体を蝕んだように、「何か体に悪影響を及ぼすもの」といった認知に留まっているということだ。


 細菌がどうのこうのという話のレベルではない。遊牧民なので、あまり信頼度の高い線ではないが、ジョーラや姉妹が煮沸で菌が死ぬのも知らなかったしな……。

 顕微鏡で細胞を確認し、医療に生かしている文明とは思えないし、俺が出来たように、《体内魔力感知》などで悪いものの存在を認知している程度だろう。そしてそれを治療するのは、魔導士とか浄化師とかだという、そういう世界だ。


 エルマが1年間黙っていた理由が気になるけど、単にソラリ氏から怒られるからとか、騙された自分がみっともないからとか、そんな病気がないと立証できないからとか、そういう内容なら何とかなる可能性は高い。


 少し話すことを整理しよう。…………OK。


「……エルマさん。人の体って何で出来てるか知ってますか?」

「え?」


 唐突な俺の質問にエルマは顔を上げた。エルマは当然のように怪訝な顔をしていたが、「骨とか……筋肉?」と答えてくれる。でだしはいいな。


 俺は出来る限り穏やかな表情と言葉になるよう努めた。


「はい。骨や筋肉、臓器、血管、それから体液などの水分で出来ています。こうしたものがどうやって健常なまま維持できるのか分かりますか?」

「……パンやスープを食べて?」

「そうですね。パンや肉、野菜や果物、あるいはお酒などの飲み物が体内、つまり胃に入り、消化され、そして栄養やエネルギーとなって、血液を通して体中に行き渡ります。その栄養やエネルギーが、骨や筋肉や臓器が正常に動くよう保つのです。だから食事を全くしない人は当然不健康で体力もありません。栄養もエネルギーも、その人の体にはほとんどないことになりますからね」


 唐突な話に、ソラリ氏、フロレンツ、フリード、そして姉妹から奇異の視線を浴びているのは分かっていたが、無視する。

 説得は勢いが大事だ。ただ、あまり衒学的にならないように注意しよう。脳も舌もしっかり回るようなのだが、なんというか、少々回りすぎているきらいがあるようだ。半分子供みたいなもんだとはいえ、若いと舌もまわるらしい。


「少し話は変わりますが、感染症ってどういうものか知っていますか?」

「どういうものって……病気でしょ? 毒や呪いみたいな」


 毒と呪い基準なのか。


「毒や呪いもですが、……くしゃみなどの空気感染や、傷口を触ったりタオルを使いまわしたりした際の物理的な接触などで感染してしまう病気です。フリードさんに接触することで病気が移されるなら感染症だと思いますが……こういった感染症、ご存知ないですか?」


 エルマは知らないわよ、と不安げにこぼした。


 やっぱりないんだな。てか、魔物の魔力による影響なら、これもまた立派な空気感染か。


「病気にも色々あるんですよ。魔物の魔力によるものもそうですが、食べ物にあたったもの、加齢からくるもの、お酒を飲みすぎたことによるもの、外傷によるもの、などですね。……感染症というものは、外から病気の元になる細菌というもの――人を病気にする毒のようなものです――を体内に運んできてしまったがために発症する病気に該当します。……外から体内へ細菌を運んでくるって、何が細菌を持ってくるか分かりますか?」


 周りの人は口を挟む気は特にないようだ。ありがたい。でもかえってプレゼンよりも緊張するよ。


「……動物や魔物かしら? 動物でも噛まれたらすぐにワインか水で洗えってルドも言ってたし」


 ワインは殺菌用途か。

 それにしても魔物には噛まれたくないな……魔物の魔力で何らかの病気を発症してしまうこともあるようだし、何を持ってるか分かったもんじゃない。ルドは旦那さんかな。ともかく話に乗ってきてる。いい調子だ。


「動物や魔物もそうですね。実は、食べ物もそうなんですよ」

「食べ物も??」

「はい。パンは麦から出来ていますが、麦が細菌を持っていたら、私たちは大なり小なり、それを体内に入れるわけです。肉と同じですね」


 エルマが一瞬考え込んでいたが、すぐにあっ、と分かったような顔をする。俺は頷く。


「食べ物の他には、さきほども言いましたが、近くにいる人のくしゃみや傷口に触れることの他、人の肌に触れる虫や食料をかじるネズミなどの小さな生き物が細菌を運んでくることもあります。家畜もそうです。細菌を持った家畜の肉を食べると、人間の体に細菌が侵入することになりますからね」


 ソラリ氏が腕を組んで大きく頷いた。エルマもフロレンツも、そして姉妹も興味深そうにしている。


「そうした経緯を経て体の中に細菌が入り込んでくるわけですが、では、感染症を予防するためには何をすればいいと思いますか?」


 参加しそうな聴衆が増えてしまったので、俺はエルマが答えるようにエルマを見て言った。


「えっと……なるべく食べない……くしゃみをしない……そんなの無理よ」


 マスクは今のところ見ていないが、簡単に作れるだろう。くしゃみで病気が移ることを知らないなら、ないのも道理だ。


「そうですね。そこまですると人間は生きていけなくなるので……病気をした家畜は食べない、植物はそのままでは無闇に食べない、傷口はすぐに水で流す、外から帰ってきたら手洗いをする。ひとまずそういった身近に出来る対策で十分です。感染症が跋扈しているような土地にはそもそも人間は住みませんからね。もちろん獣人もでしょう。もちろんそれと知らずに住んでいる場合は除きますけど」

「あなたエルフの医者の知り合いでもいるの??」


 エルマがいくらかの驚きの表情を含ませた怪訝な顔でそう訊ねてくる。

 エルフ? エルフの医者は進んでるのか? ちょっと分からなかったが、味方にしておいて損はないだろう。ええ、まあと肯定した。


「……ちなみに魔物や動物に引っかかれた時は、包帯も適宜替えた方が安全です。勿体ないかもしれませんが、魔物や動物に引っかかれた時に侵入した細菌が包帯に付着しているかもしれないからです。いつまでも血のついた包帯を巻いたままだと、血液内の細菌も体内に侵入しやすいですからね」


 なるほどね、とエルマが神妙に頷く。ちらりと見ると、周りの皆も各々頷いていた。


 さて。閑話の蘊蓄は語り終えた。


「感染症は、土地と非常に関わりの深い病気だったりします。なぜなら、植物が持っているにせよ、動物が持っているにせよ……その土地に人体に有害な細菌があった場合、人が住むと、植物や動物つまり食べ物や飲み水など色んなものを通じて、感染症患者が広がってしまうからです」

「……何が言いたいのよ」


 エルマは分かりやすく目を泳がせた。


「フリードさんはソラリ農場に勤めて30年になるんですよね」


 フリードの方を向くと、おずおずとだが頷かれる。


「皆さんと寝食も共にされていますよね。ということは、フリードさんと皆さんでは食べているものにそんなに違いはないでしょう?」


 フリードは頷き、ソラリ氏が「その通り。全く一緒だ。私たちは種族の垣根を越えた家族だからな」と、満足げに頷かれる。フリードをちらりと見ると、さすがに嬉しいようで、いくらか表情が緩んでいた。


「……感染症って、多くの人に同時期に発症することが多いんですよ。それも非常に短い期間で。なぜかというと、感染症は早ければ1日、長くても2週間程度で発症するからです。細菌が1年間もの長期間の間、潜伏し続けるといった話は少なくとも俺は聞いたことがありません。……なのでもし感染症が存在していたのなら、既にフリードさんをはじめ、皆さん病気になっています。下手したら、ケプラの人々も同じ症状を発症していたでしょう。この農場とケプラは距離的に近く、生活環境も似ているからです。近いか遠いかというのは、感染症では非常に大事な要素なんです。近ければあっという間に感染していきますから。……つまり」


 エルマの視線は俺になく、石像か何かのように俯いている。

 一息ついて、俺が獣人の病気は嘘です、と言おうとしたところで、エルマが顔を上げた。くたびれたような笑みだ。


 俺は再び穏やかな表情と声音になるよう努めた。


「……エルマさんは優しい方ですよね。1年一緒に過ごしてたら、さすがに分かっちゃいますよね。感染症の話は嘘だって。……辛かったですよね、ずっと一人で抱え込むって」


 エルマが、「ねえ、ダイチ君」と声をかけてくる。震えた声だ。


「……私ただの居候してる女よ? 別にあなたみたいに若くもなければ賢くもないし、エミリアみたいに器用でもないし、美人でもないし……料理も大して上手くないし、裁縫も苦手。寡婦になっていよいよ嫁の貰い手もなくなったのよ? そんな女を愛する気もなくそんなに優しくしてどうするの? あなたが私を貰ってくれるの?? 貴族様がありがたがるご高説だったでしょうに」


 自嘲的にへらっと笑うエルマに、バツイチになって結婚にまつわるしがらみから逃れて楽になりたいと言っていた別部署の女性二人を思い出した。

 聞いたときは多少納得できる部分もあったものだが、今となっては少しくらいは彼女の慟哭を聞かせてやりたいと思う。聞かせてもあまり効果なさそうだけどね。むしろエルマが二人の考えに賛同してしまう気もする。


「……あなた損する子よね、きっと」

「……治したいと思った時期もありましたが、もう諦めました」


 エルマのやり返しに、俺は苦い顔をした。これを俺自身が人助けだと大して実感していない辺りがな。線引きはするようになったけれども。


「ふふ。あなたまだ子供でしょうに。それとも亜人の血でも入っているの? ……最初はそうは思わなかったけど……ルドに少し似てるわ、あなた。……あの人はね、友達や部下をかばってよく怪我していたの。バカよね。私たちには子供もいなかったのに。……私はそんなあの人を殺したこの世界が嫌いよ。とても嫌い。……ごめんね、フリード。……きつく当たって。……ごめん、なさい……」


 エルマはフリードにそう言って、静かに泣き出した。


 旦那さんいい人だったんだな。さぞ悲しかっただろう。

 それにしても亜人の血が入っている、か。人間かどうか色々と疑いをもたれ始めたら、それ使ってもいいかもしれないなぁ……。


 フリードはエルマのことを慰めようとしたのか、手をあげかかったが、下ろして困ったように、お願いしますとでも言うようにソラリ氏を見た。ソラリ氏はエルマの元に行って肩を抱いてやった。


 あー俺もなんか悲しくなってきた。今の俺、感傷的で困る、ほんと。


>称号「見て見ぬふりができない」を獲得しました。

>称号「弁論家」を獲得しました。

>称号「名探偵」を獲得しました。



 ◇



 樫の木に背中を預けて、姉妹と三人でヘルミラに剥いてもらったビワを食べながら、クラウディアさんとエミリア、ハウマンの三人が牛の乳絞りをしているのを眺めていると、フリードがやってきた。


「ダイチさん。少しお話いいですか。……顔を出してほしいと言った件です」


 ああ、あれか。俺は頷いて、地面だが座るようにフリードに勧める。この樫の木周辺の地面は草の丈が短く、座るのにちょうどいい場所だ。

 ソラリ氏やフロレンツにちょっと変な顔をされたけど、牛やヤギはあまり見たことがないからのんびり観察したいというと納得してくれた。ビワもソラリ氏からもらったものだ。


 ちなみに、この辺に生えているのは《植物学》によるウインドウによれば、ハルガヤとかヒメクグとかいう草らしい。

 形こそ馴染みがあるものの知らない草だ。元々大して植物に詳しいわけじゃなかったけどね。ラオリオ――この世界版タンポポのこと。見た目は一緒――もあった。


 フリードに木皿を渡してビワを勧めるも、大丈夫ですとやんわり断られる。美味しいのに。


「ダイチさんは魔物の討伐の経験がありますか?」


 用事は魔物討伐か?


「一応ありますが……」


 狼だけだけど。あと、竜。


 フリードは納得したように数回頷いた。それから眼差しを緩め、ずいぶん好意的な表情を俺に向けた。

 なんで魔物討伐ができると? ……ああ、エルマの暴行を止めた時か。二人も武器持ってるしね。


「お二人も?」

「ええ、俺ほどではありませんが」


 ディアラが意気込んでフリードに両手の拳を握って頷く。フリードはにこりとした。

 そのアイドルポーズ好きだよね。可愛いけどさ。


「実は私は、……友人と攻略者パーティをケプラで組んでいるのですが、昇級のために魔物の討伐に手を貸していただきたいのです」


 パーティ? もちろん飲んで騒ぐアレじゃないだろう。

 いくらでも使った言葉なのに、なんだか遠い世界の言葉のように思えた。オンゲは中学生の頃から親しんできたのになぁ。

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