7-27 すれ違う思惑
「1時間もかからんと思うが……良い子にしておるのだぞ!」
インが《
「分かってるよ」
信じられないのか、インはベッドに座っている俺のことをしばらく見ていたかと思うと、眉から力を抜いて息を吐いた。
黒い姿見鏡に入っていくイン。顔を出しているゾフと目が合って、さよならと告げられる。
インは用事で出かけることになった。用事とは、昨夜のセイラムの守り人事件のことだ。
インの用事、つまり仕事は、七竜にも迫るレベル90台の“彼“のような魔物が再び出現しないように、不死者の森となっているヴァーノン小山の一角を浄化することなのだが、なんでも、ヴァーノン小山の周辺調査の際にミノタウロス――クライシスでは「スカルジェネラル」であり、ロダンと言う名の騎士だったが――の彼の骨が見つかったらしい。
彼の骨は浅い地中にあった。誰かが埋めたわけではなく、おそらく足を踏み外すなどして崖から落ちるか窪みにはまるかし、そのまま土砂に塗れたのだろうとのこと。
彼自身は「俺の骨などどうでもいい」と言っていたものだが、森の不死者の元締めとなっていた彼の遺骨は最重要アイテムだ。森の浄化のためには、彼の遺骨から付与された死霊術を解呪しなければならない。
だが、解呪しても元締めがいなくなっただけであって不死者たちは活動をし続けるし、死霊術の痕跡も残る。また、同じように、魔導士サラの術式が直接付与されていた2体から術式は消すことはできるが、他の不死者たちの“繋がりの痕跡”までをどうにかするとなると途方も知れなくなる。
この繋がりの痕跡が残っていることにより、単に年月や、森を荒らされる、あるいは森で殺戮が行われるなど意図せぬ事件によって再び死霊術が活性化することもある。
浄化と言葉では簡単に言えるが……転生前の世界でも汚染地域の浄化に年月がかかっていたように、この森の浄化作業はしばらくはインとゾフの仕事になるらしかった。半年か1年に1回訪れては浄化の陣を森に敷くらしいのだが、なかなか手間な事案になるらしい。
もちろん、発信源である2人の安らかな眠りは前提条件だ。
彼らの遺骨は見晴らしの良い崖に埋められることになる。一番は彼らの安息だが、物理的に森と彼らを引き離すという意味合いもここにはある。使役死霊術には適応される範囲というものもあるからだ。
なんにせよ、何もなければ年月が経つにつれて、ヴァーノン小山の不死者は姿を消していき、周りの森と変わらない地域になるだろうとのことだった。それは50年後か、100年後かは分からないが。
セイラムの守り人事件について思い返すのもやめて俺はベッドに寝転がった。
頭の中でやるべきことを整理していく。…………さて。
起き上がり、カーテンを開けた。
金櫛荘はそんなに高い建物ではないが、街の様子が見える。
たいまつの火が人魂であるかのようにゆっくりと街中を徘徊している。夜番の兵士や攻略者たちだ。物見塔などの外壁周りにも火はしっかりある。
セティシアが襲撃を受けたことにより警戒態勢に入っていることもあり、いつもならいるはずの帰宅が遅くなった労働者や商人や、酒に酔って騒ぐ者などをはじめとした市民の通行人は一切いないように見える。
俺とインを捜索している時も似たような事態だったが、今回は街を守る筆頭でもあった団長が亡くなっていることもあり、緊張感はいっそう高いだろう。都市防衛の司令官には、副団長のアバンストさんとさきほど会ったキーランドという門番兵長が団長の代わりに務めている。
彼らの仕事の邪魔をしたいわけではないのだが……騎士団員の1人はちょっとの間、行方をくらましてもらう。
騎士団員は俺ととくに面識のない人であり、それでいて俺と体型が近い人でなければならない。でなければ鎧が合わない。基本はベルト式なのである程度のサイズは合うのだが、普段から剣を振っている屈強な男たちと俺の体型はだいぶ違う。“裾上げ”などができるわけもなし、ぶかぶかなのは布の服とは違う音が出ることでもあまりよろしくないだろう。
めぼしい人材は詰め所で目星をつけていた。名前も知らない人だ。
ケプラ騎士団員は主に市内の巡回と警備であり、彼らがどこにいるの詳細はさすがに分からない。インが帰宅するまでの時間しかないので俺が目星をつけた彼を見つけられるかどうかは正直分からないが……まあ、見つからないようなら、似たような体型の人でいい。
借りるのは冑、胸当て、腕当て、脛当て。靴は音が鳴るからなしだ。
鎧を借りた後は、あとは適当に《瞬歩》でケプラを脱出だ。
脱出方法については目星がつけてある。東門と南門の間の外壁の近くに3階建ての高い建物が近くにある。そこから外壁に飛び移る。たいまつの数も、セティシアと反対方向である南門付近は圧倒的に少なく、警戒も緩いことは既に判明している。仮に面倒なことになっても人は増えないことだろう。最悪、気絶してもらえばいい。
スキルの画面を開く。
戻ってくる道中でレッドアイ討伐時に獲得した《槍術》をLV10にしたばかりだ。《槍投擲》も10にしてある。どちらも使うかは分からないが、《魔力装》や《
なんとなく屈伸を始める。今までに体が悲鳴をあげたことはない。だが、セティシアは見知らぬ都市であり、戦いは市街戦になることが予想される。
つまり俺には最悪家々や建物の壁があるということだが、それは敵も同じことが言える。縦横無尽に駆けまわって切っていくだけで済むのなら越したことはないが、なにも家を破壊してまわりたいわけではない。となると、俺の脚はおそらく使いっぱしりになる。射手が厄介だったらしいし、わざわざ的になるつもりもない。
それに相手はミノタウロスではない。ましてや、兵士としての訓練を受けていない山賊でもない。兵士として常日頃から訓練をし、いざとなれば命を投げうってでも攻めてくるかもしれない兵士たちだ。団長が命を賭して防衛に向かったように、彼らはいくつかの強行手段に打って出ることもあるだろう。
どのような作戦になるのかはさすがに想像つかないが、何かしらの作戦や俺の見知らぬ魔法かスキルにより持久戦に持ち込まれ、体力が尽きるなんてことはないようにしたい。もしそうなったら、逃げることも考えなければならない。逃げるのは簡単だろう。
なんにせよ、どのような戦況になるにせよ、俺の脚は一番負荷がかかるに違いない。この細い脚がちょっと動かなくなるだけで、俺は一気に怪物じみた力の多くを失う。逃亡も難しくなる……。
……と、ノックがあった。タイミングが悪い。思わず小さくため息をついた。
「ダイチ殿。まだ起きていますか?」
ん、アレクサンドラか。嫌な報告でないといいけど……。鳥便だの馬だので情報が飛び交ってるからな。知り合いの訃報の類でないことだけは願いたい。ドアを開ける。
「すみません、夜遅くに。……イン殿はいないのですか?」
「ええ、まあ。ちょっと用事で」
アレクサンドラが「用事?」と怪訝な顔をしてくる。「まあ、ちょっと……」と適当な返答をしてしまってから、俺はこんな時、しかも警戒時の夜にいったいどこに行くんだと自問自答してしまう。
とはいえ、アレクサンドラはそうですか、とこぼしただけだった。気にならないならこっちとしては楽だけども。実際問題あるんだろうか? この時間で、こんな時に用事って。まあ、知り合いが市内にいるっていうことにしてもいいかもしれない。
「少しお話があるのですが……いいですか?」
話? あまり時間ないんだけどな……。
アレクサンドラはちょっと神妙な様子に見える。団長の訃報のあとだしな……。話の内容によっては作戦は先送りか。占領したのだし、奴らがいきなりいなくなるってこともないだろう。
「どうぞ」
俺はベッドに座ったが、アレクサンドラは立ったままだった。
「単刀直入に聞きます。……今からセティシアに向かおうとしていませんか?」
げ!? エスパーかよ……。ど、どこでバレた?
「……いや? 寝ようとしてましたが」
「本当ですか?」
アレクサンドラが眉を寄せて不審げに見下ろしてくる。実際嘘なのだが……。
襲撃後のフィッタで女性に近づいた際、変に香ってきた甘い香りはいつの間にかなくなっている。だから何もないはずだったのだが……俺の視線は唇に向かって止まる。目線を逸らしてしまった。昨日のキスのことを思い出してしまったからだ。
すぐに自分の若くて分かりやすい反射的な行動と反応に、恥ずかしさを覚えつつ内心でため息をつきたくなる心境に襲われる。昨日の衝動的なキスもそうだったが……肉体の若さか、それとも俺自身の欲求不満なのか、もうよく分からない。鎧を着ているからいいが、私服だったら目線は首やら胸やらにもいっただろう。
「……団長たちのことは残念でした。私たち団員は……みんな団長のことを尊敬していました。剣士としても、人としても。王を守っていた団長の剣は頼もしく、彼の的確で、自信の伴った言葉にはいつも安心していました」
アレクサンドラは俺の嘘に関してはひとまず置いたらしい。
俺は小さく息を吐いた。そんなことは分かってるよ。全く筋違いの悩みに直面した俺とは裏腹に、喪に服し始めた様子を見せたアレクサンドラの様子に俺は安堵した。話というのはこの手のことか。
「私も団長を尊敬していました。私は商人の娘に過ぎませんでしたが……さまざまなことを彼から学び、育てられもした一人でした。ベンツェ、ユラ、イグナーツ、オデルマー、サイモン、チェスラフ……死んだみんなもそうだったかと思いますし、副団長や生き残った団員たちもみんなそうでしょう」
団員の彼らほど多くはないが、団長とのやり取りの数々が脳裏に浮かぶ。
メナードクを贈った時の親衛隊時代の王都でのことを語った雑談。
手合わせをした後での、いくらか打ち解けた末のヘイアンさんの話。
最期になってしまった、北部駐屯地での「君が来てくれたら頼もしいことはない」という言葉。
……俺は団長たちを戦地に置いてきてしまったトストンのような負い目は負わずにすむが、でも、もし俺が団長と一緒に行っていれば団長は死なずにすんだだろう。仮に致命傷を負っても、ポーションがあるしな。
補助をかけたジョーラの相手がなかなか骨が折れたように、何らかの厳しい部分はあるかもしれないが、ダークエルフが得意とする幻影魔法の使い手などそうはいないだろうし、アマリアの精鋭たちにもきっと勝てただろうと思う。実際俺はこれからそれを証明するつもりだ。
それから団長やベンツェさんやイェネーさんの死で出来たと言うよりは、フィッタの襲撃を経た頃からのような気がしているが、……俺の胸の内には確かに空白ができていた。
死者によるぽっかりと空いた穴だ。
2組の両親を失った俺はこの穴からもたらされる空しさをよく知っている。2組の身近な者の死は俺を間違いなく変えた。育つ環境を変えたのはもちろんだが、俺が考えている以上に人格への影響は濃かっただろう。あまり綺麗には埋められなかったとはいえ、穴は埋められ、やがて俺の人としての1つの強さになっていったのも事実だ。
だが……なんだろうな。煮え切らないんだ。姉妹やインが死んでいつまでも落ち込み、煮え切らないのは分かるんだ。でも、多少接しただけの団長にさえもこの通りだ。
今の若い俺は、おそらく……この穴のことを「きちんと理解できてない」。
なんでもう……団長と話が出来ないんだろうな。話をするだけ、それだけでいいのに。そういう拙い問いかけをしている幼い俺が、確かに俺の中にはいる。
俺のこれから行う予定の報復はきっとこの感情にけりをつける意味もあるのだろうと思う。復讐とは、突き詰めれば、そういう利己的な感情にすぎないのかもしれない。
実際そういう面はあるだろう。相手はもういないのだから。復讐は、いない相手への不器用な別れ方の一つだ。なぜもういないんだ、と叫びながらの内なる子供が駄々をこねるような別れ方だ。
『これから絆を深められるだろうって頃に死なれるのも辛いよな』
ヴィクトルさんの言葉が蘇ってくる。そうだな、それもある……。
死なれることの比じゃないし、そもそも種類も違うかもしれないが、教えていた新しいバイトや新卒が意図せず辞めてしまった時にも、ごく小さな穴は開いたものだ。穴は大きさの差こそあれ、誰にでも開く。そうして穴が開いたことに対して鈍感になっていくだけだ。
穴自体は開くんだ、いつでも。アルバイトもそろそろ辞める頃合いを考えていた頃、よく喋り、仲も良かった新入りの1個下のバイト君が唐突に辞めた時はちょっとしんみりとしてしまったものだ。
これから復讐しようって腹だったのに湿っぽくなってしまった。やる気がないわけではない。でも、復讐はきっと一時の感情に任せた方がいい。死ぬ気はさらさらないが、俺の復讐が一応生きるか死ぬかの瀬戸際の舞台だというのは抜きにして。
アレクサンドラが近寄ってきてベッドに座ってくる。
「団長の死を嘆いてくれるのは一団員として嬉しく思います。ですが、ダイチ殿が死んでしまった団長のために身を粉にする必要はありません。団長も……一兵士として覚悟していたと思います。誰かにいつか、討たれるかもしれないと分かっていたと思います」
前半はとくに何も思わなかったが、後半からのアレクサンドラの死を悟ったような言い方にムカついた。なんだよ、覚悟って。
「団長はもういないじゃないか。何で分かるんだよ」
アレクサンドラは一瞬目を泳がせたが、すぐに視線を戻して「私たちは兵士ですから。私も覚悟はしています」と言葉を続けた。それほど強い語調ではなかった。
だが俺は、そこに含まれているであろう、確かに人の生き死に数多く触れている兵士なら抱くかもしれない微妙なニュアンスの数々を吟味することはできず、ただただイラついた。理解したくもなかった。
「兵士だからって死んでいいわけないだろ!」
つい立ち上がってしまった。アレクサンドラは目を丸くしていた。
「覚悟、覚悟って、なんでそんな分かったような言い方をする?? 誰だって死にたいわけないだろ。団長だって死にたくなかったはずだ!」
段々と堰を切ったように言葉が流れ出してく。額と頬が熱っぽくなっていく。動悸も激しい。
その一方で、確かに団長が自分の死期――老いることに対して悟りを垣間見せていた人物であることも思い返していた。でも俺はその団長の悟りにすらもイラついていた。俺じゃないみたいだと、大人の俺が隅の方で感想をこぼしていたが俺は無視した。
「まだやりたいことだってあったはずだ……みんな……セティシアで死ぬ必要なんてなかった!! 俺も行ってれば死なせはしなかった!! 絶対だ!!」
アレクサンドラは俺が叫んだことにはじめは驚いた様子を見せていたが、やがてじっと黙って聞いていた。
……なんだよ、なんでそんな落ち着いてんだよ。仲間がみんな……死んだんだぞ?
「死んだ人たちには家族だって、……息子だっていた……剣だって、まだ振りたかったはずだ。団長は体力が有り余ってるなら、俺ともっと打ち合ってたいと言っていた……。これから……これからやりたいことも色々あったはずだろ??」
いつの間にか俺は「俺自身の願いであるかのように」アレクサンドラに問いかけていた。
アレクサンドラは、あったでしょうね色々と、と困ったように微笑した。子供をあやすかのような口ぶりに再びカチンとくる。
だが、今度は言葉が続かなかった。アレクサンドラの落ち着き加減を見て、“子供の俺”が自分が子供っぽい意見を口走っていることを自覚し始めたからだ。実際俺は今子供だ……。
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