幕間:レイダン・ミミットの約束 (6) - 露呈と企て


 ダークエルフのロイドに連れられ、レイダンは以前行った<白い眼の鳶>の隠れ家に赴くことになった。


 道中、ロイドは背後からレイダンの首に短剣を突きつけ続けていた。だが幻影魔法により姿をくらましていたため、副党首の危機には誰も気づかなかった。

 なぜこのような扱いを受けねばならないのかと改めてレイダンは質問したが、ロイドは淡々と、「あんたを連れていくのにこのやり方が最適だからだ」と返答してきたものだった。


 最適も何も、ロイドはレイダンに得物も防具も持たせないままに連れ出した。朝食直後だったのもあるが、平服のままで、鎖帷子ホバークはもちろん短剣すらもない。徒手でのレイダンの力量はたいしたことはない。

 そもそも気配を察知できない相手にどうしろというのか。どうであれレイダンは別に逃げる気はなかった。


 武装がないためしっかり平民に見られたようで、レイダンに気安く声をかけてくる人々が何人かいたが、とくに何事もなく。

 呼子の女が2人寄ってきて、1人が腕を絡めてきただけだった。レイダンは人族の女にはもはや興味はなく、安っぽい香水のにおいと“キンキン声”が気に触った。


 以前の鑑定屋に赴いて鍵を受け取って地下洞窟を行き、隠れ家に着く。

 いたのは先日顔合わせした財務官のバラリス以外全員だ。


「やあ、ミミット卿。ロイドが手荒だったら申し訳ない」


 ニコデムの無害な朗らかな声音に、レイダンは問い詰める気力が削がれた。

 ロイドは姿こそ見せたが、部屋に着いても刃先をレイダンに向けていた。マルクやバラリスは緊張した面持ちで、カンデルとコストカはそれぞれ主の傍にいた。


 ひとまず招集された理由を訊ねる。グロヴァッツはとくに立ち上がったりもせずに答えた。


「私は用心深くてね。このような組織を作るくらいだ、構成員の素性は1人1人入念に調査している。無論、君のこともだ。そこのところは理解してもらえるとありがたい」


 鴉を相手にしているくらいだ。レイダンは理解ができすぎるぐらいできた。

 逆に言えば、グロヴァッツの言葉を鵜呑みにするなら鳶の構成員の中に問題のある人物は1人もいないことにはなる。


 ついマルクに目が行く。


 マルクは確かにお騒がせな人物ではあるが、それだけだ。たいした罪を犯しているわけではなく、言動がいささか目に余るというだけ。

 むしろ、クリスティアンの目に余らなかったのかという疑問がレイダンの脳裏にはいまさら湧くが、前王の治世でもマルクが取りざたされたことはとくにない。


 商人上がりでたいした伝手もない政務官など取るに足らない相手であるのは間違いないし、だいたいアニエラク財務大臣の目もある。

 “オヤジ殿”は外面は磊落だが、部下には教育熱心だと評判だ。上官の厳しい叱咤と罰は致命的な汚職と放蕩の抑制力になる。


「呼んだのは他でもない、君の行動理念について改めて知りたいと思ってね」

「行動理念、ですか?」


 レイダンは訝しんだ。


「ああ。貴公はずいぶん顔が広いらしいが。普段からヴァレリアン執政官やドラクル公爵と会っているのかね? 陛下とも親しいそうだな」


 顔が広いのはレイダンがバウナーの従者のような位置にあるためと、師範代として方々で剣を教えているためでもあるが、レイダンは肝を冷やした。もしや“尾行されていた”?

 さきほどもロイドを一切察知できなかったほどだ、ヴァレリアンやドラクル公にダークエルフの隠密が分かるわけもない。なら最悪、話の内容も筒抜けだということになる。


 ええ、まあとレイダンは目線を泳がせた。グロヴァッツはレイダンから目線を離さずに話を続けた。


「昨日から私は貴公がなぜ我々の組織に接触してきたのか考えていた。貴公は後ろめたいことなど持たない実に騎士然とした七騎士の1人だと考えていたからだ。事実、調べられる範囲では貴公の経歴・噂には黒いものは何1つなく、諜報に恨みを抱くような理由も見つからなかった」


 レイダンはこのグロヴァッツの言葉を聞き、もう少し慎重に事を運ぶべきだったと後悔した。諜報組織を監視する組織ならば、相応の諜報力があってしかるべきなのに。そもそも組織の実態もろくに知らぬというのに。

 もっとも、マルクという予期せぬ道化、集められた鴉の情報、ゼロを上回るダークエルフの諜報と、慎重さを忘れる要素がこの組織にはありすぎた。


「しかし調査で分かったこともある。ミミット卿。貴公はどうやら筆頭騎士殿――バウナー・メリデ・ハリッシュにご執心のようだな」


 レイダンはいよいよ心臓が凍った気分になった。やはり筒抜けらしい。

 だが、あくまでも報告をしただけであるはずで、失脚を願っている言動は見せていないはずだった。だいたいうまくいかなかった。なら……


「分からぬ話ではない。あの者は大陸に轟くほどの武勇を我々に見せつけながら、しかし彼その人についてはみな不信の色を隠さないからな。私の付き合いの中でも、彼の者の今後の趨勢について話題にのぼることがある。果たして彼はいつまで筆頭騎士でいられるか、彼がいなければ<金の黎明>に対する“嫌がらせ”の数々もなくなるだろうに、とな。……近頃はよく彼の世話を辛抱強く焼けるなと、貴公に感心する声も聞く。私も彼らと同じように、貴公のことは英雄の補佐役として高く評価していたものだ。無論、バウナー殿のあとに貴公が党首になるだろうと信じて疑わない1人でもある」


 話はレイダンも直に聞かされてた話ばかりであり、特別変な内容ではなかった。噂を囃すだけなら誰にでもできる。現状は事態が悪くなるばかりで、手を差し伸べる者はいない。

 続けて、さて本題だ、とグロヴァッツ伯は机から立ち上がり、レイダンの前に行くと手を差し出した。


 手の上には……真実の指輪があった。レイダンは目を見開いた。伯爵も指輪の持ち主らしい。

 レイダンは指輪への抵抗力は持たない。言い逃れが通じないのを悟った。


「もし私が貴公の立場にあるなら野心を抱くのはごく当然のことだろうし、気が逸りもするだろう。相手があまりに強大すぎるのも考えものだが、幸いにして彼の者の実力は当代一と謳われる一方で懸念要素は山のようにあり、その上この山は荒れ放題だ。みなが一斉に収穫に乗り出し、今となっては果実の成っている樹は極めて少ない。しかし筆頭騎士殿への想いを吐露して涙するような人物が果たしてありきたりな野心を抱くのか、私にはどうにも不可解でね」


 ダークエルフはどうやら公爵邸にまで侵入していたらしい。もちろんあの場に他者がいるなど、気付くことはなかった。同時にレイダンは過去の自分の行い、内に秘めていた純粋なる想いを恥じもした。


「……1つ言えるのは、我々の予想の範囲から外れている君の考え、君の行動理念を知るのにこの指輪に頼るほど相応しい手段もないということだ」


 グロヴァッツが自身の行動理念を知りたい動機は分かったが、そうなるとレイダンが気にかかったのは、内情を知られたあとの自分の処遇についてだった。


 筆頭騎士および党首の失脚を願って行動していたのは事実であり、これ自体は反逆罪と言えた。しかしながら、バウナーの地位は依然として変わっておらず、レイダンのこれまでの行動はバウナーの地位にたいした影響を与えていないことが現状としてある。未遂だ。

 法に則るならば、真実の指輪を使っての証言に際し、侮辱罪や不敬罪は免除される。なぜなら真実の指輪が物証の場で使われるに辺り、どのような潔癖な人物、慈悲深いとされる人物でも腹に「一物」を抱いていることが証明されたからだ。持たないのは学や地位のない平民や貧民ばかりだった。平民や貧民で国は維持できない。


 計画事に関しても同様のことが言える。既に犯罪を犯してしまっているのなら話は別だが、計画が未遂ならば幇助罪にはならない。問われたとしても軽い。

 もちろん罪にならないと言っても、露呈した由々しき一物により肩身が狭くなり、裁判とは別の場所で処分が下されることまではどうにもできないが。


 レイダンの額から冷や汗が流れた。そうして脳裏には愛しい人の白い顔があった。

 先日のグロヴァッツとの会話の「君に国に隠さねばならない恋人がいるのなら」というくだりが浮かぶ。グロヴァッツの人となりはレイダンはまだよく知らない。表面上では国、王家の忠臣であり、性格にも取り立てて“捻じれ”もなく、文武に通じ、政治にも金稼ぎにも明るく次代の国を担う一翼として尊敬すべき人物であるとされ、レイダンもそう思っていた1人であった。


「閣下」


 レイダンは震える声を抑えた。指輪の前では何を言っても仕方がないが、レイダンの騎士然とした精神と愛を貫く頑なな心が顔を出していた。


「何だね?」

「指輪があるので誓って嘘は言いませんが……私には“約束”があります。私の行動理念はこの約束を果たすことです」


 グロヴァッツは「その約束を果たすためには筆頭騎士殿は邪魔かね?」と質問を投げかけた。直接的な物言いにレイダンの鼓動が早まる。ヴァレリアン執政官やドラクル公爵との会話を思い返してみるが、もはや会話の内容をほとんど思い出せなかった。

 ひとまずレイダンは「邪魔という表現は好みませんが……私は党首にならなければならないのです」と目的だけを真摯に答えた。これから探られるであろう、自分の本心が余計なことを言わないことを願いながら。


「約束に党首か。……指輪に聞けばわかることだ。コストカ、ミミット卿にイスを」


 コストカが椅子を勧めてきたので、レイダンは座った。

 レイダンは指輪を使われるのは初めてだった。グロヴァッツの地位とは裏腹に隠れ家はさほど金はかかっておらず、平凡であり、イスも単なる丸椅子だが、今ほど座り心地を悪く感じたイスもない。


 コストカはそのままレイダンの眼前に行き、膝を立てた。


「ではミミット卿。心を落ち着けろ。……ああ、安心するといい。何を聞いても我々が貴公を牢に連れて行かないことを約束しよう。真実の指輪の前では罪などいくらでも炙り出てくるからな。もっとも。貴殿がすでに大罪を犯した身であり、今ここで貴殿を牢に入れることが国を救うことになると分かればするがね」


 グロヴァッツは特別顔色も声音も変えずにそう約束した。正当な使い方をしてくれるらしいことにレイダンはいくらか気が休まった。


 コストカがグロヴァッツを見、グロヴァッツは頷く。コストカはレイダンに手をさしだしてきた。

 レイダンもまたおずおずと手を差し出した。差し出された手を握り、コストカは指輪の宝石に触れる。


「『従えオベー』――」


 コストカの言葉を聞くとやがてレイダンの目は虚ろになる。


 ニコデムがレイダンを半ば覗き込み、しばらくレイダンの顔を観察した。

 やがて洗脳作用を確認したようで、かかったようだ、とニコデムが言うとダークエルフ2人は警戒を緩めた。


 グロヴァッツは質問を始めた。


「では質問だ。レイダン・ミミット。貴公は<金の黎明>の党首になりたいのか?」

「……はい」

「なぜ党首になりたい?」

「……恋人のウィプサニアと結婚するためです」


 グロヴァッツは「女か」と頷く。ニコデムが「さすがにイレナ王女殿下の線はなかったようですね」と言い、「王女殿下はご自分のお立場を理解している賢明な方だ。もし彼が候補ではなく本当の恋人だったとしても結婚には続かんよ」とグロヴァッツは続く。


「結婚自体はすぐに出来ると思うが。ウィプサニア嬢と結婚出来ない正式な理由があるのか?」

「……ウィプサニアの兄であるニールスレイから、部隊を率いる国の将軍――党首にならなければ結婚は許さないと言われています」


 グロヴァッツが相手は名家の御令嬢か、とつぶやく。


「ウィプサニアとニールスレイの家名は?」

「……ファブリツィウスです」

「ファブリツィウス……?」


 ニコデムが「《沈黙の五家》の?」と震えたような声を発した。この場の全員が各々どよめいた。《沈黙の五家》はフリドランを支配する5つの大家であり、精鋭部隊を持つ家でもある。

 グロヴァッツがおそるおそるウィプサニアがフリドランの名家沈黙の五家の家の者であるかと訊ねると、レイダンは無感情ながら、はいと同意した。


 グロヴァッツは「この男が……?」とうなだれた。


「我が国ではフリドランとの友好関係はかねてから望んでいるものだ。幾度となく使者を送ってきたが、追い返されるばかりだった。この男は……その重要な橋渡し役になるのか?」

「かもしれませんね……。いやあ、驚きました。このニコデム、伯爵の頃にも色々と驚かされたものですが。今日はなかなか忘れられない日になるかもしれません」

「ああ……」


 グロヴァッツはおずおずと質問を再開した。


「……レイダン・ミミット。ウィプサニアと結婚した後は貴公はどのような立場になる? 結婚は婿入りか? フリドランへ行くのか?」

「……はい。婿入りです。ニールスレイからファブリツィウス家の訓練教官の地位をやると言われ、その後はお前次第だと言われています」


 グロヴァッツは首を傾げた。


「訓練教官だと相当地位が落ちると思うが。平気なのかね?」

「……ウィプサニアは不満があり、地位を引き上げようとしているようですが、異国人にくわえ、婿入りの身なので、私からの強い要求はできません。それに私はウィプサニアと共に生きられれば他に望みはありません」


 おお、種族を越えた崇高なる愛とニコデムが感嘆の声をあげた。

 一方グロヴァッツは腕を組み、「国交にはあまり影響はないかもな」と一転して冷静に判断した。


 と、ロイドが「分家かもしれない。《沈黙の五家》の本家が容易に人族を受け入れるわけもないからな」と意見をした。ニコデムが「ああ、その可能性はあるな」と頷く。

 グロヴァッツが分家の者なのかと訊ねると、レイダンは同意した。さらにレイダンとウィプサニアの婚約を機に、アマリアとフリドラン間の国交を深める目論見がファブリツィウス家にあるのかと訊ねると、レイダンはそのような話は聞いていないと答えた。


「つまり……彼はひとえに人族とエルフとの崇高なる愛に阻む壁を取り払いたく動いていたわけですか。友好関係が進展しないのは残念ですが。……古竜将軍に、崇高なる愛ですか。はぁ……<金の黎明>では次はどのような伝説が生まれるんでしょうね」


 恍惚とした心地でそう話したニコデムの言葉により、場の緊張はいくらか解かれる。

 この者がフリドランの勇士として我が国の前に立ちふさがる未来もあるんだが、とグロヴァッツが苦い顔で苦言を言うと、確かにそうですな、とニコデムは肩をすくめた。


「気になるのは彼が我々に接触してきた理由だな。……レイダン・ミミット。貴公はなぜ<白い眼の鳶>に接触した? 詳しく説明しろ」

「……私は近頃、バウナー様の失脚を早めるべく動いていました。その際、動向が気取られた末<白い嘴の鴉>による粛清を恐れ、何か対抗手段となり得る情報、諜報の目から逃れる術を得たいと考えたからです。ここにはそれがありました」


 彼なりに怯えていたようですな、とニコデム。


「失脚を早めるべく動く、とは具体的にどのようなことを計画していたんだ?」

「……バウナー様の不祥事を然るべき人物に話すことです」

「話してどうなる。狙いは何だ?」

「……バウナー様を筆頭騎士の座から降ろす、もしくはバウナー様ご自身で脱退をするよう自然な形で促すことです」


 ふむ、とグロヴァッツは思案顔になり、場はしばらく沈黙した。


「バウナーを筆頭騎士から降ろすための行動は然るべき人物に話すことだけなのか? 他に何も実行してないのか? 暗殺は?」

「……現状ではそうです。他に手立ては何もありませんでしたし、目立って行動すると当主になった後の自分に響くと考えています。暗殺はめぼしい人材がおらず、バウナー様には毒物も効かないので考慮していません」


 ずいぶん穏当な計画だ、分かる話ではあるが、とグロヴァッツは息をついた。


「心配するだけ無駄だったな」

「かえって守護騎士として頼れるではありませんか」

「だといいがな。愛に生きる騎士なのか、ただの口達者の臆病者なのか。真実の指輪は過去の行いと現状の心情しか分からん。先の心変わりまでは読めんよ」

「まあ、そうなんですが……」


 再びしばらく沈黙があり、「問題はバウナーを失脚させた時、この者がどう動くかどうかだな」と発言した。


「動いた場合はロイドに始末させればよいのでは? ……ロイド、彼の処理は問題ないのだろう?」


 ニコデムの質問にロイドは「ああ。見破られる素振りは微塵もなかったからな」と淡々と答える。続けてカンデルも問題なく処理できるだろうと言った。


「……公爵が動いたのを先んじて知れたのは幸いだった。バウナーを排除する大義を得られた上、鴉も粛清できる。この者にはその謝意と、余計なことをせんよう結婚を成就させる必要がある」


 グロヴァッツは後半にはヴィットを見ながらそう語り、「猊下――イウォマも喜ぶだろう。この作戦と同時に目障りだったアラニス派も排除する算段だが、お前の傷心を慰め、ゆくゆくはナドルニ派の司祭として傍に置ける日も近づくことになるからな」と言葉を続けた。


「精進します。……父上」


 グロヴァッツは静かに笑みを浮かべたヴィットに頷く。


「……コストカ。聞きたいことは聞いた。もういい」


 コストカがレイダンの手を放した。

 しばらくしてレイダンの瞳に焦点が戻る。レイダンは慌ててグロヴァッツを見た。


「……私はどこまで話しましたか?」


 真実の瞳による洗脳状態で話したことは本人が覚えていることはない。

 レイダンの問いに、あらかた聞いたよとグロヴァッツはいくらか表情を緩めて答えた。


「あらかたとは……?」


 グロヴァッツは目線を下げ、


「貴公にエルフの恋人がいること。結婚するために、恋人の兄から党首になれと言われていること。それとバウナー殿を失脚させる計画は誰の血も流れないような穏当な内容であり、たいして進んでいないことだな。恋人がまさか<沈黙の五家>のご令嬢とは驚いたが」


 と、淡々と話した。

 レイダンはグロヴァッツの暴露に生きた心地がしなかったが、予想はしていたことだったため、ある程度の平静は装えた。ミミット卿とグロヴァッツから呼ばれたので顔を上げる。


「この組織の忠実な守護騎士でいれば、我々は貴公の結婚話に協力してやれる。以前話した通りだ」


 そうしてグロヴァッツは実に誠実な眼差しを寄こしながらそんな頼もしい言葉を言い放ってきた。

 レイダンはひとまず宣言通りにグロヴァッツが自身を裁くつもりはないことに安堵したが、協力という言葉にすぐに気もそぞろになった。


「協力とは?」

「我々は出来る限り貴公が党首になる手伝いをし、党首になった暁には国を去る手助けもしてやれるという意味だ。無論、誰にも知られずにな」


 レイダンは驚いたし、いくばくかの不信もあったが、グロヴァッツ家は王家ならびに忠臣たちが信頼を置く有数の名家の1つであり、相手はその当主その人である。心強いことは確かだった。

 党首になるために動いてはいるが、国を出ることについてまではまだ手が回っていなかったためなおさら頼もしく映った。


 他方感じた心強さとは裏腹に引っかかりがあった。具体的にどのような引っかかりなのか、仲間が出来、約束の成就――結婚の日もいっそう近づいたことで浮つき始めたレイダンには解き明かせない。


「私は何をすればよいのでしょうか」


 どうであれ。グロヴァッツと鳶を味方につける以外の策はないことは確かだった。ここで彼らを失えばいつ党首になれるのか分かったものではない。


 1年後か。3年後か――。


 レイダンがウィプサニアと最後に会ったのは去年の秋だ。ヴァーヴェルに一兵士として滞在していた頃が一番楽しかった記憶だった。

 関係がバレてからは会うのが難しくなり、レイダンも党員になった。それでも文のやり取りは続き、隠れて会っていたある日にウィプサニアに根負けしたニールスレイはレイダンに「党首になる」という難題を提示した。


 とはいえ、厳格なエルフの名家がいつまで人族を待つかは分からない。

 事実ウィプサニアも自信なさげに、「兄さんがいつまで待ってくれるかはわからないわ」と言ってきたものだった。


 グロヴァッツはニコデムに視線をやり、ニコデムは頷いた。


「いつも通り、筆頭騎士殿の傍に出来る限りいたまえ。オルフェの山賊と交渉するため筆頭騎士殿が動く段になったら仔細を教えろ」


 レイダンは眉をひそめた。オルフェの山賊というのは公爵が昨日レイダンに話したばかりの内容だ。


「……私が公爵とその話をしたのは昨日のことですが……」


 レイダンは薄気味の悪い心地を味わった。自分の行動や会話が筒抜けであるというのはたまらなく居心地が悪い。


「もう公爵は動いているぞ。新しい鋼の剣30本と鋼の防具をトルスクに手配している。ちょうどオルフェのセルトハーレス討伐戦が近いようでな。一応山の魔物はおびき出す算段のようだがね」


 ニコデムはそう言うと、「ドラクル閣下は類まれな軍師であらせられる。今も昔も、たとえ古竜将軍という神話に心を抜かれていようとな」と目を細めた。

 レイダンは妄執に囚われてはいたが、策を考え始めた途端、人が変わったように落ち着きを取り戻した公爵が脳裏によぎった。


「マルクをトルスクに向かわせ、セルトハーレス山に向かうバウナー殿を目撃させる」


 今度はグロヴァッツが作戦らしき話を始めた。


「……マルクを?」

「ミミット卿。貴公は“大げさに勘違いをした”マルクを城内で見かけ、話しかける。そこから話を大きくし、司祭以上の者か陛下に謀反かもしれぬと報告するのが貴公の役目だ」


 グロヴァッツの淀みのない話し振りから早くも既に作戦は考えていたらしいのをレイダンは察した。


(謀反となればバウナー様の筆頭騎士の剥奪と除党は確実だろう。だが、そんなに簡単にいくか?)


 マルクを見ると、役割を仰せつかったことは既に聞いているようで、彼はいくらか緊張した様子で「閣下の仰る通りです」と、レイダンに頷いた。


 レイダンは先の展望、自分の未来に光明が開けたことに喜んだ。と同時に、バウナーの先行きも憂えた。

 もし事がうまく運んだ際、バウナーの死の可能性が浮かんだからだ。クリスティアンの政治は「問題を放置しない」。避けられるのであれば……死ぬことはないとレイダンは考えた。もっともバウナーの執行をレイダン自身がどうにかできるはずもないのも確かだった。


 レイダンの憂いをよそに、グロヴァッツは「どうだ? ミミット卿。できるのか?」と訊ねてくる。


「これは必要な改革なのだ。腐敗を取り除くためのな。鴉は今時分、我が国の腐敗の温床を増やす組織に成り下がっている。陛下がもっとも忌み嫌うものだ」

「司祭に話すのは問題ないかと思われますが、陛下となると……」

「難しいか? 反バウナー派の司祭に話し、陛下に報告する流れに持っていけばよかろう」


 反バウナー派という言葉からレイダンはアラニス司祭を連想した。

 だが、レイダンの考えを見透かすように、「忠告しておくが。アラニスを相手にはするな」とグロヴァッツは釘を刺してくる。


「アラニス派――白竜教の下衆どもの言葉など、陛下まで届かんだろうからな。もっと徳が高い者を選ぶのだ。ラーデュラ司祭のような者がよいだろう。彼はナドルニ猊下から可愛がられてもいるからな。貴公はラーデュラ司祭とは親しいか?」

「親しいというほどではありませんが……面識はあります」


 レイダンはグロヴァッツから言われ、確かにラーデュラ司祭は適任のように思われた。彼の言葉なら誰もが聞く耳を持つだろう。


「もしくは陛下ではなくイレナ王女殿下でもよい。王女殿下に話が通れば陛下にも話がいくだろうからな。殿下と貴公はそれなりに親しいだろう?」

「……ええ、まあ」


 レイダンはいよいよ、ここ、<白い眼の鳶>もまた諜報組織である考えを強めた。


 グロヴァッツの言うように、イレナ第二王女とはレイダンは面識というより親しい間柄にあった。バウナーが先王との付き合いのままにメイデン王家の狩猟に同伴もする傍ら、バウナーに付き従うレイダンはイレナの相手をすることがよくあった。

 以来、顔を合わせれば会話をし、冗談交じりの「党首になった暁には恋人候補にする」という言葉をもらうほどには気に入られている。イレナには恋人候補が何人かいるらしいが、副党首にすぎない自分が結構上の方にあることは噂で聞いたことだ。


「ミミット卿。しばらく貴公にはロイドをつかせる。もちろん姿はくらませる。セティシアの戦いには参戦させないが、なにかあれば助力を頼むといい」


 レイダンは意味を図りかねた。ロイドをちらりと見てみれば、既に視線はレイダンにあった。監視か、とレイダンは察した。


「……先に言っておくが。よからぬことは考えないことだ。確かに我々は協力はするが、それはあくまでも貴公が協力的であることが前提だ。もし貴公が我々の想定外の行動をとり、計画に大幅な狂いを生じさせた時、貴公の結婚が遠のくのは無論、内容によってはロイドに排除してもらうことになる。この計画の大きさを重々理解したまえ」


 バウナーを陥れるのだから計画が大きいのは当然と言えた。傍から見れば国家反逆罪に他ならない。内情がどうであれ。


 レイダンは一大事に加担していると改めて思い知らされながらも胸を撫で下ろした。グロヴァッツ伯爵ともあろう人物が何の見返りも動くわけもないからだ。

 そうしてレイダンには訊ねる意欲が湧いた。協力的であれば、しばらくは仲間だろうと踏んで。別に計画を乱そうとも思わない。


「もちろんです。私は……ウィプサニアとの結婚以外に望みはありません。ただ、1つ質問してもよろしいですか?」


 グロヴァッツは頷き、言いたまえ、と先を促した。


「バウナー様が失脚するのは私にとっては……大きな意味のあることですが。この組織にも何か得することがあるのですか?」


 グロヴァッツはこの質問を聞くと、どこか満足気に頷いた。そしてニコデムに視線をやり、2人は頷きあったかと思うと、「よいのではありませんか。言っても」とニコデムが助言のような言葉を言った。


「彼はエルフとの――異種族との結婚だけを一途に望み、特別悪い噂もない人物ですから。懸念点があるとすれば、愛の成就が近づいたと知った時の感情が高ぶった時でしょう。男という生き物は自分の花嫁を守る時、何にでも剣を向けられるものです。たとえそれが、魔人であっても」


 ニコデムはそう言って、意味ありげに眉をあげてくる。

 レイダンは本心なのか冗談なのかいまいちわからず少々困惑した。それにだいいち、すべてを話したのだから仕方ないとはいえ、突然部外者から理解者然とされても困るものだった。


 グロヴァッツはいいだろう、と視線を落としながら説明した。


「この作戦と同時に鴉を粛清する。<白い嘴の鴉>という諜報組織を国からなくすのだ」


 レイダンは目を見開いた。が、すぐに納得はできた。そもそもはじめから鴉の粛清を目的として設立した組織だったかもしれないとするなら、辻褄は合うものだった。

 ただ、次の言葉にはいよいよ驚いた。


「この組織、<白い眼の鳶>のことはナドルニ統括司祭と陛下がご存知だ。つまり、鴉の粛清は国の望みということだ」


 イウォマ・ナドルニ統括司祭。言わずと知れた白竜教の最高権力者だ。


「昨日に貴公を通じて得たドラクル公爵のオルフェの山賊を利用した計画についてもお耳に入れてある。筆頭騎士殿を謀反者に仕立て上げることもな」


 レイダンはすべてが既に動き始めているのを悟った。それにしても……それにしたって、大事すぎた。レイダンは狼狽えたままに唾を飲んだ。もはや――結婚話どころではない。

 つい他の者たちに視線を寄せたが、レイダンのことを注視しているばかりでそれほどめぼしい変化はなかった。当然だが、知っているようだ。


「驚いたか?」


 グロヴァッツの問いかけにレイダンは我に返った。


「はい……話が大きすぎて」

「ナドルニ猊下も陛下も、鴉については懸念事項だった。まとめて片付くのは幸いだったよ」


 なぜ鴉を、とレイダンがつい訊ねると、


「鴉はそもそもメイデン王家をはじめとした一握りの国の要人を暗殺や密偵から守るために存在した。だが、いつの間にか守護する対象がずいぶん広がり、我々貴族たちの私怨を解決するために存在している。愚かしい話だが、そのような組織は国政にとって邪魔なのだ」


 と、グロヴァッツは淡々と答えた。


 確かに鴉を用いて解決した事件は数多ある。貴族間の離婚のいざこざで鴉が用いられたと初めて聞いた時は呆れたものだった。


「分かるかね? 本来白い嘴の鴉はギルドや傭兵団の類ではない。今の鴉は腐敗の温床であり、内紛の原因だ。陛下たちは無論、王城にいる限りは誰もがいつ寝首をかかれるのか分からんのだからな」


 レイダンは事の深刻さを理解した。再び、分かったかね、と訊かれたのでレイダンは頷いた。


 グロヴァッツはしばらくレイダンの反応をうかがうように見ていたが、やがて頷いた。


「では任務にかかってくれ。さほど時間もないからな。マルク、ロイド、カンデル、君たちもだ」

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