6-19 金櫛荘の使用人たち (3) - 訓練場にて


 使用人たちの紹介を終えた俺たちは、金櫛荘の裏手にある大きな長屋に向かった。

 金櫛荘の周りには厩舎の他に長屋があるのはマップ情報で既に知っていたが、この長屋はどうやら使用人の訓練場として用いられているらしい。


 建物の合間から、教会の尖塔部分が目に入る。

 金櫛荘と教会は同じ区画にあって近いのだが、教会は反対の道沿いにある。教会はケプラに来た当初から行ってみたいと思っている建物の一つなのだが、これといった用事はないので後回しにしている。


「稽古場は普段、宿泊客様をお通ししている場所ではなく、主に私ども使用人の使っている施設です。ですので、あまり綺麗にはしておりませんがご容赦くださいませ」


 マグドルナが俺たちにそう解説する。こちらから申し出たので気にしないでくださいと言うと、彼女はありがとうございますと微笑した。


 眉の頭の高さはそんなに低くなく、その下の緑色の目の端もあまり持ち上がっていない儚げな雰囲気をいくらか持つ彼女は、良家の血筋の人間だ。縁は切れているらしいが、やっぱり貴族とかの方がこういう品のある顔立ちになるのだろうか。


 この世界に来て10日ほどが経つが、まだ貴族らしい貴族の人とは関わっていない。

 王とは氷竜として面識を得たが、ろくに話をしていないし、あれはカウントに入らないだろう。


 俺たちの、というかヘルミラの稽古の相手にマグドルナが選ばれたのは、彼女が魔導士だからだ。

 彼女曰く、中級魔法が少し使える程度の実力ということだが、彼女は同時に剣士でもあり、魔法剣士ならびに「動ける魔導士」なので、教官に選んだ次第だ。ヘルミラはそういう実用的なものはまだ教わっていない。


 ハリィ君には学問的なことや常識的なことは色々と教わったが、メイホーにいた頃はヘルミラはどちらかといえばジョーラについていてもらっていたので、魔導士としてはあまり実戦的なことは教わっていない。

 マグドルナの採用は、その辺のアドバイスや、さっき言っていた精神集中や魔力を一時的に集める技とかのコツなんかを教えてもらえないかという意図があることはある。


 彼女はここに来る前にメイド服から訓練用の服に着替えている。手首や肩の膨らみといったものが一切ないタイトな服だが、それを除けばケプラの市民が着ているものとさほど変わりない。

 これはダンテさんも同じだ。もっとも彼は着替えたことにより、ムキムキなことが強調されてちょっとビビったと言うかなんというか。もちろん、ヘイアンさんクラスなわけもなく、ディディより少し劣る程度なんだけどね。


 彼らと同じく、俺たちも訓練服になっている。俺たちは狩りやアランプト丘で使った手持ちの服に着替えるつもりだったのだが、使用人たちの着ているものと同じものでよければ貸すというのでそれに従った形だ。

 ちなみにしっかりと靴も貸してくれた。平凡な革のショートブーツで、普通に履き心地はいい。


 案内された長屋は、レトロな洋館風の金櫛荘の館に比べると至って普通の2階建ての建物だ。

 レンガのように切った石を積み上げてモルタルで固め、オレンジ色の屋根が被せてある。石の色合いや切った石の形が多少バラけているのが相変わらずグッドポイントだが、ケプラではどこでも見かける建物でもあるので、特筆する点は特にない。


 それでも、高級宿に敷設させる建物だという意識はあるらしく、窓の枠組みは茶色くしてあり、窓周りにはほどよくつる植物が這っていて、外観はいくらか鮮やかだ。

 外壁につけられている灯りも職人技が光る意匠が凝った代物だし、地面には金櫛荘内の敷地と同じように、小さな砂利が綺麗に敷き詰められている。そもそもこの長屋の周りは植えられた無数の植木によって隠されるように建っている。


「ここですわ。中は床ではなく地面になっています。大きな石などはあらかじめ取り除いてありますが、ご注意くださいませ」


 大げさだなぁと少し思いつつ、語調が柔らかく、弱くはないだろうが他の使用人たちほどには気が強くはなさそうな彼女が言うと違和感はあまりない。


 簡素に作られた石の玄関を登り、長屋の中に入る。


 中は体育館のように広いが、がらんとした空間だった。注意喚起されたように、床は砂分多めの地面だ。怪我とかを配慮しているんだろう。


 壁の一部にはダーツのような的があり、奥には隊列のように並んだカカシと木造の大きな箱、木造の小屋があった。小屋の前には三角形の台があり、槍と剣がいくらか立てかけられているので、小屋は武器や鎧などを収容している倉庫かなにかなのだろう。


 反対側の隅の方にはなぜかマットレスがあった。茣蓙のようなものの上に置かれ、同じく茣蓙のようなものを軽く被せてある。


「あれってマットレスですか?」

「はい。館内で使わなくなったものですが」

「何に使うんです?」

「レスリング術の打撃技や寝技、訓練用の武器の打ち込みなどに用いています」


 レスリング……。

 俺たちは木造の小屋の方に向かっているのだが、先頭を行くマグドルナは至って普通にそう返答した。


「レスリングって寝技とかするやつですよね」

「はい。その通りでございます」


 まじか。まあ、使うは使うだろうけど……。


「寝技ってそんなに使う場面ありますか?」

「ほとんどございませんね。1対1の場合は問題ありませんが、人から襲撃を受ける時には2人以上が多いですし、寝技をしようものならわざわざ隙を見せるようなものですから」


 確かに……。なるべく出さないようにしたが、マグドルナの至って普通の説明にはちょっと戸惑ってしまった。ダンテさんが戦い方のいろはを語るのはいいのだが、良家のお嬢様の雰囲気が確かにあるマグドルナはぱっと見は戦いとは縁がなさそうな女性だからだ。


「……襲撃はよく受けるんですか?」


 俺たちは小屋についていたが、気になったので質問を続けてしまう。


「ケプラ市内にいる限りはほとんどございません。ただ、ケプラを出た移動時や狩猟の護衛などで、山賊や魔物などに遭遇してしまったケースはございました」

「で、対処したと」

「はい」


 マグドルナは苦い顔をしていたが、特に動じた素振りはない。彼女の穏やかな雰囲気からすると、新鮮な挙動だ。恐怖の感情を張りつけたり、一転して表情が消えたりしてくれた方がまだ受け入れやすいかもしれない。軽々と撃退したのか、苦労して撃退するのか、察することができない。

 もっとも、彼女のレベルは24だ。門番兵と同等のレベルだが、戦闘の経験は兵士の方が多いだろう。彼女が平静を装っているように見えるのは、単に使用人としての態度を崩していないだけかもしれない。


「ダンテさんも?」

「はい。私の方は近頃はあまり同行していませんので、そういう目にはあっていませんが。……宿泊客様の方が女性使用人を同行人に指名し、道中で襲撃を受けた際、当館の女性使用人かそれとも宿泊客様か、どちらが先に狙われるのかはこちらからは判断できません。ただ、可能な限り、当館の使用人に注意が向くようにはしています。ですので、当館では女性使用人たちには出来得る限り欠かさず訓練を受けさせています」


 注意が向くようにとはどんなことだ? と、イン。


「馬車での行路であれば、宿泊客様には馬車内に待機していただいています。馬での行路であれば、馬と使用人の装備を外させています。服の下にはもちろんつけますが」


 危なくないか?


「なるほどの。それで防御系の魔法を張ると」

「はい。その通りでございます」


 ああ、魔法があったか。なるほど。


「もっとも、当館の使用人が皆、訓練を受けていることは知られていることです。この辺りで当館の馬車や我々を見てもなお襲撃しようと考える者は、考えの足りない愚か者か浮浪者の子供の集団の襲撃者がほとんどです。ですので、ご心配はいりませんよ」


 ダンテさんがそう言って、和らげた口調で諭すように俺に言ってくる。

 心配? 確かに心配もないわけじゃないが……ちょっと難しい顔でもしていたのかもしれない。というか、子供もくるのか。


 頼りにしてます、と微笑すると、ダンテさんはお任せくださいと軽く一礼し、マグドルナもそれに倣った。



 ◇



 木の棒と木の棒が打ち合う音が、訓練場の中に響く。

 ディアラとダンテさんの打ち合いによるものだ。


 二人はまず、先を丸くした槍の穂先に布をかぶせた訓練用の槍でまずはいくらか打ち合った。ダンテさん曰く、ディアラの実力を知るための打ち合いらしい。


 その後は、「ショートスタッフ」と呼ばれる木の棒での打ち合いになった。ショートとついているがディアラのショートパイクと同じくらいの長さで特に短くはない。もちろん穂先には何もない。

 つまり棒術だが、このショートスタッフ術は子供から大人まで、槍の訓練として用いられるのはもちろん、貴族や王族などはよく嗜みにしている武術の一つらしい。ディアラの里では、この訓練はしていなかったらしい。


 で、ディアラは槍の訓練としてショートスタッフによる打ち合いを始めたわけだが、ダンテさん曰く、ディアラは少し基礎を固め直した方がいいとのこと。


 ダンテ評では、ディアラの槍は、大胆ではあるし、熟練の槍手がするような力強さもあるのだが、動きが大味で反撃をあまり想定していない、槍には相手の武器をはじく技や受け流す技、牽制技など色々とある、軽いショートスタッフで細かい動きに慣らしていきましょう、とのことだった。

 動きが大味というのは俺もなんとなく同意したんだが、先生はあのジョーラだったし、アランプト丘でもディアラはカレタカの指示を受けて一撃入れるだけだった。大先生はいたし、実戦の先生もいたが、確かに基礎訓練の先生はいなかった。ダンテ先生は言動と筆頭使用人の立場のままに、頼りがいがあるらしい。


 一方のヘルミラとマグドルナとインは静かなもので、マットレスに被せてあった茣蓙を持ってきて座り、三人で話し込んでいる。時々、お互いの手を腕に当てあったりして。

 傍には大量のエーテル(低)がある。悪いとは思ったんだが、マグドルナからは気にしないでくれと言われた。


 彼女たちの話の内容は体内魔力の感知と操作方法について。応接室でダンテさんと話していた、護身系の魔力操作術の方面の話だ。


 先にディアラたちの方を聞いていたので、詳細はあまり把握していないのだが、どうもヘルミラは「魔法への魔力転換と放出」の方は問題ないのだが、「体内魔力の感知」はあまりできてはいないようだった。

 だからヘルミラは自分の魔力の残存量はきちんと分かっていないし、レベルの上昇によるものは別として魔法の威力の調整もあまりできず、他人に魔力を分け与えることもできない。


 もしヘルミラがそれほど才に恵まれていない魔導士であるなら、まずは体内の魔力を感知し、その魔力を手に集め、放出するイメージを持つことから始まっているはずなので出来ていたはず、とのこと。

 ヘルミラは始めの頃はそういう風に教わっていたが、次第に気にしなくなっていったらしい。姉妹仲良く才能があるために、基礎が疎かになっていたようだ。大先生をつけすぎたこともあるだろうか。


 インはヘルミラのこの辺のことに気付かなかったらしい。

 元々“人の子ら”とさほど付き合いがあったわけでもなければ、魔導士の卵を育てたこともなかっただろうから、当然といえば当然だろう。レベル20前後の人の子らとレベル100の七竜じゃ、目線がまず違う。そういうのに長けた七竜もいるかもしれないが、インはそこはちょっと。


 そんなわけでインはマグドルナの的を射、しっかりと世間的な事情も反映していたヘルミラへの進言の数々には感心していた様子だったが……いざ魔力操作の練習になると、インが主導権を握ってしまったらしい。


 気付いた時には立派なご高説と魔力操作の技術を披露していて、ヘルミラはもちろん、マグドルナも聞き入っては、その練習方法――見る限りではそれほど変化はないが、インが二人の体に触っているので、俺がかつて《魔力装》を教えるためにハリィ君にしたようなことをしているのかもしれない――に従っている。

 まあ……いいんじゃないかな。別に。初級も初級の魔法の《灯りトーチ》も使ってるようなので、割とちゃんとした練習方法なんじゃないだろうか。俺はディアラが成長して、インが七竜だとバレなければ何でもいい。どうせインは何をしても身バレしないに決まっている。(おい)


 と、そんな感じで二組の「教室」の様子に安心した後、俺は二組から離れた場所に来た。

 ネリーミアの魔道具店で購入した魔法の確認をするためだ。


 確認するのは、《水の防壁ウォーター・ウォール》《風壁ウインドガード》《風刃ウインドカッター》の三つ。《灯り》のように誤作動しても、被害はほとんどないだろうという理由から。

 《火弾ファイアーボール》と《岩槍ロックショット》は後回し。イン曰く、当初の俺の《灯り》の「あり得ない火柱化」は《灯り》が何百年も前からある古い魔法で、魔法回路が古いためだろうとのことだが、《風刃》の威力の具合を見て判断しようと考えている。


 さてさて。ちょっとワクワクしつつ、俺はまず「水の防壁・超弱く」と念じた。

 すると間もなく、俺の周りが水でできたドーム状の膜で覆われた。さすが初級魔法、実にシンプルな魔法らしく、予想を裏切ってはくれない。


>称号「見習い水魔導士」を獲得しました。


 心は見習い魔導士だよ。


 水は緩やかにだが螺旋状に流れがあるようで、訓練場内の風景を少し歪めている。音も小さいが、サラサラと流れる音が聞こえる。この中で読書をしたらリラックス効果があるかもしれない。……いや、紙がパリパリになるからダメだな。とはいえ、地面に水滴は飛んでいない。水のにおいはあるのだが、不思議なものだ。

 この魔法はクライシスにもあった魔法なのだが、現象的にはそれほど差異はないように思う。他の防御系魔法よりも防御力が低く、水属性の抵抗値を上げるくらいしか活用できなかったが、そんなところじゃないかと推測する。


 ふと思って、ステータスウインドウを出してみる。

 防御力増加の数値は、水属性の抵抗値が0%から+30%になっていた。スキルマスターくらいはあるらしい。


 水の膜の範囲を広げられないかと思い、「水の防壁・範囲少し広く」と念じてみた。

 すると、水の膜が俺から二歩ほど遠ざかった。少しでこれならもっと広げられるんだろう。今は人の目があるのでこの辺にしとこう。


 一方で、抵抗値の変化はない。抵抗値を上げるなら、分厚さか?


 今度は「水の防壁・少し分厚く」と念じてみる。

 すると、水の膜の中にあった水流が速くなって激しさが増し、景色が見えづらくなった。抵抗値は……+40%だ。ふむ。この分だと結構上げられるようだ。ただ、周りの風景が見えなくなるのがダメだな。


 クライシスの《ウォーター・ウォール》は、防御力も一応上がったものだが。


 シャツの袖をまくって、膜に向けて手を伸ばしてみた。結構水の勢いがあるが、普通に通ってしまった。水流は螺旋状だが、滝に手を突っ込む感じのようだ。

 もっと分厚くすれば、水の勢いでだいぶ武器の威力を落とせるし、視界も悪いしで、それなりに有効になるだろうが、突進されて内部に入られたら意味がないだろう。俺の最大出力=バカみたいな威力だろうから、評判通りに一般的には前線用途じゃちょっと厳しいらしい。


 あ。でもこれ、シャワー代わりにできるじゃん。上から降ってこないのはあれだけど、素晴らしい! 野営時のシャワー代わりだ。となると、欲しくなるのはお湯だけど。

 温度を上げてみた。ちゃんとお湯になった。素晴らしい~~!!


 もの凄い発見をして(?)テンションが上がったままに、《水の防壁》はいったん解除した。相変わらず二組は訓練や話し合いを続けている。


 さて、次はと。今度は《風壁》だ。《水の防壁》は意図せず有効活用できることが分かったが……。


 俺は「風壁・超弱く」と念じた。

 間もなく、俺の前方90度ほどの範囲の地面の砂利がいっせいに転がり始めた。間もなく風が吹き始めた。色はつかないらしい。俺には風は当たっていないが……頭上に手を伸ばしてみると、指先で風の当たる感触。


 永続的に風は地面から吹き出し続けている。《水の防壁》と同じく、現象的にはクライシスの《ウインドガード》と同じらしい。

 風属性の抵抗数値も+20%だ。クライシスでは防御力も上がりはするが《水の防壁》以下の数値で雀の涙ほどしか上がらないので、他の魔法を覚えるための魔法でしかなかった。


 これは何に使えるんだろうな。ドライヤーは《微風ソフトブリーズ》があるからな……。永続的に風が起こるということで、壁に塗ったペンキや大きな絵画を乾かすとかの用途では使えそうではあるけど。

 ああ、洗濯物か! まあ……うん。急に大雨来た時とか便利かもしれないけど……まだ雨降ってるところ見てないんだよな。あとは干物作りとか? うーん。


 実戦では遠距離からの矢の命中率を下げたりとかそんなところか? でも、矢が全部木材で出来てるわけもないだろうしなぁ。防御魔法の保険というところか。壁が見えないのは利点ではある。


 念のため、「風壁・少し分厚く」と念じてみた。ほとんど聞こえなかった風切音が聞こえるようになった。

 手を伸ばしてみると、結構風力がある。遠距離射撃部隊を相手にするときには、保険として貼ったりしているのかもしれない。


 最後は《風刃》だな。


 この魔法はアランプト丘でロレッタが使っているのを見ている。薄い緑色のほとんど透明の何か――空気の塊がオーガの目に直撃していた。

 殺傷力はないし、世間的にはいまいちな火力魔法の位置づけらしいが、ロレッタのような使い方、つまり眼球や粘膜などの痛みが入りやすい場所に当てたりすれば、使えなくもない。股間とかもだいぶ痛いんじゃないんだろうか。……恐ろしくて俺はその用途は億劫だけど。


 これはクライシスにはない魔法だ。だが、「風の刃をぶつける」という《エアレイド》という魔法と似たような現象だ。

 俺は前方の地面に向けて、「風刃・超弱く」と念じた。すると間もなく、軽い衝撃音が発生し、地面が浅く抉られた。ちょっと驚いたが、発動スピードは速いようだ。


 やはり現象的には想像の範疇だったようだが……うーん。地味だ。目に当たったら痛いのは分かるけれども。股間も痛いのは察した。対人戦は結構有用かもしれない。


 俺はマグドルナの元に行った。ヘルミラは目をつむって、自分の腕に手を当てている。魔力感知に集中しているようだ。小声にしよう。


「マグドルナさん、カカシを借りてもいいですか?」

「もちろんです」


 同じく小声で答えてくれたマグドルナさんは立ち上がり、カカシを持ってこようとしたので、自分で持っていくのでヘルミラを任せると伝える。


「何をするんだ??」

「《風刃》をちょっとね」


 二人の傍にいるインは眉を上げ、口を尖らせてうんうん頷いて見せた。じゃっかん変な顔だ。なにその表情。さしずめ、「ようそんなしょうもない魔法に熱心になれるの」といったところか?

 そのしょうもない魔法で、どこでもシャワーを浴びられるんだぞ。馬鹿にしちゃいけない。


 カカシは騎士団の詰め所にあったものと少し違うらしい。

 重しが鉄であることや、腕のない人の上半身を象ったように見える木の彫刻が芯になっているのは一緒のようだが、巻かれている藁束の編み目が少し違っていて畳の表面に似ている。


 騎士団の詰め所にあったカカシの藁束は編み籠で見るような編み目だったが、こちらの方が多少分厚い気がする。畳ということはイグサか? でも色は茶色なんだよな。

 鉄製の重しには、「ロウハングリー工房作」と彫られている。


 それはさておき、気持ち的には一番使い込まれているのを使いたいが、それだと威力のほどが分かりづらいかもしれない。《風刃》の威力は低いらしいしね。

 一方の面はおそらく剣の切り傷やら破けやらでひどいが、もう一方の面は傷のほとんどない綺麗なカカシがあったので、これにした。もちろん使うのは綺麗な面。


 カカシを抱えて、地面を抉った場所辺りに立たせた。


 手をカカシに向けて「風刃・超弱く」と念じる。

 間もなくカカシには何かが直撃した。一瞬のことだったが、巻かれたタタミモドキには小さな衝撃波をくらったような跡ができた。


>称号「見習い風魔導士」を獲得しました。


 今度は風ね。


 近づいてみると、ふわっと畳の懐かしいにおいが香った。やっぱりイグサ……。衝撃波といっても、いくらか鋭利めのようで、痕は先細りしていっている。

 中身はまだ見えないが、1/3くらい抉れただろうか? ……うーん。地面とタタミモドキの比較じゃいまいちわからないが……俺の感覚でだけど、意外と威力あるんじゃないか? これ。


 ロレッタがしていたように、目つぶしに有効なのは分かった。

 だいぶ弱めてこの威力なので、俺が人にやってしまうと失明しそうだが、魔法がほとんど扱えない剣士の《風刃》でもいくらか有用そうだ。魔力があれば簡単に目つぶしができるとか、嫌な話だ。


 今度は「風刃・弱く」と念じる。つけた傷の上の方に当てるのを意識して。

 さっきと同じようにカカシには、間もなく風の刃もとい衝撃波が直撃した。痕は結構深く、もうすぐで中の彫刻が見えそうだった。場所もさっきつけた傷の上だ。命中率はいいようだが、やっぱり結構威力あるよこれ。


 もう1段階上が見たくなった。今度は「風刃・少し弱く」と念じた。場所は1回目の傷の下だ。

 鋭利な衝撃波がカカシを襲い、メキという聞きなれない音。奥まで入ったな。場所も1回目の傷の下にしっかりと入った。そんなに遠くないのもあるが、命中率がほんといい。


 畳のにおいを嗅がされつつ指で無残な藁束をかきわけて痕の先を見てみると、パラパラと木屑が落ち、中の彫刻に衝撃がしっかり届いていた。

 どれほど深いんだろうと思い、彫刻を軽く持ち上げてみると、だいぶ深く、……残りは“皮一枚”で繋がっていたようで、ベリッという音を立ててカカシは分断され、地面に落ちてしまった。やば。


 “通常の威力”で切れるだろうと踏んでたのに……。


 謝りに行くか、とため息をつくと、横にインがいて驚いてしまった。ヘルミラとマグドルナは依然として座り込んで何かを話している。

 インは落ちてしまったカカシの上半分を眺めている。特に驚いた様子はなく、じっと見ている。な、なんだよ。


 やがてインはため息をついて、俺を見上げた。


「ときどきカカシを覗き込んでは何をしておるのかと思いきや……これじゃあもう使い物にならんの」

「う……。謝りに行くよ」

「ん? お主がか?」

「え、うん。壊しちゃったし」


 インは眉を上げて怪訝な顔をしていたかと思うと、目線を逸らした。肩が震えている。……笑いをこらえているらしい。


「カカシは壊すためにあるのであろ。……なぜ、お主が謝らねばならんのだ。くく……」

「それはそうなんだけど……」

「私らは奴らの主人のようなものだし、……宝物を壊したわけでもない。高価なもんでもなかろ。……なぜ謝るのだ。うくく……」


 なんかツボに入ったらしい。理屈は分かるけども。そういえば、さっきも団長に笑われたな~。


「……ふぅ。ま、息子の過ちは母も同罪だ。一緒に謝ってやろうではないか?」

「はいはい。ありがとうございます~」


 少しご機嫌になったインは切れてしまったカカシを取り上げる。


「中は木か。初級魔法を色々と試しとったようだが……」


 インが俺のことを見上げた。ちょっと眉をしかめている。


「試し打ちは《風刃》だったか」

「まぁ……」


 インは軽く息をついた。また初級魔法でなんでこんな威力になるのかとか言われるんだろう。

 だがインは俺の予想した質問はせず、「なぜ威力の違う傷が3つついているんだ?」という質問をしてきた。別に隠さなくてもいいかと思い、少しずつ強めていったことを正直に話した。かがんで声をひそめて。首を傾げるイン。


「また変なことをしとるの。どうしてそんなことをする必要があるんだ?」

「ここ館内だし、何か壊すのまずいからね。実際壊しちゃったけど」


 インはふっと鼻を鳴らした。


「なるほどの。私は人化しておるし、ほどよい力加減になっておるが、ダイチはそうもいかんのだったな。で、《風刃》はなにか活用できそうなのか?」

「どうかな……正直今のところは活用方法は思い浮かばないよ。《水の防壁》や《風壁》はともかく」

「《水の防壁》と《風壁》は何かあるのか?」

「《水の防壁》はシャワーになるね。《風壁》は設置型の強い扇風機。ああ、扇風機っていうのは、風を半永久的に送ってくれる装置のことね」


 インはまた怪訝な顔をして俺のことを見てきたが、すぐにそれは収まり、腕を組んで考える様子を見せた。


「どっちも実戦ではあまり使えん魔法だしの。《岩槍》を畑を耕すのに使っとったように、そういう風に使ってるやつもおるかもしれんな」


 俺としてはシャワーが出来て一緒に喜んでほしい気持ちが少なからずあったが、そこはさすがに期待していなかった。

 これまでは湖で水浴びをしていて、最近人間の水浴びを初体験した者が、シャワーのありがたさを分かるのは無理だろうから。ただ、《水の防壁》は水流もあるので、泥土や血も落としてくれたりするだろうから、実際に使って賞賛することはあるかもしれないけどね。

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