第280話 ご立派でしょう?
アーデルハイト達が騒いでいた、ちょうどその頃。
木々の匂いに誘われたのか、オルガンはひとりふらふらと境内を散策していた。
「おぉ」
この神社は境内に多くの木が生えており、ベッドタウンの中にあってなお自然を感じられる。年末年始でなくとも周辺住民にとって憩いの場となるような、そんな場所だった。所謂『鎮守の森』と呼ばれるものだ。無論オルガンとて、こちらの世界に来て初めて自然に接した訳では無い。以前向かった神戸ダンジョンは山中に位置し、周囲は森に囲まれていた。大自然という意味ではむしろ、そちらのほうが色濃かったとさえ言えるだろう。
しかしそれらよりもオルガンの興味を引いたのは、たった一本の御神木であった。オルガンが巨木の前で立ち止まる。根の方から順にしげしげと、興味深そうな眼差しで。
「これはなかなか……か?」
一般的にエルフと言えば、自然と共に生きる種族として知られている。だがオルガンはそうではない。元より謎が多いとされるエルフ種の中でも、彼女はとびきりの変人である。はっきりと言ってしまえば、彼女は自然になど毛ほども興味がないのだ。こうして御神木を眺めたところで、樹齢がどうだのはさっぱり分からない。そんなオルガンだというのに、別世界で見つけた御神木に何故だか引き寄せられる。
「ふしぎな何かを感じる……か?」
眼の前の巨木は、エルフの森で見る木々とはまるで異なる。何しろあちらの世界の樹といえば、エルフ達が住処として利用するような木々なのだから。故郷の森には『世界樹』などと呼ばれる無駄に偉そうな樹もあったが、それとは比べるべくもない。それどころか、そこらに生えていた雑多な木々のほうが余程大きいだろう。太さも比べ物にならない。樹齢にしてもそうだ。詳しく知らないオルガンですら、故郷の樹の方が数倍長く生きていると分かる。
彼女自身、何故こうまで惹かれるのかは分からない。だが、不思議と目が離せなかった。大抵の物事には理屈を付けられるオルガンにとって、ある意味では貴重な体験といえるだろう。
「ふむり……」
不思議な感情にそわそわとしつつ、ゆっくりと巨木を見上げるオルガン。そんな彼女へと声を掛ける者がいた。見た目から察するに、年齢は六十そこらといったところか。白髪交じりの髪に柔和な笑みを浮かべた、如何にも『私が宮司です』といった顔の男であった。
「ご立派でしょう?」
「む? なんかあやしいジジイがうしろから出た」
「はっはっは。いや、いきなり話しかけて申し訳ない。私はここの────まぁ、管理者みたいなものです」
「ほーん」
会話になっているのか、いないのか。傍から見ればバッドコミュニケーションな気もするが、しかし男はオルガンの失礼な発言を気にした様子もない。実際のところ、彼はこの神社の宮司である。しかし相手が誰であろうと、オルガンにとってはどうでもよいこと。無視をした訳では無いが、しかしオルガンは再び巨木へと視線を戻す。
なお、宮司と神主は似ているようで実は違う。簡単に言えば『神主』というのは神社に仕える者を総称した呼び名であり、基本的には『神職』と同じ意味合いである。対して『宮司』というのは『神職』の中の役職の一つだ。
また、全国に存在する神社の数に対して神職の数が圧倒的に足りないため、神職が常駐していない神社は山程ある。そんな神職が常駐している神社を『本務神社』、常駐していない神社を『兼務神社』などと呼んだりする。つまり、大きくも小さくもないと思われていたこの神社は、宮司がいる程度には規模の大きな神社だったということになる。閑話休題。
大抵の少年少女は、御神木よりももっと別のものに興味を示すことが殆どだ。故に御神木を興味深そうに眺めていた少女────見た目の上では、だが────が珍しかったのだろう。少し気恥ずかしそうに語る宮司の表情は、つい声をかけてしまった、といった雰囲気であった。
「この木は何故縛られているのか」
「はっはっは。あれは
「ほーん」
聞いているのか、いないのか。オルガンが自分で話を振った割には、酷くドライな反応であった。いつも通りと言えばいつも通りではあるのだが。
「この木は御神木と言ってね。日本では昔から、自然の中に神が宿ると言われていて────」
宮司による有り難い解説が始まったあたりで、しかしオルガンはふいと踵を返す。まるで見るものは見た、もう興味はない、とでも言わんばかりに。そもそもの話、オルガンが御神木を眺めていたのには理由などないのだ。ただなんとなく、何故か目が離せなかっただけ。元より興味などなく、ある種、気の迷いのようなもの。
「おや、余計なお世話でしたか?」
「別に。もう見終わっただけだから」
「はっはっは。ではまた、いつでも見に来て下さい」
ともすれば失礼とも受け取れるオルガンの態度にも、宮司は楽しそうに笑うばかりであった。そうしてトコトコと去ってゆくオルガンの背中を、優しい瞳で見送る宮司。その時ふと、少女の身体が淡く光り輝いたように見えた。何かの見間違いかと思った宮司は、目を擦ってから再度少女へと視線を送る。先程見えた筈の燐光はすっかり消え失せ、気だるげな小さな背中だけが残っていた。
「ふむ……歳ですかね?」
不思議な雰囲気を持つ子だったな、などと考えつつ、宮司もまたその場を後にする。その少女が人間ではなく、また自らの倍近く生きていることなど、宮司には知る由もなかった。しかしあの不思議な少女はまた来てくれるような、そんな気がしていた。
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