第120話 それじゃあお言葉に甘えて

「あぁーっ!!こらーっ!!」


 大きな声を上げながら、月姫かぐやがリビングを走っていた。彼女が追いかける先には、自らの角を咥えた肉の姿。月姫かぐやと肉が追いかけっこをするこの光景は、異世界方面軍にとってすっかりお馴染みとなっていた。


 そんな一人と一匹の姿を眺めながら、アーデルハイトとクリスは製本作業に勤しんでいた。なおみぎわは別室でのコピー作業を行っており、印刷が済んだものからアーデルハイトとクリスの元へと運び込む分業制である。今回彼女達が作るのは、最も基本的な袋綴じタイプのコピー本だ。近頃は資金に余裕が出始めた為、何十万とする業務用のコピー機を購入したのだ。


 ちなみに、今回は既刊コピー本の他にも、簡単に作れるグッズをいくつか制作している。デフォルメされた異世界方面軍の面々(肉ヘビ入り)が印刷された缶バッチや、アクリルキーホルダー。そしてそれらのキャラクターが、怪しい語録と共にプリントされたクソダサTシャツなど、如何にもなやっつけ感の漂うグッズだ。


 といってもそれらは手作りではなく、デザインのみを自分達で手掛け、あとは業者に任せた簡易グッズである。数もそれほど多く発注しているわけではなく、缶バッチが100個、単価の高いアクリルキーホルダーは50個だけ。コピー本も手作業故に100部のみである。今ひとつボリュームに欠けるような気もするが、元々みぎわやクリスが行っていた同人活動は所詮趣味の延長である。それなりに人気があったといえど、活動は細々としたものだった。それと比べれば、今回はかなり頑張った方と言えるだろう。


「騒がしいですわね……」


「まぁ、肉も遊んでもらって楽しそうですし」


「これがあの巨獣の成れの果てですの……すっかり変わり果ててしまいましたわね……」


「私は今のほうが可愛くて好きですよ。威厳というか、あちらの世界で恐れられていたような神性は全く感じませんけど」


 そんな呑気な会話をしながらも、ぱちり、と小気味の良い音を立て、ホッチキスで冊子を留めてゆく二人。アーデルハイトとクリスにとっては、月姫かぐやと肉のどちらに軍配があがろうとどうでもよいことだった。


「ちょっと師匠!いいんですかコレ!!ていうか大分短くなってません!?」


「何度叱ってもどこからか見つけてきて齧るんですもの。もう諦めましたわ」


「でもこれ、協会に売るんじゃないんですか?」


「だって、いつまで経っても話が進まないんですもの。花ヶ崎支部長は他国の協会と揉めてると仰っていましたけれど……」


 そう言って胡乱げな瞳を向けるアーデルハイト。その視線の先には、ソファの上でガリガリと角を齧る肉の姿があった。

 渋谷での探索時に手に入れた巨獣にくの角。以前は当然のように協会へ売りつけるつもりでいたが、売買に関する話がまるで進まないのだ。

 協会としては当然、研究材料としても価値の高い未知の素材は喉から手が出るほど欲しい。だがそれは他の国の協会も同じことだ。当然ながら問い合わせは殺到し、現在は本部も巻き込んで、その対応に追われているとのこと。


 花ヶ崎刹羅のげんによれば、未だに何処が買う、買わないの段階である。査定がどうこうという以前の話であり、まだ売買契約すら結んでいない。

 そうして『早めに決着をつけるから、少しだけ時間を頂戴』と言われ、ずっと連絡を待ち続けている状態である。当初予定されていた肉の検査すらも、これまでずっと後回しとなっている。


 そうこうしている間にも、肉は角を齧るのを止めない。そうして気がつけば、売る予定だった巨獣の角はすっかりと短くなってしまっていた。代わりに、尻を叩いたときに伸びる肉の角が大きく鋭く成長している。だから何なのかはまるで不明だが。


 余談だが、協会がここまで後手後手になっているのには理由がある。その理由とは勿論、伊豆ダンジョン攻略の件である。渋谷のイレギュラー事件から殆ど時間をおかず、立て続けに行われたダンジョン制覇。ダンジョン界隈への影響は言うまでもなく多大であり、おかげで協会は事後処理と対応に追われ、支部どころか本部までが業務輻輳ふくそう状態となっている。そんな中で他国の協会とも折衝を行っているのだから、話が進まないのもさもありなんといったところだ。

 つまり、全ての元凶はアーデルハイトにあるといっても過言ではない。ある意味自業自得であった。


 それはさておき、結果としてアーデルハイトは角の売却を諦めていた。短くなった角でも買い取りたいというのならばそれもやぶさかではないが、この様子では全てが肉の胃袋に収まるまで、話が進まないような気がしていたからだ。

 勿論アーデルハイトも花ヶ崎支部長には申し訳ないと思っているが、だからといって積極的に肉を止めるつもりもなかった。ここまで一心不乱に自分の角を齧るのだから、本能的な何かがあるのかもしれないと考えたのだ。


「それによくよく考えてみれば、世界に一つしかない希少な物を売るのって勿体ない気がしますわ。こうしてお肉ちゃんが固執するのにも、もしかしたら意味があるのかも知れませんし」


「あ、それは私も思ってました。かなりの金額が付くのは間違いないと思うんですけど、ちょっと勿体ないなーって。逆鱗を装備に使わないで、錬金ポイントにしちゃう的な……いや、この喩えはちょっと違うか。ともかく師匠達なら、お金は他の手段でも稼げますからね」


 駆け出し配信者であった以前ならばいざ知らず、今の異世界方面軍は余裕を持って活動できる程度には稼ぎがある。急増した登録者のおかげで、単発動画の再生数も好調だ。企業からの案件依頼もいくつか届いている。センシティブ尻事件など紆余曲折はあったものの、異世界方面軍は漸く軌道に乗ったといってもいいだろう。眼の前に大金が落ちているからと焦って拾わずとも、資金はこれから増えていく筈だ。それよりも本来の目的、『のんびり楽しくスローライフを目指す』を忘れてしまう方が問題だった。


「そういうことですわね。わたくし達のモットーは、のんびり楽しく、ですもの」


「のんびりと言うには、ずいぶん早い台頭でしたけどねー」


「そうですの?あちらの世界ではそれこそ、たった一度の戦いで英雄と呼ばれるようになることもありますわよ?」


「おぉ……ファンタジー小説のチート勇者みたいな感じですかね?」


「その汚らわしい名前を出すのはやめてくださいまし」


 勇者マヌケの名前が出た途端、アーデルハイトは小さく舌を出して嫌そうな顔を見せる。近頃はすっかり思い出すことも減っていたが、だからといって彼らに復讐することを止めた訳では無いのだ。今はまだその方法に辿り着いてはいないが、その手がかりのような物は先日見つけることが出来た。『アレ』がこちらの世界にあった以上、可能性はゼロではない。


 と、そこでアーデルハイトはふと思い出す。


「そうですわ。月姫かぐや貴女あなた『ソレ』、要ります?」


 そう言ってアーデルハイトが指さしたのは、リビングのすみに無造作に立て掛けられていた大太刀だった。言わずもがな先の伊豆ダンジョン最下層で手に入れた、謂わばクリア報酬のようなものである。アーデルハイトは使うつもりが無かったし、戦闘スタイルを考えればクリスにも合わない。つまり異世界方面軍にとって、この大太刀は無用の長物であった。故に、リビングの片隅に雑に置かれていたのだ。


「……?え、もしかしてアレのことですか?」


「ですわ。わたくし達には必要のないものですけど、先程も言ったように売るのは少し勿体ないですわ。もし使ってみたいのなら、仕込んで差し上げてもよくってよ。基本は剣と同じでしょうし、それなりに教えられると思いますわ」


「いいんですか!?……いえ、やっぱりこんな高価なものは……流石に……」


 一瞬喜びを見せるも、思い直したかのように声を抑える月姫かぐや。しかし惹かれるものがあるのだろう、壁に立て掛けられた大太刀へと、チラチラと横目を向けていた。


「知り合いで使えそうなのは、貴女かベッキーくらいですもの。ベッキーに渡すよりは、弟子に譲ったほうがいいでしょうし。貴女が使わないのなら、どのみち協会に売りつけるだけですわ」


「あ、そうなんですか……確かに気にならないといえば嘘なんですけど……それじゃあその、頂いても……?あ、お金はあるんでちゃんと買います!!」


「結構ですわ。師が弟子に武器を売りつけるなんて、そんなこと恥ずかしくて出来ませんもの」


「うう……それじゃあお言葉に甘えて……えへへ」


 そんなアーデルハイトの言葉に、月姫かぐやは少し恥ずかしそうに笑ってみせた。そうして大太刀を手に取り、試しに抜いてみようとして───しかしあまりの刀身の長さに、抜き方が理解らなかった。


「え、コレどうやって抜くんですか?」


 月姫かぐやが普段通りに刀を抜こうとしても、どうにも手の長さが足りなかった。何しろ、刀身だけでもアーデルハイトと同程度の長さがあるのだ。精一杯手を伸ばしたところで、鞘から抜くことは出来ない。


「貸してごらんなさいな」


 アーデルハイトは立ち上がりそう言うと、月姫かぐやから大太刀を受け取る。そうして肩の上、首の後ろで刀を保持し、そのまま背面でゆっくりと抜き放つ。広めのリビングの中央に、白銀の刀身がその姿を現していた。普段は長剣を使用しているアーデルハイトであったが、不思議とよく似合っていた。


「うぉぉ……師匠!!なんですかソレ!!カッコいいです!!」


「背面の方が目一杯腕を伸ばせますの。当たり前ですけど、戦闘中にコレの抜刀なんて出来ませんわよ」


「はいっ!!それで師匠!いつ稽古してくれるんですか!?」


「何時でも構いませんけど……今はそれよりも、わたくし達にはやらなければならないことがありましてよ」


 アーデルハイトが大太刀を納刀し、もとの場所へと立てかける。そうしてテーブルへと戻り、先程まで大太刀を握っていたその手に、代わりのホッチキスを握る。


「というわけで月姫かぐや、貴女も手伝って下さいな」


「はい!!」


 テンションが上がりっぱなしの月姫かぐやが、想像上の尻尾を振り回しながら元気よく返事をする。合歓の手伝いを何度かしたこともある月姫かぐやの手際は、こなれたものであった。そんな参加サークル側の事情を多少なりとも知っている月姫かぐやが、ずっと気になっていた事をアーデルハイトに告げた。


「ところで師匠……」


「なんですの?」


「こんな数じゃ絶ッッッッッッッッ対に!秒で売り切れますよ!?少なすぎます!あと多分、島から追い出されますよ!!」


拳を握りしめ、そう力説する月姫かぐや

その時の月姫かぐやの声は、今日一番大きかったかもしれない。

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