第22話 蟹ですわ

 代わり映えのしない砂浜を踏破し、いい加減にしつこく感じる程に巨大な蟹を倒し、そうして今、アーデルハイトは六階層に居た。

 階層主が現れる周期はダンジョンによって異なり、伊豆ダンジョンの場合、階層主が姿を見せるのは十層毎だ。つまり丁度折返しを過ぎた辺りである。


 二階層の時点でアーデルハイトの右腕に装備されていた蟹の甲羅は、三階層にて敢え無く爆散した。臆病な性質なのか、この巨大な蟹の魔物は襲いかかっては来ない。しかしその代わり、近づくと凄まじい勢いで逃走するのだ。

 そんな巨大蟹を毎度追いかけるのも面倒になったアーデルハイトが、逃げる蟹へと向けて甲羅を投擲したのだ。


 中身の入っていない蟹の甲羅は、ぶつけたところで敵を仕留めるには至らなかった。しかしそれが、ある意味では丁度良かった。投げつけた甲羅は敵に当たって爆散し失われるものの、ぶつけられた蟹は衝撃で瀕死に。身動きの取れなくなった蟹にゆっくりと止めを刺し、新たな甲羅を手に入れる。

 そうして蟹から蟹へと、甲羅を受け継ぎながらアーデルハイトはここまでやって来た。何度も投擲したおかげでコツを掴んだのか、今では至近に甲羅を着弾させることで、蟹を気絶させるなどという技術を習得していた。


 そんな彼女は今、そうして生け捕った巨大な蟹を小脇に抱えている。

 見た目からして凄まじい重量感だが、機嫌良さそうに歩くアーデルハイトの表情からは、微塵も重さを感じない。


「とはいえ、流石にそろそろ他の魔物も見たいですわね。正直に申し上げるなら、蟹はもう飽きましたの」


『もう十匹くらい爆殺してるしなぁ』

『見てる側からしたら飽きないけどw』

『魔物を小脇に抱えてお散歩するのやめてもらっていいすか』

『いくら襲ってこないって言っても普通はやらんぞw』

『ていうかここ他に魔物居ないんか?』

『伊豆Dの事はわかんねンだわ』

『流石不人気、情報が少ない』


「協会の中にはDBデータベースのようなものがありましたわよ?先に見るとつまらなさそうなので、見てはいませんけど」


『伊豆は10階まで行ったことあるよ』

『おっ』

『経験者現る』

『ネタバレになりそうだから、蟹以外も居るとだけ』

『配慮たすかる』

『安心したわ』


「それなら安心しましたわ。このまま蟹しか出ないのでは、撮れ高がありませんものね」


『いや、撮れ高は十分あるよw』

『君はそんな事気にしなくても大丈夫よw』

『撮れ高モンスターアデ公』

『なんならお散歩してるだけでも目の保養になるのズルいでしょ』

『抱えた蟹が気になってさぁ・・・』


 アーデルハイトは別に、蟹を地上へ持ち戻ろうなどと考えているわけではない。強いて言うならばゲーミング木魚の代わりであり手慰み、或いは気分的になんとなく、といった程度の理由でしかない。


 ちなみに死体ではなく、生きた状態で魔物をダンジョンの外へ持ち出すとどうなるのか。これに関しては、既にアメリカの研究チームが探索者を雇って実験を行っていた。答えは『角、牙や皮などの外殻すら残さずに霧散する』である。


 アーデルハイトが元いた世界では、ダンジョン内の魔物が外に出てくることは度々あった。外に出たからといって消滅することはなかったし、そもそも魔物とはダンジョンの中にのみ生息している生き物ではなかった。

 あちらの世界のダンジョンと、こちらの世界ダンジョン。一見して同じように見える二つのダンジョンだが、そういった部分で差異があるのだ。それが何を意味するのか、今はまだ誰にも理解らない。


「あら?」


 そんな時、アーデルハイトが何かに気づき、不意に声を上げた。前方をじっと見つめる彼女だが、しかしカメラには未だ何も映ってはいない。周囲は砂浜であり見晴らしは良いものの、アーデルハイトが見つけた『何か』までの距離が遠すぎるのだ。


『お』

『どした?』

『話し聞こか?』

『直結厨現る』

『俺は分かってるよ。どうせまた蟹だってことはね』

『はいはい蟹蟹』


「蟹ではありませんわ!人ですわ!!」


『マ?』

『急 展 開』

『よう見えるな・・・なんもわからんぞw』

『第一村人発見』

『よーしよしよしよしいいぞー!!』


「漸くですわね・・・不人気ダンジョンを選んでおいてアレですけど」


『そういや何で不人気Dばっかり攻めるんや?』

『薄っすら理解るけど』

『容姿の所為か、実力の所為か』

『どっちもじゃね?』

『無駄に絡まれても面倒だし、巻き込んじゃってもマズいし、みたいなことか』


「鋭いですわね・・・概ねその通りですわ。まぁその辺りの話は追々するとして、一先ずは人影のところまで行ってみますわよ!!」


 探索中に誰かしらと遭遇するのは、京都で『砂猫』の面々と遭遇した時以来だ。この伊豆ダンジョンでは初となる瞬間に、アーデルハイトの期待は否が応でも高まってしまう。そしてそれは、視聴者達も同じことだ。むしろ彼らこそが、アーデルハイトと他の探索者が出会うことを最も期待していたかも知れない。


 アーデルハイトがソロで黙々とダンジョンを踏破し、馬鹿げた戦いの数々を繰り広げる様も勿論見たい。しかしその一方で、自分達の推しが他の探索者達と触れ合い、その圧倒的な実力を見せつける、その瞬間も見てみたい。『俺TUEEE』ならぬ、『推しTUEEE』と言ったところだろうか。そう意味では、前回の『砂猫』の一件は視聴者達にとって、非常に満足度の高いイベントであったと言えるだろう。


 小走りで駆けるアーデルハイトと、それに追随するクリスカメラ。そうして、どこまでも続いていそうな砂浜を進むこと数十秒。カメラでも何かしらの影が確認出来る、そんな距離まで来ていた。


 そこにあったのは岩場であった。

 大小様々な岩が所狭しと並び、白く輝く砂の敷き詰められたこの一帯で、そこだけが異様に浮いていた。しかし、探索者が休息を取るには適しているだろう。大きな岩のおかげで陰にもなり、日陰で休むことも出来る。周囲よりも少し高くなっている為、魔物の接近にも気づきやすい。まるで砂浜の真ん中にぽつんと作られた休憩所のようである。といっても、周囲にはすぐに逃走する蟹しかいないのだが。


 そんな岩場に腰掛けていたのは、一人の男だった。

 年の頃は40~50といったところだろうか。白髪交じりの短髪に無精髭。皺の刻まれた顔に張り付くのは、どこかくたびれたような表情。

 探索者という職業は、その性質上若者が多い。肉体を酷使するハードな探索は、年を増せば増すほど辛くなってゆくものだ。そういう意味で、その男は珍しい部類の人間だと言える。所謂『オッサン冒険者』のようなものだ。


 その表情から見て取れるように余程疲れているのか、或いはアーデルハイトの歩法が鮮やかであったが故か。男はアーデルハイトに気づくこと無く、岩に腰掛けてうつむいたままであった。


「ごきげんよう!」


「うぉおぉお!?」


 そんな男の様子に頓着することなく、アーデルハイトが岩場へと一足で飛び乗る。礼儀正しく挨拶をしたものの、彼女の接近にまるで気づいていなかった男は身体を震わせ、飛び上がり、驚愕の表情でアーデルハイトを見つめていた。


『めっちゃビビってて草』

『いやそらビビるやろw』

『いきなり美女が岩場の下から生えて来た時の、これが普通の反応です』

『おっちゃん男前やな』

『シブいっつーかいぶし銀な感じするな』

『トゥンク・・・!』

『オッサン専現る』


 慌てふためく男の様子も意に介さず、アーデルハイトは簡単に自己紹介を済ませる。


「わたくしはアーデルハイトと申しますわ。怪しい者ではなく、一応探索者ですわ。おじ様のお名前を伺っても?」


「え、あ?なん・・・え?」


「動揺し過ぎではなくて?その様子では、戦場で生き残れませんわよ?」


「あ、あぁ・・・ビビった・・・いや、その、悪ぃ。まさか人が居るなんて思っていなかったから、少し驚いた」


「少しどころではありませんでしたけど」


 腰が抜けたのか、岩場の上に座り込んだままの男を見下ろすアーデルハイト。不敵に微笑むその表情は、男からは逆光となってよく見えなかった。それでも、目の前の少女が恐ろしく美しいことは理解る。男が必要以上に驚いた理由の一つは、或いはアーデルハイトの容姿の所為だったのかもしれない。


「俺は東海林しょうじたすくだ。一応、これでも探索者だよ」


『珍しい名字と珍しい名前のキメラ』

『東海林なのか、それとも庄司なのか』

『音だけではわからないジレンマ』

『別にどっちでもいいんだよなぁ』

『オッサンいい声してるなw』

『おっと、下手なことを考えるんじゃあない。胴に穴が空くぜ?』

『誰なんだよテメーはよw』


 第一村人、もとい、伊豆ダンジョンで初めて出会った同業者。

 彼は視聴者達からも、概ね好感を得ていた。疲れ切ったその表情や無精髭で分かり辛いが、顔立ちは整っている。声もよく通る低音で、背中に纏った哀愁も含めれば、年上好きの女性には大層人気が出そうな容姿だと言える。


「よろしくお願い致しますわ、東海林さん。それで、おじ様はここで何を?」


「あぁ、見ての通り休憩中さ。ところで嬢ちゃん、その・・・」


「なんですの?」


「その格好でここまで来たのか?それにその、抱えているのは────」


「蟹ですわね」


「蟹」


「蟹ですわ」


「そ、そうか・・・」


 質問と答えが微妙に食い違った、怪しい会話であった。

 現在のアーデルハイトは、ジャージ姿に生きた巨大蟹を装備した状態である。蟹以外には武器らしい武器も持たず、その蟹もまた、本能的にアーデルハイトを恐れているのか、微動だにせずに固まっている。その姿は誰がどう見ても怪しく、とても探索者とは思えないものだ。東海林の動揺も、さもありなんといったところだろう。


『いや草』

『これは会話成立してるのか?』

『折角名前聞いたのにおじ様呼びなのなw』

『いや、これは気の毒w』

『スマンなおっちゃん・・・ウチのお嬢様がご迷惑をおかけしております』

『感覚麻痺してたけど、こうして普通の探索者見ると我に返るわ』

『異世界で麻痺した脳に一服の清涼剤』

『まさか中年から癒やしを得ることになるとは』


「それでその、後ろのスーツを着た彼女は一体・・・?」


「わたくしダンジョン配信を行っていますの。こっちはカメラ担当ですわ」


 アーデルハイトの背後からカメラを向けるクリス。最初にカメラへと手を振って以降、未だカメラには映っていない彼女。しかし事情など何も知らない東海林の、そんな何気のない一言が、視聴者達へと大きな衝撃を与えることとなった。


『ガタッ!!』

『ざわ・・・ざわ・・・』

『あ^~!!』

『スーツなんですか!?』

『はい好き』

『見てぇぇぇぇぇ!!』

『何故俺はあの場に居ないんだろうか』

『蟹抱えたジャージ女と、カメラ構えたスーツ女。よく考えたら怪しくない?』

『よく考えなくてもクソ怪しい定期』


「はいはい!話が進まないので無視しますわよ!!」


 またも湧き始めるコメント欄。そんな彼らに嫌な予感を感じ、アーデルハイトは視聴者達を制する。先程のように話が盛り上がってしまえば、騒ぎを沈めるのに再度数分が必要となってしまう。少なくとも十階層まで到達したいアーデルハイトにとって、それは無駄な時間以外の何者でもなかった。

 アーデルハイトによる牽制の甲斐もあって、コメント欄は一応の落ち着きを取り戻す。そんな視聴者達の様子に胸を撫で下ろし、アーデルハイトが東海林へと向き直った。


「ところで、おじ様はここに詳しかったりするんですの?」


「あぁ、この伊豆ダンジョンで探索をして、もうかれこれ10年近くになるかな。ここの事なら大抵のことは知ってるつもりだ。昔は仲間達と一緒に、20階層まで到達したんだぜ?」


「あら、凄いではありませんの。今はお一人ですの?」


「ああ、仲間は引退した奴もいれば、ダンジョンで死んだ奴もいる。それに俺ももうこの歳だし、低層で資源漁って、どうにか食いつないでるってところさ」


「・・・見渡す限り、砂しかありませんわよ?」


 東海林の言葉に、改めて周囲を見回すアーデルハイト。先程まで自らが歩いていた場所だ。換金出来そうな資源など、何処にも見当たらないことは既に知っている。


「案外馬鹿にならないんだぜ?この砂の中にも、ちゃんと金になるモンはあるさ。例えば・・・ほら、これなんて結構いい値段するぜ」


 そういって東海林が懐から取り出したのは、ガラスで作られた小さな小瓶だった。沖縄等の土産屋で売られている、星の砂が入った小瓶に良く似ていた。その瓶の中に入っていたのは、親指の先ほどの大きさの石だ。色は純白で、凹凸のないつるりとした丸い石。色が白いこと以外は、河原に落ちている丸石とそう大差はないように見える。


「『星石』っつーんだ。あぁ、隕石じゃないぜ?これも立派なダンジョン資源ってやつさ。色が砂と同じだから素人には見つけ辛いんだが・・・まぁ、昔取った杵柄ってやつだな」


「へぇ・・・綺麗ですわね」


『アデ公のほうが綺麗やで』

『ん?』

『は?』

『うるさ』

『うるさいですね・・・』

『辛辣すぎない?』


「あなた方、緊張感がありませんわね・・・」


『どの口が言うとんねーん!!』

『おまいう』

『なんだろう・・・蟹逃してから言ってもらっていいすか?』

『オッサンの昔話に緊張感もへったくれもあるかw』



 好き勝手に投稿されるコメントに、アーデルハイトが半ば呆れながらツッコミを入れた。しかしそれはただの鋭いブーメランとなって彼女へと突き刺さった。


「ごほん!!────ともかく、ですわ。おじ様、もしよろしければ道案内をお願いしたいのですけど」


「ん?ああ、別に構わねぇぞ───と言いたい所だが、そりゃ無理だ」


「あら?どうしてですの?」


「さっきも言ったように、俺はもう半分引退してるようなもんだ。こうしてここに居るのだって、今の俺じゃここまで来るのが精一杯ってだけの話だしな。ここから先、七階層以降からはカルキノスの幼体以外の危険な魔物も出てくる。俺じゃ役には立てそうにない。見た所嬢ちゃんも一人・・・いや二人か?まぁどっちにしろ、戦力不足ってワケさ」


 そう言って肩を竦める東海林。

 彼の言葉は間違ってはいない。如何に低層といえども、ダンジョンは危険な場所なのだ。通常であれば4人以上のパーティーを組んで探索に応るものだし、間違っても女性一人で潜るような場所ではない。ここまでは比較的無害な魔物しか現れなかったが、彼の話によればこの先は違うらしい。彼がほぼほぼ戦えない以上、この先へ進むのは自殺行為となんら変わらないだろう。

 そう、彼の言葉は至極真っ当なものだ。それが通常の探索者に対する助言であれば、だが。


「それなら何も問題ありませんわね。おじ様は案内だけで構いませんもの」


「・・・あん?」


 さも当然のように、そんな懸念は必要がないと言い放つアーデルハイト。一方の東海林は、彼女が何を言っているのか理解出来なかった。訝しみ、視線だけでアーデルハイトに意図を問う。彼が疑問に思うのも無理はない。どちらが正しいのかといえば、間違いなく東海林のほうが正しいのだから。


『オイオイ、聞いたかい?』

『聞いたさ!まったく、勘弁して欲しいぜ!』

『ハハハ!戦力不足だって?どうかしてるぜ!』

『まるでわかっちゃあいないぜ。ああ、本当に・・・わかっちゃあいないさ』

『君ら何で急に海外ドラマ口調になってんのw』

『草』

『オッサンを異世界にご招待だ!』


「戦闘は全て、わたくし一人で事足りますわ。むしろお釣りが来ましてよ?おじ様は、ただ後ろから付いて来てくだされば結構ですわ!」


 アーデルハイトがそう宣言し、怪訝そうな表情を見せる東海林に向かって親指を立てて見せた。

 そんなアーデルハイトの自信に満ち溢れた声色に、何か嫌な気配を感じたのだろうか。アーデルハイトの腕の中で、蟹が僅かに震えたような気がした。

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