第124話 断章・白 弐

「……認めるしかありませんねぇ」


 自室の窓辺で、聖女が独り言を呟く。


「人選を誤ったか、或いは、見通しが甘かったのか……いずれにせよ、これは私の落ち度。非常に不愉快ですが……そういうことなのでしょうね」


 その表情は平坦で、感情の起伏は見られない。

 機嫌が悪いというわけではなく、良いというわけでもない。ただ自らの失敗を悟り、静かに受け入れているだけ。そんな表情だった。


「アーデルハイトさんの分はもう諦めましたが……よもやウーヴェさんもダメだとは思いませんでした」


 じっと両の手のひらを見つめる聖女。得られるはずだったモノが、そこには無かった。


「戦闘に長けた二人を送ったのが間違いだったのか……それとも別の要因があるのでしょうか?例えば───そう、あちらの世界は思っているほど過酷ではない、とか?」


 聖女はあちらの世界地球のことを知らない。

 ただ彼女の主たる女神から『こちらとは別の意味で過酷だ』と聞かされていただけだ。故に、女神から与えられた力を使い、それなりに苦労してあの二人を送った。否、片方はそれほど苦も無く送り込めたのだが───。

 何しろ剣聖などは、あの魔物の大群ですら貫いてみせたのだ。拳聖も同様に、そこらの魔物などでは相手にならない。そんな、こちらの世界ではどうやっても殺せそうにない二人でも、『あちらの世界』とやらに送れば殺せると思った。仮にすぐには殺せずとも、弱体化くらいはしているだろうと思った。だからこそ、念押しの意味も込めて巨獣まで送り込んだのだ。それで全てはうまくいく筈だった。労せず成果を得られる筈だった。


 しかしその結果がこれだ。未だ彼女は何も得られていない。女神が自分を謀ったなどとは思っていないが、しかし何かが噛み合っていない、そんな気がしてならなかった。


「どうやら情報に齟齬がありますねぇ……次に啓示を受けられるのは暫く先ですし、やはり計画を練り直す必要があるでしょうか」


 ほっそりとした美しい指をひとつずつ折り、何かを数えるように空を見上げる聖女。


「まだ時間があるとはいえ、あまり悠長にもしていられませんしねぇ」


 戦闘に長けた二人が駄目だったというのならば、あちらの世界とやらは荒事の多い場所なのかもしれない。女神の言葉とは随分食い違うが、何かのすれ違いが発生していると仮定すれば、それもあり得ない話ではない。

 であれば、次は荒事に長けていない者を送ってみようか。あのクセの強い二人を送るのに成功したのだ。あれらに比べれば、残りの候補を送り込むのはそう難しいことではない。面倒なものから先に処理した利点が、今になって効いてきていた。


「そうなると……立場上、アスタリエルは面倒ですねぇ。シーリアさんとオルガンなら───大差はありませんが、どちらかといえばオルガンのほうが楽でしょうか?」


『聖王』アスタリエルはそもそも会うのが難しい。他国の王ともなれば、如何に聖女といえどそう簡単には会う約束を取り付けることが出来ない。何より彼は警戒心の強い男だ。仮に会うことが出来ても、二人きりにはなれないだろう。


『聖炎』シーリアは、聖王に比べればいくらかマシだ。皇国の筆頭魔術師といっても、立場的には聖女のほうがずっと上なのだ。面会を申し込めば、そう待つこともなく叶うだろう。しかし揉め事になった場合を考えれば、残った三人の中で最も厄介だった。


 故に、『創聖』オルガンが最も与し易いといえる。殆ど消去法ではあるが、不確かな部分の多い今の状況を考えれば、出来る限りリスクは排除したかった。その分リターンも薄いが、リスクの低さを考えれば試すのには悪くない。こちらの世界にとって、彼女を失うことで受ける技術的な影響は小さくない。だが、聖女に言わせればそんなことはどうだっていい、酷く些細な事に過ぎなかった。


「そうですね、そうしましょう。そうと決まれば、早速行動開始です」


 聖女はそう呟くと、見るからに上等そうな紙を一枚取り出し、文机の上で手紙を書き始めた。まるで機械で書いたかのような、ほんの僅かな歪みもない、綺麗だが無機質で冷たい文字だった。


 そうして手紙を書き終えた聖女は、やはり上等そうな封筒を取り出して手紙をしまった。仕上げに魔力で封をすれば、オルガン宛の手紙があっという間に出来上がる。封筒へと魔力を込め、そのまま窓の外へと静かに放る。すると手紙自身がまるで鳥のように羽ばたき、ゆっくりと飛び去ってゆく。


「さて、これで次の準備はいいとして……ウーヴェさんに付けた『聖痕』が勿体ないですねぇ。あの人、クソの役にも立たなかったですし、嫌がらせの一つもして差し上げましょうか」


 聖痕とはつまり、聖女だけが使える一種の目印マーカーだ。聖女自身が位置を補足出来るわけではないし、一度使えば消えてしまう消耗品ではあるが、代わりにどれだけ離れていたとしても能力の起点に出来る。それがたとえ異世界でも、だ。つまりウーヴェの現在地を起点として、あちらの世界へ『何か』を送ることが出来るのだ。


「うーん……アーデルハイトさんの時は巨獣を使いましたけど……それも駄目だったっぽいですしねぇ。もしかして討伐しちゃったんですかねぇ?アレを送るのに、一体どれだけの信徒を使ったと思っているのでしょうか?本当に嫌になる化け物女ですねぇ。あぁ、鬱陶しい」


 心底うんざりとしたような声色で悪態をつく聖女。普段彼女が見せている表向きの姿からは想像出来ない、あまりにもな態度であった。


「ですが巨獣以上のものとなると……うーん……」


 そんな奸悪な態度から一転し、美しいおとがいに指を添え、可愛らしく悩んでみせる聖女。部屋には彼女の他に誰もおらず、一人きりだというのに、だ。コロコロと急激に変わるその表情は、まるでいくつもの人格を持ち合わせているかのようで。


「あっ、そうです!いいのが居るじゃないですか!!ええ、ええ!いくら化け物のウーヴェさんといえど、アレならきっと少しは嫌がらせになる筈です!早速捕まえに行きましょう!!」


 ぽん、と手を叩き、そのまま部屋の外へと駆け出す聖女。ぱたぱたと廊下を駆け抜け、そのままどこかへと立ち去ってしまう。

 長い廊下を囲む真っ白な壁。先程まで彼女が居たはずの部屋へと続く扉は、どこにも見当たらなかった。


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