第125話 豚鼻ですって!?

 コミックバケーション、通称『コミケ』。

 数多くのサークルが参加する、国内で最も大きな同人イベントの一つだ。参加者の数はサークル、一般、企業、そのどれもが他のイベントとは一線を画すレベルであり、またそれを運営するスタッフの数も段違いである。


 そんなコミケを運営する上で、最も重要な事とは何か。

 それはもちろん『安全』である。多くの参加者が訪れ、あちこちで混雑を見せるこのイベントで、如何に怪我人を出さないようにするか。どれだけトラブルを抑えることが出来るか。運営サイドはそれらに全力を注ぐ。下手をすれば次の開催が出来なくなるかも知れないのだから、当然のことだ。何よりも、参加者全員が楽しめるイベントでなければならないのだから。


 故にサークルの配置に関しても、安全面を考慮した上で為されている。ただなんとなく配置を決めているのではなく、より安全に、より円滑にイベントを進められるよう、しっかりと考えられた上で配置されているのだ。


 つまり如何にして行列を捌くか。サークルの配置はこの一点に尽きる。会場は十分なスペースを確保されているが、それでも、これほど多くのサークルが参加しているとなると、どうしても通路は狭くなる。故に、行列が出来る程人気のあるサークルはより広い場所へ、それほどでもないサークルは少し狭い場所へ。そういった具合に配置してゆくのだ。


 会場には、サークルが出展するためのテーブルが所狭しと並べられている。それらのテーブルの塊を『島』などと呼ぶ。『島』は会場内にいくつも作られており、それぞれの『島』同士の間にはあまりスペースがない。故に行列が出来る程ではない一般的なサークルは『島』に配置されるというわけだ。そういった『島』の真ん中のことを『島中』と呼ぶ。


 もう少し人気のあるサークルになると、今度は『島』の端、所謂『島端』や『誕生日席』などと呼ばれる場所に配置されるようになる。『島端』はテーブルの端である関係上、『島中』と比べてスペースに余裕がある。そうして出来たスペースへと、行列を流す事が出来るのだ。


 そして更に人気のあるサークルは、所謂『壁』へと配置される。『壁』とは読んで字のごとく館内の壁際のことであり、『島端』よりも更に余裕を持ったスペースを与えられている。壁際故にポスターを張ることも出来るし、在庫を積み上げる事もできる。なによりも、より多くの行列を作る事が出来る為に『壁』は人気サークルの証であるともいえるのだ。


 そんな『壁』サークルの中でもより人気のあるサークルには、更に多くの行列が形成される。だがそうなってくるともはや会場内には収まらないし、或いは隣のサークルへの迷惑にもなりかねない。そんな超人気サークルとも呼べる彼らは、通称『シャッター』と呼ばれる場所へ配置される。『シャッター』とは、文字通り会場の壁に設置されたシャッターの前のことであり、それらシャッターを開くことで会場の外に行列を形成することが出来るのだ。


 島中から島端へ、島端から壁へ、壁からシャッター前へ。こうして配置が変わることは、サークル参加している者にとって、ある意味ランクアップの証とも言えるだろう。とはいえ、趣味として同人活動を行っており、人気になることが主目的ではないサークルも多数存在するため、皆が一概にそう思っているというわけではないのだが。


 そんな中、運営の判断と当人達との相談によって、館外へと連れ出された異世界方面軍改め水際族の三人と一人のヤンキー。話題沸騰中の彼女達を島中に置いては混雑が予想されるから、という理由である。スタッフの話によれば既に別の場所を用意しているとのことだが、彼女達はただ案内されるばかりで、詳細はまだ聞かされていなかった。


「外に出ましたわね……」


「え、マジっすか?もしかしてシャッター前ッスか?」


「空きがあるとは思えませんが。諸々の用意もしていませんし」


 人気サークルの証でもあるシャッター前配置には、事前に準備しなければならない物が多い。最後尾札や、並んでいる間に見てもらうメニュー表などがそうだ。だが当然ながらそんなものは用意していないし、そもそもそんな場所が都合よく空いているなどとは思えなかった。


「あ、ちゃん様だ!ちょっと並んできていいッスか?」


「マナー違反ですよ」


「ぐぅ……はい……」


 こうして移動している間にも、他のシャッター前では人気サークルが準備をしている様子が窺える。そんな光景に、みぎわなどはあちこちに目移りしている様子だったが、成り行きで捕獲されたレベッカはぐだぐだと不満を垂れていた。


「なァ、なんでアタシまで連れて来られたンだよ。この後はジャパニーズヘンタイサークルをしこたま回るつもりだったんだけどよォ?」


「貴女、一応人気探索者なのでしょう?スタッフさんに迷惑をかけてはいけませんわよ。ステイですわ!」


「犬じゃねェよ」


 衣装の上からジャージを羽織ったアーデルハイトが、そんなレベッカを叱りつける。言っていることは至極真っ当なのだが、近頃界隈を騒がせっぱなしのアーデルハイトに言われるのは、レベッカとしてはどうにも納得がいかない。ちなみに彼女は、世界的にも有名な本イベントの事を知識として知っており、いつかは参加したいと思っていた稀有なチンピラの一人である。


「ていうか姫さんよォ、その衣装はなんなんだよ。売り子をするってのは配信で見たけどよォ……なんつーか、そりゃ卑怯だろ」


「何がですの?」


「客寄せパンダとしては規格外だっつってんだよ。同性のアタシですら見惚れたんだぜ?こんなんが立ってりゃ誰だって立ち寄るだろ」


「お褒めに預かり光栄ですわ。苦しゅうないですわよ?」


「……今のはちょっと高貴だったかもなァ」


 ふすん、と鼻を鳴らすアーデルハイト。彼女は特別吹聴したりはしないが、自分の容姿が優れている事自体は認めている。褒められて嬉しく思いこそすれど、やたらと謙遜することもない。ただ事実を事実として受け入れ、そしてドヤるのみである。そんな自身に満ち溢れた姿は、ある意味では確かに貴族らしいものだったかもしれない。


 そうして益体もない話をしながら、スタッフに先導され歩くこと暫し。一行はその場所へと辿り着いた。


「ここです!皆さんの為に急遽、我々が設営しました!!」


 そういってスタッフが指し示した場所は、数台の机と椅子が並べてあるだけの、ただの外通路であった。一応は屋根の下ではあるが、完全に館外。本来であれば、シャッター前サークルが列を形成する為の場所である。


「……なんだか掘っ立て小屋感がすごいですわね」


「あー……確かに列は作りたい放題ッスね……」


「というか、まさに列を作るための場所ですね」


「ブフッ!!くッ……あはははははは!!あーっはっはっは!!」


 目を丸くするアーデルハイトと、思わぬ待遇に呆気にとられるみぎわとクリス。そしてそんな『特別扱い』に、ゲラゲラと笑い転げるレベッカ。


「ひー!ひー!あー、クソ、腹いてェ……くッ、ぐふぅっ……ふごっ」


「豚鼻ですって!?」


「ぶはははは!!いやっ、悪い、違うンだよ!」


「ふん!」


「ぐふっ」


 ゲラゲラと大笑いを続けるレベッカへと、アーデルハイトが肘を入れる。そうして悶絶して静かになったレベッカを他所に、スタッフからの説明を受ける三人。


「すみません、ここしかなくって……荷物を運ぶのは手伝いますので、なんとかご了承頂ければと」


「ま、仕方ないッスよね。全然構わないッスよ、これはこれで面白いですし」


 三人としては、別に場所はどこでも問題はないのだ。そもそも頒布物の数も少ない上に、営利目的というわけでもない。何よりも、こうした特別措置は今後の配信ネタとして『おいしい』。


 正直に言えば、スタッフ側からしてもどれほどの待機列が出来るのか予測がしきれないのだ。昨今の彼女達の人気を鑑みれば、他のシャッター前サークルと同等か或いはそれ以上の列が出来る可能性はある。だが頒布物の数は少なく、最初から諦めて並ばない者もいるかもしれない。一方で、買えはしなくとも彼女達を一目見るためだけに人が集まるかもしれない。


 故に、大は小を兼ねるというわけではないが、予想以上に集まったときのことを考え、館外のこの場所になったというわけだ。というよりも、既にサークルチケットによる先行入場組が、周囲からこちらの様子を窺い始めていた。野犬のように野太い男の歓声や、女性ファンの黄色い声まで聞こえる始末である。


「とりあえず、改めて準備を始めるッスよ。お嬢は色紙をお願いするッス」


「承知しましたわ」


「では私は、元の場所に案内札を置いてきます。あとはSNSでの告知もですね」


 そう言ってテキパキと動き始める三人。荷物の移動を考えれば、それほど時間には余裕がなくなっている。移設を知らない参加者のために、告知を行わなければならない。また、SNSを確認しなかった者達のためにも、場所移動のお知らせを元のスペースにおいて置かなければならない。そうしてクリスはスタッフを伴い、この場を立ち去ってゆく。


 ちなみにみぎわの言う色紙とは、グッズが完売してしまい何も買えなかった者達のために、急遽用意した代替品である。月姫かぐやのアドバイスにより、完売がほぼ確定していることが判明したのが数日前。それから、わざわざ来てくれた者達のために何か出来ないかと考え、すぐに用意出来るものとして考案されたのが三人のサインだった。

 なお、良かれと思って考案されたサイン色紙だったが、それはそれで別の騒動を起こすのでは?と月姫かぐやからは事前に指摘を受けた。つまりはグッズとサインとの二者択一問題である。だがそれでも、何かをしたかったのだ。


 配信者とはファンあっての活動だ。そうである以上、わざわざ現地に足を運んでくれたファンには報いたかった。と、そこでアーデルハイトが何かを思いついたかのように呟いた。


「あ、良いことを思いつきましたわ」


「なんスか?」


 そうして白紙の色紙と筆ペンを取り出し、なにやら文字を書き始めるアーデルハイト。例の言語理解能力のおかげか、凄まじく美しい筆跡で『最後尾』と書かれたそれを手に、アーデルハイトはにっこりと笑いながら悶絶するレベッカを見つめた。


「笑った罰として、これをベッキーにぶら下げて立たせておきましょう」


 こうして世界最高クラスの探索者は、豪華過ぎる列整理要員となったのであった。

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