第126話 とある一般参加者の話

 私はどこにでもいる、ただのしがない営業マンだ。

 毎日が同じことの繰り返し。契約を取ってこいという上司の嫌味を聞きながら、いつも遅くまで残業をしている。一応定時は17時ではあるが、家に帰る頃にはすっかり日も暮れていることがほとんど。それは日が落ちるのが遅くなったこの季節になっても変わることがない。結婚もせず、仕事だけに力を注いで生きてきた。そうしてただひたすらに、使い道のない───否、使う暇のない給料を溜め込んでいる。


 たまに同僚と飲みに行ったりすることもあるが、それだってただの付き合いだ。どうせ会話はいつも同じで、新しく入った受付の子が可愛いだとか、そうでなければ上司への愚痴を垂れるだけ。行きたくないというわけではないが、取り立てて楽しんだこともない。


 そんな私の唯一とも言って良い趣味が、ダンジョン配信の視聴だった。

 もちろん配信界隈では有名なジャンルであり、私も話くらいは聞いたことがあった。だがどうしてもアウトローというか、なんとなく粗野なイメージがあったせいか、視聴したことは無かった。

 そんな私がダンジョン配信を見るようになった切欠は、ある正月に実家へ帰った時のことだった。姉の娘───早いもので、もう高校生になる───に一度だけでもと勧められ、渋々ながらも視聴を始めた頃が今となっては懐かしい。そうして三十の手前になった今、私はダンジョン配信にドハマリしてしまっていた。


 ダンジョン配信とは常に危険が伴うものだ。

 仮にダンジョン内で怪我をした場合や、或いは命を落としたとしても、それらは全て自己責任の厳しい世界だ。自ら危険に飛び込む彼らに入れるような保険などあるはずもなく、自らの手で持ち帰った物資だけが収入源。だから収入は非常に不安定で、初めて視聴した時などは、一体誰がそんな怪しすぎる仕事をするのかと思った。少なくとも、私に出来るとはとても思えない。


 だが、だからこそ。

 自分では生涯体験することはないであろう、まるで小説の中に飛び込んだかのような冒険の世界に引き込まれたのだ。画面越しに見るダンジョンには、様々なものが詰め込まれていた。魔物だとか、罠だとか、それは本当にファンタジー世界のようで。


 今となっては、姪とおすすめの配信者情報を交換したりするほどだ。姉には『いい歳をして』などとバカにされたりもするが、同好の士と語らう時間はいくつになっても楽しいものだ。姪もそう思ってくれているのか、こうしてイベントが近くなってくると頻繁に情報が送られてくる。


 私がダンジョン配信にハマってからというもの、年に二回、毎年欠かさず姪を連れてイベントに参加するようになっていた。もうかれこれ五年ほど続けているだろうか。


 当時はまだ小学生だった姪が、ダンジョン配信という少しバイオレンスな配信を見ていたことには思うところもあるが……まぁそれは姉夫妻の教育方針だ。私がとやかくいうことではない。なによりも、そうでなければ私がダンジョン配信に出会うこともなかっただろうから。


 コミバには毎年参加している。コミケと呼ぶ者が殆どだが、近年は類似のイベントも多く開催されているため、私は通ぶるためにコミバと呼ぶ。といっても、たかだか経験年数五年程度の若輩なのだが。

 それはさておき、コミバには様々なサークルが出展する。そんな参加者の中にはダンジョン配信者も多く、実際に会って会話もすることが出来るのだ。となれば、熱心なダンジョン配信ファンとしては参加せずにはいられない。可愛い姪っ子に連れて行けと催促されたから、などというのは方便だ。ただ私が行きたかっただけに過ぎない。


 年に二回のこのイベント中だけは、日頃から溜め込んでいた潤沢な資金に感謝する。欲しいものを全て買おうとすると、かなりの金額になるのだ。それに姪っ子の分もある。姉からは『ほどほどにしろ、甘やかすな』と言われているが、趣味を同じくする可愛い姪っ子の頼みは断れない。


 そうして今回も、姪っ子を連れ朝方から列に並んでいた。『始発組』などという言葉もあるように、参加者の朝は早い。これほど早く現地に到着してもまるで先頭などではないのだから、毎年のことながら驚きを通り越して呆れてしまう。今日はイベント二日目だが、初日となる昨日も大変盛況だったとネットニュースに書かれていた。


「叔父さん、コレ見て!」


 そんな折、隣にいた姪からスマホの画面を向けられる。見ればそこには、私達の目当てのサークル───というよりも、探索者のSNSが表示されていた。どうやら混雑が予想されるとのことで、スタッフとの相談の結果、スペースの移動が決まったらしい。


「まぁ、そりゃそうだよなぁ」


「うーん……グッズはダメそう?」


「かもねぇ。でもまぁ、一目会って話すくらいは出来るかもしれないし」


 もとより、彼女達のサークルは準備している頒布物の数が少ない。彼女達はここ数ヶ月で爆発的な人気を獲得した探索者パーティだ。二月というサークル参加の応募タイミングを考えれば仕方のないことではある。とはいえ、目当てのサークルの新刊やグッズが品切れで買えない、なんてことはコミバでは日常茶飯事だ。この程度で諦めていては、どこのファンもやっていられないだろう。それでもやはり少し残念な気持ちはあるが。


「そういえばさっき、あっちの方から歓声みたいなのが聞こえたけど……何だったんだろうね?」


「さてねぇ……もしかしたらお嬢様が居たのかもよ?あの人は目立つだろうしなぁ」


「くッ……サーチケ入場組か!!あー!私も早く会いたいッ!」


 そう、彼女は絶対に目立つ。画面越しに見る姿ですらそうなのだ。実際にそこにいれば、きっと先程のような歓声が上がるはずだ。


 などと考えながら、姪と雑談をして開場を待つこと暫し。スタッフから開催のアナウンスが告げられる。


 ───お待たせしました。ただいまより、コミックバケーション101、二日目を開催します!


 それと同時に、一般入場の待機列の至るところから拍手が起こる。もはやお決まりとなったこの拍手が、今年も始まったんだなぁという気持ちにさせてくれる。


「ホラ、叔父さん!行こ!!」


「ああ」


 姪に手を引かれ、動き出した列に流されるよう歩みを進める。


『走らないでくださーい!!走らないでー!普段はそんなに早く走れないでしょー!』


 スタッフの声が遠くから聞こえてくる。

 注意を受けている参加者にも目当ての物があるのだろう。これだけ人がいれば、当然スタッフの言う事を聞かない者もいる。気持ちは分かるがコミケのスタッフはボランティア、つまりは無給だ。善意と趣味の延長で、これほどハードな仕事を行ってくれているのだ。そんな彼らに迷惑をかけるなど私には出来ない。


 などといっても、やはり気は逸るものだ。いつの間にか早歩きになってしまっていた。それは姪も同じなようで、彼女はもう小走りになっている。コレでは走る参加者のことなど言えたものではない。


 そうして通路を足早に進み、告知されていた水際族のサークルスペースへとやって来た私達が見たもの。それは想像していたよりも遥かに多い長蛇の列であった。


「うっわ……すっごい人……」


 途中で折り返しも挟んでいるため、もはや先頭が見えない。当然ながらこの位置からでは目当ての三人の姿も見えないが、それでも列の先の方からは歓声が届いてくる。グッズが買えるかどうかは分からない───というよりもほぼほぼ無理だろうが、何れにせよ列に並ばなければ始まらない。


 そうして最後尾へと並んだ私達は、一つ前に立っている女性へと声をかける。赤みがかった派手な金髪の、背の高い女性だった。何故か『最後尾』と書かれた札を首から提げている。


「代わります」


 何故手で持たずに首から提げているのかは分からないが、最後尾札は一番後ろに並んだ人間が持つのがマナーだ。イベントに参加した初めの頃は自分から声をかけるべきなのかどうなのか、よく分からずにあたふたとしたものだ。


 私の申し出に気づいた女性が振り返る。彼女はどう考えても只者ではない、そんな雰囲気を纏っていた。鋭い眼光で睨みつけられた私は、驚きで息が詰まってしまった。だが、誰もそんな私を責められないだろう。見れば彼女の前に立っている二人組の参加者も、緊張のせいか背筋がぴんと伸びている。


 私も姪も、画面越しとはいえ沢山のダンジョン探索者を見てきた。だから分かる。分からないわけがない。この場で並んでいる殆どの人間が、きっと気づいている。だからこそ声をかけられずとも、皆ちらちらと彼女の方を見ているのだろう。


「あァ?」


「ひぃっ!」


 やはり人違いかもしれない。

 そこに居たのは、ただのものすごいヤンキーだったから。

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