第181話 ジャパニーズドラゴン

 同じ『六聖』と謂えど、ウーヴェのそれはアーデルハイトとは対極にあるかのようだった。アーデルハイトの動きは正しく流麗と呼ぶに相応しい、滑らかで繊細な動きが多い。だがウーヴェの足取りは荒々しく、技術というよりも単純な力で以て、理を捻じ曲げるかのような動きだ。


 岸の突端から飛び出したウーヴェが、水面へと足を踏み出す。その足取りに迷いはなく、それが当然であるかのような自信に満ち溢れた一歩。瞬間、爆発が起こった。激しく舞い上がる水飛沫の中、弾丸となってウーヴェが水上を翔ぶ。


 隠密性など皆無だ。正々堂々、真正面からの突撃。如何に高速の突撃と謂えども、当然ながら敵には捕捉されている。湖の面積は広く、肉薄には多少の時間を要してしまう。そしてその間、敵が呆けて待ってくれている筈もない。


 地の底から這い出るかのような、低く重い鳴き声。僅かに湖面が揺らいだかと思えば、水中からは突如として氷棘が突き出した。ウーヴェの進路を塞ぐように現れたそれは、彼の身長の何倍もあるほど巨大だった。


 そんな突然の攻撃にも、ウーヴェは顔色の一つも変えはしない。なぞるように手のひらを湖面に添え、ぽつりと呟く。


「”残響ざんきょう”」


 不思議な現象だった。激しく波打つ湖面がただの一瞬で静まり返り、凪が訪れる。その一方で、突き出した氷棘が甲高い音を響かせながら砕け散る。白い靄を吐き出しながら崩れ落ちる氷片をくぐり抜け、ウーヴェは尚も前進し続ける。


 続く魔物の攻撃は、ウーヴェを直接狙ったものだった。竜の口元が僅かに煌めいたかと思えば、大瀑布も斯くやといった激流がウーヴェへと放たれた。所謂『ブレス』の類であろう。巻き込まれれば人間などひとたまりもないであろうそれは、しかしウーヴェを捉えることが出来ない。


「”白鴉はくあ”」


 ウーヴェの瞳が怪しく光る。敵のブレスは威力、範囲共に申し分無い。だが彼の『劫眼』の前では届かない。敵意を『色』として見分ける彼にとって、この程度の攻撃は余裕を持って回避出来てしまう。ウーヴェに攻撃を通すには、見えていて尚避けられない程の速度が最低でも必要なのだ。


 いとも簡単に魔物の攻撃をくぐり抜け、水面を駆け抜け続けるウーヴェ。その様子に竜も焦りを覚えたのか、続く一手は酷く原始的なものであった。つまりは尾による薙ぎ払い。物理的な攻撃であった。見ようによってはただの苦し紛れに見えるそれは、しかし今のウーヴェにとってはなかなかに面倒な攻撃だった。


「チッ……!」


 舌打ちを一つ。

 馬鹿げた動きで以て、宙を翔ぶ様に走るウーヴェ。だが、彼は水上に居るのだ。水面に立っている訳ではなく、言い換えればただ水面を蹴る勢いで飛んでいるだけ。足元に不安のある現状では、正面から受け止めるのが難しい。


 一瞬でそう判断したウーヴェは回避を選んだ。水面を拳で叩き、跳ねる様にその身を上空へと運ぶ。結果、薙ぎ払いこそ回避出来たものの、水平方向への推進力が失われてしまっていた。当初の予定では敵を殴って後方へと吹き飛ばし、そのまま陸に打ち上げるつもりだったのだが───これでは勢いが足りない。


 彼我の距離は遠く、拳はまだ届かない。そればかりか、ふわりと浮かんだウーヴェの頭上から、折り返した尾が振り下ろされようとしていた。


「”めぐり”」


 それを認めたウーヴェは、仕方なく別のプランへと移行することを決めた。空中でくるりと姿勢を変え、目と鼻の先にまで迫った尾を横腹から蹴りつける。例えるならアーデルハイトが行った『高貴パリィ』に近いだろうか。足に伝わる衝撃に、ウーヴェが満足そうに口角を上げる。


 攻撃の軌道を逸らしつつ、見事な体捌きでウーヴェが身体を捻る。そうして敵の攻撃の勢いを利用し、そのままくるくると回転しながら湖面へと踵を叩きつける。つまりは高空からの踵落としだ。


「”天涯てんがい”ッ!」


 先の水飛沫とは比べ物にもならない程の、巨大な衝撃が竜を襲う。

 池に石を投げ入れれば波紋が生まれるものだ。違いがあるとすれば、ウーヴェの攻撃は石ではなく巨岩であったということ。波紋が生まれるどころの話ではない。直接攻撃を当てた訳では無いが、それは余波だけでも敵を吹き飛ばすのに十分な威力を持っていた。


 竜が藻掻き苦しむような声を上げ、その巨体が抵抗虚しく吹き飛ばされる。敵の背後にある陸は比較的距離が近く、この様子であれば十分に届きそうであった。舞い上がる水飛沫を浴びながら、ウーヴェが水中へと消えてゆく。強烈な踵落としによって分かたれた水が渦となり、そのままウーヴェを飲み込んでいった。


「ふん……ゴボッ……あとは任ガボッゴボボ」




 * * *




 ウーヴェが戦闘を始めた丁度その頃。

 全速力で森を駆け抜けていたレベッカが、その様子を眺めながらゲラゲラと笑っていた。


「だはははは!オイオイ、異世界人マジでヤベェよ!!」


 異世界方面軍の配信を見た彼女は、アーデルハイトの『ヤバさ』に関しては十分に理解しているつもりであった。それと同格であるというウーヴェの実力も、低く見積もっていたつもりは毛頭無かった。彼とは稽古と称し、何度も直接手合わせをしているだけに尚更だ。

 だが、それでもまだ甘かった。手加減してもらっていることも理解していたし、例の『百腕の巨人ヘカトンケイルくん』の時も全力ではないとは思っていた。それほどまでに高く見積もっていたというのに、それでもまだ足りなかった。


 底が見えない、などといったレベルではない。頑張れば自分も、などというレベルではない。あの二人は殆ど、現代人にとって理外の範疇にある。レベッカは改めてそれを見せつけられていた。


「ひー、ひー……いやァ、笑った笑った。腹筋攣るかと思ったぜ」


 とはいえ、笑ってばかりもいられない。あの化け物達の片割れから、彼女は仕留め役を仰せつかったのだから。敵は強大で、恐らくは彼女がこれまでに戦ってきた魔物の中でも一、二を争うレベルだろう。だが不思議と負ける気がしなかった。ウーヴェが既にダメージを与えているからではない。仮に敵が万全の状態であったとしても、負けるヴィジョンが浮かばない。


「さて、笑わせて貰った分アタシも仕事しねェとな……旦那との模擬戦を除けば、ガチでヤんのは日本に来てから初めてかもなァ」


『勇仲』との共同探索では抜きに抜いていた。有明の一件では、時間稼ぎがメインの防衛戦だった。攻撃こそが真骨頂であるレベッカにとって、これが日本に来て初めての全力戦闘と言えるだろう。消化不良などということもないが、しかしそう考えれば否応なく闘志が湧いてくるというものである。


「ジャパニーズドラゴンだかなんだか知らねェが、ここ最近の特訓の成果見せてやるぜェ!行くぞオラァ!!」


 レベッカが手にした大剣を、まるで準備運動でもするかのようにぐるりと振り回す。そうして宙を舞う敵を見据え、犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべた。

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