第180話 人間辞めてねンだよなァ

 どれ程下っただろうか。


「……成程」


 穴の内部はまるで滑り台のような急傾斜となっており、漸く止まった先でウーヴェが一人呟いた。一体何に得心がいったのかは不明だが、少なくとも慌てふためくなどという事は無かった。そんな彼に遅れること暫し。今しがたウーヴェが出てきた穴から、同様にレベッカも姿を見せる。


「へェ……随分深くまで降りてきたじゃねェか。落とし穴っつーより、むしろショートカットって感じだなァ」


 そう言ってレベッカが見つめる先。そこは湖のある巨大な空間が広がっていた。地上はまだ夏だというのに、季節外れの紅葉があちこちに見られる。ダンジョン内であることを忘れてしまいそうな、幻想的で美しい光景だった。

 橙色に染まる落ち葉の絨毯を、ウーヴェとレベッカが踏み鳴らす。周囲に魔物の気配は無く、それどころか、ダンジョン特有の不気味さといったものも感じられなかった。


「なんつーか……これまでとは随分雰囲気が違うじゃねェかよ」


「ああ」


「もしかしてアレか? さっきの穴はボス部屋一直線だったとか、そういう美味しい話だったりすんのか?」


 もしもレベッカの言う通り、最下層まで落とされる罠だったとしたら。それは間違っても美味しいなどというものではなく、どう考えても悪辣極まりない罠だろう。なにしろ十かそこらの階層からいきなり最下層だ。そこらの探索者ではどうしようもない、殆ど詰みの状況といっても過言ではない。そしてそんな彼女の予想は、幸か不幸か正解してしまっていた。


 周囲の様子を二人が窺っていた時、突如としてフロア内を地響きが襲う。離れた場所に見える湖面は波打ち、木々が揺れ、葉が一斉に音を立て始める。そんな不意に訪れた異変にも、ウーヴェとレベッカは調子を崩さなかった。

 拳聖としての圧倒的な実力を誇るウーヴェは置いておくとしても、だ。ダンジョンを制覇した経験があるわけでもないレベッカが、何故こうまで平常心で居られるのか。当然ながら、ウーヴェに守ってもらおうなどと甘えた考えを持っている訳ではない。それは偏に、彼女の気性、或いは性質からくるものだった。


「オイオイオイ、マジかよ大当たりじゃねェか。姫さんには悪ィが……こりゃあラッキーだなァ」


 とどのつまり、彼女また戦闘狂であるというだけのこと。

 二人が見つめる先、美しい湖の中心部。そこから姿を現したのは、翼を持たない、細長い体躯の『龍』であった。異世界で畏怖されていた『ドラゴン』ではなく、どちらかといえば和風なイメージのある方だ。


「へぇ……なンだよ、こんな辺境のダンジョンの割には立派なボスじゃねェかよ」


「見たことがないタイプだな」


「お、旦那も知らねェのか?」


「ああ。似たような魔物に『海竜リヴァイアサン』というのが居るが……」


「そりゃこっちの世界でも有名なヤツだなァ。なんつーか、そっちとこっちの世界って結構共通点あるよなァ」


 ウーヴェの言う『海竜リヴァイアサン』とは、『巨獣ベヒモス』や『国喰らいヨルムンガンド』と肩を並べる最強種の一角だ。こちらの世界に於いても、すっかり名の知られた伝説上の生物。そんな海を統べるとも言われるリヴァイアサンとは、当然ながらウーヴェも戦った経験は無い。だがその外見だけは彼も知っている。それと比べれば、眼の前の竜が随分と格が下のように思われた。


「どうするよ? バッチリこっち見てっけどよ」


「無論、討伐する」


「そりゃ賛成だ。だが相手は水ン中だぜェ?」


「む……もしや水の上も走れんのか?」


「そこまで人間辞めてねンだよなァ」


 さも当然のように言い放つウーヴェ。レベッカもこれで、自分が他の探索者と比べても逸脱していることは自覚している。そんな彼女であっても、水の上を走ることなど出来はしない。


「姫さんもそうだけどよォ……異世界人っつーのは平気でふざけたこと言うよなァ」


「巫山戯てなどいないが」


「いや、分かってンよ……一応聞いておくンだが、もしかしてアレか? 右足が沈む前に左足を出すとかいう例のヤツか?」


「いや、単純に水面を蹴ってその勢いで走るだけだ」


「やっぱ脳筋じゃねェか。大して変わんねェよ」


 真顔でそう告げるウーヴェに、流石のレベッカも辟易とした表情を浮かべていた。彼女も基本的に脳筋の類ではあるが、眼の前の男はその更に上を行く脳筋であった。


「お前は背後に回れ。俺がヤツを陸に引きずり出す」


「あン?旦那なら一撃で仕留められんじゃねェのか?」


「流石に水上では無理だ。力が入らん」


「はァん……そこは案外常識的で安心したよ。了解だ」


 手早く役割を決め、レベッカが移動を開始する。こういった時、実力の無いものほど細かい作戦を立てがちだ。力不足を知略で補う為、ある意味では仕方がないことだが、そうした細かい打ち合わせなど必要としないのが、二人の実力を示していると言えるだろう。ほんの少しの意思疎通があれば、あとはお互いが勝手に何とかしてしまう。兵は拙速を尊ぶ、といったところだろうか。


 レベッカが森へと入っていくのを見届けたウーヴェが、眼の前の竜へと向き直り拳を鳴らす。自ら正面を請け負ったからには、間違っても敵の攻撃をレベッカに向けるようなことがあってはならない。基本的には一人で戦うことの多かったウーヴェであるが、こと戦闘に於いてのセンスは他の追随を許さない。チーム戦の経験が少なくとも、その程度のことは承知している。


「……やるか」


 誰に言うでもなくそう呟いた次の瞬間、ウーヴェは疾風となって森を駆け出した。

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