第182話 やってみろ
水棲の魔物は陸に上がれば無力か。
ファンタジー世界に当てはめれば『亜竜』に属するだろうと思われる、紛れもない強敵だ。そんな相手が果たして、陸に上がれば跳ね回ることしか出来ない雑魚モンスターだろうか。答えは否だ。魚型の魔物であればそうかもしれないが、今戦っている相手は違う。
その巨体を陸地へと、強かに打ち付けた水竜。細長い身体の随所にはダメージの痕が見て取れるが、しかし瀕死と呼ぶには程遠かった。
「そんなガリガリで意外とタフじゃねェかよ、なぁオイ」
とぐろを巻いて身体を起こした水竜の、その側面からレベッカが肉薄する。そこらの探索者であれば萎縮してしまいそうなその巨体も、彼女にとっては戦意高揚のスパイスにしかならないらしい。恐れなどまるで知らないレベッカが、手にした大剣を振りかぶる。
長い刃渡りに分厚い刀身。風の抵抗を受けつつも、それらの一切を無視して迫る刃。アーデルハイトが剣をふるった時のような、高く美しい音とは正反対の風切り音。例えるなら野球のフルスイングに近いだろうか。全身を余すこと無く使って放たれた一撃は、まるで小さな竜巻のようで。
「死ねやオラァッ!!」
あまりにも直球な罵声と共に、傷ついた鱗の隙間へと大剣が差し込まれる。彼女の大剣は『
レベッカの両腕、その靭やかで強靭な筋肉が軋む。これほどの相手に対し、まともに攻撃を加えられる機会はそう多くはない。故に、レベッカはこの最初で最後の好機に最大限のダメージを与えておくつもりだった。幾度もレベルアップを繰り返した世界最高の探索者による、防御の事など一切考えていない渾身の一撃。硬い鱗の隙間を縫うといった技術ではない。ただ力任せに、敵の装甲の上から肉を抉り飛ばす。
「硬ッ───てェなコラァ!!」
悪態を付きつつも、手にした大剣を振り抜くレベッカ。腕に返る僅かな痺れが、肉を断つ感覚が、彼女に攻撃の成否を伝えてくれる。
「ッしゃァー!! どうだよオイ、ちったァ効いたかよォ!?」
耳障りな悲鳴を聞きながら、レベッカが獰猛な笑みをより深くする。普段から粗雑な態度のレベッカではあるが、全力戦闘時の彼女はより恐ろしい。それを象徴するかのように、彼女が手にした紅く鈍い光を放つ巨大な刃には、今しがた敵から奪ったばかりの鮮血がべっとりと付着していた。
そんな勢いに乗るレベッカだが、慢心や油断があるわけではない。相手はそうあっさりと終わる相手ではないと、彼女はしっかりと認識している。そんな彼女の考えを裏付けるかのように、のたうち回っているかと思われた水竜の尾がレベッカの死角から迫っていた。
鋭く尖った無数の鱗に覆われた尾は、ただ触れるだけでも傷を負いかねない。それが高速で薙ぎ払われているのだ。直撃すれば肉という肉をこそぎ落とされてしまうだろう。ウーヴェが脚で受け流せたのは、彼の卓越した技能あってこその技だ。どちらかといえばパワータイプのレベッカに同じことをやれというのは些か酷というものである。
「ぅおッ……とォ……あッぶねェじゃねェか!!」
上半身を大きく仰け反らせ、振るわれた尾の下を潜る。それに合わせて彼女の豊かな胸部も揺れるが、生憎と現在は配信を行っていない。もしも彼女のファンが見ていれば、それこそ外人四コマ状態になっていたことだろう。
周囲の木々をなぎ倒しながら遠ざかってゆく尾を、レベッカが心底楽しそうに見送る。一撃受けただけでも致命傷を負いかねない戦いの最中だというのに、その顔には焦りや不安は微塵も感じられなかった。既に周知の事実ではあるが、やはり彼女も戦闘狂であるということだろう。
「いいぜいいぜ! そう簡単に終わるようじゃァ、つまんねェもンなァ!!」
そう言って笑うレベッカは、しかしよく見れば肩口から大量の血を流していた。どうやら回避しきれなかったらしく、先の攻撃が腕を掠めていたらしい。それでも尚、彼女は笑うことをやめない。興奮によって痛みが麻痺しているわけではなく、単に痛みすらも楽しんでいるだけだ。
敵を切り裂く感覚も、負傷も、疲労も、スリルも。戦闘行為が内包しているそれら全てが、レベッカにとっての戦う理由。それら全てを身体で感じる為に、彼女は探索者として戦い続けている。ただひたすらに己を磨くことを目的として戦う、殆ど修験者のようなウーヴェとはまた違ったベクトルで狂っていた。
そんな頭のネジが数本飛んでいるとしか思えないイカれたヤンキーが、出血する腕を庇うこともせずに森を駆け抜ける。まだ一撃入れただけ。まだ一撃しか入れていない。この程度ではまだまだ終われない。折角のボス戦だ、限界のギリギリまで楽しみたい。彼女の内心を代弁すれば、概ねこんなところだろうか。
しかし、忘れてはならないことが一つ。
結果として水竜の討伐に発展してしまったが、そもそも彼女達がこのダンジョンに来たのは別の理由だった。既に救出が終わっていることなど知る由もない彼女は、ふとその事を思い出した。どうみてもイカれたジャンキーの癖に、頭の奥底にはしっかりと冷静な判断を残している。
「ッ……チッ、そういやァ忘れてたな……」
ちらりと横目を湖に向ければ、全身をびしょ濡れにしたウーヴェが岸に辿り着いたところであった。トドメ役を任せてくれた以上、積極的に手を出してくることは無いだろうが───あの何処か抜けた規格外の男が参戦すれば、ものの数秒で終わってしまう。元よりこの状況は、ウーヴェの力添えがあってのことだ。『タイマン』に固執出来るような立派な状況ではない。そう考えたレベッカは、早々に決着をつけることを決めた。
「旦那ァ!! 例のアレやるぞ!! いいよなァ!?」
「やってみろ」
「っしゃァ! アタシも日本に来て遊んでたワケじゃねェってトコ、見せてやるぜェ!」
ウーヴェから怪しげな許可を取り付けたレベッカは、今まで以上に楽しそうな顔をしていた。
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